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はてなキーワード: 責任とは

2024-08-18

anond:20240818112401

それってあなた感想ですよね。確かに外圧が一つの契機になることはあるかもしれませんけど、結局は個々人の意識や行動の問題ですから、一概に外から圧力だけで全てが変わるわけではないですよね。表現の自由に関する議論多角的で、一概に「責任感がない」と言い切るのは問題だと思いますアメリカ視点も一つの見方ですけど、それが全てではないですしね。他国の目を気にしすぎるのもどうかと思いますよ。

外圧がなきゃ変わらない

自発的性的消費を止めたりは、まぁしないとは、最初から分かってた

注意されても鍵かけないし

罪悪感さえ持てないみたいだし

表現の自由責任感を欠いた人たち

アメリカから見たら溜め息ものなんだろーな、って

anond:20240818001406

そんなわけないじゃん

国ってみんなで運営してるんだよ

ファンクラブみたいなもんさ

運営するのに会費とるでしょ

ファンクラブで出店したり広告だしたりするなら費用もとるよ

それが税だよ

やりたいことに税かけるのってかからなければやるのにって

無責任ファンクラブ内で交流したらめちゃめちゃになるのわかるでしょ

費用とってそこに管理部を置いてファンクラブ内での運用安全責任をもたせるために徴収してるんだよ

消費税はそういう意味で「消費全般国民生活に向けて使われるべき税の徴収が主だよ

お金持ちが大金つかうのに消費税を気にしたりするわけないじゃん

価格が上がったところで影響がでるのは小さな規模だけだってことくらいわかるでしょ

人間が消費できる量は一人当たり上限があるんだから、10%の金持ちと90%の庶民毎日の消費に税かけたら9倍庶民にかかるわけじゃん

そもそもコロナ禍で消費税税収が爆増したのは、お金持ちが無駄遣いをしたからなの?

庶民の消費が爆上がりしたからでしょ

マスクに消毒にリモート宅配家計簿つけてたらそれまで見たことない消費があがりまくったのわかるでしょ

飲食店とかも設備投資はしただろうけどその投資分の赤字を埋めるのはお客の支払いつまり庶民の出費からだよ

お金持ちが1個納税する分に対して庶民の一回消費分の納税の数十人、数百人の数回、数十回、何百回という回収の上で支払ってるものだよ

お金持ちが一回で支払う消費税の額が大きくても、庶民が少額毎日支払う消費税の回数と金額は9倍以上あるわけ

毎日車や不動産買ってるわけでもないかぎりお金持ちの消費量アスリート並みでもないかぎり関係ないんだよ

自分の考えを持つことはよいけれどそれでおかしいと自分でおもわない?

2024-08-17

PR記事PRってつけるようになったのに退化してる

最近RSS巡回してるサイトの気になる記事を開くと文章イントロだけでYoutube動画への案内だったことが増えた。

期待していた内容ではないという点では過去PR記事と同じで「知ってか知らずかよいしょ記事なんて読むつもりじゃなかった」が「動画を見るつもりじゃなかった」になっただけ。そのテキスト主体サイト主体的なテキストを読むつもりで開いたのにタイトルで分からないようにしてるから誤認させられる。

PRと違って(閲覧回数以外)誰にも阿る必要ないんだから動画】ってタイトルにつけて欲しい。つけるとみんな見てくれないっていうなら、そのやりかたはevilだよ。

広告主が居ないんだから責任はぜんぶサイトだかんね。

ほぼテキストで喰ってるんならせめて動画文章化をしてくれ。

安心安全登山じゃダメなの?

俺のスペックというか生い立ちを書くよ。

父親が数年前にある山を登頂してる途中に連絡が取れなくなって今も本人は見つかってない。

この時期になると登山して滑落して死んだとかいニュースが沢山流れてくるけど、普通に安全に山を登るじゃダメなの?

なんでギリギリを攻めて死んだかどうかわからない状態家族を困らせるの?

