はてなキーワード: アニマルとは
自分は鬼滅の刃アンチでもファンでもないものである。が、鬼滅にクソデカ感情ポエムをしたためる者である。
にわかファンでいられなくなった者として、アンチにだけはなりたくないものとしてポエムを書いて去ろうと思う。
黙って去れよと自分でも思うが、なんか大げさなテンションでお別れを世界に発信しないとずるずるひきずってタチの悪いアンチになりそうなのでクソデカ感情の供養として誰かがみてくれるんじゃないかという期待と誰も見ないから大丈夫という慢心のバランスが最高なはてなに投稿させてもらう。
まず初めに、作品及び制作陣、宣伝も含め関わる全ての人におめでとうございますを述べる。正直ここまでのコンテンツになるとは思っていなかったので、凄いとしかいいようがない。おめでとうございます。
次に、鬼滅の刃に初めて触れたのは去年くらいで、その後もファンだったかといわれると怪しいし、ファンが闇堕ちしてアンチになろうとしているというある種同情できる立場でもない、本当になんだお前という立ち位置の者でしかない。我ながら苦しんでいること自体が意味不明だ・
私にとって、鬼滅の刃は動物園で大事にされているうつくしく高級なうさぎのような作品でした。一見同じようなうさぎはいるけれど、一線を画す上等な毛並みで手入れも一級品。柄も独特で動きもダイナミック。動物園まで見に来るにふさわしい素敵なうさぎでした。新聞の一面を飾ってもおかしくない、どこに出しても恥ずかしくない立派なアニマルだったのだ。私は特別うさぎが好きではなく、詳しくもなかったけれど素人目にもその評価はゆるぎなかった。でも、世界で数頭しかいない絶滅危惧種とかではなかった・。
アニメも一挙で見て漫画も借りて読んだけど満足感と共にブラウザを閉じて、Twitterを空けてキーワードを打ち込んだり連続ツイートをしたりすることはなかった。
いい作品だと思う。でもどうしても、ワンピースやBLEACHやジョジョと同じカテゴリには入れられない。
それらの作品の持つ、本当に世界がもう一つあるような、悪魔の実やスタンドや斬魄刀といった架空物が実在の遠い国の首相の名前と同じように一般名詞として存在感のあるものと感じられる気分にはなれなかった。面白いとか面白くないとかそういう問題じゃなくて、コンテンツとしての質量の大きさが違うのだ。現実の世界観を侵食してしまうような、作中世界の物理法則や法律や人種差別問題が好き嫌い以前に自然に頭に入ってしまうような、そんな性質の作品だと思えないのだ。もっと素朴で、たまに頷くような、そんな作品だった・
全く関係ない作品だけど、ちょっと前に終わったサンデーのムシブギョーとかと同じ立ち位置だった。大きなヒットはしなかったけど、メジャー少年誌に載るにふさわしい面白さで、派手じゃないけどグッとくるシーンがあって、キャラのことを穏やかに愛していられた。
でも、今の鬼滅の現状を見ると視界がぐるぐるしてとてもとてもいたたまれない気分になる。
高級ですばらしい兎を、そろそろ種の存続が怪しいホワイトタイガーとして売り出しているような違和感。
そんなに無理をしなくても立派な価値があるのに、これこそ当世イチのスーパーアニマルでござい、と売り出しているようなちぐはぐさ。
そういう売り出し方やマスコミを批判するつもりにもとてもなれない。不景気きわまる昨今、ここで売らなきゃどうするのかとすら思う。迷惑だとかしつこいとかいう記事を見るたびに、難民船のSOSに文句をいう様なものではないかみたいな感想が出る。理性がたしかにそう叫んでいるのだ。
でも、それでもジブリを越えるかもといわれると宇宙を背景にした猫のような顔になってしまう。
そんなことを考えている自分も嫌だ。好きか嫌いかならいいものの、それとは別に「作品としての格」みたいな厳然とした基準を勝手にもっていたことを痛感する。
スラムダンクと黒子のバスケが比較された時、どちらも素晴らしいといったのはきれいごとだったのだと、今は思う。
自分は黒子のバスケが大好きだ。初めて単行本を買い、はじめて二次創作を書き、コラボ商品を欲しがり、劇場へと足を運んだ。今でも心の大事な部分を占めている作品である。しかし、もしも黒子のバスケがニュースで「スラムダンクを越える」と言われていたら、きっと同じような気持ちになっただろう。個人的に思い入れがあるぶん、もっと苦しかったかもしれない。ファンの誰かが「スラムダンクよりすごい」というたびに「それは作品の為にならないからやめてくれ」と思ったのは、謙虚さへの希求ではなく比べられたら困るというある種の逃げだったのだと思う。
私はこのところおかしい。もはやニュースから紅蓮花が聴こえれば耳を塞ぎたくなり、緑と黒の市松模様が目に入ればブラジャーファンアートだとしても笑顔にはなれない。
バラエティにゲスト出演する花江さんの笑顔すら、もう穏やかな気持ちでは見れない。
