はてなキーワード: 景観とは
景観論は何も日本文化をかなぐり捨ててヨーロッパの美意識に合わせろということじゃない。
美しさは人間なら誰でも感じる美しさ(ゲシュタルト心理学とか)+その文化に所属する人が感じる美しさ+個人が感じる美しさに分解できる。しかし、日本の景観は人間なら誰でも感じ美しさの部分で既に誤りを犯してる場合が多い。ここを修正しようぜって言ってんの。
日本国内でも景観のため看板を撤去した例はたくさんあるが、結論は総じて「何も影響ない」(売り上げとか集客とか)なんだなぁ。みんな思ってるほど看板見てないのは立証済みなんだよ。
>電車や車や電柱やらコンクリートやら こういうものに美を見出してこそ
景観の話をするとき、伝統的な日本の風景=古きよき昭和になるのはなんでなんだろうな……。縄文時代からの日本の歴史のなかではコンクリだらけの景観はごく最近だし、自然と調和した庭造りや情報を削って抽象化する独特の美意識が日本文化には多く見られると思うんだが。
景観論でも生活景という考え方がある。ただ多くの人が使う公共の場においては、景観も共有財産であるからこそ一定のルールが必要でルールに基づいて整備されるべきだ。
個人的には電柱地中化とかは公共の場を優先して住宅街とかは生活景の一部として残せばいいと思う。
景観論者は日本が嫌いだから日本の景観を否定してると感じるみたいだが、むしろ日本文化のポテンシャルを生かしてない、これまでの日本文化をガン無視してる現状を改善しようぜって言ってるんだがな。
ならば、京都や金沢等の景観が保護されている地域に住む人々に、日常生活が不便かどうかインタビューしてみてはどうでしょうか。
あくまでも外観の話なので、不便だという感想は恐らく出てこないと思いますよ。エアコンも車もインターネットもあるわけだし。
例えば電柱の地中化にはお金が掛かるけど、日常生活が不便になるという話は聞いた記憶が無い。
ヨーロッパの街並みなんてのは狙ってやったあざとさ全開で気色悪いんじゃ。どう?俺たち美しいでしょ?みたいな。
日本の景観は、建築自由の為に統一感がなくてばらばらになってしまったという事情があり、それを考えると日本も似たようなものだと思う。
どう、俺が選んだ家は美しいでしょをやって、ばらばらになったんだと思う。
なにが街並みが美しいだよ。あんな作られた美しさなんか微塵も魅力ねーわ
街並みキープのために情報が削られまくって窮屈な生活になってんだろあいつら ああいうのをディストピアっつーんじゃ
ヨーロッパの美意識なんかくそくらえだよ 真の美しさってのは人間が暮らして行くために必要なものが連なって自然に生み出されんの
そもそも意識するもんじゃないんだってば。新海監督はやっぱ神なんだよなー。電車や車や電柱やらコンクリートやら こういうものに美を見出してこそだよな
ヨーロッパの街並みなんてのは狙ってやったあざとさ全開で気色悪いんじゃ。どう?俺たち美しいでしょ?みたいな。
美しさなんて狙ってない、何気ない日常風景こそが美しくあるべき。我ながら名言じゃね?
