はてなキーワード: アニマルとは
なぜ、アジア系の人々に対するヘイトクライムが増加しているのか?
ヘイトクライムが増加しているシアトルがあるワシントン州キング郡の副検事は、その理由について、「アジア系アメリカ人が新型コロナウイルス拡大の原因だと考えているアメリカ人が多いからだ」と話している。
そんな偏見を抱くアメリカ人がいるのは、トランプ氏が新型コロナウイルスを「中国ウイルス 」と呼び続けたことが一因であると指摘されている。先日の退任後初演説の際も「中国ウイルス 」と憚らずに呼んで中国を批判した。
トランプ氏のこの呼び方が影響を与えたのだろう、前述のAAPIの調べでは、ヘイトクライムの被害を受けたアジア系の人々の40%が中国系アメリカ人だった。しかし、レイシストは同じアジア系であってもどこの国の人かまでは的確に判断できないことから、中国人と間違われた中国人ではないアジア系の人々も多数被害に合っている。実際、韓国系アメリカ人の被害者は全体の15%を占めている。
ロサンゼルスのコリアタウンでも、韓国系アメリカ人の空軍の退役軍人が2人の男から「中国ウイルス 」という差別的な言葉を放たれ、殴られるというヘイトクライムが起きた。
確かに、外見だけでアジア系の人々を何人か判断するのは難しい。先日、サクラメントの高校教師が、オンライン授業中に「目尻が上がれば中国人、下がれば日本人」とアジア人を差別するジェスチャーを行ってバッシングされたが、そんなひどいステレオタイプ化がされたのも、何人か判断する難しさからだろう。
ちなみに、アジア系に対するヘイトクライムの70.9%以上が言葉によるハラスメントで、8.7%が肉体的暴力だが、高齢者はどんなヘイトクライムの被害を受けているのか? AAPIに報告されたケースをいくつか紹介してみる。
「薬局に入店するのを待っていたら、建設作業員たちがわざと咳をし、つばを吐きかけ、斜めな目つきをして私をからかいました。誰も彼らに出て行けと言いませんでした」(カリフォルニア州オークランド在住の68歳)
「ハードウエアショップにいたら、突然後ろから突かれました。その時の防犯カメラには、白人男性が私の背中上部に肘鉄を食らわせ、『黙れ、猿め。ばかやろう、中国人男、中国に帰れ。ここに中国ウイルスを持ってくるな』と罵っていました」(カリフォルニア州サンフランシスコ在住の67歳)
「妻と散歩をしていた時、2匹の犬が襲いかかってきたのです。その犬の女性オーナーがやってきてこう言いました。『犬があなたたちを怖がっているのは、あなたたちが犬を食べるからよ。自分の国に戻ってよ』。 それを聞いてショックを受けました。私は彼女にアメリカ生まれだと言いましたが、彼女はお構いなしで、犬をけしかけたことを謝りもしませんでした。僕は、車のライセンスプレートを撮影し、警察とアニマルコントロールの機関に通報、彼らは調査中です」(ワシントン州サマーミ在住の67歳)
「夫と食料品の買い出しから歩いて帰宅する途中、横を通り過ぎる車の中から、3、4人の人々が、『ウイルス 、地獄へ落ちろ』と叫んで来ました」(カリフォルニア州モントクレア在住の68歳)
なぜ、アジア系の人々に対するヘイトクライムが増加しているのか?
