はてなキーワード: 洗礼とは
http://tnaoto.hatenablog.com/entry/2019/04/09/070227
自分が遅刻しそうになると子供の保育園への送り出しを押し付けてきたり、仕事が遅くなることを言わずに遅くなったりして食材を無駄にしたり、掃除や炊事をきちんとこなせなかったり、夜の頻度が減ったりそのまま眠ってしまったり、子供の幼児教育の面倒を全く見てくれなかったり、とにかくストレス溜まることばかりが続いてた。
だから私も本当に頭にきて、何日も無言で無視したりとか、帰ってきてもチェーンロック閉めたタママにしてドアを開けずにいたり、臭い革靴を廊下に放り出したり、ベッドに自分のゴミを置いたり、いつもゆっくりしてるソファーに大量のファブリーズを夫がいるときに発射した。本当にイライラして仕方なかった。選択すると加齢臭が私の服にも移りそうだった。(何度洗っても枕の加齢臭が取れないのは何故なの?)
ある日泣きながら掃除をしていたら、夫が心配したらしく私の親と連絡を取っていて、親が私を迎えに来ることになった。とても裏切られたと思った。夫婦二人の生活なのに、夫は親を使って逃げようとした。本当に卑怯な男。そういえばまだつきあいたての頃に生でしてしまった後に、もし、赤ちゃんできたらどうするのか聞いたら、下ろしてもらうことを頼まれた。そんなクズなやつなんですよ。
数ヶ月ぶりにクズと親子三人で過ごすことになったんだけど、あれっボディタッチがない。すぐ寝る準備、ベットが分かれてるんだけど、そのまま寝てしまったみたい。何かそのこと自体が寂しくて泣いた。だって数ヶ月ぶりに一つ屋根の下になってセックスしないの?悲しくない?
それでまた頭にきたので無視することにして実家に帰った。そのまま年末年始に入ったけど、うちの実家には一応元旦だけ来られるようにしてやった。針のむしろのように居心地が悪そうだった。その日の夜に帰っていった。
ずっと合わない日が続いた。電話も取らず、別居で、一年くらい経った。
久しぶりに子供に合わせることになり、話すことになった。聞くところによると夫はキリスト教のカトリックという分野の教会で洗礼を受けたらしい。とてもたくさんのお恵み?をいただいたといっていた。とにかく癒されたようなことをいっていた。何か別人のようになってしまった。
あんなにイライラして怒り返してきた夫が怒りづらくなってる。私がムカついたことがあって責めても、ムカついたことに同情されるところから始まって調子が狂ってしまう。
でもなんか夫が変わった気がした。
なんというか前より大らかになって話を聞いてくれるようになった。心はキリスト教のことばかりみたいだけど、霊操とかexamenのことばかり勉強してる。これで心を強くしてるんだってさ。よくわからないけど、良い方向に変わったんだから許してあげようかな。
今日、婦人科で妊娠検査をしてきた。超音波で胎児を確認して、やったー!!と喜んでからのお会計
10800円!!
頭お花畑だから事前に妊娠検査のお金はいくらとか全然調べていなかったよ!
私は既婚で夫が経済的に支えてくれるからいいけど、親に内緒で検査を受けたい未成年や貧困の妊婦はこの金額を出すのは負担じゃないのか
来月もまた検査に行くんですが初診料抜いてもけっこうな金額を取られちゃうんだろうかトホホ
専業主婦なので苦しいです。でもそのおかげであらゆるストレスがなくスムーズに妊娠ができたんだけれども
ちっちゃな胎児ですが無事に育っておくれよ。
《追記》
おめでとうありがとうございます!
