はてなキーワード: ストーリとは
全てにおいて、それなりにそれっぽく、それなりに粗が目立つ
そう考えれば、こういうシーン入れとけば感動するやろ? みたいなシーン等は
安易な手段に逃げたわけでも手抜きでもなかったのだとすっと理解が進んだ
アニメとは何なのかを1mmも理解してないが、アニメっぽいものは作れるAIによってそれっぽく生成されたシーンだったのだ
もちろん現状完全にAI任せというわけにはいかないだろうから、最低限の体裁を整える人の手による修正は加えられているだろうが
この事実についていつ発表するのか、あるいは公表せずに終わるのか
公表するとしてひょっとして作中でしれっと公表してしまう可能性もある
今後の展開に目が離せない
ソーシャルゲーム版アイドルマスターSideM(通称モバエム)のサービス縮小(実質更新停止)のお知らせが9月1日に発表された
悲しむ人、寂しがる人、もうひとつのSideMのアプリであるサイスタに怒りをぶつける人など様々な人がいたが、自分がモバエムに感じた感情は『怒り』だった。
ハッキリ言ってモバエムにおいて担当ユニットの扱いはいいとは絶対に言えなかった。
ゲーム性もあまりにも古くイベントガチャは有償しか存在しないというあまりにも時代に逆行したゲームだったモバエムにおいて、最大の長所は長年かけて積み上げてきたストーリーにあると思う。
実際ここ近年はアイドル個人にフィーチャーした話も増えていたし、ユニット間の関係の変化を丁寧に描いていたところも好きだった。
しかし自分の好きなユニットはその恩恵を受けることがあまりにも少なかった。
モバエムで1番ストーリが長いイベントは俗に言うマラソンイベと呼ばれるもので、主にドラマや映画などの演技の仕事の時に開催されることが多かった。
全25話で構成されているため全8話や全10話のイベントに比べても情報量も多かったし、ストーリーが面白いことも多かった。
しかし、自分の好きなユニットがマラソンイベをユニット単位でもらったのはアニバーサリーイベを除けば2019年2月上旬の節分イベントが最後だった上にもう1組側が掘り下げのターンだったと思う。
もちろん他の形式のイベントでも面白いストーリーだったなら良かった。
しかし肝心のストーリーもライブや撮影のアイディアを偶然思いつく→実践して成功するというワンパターンなストーリが明らかに多い時期があり、
正直サイスタよりモバエムの方がストーリーが面白いって言葉を聞く度に「面白いストーリーをもらえていればそうだろうね」と荒んだ気持ちになることも多かった。
それでも、掘り下げるための伏線自体は張られているように思えていたから他のユニットが演技の面白いイベントやアイドルの核心に触れるようなイベントに参加しているのを羨ましく思いながらも、いつか自分の好きなユニットも、コラボでもアニバでもないマラソンイベントが来るはずだと信じて待っていた。
他のユニットの演技イベントが投票企画でフルボイスになってる中投票できる候補の作品さえ作ってもらえなかったのに。
モバエム以外の媒体では正直かなり優遇されている側だと思っているし贅沢だと思われるかもしれない。
でもSideMの軸となるゲームで掘り下げがないということは他の媒体でもゲーム以上の掘り下げができないということではないのか?
長い年月を掛けてアイドルの掘り下げをするのは実在性を高めるのにいいとして掘り下げられなかったら意味が無いのではないか?
