「気候」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 気候とは

2023-11-04

アメリカダメなところ動画YouTubeでたくさん出てくるが、欧州北欧ダメなところ動画はどう検索したら出てくるんだろ

英仏独とかは多分移民chavとか、北欧気候とかが筆頭で出てくるだろうけど、ダメなところを知っておきたい

日本公共空間はよく褒められるけど会社内の環境ks過ぎるという動画が多い気がする

気候温暖化というか季節がズレていってるだけのような気もする。冬が長く続くようならひと安心なんだが。

2023-11-02

今日9月だったよね!?

9月気候だったよね!?

かいたし、ビールが美味しいんだが

どうなるの日本

このままずっと秋も冬も来ないんじゃ?

2023-11-01

宇津野宮という田舎出張になった

新幹線に乗った。上野で降りて広小路口へ向かった。出口にいろり庵とかい蕎麦屋があった。蕎麦と称して千数百円で売っているものゴムひもかビニールしか見えなかった。銀座線から浅草橋に出てすこし歩き路地を入った。気候変動下の異様な光のなか善照寺はかがやいていた。白井晟一作品は70年を経ても守られていた。寺の関係者と思われる女性職人かなにかがいたが無視した。本堂裏手の墓所の塀は本堂と衝突しないようデザインされていた。誰の設計になるのか気になった。

2023-10-25

anond:20231025141012

日本は毎年梅雨台風猛暑と凍結が来るじゃん

欧米で同じような気候のとこに古い大都市なんてあるか?

anond:20231025141012

パリ建物って外観は昔のままだけど内部は普通に新しいビルになってることがある。

マジで古い建物は水が出ないとか論外レベル不具合普通にありそう(みんなそんなもんと思って我慢してる)。

あといつも言われるけど地震無くて気候も厳しくないのが大きいよね。

2023-10-22

日本が衰退して最初に現れた敵

それがクマクマなんだよ。

最近よくクマニュース見るだろ?気候変動もあるけど、人が減って農地や人の手が入る森林が減って、自然領域が増えてるんだよ

もののけ姫世界だよ、日本は。

2023-10-20

anond:20231020140120

ちょうど夏らしい気候が3ヶ月程度の場所移住できればいい。日本の夏は湿度が高すぎて不快

2023-10-19

石垣島ゴルフリゾート開発かなり頭わいてんなあ

あそこは昔ゴルフ場あったけど需要なくて潰れててん

そもそもゴルフリゾートなら本島でやろうが石垣でやろうが変わらんでしょ、気候はほぼ同じなんでわざわざ不便な八重山まで行く必要がない

本島にない観光地としての利点は固有種の存在を筆頭とした自然資源なわけで、

観光資源を潰してリゾート作っても誰が利用するねんという話

自分が今この時代にもし小学生中学生だったら、十中八九不登校になってると思う

だって最近、夏暑すぎるし冬寒すぎるもん。こんな気候の中、大人より小さく弱い体で毎日登下校すんのは無理ゲーすぎる

たまに気候が落ち着いて学校行けたとしても、授業についていけずに結局また行かなくなって、そうしてるうちにまたクソ暑い夏とクソ寒い冬がやってきて、年中不登校引きこもりキッズと化すだろうな

今時の子供たちは毎日登下校できてるだけで本当に偉いと思う

2023-10-17

anond:20231017214936

「安い」とは「cheap」ではなく「Reasonable」

とりあえず「安い」って意味に「こちらの希望する価格では取引してもらえないと言う意味」は無いですよ。なんかよくわかんなくなってるでしょ。

「安いから買う」というのはこちらの提示した価格に納得感を持ってくれているという意味で「高いけど買う」って言われるよりはマシで、整理すると、

の順番に儲からない。一番いいのは「安いから買う」で、これは1000万円の車でも「価値に比べれば安い」と思ってもらえるのが一番好きに値付けができている状態。また、経済を支えるのは超高級品を少し作る産業ではなく、大勢の人の雇用を支えるくらい大量に量産するものの方が支えになる。従って、安い量産品は、きちんと利益が出ている限りは最も望ましい。

次が「高いけど買う」で、これはこの間のiPhoneみたいなもの。高いけど他に選択肢が無いので買う。これの問題は、もっと安いものが出るとそちらに移られると言う意味で、良い状態では無い。仕方なく買うと言うニュアンスがある。なので、一瞬で次の「高いから買わない」に移行する。売れなくなる前兆

