はてなキーワード: あまちゃんとは
あるいは「NHKは国営放送」は、ほぼ一文しか書けないブコメにおいて、わざわざツッコむようなポイントか。
「子どもにNHKを見せたがる老害」の遺伝子が「意識高い系オタク」に引き継がれている問題について - ボンタイ
http://gudachan.hatenablog.com/entry/2014/12/01/220108
「NHKは国営放送」なんてネットに書くと、インターネットの1000回怒られシステムに乗せられ、「公営放送だから!」のツッコミがリピートされる問題。
あの記事において「国営」というミスは読み手にはどうでもいい間違いと思うのだけど、まあ人によるのかな
さらにどうでもいいかもしれないがツッコんどかないと気がすまないこととして、朝ドラ→あさイチの受け→ネットの反応の流れが始まり注目されたのは、「あまちゃん」ではなく、2010年の「ゲゲゲの女房」からな
何かが足りない。妻の態度に苛立つ。
洗濯も掃除も、一人暮らしの時とは比べものにならないくらいの頻度で、
せかせかと朝早く疲れて帰ってきてもやってくれる。
でも、何かが足りない。
そして、根本的な何かが足りてない。
もちろん、色々がんばってくれてることを有難いと思ってる。
これで不平不満なんて贅沢な、
ペコペコ有難く受け取って、ニコニコしてろと言われるだろう。
でも、俺は、致命的なその暖かさのなさが不満で、さみしくて、
例えば、すれ違ったり疲れたり、ここで思いやるだろう的な場面で、
妻は決して俺のことを労ってくれない。女々しいだろうけど、それがすごく淋しい。
期待してることがもらえない。
結婚前は違った。
言っても分からない。
俺があまちゃんなのか。
どう気持ちを組み立てていけばいいのか。
共感力の高低云々という話もあるが、共感後の再・他人事化という逆向きのベクトルの話もあるわけで、俺が増田に「共感」してしまったのは、深読みなのかもしれないが、事象を体験した後の他人事化(心理的な切り離し)について、それなりに考えた上でやや露悪的に書いているんじゃないかと思ったからだ。
が、今読み返すと当事者に寄り添う意識はあまりなかったようだ。どちらかというと俺は増田の友人のクリエイターのほうに近いのだろう。
そもそも俺自身はクリエイターとはぜんぜん違う社畜界の人間なので、その意味ではこの増田のクリエイターさんに「共感」できる下地がどの程度あるか分からない。
災害の起きた場所に親族・知人の縁がなく自分が安全なら、身につまされることなく「最初から最後まで」他人事感覚で見ることも難しくはないだろう。それを口に出すべきものかどうかは(道徳的に、あるいは本人のメリット的に)別として。
それより、はてな住民からのバッシングに近いブコメを見て思うのは、正義感あふれる書き込みをしている人の中には人は「当時自分がどう感じていたかを自分に都合よく忘れてしまった人もいるんじゃないのか」ということだ。
大震災の一次的被害者でなかった南関東の住民として書くと、いつ終わるともしれない余震と原発がどうなるかにおそれ慄き、停電の実施に怯えつつ、それと同時に、震災は東京で起きたのか、と思うくらい、東京の現在ばかりを伝えるメディアに軽く怒りを覚えながら、それでいて何か非日常感に心踊る自分に戸惑ったことを覚えている。「この高揚感は何なんだ」と、思った人がそんなに少ないとは思わない。
3月12日の夜、一日たってようやく公式に姿を見せた首相の国民向け演説を見て、その自己陶酔ぶりに異様さを読み取った人は多いはずだ。あの夜、この人は自分にしか関心がない人に見えて不安だった(そして後にその不安は的中する)。
見ていた俺もそれほど変わらない。
何かこの国の形が変わるような重大発表があるのだろうと、1945年8月15日の「玉音放送」を聞く日本人に自身を重ねるような気持ちでテレビの前に座ったことを覚えている(どちらも発表があること自体は事前に伝えられていたので緊張感をもってその時を迎えた人は多いはずだ)。
被災地支援を語り(ダシに、とまではさすがに書かない)、自己満足にすぎないと自ら語っているボランティアの方々などの例外を除けば、自分の利益にしかならないビジネスをやっているだけなのに、自分は善いことをしていると自己洗脳することに成功した人は身の回りにたくさんいる。
この辺は自分の心にとどめておくべきで、決して、このような形で書いちゃダメな領域なんだろう。「正義派」のスイッチを押してしまう(その意味では、これを書いた俺もクリエイターさんと同様にタブーを犯しているんだろう)。