法的には遺体が見つからないと死んだ認定するの数年かかるんだよ。

その間父親借金がないかとか相続どうするかとか残された家族で話し合わないといけないの。

登山してもいいけど死ぬような山登るなよ。

葬式も上げられないし母親もう認知症になりかけてるしお前が変な山登ろうとしたか家族結構大変なことになってたよ。

何で家電量販店複数スマホ契約してるんだよ、意味不明すぎる。

登山する時母親メモに切れっぱし渡してたけどもっとちゃんとやれよ。

お前の人生なんだから死ぬのは勝手だけど家族作った以上最低限の責任はあるとおもうよ。

今年もお前の遺体(年数的に死んでる)を探す登山いくんだよ。

anond:20240807210906

>親が子供を指して使う言葉ではないというまず常識レベルで。

 

そやな。カ◯ワ、◯イジ、池◯に類似で、品のいい言葉でなく蔑称やな。

身内に使うのは適切ではない。

しかし、「将来、いわゆる『チー牛』になるおそれがある」はギリギリセーフだろう。

 

>息子がチー牛にならないように父として何ができるか

 

息子に男らしさの手本を見せ、鍛えることかな。

・体力、筋力、声量などのフィジカル

・闘志、根性責任感、自立心などの精神力

女性子どもを養う経済力

ホモソーシャル社会の泳ぎ方

anond:20240817041302

ガラスや電灯を割ってしま増田が出たらどうするんだよ

責任取れんのか

anond:20240816222511

この件、搬入予定日から10日も過ぎてて放置してた店側にも責任があるんだよね

僕が思うに、取り寄せを受け付けたら搬入予定日順に予約表をファイルしておいて、毎日、その日の搬入予定の本をチェックして搬入されてなかったら取次に問い合わせるとかするべきなんじゃないか

それで搬入が遅れそうだったらその旨を客に連絡するとかするべきなんじゃないか

この客も「一週間ぐらいで入ると言ったから注文したのに」といって搬入予定日の10日後に来店してる

しかしたら入荷したら連絡が来ると思って待ってたが来ないからさすがにもう届いてるだろうと思ってお店に来店したが入荷してないから返金を求めたのではないか

anond:20240817094221

オタクさん、陰謀論とか根拠不明瞭な主張でも自分に都合が良ければ真実扱いするし、それに基づいてよくわからん人間神格化したり適当根拠カジュアル捏造悪癖があるんだよな

しかも身内志向体育会系の腐った部分のノリがあるから、外部から墓指摘をまともに受け入れない

その癖他人には陰謀論やら妄想乙ってレッテルを貼り攻撃するし、気にいらない専門家の主張なんかは「やつは本当の専門家ではない」とか言い出す

もちろん間違っててもその責任は取らないし反省もしない。なんなら「世間ではこう言われてるが実際は」と精神勝利宣言する

その悪い部分に目をつけて商売してるのが山田太郎なんかの表現の自由戦士とかネット論客系の人達だったけど、無責任断言妄想他人を吊し上げるという暇空というバケモノ級の大物が出てネット揶揄で収まらなくなった感がある

元増田と君が同一人物でないなら下品に絡んできたのは君。

皮肉の中身を推測できないならそれはそれで。

適応的ってことでしょ

動物正義あるかなんて話は誰もしてないよね

アスペかな?

https://anond.hatelabo.jp/20240817125644


スーパー忖度能力って何?

皮肉かどうかなんて聞いてないし。

自分言葉責任持とうよ。

わざわざ自分から絡んでおいてわけわからないこと言って逃げるのバカらしいと思わないの?

anond:20240817131900

猫飼うのに猫の稼ぎに期待するバカいるか

動物最後まで責任持つつもりで飼えよ見通しが甘いなあ

陰謀論はだいたい正しい。

陰謀論を一番批判している空間というのがかつて「はてな」だった。

その名残もあり増田も「陰謀論否定する論調」が結構多い。


結果、陰謀論とされたものは正しかった。


陰謀論嘲笑したり、エセ科学と言ったりしていた連中は責任を取らない。

お前らは一生咎を背負っていく。世界危険晒し極悪人の一人として。

2024年8月17日約束したでしょ

しばし町中や公園で耳に入るフレーズ

親が子供に言うてる

 

「もう時間から帰るよ」

「やだ」

約束したでしょ」

 

外出前に約束とやらをしたのだろう

「お外に遊びに行きたい」

「6時までよ」

「はーい」

 

俺は約束は双方の同意がなければ成立しないと考えている

約束契約の一形態であるわけだが、未成年制限行為能力者とされ単独契約はできない。

契約内容の理解し、メリットデメリット作用副作用判断できないから法的に保護されている

 

人が契約を守るのは信頼を維持し法的なペナルティを避けるためだ

子供社会的規範を身につけるため約束を守る訓練は必要な事だ

 

