はてなキーワード: 歴然とは
まず最初に、この増田では「表現の自由戦士」という表現を使っている
これは、「自らが定義している意味での「表現規制」を他者に対して行いながら、他者を「表現規制者」と批判し、自らを「表現の自由を守る者」だと自称している者を揶揄する言葉」として使っている
そのため、この増田では漫画・アニメ・ゲーム表現の自由を守る為に活動している真っ当な(主張に矛盾がない)人たちのことについては語っていない
表現の自由戦士「ほら見ろ!萌え絵ポスターは憲法的にも法律的にも問題ないんだ!だからお気持ちによる表現規制をやめろ!」
いやだから「憲法解釈論では大阪駅萌え絵ポスターは問題無し」って言ってるだろ
自分のお気持ちを害する意見に対して「表現規制をやめろ!!」と怒ってる表現の自由戦士が、「法律的には無問題」というのを武器にしてるの、ブーメランぶっ刺さってるの気付いてないんだろうか?
「法律的には問題ない」んだろ?それくらいは理解してるんだよな?
大阪萌え絵ポスターなんて、憲法的にも、法律的にも、更には「大企業が掲示してOKと判断して掲示している」という社会的意味でも「規制されてない」じゃねえか
なら表現の自由戦士が普段あれだけ声高に言ってる「萌え絵が表現規制されてる!」「表現を燃やされてる!」というのは何なのか?という話になるんだが
この根拠なき被害妄想こそ「お気持ち批判」であり、「お気持ち批判」こそ表現の自由戦士言う所の「表現規制」だろ
「「大阪萌え絵ポスターが公共の場に相応しくない」という意見そのものが表現規制なんです!」と、大げさに泣き叫ぶのは良いが、
それは「社会的影響を法的根拠を持った権力と同等に捉える」という点で「大阪萌え絵ポスターの掲示が許可されることそのものが女性差別なんです!」と言うフェミニストの意見と同レベルどころか、更に「社会的影響を大きく見積もっている」ことになる
なぜか?「大阪萌え絵ポスターが公共の場に相応しくない」という意見は、大量の批判に晒され、発言者に対する粘着アンチまで湧き、広告を出稿した企業にも無視され、弁護士にも批判を受けた
一方、大阪萌え絵ポスターの掲示が許可されることそのものは、(インターネットに出てくるものでは)批判の数より擁護の数の方が圧倒的に多く、大企業がその出稿を許し、弁護士にも問題ないと言うお墨付きを貰っている
主語が具体的だと先入観を持ってしまうだろうから記号で書いてやるな
「Aは、大量の批判に晒され、発言者に対する粘着アンチまで湧き、広告を出稿した企業にも無視され、弁護士にも批判を受けた」
「Bは、(インターネットに出てくるものでは)批判の数より擁護の数の方が圧倒的に多く、大企業がその出稿を許し、弁護士にも問題ないと言うお墨付きを貰っている」
それでは、「Aは、権力があるんです!」「Bは、権力があるんです!」、どちらがより現実に近いことを言っているでしょうか?
この事実からしても表現の自由戦士はフェミニストよりも更に批判対象の社会的影響を大きく見積もっていると言える
しかし、表現の自由戦士は「社会的影響を根拠にした批判」を常日頃「表現規制」(≒実際の法的な表現規制)と主張しているよな?
「まずお会いしましょう」
【と日本企業の人は言う。】
なぜ?
「】これがこの分だけ欲しいです。振り込み口座教えてください。【」
というだけの事なのに、必ず】
「お会いしましょう」
【と言ってくる。こちらは振り込み先さえわかれば話が早いので、重ねて
「】どこに振り込めばいいですか【」
ときけば、返ってくるのは】
「ふざけるんじゃないよ!!」
【という罵倒なのだ。こちらは】何もふざけてません。むしろなぜメールで問い合わせてるのに電話番号を教えるんですか?【と苛立ちを感じる。】
海外だと【このストレスがなく、あっさりと】メールで【話が】すむから
輸入販売を始めました。輸入ってことは【当然】飛行機と船の分コストがかかるんです【けど】ね。国内の方が安いでしょ?【安価な国内製品には価格優位性があるというのに、国内企業の奴らは】そこ【にせっかくある自分たちにとっての強み】を【なぜか】むしするの。【それとも彼らには】無視してる気はないのかな。【とにかく彼らは】とりあえず会わなきゃダメ【らしい】。あってどうするのよ。【こちらの提示額と】金【額が折り合わないの】か?足りないなら【はっきりそう】言え。てか【こっちはメールを送ってるんだから、メールの返信に】書けば【いいのに】。【でも彼らは絶対に】かかないんだよな【、メールには】。ここ【のやり取り】でまず1日ロス。会うから2日ロスする。
ではみなさん、海外と日本どちらと取引したいと思いますか?上司からはスピーディーな対応が求められています。できなきゃクビです。
【歴然としたこの差なんだもの、どちらを選ぶかっていったら当然】海外だよなあ。【日本企業の皆さんは、価格競争力とか品質とかを検討する以前に】この辺から【もう】ずれてるので【選ばれっこないんですよ】。【まず会って商談という硬直した営業を是として、社員の評価基準にしているような】中小企業の社長は全員首にして【、大げさに言えば、成人したばかりで古臭い商習慣を知らないような】18歳の男【でも】社長に雇った方が【まだ】いいよ。
近年において最もホットなウェブ漫画の一つに数えられてもいい『ニセモノの錬金術師』が、はてなではあまり語られていない。満を持して増田で一本書いてみたいと思う。
『ニセモノの錬金術師』は、2020年から現在に至るまで連載されている、杉浦次郎氏によるウェブ漫画である。
ジャンルはいわゆる異世界転生モノだが、既存作品とは明らかに方向性を異にしており、その方向性とは作者特有とも言える人間の精神性を執拗に描写していくスタイルだ。
人を愛すること、人を呪うこと――主にその二つを軸に世界観が構築されており、そのような精神性は主に「呪術」という作中独自の技術体系によって表現されている。世界は愛と呪いに満ちている――それが恐らくは、この『ニセモノの錬金術師』を語る上での基本的な世界観であろう。
主人公は、かつて地球にて生を送っていたサコガシラという名前の男性である。ある日交通事故に遭い、異世界へと転生させられる。
その際に神的存在によって高度な錬金術とも呼べる能力を与えられ、その能力によって彼は錬金術師として様々な困難を潜り抜けていく。そんな中、気まぐれに立ち寄った奴隷商人の店内にて、彼は一人の女奴隷と出会う。
あらすじだけを見れば、既存の異世界転生系作品との差別化が不十分であるとも取られかねないと思う。とは言え、読めば分かるのだが、本作は既存の同ジャンル作品とは全くもって方向性を異にする作品である。現状では全話無料で読むことが可能なので、是非ともその目で最終的な評価を行ってほしい。
以下、この『ニセモノの錬金術師』について、個人的に魅力的だと思っている箇所を列挙していく。
本作で描かれる『呪い』の描写は極めて綿密であり、作者の思想や、また恐らくは人生経験が濃密に反映されている。この『呪い』を巡る描写において、個人的に特に感銘を受けたのは、節タイトルの「呪い」についての描写である。