クリエイターさんがどういうジャンルの方なのかわからない(アニメ系の方?)が、
「あまちゃん」で太巻がいった「売名行為だよ」という発言で、勇気づけられたエンタメ系の人も多いんだろうと思った。実際、あの劇中人物の発言で、悩みが吹っ切れた人がいるという話を聞いた。
俺自身は、いまだに吹っ切れていない。
直接の形では自分に起きなかった不幸、しかし自分が立ちすくむ程度には影響を与えた出来事をどうハンドリングしたらよいのか、今も分からない。
自分の心の内側から出ているとは思えない言葉を使って、日常をやり過ごしていることへの罪悪感は隠し切れない。
……と、このように書くこともまた綺麗事だよな。無限ループは続く。
匿名ダイアリーの公開質問へのお答え - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20140629
これを受けて、
http://anond.hatelabo.jp/20140629172434
を書きました。
元々の公開質問状は、以下より。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
今回、町山智浩氏に対して行う質問は「重箱の角をつつくような」「些細なこと」ばかりかもしれません。
「彼は唐沢俊一、日垣隆、上杉隆のような巨悪と戦っているのだから、そんな些細な疑惑で足をひっぱるな」と思っている方も多いでしょう。
ただ、ここで些細な疑惑によって、明らかにしようとしているのは、彼の資質の問題です。
彼は、「映画ファンによる恣意的な解釈は許されない。監督・作り手の考え方こそ絶対真だ。」と主張する『映画の見方がわかる本』という著書を出しています。
また彼自身、このようにも語っています。
「咳をしても一人」という句を「人生から自ら人を遠ざけた男が結核を病んだ死の床で孤独と向き合う」と説 明すると「単に風邪かも」「なぜ自ら人を遠ざけたとわかる?」「この7字では説明が足りない」「解釈は自由だ」と言い張って自らの限界内にとどまろうとす る人たちと、そうでない人がいる。
自分が感じた印象を基本的に信じない。自分には超人的な直観力や天才はないと知ってるから。しかし世間には自分が天才やエスパーだと無意識に思っている人が多いようだ。
自分を信じすぎたら、何かを学ぶ気がなくなってしまいませんか? 自分はまだ何もわかってないと疑い続けることで学び成長できるのではないでしょうか?
これら町山智浩氏のお言葉を踏まえ、映画評論家町山智浩検証@ウィキに掲載されている「些細な」疑問・矛盾についての公開質問になります。
引用元:http://www63.atwiki.jp/loversrock
『時計じかけのオレンジ』におけるキューブリックの「自由意思」について
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/5.html
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/6.html
『それでも夜は明ける』の愛憎のもつれをどう読み解くか。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/7.html
『パシフィック・リム』のKAIJUのモチーフを巡るある断言。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/8.html
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/9.html
誰が最初に『First Blood』を『RAMBO』と名付けたか。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/10.html
『大人は判ってくれない』の原題の意味を判っていない?
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/11.html
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の結末の記憶が曖昧でもワンスアポンアタイムのことなので仕方ない?
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/12.html
『狼たちの午後』ってどんな午後?