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https://anond.hatelabo.jp/20180825190041
・ヨーロッパヨーロッパ言ってないで日本の日常風景の美しさを見ろ
・奇妙に揃った街並みより暮らしの中でつらなって来たものが美しくあるべきだと思っている
の二点かね
https://anond.hatelabo.jp/20180826134800
>日本の景観は人間なら誰でも感じ美しさの部分で既に誤りを犯してる場合が多い。ここを修正しようぜって言ってんの。
美しさの部分の誤りってなんだ?景観の修正は暮らしの否定でしょうが
それこそヨーロッパ化するわ
>自然と調和した庭造りや情報を削って抽象化する独特の美意識が日本文化には多く見られると思うんだが。
日本文化=電柱コンクリじゃないだろと言いたいようですが、暮らしは時代とともに変化するものです。
『今の日本の暮らしの美』は今あるものです。もちろん自然と調和されている地域はそのままでいいし
コンクリの景観もそのままでいい。暮らしの上で不便でない限り景観のためだけに整理する必要はない
>景観論者は日本が嫌いだから日本の景観を否定してると感じるみたいだが、
>むしろ日本文化のポテンシャルを生かしてない、これまでの日本文化をガン無視してる現状を改善しようぜって言ってるんだがな。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1011051225
街並みや建築に詳しくないが、現代の日本の景観問題を、海外の良いところを取り入れる日本文化だという論はさすがに苦しいと考える。
下記は疑問点。
・景観で問題となるのは住宅等の外観である。現代においてライフスタイル等がここに影響を及ぼすことは殆どないのでは。
・仮に海外の文化など良いところを取り入れた結果であるなら、日本国内でも地域ごとに住宅の外観が「合理的な形に」確定する筈ではないか。街並みに統一感がないと批判されるようになるのは辻褄が合わないと感じる。
歴史的でない現代の建築に風土による地域が見られるという論を私個人は聞いた記憶がないが存在するのだろうか。
「諸外国の文化やスタイルを巧みに取り入れ、それを自分のものとする能力は他国より抜きん出ています。つまり、「混合」されて培ってきたスタイルが、まさに「和風」なのです。」が景観問題についても当てはまっているという根拠が無い。
・海外の良いところを取り入れるスタイルならば、それが現代になって問題となったのは何故か。
例えば、住宅にエアコンを取り付けるとか、WIFIを設置するとか、掃除ロボットが自宅にある等のように技術面の成熟だったり普及が必要だったものは分かるのだが。海外の外観を取り入れるのであればもっと早い段階に進んでいかなかったのだろうか?
久々に実家の近所を散歩してみては、微々たる変化についての備忘録。
まずこの近所。
微かに舗装されたらしき土色みせぬ歩道を進み、ぶらぶらと歩いていくと小学校がある。
と、そこに近づけば、給食で出たミートソースのような香りが漂って感じて摩訶不思議。傍らに飲食店があったから、そこからなのか?
けれどこの匂いは間違いなく給食ミートソースの臭いで、がらくたなフォン・ド・ヴォーを思わせる芳香。
昨今、本当に天気が不安定。
歩き始めは雲の狭間からひょっこり青空を覗かせていたにも関らず、急きょ雨が振り出し理不尽な雨脚具合に「このメンヘラ天気が!」と憤りそうになるのをぐっと堪えていればすぐに雨は止む。
長年放置したガンプラのような色合いの平屋は相変らず混在しており、思ったよりも景観に変化はなし。
それでも印象的だったのはスーパーのようなチェーンの薬局が軒並み増えていた事であり、それらは「ポテトチップスの横にジアスターゼを置いている店」と言って間違いではない。
@tadataru
田舎へ行くほどソーラーパネルの被害に遭っとるねん。山の斜面や池の上にパネルがズラーッと並べてあるねん。景観破壊なんてもんじゃない。これ全部補助金ビジネスやぞ。危険かつキモい。どうなっとんねん世の中。平成最後の大愚行やで。
@tadataru
お前らのせいで地方の自然や景観がどんどん醜く破壊されている。
@CDP2017
原発再稼働の方針を明記 エネルギー基本計画を閣議決定:「(政府は)原発を『重要なベースロード電源』として再稼働させる方針を明記。核燃料サイクルを維持し、原発輸出も進めるなど、原発を推進する従来の方針を踏襲した。
@tadataru
地元経済を疲弊させ職を奪い不便な生活を強要して「ヤッター景観が守られたー」「命が守られター」とか言い腐る都会人のエゴ。どうしょうもないクズだね。
@tadataru
だからデカいから捨てただけでしょ。デカくなきゃ取っとくに決まってるんだから。東京の事情ですよこれ。別に文化ガーとか言わねえから、お前らも地方の開発に対して「自然ガー景観ガー」言うなよ。
観光で行ったけど、アニメ押し気持ち悪いんだよ。何だよこのアニメ、ご当地キャラなの?聞いたこともないぞ!というレベルの一般人だったわけ。
常にイラストが視界に入ってくる。のぼりみたいのとか、ポスターとか、電車もラッピングされてた。
オタクもいっぱい来てるし。
一日めでウンザリしてくる。
ここまでして観光客増やしたいのか沼津?増えてもオタクばっかりだぞ?一般人来なくなるけどいいのか?