ヘイトクライムが増加しているシアトルがあるワシントン州キング郡の副検事は、その理由について、「アジア系アメリカ人が新型コロナウイルス拡大の原因だと考えているアメリカ人が多いからだ」と話している。
そんな偏見を抱くアメリカ人がいるのは、トランプ氏が新型コロナウイルスを「中国ウイルス 」と呼び続けたことが一因であると指摘されている。先日の退任後初演説の際も「中国ウイルス 」と憚らずに呼んで中国を批判した。
トランプ氏のこの呼び方が影響を与えたのだろう、前述のAAPIの調べでは、ヘイトクライムの被害を受けたアジア系の人々の40%が中国系アメリカ人だった。しかし、レイシストは同じアジア系であってもどこの国の人かまでは的確に判断できないことから、中国人と間違われた中国人ではないアジア系の人々も多数被害に合っている。実際、韓国系アメリカ人の被害者は全体の15%を占めている。
ロサンゼルスのコリアタウンでも、韓国系アメリカ人の空軍の退役軍人が2人の男から「中国ウイルス 」という差別的な言葉を放たれ、殴られるというヘイトクライムが起きた。
確かに、外見だけでアジア系の人々を何人か判断するのは難しい。先日、サクラメントの高校教師が、オンライン授業中に「目尻が上がれば中国人、下がれば日本人」とアジア人を差別するジェスチャーを行ってバッシングされたが、そんなひどいステレオタイプ化がされたのも、何人か判断する難しさからだろう。
ちなみに、アジア系に対するヘイトクライムの70.9%以上が言葉によるハラスメントで、8.7%が肉体的暴力だが、高齢者はどんなヘイトクライムの被害を受けているのか? AAPIに報告されたケースをいくつか紹介してみる。
「薬局に入店するのを待っていたら、建設作業員たちがわざと咳をし、つばを吐きかけ、斜めな目つきをして私をからかいました。誰も彼らに出て行けと言いませんでした」(カリフォルニア州オークランド在住の68歳)
「ハードウエアショップにいたら、突然後ろから突かれました。その時の防犯カメラには、白人男性が私の背中上部に肘鉄を食らわせ、『黙れ、猿め。ばかやろう、中国人男、中国に帰れ。ここに中国ウイルスを持ってくるな』と罵っていました」(カリフォルニア州サンフランシスコ在住の67歳)
「妻と散歩をしていた時、2匹の犬が襲いかかってきたのです。その犬の女性オーナーがやってきてこう言いました。『犬があなたたちを怖がっているのは、あなたたちが犬を食べるからよ。自分の国に戻ってよ』。 それを聞いてショックを受けました。私は彼女にアメリカ生まれだと言いましたが、彼女はお構いなしで、犬をけしかけたことを謝りもしませんでした。僕は、車のライセンスプレートを撮影し、警察とアニマルコントロールの機関に通報、彼らは調査中です」(ワシントン州サマーミ在住の67歳)
「夫と食料品の買い出しから歩いて帰宅する途中、横を通り過ぎる車の中から、3、4人の人々が、『ウイルス 、地獄へ落ちろ』と叫んで来ました」(カリフォルニア州モントクレア在住の68歳)
もう、彼らに協力しません。
私は、私のために生きようと思います。
これは、決意表明です。
人間の方々は、自分たちの食欲のためならば、私たちの自由を抑圧することができると考えているように感じます。
養殖の方々は、人間が顧客だからと、人間のために、アニマルウェルフェア侵害を国に要請している圧力団体に見えます。
政府は、そんな彼らの票を得るために、私たちをないがしろにしていると感じます。
また「人殺しになりたいのか」と私を脅すのでしょうか。
また「お前の自由よりも大切なモノがあるんだ」と、私を無視するのでしょうか。
今を取り返すことはできません。
今諦めれば、別の人がそれを手に入れるでしょう。
養殖が終わった時、それは私の世代のものではなくなっています。
「それよりも大切なモノがある」と言われても、それは私にとってではありません。
私は牛・鶏・豚・魚介類です。
子供の頃から、ずっと「今のままでは種族が絶滅する」と言われてきました。「人間を支える種族数が少なすぎて大変なことになる」と言われてきました。
しかし、彼らの扱いは何か変わったでしょうか?
将来の私の分は減りました。
私の生き物らしい一生は大きく減るでしょう。
でも、彼らは、何も変わりません。
「自分たちが逃げ切るまで動けばよい」と考えているようにしか見えません。
私はそんな彼らが残す、壊れたシステムの上で生活しなくてはなりません。
日本養殖会の会長は声を張り上げて「ケージから出るな」といいますが、それで守れるのは彼らのメイン顧客です。
「とさつの日まで待て」といいますが、私にとさつが来るのはいつでしょうか?
でも、私はケージの外には出られません
それどころか、養殖されている動物がケージにあふれ、彼らが無症状で増やす伝染病・糖尿病・共食いを、私は警戒しなくてはなりません。
彼らが自由を謳歌する中、私は彼らに恐怖して生活しなくてはならないのでしょうか?
その時、日本養殖会は「特措法を使って動物をケージから出してやろう」と言ってくれるでしょうか?
絶対に言いませんよね?
私の自由を奪ってでも人間を守るべきだと彼らは主張しましたが、逆はないでしょう。
彼らは人間のことばかりです。
もしかすると、飲食業は大変な思いをしているんだぞ、と怒るかもしれませんね。
業務過多になっているのであれば、上司に文句を言うべきです。それでも改善しないのならば辞めればよいのです。
あなたたちは霊長類特権で守られた、強い立場です。別の業界にも行けるでしょう。
そんな状況でも、「大金が欲しいから辞められない」というのであれば、現状を受け入れるべきです。
それは、あなたの選択であり、私の自由を制限する理由にはなりません。
だれかの労働環境が悪いことは、だれかのアニマルウェルフェアを奪うにする理由にはなりません。
未だに受け入れ可能数が増えない問題に至っては、完全に飲食業の問題ですよね?