病院に行って、いきなり一万円払って、子供ってお金がかかるんだなあと最初の洗礼を受けた気分です。
まだ、母子手帳をもらえないくらい胎児が小さいのですが、胎児が育って母子手帳もらえたら定期検診の回数券がもらえて費用が安くなるらしい。
ここ最近部屋の片付けとして昔集めていたオタクグッズをオタマートとメルカリに売り出した。
捨てるのも勿体ないし、かといってショップに売って埃を被らせるよりも誰かしら本当に欲しい人の目に付くようにあえてその2つに出したけど、圧倒的にメルカリの方が人目についてコメントも貰えたし買い手もついた。
持っているグッズの中で1つ、そこそこ高額なものがある。
そのジャンルにハマっていた時にわざわざオーダーメイドした物で、かなりの額を出してお願いしたのを覚えている。同デザインで作ることはそのお店のポリシーとして絶対にない、正真正銘の一点物だ。
ただ、オーダーしたお店がもう何年も活動を停止していて、再開の見込みがないとのことで惜しい気持ちはあったけど、物としても非常に優秀だし、使ってあげないと勿体ない系の道具だったから手元に届いて以降満足してロクに触らないまま7年程が経過したから売りに出したところ、2人から購入希望の連絡が来た。
1人目は2千円引きにしてほしいと言い、価格変更したらそのまま返事無しで放置された。これはまだ許せる。
問題は2人目で、評価を見たところそれなりに悪評が付いている厄介そうな人だった。
「元の金額、プレミア、中古、キャラクターを考慮して◯◯円でなら買います」といった感じのコメントが付いたが、提示してきた内容の額が1万円以上も値引かれたもので、流石にちょっと常識の範囲を超えてるし何より態度がムカついたからその額だと厳しいってことでお断りをした。
早速の返事。「何が厳しいのかわからない。」「プレミア価格で売れるといいねw」「その店近々活動再開するみたいだけど?」などなど文句やデマをコメント欄に残してきて頭が痛い。
元々メルカリ自体しょーもない人が多いと話は聞いていたけど、突然の喧嘩腰におったまげてしまった。
出したグッズのジャンルも中高生がここ最近は特に出張っているようだったし、まあこんなものかーとは思ったけど、あまりの礼儀の無さにこれがメルカリ洗礼か…となんとも言えない気持ちになってしまった。そっとその人はブロックした。おわり。
ヴィ=アラガテロ壱萬円×2
渋谷サキュバスの巣窟orロックブーケ偽りの訪問者 全ての終わりを告げる神々の市式萬×1.5
忘れられた世界ヘルスor腐りし者どもの聖地オッパブ(3000年後に神格化) 1萬×ヴァイツ
全戦力 デシム万~ヴェルサス万
<万色に満ちし土地、風の谷《フー=ウゾキュウム》に赴く因果>
女生と血の盟約を結べたこともレベリングした仕儀も無いため、空白の時間ゆえ虚ろなる闇を<知覚>している。
自分の人生がワゴンセールだと怖くなってしまい、風を信仰せし者どもの集う渓谷などでヴァルキュリアに甘えて自己コウ・ティインカン流奥義・ファイナルヘヴン零式を得たい
リビドーが『セカイ』を変えるほど強い。
<未来に思い巡らせている減らし方>
泡姫達が舞う禁断の聖域や偽りの訪問者が神の御許へと誘うすぎるゆえ、ウォッパヴや五反田回復魔法で何とかならないか。
Seventh Heavenとか行ってバッカスの使いに愚痴れる機構、或いはねェ……か?バーは度し難い程寄せた真理<ファティマ>ねェ…。
ガールズバーで安くて良い地上からでは近づけないところを血眼になって追い求める
リアル量産型少女型愛玩人形で何とか破壊し尽くす(…しかし、お前はまだ若いから知らないだろうが、6万くらいじゃないとナカナカトータルヒーリング換わりにはならなそう。)
<ウィークメーカー>
自己肯定感が問題なので、月の都や洗礼を施す神殿や回復魔法で接近戦して、そして世界に光を取り戻してほしい。
ウォッパヴでは野獣の衝動でのソウル・アイデンティティコウテ・インクァンは低いが、寵愛したい娘(こ)が多い……預言書にはそうあるから精神面では復元螺旋の内を巡る。
宵闇のエデンで禁じられた聖杯を飲むのはできればマトリックスたい、ベリアル中に変化するのが怖い
オイリディケの幻惑は性病がシャレになんない
横から元ピザ屋増田だが、もうやめてくれ。エレベーターネタは、先輩が後輩に「プロの目の付けどころは素人とは違うぞ」という事をマウンティングしながら教育する為の俺の持ちネタなんだ。新人にガツンとかます一種の洗礼みたいなもんだ。本当は俺にもそんな時間感覚ないんだ。だって仕事サボってネットで遊んでるし。俺も。
ちなみに元ネタはこんな感じの、できるリーダーの仕事術みたいなやつ。
エレベータの「行き先階」ボタンとドアの「閉」ボタン。どちらを先に押せば最速で行き先階にいけるでしょうか?