土曜プレミアムの特別編は二週ともフルで見た。いい作品だった。一緒に見ていた初見の家族の質問にも逐一答えて、CMに入れば解説をした。最後まで楽しめた。どうだ私はファンなのだと胸を張れるんじゃないかという気分になった。でも、翌朝のニュースで鬼滅を見ると、やっぱりくるしかった。
自分にはもうこの熱狂の内側に入ることはできないのだと実感して、さびしさが半端ない。妬ましさと惨めさで、ファンの泣けたという素朴な感想まで胸が痛くなる。
進撃の巨人も、鬼滅と同じようなキャンペーンの経緯で見た。ハマったか、好きだったか、と言われるととても楽しませてもらったけどファンといえるほどのめりこみはしなかったと思う。でも「とんでもないぞ」と思った。好き嫌いじゃなく、えらい生き物が発見されてしまったと思った。世界が変わってしまうのも仕方ないと納得せざるを得ないような、そんな理不尽なエネルギーを持つ作品だった。
鬼滅にはそれはなかった。何度見ても、高級で毛並みがよくてすてきなうさぎだった。それから何度も鬼滅の話題のニュースを見て、うさぎの毛並みすら褪せてみえるようになってしまった。
グッバイ鬼滅。自分の知らないところで幸せになって、というとおかしいのでみんなを幸せにしてください。いつかこんなめんどくさい気持ちが死に絶えたら何らかの形で気持ちよくお金を落とします。
フェムドム (Femdom) はフィメール ドミナンス (Female dominance) の略で、BDSMプレイにおいて女性が支配的な役割を果たすことを意味する言葉。しばしばdomme、domなどとも略される。
BDSM(ビーディーエスエム)とは、人間の性的な嗜好の中で嗜虐的性向をひとまとめにして表現する言葉である。
「B」…Bondage(ボンデージ)
「D」…Discipline(ディシプリン)
「SM」…Sadism & Masochism(サディズム & マゾヒズム)
フェムドムは、女性が支配的であれば服従的なパートナーは男性、女性どちらでもかまわない。そのため女性同士のBDSMプレイは単なるレズビアンではなく、Femfemと呼ばれることもある。英語では支配的な女性は「ミストレス(Mistress:女主人)」あるいは「ドミナ(Domina:支配するというDominationの略)」と呼ばれるが、スペインでは「Ama」、フランスでは「Maitresse」と呼ばれる。
主にフェムドムでは支配的な女性は傍若無人にふるまい、服従的なパートナーに対し激しい鞭打ちや屈辱的な仕打ちをする、という認識が強い。これはもともと現実が長らく男性優位社会であったために男性の服従的パートナーにとっては女性に支配されることがそもそも屈辱であり、その価値観の逆転こそがフェムドムの醍醐味と考えられているからである。また女性同士の場合でも、女性だからこそのえげつない責めや仕打ちを行なう、と認識されることが多い。
プレイにおいては鞭打ち、スパンキング、緊縛、男性用貞操帯による射精管理などのプレイから、ヒューマン・アニマル・ロールプレイなどの地位を誇示しやすいプレイが好まれる。また支配的な女性はペニスバンドと呼ばれる張形つきの下着を身に付け服従的なパートナーとアナルセックス行為に及ぶこともしばしばである。
武漢から発したcovid-19の感染拡大によって日常生活が変わった訳だが、個人的には主にテレワーク中心の生活となりメリットが多かった。ワクチン開発が進み、新しい展開がテレワーク以前に戻りたくない私にとってどのような影響を及ぼすかを考えるため、文字に起こしてみようと思い書いている。
後編はワクチン開発がどう影響していくかやそれによってテレワークの趨勢を実現可能性を軸に見ていきたい。要するに、テレワークを続け、できることなら完全テレワークに移行し働きながら世界を回りたいということなのですよ。
治療薬として注目されたアビガンとは別に、数社の医薬品メーカーのワクチン開発が臨床試験の最終段階に入っている。きっと、今年の終わりには開発が終了し、接種が始まるだろう。
また、どうやらワクチン接種は黄熱病のように一度きりでよいものではなく抗体は消失していくため、持続期間のみ免疫が獲得されるようだ。
一度の免疫獲得でも二回の接種が必要で3、4か月で免疫がなくなるとすれば毎年、6-8回の接種が必要で一回4000円くらいだそうだから、24000-32000円が一人でかかる。消費税増税ほどではないが結構な負担だし、医薬品メーカーは安定的な収益となる。日本人全員が摂取すればおよそ2.9-3.8兆円かかることになる、正直政府に全額負担してほしいし、ついでにインフルエンザについても受けてなければ白い目で見られる現状、同様に政府に負担してもらいたいと思っている。
