はてなキーワード: 柔道部とは
だって“本職”なのに他の運動部に負けちゃったりしたら恥ずかしいし。
かといって1位だったとしても“勝てて当たり前”としか言われないし。
だから体育祭の部活対抗リレーの時は陸上部員は準備係とか審判員とか記録係をやってたんだ。
そもそも部活対抗リレーなんてものは体育祭におけるある種の余興みたいなものだったからね。
運動部は基本、自分らの部活の大会用ユニフォームを纏って出場する。
剣道部は剣道着・袴・防具一式身につけて裸足で全力疾走していた(バトンは竹刀)
柔道部は柔道着で、確か帯をタスキリレーしてたんじゃないかな。
球技の部活は“球”をバトンリレーしてたように記憶しているけど、受け渡し方にそれぞれ特色があった、筈。
バレー部はテークオーバーゾーンでバレーボールをトスしてたし、ラグビー部は後ろにパスを出してたと思う。
サッカー部はドリブルしながら走行する決まりの年もあったけどあまりに不利なので次の年からは普通にボールを抱えながら走ってた。
その茶しぶと似たような概念として「柔道白帯の黒ずみは洗うな!」を挙げたい。
高校時代、柔道の初授業はクラス全員真っ更の白帯だったが、柔道部顧問も務める体育教師からこう指導された。
「柔道着は洗っても白帯は洗うな!茶色っぽくなった白帯を相手が見た時、柔道経験が長いと思わせて試合前に威圧できる!
もっと使い込んで白帯が黒ずむと、黒帯っぽくなってちょっとだけ格好いい!試合相手の視力が悪ければ、黒帯だと騙せるかもしれない!」
生徒の笑いを誘いつつも、なんとなく理に適うと思わせる熱弁だったので、高校卒業して柔道着がお役御免になるまで白帯は洗わなかった。
タイトル通り。
今から十数年前、俺がまだ高校生だった時。ちょうど秋葉原とかがテレビにでてきてオタクブームがにわかに騒がれていた時期。
3年間同じクラスにいた、言葉をオブラートに包んで言えばふくよかで、少し暗めの女の子がいた。
彼女はヤンキーから「モンジャラ」と隠れて呼ばれていた。まぁ、これでだいたい想像つくだろう。
そんな彼女が3年生のときにクラスの真面目で趣味がランニングと体幹トレーニングという柔道部のキャプテンと付き合いだした。
誰もが驚いたが、彼女はモンジャラと呼ばれていた原因の髪の毛をばっさりと切りショートになって、普通の真面目な女性(お硬い)ぐらいにまでなって卒業式を迎えた。
そこから自分は地元の県を出たのだが、20歳の成人式+同窓会に行くと、もうモンジャラと呼ばれていた彼女はそこにいなくて髪を茶色に染めた量産型大学生女子になって彼女がいた。
その時点でびっくりしたんだけど、その時はまだ元柔道部キャプテンと付き合っていたらしく、相変わらずだなという感じで終わった。
そのまま県を離れたところで就職して、地元にはお盆と正月ぐらいしか帰らない人間となったんだが、24歳の時に元柔道部キャプテンと、元モンジャラが結婚するということで、結婚式に出席して、「は~、高校1年の頃の面影が全くねぇなぁ」と思いながら祝福をしたのを思い出す。
原因は、元モンジャラが元柔道部キャプテン以外にも2人の男性と交際をしていたことが発覚したからだ。
一人は、元モンジャラの職場の上司、もう一人は元モンジャラの大学の頃の友人だという。
もうびっくりしたのね。元柔道部と一緒に酒を飲むと「俺には彼女しかいねぇのに」とワンワン泣いてた。
自分も、高校1年の時の彼女をみているから、まさか彼女が浮気?、まぁ、成人式のときの彼女を見ればそこそこ可愛いからわからなくはないが…と思いながら聞いていた。
ここからは予測になるけど、多分、自信がついたんだと思う。彼氏ができて。
元柔道部キャプテンは細マッチョなんかじゃなくてゴリゴリのマッチョで、中性的イケメンなわけじゃなくてまさに「漢」って顔のゴリマッチョだ。
中学校からの付き合いだけど、まぁムードメーカーで一人でいる人に積極的に声をかけてグループに入れてくるそういうナイスガイだから、女性からも好かれていたとは思う。
そんな男と付き合いだしたから、だんだん自信がついてきて、しかも何やっても褒めてくれるような男が相手だからドンドン変わっていったのかな。
技をかけるのは下手だったが、受け身のうまさはよく褒められていた。
長続きせずに辞めたうえ、筋トレもろくにやってなかったので基礎体力的なものもつかずじまいだった。
勿論、その地域の小学校から上がってきた子たちはすでにグループが出来上がっていた。
そこで、出来上がっている輪に自分から飛び込んでいく勇気がないことに気づいた。
いわゆる人見知りが発動することを自覚したのがこの辺だった。
幸いにして同じ小学校出身の子が隣のクラスにいたので、その子のグループにたまに呼ばれてやり過ごしていた。
高校にもなれば全国いろんなとこから受験で集まってくるので、出身はバラバラ。
みんなお互いを知らない、スタートラインは一緒だ。