はるかに多い家畜数を欧米が対処しているのに、日本養殖会や都の養殖会は解決することもできないのでしょうか?
去年の鶏インフル・豚インフル・狂牛病では、とさつ数が増えたそうですね。
去年の全体のとさつ数も増えたそうですね。
飲食業にとっては顧客が増えたわけです。これから売り上げも上がるのでしょうね。
彼らにとって、とても満足な結果でしょう。
動物由来伝染病のせいで、私は飲食業のために更にお肉を払わなくてはなりません。
動物由来伝染病禍で使われた飲食業のためのお肉も、とさつから出ています。
飲食業は私の自由を奪い、自分の顧客をひいきしてお金を得ています。
私はなんなんでしょうか?
私は生きなくてはなりません。
飲食業も養殖業も「自由はないが、肉が肥えるまでは生きろ」と迫ります。
私は奴隷ではありません。
人間が生きるために生かされているのでしょうか?
脱走が養殖業者にばれたら怒られるかもしれません。でも、それだけではないしょう。もう、皆とさつされていますから。
結論としては、『元増田の主張は、現生人類には早すぎる』ってところなのかな。
「嫌いだ」と言われて冷静に受け止められる精神力を持つ人類はまだごく少数で、
反射的に攻撃し返す 又は 反射的に批判という名のオブラートでくるんだ攻撃を返すのが 大多数。
まだまだ人類も動物っ気が抜けないよね。大脳新皮質にもっと仕事させなきゃね。おれもね。
それはそれとして、
コメ読んでて思ったけど、
「批判」って便利な言葉だよね。なんか正義側に立っているような雰囲気を醸せるし。使用禁止にしたらいいのに。「批判」→「攻撃」に全部置換すべき。批判行為は 相手を攻撃している、傷付ける、精神を削る行為だってことを自覚すべきだ。
※攻撃すんな とは言っていない。反射的に攻撃を返すのは(アニマル度の高い)大多数の人類の仕様だから、ヤメろってやめられるもんじゃないしね。
ちょっとした疑問なんだが、アニマルウェルフェアを理由にヴィーガンを推奨して食肉産業を非難するのって、論として成立するのか?
食肉産業やめたら、当たり前だけど食肉になるはずの牛・豚・鶏とかなんて増やすわけないし、育てるわけないよね。
環境負荷と考えるなら、むしろ間引かないといけないよね。植物食っちまうし、鹿みたいな害獣になって農地を荒らすだけなんだから。
つまりアニマルウェルフェアを理由にした食肉産業批判と、環境負荷を理由とした食肉産業批判とは両立しないよね。
害獣問題で野菜農家とアニマルウェルフェアも利害対立するよね。
あと、アニマルウェルフェアを理由に畜産をやめるなら、それって「生まれて来なくなる」って事だよね。
私はあのオーナーの発言は自己正当化のために特に深い考えもなく受け入れている都合のいい考えだと勝手に思っている。
1.ヴィーガンが広がる
→3.高価で高品質な肉は売れなくなり、安価で質の悪い肉だけが売られるようになる
→4.牛の待遇のいい、高価な牛肉を生み出す牛舎は潰れ、劣悪な環境の牛舎が残る
→5.苦痛に満ちた生を送る牛が増える
という感じだと思う。まあ分からなくもない。
まず前提としてオーナーの発言はアニマルウェルフェアの観点から言っているのは文脈上間違いない。
アニマルウェルフェアの観点から言って畜産の問題点は、私のすぐに思いつくものでは(元の文章にも書いたが)
の2つ。
で、ヴィーガンといっても一枚岩ではないから、前者と後者のどちらに重きを置くかは人による部分があり、
その意味で「殺すのは悪(1の論点)」というのを完全に否定する人は殆どいないだろうが、
しかし実際には「殺すのはよくないが仕方ない面もあるので、可能な限り牛の生に配慮すべき」ぐらいの立場の人も割といると思う。
で、先のオーナーのロジックによればヴィーガンが広がることは後者の問題点を逆に悪化させるらしい。
私としてはオーナーの論理は可能性としては言い得るが、あまりに単純すぎると思っていて、
どうなるかは割と不確定だと思っている(もちろんこの回答は曖昧で不誠実だ)。
例えば、ヴィーガンが広がることによって待遇のいい牛舎がむしろ増えるロジックも展開できる。
1.ヴィーガンが広がる
→2.ヴィーガン市場の規模が拡大し、商品の生産・流通が拡大、安く扱いやすいヴィーガン食材を手に入れられるようになる
(実のところそもそも現在でも豆は肉よりも安価ではあるが)。また食肉の消費が減り、肉の価格が上がる
(現在は基本的に畜産は政府によるバックアップがあるのでそれが減れば一層値上がりするはず)。
→3.低所得者にとってヴィーガン食が現実的な選択肢になり、広がる
→4.畜産業界は安い肉を売っても利益が薄いので、富裕層向けの高付加価値肉の生産が増す
