はてなキーワード: 菓子とは
お正月に親類と合うんだけど子供も結構混ざるっぽいので何かいい暇つぶしになるゲームはないかなと。
大人同士だけなら思い出話しながらダラダラ菓子食べてれば時間は潰せるけど子供はそれだと退屈だろうから何か用意しておきたい。
定番の七並べとかでいいじゃんってのはまあ間違ってないのだけどそれだけだと間が持たなかった時のために二の矢が欲しい。
こないだデイリーポータルでやっていた中だとハゲタカの餌食とかルールも戦略も簡単だし運の要素も強いから子供でもいい具合に戦えそうだなと思った。
追記:
ニムトは良さそうですね。ルールも単純で人数の融通も効きますし
同じ理由でワードバスケットも良いなと思いました。語彙力のレベルを子供向けに落としたらいつもと違った難しさがありそうです。
「プレゼントは相手が明確に欲しいと言っているものを渡すか、わからない時は相手の負担にならないもの(適当な値の菓子など)にする」派。
だから誰かにプレゼントを渡す時には、たいがい前もって「欲しいものある?」と尋ねる。
で、相手に「クリスマスプレゼント何か欲しいものがある?」と訊いたんだけど、
「特に無い、会えるだけで嬉しいよ(顔文字)」とのメール返信。
それで終わった。
あれ?
あのさ、誕生日じゃなくてクリスマスだからさ、そういう時って普通「君は何か欲しいものある?」って
尋ね返さない??
別に欲しいプレゼントなんて特にない(あっても他人に要求できる額面のものではない)けど、なんでこの人は聞き返さないのだろう?
この人、普段質問してこない人ではなくて、どーでもいいことはこっちがちょっとうざいなあってくらいに聞いてくる。
それ聞いてどーすんの?ってこと。質問多いのは話の引き出しがあんまりないからなのかなあとぼんやり思っている。
こっちも答えるのがめんどくさくなると同じ質問を「で、あなたは?」と聞き返すようにする。
それは、「他人に質問することは逆に自分が質問されたいこと」ってのもあるかと思うから。
そういやこの人は、誕生日にも欲しいプレゼントあるかって聞いてこなかったな。
いやまあ、それはそれで嬉しいけどさ、でかい花瓶がない家だと持て余すんだよでかい花束は。枯れると処理もめんどいし。
どうせならもっと安くても良いから形が残るものが良かったし、一緒に選ぶとかしてみたかったけど。
どーもこの人はサプライズ好きというか、相手の気持ちや嗜好をリサーチしないで、
自分本意なプレゼントをしたがるような気配がある。悪く言えば気が利かない。
もしかしてイブも花束とか用意されてんのかなあ。車じゃなくて電車だし、持ち帰るの大変だからもっと小さいものがいいなあ。
女は花束もらえばみんな嬉しいとか思ってるかもしれないけど、状況と花束の種類にもよるってことわかってほしいなあ。
花束より、オアシスに花がさしてある小ぶりのフラワーバスケットとかのほうがそのまま飾れるし気が利いてて嬉しいなあ。
それでもくれる気持ちは嬉しいけれど、プレゼントって難しいよね。
で、ここまで書いて、プレゼント交換はなしになるかなと思ってる。ま、それがめんどくなくて一番かな。
貰った薔薇は挿し木して、何本か鉢植えにした。薔薇は難しいけど頑張って育ててる。
来年、花が咲くといいな。
5年ほど前、ある日曜日の夕方、あまり家から出ない父が、「お菓子屋さんに行こう」と僕や僕の妻、弟を誘った。
なんでも、父の知り合いが営んでいる菓子店をリニューアルしたらしい。
新しい作りの店はにはリニューアル後らしく旗が立っていたりしていたが、暗くなりかけていた時間帯のせいか、客はいなかった。
父は中年の店主夫婦に挨拶したあと、僕の妻にだけ「どれがいい?」と聞いた。その後、父の思うままに菓子を選び、気がつくとかなりの数になっていた。