そんな中途半端な状態で突然更新を停止するなんて無責任にも程があることをしたのは他ならぬモバエムなのに、サイスタにもたくさんの問題があることをいいことに責任を押しつける人たちが納得できない。
だからといってモバエムを嫌いになるわけでもSideMが嫌いになるわけでもなくて、飲み込めなかった感情をただ吐き出したかっただけなのだ。
例えばホラー映画が楽しめない人が、ホラー映画を楽しめるようにするには?みたいな話なら、
単なる作り話と思って、特殊メイクや舞台演出的なところに笑いをもとめて観るとか、
何回刺されるシーンがあるか数えるとか、
パンチラがあるかどうか調べるみたいな、着眼点を変えるしか無いと思うんだよね。
ホラー映画を楽しむのではなく、
ホラー映画を楽しむ人は何を楽しんでいるのかを調べることに楽しみをみつけるとか、
ホラー映画で異様なまでに怖がってしまう自分自身を客観視することを楽しむみたいな、
そいう在る意味邪道な楽しみ方からでも始めてみれば、いつの間にか自然と楽しめるようになっている可能性もある。
よく好きなものは人それぞれというけど、オタクの評価になるとそういう考えが偽りのように思える
オタクの評価ってストーリの細かい指摘や設定面などのリアリティや大きな嘘の説得力など鋭い分析によって支えられてる
特にこの大きな嘘の説得力が重要で決してただのあら探しではないことが分かる
そんなオタクに自分の好きな作品が批判がされると、自分は好きだからという考えがとても惨めにみえてしまう
なので例えば細田守の最新作なんか結構好きだったけどはてなオタクや岡田斗司夫などの批判を吟味して好きじゃなくなることに成功した
だけど全部がそう上手くはいかなくオタクからの合理的な批判意見をたくさん見ても自分が評価したい好きだという感情を捨てられない作品がいくつかあって
それを好きなままでいることはオタク失格でありだからお前は駄目なんだと説教されてるような気分が抜けなくて少々ノイローゼ気味かもしれない
じゃあオタクやめればという話になるんだけどオタクの評価が堅実な評価ということは事実だからもうそれは現実からの逃避で精神的に未熟であること認めたようなものでそれは人間としてどうかという話しにもなる
たまにパチスロとかで打つぐらいで、ストーリとかは知らなかった(草薙素子とかタチコマとか笑い男知ってるぐらい)
たまたま、劇場版が無料で見れそうなので見て何にもわからんかった
電子書籍サイトでポイントも余ってたから漫画も買って読んでみた
ぜんぜんわからん
(中央公論平成26年9月号に戸部良一・帝京大学教授が「日本は何のために戦ったのか 戦争の理念と『政治戦』」と題して、大東亜戦争について書いておられます。とてもいいと思いました。
開国以来日本外交は英米という二つのアングロ・サクソン国との関係を基軸に、これら二国との関係を調整することを基本にして、外交政策をつくってきました。東アジアから欧米諸国を駆逐し、自分が東アジアの盟主になるというような政策をとったことは、一度もありません。日本の歴史や外交史を読めば、簡単なことです。
では、「あの大東亜・太平洋戦争は?」 となるかもしれません。「自衛の戦争」と無理してこじつければ、そう言えない部分もないこともないでしょうが、しかし、ろくな外交をしないでおいて、つまり戦争を避けるような外交をしないでおいて、追い込まれ、「ハイ、自衛のためです」の主張には、賛成しかねます。 かと言って、アメリカは完全に日本との外交交渉に誠実であったとはいえません。
極東軍事裁判の判決のようなアメリカの言い分が100%正しいわけではありません。連合国側が広めたこの理屈が世界に流布していて、こまります。かといって、日本が100%正しかったという主張にも、うなずけません。もし、軍部とくに陸軍があれほど政治に横槍をおさなかったなら、日本の外交はアメリカと戦争などをしていないでしょう。中国問題をかたずけていたでしょうし、ドイツとの同盟なども結んでいなかったでしょう。陸軍は自己のメンツのために日本を犠牲にしたのです。
