はてなキーワード: 秘密とは
表記の件について意見募集が開始された (https://www.digital.go.jp/posts/ckWVVAya) というので仕様(https://cio.go.jp/sites/default/files/uploads/documents/digital/20210917_spec_01.pdf)を見たら、なんか国のお墨付きの個人情報の名簿登録補助ツールみたいな上に、証明書としては全然機能不足にしか見えず、がっかりした。
批判だけでもなんなので、自分ならこういうの作るという意見書出しといた。
などの理由から、有益とは思えないし、電子証明書としての信憑性も非常に疑わしいシステムしかできないように思われる。
この仕組みを活用したい立場としては、「接種者の個人情報」ではなく、「二次元コードを提示した人が接種済みであること」が確認できればよいので、
2. 申請した個人(ないし端末)毎に、APIサーバでユニークなIDを発行する
3. システムの接種確認用APIに2.のIDを付けたURLをQRコードで表示する(IDを種として、ワンタイム識別子をアプリとサーバで計算するなどの設計も考えられる)
4. APIにアクセスすると、接種証明情報として、最終接種回数と接種日のみを返す
2. QRコードのURLが偽サイトではないことを検証する(HTTPSのSSL証明書確認ぐらいでも十分で、政府が発行する公式アプリとすることで信憑性を担保する)
もっと踏み込むと、国として、接種証明として表示した国民の個人情報が、民間企業において確度の非常に高い顧客名簿になりかねない、という点については、どのように考えているのかはなはだ不安を感じさせる仕様と言わざるを得ない。
(ここまで)
いま読み返していて単純に「IDを種」にするだけではダメなことに気づいた。申請時にワンタイムトークン計算用の秘密の種を共有しておいて、個人(端末)の識別用IDとワンタイムトークンをAPIに渡すようにする、とかが必要だった。
国民の個人情報を、わざわざマイナンバーカード使って本人性を保証した上で自動読み取り可能な形でスマホの画面に表示するだけのアプリって、どこぞのeKYCの対極ネタとしては面白い(面白くない)。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1774428
相変わらず、そうではない派からの理解が雑というか全く合ってない
行かなくなる派を尊重しろとは、おそらく行かなくなる派の誰も思ってないと思うから、まあ誤解でも構わないのだが
・ 性的または秘密性の高い商品の売買だから困っている→違う。コンビニでガムを買ったとしても該当する
・ 店員を人間扱いしていない。機械のように動くことを強制するものだ→たぶん違う。属性によって変えてほしくない。ずっと最初の君でいて
・ ああ、あなたは常連ですよみたいな認定されると次からプレッシャーだよな→全然違う。再来訪どうするかは頭にない。今回の対応が「ダメ」だったという話
・ こちらからも店員を個人として認識しなければならないのがそんなに嫌か→そんなコメントでスターがもらえるとでも
・ 店員の中であだ名をつけられるのが嫌みたいなやつ?→たぶん、当人が知らない範囲でなら気にしないと思う。こっちに報せないでほしい
・ 自分から話しかけてるくせに店員側が喋ったらそうやってキレるのか→無茶言うな。「袋ください」と「支払いは電子マネーで」と「ん」程度でトークはしてねえよ多分
・ 客側からの新たなリアクションは求められてない定型句のようなものだから気にしすぎでは→いやーーーーー、いや、違うんだよ、もっとこう、さあ
私はもっぱら読み専だったのですが、ある作品にドハマリし、いきなり創作意欲が湧いてきて、書くというよりは書かされているといった方が近いような勢いで二次創作を書き上げてしまいました。
自分の「好き」をありったけぶち込んで作り上げたモノにはそれなりに愛着があり、せっかく出来たんだから発表しようとしましたが、ここでひとつ問題がありました。
私は自己肯定感がとっても低いのです。
自己肯定感が地よりも低くなるとどうなるかというと、作品を好意的に評価されても額面どおり受け取れなくなるのです。
大昔、個人サイト全盛期の頃、ちまちまと小品を作って公開したことがありました。オンラインで友達になった方やサイトを訪れた方から褒められると、「私に気を遣っているのではないか」「私と交流するために閲覧しているだけではないか」と、どうしても「評価されるはずがない私」というフィルターがかかってしまい、自己嫌悪に陥るばかりでした。