父がこんなに甘いものが好きだったかなとは思ったが、一緒に菓子を買う機会はそれまでほぼ無かったので、気に掛けることもなかった。
最近になって妻が「お義父さん、ああみえて、いろいろ気遣いしてるよね」と言い出した。
そして、5年前のこの話も、例の一つとして挙げた。
店に行った時間も、もうこのあとたくさんお客が来ないと考えてあの時間だったはず。
みんなを連れて行ったのも、たくさん買って余らないだろうかって思わせないためでしょ。」
「おつきあいで買いに行ったのはわかってたけど、そこまで気にしてたのかな?」
何度も読み返した本に知らない伏線があったような気持ちになった。
こうして弟たちのハロウィン大作戦は終わったが、ハロウィン自体が終わったわけではない。
弟や仲間たちにも楽しむ権利があるのだ。
しかし「トリック・オア・トリート」という言葉とは裏腹に、その手には菓子を受け取るためのカゴしかない。
「間違いを正した達成感があると共に、何か後戻りできないことをした気分にもなってる」
「俺はそれを言語化できるが、大人たちの味方をした時点でその資格はないのさ」
そんな会話をしている内に、訪ねる家は最後となっていた。
マスダ家の隣のタケモトさんだ。
いつも突然の来訪で酷い目にあっていたが、今回はちゃんと用意しているらしい。
「あ? ねえよ、そんなもん」
タケモトさんのぶっきらぼうな回答に、俺も含めてその場にいた皆が素っ頓狂な顔をした。
「おい、ないって言っているぞ」
「用意していた分が、先約でなくなったのかもしれないな」
ない以上は仕方ないので俺たちは弟を連れて速やかに帰ろうとする。
タケモトさんのその言葉は挑発でもあり、発破をかけるようでもあった。
弟たちは仲間たちと目線を交わしていたが、俺はメガネについたペイントを落とすのに集中していて気づかなかった。
弟たちは、どこに忍ばせていたのか水鉄砲をタケモトさんに向けて放ち、怯んだ隙に部屋に乗り込む。
「小僧共、おいやめろ」
タケモトさんはのろのろとした足取りで弟たちを追う。
「お前らでやってくれ」
「いや、俺たちだけ行っても止められねえよ」
イタズラという行為は、ある意味でコミニケーションの一環でもある。
相手が許してくれるだろうという信頼と、そして許すという反応で信頼を示すわけだ。
もちろん、そんなことに確証なんてないのだから「イタズラはいけない」と大人たちは言うだろうし、それは何一つ間違っていない。
でも実の所、大事なのは『それを最後に決めるのが誰なのか』ってことを、大人たちは知っているのだ。
現代の、人が人をからかったり馬鹿にしたりする仕方って、結構カンに触ることがある。それは否定しない。
だから、単なる冗談に過ぎない「きのこたけのこ論争」でも、やり過ぎたものの言い方する人がいるのも認める。
だが、それをたけのこの里のせいにして、「もうたけのこ買わない」なんて言い方する時点で、
もうあなたの言説は「きのこ派による巧妙なたけのこDis」文にしか見えない。そうとしか機能しない。
罪は人間にあって菓子にはない。だから、菓子を責めるな。人を責めよう。「そういう言い方はやめよう」というだけの話がなんで「たけのこ買わない」になるのか。
争いに嫌気が刺したというなら、せめて「きのこもたけのこもしばらく買わない」でいいじゃないか。
争いは嫌と言いながら、なんで争いを煽るようなものの言い方をするのか。すべてはたけのこ派の責任であるようなものの言い方をするのか。
それ読んで、あー実際はそうなんだー、長谷川乱暴だなーとは思ったものの、
身内に透析必要な人もいなくてちょー他人事だし、糖尿のくせに菓子ばっか食ってる父の姿見てると
自業自得で透析になった人もいるんだろうなと思ってた部分もある。
長谷川はもっと取材なり勉強なりしてブログ書けば良かったんだよな。
それなりに番組持ってたんだし、自分がこんなブログ上げたら注目される。
