はてなキーワード: 卑下とは
吐き出し
日本一になる!ってみんな頑張ってる。
しかし自分は頑張れない。だって、部活楽しいから入ったわけだし。日本一になるために入ったわけじゃない。
けど、部内では日本一を目指すために頑張れない奴はダメな奴だ、やめるべきだ、悪だみたいな考えが蔓延ってる。そんな考え方の中で生きていると、楽しいだけで部活をしている自分がダメな存在に思えてくる。辛くなってくる。劣等感が自分を襲って、自分の存在価値がなくなったような気がして。こんな自分がいても迷惑なだけじゃないかなんて卑下して。部活は楽しくても、どんどん苦しくなってくる。
冷静に見ると、ばかみたいだなあって思う。
だって、いくら自分たちが真剣に日本一を目指してる!って言ったってただの遊びだ。ただの素人のスポーツだ。野球やサッカーみたいなメジャースポーツでもないから仕事にもできない。お金はもらえないし、応援してくれてるのは保護者とOBとごく一部のスポーツ好きな人だけ。誰のためにやっているわけでもない。ただの遊びだ。
体育会系だからサークルとはちがう!一生懸命取り組んでるから遊びじゃないんだ!とかいう言い訳もある。しかし学生が本来何よりも頑張るべきは勉強であって部活ではないんだ。世間から見たら、親の金で義務教育でもなんでもない大学に行かせてもらって、バイトも他の学生よりせずにスポーツに打ち込んで、勉強もろくにしていない学生なんだ。控えめに言っても、良い学生ではないんだ。まあ就活ではうまくいくかもしれないが。体育会系好きな会社って多いから。
しかし、みんなただの遊びってことを忘れている。目標に向かって頑張れる人が偉いと思っている。だから、部活に対して時間を使いまくれって言うし、部活に対して真剣になれって言う。そんでみんな苦悩する。アホみたいだ
違うんだ。部活は楽しいだけでいいんだ。だって遊びなんだから。気を楽にして取り組めばいい。なのに何故そんなに自分を追い詰めるのだろうか。どうして頑張れない人を追い詰められるのだろうか。ただの遊びなのに。
追加
辞めたいわけでも嫌なわけでもないけど、自分で自分の首を絞めて、苦しんでる人多いなあと。自分も含めて。逆に、周りを締め上げて苦しむ人もいるなあと。ただの遊びなので気を楽にして部活に取り組めばいいんだよ。気を楽にして楽しんで一生懸命やればいいんだ。
自分でも意味が分からないくらい自己肯定感が高い。ネットでよく見る自己肯定感が低くて悩んでる人の気持ちに全然興味が持てない。大変だね、とは思うけど。
SHELLYのインタビュー記事を読んだら「日本の文化として自分のことを謙遜するのはよいと思うが、親が子のことまで卑下するのは子供の自尊感情を損なうのでやめた方が良いと思う」的なことを述べていた。有料記事だから途中までしか読んでないけど。
母は私が小さい頃から他人が私のことを褒めると「そうなんですよ〜」とか言って喜ぶだけで全く謙遜しなくて、寧ろ幼い私が「お母さん!ああいう時はそんな事ないです〜とか言うんだよ!恥ずかしいよ」とか言ってたらしい。母が笑い話として語っていたのでそうらしい。
幼い頃は母に常識がないと思っていたけれど、母が正しかったのかなと今更思う。
私も今は子供がいて、特に赤子時代は街で知らない人に可愛いとかなんとか話しかけられるんだけど、なんて返したら良いのか分からなくて困った。
ありがとう、と言うには自分が褒められてる訳でもないし。でも謙遜するのも自分が言われてる訳でもないし。そもそも世間話が苦手だから曖昧に笑って誤魔化していたような気がする。
世間的には子供が褒められると、子の他の欠点を持ち出して謙遜するのが一般的な気がするけど、それはやらないなぁ、今その話関係ないしな。「でも好き嫌いが多くて」とか「家では暴れん坊で大変で」とか。書いてみるとそのくらいは普通の世間話だな。でも子のことで困ってる事が今は特に無い。