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/13.html
『桐島、部活やめるってよ』の結末ちがうってよ。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/14.html
クエンティン・タランティーノの生い立ちをいかにドラマチックに語るか。
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/16.html
http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/15.html
私が以上のような細かい事実にこだわるのは、これらの町山智浩氏の発言には細かい事実の歪曲が含まれている場合が多く、いまだこれらの疑問・矛盾についての回答を避けているからです。(キューブリックに関する件は、はてなダイアリーに2ちゃんで言及された翌日に回答していたにも関わらず、です。)
ウソを追及しているはずの人がウソをついてもいいのでしょうか?
そのような人が、映画の命にかかわる情報を発し、社会に影響力を持つことは危険ではないでしょうか?
「そんなこと、キューブリックは言っていない」
と自著で断言し、ファンによる勝手な解釈を許さない立場を明確にされている町山氏には、これらの疑問・矛盾には積極的かつ誠実に回答していただきたいものです。
こちらからは以上です。
inspired by 上杉隆氏への公開質問状 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20120314
ホワイティに育ったけどブラックで働いてるよ。
資産家ではないけど別荘や自宅の他に不動産もあるし、小さい頃から楽器やったり海外旅行やら観劇やら…いろいろさせてもらいました。
私は行かなかったけど、子供達は高校〜大学の間にだいたい留学していた。
アルバイトなんてしなくていいから学生のうちは勉強や興味のあることを一生懸命やりなさい!という教育方針でした。
(↑というのが大学に行くまで普通だと思って生きていたあまちゃんです)
でも、いまやブラック。ブラックというより、地味な中小企業ってだけだけど。
高卒、ヘビースモーカー、下品なメイク、リスカ跡だらけ、ヤリマン…とかがメイン。
みなさん性格悪くないので楽しくやってるけど、テレビでやってることしか知らない人たちなので知的好奇心が満たされないのが辛い。
わたしの妄想の中には「悪婆48」と言う架空のアイドルグループがある.
悪罵48のやり方はとにかく汚い.金の亡者と言ってもいい.限定グッズを求めるファンの心をくすぐり,同じCDを一人何百枚も買わせようとする.ここでわたしの妄想は高まる.
何故それほどまでにアコギな商売を臆面もなくやるのかといえば,その売り上げ純利益が,悪婆48を出演させてくれるテレビ局への莫大なリベートとして使う原資だからなのだ.
もちろん表向きにはやれない.だから担当プロデューサーへの個人的な闇賄賂とか,果ては枕営業も行うだろう.
そうやって悪婆48はテレビへの露出が増え,それを見た視聴者の中から新たなファンが生まれて悪婆48に貢物をするようになっていく.
しかしプロスポーツや芸能などのノベルティグッズ・ビジネスというのは多かれ少なかれ同じようなものかもしれない.
そこで思い出すのは,スティーブン・キングの小説『ニードフル・シングス』だ.
生きるためには全く必要のない物,ただ人々それぞれが愛する芸能人やらスポーツ選手やら文芸・芸術やらのグッズを扱う店.
だがその店の店主は実は悪魔の化身で,その店からものを買う人は知らぬ間に悪魔の企みに加担して街を滅亡させていく.
そういう小説を読んだ経験があるから悪婆48などという架空のアイドルグループを妄想してしまうのかもしれない.
※この増田はあくまで妄想であり,実在の企業,アイドルグループ,テレビ局,エコシステムとは何の関連もありません.
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そういえば去年の元日に秋元康さんがNHKに出てきた時はほんとにうまいこと言う,面白いことを言う,革命を起こすカリスマだなあこの人と思ったが.しかしその後の「あまちゃん」で,古田新太と当のNHKが彼の存在をコミカライズした時はやられたーと思った.