箸にも棒にも掛からないような理屈なら、こうなるかもしれないって投稿ボタン押す前に少しは予想できただろ。
他のつまらねーコメンテーターなんて逆立ちしたってこんな話題になるような発言はできないんだから、
せめてMXぐらいは、妙な正義感を生き甲斐にしてる長谷川を生かしておいても良いと思うんだけどな。
めったにないことだけれど、日常生活の中で「でんがな」「まんがな」を聞くことがあると、ちょっと得した気分になる。
大阪市内のオフィス街で「でんがな」「まんがな」なんてのは、ギャグでない限り日常的に使われていないのだが、
ながいこと営んでおられる小さな会社のおじいさん社長や、地元密着の喫茶店でスポーツ新聞を広げている高齢者は使う。
とても心ひかれる。大阪に住んで10年になるというのに旅情を感じる。
漫画やら映画やら小説でしか接することのないパンチのきいた関西言葉に接すると、「お!」と反応してしまう、よそ者生活がもうすぐ10年。
直接聞いたわけでもないのに今まででもっとも衝撃を受けた関西言葉は、
「どくいり きけん たべたら しぬで」
事件当時小学生であった私は店頭から菓子がなくなる事態に遭遇したはずなのだが、よく覚えていない。
菓子に毒が混入される事件であり、小学生からの注目度はかなり高かったと思う。私も夢中になってテレビを見ていた。
しかし「どくいり きけん たべたら しぬで」は、後になってというか、ネットで文字列として認識してはじめて衝撃を受けた。
内容の反社会性はもちろん、どことなくユーモアのきいた恐ろしさのようなおもしろさ。
凄みのある顔つきの男が眉間にしわを寄せながら、片方の口角だけをあげてにやっとしたような気色の悪さに惹きつけられる。
それはそうと、豪栄道が優勝だ!
昨日、同僚のS氏と会議室で新規案件のブランディングのアイデアを出し合ってた。
あんまりアイデアも出なくて、適当にネットを開いていたらジェラート・ピケのサイトにいつもは口数の少ないS氏が横から謎の食いつきをみせた。それから展開された彼のジェラピケ論が少し興味深く、大いに滑稽でそのことについてちょっと書こうと思う。
「なぜジェラート・ピケは売れていると思う?」
はじめ彼はそう聞いた。
わたしは持っているジェラートピケを思い返しながら、着心地が良くてかわいいと答えた。
彼はそう言葉を加えた。
S氏はなんていうか言葉が甘く、ロマンチストのきらいがある。なんでジェラピケの着心地を知ってるのと聞きたくなったけれど、その前に彼が言葉を続けた。
「ジェラート・ピケのすごいところは、その、"食べるもの"にするからだと思う」
「ちょっと、何言ってるかわかんない」
わたしは率直に言った。
「えっと、つまり、着ている人を"食べるもの"にかえるんだよ」
はあ、なんのために?と聞いたところで、彼は、
「オトコ」と言った。
「ちょっと何言ってるかわかんない」
わたしが言って笑うとS氏も笑った。
彼はジェラピケのコンセプトページを開いて見せた。
"まるで自分がデザートになったかのような気持ちにさせてくれるルームウェア、ジェラート・ピケ"
"女の子にしなやかな魔法 PIQUE MAGIC をかけるのです"
ページにはそんな言葉が並び、最後にはジェラピケを着て"食べるもの"になった女の子がソファで横になっていた。
デザートの意味合いが女と男で違っているのか。ジェラピケを着ていながらそんなこと思ってもみなかった。
わたしが鈍いだけなんだろうか、他の愛用している女性はそこまで考えてるんだろうか。喪女がきいたら発狂しそうな話だ。
S氏がコレクションページに画面を変えると、トップにはジェラピケを着てベッドですやすやと眠る女の子が映った。
女性を"食べるもの"にしたてるブランドは他にもあるけど、やっぱジェラピケは一線を画すというか、立ち位置が真似できない。