たまに現在の無職生活を憂う増田を書くと「文章が読みやすいからライターにでもなれば?」と言われることがある。
自分ではまったく自覚はない。むしろ文章の筋がはっきりしないし、毎回文章の締めも苦労しているレベルだ。
それでも「そういう人がいるのなら」とブログをはじめてみたけれど、良いことを書くことが難しい。
自分は自虐が得意なので、他人と比べたり卑下することならいくらでもできる。
しかし、自分が良いと思う物や調べたことに関しては、その魅力がまったく文章にならない。
しかもこういう文体でしか書けないもんだから、硬さや寂しさ、諦念が混ざった文章で面白みがないと自分で読んでていて気づいてしまった。
どちらの文章も書ける人がライターになれるのであって、自分のような少しタイピングが早いだけのボンクラには到底遠いなと感じる今日このごろである。(まとめ方が下手 -100)
Googleトレンドでアメリカでのトレンドを見てみると、GAFAは2009年から2010年にかけての2年間もてはやされたワードらしい。しかしTwitterで見ると2010年のGAFAはGafa Gamyというラッパーさんに対する言及が多い。オーストラリア中央部の不毛地帯を卑下してそう呼ぶこともあるようだ。
GAFAをBig fourの意味で使っているのが確認できるのは2014年から。EU絡みで使われている感じもする。クオーツのこの記事 https://qz.com/303947/us-cultural-imperialism-has-a-new-name-gafa/ の前後から使われるようになってる感じ。
https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=US&q=GAFA
一方日本では2018年から急に使われ始めた歴史の浅い言葉のよう。
https://trends.google.co.jp/trends/explore?date=all&geo=JP&q=GAFA
ITmediaの記事によると2016年8月の日経新聞が国内最初だろうとのこと。翌9月、経産省の報告書にも記述が見られるという。2017年12月にNHKが特集を放送してから人口に膾炙するようになったという。NHKの影響はGoogleトレンドでも見て取れる。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1806/29/news112.html
英語版のWikipediaではGAFAのリファレンス先はアクセンチュアになってるな。アクセンチュアが言い始めたって可能性もあるのか?
自分は自己肯定感やコミュニケーション能力の低さが世間一般より相当低い。
どうしてここまで低くなってしまっていたのか、自分でもわからない。
おそらくはそれらの耐久値をあげる努力を怠ってきたからというのが大きく占める。
そのため、本文のように自分より優れた人間(また優れていそうな)を見ると、
なんならば全員が自分より優れていると思っている傾向もある。
そしてその嫉妬は純粋に自分のパフォーマンスを下げるだけでなく、
嫉妬となる対象・それに関連する第三者と離れてしまうことがままある。
相手のことはとても尊敬している。しかし、内心でネガティブな感情が溢れてしまう。
自然に接したいのに卑下してしまったり、やけに変に持ち上げてしまったりしまう。。
少しずつ直っている面もあるが、嫉妬に対する感情の扱いを避ける悪い癖はまだまだある。
嫉妬したならば、それを活用して努力するのが一般的な行動ではないものかと思う。
活用し始めて基本的に2手3手遅れているから、全てが手遅れな状態。
世の中が「ウサギと亀」の物語のようにはできていないので、差がひらけば、その差が縮まることはない。
これらがいつもいつもぐちゃぐちゃになって最終的に全てを放棄してしまう。
ここ最近の人生はそれの繰り返し、何かするたびに自分は大したことない人間だと自覚させながらやっているのに、