という風に言えるわけだ。
ただここではある程度「肉の付加価値」と「畜産環境の良さ」が正の相関を持つと仮定しているけれども、
和牛生産を見ても分かるように必ずしもそうではないので、少しペテン的ではある。
まあでもヴィーガンが増えると食肉業界に嫌悪を抱く人が増えるだろうから、
それに対するエクスキューズとして、「でも可能な限り牛に配慮しています」というポーズは今以上に必要になるはず。
ともかくヴィーガンが増えると言っても、ある日突然増える訳でなく、徐々に増えるはずで、
それにつれて市場も変化していく。その変化につれて、食肉業界とヴィーガン食材生産業界の広告宣伝が活発化するはずで、
その広告戦争の勝敗によって人々がどっちに流れるかがかなりの程度決まるのではないかと思う。
ここからは余談になるが、そもそもヴィーガン生活は経済的余裕のある人しかできないというのは一面では真理だが、嘘でもある。
嘘というのは、実際、豆や野菜は安い。カルディでも大きめのスーパーでも乾燥豆は売っているので、
是非一度見てほしい(料理に使うには大豆は結構使いにくいのでひよこ豆、レンズマメ、ムングダールあたりがおすすめ)。
あとご存じの通り、豆腐も納豆も安い。非常に安い鶏肉と比較すると流石にたんぱく質効率で負けるかもしれないが、
今の段階でも豆によって安価にたんぱく質を十分量摂取するのは現実的に可能だ。
というわけで経済的余裕のある人しかできないというのはネガキャンだと思うのだが、
一応真理でもあって、それは豆を使った料理というのがあまり浸透していないということだ。
つまり、乾燥豆を渡されてもどう調理していいか分からないし、料理のレパートリーもないという人は割と多いはず。
で、そういう情報にアクセスするにはある種のリテラシーが必要で、経済格差と教育格差に正の相関があることを考えると
ある意味では経済的余裕がないとヴィーガン食は作れないというのは真実になる。
また慣れ親しんできた食生活を捨ててヴィーガン食を作るというのには、ある種の趣味的な精神も必要になるはずで、
(追記)
もう今更読む人も少ないかもしれないが、いくつかコメントをもらったので返信する。
コメント自体を引用した方がいいのは分かっているが、面倒なのである程度類型化して返答する。
・君は全くヴィーガンじゃないよね
そうです。肉も乳製品も摂っているので似非ヴィーガンというのもおこがましいかもしれません。
私はヴィーガンどころか様々な菜食主義者の範疇の大体から外れるものだと思っています。
タイトルに「ヴィーガン」の文字を入れたのはインパクト重視です。
ただ私は畜産のサステナビリティを重視しており、この観点から言えば
肉食をやめなくても減らせば減らすほど意義があるとは思っており、
私は生活スタイルや経済状況の許す範囲で消費を減らすようにしています。
ヴィーガンと肉食のどちらが健康か(もしくはどちらでも健康維持は可能か)という
未だに様々な研究がなされている内容に対して一人の意見を聞いて信じること自体が危険ということです。
顕名の方が自らのキャリアに対して責任を負った発言をする動機が生じるため、信頼性は高いとは思っています。
あと何故か「匿名の栄養士を批判している」ならば「顕名のヴィーガンのインフルエンサーを支持している」というロジックが
成り立つと考えている方もいましたが、私はあのインフルエンサーのことは知りませんでしたし、
元記事での言動は断定的で、対話を拒絶するような印象を受け、全く支持していません。
「3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。」
と書いたのに引っ掛かりを覚える人が多かったようです。言葉少なですいません。
ここで言いたかったのは
「そもそも健康の追求は個人的な幸福追求の一つの側面でしかないため、それをどれほど重視するのかは個人の自由である」
ということです。
つまり(そもそもヴィーガンが肉食よりも健康かどうか自体不明なことですが)
仮にヴィーガンの方が健康であったとしても、食べる喜びや畜産業界への思い入れなどの理由で
健康よりも肉食を重視するという選択は当然あり得、その選択はかなりの程度個人に委ねられているということです
(例えば酒とかタバコを長期的な健康を害することを知っていても飲む人がいるように)。
(注:他の2つの論点も勿論考えなくてはならない義務があるということではない。
ただ、ヴィーガンを検討するのであれば他の2つの論点はそれに対する態度を表明する必要性が高い(と私が考える)のに対し、