最悪が最後だというのは自明ですよね。

ですので「安い」というのは悪いわけじゃないです。悪いのは、貴方かいてるけど、削っちゃいけないところまで削って価格を下げたところです。500円で売りたいものを300円と言われたなら、人件費削って300円にするんじゃなくて、どうなってれば500円で売れるかを考えることですね。そして、国内回帰している製造業は、そこが国内ならできると踏んで帰ってきていると思われます

地政学的ってどういう意味

簡単に言うと、チャイナリスク代表される、カントリーリスクのこと。つい最近だとコロナ禍で中国ロックダウンしたら、中国関係の無い国にある工場まで止まってしまった、という様なこと。

中国に限らず、インドネシアなど政治情勢が不安定な国は敬遠される。なので、日本など政治的に安定している国に一定生産能力を残しておくことによって、そのリスクを軽減しようとする動き。

日本世界的に、政治情勢におけるカントリーリスクが低い国と見做されている。一方自然災害には弱いと思われていたが、最近気候変動により、他の国のリスクが上がっているので、相対的リスクが小さく見られているようだ。

2023-10-16

anond:20231016195746

置き場所や家の気密性や地域気候によるので人によって買える量は違う

2023-10-12

anond:20231012183957

弥生人祖先である倭人現在中国東北部遼河にあった夏家店下層文化ルーツを持つ

気候寒冷化と共に朝鮮半島へ南下し無文土器文化を起こした

 ← で、彼らが稲作を日本に持ち込んだというわけかい?  

日本における弥生系の人々の中心地であろう関西言葉アクセントパターンが他の地方方言に比べてトー言語の特徴をより強く帯びている点や、助詞の省略が多くて孤立語的な性格がやや強い点を考えると、どうも弥生人の主流は中国南部から(おそらくは朝鮮半島南部を経て)日本へ来たという説が説得力があるように思えるのだが。

そもそも日本語の開音節的が基本の音韻体系はポリネシアあたりの言語共通点が見られたりしないかね?

2023-10-10

anond:20231010171544

温暖化体感できるけど

冬は相変わらず寒いし、

海水面上昇論は陰謀だと思ってる。




CO2削減とか無理だしビジネス材料にされてるし

地球気候変動を人間がどうこうって

不遜な考えだと思うよ。

2023-10-07

バイパス沿いに新規開店した無印良品店舗ふぞろいバームクーヘンを四つくらい買って、チャリのカゴに乗っけて秋空の下を帰りたい

じっさい、噂レベルではあるが、無印良品店舗ができるって話はある

秋という季節、消滅したのか?と思ってたけど、最近気候はまさに秋と言うべきで、たいへん心地よい

今年の秋には間に合わないだろうけど、もしかすると来年秋には間に合うかもしれない 無印良品開店

バイパス沿いだったらチャリで2〜3キロくらいなんで、全然行ける距離

バイパス沿いの歩道は広くて、人はほとんど歩いてないし、道は真っ平なんで、非常に快適にチャリに乗れる

しかし、真っ平とはいえ多少のガタつきはあるだろうと思う

そういうガタつきにあわせて、エコバッグに入った、無印良品の不揃いバームクーヘンが揺れる

赤いペラペラエコバッグ生地を、秋の陽光が透かして、不揃いバームクーヘンがうっすら赤い光に包まれている

空にはほとんど雲がなく、かなり青い

そういう場面が想像される

それはマジでいい場面だと思うんすよ

無印良品はできてないし、ホントバイパス沿いにできるのかわかんねえし、ホントチャリで行こうと思うのかわかんねえけどな

でも、できたあかつきには、絶対行きてえ 秋の晴れた日にチャリで行きてえ

バスの揺れ方で人生意味がわかった日曜日」のような話で、不揃いバームクーヘンの揺れ方で俺の人生意味が見えてくるだろうと思う

そこにはある程度の確信がある

2023-10-06

一年今日くらいの過ごしやす気候が安定してる国もあるというのに、なんで四季のある厳しい地域に住み続けてるんだろう

2023-10-03

気候が良くて疲れがどっと出てる感じが辛い

身体年齢後期高齢者

anond:20231003081515

鎌倉は間違いないな

軽井沢は冬寒すぎて違う気がする

やっぱ気候が安定してて人が多すぎない、しかし有名なところなんだろうな

2023-10-02

また一気に涼しくなったな…

やっぱり令和になってから季節の節目や気候の変動がなんというかデジタルというか急に階段とばしするみたいに変わる気がする

あ、いや、涼しくなったこ自体は好ましいです運営サン

コーヒー2050年問題

コーヒー産地で何が? | NHK | ビジネス特集 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230929/k10014210301000.html

---

国際的研究機関ワールドコーヒーリサーチ」などは、気候変動によって「アラビカ種の栽培に適した土地が、このままでは2050年には半減する可能性が高い」と警鐘を鳴らす。

これが、コーヒー2050年問題だ。

---

コーヒー無くなるのは嫌だ!超高くなるのもいやだ!俺はキリマンが大好きなんだ!