だが、上記のような合意形成は「約束」と足り得るか

契約履行の訓練になるのか?疑問だ、俺は否定的に考えてる

 

「お外に遊びに行きたい」

「6時までよ」

合意できません、ボクが満足するまで時間制限無しで遊びたい」

「じゃぁお外に遊びに連れて行かない」

 

親子は対等な立場では無いのだから合理的平等約束なんぞ成立するはずがない

 

たか当人同意性があるかのような欺瞞

子供にしてみれば交渉余地など無くただ従わせるだけの方便として「約束」を持ち出している事に気づく

平等契約

この方式を是としてアタリマエと刷り込まれる方が教育としてイカンのではないか

実際日本はこの欺瞞契約蔓延している、他責思考もつながる

命令をするというのは命令者は責任がともなう

これを約束と誤魔化すのは相手責任転嫁しているにすぎない。

命令する側の責任を薄める

きっぱりと指示命令する度胸がないか子供責任押し付けてる

俺はね、こーゆーのが嫌いなのよ

 

ハナから命令すればよい

 

「もう暗いから帰るよ、暑い疲れた、飽きた、4時間走り回れば満足しただろ」

「やだ、まだ足りない」

「パパの命令です、従いなさい」

「ぜったい嫌だ」

おやつ一週間抜き、10分延長ごとにおやつ抜きが一日増えます、あと往復ビンタ

 

ニヤニヤしながら走って逃げていきやがった

どこで教育を間違えたのだろうか

anond:20240816203547

この体験談には、教育に対するさまざまな見方が反映されています。以下は、いくつかの観点からその教育の良し悪しを考察します。

良い点:

1. 責任感の育成: 子どもに対して「自分で決めたことは自分責任を取る」というメッセージを伝えており、自己責任を学ばせる点では教育的です。これは、将来的に自分の行動や選択責任を持つことが求められる社会で役立つスキルです。

2. 現実的経験提供: 公文を通じて、宿題をこなすことが必要であるという現実的課題経験させています。結果として「やらなければ結果が伴わない」という現実理解するきっかけを与えています

3. 選択の自由を尊重: 親が無理強いするのではなく、子どもが自ら選んだ道に沿って進ませるという姿勢は、子ども自主性を尊重する良いアプローチとも言えます

悪い点:

1. 厳しすぎる対応: 6歳の子どもに対しては少し厳しすぎるアプローチかもしれません。この年齢の子どもは、まだ自己管理能力時間管理能力が未熟であり、過度に厳しい制裁(退会)がかえって逆効果となる可能性もあります子どもが「挑戦したい」という気持ち尊重しながらも、もう少し柔軟なサポートがあったほうが良いかもしれません。

2. 感情への配慮不足: 子どもが泣き出したとき対応が冷淡すぎると、子どもが「失敗すること=絶対に許されない」という認識を持つ危険があります。これがトラウマとなり、将来的に挑戦すること自体を恐れるようになるリスクもあります

3. モチベーションの低下: 子どもが自ら「やりたい」と思ったことに対して失敗したとき、あまりにも厳しい結果を与えると、今後の挑戦に対するモチベーションを大きく損なう可能性があります

結論:

このエピソードは、責任感や自己管理を育てる面では一定教育価値がありますが、子どもの年齢や発達段階を考慮したアプローチ必要です。6歳という年齢を踏まえると、もう少し柔軟で、失敗を受け入れつつ成長を促す方法がより適切かもしれません。教育は、失敗を通じて学ぶことも重要ですが、その際には子ども感情モチベーション考慮した対応が求められます

anond:20240817023053

義理親による性虐待なんていうグチャグチャした案件世間一般ルールに照らして機械的に処断してもらえばいのである

性急さが負担になるなら単純に時間的猶予をおくのはいい。

しかしその件について自分だけのオリジナル解釈を求める必要などない。そんなものは丸ごと全く無用の重荷だからだ。

そこに「世間ルールなんて関係ないんですよ〜あなただけの答えがあるはずですよ〜」と、ウルトラレベル価値相対主義の一つ覚えで猫なで声ですり寄ってくる愚鈍のものの面をした悪魔が。