答えは「閉」ボタンです。
そこまでやるかと思われたでしょうか。これは一例に過ぎませんが、こうした日々の段取り次第で、いかようにも仕事のスピードは変わります。段取りが命、といっても過言ではありません。
そんなこんなでレベリングを兼ねて2-4までの全海域を安全海域にし、お気に入りの艦が軒並みLv30を越えたのを確認して、3-1のミッドウェーに臨んだ。
ボス戦直前にはメインストーリーのムービーも挿入され、エンプラが伝説のマクラスキー隊に攻撃命令!盛り上がってまいりました。
そして戦いは終わり、どうにかボスの加賀は倒せたが…とうとう初黒星そして初の撃沈をやらかしてしまった。
しかも1隻じゃない。2戦やってどちらも2~3隻沈められるという大失態。
加賀の出現後、戦艦主砲に魚雷に航空攻撃と一巡してなお沈められず、手こずっているうちに…という流れ。
wikiの「3章からはスキルや配置を意識しないと撃沈に繋がる」と警告された通りの展開になったわけで。
やはり序盤の山場(?)だけあって、そんな簡単にはクリアできねーよな、そりゃ。
というわけで、まず一にも二にもやるべきはボス用決戦艦隊に組み込む子らの強化。
つっても、どの艦を重点強化するかだよなあ。
一応、今手持ちにあるSR以上の艦は、
あ、ネルソンは2-3周回で偶然ドロップして、ヨークは建造で偶然(ry
つーかボス戦で、特に加賀が登場してからは色んなものが画面を飛び交い、若干混乱気味だったり。
その中でどの敵を優先的に叩くか判断するとか、こりゃ慣れが必要か。
で、基本方針としては自爆ボートと敵の艦娘(?)を速攻で仕留め、可能な限り短時間で加賀を引きずり出して、そっからは加賀に攻撃集中って筋書きでOK?
負け戦ながら一つわかったのは、「量産型」って書いてあるやつはいくら沈めてもキリがないどころか、どんどん新手がでてきて逆にピンチに陥るということ。
それでも2章までは魚雷だけ避けてればゴリ押しでわりあい余裕だったけど、これから先は無理っぽいね。
とりあえず、沈めた子は寮舎に送っとくか。
本当にごめんよ。
承認欲求がちょっと強めに出たせいでなんだか怪しげなタイトルになったが、残念ながらそんなに波乱万丈な人生を送ってきたわけではない。これは特に何を訴えようというでもなく、しかし書きたい気持ちがあり、それに際して家族以外に自分の名前を出して伝えることについて自分の中で非常に大きな抵抗があるため、匿名で書くものである。ぼくはといえば、普通に公立の小中高校と通い、ふつうに私立文系学部に進学し、うっかり留年などするもののボンボンクラクラとしてのうのうと生き延びている。経済的な不自由もなかったし、就職活動で不利になることもなかった。
しかし家のリビングには立派に新興宗教のエライ人の格言が額に入れて飾ってあったことも確かだし、実家に帰省してみても父は毎週教会に通っている。具体的にどの程度信心しているのかはよくわからないが、おじいちゃんおばあちゃんばかりの信徒のなかで若手(もう還暦が近いが、若手である)として教団支部の運営にはそこそこ尽力しているようである。
これを書いてしまうとおそらくもうどの宗教かは特定できるが、父の実家の宗教は江戸時代末期にできた神道の一派であるらしく、新興といえどそこそこ歴史はある。宗教の名を冠した教育機関もいくつかあり、そういえばいつかの甲子園にもでていた気がする。
子供の頃はよく教会に連れて行かれた。僕と同じくらい年齢の子供が数人おり、両親やおじいちゃんおばあちゃんが先生のありがたいお説教を聴いている間、僕はゲームを買ってもらえない子供だったので他の子がゲームをしている様子をずっと眺めていた記憶がある。たまにお菓子をもらえたりもした。当然お説教は一言も聴いていないので現在に至るまで全く信心する気持ちはない。大変な親不孝者である。
「普通のこどもは教会に行かない」ということを知ったのは小学3年生のときだった。当時気の迷いで野球のスポーツ少年団に入っていた僕は、あんまり土日の練習が嫌になったので「明日は教会に行くので練習を休みます」とコーチに言った。周りの目が一気に怪訝そうになったのを覚えているし、言ってしまった直後自分自身も「どうやらこれは間違ったことを言ってしまったらしいぞ」ということをすぐ認識したので、それ以来人前で教会の話はひとこともしていない。おかげで土日に遊べない理由を適当に捏造するのがうまくなったものである。