2023-09-29

anond:20230929071202

最近は9月末でも30度越える気候で車が暑くて母子ともに死ぬから自己責任もっと安全場所要求してるのでは?

なんでそのくらいの常識もないで他責してんの?

その行為はとおまわしな子供いじめであってどこにも正義ないじゃん。おまえらのほうが虐待推進してるじゃん。

あとおまえらマンさんのマンからまれたのになんでお母さんっていう普通名詞がつかえないの?

2023-09-27

哺乳類は2.5億年後に絶滅する

2億5000万年後にはすべての陸地が超大陸に衝突し、それによって温暖化が進み、哺乳類絶滅に追い込まれると、新しいモデル示唆している。

科学者チームは、哺乳類にはあと2億5千万しか残されていないかもしれないと予測している。

研究者らは、今後 1 世紀にわたる人為的地球温暖化予測したモデルと同様の、未来世界仮想シミュレーションを構築した。地球上の大陸の移動や大気化学組成の変動に関するデータ使用して、さらに先の未来予測した。

チームを率いたブリストル大学の古気候学者アレクサンダーファンズワース氏は、「地球は暑くなりすぎて、私たちを含む哺乳類陸上で生きられなくなるかもしれない」と述べた。研究者らは、太陽の明るさ、大陸地理の変化、二酸化炭素の増加という3つの要因によって気候が致命的なものになることを発見した。

天文学者は、太陽が着実に明るくなり、約76 億年後には地球を飲み込む可能性があると予想している。

太陽地球さらに多くのエネルギーを与えると、地球大気は加熱され、海洋大陸からより多くの水が蒸発する。水蒸気は強力な温室効果ガスであるため、さらに多くの熱が閉じ込められる。20億年後には海が沸騰してしまうほど高温になるかもしれない。

ファーンズワース博士は、遠い将来、大陸地球の周りをどのように移動するかを予測する研究を見つけた。

地球歴史過程で、その大陸は衝突して超大陸形成し、その後一部が分裂してきた。最後超大陸であるパンゲアは、3 億3,000 万年から 1億 7,000 万年前まで存在した。この研究は、パンゲアウルティマと呼ばれる新しい超大陸が今から2億5千万年後に赤道沿いに形成されると予測した。

ファーンズワース博士は、古代地球モデルを構築して過去気候を再構築した。彼は自分モデルを使って、パンゲアウルティマでの生活がどのようなものになるかを確認するのは興味深いだろうと考えた。彼は最終的に訪れた気候に驚いた。

「この世界はとても暖かかった」と彼は言った。

研究者らは、考えられるさまざまな地質学的および大気条件下では、パンゲアウルティマ現在大陸よりもはるかに高温になることを発見した。急激な変化の原因の一つは太陽だ。1 億1,000 万年ごとに、太陽から放出されるエネルギー1% 増加する。

しかし、超大陸事態さら悪化させるだろう。まず、陸地は海よりも早く温まる。大陸が 1 つの巨大な陸地に押し込まれると、気温が急上昇する可能性のある広大な内陸部が存在することになる。

パンゲアウルティマは、海から遠く離れた広大な平地を含む地形のおかげで気候にも影響を与えるだろう。今日地球では、雨水二酸化炭素が山や丘の斜面で鉱物と反応し、海に運ばれて海底に落ちる。その結果、二酸化炭素大気から着実に除去される。しかし、地球パンゲア・アルティマの本拠地になると、そのベルトコンベアは速度を落とすだろう。

もしパンゲアウルティマパンゲアのように行動すれば、二酸化炭素を噴出する火山がちりばめられることになるだろうとモデル発見した。地球深部の溶けた岩石の乱流の動きのおかげで、火山は何千年にもわたって膨大な量の二酸化炭素放出する可能性があり、これは気温を急激に上昇させる温室効果ガスの爆発だ。