最初は純粋に楽しくて始めた二次創作もだんだん辛くなってきて、それで読み専になったのです。
久しぶりに出来た二次創作も、このまま普通に発表すると、たとえ高評価を得ても「私なんかの作品が褒められるはずがない」と落ち込み、作品を晒しておくのが辛くなるのが目に見えています。
そこで私は、本垢とはまったく別の垢を作り、そこで公開することにしました。ブクマもフォローもしない、作品だけを置いた垢です。
ありがたいことに「好き」と書き込んでくださる方がいました。「私」という存在を無にした状態で作品を褒めてもらえるのは、作品単体をまっとうに評価してくれた気持ちがして、とてもスッキリしました。
私は私自身を好きになれません。でも私の「好き」を詰め込んだ作品は好きです。「私」という人格と作品を切り離して初めて、そう思えるようになりました。
本垢とは別の、秘密の創作垢を作ることで、二次創作を公開した後の自己嫌悪が薄れ、それからモリモリ創作できるようになりました。本垢ではそこそこ交流しますが、創作垢ではしません。
作品の公開についての問題は解決したのですが、本垢で活動しているとたまに私の作品についての言及を耳にすることがあり、「それは私が書きました」とも言えず、スルーしています。なんだかみんなを騙しているような気がして少し罪悪感があります。文章のクセなどで実は私が書いているとバレているのではないかとヒヤヒヤしたりもします。
正体を明かすと、安住の地を奪われるような気がして怖いです。でも、仮面をかぶって活動することにも後ろめたさがあります。
この秘密は墓まで持っていくつもりですが、ひとりで抱えておくのもだんだん辛くなってきたので、ここで吐き出すことにしました。
解決法は求めていません。このジレンマは解消する手段が無いことは承知の上です。誰かに話を聞いてほしかっただけです。
ただ、こういう感じで秘密の創作垢を持つことってよくあることなのか、ちょっと気になります。もし、そんなに珍しいことでもないのだとしたら、私は少し楽になるかもしれません。
川崎の奇祭、かなまら祭をご存じだろう。あのピンクのチンコ神輿が有名なやつだ。
あのピンクちんこを奉納した会社が潰れてしまった。日本の伝統の危機だ。
あのピンクちんこ神輿は、実は浅草橋と新宿にあった女装クラブ、エリザベスが奉納したものだった。神輿だけじゃない、それ以外の玉串料も奉納して金山神社を支えていたと思われる。
このエリザベスはアント商事という会社が運営していたのだがこの会社が去年廃業してしまった。
アント商事は元々女性用下着の商社だったのが、どうも通販で下着を買う客の中に男性が多いという事に気が付いた。つまり女装需要である。店で買うのが憚れるので通販を使っているのだと。
同商事はこれはニッチな需要だと見抜いた。ニッチって隙間産業みたいな意味じゃないよ。生態学で安定的生存圏って意味だよ。
しかもこのニッチは下着市場だけじゃない、「ドリルを求める客は穴が欲しい」のアレだ。「女装市場」を作り出す事が出来る。
そういう判断で1979年にエリザベス会館をオープンした。会員制で衣装を預かるロッカーを置き、女装を手ほどき、同じ趣味のお友達とも交流できるってサービスだ。そこで販売するのは当然自社の下着や服。地産地消みたいな商売やね。
ここはそのスジでは有名だったが、会員が年齢層結構高め。だから言っちゃ悪いがちょっと汚装っぽい方に寄っていて綺麗系じゃない(綺麗な人もちゃんといた為念)。でも年齢層高めって事は結構お金持ってる。会社で偉い人も多い訳だしな。
金山神社の方は性信仰がある神社ではあったのだが、かなり廃れてしまっていた。
んで、日本では1969年に盛り上がった学生運動が消沈した後、70年代中頃から民俗学が盛んになる。大きな物語のマルクス主義が萎んだあとに小さな物語の日本の伝承を探求するのが流行ったわけ。自分探しの旅とか国鉄のいい日旅立ちキャンペーンとかもこれに繋がるものだよ。
当時の金山神社の宮司は民俗学にインスパイアされ、自身の神社の昔の姿、江戸時代の伝統的な祭りを再現しようとした。特に性的な信仰っていうのは明治以降は国家神道の下に抑圧され、その後も恥ずかしいものとして人々から忌避されてきた。でも民俗学的にはそんな忌避はナンセンスだ。
それで大根を男性器、女性器、いやそんな言葉の忌避はしちゃいけないな。ちんことまんこに削ったご神体を崇め練り歩く祭を毎年開いていた。この表現は民俗学的表現だからあしからず。
1980年代中頃にエイズ禍が起こると、当時は同性愛者の病気と思われていたのでエリザベス界隈は肩身が狭い。客足も遠のいて経営的にも辛い。