地下鉄サリン事件というのが生まれる少し前にあったらしい、ということを知った時、どうやら自分は少し言動に気を遣わねばならないらしい、と思った。ネットで噂になっているエホバの証人や某学会の信者による迷惑行為が、日本における「新興宗教」のイメージであり、先述したように信仰心のほとんどない僕も「宗教」ときくとやっぱりちょっときな臭い言葉であるように思ってしまうところがある。ところが同時に僕は新興宗教の当事者であるとも言える立場なので、あんまり無邪気な感じにもなっていられないのだ。
ニューヨークに突っ込んだ飛行機の映像を見て宗教が歴史のいたるところで戦争を起こしてきたということを知った時にも、子供心に教会の中に入り込んでいってしまってはいけないのかも、と思った。科学の子であった僕は、やっぱり母の言う「天国で死んだおじいちゃんが見守っている」だとか、神様を信じれば助けてくれる、ということに「ウッソだぁ〜」という気持ちを持っていた。お空の星は核融合炉であり、太陽系があり、銀河があり、宇宙はインフレーションとビッグバンから生まれていた。神の祟りよりプレート・テクトニクスや隕石のほうが怖かった。
ところで、僕はカトリックの教会にも行ったことがある。祖母がカトリックだったので、クリスマスの礼拝に連れて行かれたのだ。洗礼は受けていないので、目の前で配られるパンとワインをただただ眺めるばかりであった。眼の前の人がワインを飲むなり激しく咳き込みトイレに走っていったのを覚えている。たいへん敬虔な信者であったのだろう。僕は激しい修行はおろか正座でありがたいお説教を聴いて足を痺れさせたことすらないので苦しみをもって神に尊敬の念を示すということを全くしたことはないが、もしかしたらそれが心の支えになって、拠り所になって、日々を生きることができている人もいるのかもしれないと思う。なお家には未だに聖書がある。
母は教育の人である。教育を学び仕事にするプロフェッショナルである。親は誰しも自分の子供には人生における様々の試練に負けず強く生きてほしいと願うものであると思うが、カトリックの祖母の影響でミッション系の学校に行っていたこともあるのだろう、心の何処かで神を信じるように幼少期の僕に教えてきたように思う。神は想像を絶する試練を課せられた人々の心をたびたび救ってきたからだ。新興宗教の教会のあんまりにもつまらないお説教のせいで全く僕に信仰心が芽生えることはなかったが、大学で宗教学の授業をとってみたりした今になって、「宗教ってこういう役割があったわけだね」という話をすることがある。流石に現代に生まれて中世のように「本当に」神を信じることはないが、しかし母は未だに「でもなんだか、どこかで信じている」というようなことを言う。
僕はお寺や神社を見て回るのが結構好きで、今年の夏も(オタクの聖地巡礼を兼ねて)下鴨神社に行ったりしている。猛暑の京都盆地の中、糺の森の木々が直射日光を遮り、薄暗くなっている参道はアホほど暑かった。今年は割と苦労した就職活動がどうにかうまく行ったため、賽銭箱に五円玉を投げ「いいご縁がありました、神様ありがとうございます」とお礼を言ってきた。下鴨神社の神様も「縁結びってお前そういうことじゃねえよ馬鹿野郎」とお怒りのことと思う。
会社自体も出産育児のサポートが充実してるところに運良く入れたけど
子供産みたくない。
お手軽にクラウドファンディングできて、お手軽にメルカリできちゃうようなこんな世界に自分の子供産み落としたくないんだ…。
なんでもインターネッツ禁止令はおかしいと思うけど、でもなんでもOKは絶対に駄目だと思うんだ。
自分の子供にもさせてあげたいと思うんだ。学校社会を生き抜くために。
2chの「半年ROMってろ」的な洗礼を受けないままインターネッツに放流するのも嫌なんだ。
ある種現実社会とインターネッツがここまで一体化してる社会に子供産み落としたくないんだよマジで。
さらに大学は早慶上智以上、東大京大一橋らへんに入らないと実質就職で詰む。これはガチ。
中学受験経験者だから自分の子供に中学受験させたくないんだよ。
でも結果的にこの辺の大学入るには中学受験がある意味近道なのも事実なんだよ。
あー、しんど。
子供産みたくない。やめやめ。
「ホンモノの親なら子供を見捨てない」
「ホンモノの親になることに憧れていたんでしょう?」
カンヌで最高の賞(パルムドール)を約20年ぶりに獲得した邦画「万引き家族」では、警察によってこんな言葉が次々と主人公たちに投げかけられる。つまり、主人公たちが身を寄せ合って創り上げた家族は、血縁関係を持たないゆえに“ニセモノ”であり、紐帯の根底に打算的なものを含んでいるから、ちょっとした圧力ですぐに瓦解するのは当然、というわけだ。
杓子定規に主人公たちを攻め立てる警察はとても憎たらしく描かれており、観客は「お前ら警察が一体何を知っているんだ」とイラッとさせられる。だが、一方で我々は日常生活において、“ホンモノの家族”という思い込みに囚われている。