現在人類化石燃料から毎年400 億トン以上の炭素放出し、地球温暖化させている。地球温暖化が止まらずに続けば、多くの種の絶滅につながり、人類地球上の広範囲で高温多湿に耐えられなくなると生物学者懸念している。

パンゲアウルティマについて、ファーンズワース博士と彼の同僚は、おそらく私たちのような哺乳類にとって状況はさら悪化するだろうと結論付けた。研究者らは、パンゲアウルティマのほぼすべてが、哺乳類にとって生存できないほどの高温になる可能性があることを発見した。哺乳類大量絶滅によって消滅するかもしれない。

ファーンズワース博士は、少数の哺乳類パンゲアウルティマの辺縁にある避難所で生き延びる可能性があることを認めた。「北辺と南辺の一部の地域は生き残れる可能性がある」と彼は言う。

それでも、哺乳類過去6500万年にわたって享受してきた優位性を失うだろうと彼は確信していた。

哺乳類は、暑さに耐えることができる冷血爬虫類に取って代わられるかもしれない。

Mammals' Time on Earth Is Half Over, Scientists Predict

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続き

農業の到来

平等から階層へ、男女平等から著しい男女不平等への転換は、一般農業と関連しており、このことはグレーバーとウェングローにかなりの問題を突きつけている。彼らは選択に関心があるため、唯物論的な議論を避けたり、環境が人々の選択を条件づけ、制限する方法について考察したりすることに固執しているようだ。

農業は、約1万2千年前から世界の多くの場所独自発明された。狩猟採集民は食料を共有し、持てる以上のものを所有することはできなかった。しか農民たちは定住し、畑や作物に投資するようになった。そのため、一部の人々が自分の取り分以上の食料を手にする可能性が生まれた。

やがて、凶悪犯やいじめっ子集団が集まって領主になることもあった。窃盗や略奪、家賃小作料、労働力雇用税金、貢納、什分の一など、さまざまな方法でこれを行った。どのような形であれ、このような階級的不平等は常に組織的暴力依存していた。そしてこれこそが、ごく最近まで階級闘争が対象としてきたものなのだ

農民狩猟民族にはない弱者だった。彼らは自分土地、畑を開墾し灌漑するために費やした労働、そして作物の貯蔵に縛られていた。狩猟採集民は離れることができた。農民はそうではなかった。

しかし、グレイバーとウェングローは、農民が余剰を生産し、蓄えることができたからこそ、階級社会搾取国家、そして偶然にもジェンダーによる不平等可能になったのだという、この物語に立ち向かった。

フラナリーとマーカス

2012年考古学者のケント・フラナリージョイス・マーカスは『不平等創造』という素晴らしい本を出版した。彼らは、世界のさまざまな地域農業がどのように不平等をもたらしたかをたどっている。

しかし彼らは、その関連性は自動的に生じたものではないと主張する。農業階級可能にしたが、多くの農民平等主義の社会暮らしていた。農業発明階級発明の間のギャップは、数世紀単位で測られる場所もあれば、数千年単位で測られる場所もある。

フラナリーとマーカスはまた、地元凶悪犯や領主権力を掌握しても、後に打倒されることが多いことを、注意深い実例を通して示している。多くの町や都市では、エリート考古学的記録に現れ、その後何十年も姿を消し、また現れる。事実上階級闘争は決して止まらないのである[5]。

ジェームズ・C・スコットフラナリーとマーカスの壮大な比較研究は、人類学根本的に変えた1954年エドモンド・リーチの著書『ビルマ高地政治制度』や、アナーキスト政治学者であり人類学者でもあるジェームズ・C・スコットの研究において先取りされていた。[2009年、スコットは『統治されない技術』(An Anarchist History of Upland Southeast Asia)を出版した。同書は数世紀にわたる東南アジア全域を対象としている。

スコットは、平原王国の稲作農民の多くが丘陵地帯に逃亡したことに関心を寄せている。彼らはそこで、「焼畑」移動耕作者の新たな民族集団として再出発した。彼らの中には、より小さな階級社会を作り上げた者もいれば、階級を持たずに生活した者もいた。そのすべてが、下の王国国家からの絶え間ない奴隷化軍事的襲撃に抵抗しなければならなかった。

技術

ある意味では、グレイバーとウェングローはリーチ、スコット、フラナリー、マーカス仕事を土台にしている。ウェングローは結局のところ、フラナリーとマーカスが要約している考古学の変化の一端を担っている。そして『万物黎明』には、スコットの影響が随所に見られる。