主人公に奴隷として購入された異国の少女ノラは、かつて優秀な呪術師の父によって呪術の手解きを受けており、あるとき彼女と同じく奴隷商の商品であったエルフの女性、ココにかけられた膨大な呪いの存在を察知する。ココは四肢を切断されており、また目と鼓膜と発声器官を念入りに損傷させられているため周囲の人々とのコミュニケーションを取ることができず、長い間その致死的な呪いの存在に周囲の人間は気付くことができなかったのである。
ノラはサコガシラ邸にてその呪いの分析を行う。自らココにかけられた呪いの一端を体験しつつ、その呪いの根本的命題へと深く探訪するのである。最終的にノラは、ココにかけられた呪いが、ココを呪った何者かによるあまりにも深い慈愛からやってくるものであることを悟る。ココにかけられた呪いの奥深くに潜んでいた根本的命題とは、「自らの愚かさに嘆き ただ苦しみ 痛み 辱められ 毎日に怯え震えて 生きることを命じる」という陰惨なものであった。しかし、同時にその呪いには深い慈愛の影があったのである。ノラはその事実に深く混乱すると同時に、自らが学んだ呪術という技術体系に対する深い侮辱の念を覚える。そして、その何者かに対しての憎悪を露わにするのだ。
呪いというものは誰しもの心に自然に生まれるもので、それは人間の心にとってひどく自然な営みであると、作中では語られる。誰かを呪う気持ちなくして人間は生きることなどできないのである。その、人間にとって自然な感情をコントロールし、時に人間の営為に役立てるために生み出されたのが、作中における呪術という技術体系なのだ。少女ノラは、その技術に深い愛着を持っていた。それ故に、ノラはココの『呪われ方』――深い慈愛と共に、おぞましいほどにまで対象を呪い抜く偏執性――に歪つさを見て取ると同時に、反発を覚えるのである。
作中で最初に重度の呪いが描かれるのが、節タイトルのシーンであり、私はこの呪いのシーンが好きだ。呪いとは、自然な心の働きであり、それは愛することと同様に人間と切り離すことのできない営みなのである――だからこそ、ノラはその営みに深い拘りを持っており、その拘りが示されるこのシーンは作中全体における、『呪術』に関するハイライトとなっているのだ。このような、ノラが持つ『呪い』に対する自然な拘りは、ある意味では作者が抱える『呪い』に対する拘りと鏡映しの関係になっている。作中の様々なシーンから、作者の『呪い』に対する拘りの深さ、あるいは、含蓄の深さを覗くことができる。
この一節は、ノラの父によってノラに対して語られる、言わば呪術の基本のキに当たる基礎的な方法論である。禁忌を破ることと呪いを受けることはイコールの関係になっており、時に呪術師はその呪いを強めたり、あるいは和らげもするのだ。
呪術は度し難い技術である。しかし同時に、呪術とは人間の心に自然と生じる、深い憎悪を鎮めるための技術でもあり、その背反性が作中では極めて自然に溶け合っている。
本作の主人公サコガシラは自己評価が極めて低く、自身の命を極端に軽視するという傾向を持っている。これは、サコガシラに自傷的傾向があるという意味ではない。純粋に自尊心が低すぎ、また、自己評価が極めて低すぎるがために、自分の命を消費可能な手段であるとしか認識できなくなっているのである。
そのため、困難に出会い身近な人間が脅威に晒された際には、その救済のために自己犠牲を必ずといっていいほど為そうとするのである。誰かを救うための選択肢が幾つかあるとして、その第三候補くらいまでに必ず一つは、「自らの命を犠牲にして――」という選択肢が生じてしまう、そんな人物が本作の主人公である。普段の生活において全くその傾向をおくびに出すこともなく、またサコガシラ本人さえ無自覚であるものの、その傾向は歴然としており、基本的に彼は自分の命に価値があると思っていない。卑屈になっているわけではなく、自分の命に価値を見出すことが、どうしてもできないだけなのである。そのような歪つさを彼の周囲は彼との交流の中で少しずつ認識していくのだが、その危うさにむしろ惹きつけられていく。
また、彼の心理の内奥にあるものが作中で示されるのだが、それはあまりにも深い『好奇心』であると本編で語られている。サコガシラは、目の前にいる人物がどんな悪人であれ、どんなに救いようのない人物であれ、その人物に何らかの『可能性』を認める限りで、その人物に対して強い興味――『好奇心』を持ってしまうという、彼自身にさえコントロール不可能な強い傾向を持っている。恐らく、このような他者に対する強い傾向は、上記の自分自身の価値を軽視する傾向と深く関わっているように思われる。
このような歪つさと純粋さが深く絡まりあったキャラクターは、主人公に限っての話ではなく作中に数多存在している。
歪んでいると同時に純粋であれ――その、作者によるキャラクター造形の原理が、この主人公の特徴からはっきりと伺えるのである。
主人公サコガシラの前には様々な敵が現れる。彼らは決まって忌まわしき存在であり、主人公の大切な存在を常に貶めようとするか、奪おうとするか、あるいはそれらの両方を為そうとするおぞましい存在である。とは言え、それにも関わらずニセモノの錬金術師において現れる敵はとても魅力的に描かれている。
ネタバレになるので詳しくは書かないが、彼らは必ず深く歪んでいて、そしておぞましいほどに純粋なのである。その純粋さが彼ら独自の正義を追求していく過程で、彼らは度し難いほどに他害的な傾向を持つことになる――そのような背反性は往年のライトノベル『ブギーポップシリーズ』にも見て取れる傾向であると感じられる。
それはともかくとして、主人公の周囲に集まってくる純粋に善なる人々とは対照的に、それらの人々に対する悪の存在は純粋で危ういものとして描かれる。その、悪役における人間性の絶妙な機微が本作における重要な魅力の一つになっていることは、論を待たないであろうと思われる。
以上、ひとまず思いつく限りで『ニセモノの錬金術師』の魅力について書き散らしてみた。
amazon(kindle)、ニコニコ静画、pixivといったウエブサイトにて、本作は現在無料で閲覧することができる。杉浦次郎氏の描く深く純粋で歪んだ世界観に、是非とも耽溺してほしいと思う。
タイトルの通り。
高校に上がるまで殴られてました。
食事後に「皿を片付けなかった」という理由で腹を殴られたり、夜寝るときに「エアコンを付けたい」と言ったらうるさいと顔を殴られたり、他にも温度を上げたシャワーを頭から浴びせられたりと、こんな小学・中学生活を送ってきました。
この頃僕は学校でも虐められていて、正にどこにも逃げ場がない状態で、誰にも言えないので耐えるしかありませんでした。正確に言えば当時の担任には言いましたが、解決するどころかより陰湿になりました。