足元の開発状況から考えると、目先では年間で10億回分のワクチンの供給が必要ということ。これは可能なのかは、正直わからない。でも、優先順位はおそらく医療従事者と高齢者からであろう。高齢者のリスクが高く、敬老思想が前提となっている日本社会ではそれが当然ということになりそうだ。
しがない小市民である我々には行き渡るのだろうか。すぐには行き渡らないだろうから、段階的に接種が広がるのだろう。しかし、私たちのテレワークはどうなってしまうのだろうか、そこが問題である。
いろいろと、わからないことが多いから仮定ばかりになるが、それでも仕方ない。なぜなら、かけがえのないテレワークの自由を防衛は早急に準備しておく価値があるからである。
また、安倍政権がビフォーコロナのアニマルな働き方に戻していく流れの中で、薄々ながら感染拡大すると喜んでしまう自分がいるのは世間では言えないことで、かくれトランプ支持者みたいなものだが、正直、同感の人もいると思う。どうだろうか。
さて、考えるうえで着眼点を考えよう。
①はインフルがA型とB型でワクチンが違うように、コロナが変異すれば効かなくなるはず。感染者数が膨大なので変異数も相当であろうと思う一方で、A型とB型のような違いは生じていない。最悪の場合は新種に対応するワクチン開発が新たに必要になる場合と思われるが、それまでのノウハウや政府のサポート体制も既に構築されたものになるの、旧種用のワクチン開発にかかった期間よりは時間がかからないであろう。といっても現在のようなワクチンのない期間が周期的に出てきてしまう可能性を残す。
②ワクチン製造プラントの建設には技術的課題は大きくないと思われる。PCR検査のように政府にとって都合の悪い数字を作るわけではないので、殊の外、すみやかに進むもののように思える。
ではその速度はどうかというと、普及を妨害することがだれにもメリットがなかったマスクの普及具合と状況が似た条件にあるように思われる。まあ、マスクはまず余剰在庫があったはずなので、それより遅いとは思うし、アンチワクチンの人が阻害要因にはなるかなと思う。なお、私にはアベノマスクはまだ届いていない。
となると、優先順位の高い、医療従事者と高齢者にワクチン接種が広がるだろう。日本は高齢者が相当多いので3-4か月で済むのかかなり怪しいと思われる。半年はかかると思う。
——ん?!!!
となると、そんなところで、そうこうしていると、優先順位の高い人たちの免疫機能が失われる時期に差し掛かり、次の1シーズンも優先順位の高い人に接種するだけで在庫が尽きてしまうほどではなかろうかと思うのだが、大丈夫なのだろうか。続けて考えると、その後、供給能力が全国民の数を満たすまでにはワクチン製造開始から9か月は超えて一年はかかるのではないかとざっくり読めるように思える。
タイムラインをまとめてみよう
アフターコロナは国内だけでも後、一年半かかることになる。当然、新興国はよりワクチン接種が遅れるだろう。
だから、ビジネスとかじゃない海外旅行は先進国であっても一年は難しそう。 企業体力が弱いベンチャーや中小、老舗の名店でもろにコロナの影響出ている企業は政府の救済を十分受けられなければかなり潰れそうだし、大企業でも負債を大きく抱え込んでいたり斜陽産業はリストラ、給与カットが多発するのかな、と。
オリンピックはワクチン次第なものの、オリンピック選手にのみが接種することが出来て無観客試合辺りがベストシナリオなのではないだろうか。
そうすると、オリンピック効果に期待し負債も積み上げている、業界、例えば宿泊業界をグッとやばい感じになりそう。
そこで、我らのテレワークなのだけれど、あと一年半くらいは続きそうというのが結論で、
やばいことになりそうな宿泊業界の空き部屋をワーケーションが埋めるというのは理にかなっていると思う。
インバウンドはアジア人が多く、新興国の人も多いのだから、回復が遅れてしまうとなれば、
中継ぎとしてのワーケーションやテレワークではなく、それらを主軸とした日常生活をいち早く推進したほうが経済効果高いと思うのだがいかがだろうか。
自民党でも野党でもいいので、正直、無党派層を支持者に変えたいならこの施策を実行してもらいたい。
どっちつかずでズルズルときてグダグダになっている安倍政権も風向きは変えられると思う。
はっきりと方針を示さない限り、実は生産性が低下しなかった組織の経営者も完全テレワークの方向で舵を切れずにいると思うし、設備投資へのコストも必要となってくる。
世の中がある方向に向けばそれに従う日和見なところがある社会の中で、支持率アップ出来てリーダーシップ示せるおいしい施策だと思うのだが。
とまあ、文章も雑になってきたこのあたりで、だいたい書き終えたのでここまでとする。 来年もテレワークは続き、それ以降はわからぬがそこまで待つなら完全テレワークを進めたほうが経済的にプラスと考える。