故リチャード・ストーリという有名なイギリスの日本史家は、「日本外交は明治以後優秀であり、軍部が口出ししていなかったら、あんなことにはなっていない」と言っています。こうした国際的規模の大きな誤解のもとは、ナチ・ドイツと日本を同じものとして考えるからです。
日本は中国と戦争をする意思はなく、また昭和12年に偶発し拡大する中国との争いをやめ、中国から兵を引きあげたかったのです。ましてや、アメリカとの戦争などは、ぜひとも避けたかったのです。アメリカもドイツとは戦争がしたく、それゆえ当初は日本との戦争を避けたかったのです。
日本は大いなる野望ともち、まず中国との戦争からはじめていき、やがてその野望達成の必要上ナチ・ドイツと同盟を結び、ドイツは欧州を、日本は東アジア全部を支配するため戦争をした。日本については間違いの解釈をしています。アメリカは正義の保安官で、町の秩序をみだす日本という悪漢を二丁拳銃で打倒したという西部劇です。
専制全体主義国家は暴力と脅迫と大虚偽宣伝にみちあふれていました。日本は違います。)
日本の「鬼畜米英」は戦争が始まってから言い出された言葉で、最初に鬼畜米英の考えがあって、その考えにしたがって政策目標が作られ実行されたわけではありません。国民の間には英米への強い好意がありました。東アジアでは、日本がもっとも英米への好意が強かった国でしたし、今でもそうではないかとと思います。
昭和12年(1937年)7月7日盧溝橋での偶発的些細な事件では、日本も中国も拡大する意図はなく、そのまま停戦して終わりにしたかったのです。しかし、日中双方の停戦の意図にもかかわらず、拡大し、大げんかになり、ついにアメリカとの戦争になりました。
アメリカとの戦争になるまで、つまり昭和16年12月まで、4年と5か月もあります。アメリカと戦争したければ、もっと早く、対中戦争で体力を消耗するまでに始めています。なぜそんなに待つ必要があったでしょうか。また、もしそうならば、対米衝突を避けるために、日本が提議して日米交渉などする必要もありません。日本は中国全土を占領しようとか、東アジアから英米の勢力を駆逐するというような、大それた考えや予定などもっていませんでした。東南アジアの植民地を解放しようという崇高な考えで戦争をしたのではありません。対米関係が悪化し、アメリカから経済的に締めつけられ、南方の天然資源のほうに眼が向いていったのです。最終的に南方の天然資源確保のために英米仏蘭と戦い、これらの地域から英、仏、蘭を追い払いました。その結果、戦後これらの国々がふたたびその植民地に支配者として帰ろうとしましたが、東アジアの人々の激しい抵抗にあい、不可能になりました。
もし、こうしたことがなかったなら、アジアの国々の解放は、フィリピンは別かもしれませんが、ずっと遅れていたのは間違いありません。
ライシャワーも「ザ・ジャパニーズ」で書いていますが、日本は東アジアにあって他の国々と違う国なのです。理由は歴史的経験の違いです。東南アジアの国々と、歴史上たえず専制国家であった中国とそれを手本とした朝鮮・韓国と、封建制度を発達させた分権的な、しかしながら、統一された社会としての日本という経験の違いがあります。また西洋帝国主義の挑戦にいちはやくうまく応じて独立を維持した日本という違いがあります。また明治以後日本だけ豊かになり、敗戦後もいちはやく日本だけいちはやく復興しそのうえ豊かになった日本という違いがあります。また戦後一時的な占領をのぞくと、西洋諸国の植民地になったという経験ももちません。ヴェトナム、インドネシア、ビルマなど、植民地になった国々と人々がどんなにみじめな政治や生活を強いられたかという、経験をしたことがありません。
日米交渉において、アメリカから経済的に締めつけられと書きましたが、こう書くと、「じゃあ、悪いのはアメリカだ」という意味でもありません。そこには交渉過程における相互のやり取りというものがあります。アメリカとしては、そうでなかったら取りにくかっただろう強硬な手をうつことができたからです。