でもやはりここでも僕は人見知りを発動し、見事にスタートダッシュに失敗。
起死回生の一手として文化祭の実行委員になってみたが、溶け込めずにむしろいい感じに孤立が加速した。
ただここでも幸いにしてグループに拾われることになる。
同じくクラスでなんとなく孤立していた奴がいたのだが、そいつは所属していた柔道部の集まりに遊びに行っていた。
ひょんなことからそいつの輪に混ぜてもらうことになり、柔道部に出入りさせてもらうようになった。
すでにもやしっ子として完成していたが、柔道経験者ということもあり、軽く組み手の相手になったりしていた。
そこでも、お前受け身うまいな、と褒められた。
ああ、確かに、僕は人間関係についても、ひたすら受け身でやってきたなぁ、と。
なんかしみじみ、こんな奴でも拾う神はいてくれたんだよな、なんて思う。
社会人になってからは、受け身で仕事してるようじゃダメだ、と怒られてばかりだが。
たぶんこの先オトナとして生きるにあたって、受け身じゃダメなことが増えていくな、とは思う。
ただ、これまでの学校生活で僕を拾ってくれた友達とは年1、2くらいで定期的に集まっている。
もちろん、集まろう、と音頭をとるのは僕じゃないけど。
受け身ならうまいので、今年の夏もいい感じに予定を空けて連絡を楽しみにしている。
「理由もわからず受け継がれてる謎の新入生歓迎の儀式」だろ。どこにでもあるよ。小林まこと『柔道部物語』でも初っ端から描かれている。
俺の大学の部活でも新入部員をかつぐイベントがいくつかあって毎年それなりに盛り上がった。
でもいくつか下の後輩が「バカバカしいからやめる」と全部やめてしまい、それっきり途絶えた。よく練られていてみんなで腹を抱えて笑えるイベントばかりだったのでOBとして一抹のさびしさはあるが、それで腹を立てるほど重要な伝統でもなかったし後輩の決めたことなのでほうっておいた。
増田もそんなに問題意識が強いなら、三年になった時に自分で音頭を取ってやめることにすればよい。色んな人から猛反発に遭うと思うけど、この連鎖を断ち切れるのは君だけなんじゃないかな。グッドラックやで
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。
その時言われたのが「女と男は骨格自体違うからマトモにやり合ったら絶対勝てない。
有効なのは『痛い思いをさせる→こいつは一筋縄じゃいかないと思わせる』、『倒す・転ばせるなどに特化しその隙に逃げる』」
「残りの仕返しは逃げてからやればいい」
先生の家は柔道一家で、妹さんも柔道やってたのにDV夫と結婚しちゃったらしい。
ガーリーな女の子を装いたくて柔道部だったことも夫に言ってなかった。
足払いして逃げるくらいはいつでもできたけど「技をこんなことに使っていいのか」と迷ってるうち
でもある日、すごく理不尽なことでボコられ、カっとなって双手がりで夫を倒した。
夫は背後の棚に頭をぶつけて失神。その隙に逃げた。
後日夫に訴えられそうになった時に、先生も話し合いに同席。
妹さんが「素人相手に技はかけられないので、倒すだけで我慢した。弱い者いじめはできなかった」
と言ったら、DV夫は「ウッ」と言ったきり真っ赤になったって。
結局夫の親がまともな人で、慰謝料200万と言ってくれたけど
「私も素人相手に大人げなかった。弱い者いじめしてしまったので減額でいいです」
と言ったらDV夫は死ぬんじゃないかってくらい真っ赤になって部屋を出て行ってしまったそうな。
「残りの仕返しは後でできる」
個人的には双方が納得して勝手にやってりゃいいと思ってるんだけど、虐待を肯定しているキチガイが多いから書きたくなった。
今日本に蔓延っているひたすら人件費を削ることで成り立つブラック企業の会社員やコンビニオーナー。半分以上搾取されてる派遣社員なんかの奴隷が何時までもいなくならない土壌が、
こういう日本古来から脈々と続く勘違い精神論による教育なのだろう。土人国家の面目躍如というところか。日本が近代的国家として発展するにはこういう害悪を垂れ流す連中を一掃するしかないだろう。
一応書いておくけど叩かなきゃ分からない、出来ない奴というのは存在する。叩くことで出来るようになる一人二人の為に体罰を肯定するか、体罰を辞めてその裏に隠れている死亡者を救うかどうかと言う話だ。
スポーツジムに通っている。運動後に風呂に入る。だいたいどこのジムも同じようなもんだと思うが小規模なスーパー銭湯のように風呂には炭酸なんとか風呂だとかジェットなんとかバスだとか複数の浴槽がある。
広告記事の話題で有名な銭湯神ヨッピーの記事でサウナと水風呂の往復はすばらしいと書いてたのでそれに倣ってサウナと水風呂を往復する事も多い。
サウナに入るといつも見る人がいる。小太りで太く黒々とした角刈りのアラサー男。目はパッチリとはしておらずいかにも熊さんタイプ。パッと見の容貌は柔道部的でもあるがそんなに体育会チックな体つきではない。