そこで景気づけ&疫病退散の願掛けとしてこのお祭にドーンと奉納して盛り上げて来たのだな。そのスジじゃ有名なあの店が裏スジが通ったちんこ神輿を寄付ってわけやね。
あの屹立するピンクの怪物がいつ作られたかは良く知らない。でもあの神輿はオフザケが多分に入ってるのね。どうしても客層におっさんが多かったりして綺麗でお高くとまってる感じにはなり難い。世間に言えない秘密の趣味っていう暗さもある。
んだったらぶっちゃけちゃえって感じ。んだから江戸時代の習俗復刻みたいな文脈からもぶっとんだピンクちんこを作ってしまった。そしたらそのぶっ飛び具合が群を抜いていて人気が出てしまった。
因みに写真見るとピンクちんこ神輿担いでるのって女装したおっさんたちじゃん。あれがエリザベス関係者です。お客ですな。
15年ぐらい前から男の娘ブームがあるけど、そうするとメイクルームとかもあちこちに出来てくる。エリザベスの競合ですな。
しかも男の娘ブームの方はレベルが高い。そうするとどうしてもエリザの方は汚装っぽく見えて見劣りがしてしまう。
因みにそういうお店の経営者にはエリザ出身者も居る。昔はエリザぐらいしか無かった訳でな。
そういう情況でエリザベスの運営会社のアント商事は2020年2月に廃業してしまった。コロナの最初期だ。
一方、かなまら祭の方は毎年3月開催だがコロナのせいで去年から練り歩きは行われていない。境内での神事で終わりだ。警察が道路使用許可出してくれないからな。
なので同社廃業でピンクちんこ神輿がどうなるかとか女装おっさんズ担ぎ手はどうなるかとかは不明なままなのだ。まぁ、いきなりピンクちんこが萎れたり無くなったりは無いだろうが、大手の後援者が居なくなるのは痛いかもしれん。
って事で、あのピンクちんこが有名な祭の外形は実は日本の伝統じゃなくてスポンサーによって作られた復刻&アレンジされた姿だったのだな。最初に言ってる事と違うな、あとでまとめて謝る。でも中身は民俗学的に線を繋いだもんで偽ものじゃない。
あと、他の男根神輿は健在だからちんこの消失に悲しまなくてもいい。是非来年は祭に来て出店のちんこキャンディーとかを頬張って欲しい。
なんで女装界隈詳しいのかっていえばワイがニューハーフ崩れだからだ。
最後に、はてな事務局諸兄には民俗学的必要とはいえちんこ連呼した事を、またちんこ連呼で男女同権的に偏りがある文章となった事を、表題がクリックバイトになった事をお詫びしたい。
どうもすいまんこ。
チンパンジーの部隊や狩猟採集民の文化では、暴力による死亡率が現代文明よりもはるかに高い。これは、少なくともチンパンジーとの共通の祖先にまで遡ると思われるが、チンパンジーの軍隊も常に戦っていた。
戦争には、殺し、傷つけ、拷問し、誘拐し、レイプし、そのような運命を避けるために貢ぎ物を強要するなどの行為が含まれていた。隣接する部族同士が戦争をしていないときは、一方が他方に貢ぎ物をしているのが普通である。貢ぎ物は、同盟関係を結び、戦争の規模の経済を実現する役割も果たした。ほとんどの場合、それは勝利者にとって、敗者にさらなる暴力を振るうよりも有利な搾取の形態であった。
戦争に勝利すると、敗者から勝者へ即座に支払いが行われることもあった。多くの場合、これは熱狂的な勝者による略奪という形で行われ、敗者は必死に収集品を隠した。また、定期的に貢ぎ物を要求されることもあった。この場合には、敗北した部族の財やサービスの供給能力と勝者の需要を一致させるような、精巧な現物支給のスケジュールによって、三重の偶然性を回避することができたし、時にはそれが実現した。しかし、このような解決策であっても、原始的な貨幣はより良い方法を提供することができた。つまり、共通の価値を持つ媒体として、支払い条件を大幅に簡素化することができたのである。これは、条約の条件を記録することができず、暗記しなければならなかった時代には非常に重要なことであった。イリコイ連合で使用されていたワンパムのように、収集品が原始的な記憶装置の役割を果たしている場合もあり、そのままではないものの、条約の条件を思い出すための補助として使用することができた。勝者にとっては、収集品はラファー最適値に近い形で貢物を集める手段となった。敗者にとっては、収集品を隠しておくことで「過少申告」が可能となり、勝者は敗者がそれほど裕福ではないと信じて、要求額を少なくすることができた。また、収集品の隠し場所は、熱狂的な貢ぎ物収集者に対する保険にもなった。原始社会の富の多くは、その秘密性の高さゆえに宣教師や人類学者の目に触れることはなかった。このような隠された富の存在を明らかにできるのは、考古学だけである。