何かできるのではないかと努力し、周りを見て、がっかりし放棄する。
努力不足なのはその通りなのだが、その努力をするためのメンタルが追いつかないことがままある。
中森明夫 という方が「おたく」の命名者、ということが今の正史らしいけど。
当時というか少しあとか、たしか『七人のおたく』とかいう映画があったような・・・ウッチャンナンチャンと江口洋介が主役?の。あの中では武田真治の役が劇中では最も揶揄されてたか?例の宮崎事件のあと、ヤンジャンだったかにモロに犯人の犯行を題材にした読み切りが掲載されてた。その頃にカメラ店でバイトしてたんだが、よく来る顧客の一人に犯人と同姓の方がいて、事件後に端でみても分かるくらい憔悴した容貌で、卑下と自虐と開き直りからくる暴力性みたいな雰囲気を醸しだされるのが接客するたび怖かった。中古品の売買もやってた店舗なので、犯人が使ってたと報道された機種を売り払う人の騒ぎで店頭に該当機種がなかなか売れずに棚から溢れたことも懐かしい。それから90年代中頃には「オタッキー」という呼び方を(自分は違うとおもってる)一般人からされてたような。
https://togetter.com/li/1432754
https://note.mu/mogura2001/n/ne524c58ea432
http://www.burikko.net/people/otaku.html
しかしこの中森明夫という方は当時なんでこんなに文中で悪意をブツけてるんだろうな。ちなみにたびたびテレビでコメンテーターで出演してるのを見掛けたが某アイドルのダジャレじゃん名前、としか印象がなかった。ご尊顔も七三分け?にメタルフレームに細い眼の文系の大人しそうで強い特徴のない容貌だったし。
そうだこれは80年代中頃だけど、ネクラorネアカ(←こっちは完全に死語になった)論争?もあったな!たしか当時のタモリがネクラを揶揄して、そんで新聞にネクラ側からの反対意見でタイトルが『ネアカは信用できない』で、どっちかというとネクラ側の自覚があった当時中高生の自分でも「必死だな・・・」と。んで、その頃の論調だと、アニメ絶賛放送中だったキン肉マンの主人公(たぶん神谷明さん演じるあのウザい調子の)がネアカで、いやいやそれは浅田彰という方の「スキゾとパラノ」か。(そういやオレそのカメラ店で浅田氏のパスポート用の証明写真を撮ったことあったわw)
タイトルの通りである。この文章にタイトル以上の何がしかは存在しない。面白いオチも無い。所謂お気持ち文章という奴なので、余程暇か、同じ境遇で涙を飲んだことのある腐女子以外は読まないだろうなと思って書いている。ただただ私個人の慟哭が続くだけであり、意味はなさない。そういったことをご了承頂き読み進めて頂きたい。
それからタイトルで嫌な予感がした人は読まない方がいいと思う。NLで好きなカップリングがある人も避けた方がいい。これは別に読んではいけないというのではなく、単に無意味な時間を過ごさせる自信があるからだ。
私がハマっているジャンルは「食戟のソーマ」という週刊少年ジャンプで連載していた料理バトル漫画だ。
「ああ、あの、メシを食うと女の子の服が脱げるやつだろ?」
そう、それである。実際には男の子もおじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも建築物もみんな脱げるが、ともかくその漫画だ。
ジャンプ本誌での連載を終え、その後ジャンプGIGA(ジャンプの別冊雑誌)で短期連載していた後日談も最終回を迎えた。ここで言う「最終回」はそのジャンプGIGAでの最終回のことである。
ここからはその最終回を含めたファンブックのネタバレもあるので注意されたし。