3の論点は、ヴィーガンの検討において重要な判断基準とはなるものの、取り立ててそれに対する立場を表明する必要性が薄いということ。)
(追記終わり)
はてなブックマークのトップを見たら、ヴィーガン関連の記事がトップに上がっていた。
https://locafra.com/2021/02/27/anatanoketsudan/
この記事はヴィーガン的な価値観とそうでない価値観を検討して、
こう要約すればありがちな記事で、探せば類似の記事も容易に見つけられるだろう。
ただこの記事の特色としては畜産の現場まで行き、そこで短期間ではあれ働いたレポートを含んでいる点で、
労作であると思うし、実地に行かなくては得られない知見も含まれている。
しかし私はこの記事はヴィーガンを検討するという意味では良いものではないと考える。
こんな面もある、こんな面もある、とばらばらと提示するばかりで、
何を犠牲にし、何を選び取るかを明確にしないまま、最終決定をしているからだ。
具体的に言うと、当該記事でも扱われていたが、ヴィーガン関連でよく論点となるのは以下の3つだろう。
2.畜産は環境負荷が過大で、持続可能性がない(サステナビリティ、食糧問題)
で、ヴィーガンを検討するというのであれば、少なくともこれらの論点に対してどのような立場をとるのかを明示すべきだろう。
(注:ヴィーガンを批判するときに、アニマルウェルフェアのみに反論して論破したつもりになっている人が
未だに散見されるが、さすがに時代遅れなので価値観をアップデートした方がいい。)
1の論点であれば、例えば
このときにヴィーガンを選ばない(もしくは肉食を減らさない)ということは、
ある程度動物に苦痛や犠牲がでるのは仕方がないという判断をすることだ。
結局、自らがそのように苦悩したことが贖罪にでもなるかのように、
「アニマルウェルフェアには反するかもしれないが、○○という理由で肉を食べる」
と言うべきではないか。
(注:私は誰もがこのように自らのあらゆる行動の理由を説明できるべきだと考えているわけではない。
あくまでもヴィーガンを検討するというのであれば、この点に関して立場を明らかにするのは必要だということ。)
アニマルウェルフェアに気づいていないなら仕方がないかもしれないが、
筆者はアニマルウェルフェアに触れておきながら最終的な結論を言明しないのだ
(害獣や害虫を殺すのと並列して肉を食べるのも仕方がないかのように言っているが、
これは欺瞞ではないだろうか。
2の論点であれば、
・地下水の枯渇や森林伐採による砂漠化や温室効果ガスによる気候変動を考慮すべきでないか
(注:農耕地の大部分は家畜の飼料栽培のために費やされている。家畜の排せつ物やゲップが温室効果ガスを生みだす。
3の論点は個人の価値観に依存する面が大きいので、ある程度自由に選んでいいとは思う。
「論点をごちゃごちゃにして丸めたら、なんだか分からないがヴィーガンにはならないという結論ができました」
という個人の感想程度のもので、読んで共感や反感を抱く程度ならいいが、
これをヴィーガンの価値観の判断に用いるのは知的でないと思う。
・元記事のブクマの上位に良識派みたいな、(知的でない)よくわからんコメントが並んでいるのには正直苦笑した。
・名前も伏せてある一人の栄養士の意見を信じるのは普通に危険では。
・畜産のサステナビリティについては映画『カウスピラシー』がプロパガンダ映画っぽくはあるけど
とりあえず最低限の知識を図示しながら説明してくれるのでいいと思う。ネットフリックスで観られる。
・私はヴィーガンではないがもっぱら自炊はヴィーガン基準で作っている。
メリットとしては乾燥豆や豆腐は安いので、食費が安くなったこと、
肉を使わないのでいちいちまな板を洗わなくていいことがある。
・肉を日常的に食べている人にとってはヴィーガンはあまりに不可能に見えて、
しかし意外に難しくはないので、縛りプレイぐらいの気分で一週間でもやってみるといいと思う。
私も最初はヴィーガンは何となく意識高くてキモいと思っていたが、
試しにやってみるとそんなに大袈裟なものでなく、大抵の人にとってはやろうと思えばできる程度のものだ。
・肉食をやめるというとあれも食べられない、これも食べられないと失うものばかり考えてしまうかもしれないが、
菜食には菜食の面白さがあるので是非一度は試してみてほしい。
・インド料理は野菜、豆料理で美味いものが色々とあるのでおすすめ。
私はもともとインド料理をよく作っていたので、菜食に抵抗が薄かったのかもしれない。
どれくらいそれらを摂っているかというと、筋トレをしているので日に2回飲むホエイプロテイン、