隠蔽などの戦略により、貢ぎ物を集める人たちは、現代の徴税人と共通する問題を抱えていた。それは、いかにして自分たちが取り出せる富の量を見積もるかということである。価値の測定は、多くの種類の取引において厄介な問題であるが、敵対関係にある税や貢ぎ物の徴収においては、これほど厄介なことはない。このような非常に困難で直観的でないトレードオフを行い、それを一連の問い合わせ、監査、徴収行為の中で実行することで、貢ぎ物の徴収者は、たとえその結果が貢ぎ物の支払い者にとって非常に無駄なものに見えたとしても、効率的に収入を最適化することができたのである。
ある部族が、以前に戦争で敗れた近隣の部族数人から貢ぎ物を集めているとする。その際、各部族からどれだけの金額を引き出せるかを見積もらなければならない。推定値が悪いと、一部の部族の富が控えめになり、他の部族は実際には持っていない富の推定値に基づいて貢ぎ物を払わなければならなくなる。その結果、被害を受けた部族は縮小する傾向にある。利益を得た部族は、得られるはずの貢ぎ物よりも少ない量を支払うことになる。どちらの場合も、勝利者にとっては、より良いルールで得られるかもしれない収入よりも少ない収入しか得られない。これは、ラファー曲線を特定の部族の運勢に適用したものである。この曲線は、優れた経済学者アーサー・ラッファーが所得税に適用したもので、税率が上がると収入額は増えるが、回避、逃避、そして何よりも課税対象となる活動に従事する意欲がなくなるため、税率に比べてますます遅い速度となる。このような理由により、ある一定の割合で税収が最適化される。ラファーの最適値を超えて税率を上げると、政府の収入は増えるどころか減る。皮肉なことに、ラッファー曲線は、政府の収入に最適な徴税の理論であって、社会福祉や個人の選好満足度に最適な徴税の理論ではないにもかかわらず、減税を主張する人々に利用されてきた。
もっと大きなスケールで言えば、ラッファー曲線は政治史の中で最も重要な経済法則と言えるかもしれない。チャールズ・アダムスはこの法則を使って、帝国の盛衰を説明している。最も成功した政府は、自分たちのインセンティブ(短期的な収入への欲求と、他の政府に対する長期的な成功)によって、暗黙のうちにラッファー曲線に従って収入を最適化するように導かれてきた。ソビエト連邦やローマ帝国のように納税者に過剰な負担を強いた政府は歴史の塵となり、最適な収入を下回った政府は、資金力のある隣国に征服されることが多かった。民主党政権は、資金力のない国家を征服するよりも、もっと平和的な手段で、歴史的な時間をかけて高い税収を維持することができるかもしれない。民主党政権は、外部からの脅威に比べて税収が非常に高く、税収のほとんどを非軍事分野に使う余裕がある歴史上初めての国家である。彼らの税制は、これまでのほとんどの政府よりも、ラッファー最適に近い形で運営されている。(このような贅沢は、民主主義国家が徴税を最適化するインセンティブを高めたのではなく、核兵器が攻撃を抑止する効率性を高めたことで可能になったとも考えられる。) ラッファー曲線を応用して、様々な部族に対する条約上の貢納条件の相対的な影響を調べてみると、収入を最適化したいという願望から、勝者は敗者の所得や富を正確に測定したいと思うようになるという結論が得られた。価値を測ることは、富を隠したり、戦いや逃亡によって貢ぎ物を回避したりする支那人のインセンティブを判断する上で極めて重要である。一方,支那人は,収集品を隠しておくなど,さまざまな方法でこれらの測定値を偽装することができるし,実際にそうしている。貢ぎ物を集めることは,インセンティブが一致しない測定ゲームである。
収集品があれば,支流が供給できるものや勝者が必要としているものではなく,戦略的に最適なタイミングで貢ぎ物を要求することができる。勝利者は、貢ぎ物を取られた時に富を消費するのではなく、将来的に富を消費するタイミングを選ぶことができる。その後、紀元前700年頃には貿易が盛んに行われていたが、貨幣は貴金属製の収集品のような形をしていた。これを変えたのが、アナトリア(現在のトルコ)のギリシャ語を話す文化圏、リディア人である。具体的には、リディアの王たちが、考古学的・歴史学的に最初の主要な貨幣の発行者となったのである。