あくまで仮説の話だ。
それによって人間の認知可能な世界は広大に広げることができるだろう。
その一方で趣味嗜好だったり、話題にあがるものごとが極端に狭く単一化していっているようにも感じる。
2013年にこういった局所的大ヒットが複数発生したことは果たして偶然なのだろうか。
これは、ひとえにスマートフォン(特にiPhoneの普及とApp Store)
とソーシャルメディア(Twitter,Facebook)が大きく影響し、発生しているように思う。
ただ、こういった趣味嗜好の一極集中は、人間のあり方としてどうなのだろう。
豊かさが失われているような気がしてならないのは気のせいだろうか。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39905
偽ベートーベン事件の論評は間違いだらけ
この記事のブコメは割と現代音楽の高尚な作曲家様が商業及び無知な人たちを見下してるのウゼェという感じが多く見受けられて、そういえば日本の音楽の授業とかだと現代音楽についてってあんまり触れてなくてなんとなくそういうのが原因な気もした。
そこで日本の現代音楽界とか教育をDisるのもいいんだが手っ取り早い方法としてここに現代音楽の超大雑把な歴史を書こうと思う。
大まかさ重視だし自分もかじった程度なので細かいところは気にしないでくれい。その上でこれはさすがに語弊があるとか難しくてわかんねーよってとこはフォローお願いします。
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まず、本当におおまかな2大ジャンルして「無調」と「偶然性」がある。前者が先で後者が後の時代。
まずショパンとかがいたロマン派とかの時代の後半から調性音楽をどんどん複雑にしていって和音とかもそれまでは不協和音とされていたものも許容されていくようになる流れがあって(ちなみに中世ぐらいはドとミは不協和とされてたのよ)、そのうち「無調」を目指すようになる。
一番有名なのがシェーンベルクって人で、この人は「既存の技法にとらわれてちゃ新しいもんなんて出来ないぜ!」ってことで「12音技法」ってのを作った。
これは何かってうと、まず1オクターブの12音を自由な順番に並べて、「そのまま並べる」「逆から並べる」「最初の音を中心に上下逆さまにする」「上下逆を逆から並べる」っていう4種類の音列を作る。
で、この4種の音列だけで曲を作るってものなんだ。順番があってれば始めの音はどの音程でもいいし、同じ音名ならオクターブが入れ替わっても良い。リズムについては特に指定はない。
それから時系列的に順番だけじゃなくて和音の上から順に1,2,3番目みたいなのも有り。これ以外は何でも許される。ただ音の並べ方によっては調性があるものも出てくるのでそれは使わないようにしてたみたい。
つまりはルールを最低限にすることで既成概念にとらわれない曲ができたわけだ。ある意味これは「言い訳」的でも有り「どんなものが音楽的か?」は作曲家自身に委ねられる。
でもそれじゃ和音の取り方とか特にリズムの作り方とかは今までの概念とか染み付いてきたものからは抜けだせないんじゃない?と思う人もいるんじゃないかと。
シェーンベルクの弟子たちがそう考えて、より主観性を排除する方向に向かうわけです。
どうするかというと、音列1〜12番までにそれぞれ強弱や、音の長さとかを割り当てていく。「総音列技法」とか「セリエリズム」とか呼ばれたりする。
どう考えてもめちゃくちゃなリズムだろこれ、みたいなのがこういうのだったりする。メシアンの「音価と強度のモード」とか。
そうするとどうなっていくかというと段々作曲者が考える必要性がなくなっていく。
同時にこの頃コンピュータとか電子楽器が出てきまして(まだ研究所とかしか持てないレベルだけど)、ある程度のアルゴリズムを決めたらあとは技術者に任せて音を作ってもらえば良くなってしまう、ということになってくる。
(実はこの辺の技術開発がシンセサイザーや録音技術の向上にもつながって、今日の我々の聞く商業音楽の礎(踏み台かな?)になっているというのは多分事実で案外重要なポイントだと個人的には思ってるよ。)
でも当然こんな流れを続ければみんなおんなじように一聴意味不明なものばっかり出来上がって行き詰まってくるのはだれでも予想がつくことで。
ここまでが「無調」。