昨日、マンホールが塗りつぶされたってネットで見て、わかるわーって思ったね。生活圏に出て来ないで欲しいの。
自分のすんでる町がアニメと組んだらと思うと本当おそろしい。住みたくない。土地持ってたら資産価値下がったくらい思う。アニメと組む前に住民投票するべき。景観が変わるんだよ?
特定のカテゴリに実害を与える言動が差別とか大雑把なくくりでテキトーな事言うな
その定義じゃ障碍者が「城にエレベーターを付けろ」と言ったら景観や予算増という実害与えてるから障碍者が差別者になるだろ
実害を被る『行動』や『仕組み』の事
女性専用車両やレディース割引、女性のみ入店が許されていることから、他の実害を避けるために設けられた行動や仕組みは『例外的に』ここに含まれない
差別を引き起こす目的かどうかの判断が難しい事と、表現の自由の兼ね合いで、法律で禁止されている国も禁止されていない国もある
発言者や創作者の差別的感情が表に出しているまたは出てしまう事
表現の自由のため、他の実害が生じる根拠が無ければ法規制はあり得ない
ただし企業や著名人が行った場合は過激な批判・非難も仕方ないという世論となっている
法規制が難しいのでポリティカル・コレクトネスという概念で排除運動が起こっている
内心の自由によって当然認められている
ただし、それが差別的であることを自覚し、恥ずべきことだと感じることが社会的に求められている
表に出すと差別的表現・差別的言動となり、同調する者同士が集まれば差別扇動に発展する恐れがある
22歳卒業後は超大手ハウスメーカーに就職するも、流行りのアパートを設計する事業部に就職した。
毎日同じようなアパートを設計し、現場を確認するのに辟易とした。それでいて利鞘は良いもんだから余計に心が痛んだ。大学の時に教わった古民家活用、都市計画、景観など全く眼中になかったからだ。
近くに工場ができるからそこにアパートを建てるべき、また、人口減少社会においては単身世帯がたくさん増えるためワンルームアパートが必要という売り込み。
それでのどかな田園風景がどんどん気持ち悪い建物、統一感のない街並みが出来ていくことに嫌気がさした。俺にはどうしようもない、止めることができない俺はもっと嫌だった。嫌になった。
気がついたらもう実家に帰っていた。
本当はこんなことよりもっと国際的な仕事をしたかった。人口減少社会においても健全なまちづくりをしたかった。障がい者にも優しいまちづくりをしたかった。
そのときに僕が気がついたのは技術+金のガチョウがまだないこと。金のガチョウがいれば前の僕よりは大きな僕になれるのではないか?
僕の理念に沿った金のガチョウを探す旅が始まり、世界各地を廻ってきた。そして見つかった。大学時代の恩師が研究していたことがまさに金のガチョウたるものだと思った。
それをすぐに起業しようと思ったが実家は田舎、理解のできる人々がいない、金もない。だんだん家賃も払えなくなってきた。
じゃあどうする…仕方ないアルバイトしよう!新聞配達をしたが四日でやめた。あれほど本当にその人でなければならない理由がある仕事ではないと思ったのは初めてである。
じゃあどうする。派遣会社に登録しよう!でも、そこに最先端の技術を求めてる求人はない!じゃあ転職支援会社のDODA,そこにもなかった。というかそういう話わ聞いたのは初めてだと聞いた。新しいことにチャレンジする人はそこに行かないのだろう。
一体どこにあるんだろう…よく考えたら会社のホームページから申し込めば良いだけじゃないか…!!それだ!でようやく話を聞いてくれる人が見つかった。あぁ、そうか同じことを考えてる部署があるんだからそこの人と接点を持てばよかったのか…と思いつつ面接。通った。
それが外資系IT企業でスマホからIoTまで幅広くやってる会社なんだから人生は面白いなぁと思った。平均年収も商社並みだから余計に。
親に死んでしまいたいと言ってたあの時は本当に自分自身のことを理解できる人が周りにいなかったから、そう思ってたけれど、そんなときは新しい知り合いを作って自分の価値観、信念を理解できる人を探すのが本当に大切。それへ歴史の偉人から学んだことであり、今後困難に直面したときは迷わずその道の第一人者に相談することにした。
道の駅やまだに行きましたわ!高速バスがこんなマニアックなところに停まるなんて驚きでしたわ!