その日から今日まで、コインの発行は民間の鉱山ではなく、自ら独占権を与えられた政府の鉱山が中心となっている。なぜ、当時の半市場経済圏に存在していた民間銀行家などの私利私欲による鋳造が行われなかったのか。政府がコインの発行を独占してきた主な理由は、政府だけが偽造防止策を実施できるからである。しかし、現在も当時も商標権を行使するのと同様に、政府は競合する民間の鋳造所を保護するために、そのような措置を講じることができたはずである。
コインの価値を見積もることは、収集品の価値を見積もるよりもはるかに簡単であった。物々交換ではなく貨幣を使った取引の方がはるかに多く、実際、取引から得られるわずかな利益が初めて取引コストを上回ったため、多くの種類の低額取引が初めて可能になったのである。収集品は低速度貨幣であり、少数の高価値取引に関与していた。コインは速度の速い貨幣であり、多数の低価値取引を促進した。
これまで見てきたように、原始貨幣が貢納者や徴税者にとって有益であることや、そのような支払いを最適に強制するためには価値測定問題が重要であることを考えると、徴税者、特にリディアの王が最初に貨幣を発行したことは驚くべきことではない。徴税によって収入を得ている王には、臣下が保有し交換する富の価値をより正確に測定する強い動機があった。また、交換のための媒体を商人が安価に測定することで、効率的な市場に近いものが生まれ、個人が初めて大規模に市場に参入できるようになったことは、王にとっては偶然の副次的効果であった。市場を流れる富が増え、課税対象となったことで、国王の収入は、通常のラッファー曲線の効果である税源間の誤計測の減少以上に増加した。
徴税の効率化と市場の効率化が相まって、税収全体が大幅に増加したのである。徴税人たちは文字通り金鉱を掘り当てたのであり、リディア王のミダス、クロイソス、ギゲスの富は今日まで有名である。
数世紀後、ギリシャのアレキサンダー大王は、エジプト、ペルシャ、インドの大部分を征服したが、その壮大な征服の資金は、低速度の収集品の集合体であるエジプトやペルシャの神殿を略奪し、それらを溶かして高速度のコインにすることで得られた。彼の後には、より効率的で包括的な市場経済と、より効率的な徴税が生まれた。
貢物の支払いは、それだけでは収集品の閉ループを形成しない。貢物は、最終的に勝者が結婚、交易、担保など何かに利用できる場合にのみ価値があった。しかし、勝者は、たとえ敗者の自発的な利益にならなくても、収集品を得るための製造を敗者に強要することができた。
古代の狩猟採集民には、現代のような不法行為法や刑法はなかったが、現代法でいうところの犯罪や不法行為に該当するような紛争を解決するための類似した手段があった。紛争当事者の一族による罰や支払いによって紛争を解決することは、復讐や復讐戦争のサイクルに代わるものであった。アメリカのイリコイ族からキリスト教以前のゲルマン人に至るまで、ほとんどの近代以前の文化は、罰よりも支払いの方が良いと考えた。些細な窃盗から強姦、殺人に至るまで、すべての実行可能な犯罪には価格(ゲルマン人の「weregeld」やイリコイ人の血税など)が設定されていた。お金があれば、支払いはお金の形で行われた。牧畜文化では家畜が使われた。それ以外では、収集品の支払いが最も一般的な救済策であった。
訴訟などの損害賠償の支払いには、相続や結婚、年貢などと同じように、事象と供給と需要の三位一体の問題が発生した。訴訟の判決は、原告の損害賠償能力と、被告の損害賠償による利益を得る機会と願望が一致する必要があった。原告がすでにたくさん持っている消耗品を救済措置とした場合、救済措置は罰としての役割は果たすが、被告を満足させることはできないであろうし、したがって暴力の連鎖を抑制することはできない。このように、収集品には、紛争を解決したり、復讐の連鎖を断ち切るための救済策を可能にするという付加価値がある。
紛争の解決は、支払いによって復讐心が完全になくなるのであれば、閉ループを形成しない。しかし、支払いによって復讐心が完全に消滅しない場合、支払いは復讐の連鎖に続くサイクルを形成する可能性がある。このような理由から、より密に接続された取引ネットワークが出現するまでは、復讐のサイクルを減らすことはできても、なくすことはできないという平衡状態に達していた可能性がある。
どういう男が屑で屑じゃないか見分けて関わり方を学べばいい
ただ好きでもない男に絶対に気のあるそぶりはしない事
気を使ってお世辞言っても「でもね~私筋肉質な外国人が好き・・・」とか「私二次元に出てくるような外国人が好きなの」って言えばいい
外国人って便利な言葉でさ自分の中で「イケメン」に意識を変えてね言う感じ
でそういう男たちの前やそういう男と関わる女の子にもそういう偽りの自分を置いて距離を置く