父親がこんなんでして、じゃあ母親はというと、父親の味方でした。何かあれば父親に電話や対面で報告し、僕が殴られる。父親は殴るだけですが、母親は殴る蹴るの両刀です。でも父親の方が圧倒的に畏怖の対象でした。アニメなんかの表現で、「自分が縮小、相手が拡大して画面一面を相手の存在が覆う」みたいなのあるじゃないですか。あれは「対面する相手との力の差が歴然となっている表れ」みたいなもんですけど、実際そんな風に見えました。まるで自分の存在がゴミ同然のような、そんな感じでした。
母親は父親と比べれば力もそうですし、今振り返れば精神年齢が当時の僕に近かった気がします。例えば売り言葉に買い言葉みたいな調子とか、子供の喧嘩特有(?)の「相手の言葉を真似して挑発する」行為とか。なので母親に関しては、機嫌を取っていればそこまで脅威ではありませんでした。振り返ってみれば、ですけどね。当時の僕にそんな器用なことはできませんでした。何が琴線に触れるのか分かりませんでしたし、正直今も分かりません。
小学生の頃に一度、家での暴力と学校の虐めがキツくて、つい「ストレスが溜まってる」ということを母親に言ってしまいました(虐めのことは両親は知りません[今は母親だけは知ってます。多分後述する]。言ったら殴られると思っていたので)。母親は「子供がそんなことを言うな」と怒りました。父親に電話して、そのことを伝えました。その電話を自分が受け取り、父親は「帰ったら殴る」ということを言いました。今でも覚えています。小学3年でした。僕はこの頃から死にたいと考えるようになりました。家の屋根から飛び降りれば死ねるかな、でも飛び降りて死ねなかったら痛いから嫌だなとか、そんなことを考えていました。
中学生になっても家では殴られて、学校での虐めはより陰湿になりました。この辺りから僕は、死にたいと思っても死ぬ勇気も気力もない自分について理解しました。小学生の時には虐めている"加害者"に反抗したりもしましたが、先生に言ってからその度合いが増したことから、無意味なんだと悟りました。耐えるしかありませんでした。親に関しては前述の通りの有り様なので言っていません。
学校での話に逸れたついでなのですが、配布物で「名刺くらいの大きさの、24時間相談できるような、電話番号が書かれたカード」みたいなやつ配られた事ありますか?なんちゃら相談室みたいなやつです。僕のところはそういうの配られていたんですよね。
これって使う人いるんですか?学校での虐めだけだったら使えるんですかね。僕は使えませんでした。
当時は
・自分が家にいる時は母が家にいる
・子機は使うと親機が「子機使用中」のような表示に光る
のため、バレずに電話することは不可能だと考えていました。「もし電話して親にバレたら」と考えると、どれだけ殴れるか、想像したくもないくらいでした。
僕は今生きています。バイクに乗るのが好きで、各地の観光地やグルメを楽しんでます。アニメやゲームや漫画が好きだし、音楽も好きだし、お酒も好きだし、新しいことを始めようと勉強もしています。仕事は楽しい…とは言えませんが、それでお金を稼ぐからこそ趣味に使える訳なので、別に不満はありません。
10年来の友人もいて、未だに1ヶ月に1度程度はあったり、リモート飲み会したりしてます。
これでも人間なので好きな人ができたりするんですけど、いざ告白しようとすると、「自分に恋人なんてできていいのだろうか。まして結婚でもしてしまったら、子供が産まれてしまったら手を出すんじゃ」という考えがよぎり、1歩踏み出せなかったり。
「『子を殴る親になりたくない』から結婚したくない」「結婚したくないので恋人はいらない」っていうと、「子どもは欲しくないって人と結婚すれば」って言うかもしれませんが、そういう人って果たして一生子どもは欲しくないって思っていてくれるでしょうか。
話が逸れてしまいました。
というわけで自分なりに楽しく過ごしていますが、未だに、寝る前に昔のことを思い出して泣くことがあります。「昔はあんなんだったけど、今楽しく生きてる!」ではなくて「今楽しくて忘れてた。僕はこういう人間だ」と、過去と現在の差があるほどに虚しくなります。いくら楽しいこと・嬉しいことがあっても、過去が纏わりついて全てを壊します。
子供の頃、両親のことは嫌いでした。当然です。
でも僕はちょろいので、会話の回数が多い母親のことは、好きかと言われれば言葉に詰まりますが、今は嫌いじゃありません。友好的だと思います。こうなってから、話の流れで母親には当時自分がいじめられていたことを話しました。
では父親はどうかというと、嫌いではありません。「他人」です。仕事で例えると「別部署にいる、存在だけは認知しているあの人」みたいな感じです。
じゃあ過去を無かったことにするくらいなのかと言われると、殺したいです。必ず殺します。
昔は自分が死ねば楽になると思っていましたし、まぁ今もそう思うことはありますが、「自分が死ぬ前にあいつは絶対に殺す」と考えてます。全く根拠も無い、ただの妄想なのですが、次口論になったら間違いなく殺すと思います。僕は「父親を殺した」という罪に関して、逮捕される覚悟はもうとっくにできています。むしろ、父親を殺せるなら自分が死刑になっても良いとさえ思っています。死にたいと思って、その勇気が無いまま人間として生きてしまった歪んだ存在なので、父親をこの手で殺せて、且つ自分を殺してくれるんだったら何も言うことはありません。
人を1人殺してそれでも生きるんだったら、まぁやりようはあります。
すいません、長々と書いてしまいました。何言ってるかわかりませんね。文章が変だったら申し訳ない。要はタイトルの通り父親を殺したいだけです。自分の生死についてはなんとも思いません。早く口論したいです。
口論の種はあります。祖父母は僕に結婚して欲しいと思っているので、それを父親がいる場面で僕に聞いてくれればそれを否定して、理由も言って、なんやかんやあって口論になって殺す。こんなうまくいくとは思いませんが、楽しみですね。
ヘルムート・マルコは時々、「ユキ、私たちの小さな日本人の男の子」と言う。
レッドブルのモータースポーツ・コンサルタントが笑顔で優しさに満ちた心で言っていることも、2022年の社会では、侮辱と受け取られる可能性もある。
そこで、角田(1.59メートル)自身は実際にどう見ているのか聞いてみた。
イタリアGPの会場で彼に会ったとき、彼が2023年もアルファタウリのドライバーを続けるかどうかは未定だった。
マルコは裏ではそのことを隠していなかったが、公式に伝えられたのは木曜日のことだった。
これで「リトル・ユキ」は、少なくともあと1年はF1サーカスの中でドライブすることになったわけだ。
2021年のF1デビュー戦バーレーンGPでは、9位でストレートにポイントを獲得し、鮮烈な印象を残した。
F1スポーツディレクターのロス・ブラウンは、彼に「ここ数年で最高のルーキー」と賞賛を贈った。
しかし、その後、4回連続でノーポイントが続き、マシンのガラクタを大量に生産してしまった。
角田が安定したのは2022年になってからで、チームメイトのピエール・ガスリーとの差も縮まっていった。
ちょうど1年前にチームからファエンツァに引っ越しするよう言われたこともあるのだろう...。
質問:
「ユキ、チームからファエンツァに移動してフィジカルトレーニングを強化し、精神的なケアをするように言われたそうですね。
