はてなキーワード: ゲシュタルト心理学とは
YouTubeの詐欺サムネのようなタイトルになってしまったので先述しておくが、
決して読者にCBDを勧めるものではないし、むしろ警戒を促すものである。
了承の上、お読みいただきたい。
私は、おそらく多くの皆さんがそうであるように、一社会人としてストレスフルな人生を送っている。
ご存知ない方のために説明すると、CBDは大麻のうちヘンプという種類のものから得られるリラックス成分である。
マリファナから得られるTHCのような幻覚・陶酔作用を引き起こす成分とは異なるため、法的にも問題なく、最近色んなところで流行っている。
CBD入りのグミやらオイルやらキャンディやらは、ドンキにでも行けば買うことができる。
私は仕事で溜まったストレスを解消したり、リラックスするために、数年前からCBDの電子タバコに手を出すようになった。
元々喫煙者ではないが、CBDリキッドにはニコチン・タールが含まれず、体への害や中毒性が少ないということから、気軽に吸い始めた。
しかしながら正直な感想としては、「効果を特に感じられない」というものだった。
少し胃腸がよく動いている気はするものの、リラックスできている感覚も特になく、ただ少し美味しい蒸気を吸っている感覚。
これならVAPEでいい。
世の中に数多あるCBDの中には自分が満足できるものもあるのではないかと考え、色々なCBDリキッドを試していった。
安全と謳われているといえど大麻には違いない、という不安はなかった。
アメリカにいる友人は仲間とマリファナ・パーティをしているし、大麻所持で逮捕されたあのラッパーの脳は高速で韻を繰り出していた。
私は捕まりたくないのでやるつもりはないが、大麻は解禁しても良い派だった。
さて、数日前、Amazonで新しく仕入れたCBDリキッドを試すことにした。
だいぶチルできるとのレビューがあり、配送当日はずっとわくわくしていた。
家に届いたものを早速吸うと、なるほど強烈な何かがあるわけではないが、確かにリラックスできる気がする。
普段は、どんなにぼーっとしようとしても、悩みだったり自己嫌悪だったり失敗の記憶なんかが絶対に頭に上ってきてしまう。
酒で気持ちよくなれない体質の私にとって、これは革命的だった。
なるほど、余計なことは考えなくて済むが、頭が働かないわけではないからゲームは勝てる。これがCBD本来の力か。そう思っていた。
1,2時間ほど経てばぼーっとする感じも収まり、「デパスに似た感覚だな」と思った。
少しリラックスしながら仕事ができるだけで、特に問題があるとは思わなかった。
5口ほど吸っていたあたりで、血流に影響が出たのだろうか、鼻の詰まりを感じた。
通常、鼻が詰まるときは片方ずつ鼻弁が閉じて交互に空気が通らなくなると思う。このときは両方の鼻弁が閉じていた。
口呼吸を余儀なくされ、一抹の不安がよぎる。あれ、これ本当にCBDだけが入ったリキッドなんだろうか。
更に何口か吸っていると、ぼーっとしようとしていなくてもぼーっとしてしまうようになる。
人と会話していても、自分が理路整然と話せているという自信がなくなる。
あれ、今私何を言っていたっけ。正しい日本語を話せていたっけ。
このあたりで、もしかしたらTHCが入っている製品かもしれないと感じた。
Amazonで買ったからといって、全てが正しい認可を受けている保証はない。
大麻反対派ではないなりに、法に触れてしまうことや仕事に支障をきたしてしまうことが怖くなり、リキッド部分をゴミ箱に捨てた。
三日目。
リキッドはゴミ箱に捨てたはずなのに、なぜ三日目があるのかと思うかもしれない。
この日は、仕事で重要な面談があり、メンタルにダメージを負っていた。夜2時になっても全く寝付けず、ここで思い出す。
寝る前くらいは、あのリキッドを吸ってもいいかもしれないな。今なら仕事に支障をきたすということもないし。
やばいことをしているという自覚はありつつも、ゴミ箱からリキッドを救出し、口に咥える。
夜更かししていた友人と通話をつなぎ、スパスパとリキッドを吸い始める。
20口?30口?覚えていないが、今までにない量を吸ったと思う。
あれ、案の定そんなに違和感はないな。会話も普通にできるし、YouTube動画もちゃんと理解できる。