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そんな中登場したのがみんな大好きジョン・ケージ。
彼がやったことをざっくり言うと「お前ら既成概念から外れた音楽作ろうとしてたのに何そんな頭固いことやってんの?もっと音楽って自由だろ?」みたいな感じで
サイコロで演奏順がその時々によって変わるとか、人によって解釈の異なる五線譜以外の楽譜とか(これはケージが最初ではないけど)、果てには皆さんご存知「4分33秒」が出てくる。
ちなみに4分33秒が有名ですけど実はその後に「0分00秒」っていうのも作ってて、演奏しなくていいどころか始まらないし終わりもしない、存在はあるけど存在しないみたいな不思議なことになってしまうわけだ。
このへんはそりゃあもう革新的だったんですが当然、さっきのよりも深刻な袋小路に入り込んでしまったわけです。
このへんは現代美術もおんなじような流れがあるけど「やれることやり尽くしちゃった」です。だって音楽なのに音楽が存在しなくてもいいんだよ。
さあ、この後どうします?っていうのが現代音楽の現状と言っていいんじゃないかと。(当然皆この後もいろんな取り組みはしてるし、このへんの見解は分かれるとは思うけど。)
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ちなみにあんまり触れなかったものとしては未来派、スペクトル楽派、ミュージック・コンクレートとかがあるんで興味があればググってみてね。
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以上を踏まえた上でイトケンさんの記事に対する個人的な思いとしては
調性音楽を作るのは現代音楽を作っていくより圧倒的に楽だ、っていうのは現代音楽の道に入る人らはみんなまず調性音楽から勉強していって、その上でないと現代音楽が作れないってことだと思う。歴史の積み重ねつながりを知らんと無理だし、調性音楽の仕組みも理解してないと無理。
ただ調性感のある音楽は大したことがないからと著作権を放棄する作曲家ばかりなのかは自分は作曲家ではないしよくわからんが、上の流れで見たように、もはや調性感があるかないかなんて昨今じゃどうでもよくなってるんじゃないかということがあるのでそれはどうなの、と思う所あり。
あとブコメでも多分触れてたと思うけどあまちゃんのテーマを作った大友良英さんはおそらく一般大衆には理解され難いノイズミュージックをバリバリやってた人です。
そういう人がなんであまちゃんテーマのような超親しみやすい曲を作るのか?ということは結構考えて行くと興味深いのではないかと思うが、自分の考えはまとまってないのでやめとく。
ソースは現時点の http://bookgirls.tumblr.com/tags から。ブログ主=増田が個人的に好きなタレントのランキングだろと言われれば否定できない。
趣味を読書とする女優は多い。堀北真希の公式プロフィールも夏帆の公式プロフィールも、「趣味:読書」としている。無難な趣味としての読書は根強い。
一方で、マンガ・アニメオタクであることを公言してキャラ付けする芸能人も増えた。吉木りさはそれで取っている仕事もあるし、BL発言で物議を醸したりした。本田翼もマンガオタクとして昨年『ほんだらけ』を出版した。このジャンルの第一人者はもちろん中川翔子であろう。栗山千明様も捨てがたい。
Tumblrではブレイクし続けていて、腰の形で区別できるグラビアアイドルであるが、未だテレビで目にすることはほとんどない。
佐々木希もTumblrでグラビアがブレイクしたが、その後テレビに出るようになってからはあまりぱっとしない。ちなみにTumblrローカルで人気を誇ったグラビアアイドルといえば石井香織である。
橋本愛は『あまちゃん』などで人気上昇したのは間違いないが、ここでは角川文庫の2012年夏のキャンペーンに採用されてスコアを稼いでいる。
彼女はなんでここにランクインしているんだろう。俺の好みが反映されているのか。
オタク系アイドルの新星としてAKB系列から2位に飛び込んだ。写真集『きんぎょ』での書店撮影は、ユニフォームコスプレでもなく背景のロケ地として使っただけでもない、アルバイト体験的なショットが秀逸であった。Google+にも本を読む姿が投稿されることがある。他の面々とはやや趣の異なる方向性に注目したい。でもPVや歌番組ではどこにいるのか見つけられない。