最終回の配信日、夜中を前に私はスマホを前にうろうろしたりもんどりうったり神に祈ったりして配信を待った。具体的には友人たちに、「最終回を迎えた後の精神状態に異常を来たす可能性が非常に高い。ついてはLINEがめちゃくちゃ荒れるかもしれないが今回ばかりはご容赦願いたい」というLINEを送り、「用意周到過ぎでは?」「骨は拾うからな」などという優しいお言葉を頂戴して過ごした。
今まで推しジャンルが最も推している最中に最終回を迎えたことのなかった私は、最終回という現実に自分の身が耐えられるかわからなかったのである。特に最終回では「未来の話」をやるという予告が最初からあったため、主人公・幸平創真くん(推しカプの受)の結婚エンドや子どもができているエンドがあるのではないかとずっと怯えていた。最近のジャンプではNARUTO然りBLEACH然りそうした最終回が多かったので、もう物凄く怖かった。そういったエンディングが悪いとは言わないが、それまでナルトや一護を応援してきたのに突然知らない子どもに未来を託されても全然感情移入できなかったのである。
そして0時。心臓が異常な爆音を奏でる中、最終回が配信された。震える手でページをめくった。
正直な話、良かった、と思った。
最終回の概要を述べると、25歳になった主人公たちのその後が描かれ、今後もそれぞれのフィールドで料理の道を極めるぜ、みたいな終わり方をした。
主人公である幸平創真くんとヒロインの一人である薙切えりなさんの間に恋心のような特別な感情が芽生えているという表現はあったものの、その描き方が絶妙で、明確に付き合ったり結婚したりという宣言は無かった。各キャラの進路やビジュアル変更について色々物申したい事があったが、とにかく結婚エンドは免れたのである。
よかった。へとへとになったものの、私はひとまず布団に横になった。そしてよりにもよって感想を検索してしまった。これがいけなかったのだが、感想の中に見つけてしまったのである。
「葉山くんの指輪の相手はきっと汐見先輩だよね!」というような言葉を。
ハ?指輪…?
慌てて最終回を読み返すと、確かに、葉山アキラというキャラクターの左手薬指にはあったのだ。どう考えても結婚指輪にしか見えないものが。
その葉山くんこそが、アキ創という私の推しカプの攻めだったのだ。
荒れた。
翌日は一日潰れていた。元々の体調不良もあったのだが、完全に気がふれてしまっていてダメだった。
食戟のソーマを2巻くらいまでしか読んでいないオタクのために葉山アキラというキャラクターについて簡単に解説すると、超嗅覚というめちゃくちゃ高性能の嗅覚を持った主人公のライバル料理人で、プライド高めの銀髪褐色だが心を許した相手には世話焼きオカン気質になるイケメンである。
彼が幼少期、海外のスラム街で親もなく彷徨っていたところで、スパイスの取引で騙されそうになっていた汐見潤という女性を助ける形で出会う。彼女はスパイスの研究者であり、葉山の超嗅覚に着目した。日本に連れてこられた葉山は汐見のもとでスパイスの研究者・料理人としての道を歩むようになる。それもこれも潤のため。自分を救ってくれた彼女の恩に報いたいと努力し続ける。
…というようなキャラクターで、これまでも彼女とのフラグはガンガンに立っていた。葉山自身汐見先輩には自分がいないとダメだみたいな台詞を何度も言っていたし、秋の選抜という一年の料理大会で優勝した時の彼は汐見先輩を抱きしめていたし、彼女を人質にとられて闇堕ちしたりしている。(なお闇堕ちからは創真くんが彼を救っている)
自分で書いていて「そりゃくっつくよな…」的な要素しかない。声を担当されている某方がおまけVTRで「彼は多分女性として汐見先輩のこと大事に思ってると思いますよ」的なことをおっしゃっていたこともあり、いい加減な発言をされない声優さんだからきっと原作サイドからもそういう話があったんだろうとは思っていたが…。
それに理解る(わかる)。きっと葉山くんは遠月を卒業と同時に汐見先輩にプロポーズして、けれどまだ未成年だから20歳になってからという条件をもらって20歳にゴールインしたんだろう。もう手に取るようにわかる。私の推しカプ、アキ創なのに。なんでやねん。