あなたとおとうさんはちはつながってないのですよね?だってよ。ケツ毛まで鳥肌立つわ。

河合隼雄劣化コピーをなんだかわからなくなるまで繰り返したらこんなん生えてくるのかな。

ちょっと新しいキャラ造形かもしれん。「ドジな死神」みたいなのはよくあるけどさ。「ものすごい愚鈍悪魔」ってさ。

ーーーーーーーー

とっとと消してる。とっとと消させるつもりで圧かけたのだが。

いわく、世界には7歳で結婚する文化圏もありますあなたも早く経験したこと自分を責めないでいいですよ、あなた場合義理のお父さんだから近親相姦でもないし、別に恨んでないんですよね、人を恨むのは辛いですものね云々。

自分言葉心理的負担を取り除いてあげる」という行為に酔って、ひたすら被害のものを無化しようとしている。でもそれは無になったりはしないのだ。背景状況も加害責任も消され「結局は全て自分のせい」ということになるだけ。

世間の側、大人の側が「それは被害だ、気の毒に」「おやじチャイルド・マレスターだ、許せん」と決めつけてやった上ではじめて当人自分だけの解釈をウダウダ考えうる余裕が生まれるのだ。


舌先三寸で人の心を救えると勘違いしたアホが何をもたらすか端的に可視化された。

全てを当人心の問題として説明してしま社会的問題解決アプローチ遮断してしまう「悪しき心理化」「こころ専門家」の問題は、それでも当事者に「同病」の人がどこかにいるよと示唆するよすがをのこしていた。

しかしそのような(多分に疑似科学であるにせよ)理論付けすらない、その場限りの瞬発力だけの、心屋仁之助的な「救いの言葉」は当事者をなにもない誰もいない暗黒に連れ込んで永遠に放ったらかしにするのだ。


大元の話

https://anond.hatelabo.jp/20240816194315

増田睡眠導入を使用したことがあるかね

増田は少し前に会社から責任押し付けられて、ダウンしてしまったんだ。

原因は自律神経失調症とのことで、いくつかの薬が処方された。

その中には睡眠導入剤ゾルピデム5mg がある。

毎日このゾルピデムを就寝前にの飲み、それによって眠るというわけ。

けれど、このゾルピデムは効き方が本当にもう顕著に表れるのは飲んで数分した後の状態だ。

すぐに眠気が全身を覆いつくすようなことはなく、そのインターバル時間にこそこの薬の真価があるのではないかと思っている。

増田は当然、これまでの人生では一度も麻薬やら大麻といった違法薬物にはこれまで一度として使用したことがない。

ちょっとした好奇心こそあったかもしれないが、罪を犯してまで行う意味があるのだろうかと普通に考えるほどには常識人で、だから服用しようとはしなかった。

増田不眠症と診断されていたためゾルピデムを出されて、その日の夜。飲んだんだ。一錠。

ゆっくり。じぃわぁ~~~~~~と薬は効き始めてくる

この、 ①効き始めてくる → ②眠くなり眠気が強くなる

から②までの移行には30分くらい。

でだ、本題はここから。②のこの、眠気が強くなって眠くなるの少し前の状態

このとき意識状態が非常に面白い

頭はひどくぼぉ~っとしていて、目は酩酊しているときのように視線が定まらうず、身体は微かに脱力してだらっとして感じる。

酒飲んでの普通酩酊と違うのは、まずお酒を飲んでいるわけでもないので飲酒による酩酊に比べるとずっと体が健康的。

二つ目体感としては確かに酩酊に似てる。しかゾルピデム場合幻覚が見えるんだよ。それも難しいことじゃない。

何かを想像するとか、そういんじゃなくて。

気付くと目の前のものものじゃなくなっているんだよ。

何を言っているのか不明だと思うが、俺も当初じゃそうだった。

そうなんだよ。たとえば今これをモニター見ながらキーボード―打っているんだけど、この書き込むときのスペースは白が背景色であるんだけど、それがたまに動いたりするんだよ。

別に文字全体がそれで動くとか、そういうんじゃないんだよ。ふと自分脳裏に浮かんだことがリアルタイムの遅延なしで投入されるように増田を打ちこむときの後ろの白紙背景が急にカーテンのようにゆらゆら揺らぎはじめたり、真っ直ぐに並んでいるの文字群が気付けば曲がってみてるようになる。

そんなめちゃくちゃなことが現実の、目の前で起こるのだ。

最初は非常に戸惑ったものの非常に面白いって思ったのも事実だ。これは今までの人生体験したことがなかったことで、おそらくこれが俗にいう”トリップする” や ”とぶ”といった表現で使われるのであろう感覚なんだなってのが初めて実感できた。