異論の余地がない堂々の1位である。ブスかわいい的な評価はここでは措いておく。読書を趣味とする女優の中でも頭一つ抜け出た感があり、本をテーマにした雑誌の特集や単発の取材も多く、集英社文庫の2010年夏のキャンペーンにも起用された。
彼女達が実際に読んでいる本のタイトルは何か、ということは(雑誌インタビューはともかくブログやSNSでは)公開しなくていいと思う。安易なステマにつながりかねない。ただ自然な営為として読書やオタク趣味を曝し、本を手にする姿をフォトジェニックに撮ってもらいたい。
今年は流行語大賞の年間大賞(ノミネート、ベストテン、年間大賞とランクがあるらしい。初めて知った。)が4つも選ばれた。
自分なんかはどれも興味がないのだが(ただし「あまちゃん」は例外だ)、ノミネートを見てたらある言葉が目に入った。
「ブラック企業」
あーなんか厚生労働省も対策に乗り出したくらいだからな。2ch発で行政が採用したって画期的なことだよね(そこじゃない)。
でもブラック企業ってワタミとかユニクロとか餃子の王将が代表格だろ?誰が授賞してるのかと思ったらNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏。『ブラック企業』を書いた人だ。若い。
ブラック企業なんて2chで有名になったんだからひろゆきにでもくれてやれよ。映画版に敬意を表して小池徹平でも可(あの映画は小池徹平と田辺誠一を愛でるBL映画だったという説を自分は提唱している。同意求む。)。
とか思いながら、ひろゆきはブラック企業になんて言ってるのかと思って検索したら、いきなりグーグル先生のトップでこんなのみつけた。
http://www.youtube.com/watch?v=xNjeicZAr7g
どうやら、ひろゆきはおまけで(まあここでも脱線しまくってたから彼がメインじゃ放送が成り立たないことは察します)、
メインは特徴的な話し方とヘアスタイルの濱口桂一郎センセイと、眼鏡の坂倉昇平という人。なお後半から被害者さんたちが大勢登場します。
で、問題はこの坂倉という人で、この人も今野氏と同じNPO法人POSSEの人らしい。
一応、この人たちはだいぶ前からブラック企業を問題にしてたのね。
ここで自分は思い出した。この坂倉昇平って人、この夏に実名でツイッターでワタミ叩きまくってた人じゃね?
検索したらでるわでるわ。個人的にヒットしたのはこれ。ワタミのカルトな社員テストをスクープしてる。
週刊誌でもテレビでもなくツイッターで暴露。さすがツイッターの時代だ()。
https://twitter.com/magazine_posse/status/352357117874802688
ガジェット通信でも記事になってた。ワタミから逆襲のスラップ訴訟をされていないことを祈ろう。
http://getnews.jp/archives/374128
そしたら同じ坂倉昇平氏のこんなツイートも見つけた。これもガジェット通信で記事になってる。これも自分のTLに流れてきた記憶がある。
https://twitter.com/magazine_posse/status/352382794774761472
http://getnews.jp/archives/374059
で、このエントリで問題にしたいのはこれだ。
要は、自民党が4月の政策提言でブラック企業対策を掲げていたのに、夏の参院選の公約&サブ的な位置づけの政策集からも削除されてしまっていたらしい。
確かにすっぽりと抜け落ちている。自民党はワタミ元会長(もう社長じゃないばかりか会長でもなく、建前上は会長から退いていたらしい。知らなかった。)を当選させるためにそこまでアコギなことをしていたのである。と思ったが、ちょっと待て。自分は気付いてしまった。
「サービス残業など法違反が疑われる企業などに対しては、労働基準監督署が立入調査等を行うとともに、重大・悪質な違反をする企業に対しては、司法処分により厳密に対処し、公表を行う。さらに、法違反により過労死などの重大な労働災害を繰り返して発生させた企業・事務所名の公表について検討を行う。」(自民党の4月の政策提言より)
厚労省(現職の大臣は自民党議員)のブラック企業対策って、この消えたはずの自民党のブラック企業対策じゃね?