だが問題は、最終回に汐見先輩が一ミリも出てこない上に、指輪の相手についても全く触れられていないことだった。ただ指輪のはまった薬指があるだけ。絶妙にぼかされている。それは我々への思いやりなのか、それとも葉山くんと汐見先輩の間に年齢差が10歳以上あるため明言を避けたのかは未だに不明だ。
LINE告知していた皆に案の定悲しみLINEを送ったところ、「ジャンプで生殖エンドじゃないのは評価に値する」「もしかしたら創真くんとのペアリングかもしれない」「モテるから他の女の子を散らすためのファッション指輪じゃない?」などご提案を頂いた。ありがたいことに別ジャンルなのに二次創作会話文まで送ってくれた友人もいた。ありがとうございます。もちろん創真くんが指輪をしていないか探しまくりました。首にチェーンがないかも目を凝らして見ました。無かった。それも伝えたら「そりゃお前、創真くんは指輪なんかに頓着しないから無くしたんだよ」って言ってくれてありがとう。推しは頓着しませんが私は頓着しまくっています。
なお職場の後輩男子に伝えたら「え…そりゃそこがくっつくと思うんですけど…」って戸惑いがちに言われた。わかってるよそんなの!課金してまでアニメソーマ見てくれてありがとうな!君が作って差し入れてくれた化けるふりかけご飯おいしかったよ!でもやめてよそういう正論で殴るの!…というお気持ちになった。
だが、事態はこれでは終わらなかった。
勝手に受けた時間差爆撃で頭がクラクラしている所で、最終回と同時に二つの重大発表があったのを思い出したのだ。一つはアニメ4期決定。そしてもう一つは、ファンブックの発売決定である。
アニメはもちろんのこと、ファンブックは食戟のソーマファンは多分みんな待ち望んでいたもので、私も純粋に嬉しかった。
しかしハッとした。
もしかしてファンブックであの指輪の話題に触れられてしまうんじゃないか?と。
そこからは更なる地獄の幕開けだった。ジャンプGIGAでの最終回からファンブック発売までは1ヶ月以上あり、その間「ファンブックであの指輪について何か言及されたら死ぬ」とずっと思っていた。もう葉山くんと汐見先輩がくっついたと決めつけて脳内妄想を浮気ものにしたくらいの荒れようだった。
ファンブックについては2019年10月27日現在は電子版配信があるが、発売当時は書籍のみだったので、当日に確実に読めるようにAmazonと楽天とhontoで予約して、近場の本屋も何軒か回って予約した。考えられないかもしれないが私が住んでいる地域ではジャンプ単行本の発売日が一日遅れる。本屋は無理だろうと思っていたが、それでも最後くらい売り上げに貢献したかったし、…今思えばそれよりも、駆けずり回っていると気が紛れたのかもしれない。
ファンブック発売日、仕事から帰ってきて最初から順番に読んでいった。
原作者の先生によるキャラ紹介のところに差し掛かる。葉山くんのページにも汐見先輩のページにも結婚の文字は無かった。
しかし先生へのインタビュー記事の中に、その記載はあった。その小さな「こぼれ話」という記事自体、「元々は創真とえりなを結婚させるエンドにするつもりだった」というものなのでジャブとしてはかなり強力だったのだが、最後にこう付け加えてあった。
空笑いというか、やっぱりなというか。全身の力が抜けた。
この文章の凄いところはそれでも「結婚」の二文字を頑なに出さないところで、あの指輪が何の意味で誰との間の物なのか情報としてはゼロということだ。ある意味二次創作者には優しい。
でも、身勝手な言い分だとわかっていても、他の誰も結婚していないのに、葉山くんだけどうしてと思ってしまった。
他のキャラをくっつけるとファンが暴徒と化すから?(特に創真くんがどのヒロインとくっつくかについては論争が凄かったようだ。)でも葉山くんと汐見先輩はほぼ公式みたいなものだから大丈夫だと思った?単純に公式の推しカプだった?
私がこんなにもショックを受けていても、周りはそうでもないみたいだった。そもそもソーマクラスタの友人がそんなにいないので全体がどうだったのかはわからないが、感想を検索した限りではおめでとうとかよかったねとか、当たり前に二人の関係を受け入れる文言ばかりだった。
元々その二人が好きな人たちが喜ぶのはわかるが他カプクラスタの人たちが祝福しているのも見て、「ああ、これを喜べないファンは私だけなんだ…」と膝をついた。だから二人をくっつけるエンドにしたのかな、だってこの世でこんなに醜く喚いてるの、私だけだもんね。そんな風なことを思って苦しかった。
別ジャンルに喩えて恐縮だが、あっちが刀剣乱舞ならこっちは歴史修正主義者なのである。歴史という概念としての正しさで言えば向こうが圧倒的上。こちらがどんなに原作を読み込んでも、些細なやりとりに萌えを見出しても勝てる筈がない。もちろん上下や勝ち負けなんていうものは二次創作界隈には無いし、意味もない。彼と彼女のカプを好きなファンの人たちと交流はほとんどないけれど、偶然出会った折には皆さんとても優しく接してくれる。カプは何なんですか、と問われるとちょっと困るけれども…そりゃ刀剣男士も隣に突然歴史修正主義者が現れたら驚くよね…ごめんね…という気持ちになる。
つらつら書いたが、ファンの中ですらひとりぼっちになってしまったみたいで、みんなと同じように楽しめなくて、自分だけ公式から置いていかれたみたいで、悲しかった。公式から認知されていないファンなのかなとか(むしろ認知されていたら困るのだが、この時は理性もなくなっていた)、自分勝手にぐるぐる考え込んでしまって鬱々とした。
心にぽっかり穴が空く、という表現があるが、この時の私は頭にがらんどうの穴が空いていた。考えるだけでつらくなるから妄想すら躊躇われて、大好きなカプなのにできるだけ考えないようにしようとしていた。
空いた穴を埋めたくて現実逃避したくて、久しぶりに他のアニメを見たり、他のゲームをしたりしてみた。でも何をしても推しカプ変換してしまう。パロったら楽しそうだなとか、中の人が同じだなとか、トロに推しカプの知識を授けよう…とか、そんなことばかりだった。
さっき突然刀剣乱舞の話を引き合いに出したが、とうらぶも好きだったので、そちらで妄想の息抜きをしようかなとも一瞬思ったが、まるで逃げ道に利用しているみたいでダメだった。とうらぶの私の推しに顔向けが出来ない。
何をしても楽しくなくて、しんどいなあと思った。指輪ネタも無理になってきた。今後どのジャンルでも指輪を贈るネタが無理とか笑える、と笑っていた。
誰かに、自分の思い描いた形になってほしいという理想を押し付けるなんて、なんて傲慢なんだろう。それは作者様に対しても、他のファンの人たちに対しても、作品の内容に対しても。
結局のところ、「自分がどうありたいか?」ということしか私の自由にできる事はない。それがわかってはいても認めるのがずっと辛かったんだなと思う。
それから、自分の妄想や推しカプをあんまり卑下するのも良くないな、と思った。マイナーカプでも、公式から半ば否定されても、私が好きになった二人だから、自分勝手に大事にしたいと思う。
私にできるのは妄想することだけだから、今後も自分が萌えている内は推しカプについて考えていくしかない。苦しい気持ちや後ろめたい気持ちを抱えては、時折下ろして一休みしながら。
…などとまともなことを書いてはみたものの、正直に言うと一日一回は推しカプがくっつかない世界に未練はないので明日地球が終わらないかな?とか思ったりする。何を生き甲斐にしたらいいのかよくわからない。そんな風にぼんやり生きている。
余談だがAppleMUSICに入ったので推しカプソングにできないか色々聞いていたらOfficial髭男dismの「Pretender」を聴いてしまった。コンフィデンスマンJPの曲ということくらいしか知らなかったのに歌詞で死にかけた。
……。
このお気持ち文章を書く前に読んでいた記事でも別のオタクの方がこの曲を推しとの別れの曲としてとらえており、だからApple MUSIC一位なのかな…などとぼんやり思った。
お気持ち文章は以上で終わりです。面白いオチも何もなくてすみません。
食戟のソーマ21〜23巻にアキ創の料理バトルが収録されています。攻めが受けを俺の天使にします。よかったらそれだけでも読んでください。よろしくお願いします。あと最終巻36巻に何回読んでもよくわからない葉山くんによる「俺の幸平創真語り」があります。
あと何故だかよくわからないのだが原作以外からは推されることが多くて、今回大阪であったコラボカフェでも上記の料理バトルで二人が出した料理が同じプレートにセット盛りされてきた。美味しかった。ありがとうございます。
最後に、友人から送られたLINEが強かったので載せておきます。同じように苦しむ腐女子に届きますように。
30後半にさしかかって、仕事をしているとふと周りに人がいない人間であることに築く。
昔からどうにも他人と価値観が合わなかったり、学業に取り残されて卑下したりして人との距離を離してしまう性格だった。
大学生になってからも、1年生のころは一緒にいる人もいたけど結局馴染めず、気づけばいつも一人だたった。
とある企業に育ててもらって、何とか仕事できるようになったけど、
転職したさきで、能力不足で干されて、部署が崩壊してぐちゃぐちゃになって生きてきた。
どこにいても、
気にかけてくれる優しい人が多かったから生きてこれたと染み染み思う。
でも、色々な思いが交錯して、自分から声をかける事ができなかった。
そんなこんなで、独立して今に至る。
もし明日から、家を出ても一人で生活はできるとは思うが裕福とは程遠い。
会話するのは家族だけ。
それもトラウマになっていたりする。
でも、この縁以外に話せる人がいない。
昔の職場の人や、一緒に仕事した人からは遊びにおいでよって言ってもらえるけど、
きっと、また煙たがられたり、否定されたりする。
そして居たたまれなくなって、昔みたいに路地裏に隠れるように人の気配を気にして歩くんだ。
書いてて、不器用すぎて泣けてきた。
いい歳して、こんな海の底にいる。
「理解できない箇所を一旦棚上げして、あとで時間があるときに一人で考えよう」としてない?
ちょっとでも理解できない箇所、曖昧な箇所があったときには、相手を遮る訓練をするといい
「ちょっと待ってください、メモ取らせてください」と言われて怒り狂う相手はいない
「いやホント俺アホですいません...」とか適当に卑下しとくと、相手によっては表現レベルを調整してくれるかもしれない
相手を遮るのが上手になってきたら、今度は分からないところを相手に聞く
その場合は、何一つ分からない場合でも、見当違いのことでいいから、相手に自分の理解と想像を自分の言葉で伝える
すると相手は、自分が理解出来ていない箇所がどこなのか考えるようになる
相手の解説でさらに分からない箇所が出てきたら、それも質問する
同じことを別の人に別の言葉で教えてもらうのも、理解の助けになる
俺と全く同じだ!!同じこと思ってるよ。お前一人っ子か?w
世の中の人たちの事、平等に素晴らしいと思ってないか!?俺もそう思ってるんだ。でも、世の中の大多数は「人を見下して生きてる」「マウント取り合ってる」らしいぞ。だから舐められないように武装・工夫しないと、一生ないがしろのままになる。おれは一人っ子で博愛主義だから、お前と同じ気持ちで過ごしてきたけど、嫁にその部分を徹底的に矯正されてからは少し気分が楽になった。解決法がある。奴らが、お前の何をみて見下してるのか書くぞ。
【1服装身だしなみ】奴らはお前の服・時計・カバンを見て、自分より貧乏そうだと思ったら見下してくる。
【2幸せアピール】SNSをしているなら、自分を卑下する発言をやめろ。奴らはお前が自分より不幸せそうと思ったら見下してくる。
【3虎の威を借れ】例えば「コンロの火力が強いから下げたほうが良い」と伝えたいなら「料理上手のお母さんが言ってたけど」と付け加えるべきだ。奴らはお前の意見は無視するかも知れないが、母親・上司などの意見なら耳を貸す。
【4返事は催促しろ】問い合わせも業務連絡も、とにかく上から行けるところは行った方が良いし催促は沢山するべき!「必ず●日までの返信願います」とかガンガン書け。お忙しい所恐縮ですが~みたいな事してたら、他のめんどくさい相手を優先されるに決まっている。お前以外みんな、先に返事を貰おうと工夫している。出し抜かれてるんだぞ。
とかそんな事を書いたけど、俺はこういう生き方に息が詰まりそう多少舐められたとしてもいいや!気ぃはって生きるのめんどくせーーーーーーって思って自殺したい。さよなら。
自分の特徴の一つに、大体何をしてもすぐに人よりうまくなるというものがある。
歌、絵、カメラ、スポーツ、乗り物、勉強、仕事、、、などなど、これといって始めればうまくいかないなんてことはない。
でも、最近ではそれが原因で人生が息苦しくなってるんじゃないかなって思うようになった。
自分より下手な人間には嫉妬され、自分より上手い人間には見下されていることに気がついたのだ。
大体コツを掴んでSNSで発表すればいいねが人より沢山集まる。
すると最初のうちは「○○さんすごーい。わたしもがんばてみてるけどそんなにうまくできなーい」とお世辞を言われるのだが、気がつくと「大して努力もしてない人間がちょっとうまくなった程度で調子に乗っている」とか陰口を叩かれるようになる。
誓ってもいいが人を卑下するようなことは言わないし、人前で(物陰でだって)自慢するなんてことはない。
ただ、自分の中ではうまく行っていることが楽しいので、次々に写真を撮っては世に出し続けている。
そうすれば自然と失敗もするし、失敗をすればどうしたらうまくいくかを考える。それが上達の必須条件だと自分では考えているからだ。
そうなると人に紹介されるとき、写真の上手な〇〇さんというような紹介のされ方をするようになる。
自分ではそれほど上手だとは思っていないので、「好きでやっている程度です」と割と本音に近い言葉を返す。
さて、困ったのはそれからで、そういう紹介をされるとどこからともなくとてつもなく上手な人が現れたりする。
わたしのことは上手な人間だと紹介されているので、まずはどんなものかと品定めから始まる。
当然そこでもはったりをかましたり上手い人の作品を知ったような口で語りだすこともない。
素直に誠実に、今自分が取り組んでいることや相手の作品から感じ取ったことなどを口にする。
するとやはり最初のうちは「すごいですね。趣味の範囲を超えていますね」とかお世辞を言われるのだが、これもまた気がつくと「確かに上手いけど、プロならあれくらいは当たり前だしずばぬけてセンスがいいわけではないね」などと自分がいないところで言われるようになる。
別にプロになりたいだなんて思ってもいないし、楽しいだけでやってるのだからセンスだとかなんとか言われる筋合いはない。
しかも腹立たしいことに、そうした陰口の類はいつも同じ趣味を楽しんでいてくれるわたしの親友がいる席に限って話題に挙がるのだ。
親友はどちらかというと何をしてもあんまり上達しないタイプだが、いつもわたしに色々な趣味の話しを持ってきては一緒にやろうと誘い出してくれる。
この親友がいなければ、自分ひとりではこれほどまでに色々な趣味を経験することもなかっただろう。
だからこそ、わたしがいないときに限って親友にそんなわたしの陰口をいう人間が許せないのだ。
今回写真を辞めたときも、親友は泣きながらわたしに電話をくれたことがきっかけだ。
なんとなく趣味でつながった人間同士で集まった、わたしが参加できなかった食事会のときの話だ。
わたしの陰口を聞いてしまったことがショックだったと、涙ながらに教えてくれたのだ。
これだけどこにいっても人からうらまれるのだから、何か自分では気づいていない大きな原因がわたし自身にあるのだろう。
もしかしたらしらずしらずのうちに人のことを傷つけるようなことを言っているのかもしれない。
だからといって、どうしてそんなことをわたしの親友に告げ口する必要があるのか。
わたしと親友の仲を裂きたいなら逆効果だとどうしてわからないのか。