これは貴重な経験で、それも合法として体験できたのは非常にラッキーだと思ってる。

そしてこれを使うと分かるのは、人間というのは簡単幻覚を見る、ということだ。

幻覚を見ている間、ああこれは幻覚だなと思って見ているので、幻覚が見せるのは幻覚ではなくショーのようなもので、とても楽しく、まるでディズニーランドパレードのような楽しい空間がうちの中に広がり、思わず笑ってしまいそうになる。

幻覚がこうも身近に存在しているなんて、ほんの少し前まで露知らず。そして、利用するように楽しむこともできるのだから

2024-08-16

anond:20240816211306

予報業務民間オンリーにすれば

国が責任を負わなくてもよくなるな

どうせ言っても無駄なこと

やす子とフワちゃん

いまさら経緯をまとめると



だが結果はどうでもいいんだ。もとより人気商売だしどうなっても当人責任である

しか外野の反応がどうもね。

「フワは人に死ねと言った!許されざることだ!」

まあ許さないでもいいけど「さすがに字面通りの意図じゃなかった」ってところは汲んであげないと、マジの誹謗中傷といった不法行為相対的に軽いものになる。

やす子は芸人からシャレで返すべきとかいうのはセカンドいじめだ!」

シャレで返せてたらよかったのにね(でもフワが雑すぎたしやす子は器用じゃないし無理だよね)というだけの話だろ。

そこでやっと本題でありどうせ全くわからいであろう話だが、イジメられっ子マインドの奴が勝手に余計なもん投影しすぎなんだよ。「反いじめポーズ」というスカッポルノのいちジャンルなんだよ。いうまでもなくうわべだけの。

ダウンタウンはいじめ芸!」そう表現しうる要素もあったし、そればかりのわけがない。なんでも一色で塗りつぶそうとするのやめない?やめないよな。

戦争責任者の問題伊丹万作) 1/2

 最近自由映画連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見ときくようになつた。

 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。

 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらもつと上のほうからだまされたというにきまつている。すると、最後にはたつた一人か二人の人間が残る勘定になるが、いくら何でも、わずか一人や二人の智慧で一億の人間がだませるわけのものではない。

 すなわち、だましていた人間の数は、一般に考えられているよりもはるかに多かつたにちがいないのであるしかもそれは、「だまし」の専門家と「だまされ」の専門家とに劃然と分れていたわけではなく、いま、一人の人間がだれかにだまされると、次の瞬間には、もうその男が別のだれかをつかまえてだますというようなことを際限なくくりかえしていたので、つまり日本人全体が夢中になつて互にだましたりだまされたりしていたのだろうと思う。

 このことは、戦争中の末端行政の現われ方や、新聞報道の愚劣さや、ラジオのばかばかしさや、さては、町会、隣組警防団婦人会といつたような民間組織いかに熱心にかつ自発的にだます側に協力していたかを思い出してみれば直ぐにわかることである

 たとえば、最も手近な服装問題にしても、ゲートルを巻かなければ門から一歩も出られないようなこつけいなことにしてしまつたのは、政府でも官庁でもなく、むしろ国民自身だつたのである。私のような病人は、ついに一度もあの醜い戦闘帽というものを持たずにすんだが、たまに外出するとき普通のあり合わせの帽子かぶつて出ると、たちまち国賊を見つけたような憎悪の眼を光らせたのは、だれでもない、親愛なる同胞諸君であつたことを私は忘れない。もともと、服装は、実用要求に幾分かの美的要求が結合したものであつて、思想表現ではないのであるしかるに我が同胞諸君は、服装もつて唯一の思想表現なりと勘違いたか、そうでなかつたら思想カムフラージュする最も簡易な隠れ蓑としてそれを愛用したのであろう。そしてたまたま服装をその本来意味に扱つている人間を見ると、彼らは眉を逆立てて憤慨するか、ないしは、眉を逆立てる演技をして見せることによつて、自分立場の保鞏(ほきよう)につとめていたのであろう。

 少なくとも戦争の期間をつうじて、だれが一番直接に、そして連続的に我々を圧迫しつづけたか、苦しめつづけたかということを考えるとき、だれの記憶にも直ぐ蘇つてくるのは、直ぐ近所の小商人の顔であり、隣組長や町会長の顔であり、あるいは郊外百姓の顔であり、あるいは区役所郵便局交通機関や配給機関などの小役人や雇員労働者であり、あるいは学校先生であり、といつたように、我々が日常的な生活を営むうえにおいていやでも接触しなければならない、あらゆる身近な人々であつたということはいつたい何を意味するのであろうか。