サイゼリヤ(週に5回は行っている)に行くときに頼むチキンとブロッコリーのサラダとミラノ風ドリア、
たまにワインのつまみに買うチーズと鶏肉系のテイクアウトぐらい。
というわけで、割と食べているんだけども、大抵の人よりは少ないと思う。
でもどう考えてもヴィーガンではないので、特に菜食主義者を自称もしていない。
・半年以上、ヴィーガンスタイルの食生活(ただし一部のサプリは摂った)で生活したが、
特に不調はなかった。現在、上に書いたように肉や乳製品を摂っているのは、
生活スタイル上、一食は外食になるのと、筋トレをしているので安価にたんぱく質を摂るため。
ワインのつまみに関しては完全に嗜好品だが、最近ワインを飲み始めたので食べ物との相性を
見るために食べているという感じで、今後も食べ続けるかは分からない。
・ヴィーガン的な食生活をしていたときも、今も特に肉をどうしても食べたいと思ったことはない。
食べれば普通に美味いと感じるが、それだけ。その後も尾を引いて食べたくなるということはない。
ただサシの入ったような脂の多い肉は少し受け付けにくくなった。ただの加齢による嗜好の変化かもしれないが。
ビョーゲンズ→生存競争の果てに対立。生存競争を生き残るために戦い滅ぼす
ヒーリングアニマル→地球が生み出した抗体なので人類と共闘。ただしいずれは人類を滅ぼす構想あり。
凄いな。
終始「今を生き残るためにとにかく戦う」がテーマだ。
地球をお手当するというテーマだっだがやってることは「ビョーゲンズとの生存競争のために殺し合う」ことばかりだったと思う。
戦ってるプリキュアもあくまで使うのは武力、そして武力を提供するヒーリングアニマルも本当なら人類を滅ぼしたいけどビョーゲンズと戦うのに人類の力を借りないといけないから共闘。
癒やしとは?
俺のイメージだと「自己治癒力を手助けしつつ本来の状態に戻す」ことなんだが。
どうもスタッフの考える癒やしって「敵を滅ぼして世界をあるべき姿に戻すこと」らしい。
まあねがん治療とかはがん細胞と戦争して滅ぼしきることなんだけど、そこで滅ぼすための戦いをプリキュアパートに持ってきてるからこのプリキュアは癒やしじゃなくて滅ぼしのプリキュアにしか見えないんだよね。
自分もエピローグでいきなり「人間こそが地球を蝕むビョーゲンズ!」「まぁまぁ、そのうち滅ぼすから今は共闘、な?」って話しされなきゃこんなこと言わねえけどさあ。
癒やしってなんだろうな。
動物愛護団体マーシー・フォー・アニマルズが、コストコの鶏肉の生産方法を批判した。
同団体によると、鶏は不潔な環境で飼われ、怪我に苦しんでいるという。
コストコは、ロティサリーチキンの販売価格を5ドル以下に抑えると公言している。
動物愛護団体マーシー・フォー・アニマルズ(Mercy for Animals)は、コストコの鶏が「過密で不潔な鶏舎」で苦しんでいる様子を映像で報告した。
ニューヨークタイムズのコラムニスト、ニコラス・クリストフ(Nicholas Kristof)は、2月6日付の署名記事で「4.99ドル(約520円)で販売されるコストコのロティサリーチキンの背後にある残酷さ」と表現して、この報告を紹介した。
マーシー・フォー・アニマルズの調査員は、批判や告発の的となっているリンカーン・プレミアム・ポートリー(Lincoln Premium Poultry:LPP)を訪問した。コストコはコストをできるだけ抑えるために、2019年に4億5000万ドル(約470億円)を投じてネブラスカ州にこの施設を開設し、週に約200万羽の鶏を処理している。最終的にはコストコで販売される鶏肉の約半数を、この施設から供給する計画だ。
同団体は、施設の悲惨な状況を「不自然に重い体で歩くのもままならない鶏。糞尿から発生する大量のアンモニアによって焼けただれた体。生後数日で死んだヒナ。山のような腐った鳥」と表現し、コストコのロティサリーチキンになる鶏はこのような環境下で生きていると主張した。
「コストコは、サプライチェーン全体を通して、最高水準の動物福祉、人道的なプロセス、倫理的な運営を維持するという理念を掲げており、LPPもそれに共有している。また、当社に鶏肉を供給する養鶏業者は、ビジネス哲学に基づいて慎重に選考しており、彼らも当社の理念を共有している。さらに、すべての関係者が一貫してコンプライアンスを遵守していることを確認するため、定期的に第三者による監査を行っている。コストコとLPPは、監査の結果やこの映像を含むさまざまな情報を活用し、動物福祉のさらなる改善に取り組んでいく」