例えば……これ、」
S氏は別タブでpeach johnのサイトを開いた。
ちょうどオータムドルチェというキャンペーンで下着の女性が色とりどりのドルチェに見立てられて並んでいた。口紅をさしたモデルたちは谷間が強調され腰はくびれている。バチバチのごりごりの女のイメージがそこにあった。
「どのブランドも単純に女性性を強調していくとこうなっていく。アメリカ的というか肉食的というか、あからさまで力勝負。言うならば恥じらいがない、エロティシズムが足りない」
画面を見ながら真面目に話すS氏に、それはキミのシュミではないか、と思ったけれどそれは言わずに、ジェラピケは違うんだ、と聞いた。
「ジェラピケにはあざとさというか、巧さがある」
勢いに乗って話す彼はわたしの反応も気にせず話をつづけた。
「ジェラピケはまず着ている人を満足させてくれる。
かわいくて着心地が良くて、なんていうかその自分用に仕立てられている感じは特別感を感じさせてくれる。
なんだと思う?」
わたしはすこしめどくさそうに首を横に振った。
「オトコに愛でられることだと思う。イケてるメンズに女の子扱いをしてもらうことで特別感は最高潮に達するんだと思う。
大事なのは自分はあくまで女の子であることで、それらしいことは微塵も表情に出さず、自らの手は一切汚さずにコトを満たすこと、むしろほしいままにすることにあると思う。そして、そのあざとさというかズルさを完璧に巧妙に演出する道具としてジェラピケほど適したものはない。」
S、一体、おまえはどんな女と付き合ってきたのか、その女の人に会ってみたい。
この話の後、なんかジェラピケ、着にくくなったのは確かだ笑
gelatopique http://gelatopique.com/concept.html
peachjohn http://peachjohn.com/?sid=ec_footerbnr
もー、すっかりお昼じゃない!
もうご機嫌斜めをまっすぐにべく
私はタモさんばりに髪切った?って
誰にともなく言ってみたい!
そして、そして、
打てば響くように、
「髪切った?」
「そうですね!!!」
前座で会場を盛り上げる、いいとも青年隊より会場を沸かせたいわ!
最高な平日の夢よ!
でも、今日は最悪な目覚め。
朝早く連絡があって、
パフ洗浄のやつ、ダイソーで買ってきて探して!
って言われて、
出た!また満ちゃんのワガママ!
でも、まあ私も満ちゃんためならと
買い物ついでに色々探してみたけど、
その商品なかったわ。
残念ね。
全く無駄足だったじゃない!
でも、途中美味しいスイーツのお店を見付けて
マイウーなゼリースーイツを買ってみたわ。
うふふ。
ジャンバラヤって何って思いながら、
ぷっしゅっと開ける、端麗Wが私の朝ご飯!
親の揚げ足とって、
げんこつ喰らうパターンよ!
すいすいすいようび!
今日も頑張りましょう!
http://anond.hatelabo.jp/20160908174756
>さて、この37歳嘱託司書さんですが、年収204万円、月の手取り133,442円だそうです。
>一見低収入にも見えますが、嘱託の司書は月14日勤務で実働6時間だそうです。
>という事は休憩1時間として拘束時間は1ヶ月98時間です。ちなみに8時間勤務休憩1時間22日勤務で拘束時間は198時間。
>すなわち、他人の半分しか働かずに貧困だと言ってる状態ですね。
>1ヶ月は8時間睡眠としても480時間有るのですが、2割働いて8割サボリって、それ働いてるって言いますかね?
公共図書館の嘱託職員はほぼ最低賃金なので社会保険に入ってるということはほぼほぼフルタイムかと思われます。
>1ヶ月100時間の残業をしながら、手取りはたった25万円。これ、残業代を誤魔化されているか、自分の残業時間も数えられないかのどちらかじゃないですかね?