イギリス、フランス、オランダとしては、日本に負かされ、かつ植民地を失い、大変不愉快だったでしょう。
なお、日本は南方の天然資源確保・・・といいましたが、ナチは東欧とソ連に一方的に襲いかかりました。日本はそんなことしていません。万一アメリカからの資源買いつけに支障が出た場合にそなえて、事前にオランダと商業ベースでの購入をのぞみ、交渉をしています。この交渉はまとまりませんでした。
万が一のインドネシアへの進出のため、また英米の中国援助の道を封鎖するため、フランスとはヴェトナムへの進駐を考えて交渉します。この交渉には軍事的圧力をちらつかせ貫徹しますが、これにたいしアメリカは石油の輸出禁止と在米資産の凍結という厳しい手段でこたえます。このアメリカの予想外の反応に近衛はびっくり仰天。そこでルーズベルト大統領との直接会談を提案します。それは軍部が対米交渉の障害になっているから、軍部の頭越しに話し合い、交渉をまとめよう考えたからです。この直接首脳会談には、アメリカはハル国務長官などが強く反対し、この提案を拒否します。
さて日中戦争ですが、これが中国で拡大し、英米との雲行きがあやしくなり、対決を避けようとして、対米交渉を提議し、日米交渉がワシントンで開始します。その交渉がまとまらなかったのは、日本にも大きな責任があります。しかし、「それは日本だけの責任だ。アメリカは悪くない」と一般に考えれていますが、これは大間違いです。ハル国務長官の態度にもみられるように、アメリカにも大きな責任があります。ハル国務長官には、アメリカの学者にも同じ意見がありますが、「だいたい戦争を避けるため、日本との交渉をまとめるつもりがあるのですか」と言ってもいいぐらいのところがありました。
日本は昭和にはいると、右翼的国粋主義の風潮も強くはなりますが、ドイツとは違い、多くの組織が併存しており、どの一つの組織も他の組織を圧倒するとか、ましてや他の組織を滅ぼしていくということはありませんでした。そのときそのときの事情や都合で、ある組織あるいは政治勢力の意見が強まったり弱まったりしていました。日本の場合は、偶発戦が拡大していくにつれ、その戦争遂行上戦時体制ができ、陸軍の要望が聞き入れられていき、陸軍が威張ったのです。決して陸軍は他の組織を吸収したわけではありません。一部の軍事費をのぞくと、法案も予算案もすべて国会を通過しなくてはなりませんでした。そういう意味で国会は機能していたのです。意外だと思われるかもしれませんが、軍部は議会や世論を気にしていたのです。
陸軍に反対したからといって、消されるとか、強制収容所おくりになるということはありませんでした。強制収容所もないし、ゲシュタポなどの恐ろしい暴力警察もありませんでした。日常生活については、もっと具体的なものを当時の新聞とか記録とか小説などで、実際の日本人の日常の暮らしを知る必要があると思います。(たとえば田辺聖子の小説や思い出。向田邦子の小説。芹沢光治良の「人間の運命」も面白い本です。)
日米交渉の難点の一つは、中国からの撤兵問題でした。陸軍も東条も中国から撤退はするが、それには二、三年は必要だと言い張ったのです。ナチと違って、中国全土を占領するとか、中国国民を奴隷化するというような主張は、100%ありません。アメリカは二、三年の期間は不満で、二、三か月の以内の撤兵を主張しました。ここに陸軍の横暴があるのです。すぐ撤退しては、陸軍の印象が悪いのです。負けたようで格好よくないというわけです。
大東亜共栄圏思想ですが、日本が中国全土を占領するとか、中国人を奴隷化するというような考えではなく、日中戦争が拡大したから、その説明の一つとして喧伝されたのであり、日中国民の平和友好といったムードがその本質であり、具体性のないものでした。当時もやはり、日本人は根底に日本人の中国にたいする「シナ(中国)コンプレックス」をもっていたのです。