やまだでかきラーメンを頂きましたわ。元祖だとかなんとか言ってましたがラーメンに牡蠣が突っ込んであるだけな感じでしたので他の牡蠣の産地でもなんかありそうな感じでしたわ。
やまだは割りとどうでもよくて、本命の鯨と海の科学館に行きましたわ。こちらは3.11震災後しばらくお休みでしたが17年7月15日再開していましたわ。海全般や山田の海とかいろいろと展示がありましたが、やはり目玉はほたて河童!『山田湾のカキやホタテなどの海の恵みや美しい景観をいつまでも見守る心やさしいカッパということで、山田町商工会が作ったマスコットキャラクターです』エロ目でしたわ。
本当の目玉はマッコウクジラの骨格標本ですわ。骨格なので目玉はありませんでしたわ。
世界最大級らしいですわ。17.6メートルもあるらしいですわ。わたくしの10倍はありますわ。10倍ですわ10倍
そして展示出口外の売店コーナーにはなんと水槽がありましたわ。いや水槽があることは知っていましたわ。サ……サ……
本当はこの後にかきラーメンを食べて買い物をしていましたわ。
そして到着したのが鉄の歴史館ですわ。
確かこの館がある釜石でその昔に日本初の西洋式の製鉄所を作ってそのまま製鉄の街になったとかなんとかだった気がしましたわ。サ……サ……サバはいませんでしたわ。いる余地がありませんでしたわ!いる余地がありませんでしたわ!
東日本大震災のころから住み始めてるにわか鎌倉市民なんだけど、海側のほうは空き地が増えてるなと感じる。
高齢化が進んでるから、よく古い民家が取り壊されるじゃない。そうすると、そのあとになかなか新築が立たない。駐車場か空き地になっていることが多い。
思うに、津波の避難場所がないことが影響してるんじゃないかしら。歴史的景観を保護するために、高い建物は建てられないらしいんですよ。
だから海が近い上に、高さ15m以上の建物が1kmも離れたところにあったりする。
まあ避難所も少しずつできてるんだけど、まだ恩恵を受けられそうにない地域が広い。
どこが崖崩れするかわかんないような50mくらいの高さの山が、数百m離れたところにあるとか、そんなかんじ。
まあもともと住んで便利なところではないんだけど、今そこそこお金を持ってる人が新築を建てるとき、ここに住もうとは思わないだろうなと思う。
よく斜陽産業とかオワコンをモチーフにしたフィクションがヒットする法則があるけど、海街diaryとかビブリア古書堂もそれだったのかなと思う。
フェミ界隈ではよくみかけるこういう人ね。
なんかこういう民族浄化を促す発言が野放しになってるの怖いよね
ゾーニングは臭いものに蓋をしているだけで、過激なポルノが蔓延し性犯罪を助長するので、ロリコンポルノは言うまでもなく、萌えキャラ(エロ・非エロ問わず)やAVが根絶やしになるまで闘わなくてはならない。
萌えキャラは女性性的搾取シンボルそのもの。— 出目金 (@demedeme2525) 2018年3月25日
男向け性的コンテンツが存在する以上、男の性犯罪を助長してしまうので、根絶やしにするしかない。
性犯罪や性暴力、誤った性知識を持った男も大幅に減り、街の景観も美化され良いことづくめである。— 出目金 (@demedeme2525) 2018年3月25日
ミソジニーの塊でポルノしか脳に無い、容姿も内面も醜い日本🍣と、人権意識を持っていて容姿も内面も優れている欧米白人男性で、日本🍣の方が性犯罪率が低いわけねーだろ。
現実見ろ。— 出目金 (@demedeme2525) 2018年3月25日
「どうして人って自分が理解できないことに対して寛容になれないんだろうね」
会社をサボろうと思ったわけじゃなかった。今日だけは一人になりたいと思った。自分の割り振られている仕事はこっそりやっておくつもりだった。なんだけど、昼すぎには東京駅から広島行きの新幹線に乗っていた。大学生のときはこんな簡単に乗れなかったのに。少しだけ大人になった気がした。
なんで京都だったのだろう。多分、その意味は無意識の自分にはわかっていて、意識の自分にはわかっていない。思えばいつもそうだ。いつも無意識の自分は答えを出している。懐疑的な僕だけが、無意識に出した答えを理解できずに苦しんでいる。無意識の僕は僕よりも僕のことを理解している。なんでなんだろう。僕はいつも僕に負けている。