>そして体を壊して実家に帰り、図書館の嘱託職員になったそうですね。
>実家から図書館に勤めていた頃は、手取り12万円の貧乏だった。
>貧乏ながら好きな本を買う、買い物する、友達と遊ぶ、休日に問題意識のある障害者分野のボランティアに行く、ということはできた。
残業代をごまかされた、というより給料で20時間までしかでない、とか名ばかり裁量労働制で給料でなかったんじゃないですかね。
あとこれくらいのプチ贅沢もできない生活って何よ。病人は寝てろってか。
うつは金があれば治るなんていう話も冗談であるくらいなので労働してこれくらいの生活なんて贅沢のうちにははいらない。
>そしてこんな事も言う
>「結婚すれば、生活が変わるみたいなことはよく言われていますが、非正規で低収入な自分にまったく自信がないし、誰かが見初めてくれるとはとても思えない。
>やっぱり結婚とか出産は、普通以上の収入がある人の特権というか、自分にかかわることとはとても思えないです」
>まず「見初めてくれる」という感覚がオカシイ。お前が行けよ。塔に閉じ込められてるお姫様じゃねーんだぞ、お前は37歳の世間的には「オバサン」だ。
>僕ならむしろ「結婚するしか無いんじゃね?」としか思わない。
>この人、決定的に稼ぐ能力や時間軸を把握して積み上げていく能力が欠けている。
>ならば、真面目だけが取り柄のブサメン、キモメン、グロメンでも我慢して、又は年上と結婚して、2人で年収200万×2をやれば良い。
>30後半~40以上である程度金持ってて未婚の人間は、間違いなく人間的に問題が有るので、貧乏人狙い以外はダメだろうからね。
>30後半で栄養状態も悪そうだから、もう出産は望み薄だろう。運良く?子宝に恵まれたとしても、世帯年収400万有れば1人なら育てられる。
>結婚はある程度ギャンブルにはなるが、一人では詰んでいる状態なので贅沢は言えない。
>ここまで詰まれた自分が悪いのだから、そのへんは何とかするしかない。
とりあえずこの人が男であるとしていうけど、うつでぶっ倒れていつ動けなくなるかわからない、夜中にうなされて大声をだすかもしれない
ひどいときには幻覚を見ておびえられるかもしれない、そしてうつでは後遺症的にも性欲が落ちるのでセックスは苦痛で拒否されるかもしれない女と
年収200万の余裕ない状態で結婚できる?そもそもそんな年収で2人くらしできる家借りれる?実家に居候でもうつやってる神経の細い女が男の実家で
元気でいられるとは到底思えないけど男のほうが女の実家に居候とかできますかね、
女側に帰って言えば必死こいて200万に家事が1人分貧乏ならちゃんとした介護が使えないから自分の親にプラスで舅姑の介護がドカンとのっかってくる
>金が多少なりとも有る間はボランティアで浪費して、無くなればボランティアをやめてボーっとしてるだけ。
>このオバサンがこの先生きていく為には、真面目で体が丈夫な男を捕まえて共働きするしか無い。
学芸員は私も悪手だと思う、この人がとるべき資格は簿記2級(3級でも可は可)一択。
この手の人の場合警戒心がものすごい高くて男を見る目がない年収か低ければ余計に男の支配欲を刺激してろくな目に合わないので
同じ年収200万なら女性とルームシェアのほうが安心です。女は総じて自分の親の介護も家事もやる気でいるからね。
>僕はお断りですね。司書切られたら居酒屋バイトして、それも務まらなくなったら皿洗いやトイレ掃除でもすれば良い。
>または、実家帰ってどこかに勤めれば良い。今は人手不足だから、職業選ばなきゃ月手取り10数万くらいは取れるだろ。
>アンタの居るそこ、そこがお前のデッドエンドだ。
>文句言わずに余生を過ごせ。まぁ文句言う資格は元々無いけどな。
だーかーらーうつやった奴に居酒屋のバイトとか皿洗いとかスピードと体力を要求する仕事は無理だって。
うつ病真っ盛りでガストのランチに入って一週間で朝一の掃除に回されたけど1か月でやめた話します?