 いうまでもなく、これは無計画な癲狂戦争必然の結果として、国民同士が相互に苦しめ合うことなしには生きて行けない状態に追い込まれしまつたためにほかならぬのである。そして、もしも諸君がこの見解の正しさを承認するならば、同じ戦争の間、ほとんど全部の国民相互にだまし合わなければ生きて行けなかつた事実をも、等しく承認されるにちがいないと思う。

 しかし、それにもかかわらず、諸君は、依然として自分だけは人をだまさなかつたと信じているのではないかと思う。

 そこで私は、試みに諸君にきいてみたい。「諸君戦争中、ただの一度も自分の子うそをつかなかつたか」と。たとえ、はつきりうそ意識しないまでも、戦争中、一度もまちがつたことを我子に教えなかつたといいきれる親がはたしているだろうか。

 いたいけな子供たちは何もいいはしないが、もしも彼らが批判の眼を持つていたとしたら、彼らから見た世の大人たちは、一人のこらず戦争責任者に見えるにちがいないのである

 もしも我々が、真に良心的に、かつ厳粛に考えるならば、戦争責任とは、そういうものであろうと思う。

 しかし、このような考え方は戦争中にだました人間範囲思考の中で実際の必要以上に拡張しすぎているのではないかという疑いが起る。

 ここで私はその疑いを解くかわりに、だました人間範囲を最少限にみつもつたらどういう結果になるかを考えてみたい。

 もちろんその場合は、ごく少数の人間のために、非常に多数の人間がだまされていたことになるわけであるが、はたしてそれによつてだまされたもの責任が解消するであろうか。

 だまされたということは、不正者による被害意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つのである」ことを主張したいのである

 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。我々は昔から不明を謝す」という一つの表現を持つている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばつていいこととは、されていないのである

 もちろん、純理念としては知の問題は知の問題として終始すべきであつて、そこに善悪観念の交叉する余地はないはずであるしかし、有機生活体としての人間の行動を純理的に分析することはまず不可能といつてよい。すなわち知の問題人間の行動と結びついた瞬間に意志感情コンプレックスした複雑なものと変化する。これが「不明」という知的現象善悪批判が介在し得るゆえんである

 また、もう一つ別の見方から考えると、いくらますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである

 つまりますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実のものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力無自覚、無反省無責任などが悪の本体なのである

 このことは、過去日本が、外国の力なしには封建制度鎖国制度も独力で打破することができなかつた事実個人基本的人権さえも自力でつかみ得なかつた事実とまつたくそ本質を等しくするものである

 そして、このことはまた、同時にあのような専横と圧制を支配にゆるした国民奴隷根性とも密接につながるものである

 それは少なくとも個人尊厳冒涜、すなわち自我放棄であり人間性への裏切りである。また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的感覚である。ひいては国民大衆、すなわち被支配階級全体に対する不忠である

 我々は、はからずも、いま政治的には一応解放された。しかしいままで、奴隷状態を存続せしめた責任を軍や警察官僚にの負担させて、彼らの跳梁を許した自分たちの罪を真剣反省しなかつたならば、日本国民というもの永久に救われるときはないであろう。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである

 一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣自己反省努力がなければ人間進歩するわけはない。この意味から戦犯者の追求ということもむろん重要ではあるが、それ以上に現在日本必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである

 こうして私のような性質のものは、まず自己反省方面思考を奪われることが急であつて、だました側の責任を追求する仕事には必ずしも同様の興味が持てないのである

 こんなことをいえば、それは興味の問題ではないといつてしかられるかもしれない。たしかにそれは興味の問題ではなく、もつとさし迫つた、いやおうなしの政治問題にちがいない。

 しかし、それが政治問題であるということは、それ自体がすでにある限界を示すことである

 すなわち、政治問題であるかぎりにおいて、この戦争責任問題も、便宜的な一定規準を定め、その線を境として一応形式的区別をして行くより方法があるまい。つまり問題性質上、その内容的かつ徹底的なる解決は、あらかじめ最初から断念され、放棄されているのであつて、残されているのは一種の便宜主義による解決だけだと思う。便宜主義による解決の最も典型的な行き方は、人間による判断を一切省略して、その人の地位職能によつて判断する方法である現在までに発表された数多くの公職追放者のほとんど全部はこの方法によつて決定された。もちろん、そのよいわるいは問題ではない。ばかりでなく、あるいはこれが唯一の実際的方法かもしれない。