京都についたらとりあえず清水寺に行こうとだけ決めていた。京都駅から歩くと30分以上かかってしまうけど、歩いていきたかった。ただ歩きたい時もある。その時はそういう気分だったのだ。
タカは、「清水寺に日本人が全然いない」と驚いた様子の僕に向かってそう言った。京都についた時、一応連絡しておいたほうが良いだろうと思って連絡を入れたところ、
タカから「急にどうした?」と返信が来たので、「確かに急だったわ。なんか一人になりたくて」と言った。するとタカは何かを察したように
「19時から会おうよ。なんか食べたいものある?」と聞いてきた。僕が「お好み焼きかもんじゃ」と注文したら、「もんじゃは東京の食べ物やからw」と笑われてしまった。
もんじゃは東京の食べ物なのか。もんじゃとかお好み焼きとかはなんとなく関西発の食べ物なイメージがある。本場のお好み焼きはやっぱり広島なのかな。よくわからないけど、関西に来たら食べるべきものってその辺なんだろうなって思っていたのに。
タカは呆れた顔で「今更?」とだけ答えた。
「そんなことはわかっているんだけど、なんかほら、そういうことじゃなくてさ。向いていないことなんて百も承知だったよ。だけど自分はそれが自分の課題だと思っていたから。克服すべきものだと思ってた。昔から社会性のなさで怒られてばっかりだったし、大学入ってからもそれは変わらず指摘を受けるばかりだったから」
「りゅーちゃんにそれは無理だと思ってたよw」
僕もそう思っていた。だけどそれでもきっと何かを変えるためには、多種多様な方々と協働することが求められるのだと。そう考えた時、社会性のなさは致命的だと思った。
「・・・まぁ確かに、いまこうしてここにいる時点で克服できるとは言い難いね。笑 タカはどうなの?こうして今自分の事業やってるわけだけど。俺と似たような課題感じていたわけでしょ?」
「もちろん全くできないよね。絶対無理!ってわかってたから半年で辞めるつもりだったしね〜。
ただ私の場合は成功体験があったからさ。大学時代に。それでイケる実感があったよね。まあ、最低限のお金さえ回っていれば潰れることはないしね。」
僕は店員さんが焼いてくれたお好み焼きに青のりをかけてから、ヘラで4等分にした。
「絶対無理かあ。それ、いいね。俺も決め切れたら少しは楽だったのかもしれん。だけどやっぱ、難しいわ。」
「なにがあったの?」
お店を出てから、「これからどうするつもりなの?」と聞かれたので
「漫画喫茶に泊まるつもりだよ。あ、それか温泉の付いているホテルとか、今から入れないかな?」と言った。
「明日みんなで温泉いくよ。学生の子達連れて合宿すんのよ。宿泊費とか食事代とかはうちで持つから、メンターやってくれない?明日には帰るつもりなんだっけ、帰るの明後日になっちゃうけど。」
すごい魅力的だった。でも急に押しかけてそこまでしてもらうのは申し訳ないと思ったので、
「いやさすがにおれなんかがメンターとか、大丈夫か?これ・・・なんかみんなきまずくしちゃいそう。。」気を遣ってみたのだが、
「なにさっきからうるさいわ!こういうのは流れで行くもんだろ!そういう旅なんじゃないの?今回は!」と怒られてしまった。
こんだけ勢いのある感じなら、確かにスパパーンと会社を辞めて事業を興すくらい容易いんだろうなと僕は思った。今日はタカの家に居候させてもらうとして、合宿に参加させてもらうことにした。
「自分のやりたいことを実現するためだったら、政治的な動きだっていやだと思うことないって言ってる人がいてね。その人の気持ちがよくわかる。今京都の行政トップの人たちとお話する機会あるけど、そういう人たちの理解をいただくのとかって、自分の事業のためだったら苦じゃないよ」
いつから僕は人から好かれることが苦手だと思うようになったのだろう。いつのまにか、目上の人はみんな自分のことをいけ好かないやつだと思っていて、余計なことを口走るくらいなら、会話せず穏便に済ますほうがいいと思うようになった。みんなから気に入られて、それでコトがうまく進むのなら、どんなに生きやすいだろうか。
