よく好きなものは人それぞれというけど、オタクの評価になるとそういう考えが偽りのように思える
オタクの評価ってストーリの細かい指摘や設定面などのリアリティや大きな嘘の説得力など鋭い分析によって支えられてる
特にこの大きな嘘の説得力が重要で決してただのあら探しではないことが分かる
そんなオタクに自分の好きな作品が批判がされると、自分は好きだからという考えがとても惨めにみえてしまう
なので例えば細田守の最新作なんか結構好きだったけどはてなオタクや岡田斗司夫などの批判を吟味して好きじゃなくなることに成功した
だけど全部がそう上手くはいかなくオタクからの合理的な批判意見をたくさん見ても自分が評価したい好きだという感情を捨てられない作品がいくつかあって
それを好きなままでいることはオタク失格でありだからお前は駄目なんだと説教されてるような気分が抜けなくて少々ノイローゼ気味かもしれない
じゃあオタクやめればという話になるんだけどオタクの評価が堅実な評価ということは事実だからもうそれは現実からの逃避で精神的に未熟であること認めたようなものでそれは人間としてどうかという話しにもなる
他人の評価はいっさい気にしない。 自分の感性のみを信じる。 そもそも自分のすきなものに囲まれて暮らしたいだけなのに、他人がどう評価してるか?なんて考えるだけ時間の無駄。 ...
岡田斗司夫とかいう時代遅れの老害より俺の評価のほうが正しいに決まってるだろ
自分が何故当該作品を好きなのかを分析・明文化する。 全肯定せず、真っ当な批判意見自体は受け入れて、「それでも好きだと言える理由」を探すわけだ。 そうすれば、「〇〇故に腐さ...
「場面場面の演出と作画は」みたいなのは表面的でしかないからそれはとても微妙なんだよね 一般人ならそれでもいいけどオタクとなると内面やストーリーがとても重要になる 細田守作...
逆だ。 社会情勢で変わるような「中身」なんぞより、 作画や演出と言ったプリミティブな部分にこそ普遍的な神性が宿るんだよ。