東条は陸軍の「行進」の先頭で旗をもっていましたが、「俺についてこい」と陸軍を引っ張っていたのでなく、陸軍というおみこし担ぎ運動で、その集団行動行進で、たまたま旗手をつとめていたにすぎません。もちろん、それで得意になっていたわけですが。といって、東条に責任がないわけではありません。
日本の場合、いくら東条などでもある一定以上の文化・教養があったわけです。それを、ナチも日本も一緒にしてもらっては困ります。
この教養の差は、例えば敗戦の受けいれかたにも、大きな違いとなって表われます。日本の場合は、これ以上の負担を国民に強いるのはいけないという、コンセンサスがありました。ポツダム宣言の受託については、その内容の具体的な確認とか、「これでは国体が守れないではないか」といった意見の違いで、受諾がおくれただけであり、基本線は敗北やむなしでした。
東条でさえ対米交渉の妥結を希望をしていました。彼は10月中旬近衛に代わって総理大臣になりますが、東郷という、軍部の考えに抵抗した、超ハト派の、言葉をかえれば「強硬なハト派」の人間を外務大臣にして、交渉を継続します。(東郷は昭和20年4月成立の鈴木内閣という敗戦・終戦のための内閣で、外務大臣として、敗戦・終戦のために尽力します。彼は東京裁判では有罪。禁固二十年の判決。)
東条は反英米主義者でもありませんでした。中国との戦争で泥沼にはいってしまい、戦線を縮小する勇気、そこから撤退する勇気、をもたなかったのです。これがため、大事になってしまいました。昭和7年から大平洋戦争勃発までの駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーという人は、知日家、親日家でしたが、日記で「日本人は何か困難があると、(それを解決しようとしないで)回れ右をしてしまう」と書いています。
日本は「勝った、勝った。悪いシナを懲らしめた」という形にもっていけなかったわけです。戦線を大幅に縮小する勇気が必要でした。
中国も内部に大問題をかかえており、また、日本を一方的に大陸から追い出すほどの力をもっていませんでしたし、また、英米もそこまで中国を援助する必要は感じていなかったのです。中国が協定を守らないので困っているという点では、英米も日本と同舟でした。
陸軍は英米と大平洋方面で戦うための軍隊ではなく、大陸での権益を守るため、(ということは、間違いなく、日本の帝国主義的政策と関係しますが)、の軍隊であり、その対象は一貫してソ連でした。
また、よく誤解されることは、「日本は日清戦争とか、日露戦争とか、あるいは満州事変のあとから、大規模な軍隊を中国大陸に駐屯させていただろう」ということです。これもよくある誤解で、昭和12年の日本と中国の偶発的事件が拡大するまでは、中国大陸に少しの軍隊を駐留させていただけです。
ここには配給してここには配給しないみたいなふうになってる場合があるとは思えない。
出版社が電子書籍サービスに配給するとき、だいたいシーモアrentaめちゃコミックあたりはどの出版社でも必ず押さえてるでしょ。
電子書籍サービスオリジナルの漫画を除けば、大手ならどこも品揃え同じなんじゃないの。
逆にシーモアでは配信しないがめちゃコミックでは配信するみたいな戦略をとるようないきさつが浮かばないわけだね。
弱小出版社なら、大手の電子書籍サービスでも一通り押さえてるとは限らなくて、その知識不足ゆえにこっちでは配信してこっちとは契約してないみたいなストーリは考えることはできるけど、そんなこと実際は皆無だろ(あんなCM打ちまくってるシーモアめちゃコミックrenta業界人じゃなくてもほぼ誰もが知ってるのに出版の人間がその担当部署全員が知らないなんてありえるかねといったら…)
業界最大級とかよくCMで言うけど大手同士の戦いを前提にしてるならプッシュすべきはそこじゃない気がするわ。品揃えでは差別化できん。
Apex、カジュアルを楽しむ、なんだかんだ言っても、このモードが一番楽しい
FF14、あと少しで紅蓮編が終る、あまり評判がよくないけど、かなり好きなシナリオだった。
帝国支配される二つの国に焦点を当て、英雄と民衆が帝国を追っ払う熱いストーリ