自分は人からどう見られているかに対して無頓着なままだった。ものすごくくだらないことだと思っていたし、気にしても仕方がないに決まっていると思っていた。みんなが意識せずに行っていることを全くしてこなかったからか、まわりからどう思われているのかを意識することがまるでできないらしい。それに今だって、心底どうでもいいと思っている。自分の価値を人に決めさせてしまって良いのだろうか。それは僕に対して最も無礼な態度に思う。
でも多分、こんな僕だけど目上の方々は僕が苦手だと思っているほどには僕のことを苦手としていないのだろう。きっと僕が歩み寄り方を知らないだけで。
奥嵐山から望む京都の景色はとても奥ゆかしくて、いつまでも眺めていられた。奥嵐山にはちょっとした小屋があって、ベランダみたいなところから景観を味わうことができる。ボケーっとした顔で座布団の敷かれたベンチに座っていると、住職のおっさんが僕の隣に座り、京都のことや奥嵐山のことについていろいろ教えてくれた。四条にある木造カフェでブレンドにウィスキーを入れて飲むとか、でもおっさんはウィスキーを水割りにしてそのまま飲むとか。ブラタモリで紹介されたとか、夏目漱石がここで昼寝して帰ったとか。14時になった時、僕の隣で法螺貝を吹いてくれた。宗派によって吹き方が違うらしいのだけど、どこがどう違うのかまではわかりそうになかった。
「比叡山に行きたいの?今が一番のチャンスだね。本場の比叡山を体験できますよ。」住職のおっさんは言った。
「本場ですか?本場というと・・・」
「修行僧が登った比叡山だよ。2月は寒いし、ロープウェイが動いていないからね。バスも出てるけど、歩いて登るんだ。修行になるよ。」
「それは過酷ですね・・・いまから行くと登り切れなさそう。」僕は残念に思った。
これは無意識の僕と意識の僕が対話をするための旅なのだから、もっと旅らしいことをしていいのかなって思った。さすがに歩いて登るわけにもいかないから、ひとまず夜行バスの予約をして、そこから京都駅でレンタカーを借りて比叡山を登ることにした。
「これからどうするつもりなの?」僕は言った。
比叡山の頂上から見える夕暮れの景色の美しさに言葉が出なかった。奈良まで続く京を一望できた。この景色がまさに権力の象徴しているように感じた。僕はこの平地に思いを馳せた当時の人々のことを思った。ある人は太平を願い、ある人は戦乱を望んだ。比叡山を焼き討ちするくらいの器量は僕にはないだろうな。僕は彼の方がバグっていることに少しだけホッとした。「それよりはいくらか、だいぶマシだよな。」
京の反対側の景色も好んだ。どこまでも山脈の続くような予感が僕の想像の世界を掻き立てた。さらにすぐそこに琵琶湖があって。つくづく京都はいいところだなって思った。この景色をいつでも見られるなんて。
これから東京に帰る。そう思った時、 タカの家のドアを開けた6階からの景色を見て、「うわ、すごいねこれ、タカにとっては見慣れた景色かもしれないけど、俺にとってはすごい貴重なものだよ」と言ったことを思い出した。
タカは「知ってるよ」と満足げに笑った。
タカの部屋には今だに世界史の教科書や政治経済の用語集が置いてあって、僕たちはそれを手にとって、
「うわあ、いまやったらすげえ理解できるのに。。東インド会社とかって、もう、そりゃそうするよね・・・」
「政治経済もやってたの?あれ、二次試験って、文系2科目? うわ、すごい、ケインズの説明。みてこれ。この一文にケインズ政策とその課題点書いちゃってるよ。」
と盛り上がっていた。
知らないものに対して関心を持つことは難しい。僕は勉強が苦手で、覚えなければならないことを覚えることができなかった。そんなことよりも日本史のwhyを解き明かして行くのが好きだったのだ。
「なぜこの絶望的な状況下で戦争に踏み切ったのか。教科書では陸軍の勢いって書いてあるけど、それだけで本当に説明つくのかな?」
いまだからわかることが受験時の記憶から解き明かされるのが面白い。アームストロング砲を答えとして書かせる大学があって、当時は「なんだこの重箱クソ問題」と思っていたが、その答えを書かせることで戊辰戦争の真意を解き明かすきっかけになっていることに後から気づくことがあるといったように。
「いや、そっちじゃなくて。辞めちゃいなよ。リクルート」
横綱日馬富士が引退 暴行問題で
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24022990Z21C17A1CC0000/