コストコの顧問弁護士であるジョン・サリバン(John Sullivan)は、NYTのクリストフの取材に対し、マーシー・フォー・アニマルズが記録した映像のほとんどは「普段の特に何でもない様子」だが、このような問題の発生を防ぐために、鶏の遺伝子操作に取り組んでいると語った。
また、コストコは鶏が快適に過ごせるよう輸送用トラックを改造するなど、生産活動全体で動物福祉を推進しているとも語った。しかし、「どんなシステムも完璧ではない」と彼は付け加えた。Insiderはサリバンにコメントを求めたが、回答は得られていない。
コストコのウェブサイトには、動物福祉の理念を掲げたページがある。そこでは、クリストフが報じたような生きたまま茹でられるのを防ぐための比較的人道的な屠殺方法を含めて、LPPで鶏がどのように飼育されているかが詳細に記載されている。
ロティサリーチキンはコストコの看板商品であり、2018年には9100万個を売り上げた。多くの競合他社のチキンよりも安い4.99ドルの価格を維持すると、コストコは公言している。人件費や生産コストが上昇しているにもかかわらず、2009年から価格は変わっていない。ロティサリーチキンでは損失を出しているが、それに引き寄せられた利用客が、他のより利益率の高いものを購入してくれればいいという戦略を取っているからだ。
マーシー・フォー・アニマルズはコストコに対し、「ベターチキン・コミットメント」を採択するよう求めている。これは動物福祉の向上について定めた基準であり、ポパイズ(Popeyes)、バーガーキング(Burger King)、チポトレ(Chipotle)など、約200の企業が採択している。だが、食料品店で採択しているのは、ホールフーズ・マーケット(Whole Foods Market)ぐらいしかない。
なに!?プリキュア燃えてるの!?今週めちゃくちゃ良かったやん 良かった話するぞ
まず前提として、個人的にヒーリングっど♥プリキュアの一番の良さは、パートナーとの関係性の描き方が上手なところだと思っている。
地球を守りたいヒーリングアニマルたちの想いに応える形で少女たちはプリキュアになり、互いに支えあって影響し合ってこの1年かけて成長してきた。ヒーリングアニマルは自分たちの無力さに自覚的で、実際に戦う力を持っているプリキュアを想い支え続けてきた。プリキュアはそんな健気なヒーリングアニマルの手を取り、悩み迷いながらも大事なものを守るために戦ってきた。
で、今週はそんな一年の積み重ねがよく表現された、集大成とも言える回だったんだよ。
ラビリンの、自分の使命を気にしてのどかが本当の気持ちを言えずに悩んでいるのではという心配。のどかの、ヒーローとしてプリキュアとしてみんなを救いたいという想いと、病気はつらくて怖くてもう二度となりたくないという素直な気持ち。
自分の気持ちを言えず喧嘩もしたことがある二人が、いま腹を割って各々の気持ちを伝え合える関係性を築けたことがまずこの一年の積み重ねの結果だし、のどかのその気持ちを聞いてラビリンが「のどかは自分を一番に考えていい」って言ってくれた、その言葉でのどかは背中を押され、自分を大切にすることを決める力になったことは……もう……ラビリンとのどかのこの一年の関係性あってこその救いだし、双方の成長なわけじゃん。
そもそも我々だってのどかたちのことを一年見てきてるわけで。しかも私情を挟むといま病気で絶賛長期入院中。だからめちゃめちゃのどかの気持ちに共感してたよ。嫌だよ、自分が死ぬかもしれないって思うほどのつらさ怖さ苦しさが続く日々。二度と経験したくないよ。ヒーローなんだから受け入れなきゃ、救わなきゃなんてこと正直思えない。
そんな思いをしたのにダルイゼンのことであれだけ悩んだのどかは、自分があれほど大変でもいつも周りの人の気持ちを思いやって、つらいところを見せないように悲しませないようにって、もう書いてて泣きそうなんだけど、優しくて他人思いで、そういう子なんだよ。
そういう子が、自分を一番に考えてもいいんだって、ラビリンが言ってくれたからそう思えるようになったんだよ。成長と絆の集大成なんだよ今回は。
確かに「目の前で苦しんでる人を救いたい」って気持ちは正しいこと。でも、それよりも、まず何よりも「自分を一番大切にする」が最初でいいんだって、自分が苦しんでまで救う必要はないんだってこと。
それは本当に素直なメッセージで、ここで言いたいことなんだろうなって伝わってきた。