具体的にどういうことなのか、ずっと気になっていたんです。
今は、朝はフランツ・トストと一緒にジョギングして、夜はご飯を食べているのですか?」
角田裕基
「いいえ。正直、一緒に走りに行くことはないです。今、心理カウンセラーがいますが、彼はオーストリアに住んでいます。いつも会っているわけではないんです」
「ファエンツァでの生活は、そこで多くのトレーニングをするようなものです。
イタリアに移住した昨年と比べると、あまり変わっていません。でも、今はフィジカルなトレーニングに時間を割いています。」
質問:
「ファエンツァに移ってから、トストと過ごす時間は増えましたか?」
「一緒にランチをすることもありますよ。でも、毎日ではありません。
昼食時や、工場で会ったときに話をするのもいいですね。エンジニアと話をするために、そこにいることが多くなりました。」
質問:
「イモラの前に、YouTubeチャンネル用にファクトリーツアーを収録しました。
フランツ・トストから、チーム・マネージャーのグラハム・ワトソンの奥さんがあなたに語学を教えてくれたという話を聞きました」
「でも、もう終わりました。しかも、イタリア語ではなく、英語だけでした。」
質問:
「私は日本語が話せません。東京で一人暮らしをするとなると、退屈するのは想像に難くないです。
ファエンツァの日本人としていかがですか? 会う友達はいるのでしょうか?」
『発音』はとても大切です。
だから、フィードバックができるだけ明確にチームに届くように、発音はさらに重要です。それが間違いなく役に立ちました」
「でも、今は、さっきも言ったように、もう英語のレッスンはないんです。正直、かなりうれしいです!(笑
今は、ドライバーとして順調に成長していることを楽しんでいます。
また、英語力に関しても、すでに昨年よりずっと良くなっていると思います。それはいいことですね。」
このインタビューの前に、「小さな日本人のユキ」というイメージから、言葉の話題に重点を置いたが、上達はしているものの、まだまだ不十分な英語力にも関係しているのかもしれない。
外国語よりも母国語の方が自信があるというのは、ごく普通のことである。
このセリフの書き手である私は、F1ジャーナリストになりたての頃、まだ今ほど英語が堪能でなかったため、
語彙の少なさから、単に他人の認識を正しく分類する方法がわからず、「cxxp」「sxxt」などの汚い言葉を無意識に投げかけることがあったことを、今でも鮮明に覚えている。
よって、日本語を話す角田と、英語を話す、あるいはイタリア語を話す角田は、おそらくまったく別の人格なのではないか、
そして、それはヘルムート・マルコに限らず、彼がどう受け取られるかということと関係があるのではないか、という疑問を持つのは当然だ。
イタリアでは、どこかキュートでカルトな日本人として、しかし、母国語では強烈な個性として。
「実際にそう思っている友人も何人かいるんですよ。
また、ヨーロッパの友人には、私が日本語を話すときの発音がまったくおかしいと思う人がいます。笑い話にするんです」
「一つ問題だったのは、汚い言葉をたくさん使ってしまったことです。
でも、だんだん慣れてきました。
私が感じているのは、英語を話すとき、少しずつ日本語のような自然な口調になってきていることです。
でも、英語を話すのは好きですし、語彙の面でも少しずつですが、かなり表現できるようになってきたと実感しています。
満足です。」
質問:
「工場にいないときは、ファエンツァのフラットに一人で座っているんですね。
それとも、とにかく自由な時間が少なすぎて、そういうことが頻繁に起こるのでしょうか?」
「それもあって、オンラインゲームをよくやるんです。オンラインゲームは自分にとってストレス解消に重要です」
「そのうえ、日本にいる友人と同時にプレイしながら話ができる。
残念ながら、日本の友人と会う機会がとても少ないんです。ゲームは、たとえネット上だけでも、たまには話をするのがいいんです」
その中にはチーム出身者もいます。自宅に招いてバーベキューをすることもあります。」
質問:
角田:
「はい!
:「ヘルムート・マルコは、インタビューでよく『私たちの小さな日本人、ユキ』のことをかわいらしく話していますね。
「どうでしょう。言えることは。私たちは良い関係を築いています。
また、上司としてだけでなく、友人や指導者としても見ています」
「50パーセントはサーキット以外のこと、50パーセントはレースのことを話しています。仲がいいんです。
ジュニアフォーミュラのレースをしていた頃から面倒を見てくれているんです。
彼がいなければ無理だったでしょう。良い関係です」
質問:
「ヘルムート・マルコは、ときどき朝早くからドライバーに電話をかけることで有名です。
あなたにもそんなことがあったのですか?」
角田:
「数回⁉
でも、あまりないですね。幸いです。
でも、私自身は普段から早起きしているんですよ。それでいいんです。」
2022年は角田にとって特別な年だ。10月9日には、普段はテレビでしか応援できない家族や友人の前で、ホームグランプリである日本GPのグリッドに初めて立つ。
角田選手は2021年からF1に参戦しているが、2020年と2021年はコロナの大流行で、鈴鹿でのグランプリは開催されなかったのだ。
質問:
「日本では、ヨーロッパよりもずっとスター的な存在なのでしょうね。イタリアでは半信半疑で動けるけど、日本では違うんだろうね?、と」
角田:
しかし、アイルトン・セナがドライブしていた頃と比べれば、今となってはその大きさは歴然です。
長い間、日本人のF1ドライバーはいなかったし、日本のメーカーさえもなかった。そこで関心が下がってしまったのです。
でも、日本の多くの人々がF1に興味を持ってくれるようなことができればいいですね」
「日本にはあまり行かないので、F1がどれだけ人気があるかよく分かりません。
年に3週間日本に戻るのですが、前回はそのうちの2週間を検疫で過ごしました。
その時はあまり外に出なかったんです。」
質問:
角田:
「1月ですね。家族や友人を訪ねようと思って。日本も楽しみですけどね。
チケットは早々に売り切れたと聞いています。素晴らしいことです。日本のファンの前でレースをするのが待ち遠しいです!」
質問:
「鈴鹿はファンが有名で、ドライバーにいろいろと風変わりなプレゼントを持ってきてくれますね。
角田:
「テディベアをもらったことがないんです! 一度くらいはいいじゃないですか」
「真面目な話、日本のファンは非常にクリエイティブなファンです。DRSを搭載したヘルメットを自作するのです。
彼らは本当に熱狂的なモータースポーツファンなのです。ファンの皆さんの創意工夫が楽しみです。
プレゼントも!? それが一番楽しみなことの一つです。」
元ネタ : Verletzt es Sie, wenn Sie Helmut Marko "kleiner Japaner" nennt?