熊さんはサウナと水風呂だけを往復する。自分が風呂エリアに入る前から往復していて自分が風呂エリアを出てもまだ往復を続けている。
「ゲイっぽい人がいるな。」程度には思ってた。熊さんはジムエリアで見かける事はない。風呂だけに入りに来てるのかもしれない。まあそういう人もいるだろう。自分が見てないだけで運動もしてるのかも知れないし。と考えていた。
しかし何カ月経っても熊さんはサウナと水風呂にしかいない。ガラガラのサウナに自分が一人で座っていた時は妙に近くに陣取りに来た時はなんか異様で少し距離を離して座り直した。サウナに出入りする人をその細い目でバレないようにチェックしてるようにも思える。
ゲイなのかも知れないと思った。
ゲイの人は男性に性的な興味を持つのだろ?特定のパートナー相手やゲイの社交場において彼らの性的嗜好を発揮するのは一切構わない。結婚だってすればいい。
しかし公共の風呂でその欲望を抑えられないならばなんらかの規制は必要だろう。混浴風呂は特殊な場なのでタオルや水着の着用を許されるし、露天温泉などの雰囲気を味わう事が目的だがジムの風呂は運動後の汗を流し疲れを癒す場だ。異性や自分を性的な目で見る人間がいることが想定される場ではない。
「ゲイの疑いのある方の入浴を禁ずる」とは言えないのはわかる。ゲイであっても露骨な行動を取らない人は別に害もないので仮にチラッと、内心では性的な目で見てたとしてもそのくらいなら許容する。
しかしあからさまに(浴槽内と違いお湯が無い分オトコのカラダが見やすいという考えで?)サウナに居座り他人をジロジロ見るゲイを野放しにするのは政治的にも正しいのだろうか。
熊さんはじつはゲイではないかも知れないが彼に限らず同じ問題は起きうる。
「同性愛者風呂」を作る?そこに入る男(もしくは女)達はお互いが性の対象という事になるがいわゆるハッテン場にならない?ゲイ証明書でも発行して、ゲイは異性サイドの風呂に入れる?
ゲイの人がジムや銭湯に通う権利を含めて、全てを認めるべきとした上でノンケが被害者にならない方法は何かあるのだろうか?自分の考えとしてはゲイが風呂にいたとしても気にしないからあからさまな行動を取らないで欲しいということなのだが統一的なゲイ団体があるわけではないし、ノンケの男にも痴漢なりレイプなりをして男性側の信用を毀損するヤツがいるぐらいなので良識に任せる系の対策は無意味なのだろうなとも思う。どうすりゃいいんだろうね。
容疑者の母は自らトラックの運転なども行う威勢のいい性格で、恰幅もよかったという。だが、「自分の思い通りにいかないとすぐに怒鳴り散らす。親族や近所の人は露骨に避けていた」(母親の知人)ともいわれる。精神科医の片田珠美氏は、家庭環境に小児性愛の源流があった可能性を指摘する。
「母親に代表される年上の女性に恐怖心を抱いたことで、自分より立場が弱く、絶対的に従属させられる幼い女の子を求めるようになった可能性も否定できません」
「ぱっと思い起こすのは、とにかく体が大きかったということ。横幅もかなりあったから、澁谷とデブを合わせて『澁デブ』って呼ばれてましたね。体形のことをからかう奴もいて、机に突っ伏して泣いているのを見かけたこともあります」
澁谷容疑者のものと思われるSNSには、《いじめにあった為、人間不信なところがある》と綴られていた。
中学校に上がると、最初は野球部に。その後、体格のよさを買われて柔道部に移った。この頃から、容疑者の「嗜好」が少しずつ顔を出すようになる。
「アニメやマンガに没頭することがあって、特に小さい女の子が出てくるのを好んでいました。まだ中学生だったので、周囲は“おまえ、なんだよそれ~”って冷やかしたりしていた程度だったんですが…」(中学の同級生)
「オタクな感じで、同じ趣味を持つようないつも決まった4人くらいで一緒にいました。ロリータ系とか、小さい女の子が出てくるロリコンっぽいマンガを読んで盛り上がっていて、クラスの女子のほとんどが“気持ち悪い。かかわりたくない”と感じていたと思います」(高校の同級生)
仲のよかった野球部の友達と遊ぶ約束をして、そいつの家に行ったんだ。
僕はかなりおとなしめなオタクを自負しているのだけど、高校時代は柔道部で重量級、県大会では個人戦2位とかになる、スポーツマンでもあった。
それで、肉量的にぴたっとしたズボンも履けないし、オシャレなシャツは細身に作ってあるから、太いジーンズとアロハシャツを着て行った。
合流した友人とカラオケに向かう道中「親や近所の人に心配されるからそんな格好で来るなよ」と言われた。
それが多分十五年くらい前の話。
先日、盆の帰省で妻の実家に行くことになり、それじゃ行くかとアロハシャツに手を伸ばした瞬間「アロハシャツはやめて」と妻に言われた。
さま~ずはルックは何歳なら許されるんだ?