蒼天編もよかたけど、好みとしたら完全に紅蓮編に軍配が上がる
FF11 、セール期間中なので試しにフリートライアル版をインストールしてみた
なかなか起動しないので3度ほどインストールしなおした、さすがに古いゲームだ
公式サイトで配ってる最新インストーラー使えば簡単に設定できる、フリートライアル版はなぜか旧式インストーラーなので設定が面倒になる
ゲーム自体は今となっては極悪操作性な昔よくあった3Dアクションゲームだった、ゲーム楽しむどころじゃない操作性だ
昼食
夜
まあよくもなにも「知らない」って言ってるんだから知らないのはまちがいないんですけど、温泉むすめって横のつながりだと思うんですよ。
温泉地同士が結びつき合って温泉むすめを一人知ればそこから他の温泉むすめを知っていく。
地元にはこんな温泉があるんだ、という事を知る。こんなところに温泉地あるんだ、とか温泉むすめをきっかけに他の温泉地にも興味を持つ。
そうやって温泉地全体が盛り上がっていこう、知られていこう、集客していこうっていうコンテンツだと思うんですよ。
「パネルを置くのは温泉宿の雰囲気を壊さない様に慎重を要する」
「温泉に限定せず湯沢のお客さんは、①スキー・スノボーの若者②同ファミリー③同外国人④フジロック⑤昔からの温泉客に大別される。公共キャンペーンをするなら、どの層にどうヒットしてどう誘客しようと思っているのかその現実的目算をきちんと定めてからでないとできない。」
「何となく『萌え絵のキャラを作ればオタクや外国人が来る』は、正直安直だし、現実的にそのような事が起こる可能性が高いとも思えず、到底公費は入れられない。」
「それぞれの温泉地に、それぞれその地にあった色々な方法があります」
「知事時代、特に湯沢を目玉として観光開発を進めようと試み、かつその後も何度も湯沢の温泉に行っている私がこのキャラを知りません。知人の温泉ホテルの主人連から言われたこともありません。」
「何のストーリもない寄せ集めの「温泉娘」を比較するのはガルパンに失礼」
挙げていくときりがないんだけど、横のつながり的な発想が全くない事はわかる。
なんなら湯沢しかみてない。湯沢だけ考えてる。そして湯沢にはいらないといっている。
そりゃまあ東京から新幹線で一本だしスキー場もあるしそうじゃない他の温泉地なんか知るかって気持ちになってんのかもしれない。
それだけならまだわからんでもないがそこから「だから温泉むすめはいらない」となっている。
これって単純に温泉むすめをちゃんと理解してないか、温泉地に一方的に何かを寄与する装置と考えてるからなんじゃないだろうか。
他の温泉地はそれをフックにじゃあそこからどうやって集客していこうか、あるいは集客の一手段として温泉むすめを見ているのに。
子供のころから父親と会話することが苦痛だった。母親とか姉とか会話するときは楽しく会話していても、父親があの独特の雰囲気で会話に割り込んでくると途端に空気が変わって、楽しい時間が一気に気まずい嫌な空気に変わるのがすごく嫌だった。
父親は北海道の大学で獣医師資格を得てきた一般的にはインテリに分類される人間だったろう。ただ、コミュニケーションに最初から難があるとみなされたかどうかわからないが、親から突然牛飼いになれと借金を負わされて嫌な仕事をやることになったと、「母親を経由して」散々聞かされて育った。ここで母親を経由してというように、まともに父親と会話したことが殆どない。中学校2年生ぐらいのときに、宇宙に興味が出て、父親に聞いたところ、思いの外詳しかったので、2〜3日詳しく聞いたことがあったという、その例外を除けば、「うん」とか「はい」とかそういう形式的な生返事をしただけで、どういうことを考えていたとか、何が好きとか、趣味はなにかとか、およそ父親に関する情報を会話から得たことはない。
いつも母親経由であれはなんたら、これはどうこう、とか言う情報を得ていた状態で、まともに話したことはなかったというか、話す話題もなかった。父親はしきりに俺と話を一時期したがっていた。でも、最初に戻るが、父親が会話の輪に入ってくる会話というのは苦痛そのもので、