しかし、グレイバーとウェングローは、一方では技術環境と、他方では経済的政治的変化との間にある、他の著者たちの結びつきを好まない。

フラナリー、マーカス、スコットの3人は、テクノロジー環境が変化を決定するのではない、と注意深く述べている。それらは変化を可能にする。同様に、穀物農業発明自動的階級格差国家をもたらしたわけではない。しかし、それがそうした変化を可能にしたのである

階級関係階級闘争技術環境の変化は、階級闘争の舞台を設定した。そして、その階級闘争の結果が、平等と不平等のどちらが勝利するかを決定した。グレーバーとウェングローはこの重要な点を無視している。その代わりに、彼らは常に、そのような変化を即座に必然的ものとする段階論の粗雑な形式問題にしている。

この生態学思考に対するアレルギーが、彼らが人類進化に関する新しい文献を扱おうとしない背景の一つであろう。

これらの文献はすべて、人類となった動物たちが、自分たちの住む環境自分たちの身体、競合する捕食者、自分たちが発明できる技術生計を立てる方法に対して、どのように社会適応を築いたか理解しようとするものである。偶然にも、彼らはその生態系と状況に対処するために平等主義的な社会を築いた。それは必然的な結果ではなかった。しかし、それは適応だったのだ。

一方、グレーバーとウェングローは唯物論者ではない。彼らにとって、生態系技術について考えることは、彼らが望む選択革命不可能にする恐れがある。例えば、古代メソポタミアに関するスコットの本が、特に穀物農業が不平等をもたらした物質的な理由を強調しているため、彼らが満足していないのはこのためである

これは些細な問題ではない。私たちが今直面している気候危機は、人類が新しい技術と新しい環境適応するために、社会をどのように変えていくかという問題を浮き彫りにしている。平等人類存続のための政治は、今や深遠なまでに唯物論的でなければならない。

ジェンダーの不在

グレーバーとウェングローが環境人間存在物質的基盤にほとんど関心がないことは、これまで見てきたとおりである

同じように、彼らは階級という概念や、階級関係階級闘争についての議論ほとんど宗教的に避けている。グレーバーは確かに、そしておそらくウェングローも、階級関係階級闘争について理解している。彼らは、階級が何をするのか、そして実際、自分がどの階級人間なのかを知っているが、階級関係社会変革の原動力として扱うことはできないし、また扱おうともしない。

これと同様に目を引くのは、グレーバーとウェングローがジェンダー社会的構築に対して関心を示さないことである。彼らはミノア・クレタ島における母系制のほぼバコフェンを再現する一方で、女性は養育者であり、男性はいじめっ子であるという家父長制的なステレオタイプ散見する。

平等は常に私たちとともにあったというのが彼らの主張であるため、グレーバーとウェングローは、人類性別による不平等起源についてほとんど何も語っていない。

男女関係進化については、基本的に3つの学派がある。まず、進化心理学者たちであるが、彼らの主張は非常に保守的であるジャレド・ダイアモンドナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーは、不平等暴力競争人間の本性の基本であると主張する。彼らは、男性進化によって他の男性競争するようにプログラムされているため、強い者が女性支配し、より多くの子どもをもうけることができるからだと言う。これは残念なことであり、幸いにも西洋文明はそのような原始的感情部分的に手なずけてきたとピンカーは言う。

偉大な生物学者であり、トランス活動家であるジョーン・ラフガーデンは、こうした考えを『薄く偽装されたレイプ物語』と正しく表現している。このような議論は実に忌まわしいものであり、そのためだけにグレーバーやウェングローが否定したのは間違いない。

非常に長い間、フェミニスト人類学者の間では、第二の学派の考え方が支配的であった。この学派もまた、女性男性の間の差異本質化し、女性男性の間に何らかの不平等があることをあらゆる社会で当然のこととして受け入れていた。

私たちが支持するのは第3の選択である歴史学人類学考古学の記録に顕著な特徴がある。人々が経済的政治的に平等社会暮らしていたほとんどの場合女性男性平等であった。また、経済的に不平等階級社会存在したところでは、そこでも男性女性支配していた。

私たちにつきまとう疑問はこうだ:なぜなのか?