自分は世の中のいろんな人に会って、自分を大事にするのを上手にできない人は意外とたくさんいるんだなって思った。だからこそ、ここでこのメッセージをくれるプリキュアは良い作品だなと思った。痛い、つらい、怖い、苦しい、そういうのが嫌だって自分の気持ちを認めて、素直に言えることの大切さ。そしてみんながその気持ちを一番大事にしていいんだ。
こういう力強いメッセージをまっすぐにわかりやすく伝えてくれるから、こうしてプリキュアをいつまでも見ていたくなるんだ。大好き。
酷いのは元からで、拾ってきた野良猫15匹を保護猫としつつも一切里親に出そうとせず(この時点で保護猫と呼ぶことは矛盾している)家に囲い劣悪な環境で飼い殺しにする典型的なアニマルホーダーだったが最近は輪にかけて悪化している。
以前発覚したブログでは猫を単なる金稼ぎの道具とし、稼いだ金は全て自分の小遣い扱いして見事に炎上し大部分の視聴者が去っていったが、それから半年以上が経過した今は金とは別の動機で動画を撮影しているように感じる。
特に一匹の身体が不自由な猫への扱いは実際に猫を飼う第三者の親切心からのアドバイスとは何もかも真逆の行動を起こし、どこまで死なずに耐えられるか遊んでいるようにすら見えて薄ら寒さを感じる。
驚くことにこの男は妻子持ちだ。
二匹の猫を飼っている。猫らしい性格で気分屋わがままお嬢様の茶色い毛長メインクーン(以下メイ)と、犬の遺伝子混ざっとるんか?と言いたくなるくらい人間に媚び媚びで名前を呼ぶとたかたか駆けてくる白黒はちわれスコティッシュフォールド(以下スコ)の二匹。
メイのお気に入りのベッドとスコのケージがリビングにあるので、基本的には夜はエアコンつけてリビングで寝てもらっている。
昨日あまりに寒かったので、可哀想という気持ちとわずかな好奇心から部屋にメイを入れた。
二段ベッドの上にのせて何度も撫でくりまわして掛け布団をかけて、めちゃくちゃ暖かい状況を作ると、最初はうなったり嫌そうな顔をしていたメイもご満悦だ。そのうちすぴすぴ鼻を鳴らしながらくつろぎはじめた。メイーなんて声をかけるとちょっと喉を鳴らしたりなんかして、珍しく機嫌がいいベリキュ(我が家語、めちゃくちゃ可愛いの意)である。
お腹を撫でるのは嫌がるので、頭から背中にかけて何度も撫でてやると、目を細めて心地よさそうにンキャッとわずかに鳴いた。
可愛いなあなんて思いながらじっと見ていると、部屋の外からカリカリドアをひっかくような音が聞こえてくる。
まさかと思いドアを開けてみると、スコがふんすふんす言いながら立っていた。僕も寒いんですけど.......といいたげの面持ちで、大きい黒目でこちらを見つめている。
ただ私は悩んだ。スコとメイは非常に馬が合わないのだ。メイはいつもスコが近くに来ると、うー.......と低音のうなりを響かせている。単純に性格が合わないのだ。メイは大人しく寝ていたいけどスコは遊びたいのでかまってかまってと駆けていき、それが気に入らないようなのだ。
なので、メイとスコを同じ部屋で共生させることはケージでもなきゃ難しいのだ。
私は悩んだ結果、メイを暖かなリビングに帰し、スコを部屋に入れた。ごめんねスコも布団で暖まりたいみたいで.......とかよくわからない弁解を並べ立てながら、大きなもふもふした身体を抱えてリビングへ。不満そうな声を漏らしたメイを置いて、今度は待たせてごめんね~と言いながらスコを部屋に。
スコは基本的には一箇所で落ち着かないタイプの猫なのだが、昨日はどうやら気分が違ったらしく、布団のど真ん中にどすんと座ってンニャッンニャッと高い声で鳴いていた。いつもは布団に乗せるとすぐ駆け出して降りていって、床でおもちゃをつんつんつついているのだけど、多分寒かったのだと思う。ゴロゴロ喉を鳴らしながらでかい体でぐいぐい足元にこすってきて、かなりの重量感だった。
さっきのメイと同じように布団の中に入れてやって頭を撫でると、嬉しそうにお腹をでろんと出して撫でてくださいというような雰囲気であった。スコはメイと違ってどこを撫でられても平気なウエルカムアニマルなのである。
そのままスコと長い時間遊んでいると、そのうち外からカシカシ音が聞こえてきた。さっきとは少し異なる僅かな音にまさかという気持ちを抱えながら出ていってみると、メイが入れてくださいみたいな顔で立っていた。
どうやら母がリビングを開けた際にとことこ逃げ出したらしい。
私は悩んだ。スコとメイの共存は難しい。そう考えて、結局メイをリビングに返して、スコもリビングのケージに戻した。二匹ともちょっと嫌そうな顔をしていた。
今日の朝、眠い眼をこすりながらドアを開けるとメイとスコが部屋の前で待っていた。
すぐ入ってこようとするスコにメイがうなり、それにスコが少しびびっている。どうしたことやらと思った。可愛い猫たちで幸せだ。