相手が嫌がることをすることで興味を得てほしいというような幼稚な会話スキルが透けてみえて、本当に嫌だった。
当時はここまで分析できなかったが、自分は父親と同じようなコミュニケーションが苦痛になるような人間にはなるまいと心に誓っていた。
そんな父親も今年の4月半ばに72歳で亡くなった。借金ばかりで残してくれたものもほとんど無く、残務処理を11月にまだやっているような状況だ。
亡くなる前、自分精神の病気で入院していた、自分の人生に悩みを抱えていた。こんなときドラマだったら、今まで疎遠だった父親に話しかけると思いの外感銘を受ける言葉をかけてくれて、展望が開けた、というような安っぽいストーリーを思い浮かべて、メールとか対面とかで初めて対話を試みてみた。だけど結局「おらわからん」という田舎もん丸出しの投げやりな返事だけだった。書きそびれたが「おらわからん」「おらはしらん」は父親の口癖で、しきりに話ししたがるときはあるくせに、肝心の話の中でなにか要件というかタスクが発生するとすごく嫌がるので「おらわからん」「おらしらん」といってタスクを回避したがるのが常だった。だから誰からも信頼されない、誰も話しかけないというのがループになっていたように思う。結果話もしないから、会話スキルも、そもそも口の筋肉も衰えて、さらに会話ができないという悪循環に陥っていたんだろうと思う。
ここで、父親は父親、自分は自分というふうに切り分けできれば嫌な父親だったねということで終わらせられたんだろう。問題は、自分も父親に似てきたというところだ。
もともとネズミの脳で、他人との会話の中で出てきたワードを覚えられないというのは大学生ごろから気にしてきたのだが、社会人として仕事をする中でも仕事をうまく覚えられないというような形で(でも社会人1年目はそんなこと考えなかったと思う)顕在化してきた。仕事がうまく行かない+うつ病という組合せで一時期休職したりして出世コースからは乖離していくなか、同期からは早々に連絡を取り合う関係ではなくなり、大学の友だちとはだんだん疎遠になり、仕事上の同僚とは大して話すことがない(他の人は毎日話しをしていたから特別静かな職場というわけではないので自分が話題を振らなかったせいではある)という状態が慢性的になった結果。
という状況が日常的になった。いま人と会話することが非常に怖い。頭の中でストーリーが全然組めなくなった。他人から言われた話も半分くらいしか理解できないようになってしまった。仕事上かかってくる電話はなるべく取るようにしているが、電話でも口が回らず、要件を伝えるのがやっとかっとで、細かいニュアンスとか、気づいたこととか伝えきれなくて、結構な確率で電話のあとうまく伝えられなかったなあ、という感想になることが多くなった。
つまり、
という状況に陥っている。会話する機会が無くて会話に関する脳の機能が低下しているということだと思っている。今思えば父親も同じ状況だったのだと思う。
まず他人から言われたことを半分くらいしか記憶できないネズミの脳というのは精神をやんだ病院で「リーディングスパンテスト」というのを受けて定量化できることは知った。でもそれを改善する方法というのはネットで探したけれど見つからなかった。
ストーリー仕立てで話すことができないというのは、昔はできていたと思う。なぜできなくなったのかわからない。どういうトレーニングをすれば改善できるだろうか。
言いたいことを表現するボキャブラリーが出てこないというのは1番めに関連しているような気はする。記憶力を高めればなんか改善できそうな気はする。
父親は同じような悩みを抱えて、性格的に諦めてしまったのだと思う。他人と話す機会も多くなかったし、話すことを拒否する内にどんどん会話に関する筋肉が衰えていってしまってー>会話が困難ー>より会話に関する筋力が低下、という悪循環になってしまったのだと思う。自分は同じ轍を踏むわけにはいかない。なんとしてでも、この状況は改善できるものだと考えて脱出したい。