ちがうよ、全然違うよ。あんたの服選びじゃ救われない人が多すぎる。本当に服装で悩んで試行錯誤したことがあるやつなら絶対そんな答えは出てこない。元記事の最大の欠点、それは「標準よりやせ形であまり汗をかかない」人しか想定していないこと。ここ10年くらい、日本の男性ファッションは『細身できれいめ』のトレンドに縛られている。だから初対面の人から、「柔道部かアメフト部、それとも砲丸投げとかやっていた?」と聞かれる俺みたいながっちり目で汗かきな人間には選択肢がなかった。元記事のような格好をしよものなら、ピチピチの服が汗でビショビショになってすごく悲惨だった。じゃあどうすればいいかって?答えはこうだ。
「ユナイテッドアローズ」や「ジャーナルスタンダード」のスーツを買う金があれば「麻布テーラー」で仕立てられる。費用を抑えたければ「PSFA」のイージーオーダーもあり。
伊勢丹や高島屋に入っているようなメンズブランドは大抵サイズ直しのサービスをやっている。肩幅や手の長さに合わせてサイズを直しても、2〜3000の出費で収まる。サイズが合うものを探して何軒もさまようよりも選択肢が一気に増える。ゆったりサイズと揶揄されるユニクロだって、洋服のお直し屋さん的な店でで直せば驚くほど見栄えが良くなる。
3) 髪型
くせ毛だったり、汗っかきだったらワックスつけてセットしても、溶けたり崩れたりするので基本短髪に保つ。店は1000円カットでいいから最低月一通うこと。気になるなら2週間に1度でも良い。
4) 汗対策
下着は綿一択。ユニクロのAIRismみたいな化繊だと大量に汗をかいた時に吸収しなくて臭いの元になる。あとは腋にはデオナチュレつけとけ。まじこれ最強。
以上、元記事で救われない人向けの修正版を書いてみたが、いかがだろうか。特に、サイズをなんとかするには仕立てるか、直すしかない。今の日本のメンズファッションはマジで細身が多すぎるから。
■追記
元記事に違和感を覚えたので少し気合い入れて書いたら何人かからブコメをもらえてうれしい。
いろいろ思うところがあるのでいくつか返信を書いてみる。
・悲しいけど、標準体重まで痩せるのは前提条件だと思うんだよね。綿素材最高なのは完全に同意だが、そんなに元増田と違うこと言ってる?
サイズが重要だっていうのは元増田に同意。ただし、努力で何とかなる部分(腹をへこめるとか)とどうにもならない部分(骨格や汗かき、くせ毛等の体質)は分けて考えないといけない。どうにもならない部分が足を引っ張ってる人にはなんで最低限のことすらやらないのと小ばかにするのではなくて、別の解決策を提示することが必要なんじゃなかろうか?
そう、それこそが問題。平均からやや痩せ気味の人なら10の労力で手に入る清潔感も、標準から外れた体型、体質だと100の労力が必要だったりする。そして平均的な人から見れば必要な労力が全く見えないので無邪気な悪意をガンガンぶつけられる。そんなのおかしいと思わないかい?
ダサい人たちを救うべく脱オタテクニックが提唱されてから10年超。それからというもの、元記事のように数か月周期でわいてくるどこかで見た上から目線のファッション指南。そろそろ俺たちはこのループを抜けて次の段階へ進むべきじゃないのだろうか?