2025年。安倍元総理の国葬に端を発した議論は世論を真っ二つに割り、収まることを知らなかった。「生前の功績を考えれば当然である」「法的根拠がない」「国会の議決があれば充分だ」「基準が不明瞭で恣意的であり、つまるところお手盛りではないか」「俺だって国葬をやってほしい」――その対立は混迷を深め、デモ隊は国会前を埋め尽くし、街宣車の怒鳴り声は霞が関に響き渡り、もはや正常な国家運営は不可能かと思われた。しかし官僚はどこまでも優秀であり、また柔軟であった。瓢箪から駒が出るがごとく、あるいは彗星のごとく、突然「厚生労働省組織令等の一部を改正する法律」が可決・成立、厚生労働省に葬儀局が発足したのだ。通称「誰でも国葬法」である。
国葬はこのような流れで行われる。自分の葬儀を国葬で執り行ってほしいと望む希望者は、生前のうちに国葬希望届を市区町村に提出する。もちろん国葬を行う理由も求められる。人生の総決算なので――もちろん国葬を求めるような人種にとっては、ということだが――気合を入れて書かねばならない。「個人病院を経営し、地域を経済面・健康面の双方で支えた」とか「長年にわたるボランティア活動を通じて人々に希望を与え、他人を慈しみ思いやる心を身をもって示した」とかそんな立派な感じのことを原稿用紙10枚分ぐらい書く。自分で書いてもいいが、役所の人間は誤字脱字に極めて敏感なので代筆業者に頼むのが確実である。却下と再提出を繰り返しているうちに死んでしまったら元も子もない。
参列者数の見込みも書く。少なすぎると却下されるが、あまりにも非現実的な数字を書いても撥ねられるので、実数の2倍から3倍ぐらいとするのが良い。その程度ならバレない。死亡予定日も書く。親切なことに書類に目隠しシールが付いているので、医者に頼めば記入後に目隠しシールを貼って返してもらえる。その日を知ってしまって心穏やかでいられる人はあまりいない。自分で記入する豪胆な人もいるらしい。その日になったらどうするのだろうか。
費用は前払いである。葬儀のグレードに応じて価格が違う。一番下から3番目ぐらいまでのグレードはそこらへんの葬式と何も変わらない。それでも申し込みは引きも切らない。ここら辺の人々は国葬を単なる前払い式国営ワンストップ葬式パックとして見ている。難しいことが全て前払いの明朗会計になっているのだから無理もない。いったい葬式とは何なのか改めて考えさせられる。
グレードが上がっていくにつれて費用の桁も増えていくが、それだけ扱いが豪華になる。一番上のグレードは費用も審査も厳しいが、扱いは一般市民としては最上級のものになる。外国の大使も参列する――もちろん応じてくれればの話だが。不偏不党の原則によって与党だけでなく野党の党首なども呼ばれる。厚労省の副大臣あたりも参列する。YouTubeの厚労省チャンネルで生中継も行われる。ニコ生でも中継される。式典のフォーマットは完全に決まっているため――何しろお役所仕事なのだ――走る自動車に完璧に合わせて「⊂ニ(^ω^ )ニニニ⊃」のAAが投稿されたりする。咎める人は誰もいない。いったい葬式とは何なのか改めて考えさせられる。
近頃は葬式だけでなく誕生についても国がまとめて面倒を見るべきだという議論がある。人間は誕生と同時に人権と戸籍と国籍が与えられるのだから、赤ん坊の誕生は単にその親の私的なイベントではなく、歴然とした公的性質を帯びている、というわけだ。人生の始まりと終わりが国によって管理されるとき、その人生の所有者は果たして本人なのだろうか、それとも国家なのだろうか。
勝手に殺すな~~
積読消化を苦痛に感じながら、正直読書という趣味の継続に困難を感じてるんだよな。
この記事見て、また最近のラノベ叩きだとか内輪で騒ぐてめェーだよてめェー。(いや昔からつまんないラノベは沢山あったから、最近の話ではない)
人気投票でランキング上位見ても結局認知度調査でしかないんだよな。メディアミックスした作品が上位に来るのは当たり前だ。
おっと、このラノで言えば協力者票があるから、そういう認知度だけじゃないマニアの推薦する図書もランキングに入る仕組みはあるな。
そうだよ、てめェーだよてめェー。ゴミばっか推薦しやがって。
書評ブログとか、全く信用できなくなってんだよな。献本文化と、案件とかもらってんのか知らねえけど、批判しねえし、大した出来でもないゴミを過剰表現のオンパレードで絶賛してやがるからな。
ミミズクと夜の王とか、イリヤの空UFOの夏とかと比べて、お前らがここ最近で絶賛してた魔王2099とか、わたし、二番目の彼女でいいから。とか竜と祭礼がどれくらい面白かったのか、点数表示で愚かな俺様に教えてくんねえかなー。
バズった作品書籍化してりゃいいと思ってる編集者、てめェーだよてめェー。
ハーモニーや華竜の宮に比べて、最後にして最初のアイドルやJKハルは異世界で娼婦になったがどれだけ面白いのか比較で教えてくんねえかな。
俺には分かんねえんだよな。帯に適当な宣伝書いてる奴も同罪だからな。
与えられた餌食ったら全部美味しいって叫ぶ鶏どもがさ。発言権与えちまったばかりに検索を汚染してて迷惑してんだよ。出版社がそういう鶏向けの飼料メーカーでその従業員である自覚してんだったらいいけどさ。そしたら編集はバズの数字見てるだけの工員として自覚を持て、二度と作品の質に一家言ある風なツイートすんじゃねえぞボケ。
なあ、鶏さんたちよぉ、紫色のクオリアや皇国の守護者に比べて星系出雲の兵站やねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンや彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~がどれだけ面白いのか教えてくれよ。
これはラノベに限らないんだけどネガティブ評価をしない文化が広まっていて、ツイッターはあてにならんし、アマゾンレビューでも一番参考になる星2ぐらいの評価が全然なくなった。
他にも今ではすっかり害悪として名高いラ研の書評を見てみよう。
2003年発売の涼宮ハルヒの憂鬱と、2011年発売のやはり俺の青春ラブコメは間違っているの読者投票の結果では、投票数に占める最高評価の割合が明らかに変化していることが見てとれる。
なんでも絶賛文化のせいで本当の傑作が傍から判別できず、結局ジャケ買いと大差ない判断力で買うしかないんだよな。そのせいでゴミを何十回と掴ませられるとかこんな文化もう滅んだ方がいいだろ……。
MF文庫が猛威を振るってた頃にラノベって結局ソフトポルノじゃんとか言ってたやつを思い出すわ。
今や、右も左もシチュエーションラブコメとか、縮小再生産みたいなジャンル小説、お題小説のオンパレードだ。
高齢化するオタクくんの性欲や社会での鬱屈解消のためになろうで生産されるゴミを読まされるのもこりごりだよ~。
なろう系はあくまでなろうランキングをハックするための工芸品だから、まあ読まなきゃいいだけなのでまだ良心的だ。
ライト文芸はひと昔前はラノベ表紙としては見向きもされなかったpixiv青春系の表紙が面陳で青一色とかになっててそれはそれで食傷気味なんだよな。結局さぁ!編集者が何のポリシーもなく後追いしかできねえからさぁ!