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000014323.html
驚くほど似てる。ていうかほとんど同じじゃないか。自民党さんはブラック企業対策をあきらめてなかったんだ!さすが!
坂倉昇平氏。嘘を言っちゃいけねーよ。
といいたいところだが(別にいいたくもないが)、自民党の公約から選挙で消えていたのは事実だ。
あきらめてなかったのなら、その説明がつかない。(br)
ここで考えられる仮説は二つだ。
1、自民党は春ごろからずっとブラック企業対策をやる気があったにも関わらず、参院選では隠蔽していた。
2、自民党はブラック企業対策をやる気はあまりなかったけれど、参院選後に復活した。
さあどちらか。
正直、自分にはわからない。だけど、ワタミを候補者に出したことでブラック企業の議論が高揚したのは間違いないと自分は見ている。
2だと考える余地は十分にあると思う。ネットで叩かれたから、やばいと思って復活させたってことね。
ただここで自分は、驚愕の仮説を立てた(なお検証する予定はない模様)。
結果的に自民党はワタミを公認することによって、ブラック企業対策を盛り上げた。
つまり、彼らは「泣いた赤鬼」戦略をとったといえる考察が成り立つのではないか。
「泣いた赤鬼」は童話の名作だ。仲良しの赤鬼と青鬼がいて、人間と仲良くしたい赤鬼のために、青鬼があえて人間を襲うふりをして、それを赤鬼が成敗する茶番を演じることで、赤鬼が人間と仲良くなるも、青鬼は茶番がバレないように赤鬼のもとを離れ、遠くへ旅立ってしまった・・・ってあれだ。あってますよね?
つまりワタミは青鬼だった説!自民党のブラック企業対策という赤鬼のために、犠牲になったのだ・・・・結果的には。
アン… アン…
先ほどから隣の部屋の方から女の声がしていた。字だけ見れば睦言を想起しなくもないが、実際に聞こえる声は色っぽくもなんともなく楽しくもない。
アン…
声がやんだ。こちらの声が聞こえたのだろうか、と思ったその瞬間。
また声がした。同じ女の声だ。そういえば隣の住人は女性ではなくむさい男性ではなかったか。
また声がした。女の声。隣の住人が出している声ではない。女性を連れ込んでいるのだろうか。
また声がした。「あまちゃんかよ」何気なしにつっこむ。
じぇーじぇー
先ほどより声が大きくなった。いったい何をやってるんだ隣は?
じぇーじぇー
また声が大きくなった。いったい何をやってればじぇじぇと繰り返すことになるのか。
じぇーじぇー
また声が大きくなった。さすがにありえない大きさに壁に向かってどなる。「うるせぇ!」
けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら
奇妙な笑い声が止まらない。たまらず隣の部屋に文句をいいに行くために外に出る。
外に出て隣の部屋の前に立つと、すでに不気味な笑い声はしていなかった。一応文句をいうか考えたが、発声者と顔を合わせたくないのもあり部屋に戻ることにした。
けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら
部屋に戻ると再び奇天烈な笑い声がした。舐められてる。再び隣の部屋に向かう。
ベルを鳴らす。声はしていない。反応もない。もう一度ベルを鳴らす。反応はない。「すみません、隣の部屋のものです。静かにしてもらえませんか。」反応はない。沈黙が不気味すぎた。部屋に戻ることにした。
けらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけらけら
また笑い声。笑い声?ふと、おもいあたったことがあり、つぶやいてみた。「じぇーじぇー。けら。女性誌かよ」
声が止まった。