 しかし、それなら映画場合もこれと同様に取り扱つたらいいではないかしかもこの場合は、いじめものいじめられたもの区別は実にはつきりしているのである

 いうまでもなく、いじめもの監督官庁であり、いじめられたもの業者である。これ以上に明白なるいかなる規準存在しないと私は考える。

 しかるに、一部の人の主張するがごとく、業者の間からも、むりに戦争責任者を創作してお目にかけなければならぬとなると、その規準の置き方、そして、いつたいだれが裁くかの問題、いずれもとうてい私にはわからないことばかりである

 たとえば、自分場合を例にとると、私は戦争関係のある作品を一本も書いていない。けれどもそれは必ずしも私が確固たる反戦の信念を持ちつづけたためではなく、たまたま病身のため、そのような題材をつかむ機会に恵まれなかつたり、その他諸種の偶然的なまわり合せの結果にすぎない。

→ 続: 戦争責任者の問題伊丹万作) 2/2

https://anond.hatelabo.jp/20240816214517

「決まり文句を憂う元特攻兵」

多くの犠牲者を出したアジア・太平洋戦争。追悼の場では「尊い犠牲の上に、平和日本がある」というフレーズが使われ続けている。戦争を起こした責任が忘れられていないか――。軍国少年だった男性は憂慮している。

https://www.asahi.com/sp/articles/ASS8H3K3SS8HUTIL028M.html

朝日の「季節モノ」の角度付きポエム記事を見かけて、思ったことをいくつか。有料記事なので中身は読んじゃない。

「元特攻兵の憂慮」は「平和のための尊い犠牲」という決まり文句の決まり文句性に向けられているようである

私こと団塊ジュニア祖父抑留帰りである。でも時間の経つのは早いもので、いまや兵士として戦争体験したのは、そしてそれを確かに語れるのは稀な長生きの方だけになった。あと一歩でそれは完全なる「歴史」になってしまう。ツルっとした決まり文句しか残らないのか?という危惧はよくわかる。

朝日意図は「戦争を起こした責任が忘れられていないか――。」のほうにある。日本のし戦争は悪の戦争なのだからろんりてきに言って日本戦没者は「自業自得」または「単なる巻き添え」であり「尊い犠牲」ではありえないというアホが極太マジックで書いたような単純な理屈がそこにはある。

ちょっと話逸れるが井上和彦氏とかがやる戦争美談英霊漫談みたいなのは聞くに堪えない。左翼へのカウンターのつもりなんだろうが、普通に考えて誰が国のために死にたいもんかよ。まず気の毒だし申し訳ないし、そんな気持ちよく語れたらもう嘘だろう。ましてや誇らしいだなんて、まともな神経で言えるわけがない。

だれも簡単言葉にしようのない万感込めた「尊い犠牲の上の平和」なる決まり文句だったはずだ。今後はその意味も変質していかざるを得ないが。どうしたって我々は応仁の乱犠牲者を思って泣くことができない。

ずっと昔に「きけわだつみのこえ」を巡るゴタゴタのルポを読んだ。その悲しくも美しい詩の力の影響下に、わだつみ会なる遺族会みたいなものができ、しか純粋な「慰霊」あるいは「顕彰」を意図する派閥と、彼ら戦没学徒兵はあくま侵略側であり「犬死に」であったという解釈にこだわる派閥あいだで「わだつみブランド」の争奪戦が起き…

犬死に」のドグマ今日に至るまで何の進歩もなく朝日に受け継がれているのであるだってドグマからな。

尊い犠牲」が戦争責任曖昧にするとかいうなら主語不明の「あやまちはくりかえしませぬから」はどうすんの?とかそういう議論はいさらしたくもないが。

前述の通り戦争体験者はもういなくなる。いわば戦争記憶のもの鬼籍に入っていく。現実との結び目をほどかれて「犬死にドグマ」や「誇らしい戦争美談」は文面を変えることなく軽やかにツルツルと高級なそうめんをすするがごとくに語られ続けるだろう。

その一方で世界ではリアルタイム戦火虐殺が熄みゃしないのだからどんな時代のどんな社会もそれぞれにどうかしている。

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