女性向けポルノっぽいのもここに集中してるから、それもまあ表紙見ればある程度判別できるから回避可能。
一般文芸読みにいってもアニメキャラみたいなのばっかなのは草。昔文学賞のクソ爺どもが言ってたことがちょっとわかるわ。インターネットを通じて、アニメの流行を通じて、作家の想像力や語彙力に明らかな影響を与えてるんだよな。まあそれはいいんだけど、肝心の内容がつまらんのよ。
一般で売れてたところで和菓子のアンとか、ライト文芸でSNSの身内褒めと宣伝だけやたら上手だった、「私が笑ったら、死にますから」と、水品さんは言ったんだ。とか、シンプルに筆折れと思ったもん。こういうプロモーションで出てきて内実がカスなの、将来の読者減らす結果になってる気がするんだが。
そん中だと閻魔堂沙羅の推理奇譚は頑張ってたな。上手いの分かるよ。medium 霊媒探偵城塚翡翠もまあまあよかった。作者のやりたいことは分かるわ。屍人荘の殺人もよかった。ミステリばっかじゃねえか。
てかよぉ、ライトノベルと呼ばれたくなくて、ライト文芸ってジャンル作ったってのに、何年経っても傑作が出たって話が聞こえてこねえんだが?
ブームの起点になってたビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~なんかは時代が下ればコピー品が増えてるし見劣りするかもしれんが、あの時点で出した作品としてはそれなりによかったと思う。ぼくは明日、昨日のきみとデートするあたりも意外と出来がよかった。傑作とは到底言えないが、この辺りぐらいは商品として維持してほしいクオリティだわな。
はてなでは嫌われている知念氏の天久鷹央の推理カルテも悪くない出来だと思うよ。一巻しか読んでないが。
君の膵臓をたべたいの読者層はもう昔からあの層ぐらいで諦めがついているけど、中身は読まないと確認できないから、食ってゴミなの確認するのやっぱつれぇわ。
正直言うていい?ラノベのラブコメ、だいたいマンガの劣化やろ。
小節の利点ってさあ、俺様みたいな貧困層出身のガキが購入する上でマンガに比べて価格と消費時間のコスパがいいってところぐらいだろ。
文庫本一冊の新刊を買うぐらいなら同じ値段でサブスクに加入すればいい。なんなら家族が加入していれば無料で、消費し尽くせないほどのコンテンツを浴びるほど楽しめる。
そうすると逆に時間の価値が高くなってくるんだよな。ラノベは一冊の消費にかかる時間が長い。ハズレを引いたときの徒労感が尋常じゃないんだよね。(俺は買った作品を途中で投げることがなかなかできなかった。作者がオチや終盤に全力を込めていた場合、そこまで読んでから酷評するのがマナーだと思うから)
今やラノベはコスパ最悪の娯楽だ。つまり貴重な時間を使って、一定以上の快楽を摂取したいという願望を速やかに満たすには、なろう系的なスカッとジャパンファンタジーやシチュエーションラブコメというほぼほぼツイッタークソマンガの劣化版をさらに劣化させた産廃を生産せざるを得ないのだ。悲しいねえ。
胸躍るようなものを見たけりゃアニメや映画見てればいいんだよね。単純に作者とイラストレーターと編集、校閲のせいぜい四名程度で制作してるコンテンツと何十人が力合わせて創ってるコンテンツ、どっちが面白いかなんか聞かなくても分かるし、市場規模が実質、客から見た面白さの差なんだよね。(クリエイター馬力理論と名付けよう)
マンガとラノベでなぜ売上が歴然と違うのか?ラノベがつまらねえからだよ。
あー すっきり・・・・・
しねぇんだよ
てめェーだよてめェー。
ラノベがディスられるたびにきっしょいお気持ちツイートばっかしやがってよ。フォロワーの間でお気持ち表明とよいしょで傷口ペロペロしとる作家ほど見たくなかったもんはねえよな。
こういう記事にお前の感性が老化したんだとか、他人のせいにして自分の作品のゴミっぷりから目を背けてるカスども。一部でも面白いと言ってくれる読者がいればいいとか言ってるカスども。
言っちゃ悪いがお前らの作品10年後には誰も口にせんし、覚えてもねえわ。覚えてるのはゴミ食わされて未だに下水の味が口に残ってる俺みたいな奴だけだわ。この記事書きながらうんこ垂れ流した奴らのことめっちゃ思い出したもん。
ここに例示した作品すべてを眺めて、なお自分の方が面白いと叫べるような奴いる?いてもどっかのvtuber小説の人みたいに自分の実力を過大評価してる奴ぐらいだろうが。
それでも俺は、小説には小説でしか表現できない面白さがあると思っている。
まあせいぜい気張れや。
そういえば せわになった ひともいたな・・・・・
いつもゴミの中から食べられるものを選り分けてくれるフォロワーありがとう。
どうもでした。
貧乏なころは、なるべく草履やサンダルなどを裸足で履いて、そもそも臭いが出づらくしていたし、
各社のデオドラントスプレー(フットスプレー)や「ピロエース石鹸」などのグッズ類を試したり。
もちろん靴のローテーションを工夫したり、出社したらサンダルに履き替えたりしていたし、
グランズレメディなどの「白い粉」や銅製の効果を靴に入れたり酸性の液体に足をつけたり、いろいろやったなぁ。
消臭グッズの類はだいたいの場合それなりに効果があって、たしかに臭いは減る。
とはいえ、所詮は生き物の一部。ちょっと油断をすると臭いはすぐに復活する。
フットスプレーを吹き、靴には粉を振り撒き、靴をローテさせたり日に当てたり買い替えたりし、、、、
そこまでやっても人前で靴を脱ぐときにはちょっと緊張してしまう(今思えばメンタル的なものもあったのかもしれない)。
反面、万が一人前で足が臭かったら死にますね、という気持ちは高まった。
身体の臭いにも慣性の法則みたいなものはあって、1回念入りに洗っても臭いは取れない。
試したことはないけれども、たとえば1ヶ月足クサ対策を怠った場合、
その後リカバリしようとしても、1週間くらいは臭いんだと思う。
なので、出かける機会は減ったのに消臭は油断ができない。
フットスプレーや薬用石鹸。お金的にも手間的にもランニングコストが高くて、少しアホらしくなってしまった。
そんなとき、日本皮膚科学会のページを見ていたときに、下記のページをみつけた。
Q25足白癬にならないようにするためにはどうしたらよいですか?
https://www.dermatol.or.jp/qa/qa10/q25.html
引用させていただくと「一番確実なのは、水虫の塗り薬を指の間から足の裏全体に1日1回つけていれば、足白癬になることはありません」とある。
えっ、アリなの?