37歳の女性(既往歴あり)の体力なら零細企業か中小企業の経理か事務のおばちゃんが給料の金額的にはほぼ一緒ですが
雇止めがない分安定しています。(だから日商簿記2級もしくは3級)つかほぼこれ一択。あとは医療事務だな。
>ちなみに100時間残業で心が病んだという指摘は的外れだ。実家に帰って仕事とは別にボランティアして遊ぶほど元気だったのだからな。
>貧乏人から抜け出したいなら、せめて1ヶ月22日8時間労働はやれよ。一般的な収入取って生活している労働者は、ほぼ全員がそうしている。
100時間残業ってうつどころかふつうに過労死のレベルなんだけど…。
この人たぶん年間120日休日1日8時間残業なしデスクワークなら普通に非正規でも正社員でも仕事できるレベルだとおもう。
ブコメにも書いたけど精神科通院中で1か月22日(繁忙期に至っては24日とかある)中小企業の営業事務で正社員で1年半ほど働いてますけど
正直5年働ける気がしない。正社員はナチュラルに残業があるんだよ…。副業なんて無理だ。
朝とか発注で時間に追われるから腕力使わない飲食みたいな状態で血圧MAX!
残業も月40時間とか1時間かけて帰ったら寝るしかないしまともな生活するなんて無理、幸い実家のサポートがあるから何とか健康体でいられてるだけ。
正直何のために生きてるかわかんない。
金もストレスすごいとなんだかんだ菓子とか休みの日にパフェドカ食いとかして無駄遣いしてたまらない。
繁忙期の診察であまりのヤバさに医者が入院しましょうか?って言って来たり頓服のリスパダールが手放せなかったり
貧乏ヤダ!生き延びるんだ!グラフィック扱えるいいPCがほしい!贅沢がしたい!って頑張ってるけど
親の介護考えたりすると目が暗くなる。正直ぎりっぎりだ。
給料だって貧乏ヤダって言ってるけど中小企業だから派遣並み賞与ほぼなし!一人暮らししたらたぶん記事の人と生活変わらないレベルだぜ?
残業時間考えたら残業なしの派遣のほうがQOL高くね?って思う時がある。
結婚なんてただのうつと違うからブチギレて裸で飛び出したり暴れてわめいて人曰く殺意を抱くレベルの鋭い罵倒とか
普通の人にも大変なんだから、大変はあたりまえ、だとは思うけど
(精神的に)飢えて貧乏で死ぬかすり減らして健康を損ねて(社会的にもしくは肉体的に)死ぬかどちらか選べ、
余生どころかあと5年生きてられるかもわかんねえ不安でびくびくしてる年齢的には働き盛りのやつらがゴロゴロしてる世の中、やっぱりおかしいだろ。
東アジアの不可解さを感覚的に理解したいのならば、柿(Kaki)と杮(Kokera)の違いについて知るのが最も近道だ。
日本人は秋になると甘味の強い「柿(Kaki)」と呼ばれる濃いオレンジ色のフルーツを楽しむ。
このフルーツを天日で干してドライフルーツにして楽しむことあり、これを「アンポンタン(日本の方言で知的障害者を指す)」と呼ぶ地域もある。
(日本の伝統的菓子は、このドライ柿以上の甘さにしてはいけないという不文律がある)
一方、迷信深い日本人は、新築の建物を建てると「杮(Kokera)」と呼ばれるモンスターを駆除すると称して、何らかのイベントを催す。
すなわち、人が入る前の建物には必ずコケラという怪物が住み着くので、これを多数の来客者による迫力で追い払おうとするのである。
私たち西洋人には、この Kaki と呼ばれる漢字と、Kokera と呼ばれる漢字は全く同一に見える。
しかし、高度な形象文字の文化圏の住人である日本人には、これらの文字は全く別の文字であることが明らかだという。