グレーバーとウェングローはこの問いに取り組んでいない。彼らは性差別について何の説明もしないし、男女関係がどのように、あるいはなぜ変化するのかにも関心がない。しかし、彼らは性差別主義者ではない。彼らは何度も女性抑圧の事例に触れているが、それは一過性のものである。彼らの関心事の中心にはないのだ。だから私たちには印象的な一致に見えるが、彼らにとっては蜃気楼なのだ

複雑な採集

グレイバーとウェングローの説明重要な部分は、農耕と階級的不平等、そして国家の出現との関連を軽視しようとする決意のもと、階級的不平等戦争さらには奴隷制さえも存在した狩猟採集民のグループに焦点を当てている。考古学者は彼らを「複合狩猟採集民」あるいは「複合採集民」と呼んでいる。

レバーとウェングローは、先史時代の人々が無国籍平等主義的であったか暴力的で不平等であったかのどちらかであったという証拠として、これらの人々を取り上げている。それは証拠が示すところとは違う。[7]

典型的な例は、フランツボースによって研究されたクワキウトル族と、カナダ西海岸コロンビア川フレイザー川の近隣の人々である。この川と海岸では、莫大な数のサケ遡上していた。限られた数の隘路や漁場を支配する者は、莫大な余剰を蓄えることができた。コロンビア川のギャレスがその一例だ。少人数で10ポンドサケを獲ることができた日もあった。

それは例外的なことだった。場所によって差はあった。しかし、沿岸部河川全域にわたって、サケ資源豊富であればあるほど、考古学や文献記録には階級間の不平等が表れている。富の不平等はしばしば極端であった。また、これらの人々は複雑な軍事技術を持っており、大勢戦士を乗せ、数人で何カ月もかけて作るような大きなカヌーを使っていた。

事実上農民田畑に囚われていたように、これらの人々は漁場に囚われていた。そして農民と同じように、サケ漁師たちにとって貯蔵は不可欠だった。考古学上の記録を遥かに遡ると、彼らの骨や歯を調べると、年間の食生活の40%から60%がサケからもたらされていたことがわかる。サケは数週間しか獲れないので、その食生活の大半は乾燥サケによるものだったに違いない。

農民と同じように、環境的制約と新技術階級社会可能性を開いていたのだ。こうした過程は、『万物黎明』にはまったく見られない。そのかわりに、50年前の学部生がクワキウトル族について語った、浪費的で貪欲ポトラッチ饗宴の民という、お決まり説明がなされている。この説明は、その後の膨大な研究成果を無視している。

天然痘梅毒人口の6分の5を失い、金鉱探鉱者によって征服され、そして蹂躙され、最終的にはカナダ政府によってポトラッチの宴が禁止された人々の中で、あの無秩序な宴は、権力にしがみつこうと必死だった支配階級によって管理された伝統的な生活の祭典であったことが、今ではわかっている。深い物質的な悲劇が、非合理的茶番劇として語られている[8]。

西海岸漁民けが「複雑な採集者」だったわけではない。世界中には他にも例がある。しかし、それがいかに少ないかは注目に値する。さら考古学者たちは、現在より7,000年前より古いものひとつも見つかっておらず、14,000年前より前に戦争があった証拠もない。

複雑な採集民の数が少なく、その起源が新しいのは、技術問題かもしれない。確かにカリフォルニア沿岸のチュマシュ族が不平等戦争を発展させたのは、紀元600年以前に大型の外洋用板カヌーの建造を習得してからである

彼らは「複合型採集民」の第三の例として、フロリダ南部カルーサ族を選んでいる。ある意味では、これらもまた、支配的な首長戦士階級格差奴隷制度、高価な戦争カヌー、海の哺乳類、ワニ、大型魚の漁業依存する漁民であった。

グレーバーとウェングローは、カルサ人を「非農耕民族」と表現している。しかし、彼らが認めているように、カルサの漁民もっと大きな政治の中で支配的なグループであった。他のすべての集団は農耕民であり、カルサ人の支配者に大量の食料、金、奴隷にされたヨーロッパ人アフリカ人捕虜を貢納していた。その食料によって、カルサ族のエリートたち、そして300人のフルタイム戦士たちは働かずに生活することができた[10]。

続き→https://anond.hatelabo.jp/20230926143955

2023-09-25

今日気候も良いし、美術館行こ!とウキウキ自転車こいで行ったら、休館日だった…。

到着する直前に、ん?もしや?という予感があり、着いた時点の精神ダメージは抑えられたものの、ちゃんと調べていかないといけないね

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん