自分の特徴の一つに、大体何をしてもすぐに人よりうまくなるというものがある。
歌、絵、カメラ、スポーツ、乗り物、勉強、仕事、、、などなど、これといって始めればうまくいかないなんてことはない。
でも、最近ではそれが原因で人生が息苦しくなってるんじゃないかなって思うようになった。
自分より下手な人間には嫉妬され、自分より上手い人間には見下されていることに気がついたのだ。
大体コツを掴んでSNSで発表すればいいねが人より沢山集まる。
すると最初のうちは「○○さんすごーい。わたしもがんばてみてるけどそんなにうまくできなーい」とお世辞を言われるのだが、気がつくと「大して努力もしてない人間がちょっとうまくなった程度で調子に乗っている」とか陰口を叩かれるようになる。
誓ってもいいが人を卑下するようなことは言わないし、人前で(物陰でだって)自慢するなんてことはない。
ただ、自分の中ではうまく行っていることが楽しいので、次々に写真を撮っては世に出し続けている。
そうすれば自然と失敗もするし、失敗をすればどうしたらうまくいくかを考える。それが上達の必須条件だと自分では考えているからだ。
そうなると人に紹介されるとき、写真の上手な〇〇さんというような紹介のされ方をするようになる。
自分ではそれほど上手だとは思っていないので、「好きでやっている程度です」と割と本音に近い言葉を返す。
さて、困ったのはそれからで、そういう紹介をされるとどこからともなくとてつもなく上手な人が現れたりする。
わたしのことは上手な人間だと紹介されているので、まずはどんなものかと品定めから始まる。
当然そこでもはったりをかましたり上手い人の作品を知ったような口で語りだすこともない。
素直に誠実に、今自分が取り組んでいることや相手の作品から感じ取ったことなどを口にする。
するとやはり最初のうちは「すごいですね。趣味の範囲を超えていますね」とかお世辞を言われるのだが、これもまた気がつくと「確かに上手いけど、プロならあれくらいは当たり前だしずばぬけてセンスがいいわけではないね」などと自分がいないところで言われるようになる。
別にプロになりたいだなんて思ってもいないし、楽しいだけでやってるのだからセンスだとかなんとか言われる筋合いはない。
しかも腹立たしいことに、そうした陰口の類はいつも同じ趣味を楽しんでいてくれるわたしの親友がいる席に限って話題に挙がるのだ。
親友はどちらかというと何をしてもあんまり上達しないタイプだが、いつもわたしに色々な趣味の話しを持ってきては一緒にやろうと誘い出してくれる。
この親友がいなければ、自分ひとりではこれほどまでに色々な趣味を経験することもなかっただろう。
だからこそ、わたしがいないときに限って親友にそんなわたしの陰口をいう人間が許せないのだ。
今回写真を辞めたときも、親友は泣きながらわたしに電話をくれたことがきっかけだ。
なんとなく趣味でつながった人間同士で集まった、わたしが参加できなかった食事会のときの話だ。
わたしの陰口を聞いてしまったことがショックだったと、涙ながらに教えてくれたのだ。
これだけどこにいっても人からうらまれるのだから、何か自分では気づいていない大きな原因がわたし自身にあるのだろう。
もしかしたらしらずしらずのうちに人のことを傷つけるようなことを言っているのかもしれない。
だからといって、どうしてそんなことをわたしの親友に告げ口する必要があるのか。
わたしと親友の仲を裂きたいなら逆効果だとどうしてわからないのか。
気のせいだよ〜