京都市に住む Keiko Wanatabe (78) が嘆息して言うには、
「近頃、日本が好きといって外国人さんがたくさん京都にお見えになりますけど、
Kaki と Kokera の違いもわからずに日本をわかったつもりになってもらっては困ります」
このように、日本人には極めて微小な差異に対する感受性が受け継がれている。
私たち西洋人には「ワビ・サビ(Wabi and Sabi)」や「萌え(Moé)」は深遠で理解に及ばぬもの、というイメージがあるが、
それは無理からぬことで、こうした概念は日本人の持つ独特な「差異の感性(sense of disctinction)」に依るものなのである。
フランスの偉大な哲学者アレクサンドル・コジェーヴは、日本の持つ独特な感性体系を「日本的スノビズム」として称揚したが、
この点において私たち西洋人がこの多神教的精神性を感覚的に理解するのは、不可能か、
あるいは少なくとも数多くの障害が立ちはだかっていると言えよう。
私たち西洋人は日本人の持つ奇異な性文化 --- 例えば Gokkun や Bukkake --- を受け入れつつあるし、
Baby Metal のような「萌え(Moé)」に対する強い渇望も存在する。
それ故、私たちはゆっくりと、しかし確実に日本的「差異の感性」を身に着けつつあると言えるし、
彼らが西洋発祥の文化を上手く取り込んで世界の TOYOTA を作ったように、
恋人同士の甘い感じで「はい、あ~ん♥」みたいのは一切したことない。
あれはまあ要するに前戯だよね。キスとおんなじだし、食べ物(飴でも菓子でもポッキーでもなんでもいいが)を口移しするようなのと類似した行為で、
弱いセックスだ。
それとは別で、風邪ひいてるときにおかゆをあーんてしてもらう擬似幼児プレイのあーんもあるが、
それらとは全然別に、枯れた夫婦やカップルで、あるいはさばさばした女友達との食事で、
「それ美味しそうだね」
「食べてみる?はい」
とふつ~~~~に、スプーンを差し出されたりはあるし、差し出したりもある。
無論「あーん」なんて言葉はつけない。
「はっこれって間接キス……(ドキドキ」
「ちょっとアンタ何考えてんのよ、もうあげない!」
と顔真っ赤にして下げるということもない。
そんなもんだ。
金曜日、菓子なんかをつまみながらぷっすまを見ていると携帯が鳴った。
こんな夜中にと少々訝しみながら画面に目をやる。「080」から始まる11桁が写し出されていた。
誰だ。名前が出ない以上、少なくとも電話帳登録はしていないことは確かだった。
普段登録されていない番号からは出ない決まりを作っていたが、深夜という時間帯が逆に作用した。
まさか昔の友人でも死んだか。まさか親が事故にでも会い警察からの連絡か。
とりとめもない妄想が頭の中で絡み合いながら通話ボタンを押した。
「あ、よかった、起きてたんだ、ごめんね」
女の声だった。
特徴のない平坦な響きをしていた。
「ちゃんと捨ててきました」
と、女は一言言った。
「は……?」
聞き返すというよりは自然と口から空気が漏れただけの返事を返した。
そして訪れる沈黙。女は受話器の向こうで黙りこくっている。
吐息一つ聞こえてこない。
「あの、すいません、どちら様でしょうか?」
やっとのことで意味の塊を投げ返すことができたが、次の瞬間通話は切れた。
彼女は誰だったのかという疑問は不思議と湧き上がってこなかった。
彼女はこんな夜中に何を捨ててきたのだろう。
何故それを俺に報告しなければいけなかったのだろう。
嫌な気持ちを抱えたまま週末を過ごした。