安心しつつ、主目的は寝ることだったので、友人と話しながら目を閉じる。
そこで気づく。目を開けて何かを見ている分にはシラフと変わらないが、目を閉じると不思議な感覚に襲われる。
人間、暗闇でじっと目を閉じていると、まぶらの裏に様々な色がぐるぐると回っているように感じることがあるだろう。
これは眼閃と呼ばれ、当然ながら正常なものだ。
しかしながら、リキッドをキメていた私は、そのランダムな眼閃が像として解釈され、次々に移り変わるカオスなアニメーションのようになるのを見た。
ゲシュタルト心理学によれば、我々はランダムなパターンから像を見出す傾向がある。
点が3つあれば顔のように見えてしまう「シミュラクラ現象」はその代表的なものの一つだろう。
心霊写真の多くもおそらくはその類だが、冷静に頭で判断することで、それが実際には像ではなくただの模様であることに気付けたりする。
一方でリキッドをキメていた私には、それがしっかりと意味を持ったなにかとしてはっきりと見えた。
例えばカモシカが群を成して踊っていると思えば、それらが一つに集まって大きなりんごとなる。りんごは次第に虚空へと吸い込まれていき、蓮コラのような見た目のドーナツが残る。
目を開ければ、自宅の天井やテーブルは何事もなくそこにある。この現象は目を閉じた時にだけ発生するのだ。
友人との会話は途切れ途切れながらも続けていたが、だんだんと自分が何を言っているのかわからなくなっていることに気付いた。
3秒前に自分が何を言ったかの記憶がないのだ。今、何の話をしていたのかが思い出せなくなるのだ。
また、シラフの人間でも言い間違いをすることはあるが、多くの場合それに気付いて言い直したりするだろう。
しかしながら3秒前の記憶を呼び起こせない状態では、言い間違いはそのままスルーされていってしまう。
吸引を終えてから30分ほど経ってから急激に変質化する意識に危機感を覚え、友人に「ろれつがまわられなくなっててきた」のようなことを言って通話を切った。
通話を切った後、強烈な喉の乾きと軽い吐き気を覚え、飲み物を取りに行った。
足元がおぼつかない状態で戻ってくる最中。体が激しく震えていることに気付いた。
ガタガタガタ。ガタガタガタ。ベッドに戻っても震えは止まらないばかりか、ひどくなっていく。
主観としては震度4の地震が来ているんじゃないかと感じるレベル。情事に興じているのかという勢いでベッドが揺れる。
もっとも、これは私の主観なので、もしかしたら全て幻覚のようなものだったのかもしれないが。
少し待っていたら震えは収まってきたので、記録に残そうとしてiPhoneのボイスメモを開き、「何だったんだ今の震えは」と言ってみた。
すると、また体がガタガタと激しく震え出す。言葉を話そうと腹に力を入れたのがトリガーなのか、はたまた自分の声を聴いたことが原因なのか。
普段より明らかに低音が響く聞き慣れない声を発し、数秒前の記憶が削除される状態の中でも、翌日の自分のためにボイスメモを記録した。
「分かったんだよ。ハッパが酒とかと比べてやばいってのは、何が違うかっていうと、脳の芯が痺れるんだよ。
数秒前自分が何をやっていたか、何を考えていたのかが全く思い出せなくなる。
(中略)
…何を言おうとしていたか忘れた。こういうことが起きる。
(中略)
結論としてはハッパは本当にやっちゃいけません。
記憶とか自分が考えていること、論理みたいなものが変な映像みたいなのが入ってきて全部かき消される。
確かに余計なことを考えなくていいということで心カラダ休まるんだけど、これは確かに依存性があるな」
……文字起こしをしていて思い出したのだが、キメている間は論理的なことを考えられなくなるのだ。
例えば、「東京から仙台に車で行くにはどういうルートがいいんだっけ」と考えようものなら、
日本地図がぐにゃりと歪み、骨付き肉のステーキに早変わりする。それは大勢のピエロによってむしり取られ、恐竜が押し寄せる。
イメージとしては「思考より先に、絵の連想ゲームが始まってしまう」という形だ。
このボイスメモを録りながら私は、震える体を抑えてリキッドを捨てた。今度は確実に、掘り出せないように。
目が覚めた後の私は、酩酊中の私の「起きたら全部忘れていて、リキッドへの恐怖感もなくなっているのではないか」という懸念とは裏腹に、ほとんどのことを覚えていた。