となって、水虫の薬をネット通販で手に入れ、足に塗り始めてみた。
足クサの原因はなんらかの細菌的なものなので、これが歴然と効いた。
水虫に悩むおじさんたちの足は臭くなかったんだな。変なところで感心した。
というところだが、それは水虫薬のタイプによって大きく異なることもわかった。
・軟膏は硬くて塗りづらい(おそらく薬効は強いのだろう)。
・スプレーは手を洗う手間もなく楽だが割高(コントロールしづらく、付けすぎてしまう)。
という感想をもった。
現在は、足クサ対策には液状の水虫薬が一番良さそうと落ち着いている。
ジュクジュクの白癬菌を退治したいわけでもないので、安い薬で十分なようだ。
言うなれば最新型の自動小銃ではなくリボルバー型の拳銃で治安は守れるよね、という気持ち。
ひと昔前にはカウンタ越しにしか受け取れなかったような、製薬会社のエース級な水虫薬である必要はない。
在庫処分と思しき枯れた製品をポチるようにしているのだが、おそらくフットスプレーを買い続けるよりも安価である。
そして液体であれば足の指の間にチュチュっと垂らすだけなので手間もかからない。
製薬メーカーがもし、薬効薄め(副作用少なめ)、値段控えめ、使いやすさマシマシの水虫・足クサ予防製品を出したら、売れるんじゃないかな。
もし足クサにお悩みであれば、水虫薬をお試しいただけるとよいのではと思う。
大層なタイトルをつけたが、これをノンバイナリーの総意として言いたいわけではない(総意として言えるなんて全然思っていない)
また、自分がノンバイナリーだからといって、仮にトランスフォビックな内容があったとして、無罪になると思っているわけではないことも言っておきたい。
ただ、いちノンバイナリーの目からは、一部の“トランス活動家”の発言や“トランスジェンダリズム”は現実からかなり乖離しているように見えるし、また、容易に他者を『差別者』呼びすることにウンザリしての愚痴。
トランスジェンダリズムに救われるトランスジェンダーもいるだろうが、自分はそうではなかった。
そういうトランスジェンダーもいるんだなくらいの気持ちで読んでほしい。
トランス女性は女性です。それに異論はない。トランス女性が女性ではないのと同様に、私も性別がないので。
だけど、トランス女性は女性だけど、世の中には『トランス女性のフリをして女性スペースに侵入したがる、一部の迷惑なオートガイネフィリア』もいるじゃないですか。それをどうしていこうか、という話がしたいのに、そんなことをTwitterで言おうものなら、『トランス女性は女性です』(そんなことはわかっている)『トランスを犯罪者扱いするのか』(そんなことは全く言っていないし、犯罪者扱いされるのはノンバイナリーとしても迷惑だが!???)って言われるから世知辛いし、あまりの噛み合わなさにもしかして、トランス活動家の人達はトランスと(一部の迷惑な)オートガイネフィリアの区別がついていないのか…?(※)とかなり疑念を抱いている。
確かに私はノンバイナリーでトランスジェンダーに分類されるが、オートガイネフィリアと同じだと思われるなら、違うが????とキレ気味に言いたくなる。
※実際区別がついていない人のブログも見たことがある。トランス活動家全員が全員だとは思いたくないが。
子供がトランスだというその人によると、オートガイネフィリアはトランスフォビア的な思想から生まれた分類らしい。
Twitterで『女装男子』『巨大ディルド』とかそういうワードで画像動画検索すると女装オナニスト達(オートガイネフィリアの人達)の無修正自撮り動画がいっぱい出てくるから、そういう人には是非そういう動画を見てもらいたい。
(※一応言っておきたいけど、女装オナニー自体はそれぞれの趣味でいいと思うし、インターネットで公開するのも(フィルタリングの問題はあれ)本人の好きにしたらいいと思う。しかし、それを自宅などの私的スペースでやるのと、公共の女性スペースで行うことは全く意味が違うと思う。念のため)
オートガイネフィリアとトランスの区別もついていないその人に育てられるトランスの子が、生きづらさを覚えないよう、遠くの方から祈るばかりだ。
女性と呼ばれるのも嫌だが、生理のある人って呼びかけられるのも私はすごく嫌だ。無理。
生理の話の時だけとかそういうの関係なく、いついかなる時も嫌だ。じゃあ何がいいっていうのもあるわけではなく、「生理のある人でありたくない」が答えなので、たぶん子宮を取るしかない話だと思っている。
『生理のある人』呼びで救われたノンバイナリーは良かったね、とは思うけど、自分はそうじゃなかったってだけ。
「生理のある人」「ま●さん」「子宮オーナー」なんでもいいけど、こういう呼び方でいついかなる時も呼びかけられたくない。キモい。キモすぎる。
雌性体とかそういう風に言われる方がまだマシ。
自分は女性ではない(しかし男性でもない)と思っても、結局はそこを、よりにもよってそこをピックアップされるのか…という絶望感。
駄々こねだとわかっている。早く子宮を取って、「『生理のある人』?ああ、私には関係ありませんが」という涼しい顔で議論から下りるのが、自分の精神の安定には1番いいのかもしれない。
・リア•トーマスについて
何故彼女が、『トランス女性の選手権を作ろう』とする方向に行くのではなく、女性選手権で戦っているのか本当にわからない。
これに関して、「彼女の現在のテストステロンの量は基準値以下で〜」とかそういう意見も見たが、スキャモンの成長発育曲線から言って、成長期に発達した筋肉のアドバンテージが早々に失われるとも思えない。
レゴブロックのように臓器を入れ換えて(取り外して)『今日から私は男性(女性)です』って世界だったら、苦悩もなにもなかっただろうし私もそんな世界の方が良かったけど、人間の身体は副作用や後遺症なくレゴブロックみたいに、簡単に取り外したら、入れ換えたりできないので、彼女や彼女を無邪気に賞賛する人達にはトランスで苦しんだことを馬鹿にされているように感じて、怒りをおぼえる。
性別とそれに伴う身体的特徴の違いが歴然とあるから、ホルモン治療や性別適合手術で簡単に性別を変えたりなくしたりできないことを知っているから、こんなに悩んでいるのに、ふざけるな、と言いたい。彼女がホルモン治療のみであることも、また怒りの炎に火を注ぐ。
トランスジェンダーの大会を新しく作るにはスポンサーも見つけないといけないし、トランスジェンダーの競技人口は(女子競技人口と比べると)少ないから評価されない(かもしれない)ので、女子の大会で無双してるだけにしか見えない。
リア•トーマスの存在で、トランスジェンダーはああいう卑怯な奴ら、と思われるのも非常に嫌。迷惑。