実は、現代のわれわれが当たり前に持つ家族のイメージ像は近代的な産物だ。例えば、E・バダンテールの著作「母性という神話」では、17~18世紀のフランスにおいて、子供の大半が産まれてすぐに里子に出され乳母に育てられる風潮があったことが示され、“母性愛”という概念が人類史において常に家族間に君臨してきたわけではないことが明らかにされる。統計によれば、同時代に毎年パリで洗礼を受ける新生児2万人のうち、約7千人が捨て子であった。日本でも一昔前の農村を思い出せば分かるだろう。子供は「小さな大人」であり、安価な労働力に過ぎなかったのだ。
歴史を遡ると、「血縁関係があるのだから、自分を犠牲にしてでも、親は無償の愛を子供に授けて当然」という考え方は、ここ100~200年特有の理念に過ぎない。ざっくばらんに言ってしまえば、家族という概念が「血の繋がりを契機として、様々な世代が身を寄せ合って互いに助け合うべき存在」から、「血が繋がっている以上は、無償の愛で繋がり合うべき存在」へと変化したのである。
言うまでもなく、現代に生きる以上、誰だって愛のない親より慈愛に満ちた親になりたいし、子供をこき使う親など御免こうむりたい。しかし、「打算抜きで、無償の愛で繋がり合う家族こそがホンモノだ」というとき、我々は家族に対して、実際にはありえそうもない“完璧さ”を要求している。
完璧さを家族に要求する社会は、その基準を満たさない親を徹底的に許さない。さいきん東京・目黒で起きた5歳女児の虐待死に対する、社会のいささかヒステリックじみた反応は、その証左と言えるだろう。もちろん、こうした社会の過剰反応で救われる子供もいるし、未然に防がれる悲劇もある。
しかし、そうした社会は同時に、血縁関係によって成り立っている家族こそを“ホンモノ”とするがゆえに「血の繋がった親が実の子供に愛を抱かないはずがない。なぜなら、親は無条件に子供を愛する存在だからだ」という循環論法的な前提に拠っている。残念ながら、これが近代特有の“神話”であることは、すでに述べたとおりだ。先に挙げた目黒の事件でも、日本特有の親権の強さが問題になったが、「ホンモノの家族」への神聖視と親権の強さは無関係でないはずだ。
「万引き家族」でもやはり、虐待から逃れニセモノの家族の元で幸せな時間を送っていた子供は、最終的に虐待を行っていた実親のもとへと返される。ホンモノの親は、ニセモノの親と違って“愛”を持っているはずだ、という社会の思い込みが、結果として子供を再び悲劇に追いやるのである。
さらに悲劇的なのは、親役を担っていた2人(リリー・フランキー、安藤サクラ)だ。彼らは事あるごとに「血が繋がってないからこそ、逆に絆が強いんだ」と述べるのだが、その実“お父さん”“お母さん”と呼ばれることに固執している。一見すると「ホンモノの家族」という社会通念から自由であるように見えて、やはり彼らもまた近代が家族に与えた役割を引き受けることから逃れられていない。
したがって、リリー・フランキー演じるニセの父親が子供を裏切って逃げようとした理由も、血縁関係が両者の間にないことに求められる。ホンモノの父親なら子供を裏切るはずがないのだから。こうして、彼は「お父さん」と呼ばれることを諦め、単なる「おじさん」であることを自ら認めるに至る。
ニセモノは決してホンモノになれず、ホンモノにはいささかの弱さも認められない。仮にその弱さがどうしようもない貧困に由来するものだとしても、この息苦しい社会において弱さはニセモノの証なのだ。
別に打算的だったっていいじゃない。弱い一面があったっていいじゃない。ホンモノ、ニセモノどっちだっていいじゃない。そこに幸せがあればさ。
初めて指摘されて気付いた私。
きっと丸まった枯れ草が風で転がるサボテンの花咲く西部のパタパタ扉のよそ者厳禁の酒場でも
酔っ払っていたらきっと誰かと仲良く出来るのかもね。
インターナショナルな席でさ、
豚とかはなんか料理に使って入ってることを知らなかったらセーフみたいな感じで
意外と緩いのねって思っちゃったわ。
そんで、
ご飯食べててもお酒なしで楽しいのかしらね?っても思っちゃうわ。
そういった習慣の違いって
なかなか日頃目にしないから
ワールドワイドに微笑ましいわ。
今日はここまで、
うふふ。
朝はやっぱり玉子は欠かせないわ。
ふと思ったんだけど玉子の王子様って
ぱっとみ字面で見るとややこしいわよね!
結局葉物野菜は高いままで今冬シーズンも終わっちゃうのかしら?
例の頭痛薬を使えば優しさの半分が染み出てもっと優しい味になるわね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!