そしてこのカンナビスへの危機感を持って、今この文章を書いている。
きっとあのリキッドにはTHCが含まれていたのだろう。もしかしたら、混入とかではなくそっちが主眼で、何らかの抜け道によってAmazonに出品できていたのかもしれない。
CBD関連商品や電子タバコにはもう手を出すつもりはないし、大麻合法化の動きにも今後は賛同したくない。
思考が破壊されていく体験はまさしく恐怖だったし、あと一度でも吸えばきっと私は依存症になっていたと思う。
二日酔いのような感覚だが、この文章も理路整然と書けているものか正直自信がない。
大麻推進派の人間が、偶然(accidentally)THCを体験したことで大麻反対派になるというのは珍しいケースかもしれない。
お皿の切り取り方=丸の切り取り方ってどういう風に考えたらいいか、自分がたどり着いた答えをこっそり教えたいと思います。
突然ですが、ここでゲシュタルトさん(人名ではない)に登場してもらいます。
ゲシュタルトといえばゲシュタルト崩壊が有名ですが、写真というのはまさにこのゲシュタルトとの戦いといっても過言ではありません。
崩壊ばっかりが有名になってしまっていますが、このゲシュタルト心理学の基本は認知にあります。
例えばそこに☓が書かれているとして、人はこの☓を二本の線が交差していると考えるのが普通ですが、実はこの☓が2本の線なのかどうかは定義されていません。
vが上下に重なっているかもしれないし、くが左右、もしくは短い4本の線が集まっているだけかもしれません。
それを二本の線が重なっていると考えるのは、人間がそういう風にものごとを捉えやすい生き物だからという理由以外にないんです。
お皿の話に戻ります。
目の前に丸いお皿があれば、このお皿は丸いんだと人間は疑うことなく認知します。
例えば片側を切り取ってみたり、上と右の一部を切り取ってみたり。
上下左右全てを切り取ってしまうと流石に丸いお皿だとは認知できなくなってしまいます。
では、どこまで切り取れば、これが丸いお皿だと人間は認知ができるのでしょうか。
そうなんです。
お皿全体を写さなくても丸いと認知できることが、写真で丸を切り取るときに大事な考え方といえるのです。
言い換えれば、写真の外の部分を想像で補完できる余地を作ることが写真の面白みと言えるのかもしれません。
どこまで切り取るか、どんな切り取り方をするか、そんなところに撮り手の個性がでてくると言えます。
写真を撮るということはつまり時間も空間も切り取るということ。
せっかく切り取るのだから、ただ切り取るだけではなく、切り取る前の姿が自然と想像できるような、連続の一部だということがわかる写真が撮れると面白いのかもしれません。
景観論は何も日本文化をかなぐり捨ててヨーロッパの美意識に合わせろということじゃない。
美しさは人間なら誰でも感じる美しさ(ゲシュタルト心理学とか)+その文化に所属する人が感じる美しさ+個人が感じる美しさに分解できる。しかし、日本の景観は人間なら誰でも感じ美しさの部分で既に誤りを犯してる場合が多い。ここを修正しようぜって言ってんの。
日本国内でも景観のため看板を撤去した例はたくさんあるが、結論は総じて「何も影響ない」(売り上げとか集客とか)なんだなぁ。みんな思ってるほど看板見てないのは立証済みなんだよ。
>電車や車や電柱やらコンクリートやら こういうものに美を見出してこそ
景観の話をするとき、伝統的な日本の風景=古きよき昭和になるのはなんでなんだろうな……。縄文時代からの日本の歴史のなかではコンクリだらけの景観はごく最近だし、自然と調和した庭造りや情報を削って抽象化する独特の美意識が日本文化には多く見られると思うんだが。
景観論でも生活景という考え方がある。ただ多くの人が使う公共の場においては、景観も共有財産であるからこそ一定のルールが必要でルールに基づいて整備されるべきだ。
個人的には電柱地中化とかは公共の場を優先して住宅街とかは生活景の一部として残せばいいと思う。
景観論者は日本が嫌いだから日本の景観を否定してると感じるみたいだが、むしろ日本文化のポテンシャルを生かしてない、これまでの日本文化をガン無視してる現状を改善しようぜって言ってるんだがな。