上の記事を読んだ。なんとまあビール瓶で殴られると痛いから責任を取るため引退するそうだ。
もちろん私は一定の格闘技に関しては異議を唱えるつもりはない。テレビでボクシングの試合を見た時はあまりの迫力に熱狂した経験もあるし。
しかし、今回の暴行による責任追及や、居酒屋含む飲食店全面暴行禁止の流れはあまりに常軌を逸していると感じる。
「人に殴られないようにする権利」ばかりを尊重しすぎて、「人を殴る権利」を脅かしていないかということだ。
「人に殴られないようにする権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「痛くて嫌だ」と主張すれば済む。さらに一般の人が受動殴打として害になるか検証されていない、体についた血液や体液に含まれる有害物質についても、免疫力の低い人の被害を引き合いに出せば、被害者を簡単に創出することが出来る。
しかしながら「人を殴る権利」の方は、「人を殴りたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非暴力者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである。
こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。
この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?
保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。
海岸での花火は近隣住民の迷惑になるので禁止。
路上駐輪は景観が損なわれるので即撤去。
風俗店は即摘発。
こういった流れが進行しているのも、活動的で主体となりやすい子供や若年層が減少し、一方で客体となりやすい高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。
どんどんと窮屈になる日本。他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。 >
「演奏中45分間」も大学構内に立入禁止 北陸先端大が全面禁バグパイプに踏み切った理由
https://www.excite.co.jp/News/smadan/Z1509591737132/
上の記事を読んだ。なんとまあバグパイプ演奏中は呼気から有害音波が検出されるから受動騒音防止のため立入禁止なのだそうだ。
もちろん私は一定の分バグパイプに関しては異議を唱えるつもりはない。ネカフェで喫バグパイプブースに泊まることになった時はあまりの音に辟易した経験もあるし。
しかし、今回のJaist全面禁バグパイプや、居酒屋含む飲食店全面禁バグパイプの流れはあまりに常軌を逸していると感じる。
「バグパイプの音を聞かないでいられる権利」ばかりを尊重しすぎて、「バグパイプを嗜む権利」を脅かしていないかということだ。
「バグパイプの音を聞かないでいられる権利」に正当性をもたせるのは簡単である。「うるさくて嫌だ」と主張すれば済む。さらに一般の人が受動騒音として害になるか検証されていない、服についた音の微粒子やら呼気に含まれる有害音波についても、騒音過敏症の人の被害を引き合いに出せば、被害者を簡単に創出することが出来る。
しかしながら「バグパイプを嗜む権利」の方は、「バグパイプを奏でたい!」といった子供じみた権利の主張以外に何が出来るというのだろうか。結局非喫バグパイプ者の支持をとにかく得にくい構造になっているのである。
こうして「被害を受けない権利」だけが尊重され、「する権利」は衰退していく。
この構造は、現在日本のあらゆる場所で表出していないだろうか?
保育園では子供の金切り声による騒音を避けるため、園児たちは二重サッシで仕切られた室内でこじんまりと遊ばされている。
こういった流れが進行しているのも、活動的で主体となりやすい子供や若年層が減少し、一方で客体となりやすい高齢者が増えたのと無関係ではないだろう。
どんどんと窮屈になる日本。他人の多少の迷惑を許容する代わりに、「する自由」に満ちた社会のほうがずっと心地よいと思うのだが。