・Twitterでよく(?)見る「トランス差別者だとわかったので、RT取り消しました」のツイートについて
どういう信条でTwitterやるのも自由だけど、トランス差別以外で見たことない気がする。
トランス差別に対してセンシティブなのは良いことだと思うけど、基準が全然わからないし、そうやって世界を「トランス差別者」と「トランス差別者以外の者」に二分した結果、溜まった怒りとかヘイトが向かうのって結局トランス当事者なんじゃないかな…………という不安。
そういう分断を煽っておいて、『私はトランス差別に理解があります』って顔されても、怖い。
心強い!と思うトランスもいるかもしれないけど、少なくとも私は「この人、分断を煽るだけ煽っておいて、その結果、起きそうなことはなんも想像してないんだなー…」という感想しか抱けないので、離れます。
後ろから援護するように撃たれても、その、嫌だし…
・一部の“トランスジェンダー”や“トランス活動家”の言う『シス女性特権』なるものについて
私の子宮と卵巣と膣をあげたい。
怒らまいと思いながらダラダラ書いたけど、最初から苛立ってしまってダメだった。これでも抑えている。
トランス差別に敏感な人達、トランス活動家の人達に、あなたが言ってたり、やっているそれ、誰のためですか??ってのが言いたかった。
あなたの近くにいるトランスが望んでるならそれでもいーよ。私は違うけど。
トランスをふんわりと『迫害されている悲劇の登場人物(或いは、地上にときたま現れる儚い生き物)』みたいに偶像化しないでほしい。世の中によくいる、生きづらさに「うぇ〜くそがよ〜〜」とかなんとか言いながら生きてる人間達の一部です。
あとトランス当事者でトランス活動家の人達の言うことを、まるでトランスジェンダー全体の総意みたいに言う/思うのも割とマ〜ジでやめてほしい。
そう思ってないノンバイナリーもいるよ。
別にノンバイナリーだからトランス活動家についての愚痴を言っただけで、トランスジェンダリズム、反トランスジェンダリズム、どっちを見ても割と地獄なので、『わたしには関係ない話ですが』って涼しい顔していられるのが1番楽だったと思う(そしてそれは別の差別問題について、もしかしたら私がやって来たかもしれないことだと思う)
これ以上なんか言って私自身が、それぞれの陣営間の憎悪を煽っても嫌なのでやめます。
ただ、どういう主張であっても、自分の主張が間違っている可能性を疑いながら議論してほしい。
私も別に自分の言うことこそが正しいだとは全然思ってないんで。
ただ、「こんなことを言うお前はトランスジェンダー(ノンバイナリー)ではない」と言う人間には、箪笥の角に小指を盛大にぶつけ、その衝撃で上から落下してきた豆腐の角で脳挫傷を起こす呪いをかけます。
聞いてくれてありがとうございました。
聞いてくれた人には休憩時間中にネコチャンが寄ってくる的ないいことが明日起こるし、来世の私はインド映画に出てくるような、イケメン(無性)の姿に転生します。
ちょうど車の買い換えの時期が来るな、と意識したのが令和3年の8月。何かと維持費がかかる某輸入車が精神衛生上よろしくなく、たまたまティザー広告が目に付いたNXに乗り換えた。今回が初めてのレクサス車である。最近の半導体不足やプーちゃん大暴れにより随分と納車は遅れたが、先日なんとかうちのNXは納車された。しかし、現状としてもっと長くかかる方が多いようである。
自身のSNSアカウントであれこれ書いてもいいんだけど、何かとNXについて発信する車好きのアカウントは変な人が多い、というか、レクサスのファンに変な人が多い。既に納車された層も変な偏りがある印象で、普通の人間によるものとみられるレビューが少ない。絡まれたくないし、言いっぱなしにしたいこともあり、匿名ダイアリーに記すことにした。正直に言えば、せっかく新車を買ってウキウキしているので何か言いたいだけだし、こうやって何か書く私も彼らと実際変わらない。
ただでさえまとまりに欠けるので、いくつかの項目に分けて記載したい。なお、納車3週間目の感想である。長期はわからん。
これから購入を検討される方が知りたいであろうオプションに関することは後半に記載するのでスキップを推奨する。
購入グレードはNX350h AWD Ver.Lである。なお、特定を避けるためボディカラーの記載は避ける。
#デザイン
もともと個人的に見た目は欧州車趣味なのだが、今回のNXは十分に食指が動いた。先行受注のため実車を見ずに広告やカタログのみで評価して購入したのだが、国産車にありがちなガチャガチャ感(例えば、トヨタならどこかのプリウスからのヤンキー顔、ホンダなら少し前のガンダム顔)が和らぎ、詰め込まれる要素の数が小さくなったことにまず驚いた。先代のNXはヘッドライトの下の「隈取り」的なウインカーが頗る嫌いであの(クソダサい)アヴァンギャルド顔から見向きもしなかった。あれを欲しいと思ったことは今も含めてない。今回もフロントグリルは過剰なインパクトがあるが、ヘッドライト内にだいたいの光る物は収まり眺めたときの視線が散らず落ち着いた印象になった。また、線よりは面の構成が主になったことでゴロンとした、金属の塊から削り出されたような存在感のあるデザインに変化した。スピンドルグリルは残ったが、アイコンとしての機能は十分で、全体的に「良い取捨選択がなされたな」と思った。車の印象というものはボディカラーによって大きく変化するので納車されるまでは不安が大きかったが、初見でそれは吹き飛んだ。ちゃんとかっこいいのである。なお、ここまで書いたらおわかりかもしれないが、グリルの加飾が好きではなくそれだけの理由でFスポは避けた。NAVI-AVSやパフォーマンスダンパーは魅力的であったが、本当にただそれだけの理由で見送った。見た目は大事。
#内装
やたらとデカいナビ画面が最初に目に付くが、それ以外は概ねシンプルな構成になっている。以前のモデルはアナログ時計や様々な加飾があったようだが、必要なものに目がいくような、チラチラ余計なものが見えず実用の上で快適だ。契約前にディーラーで現行RXと初代NXを見たが、現行RXは居住空間の余裕からラグジュアリーで加飾が多くとも伸びやかな印象で違和感がなかったが、NXでは少し小さくなるだけでゴチャゴチャして狭さを感じていたので、なんとなく「広くなったな」という印象である。TAZUNAコンセプトとして必要なものにすぐ手が届くように設計されているとのことで、確かに必要なスイッチ類にはすぐに手が届いてそれも快適である。構成もさることながら、リアル・フェイク織り交ぜた全体としてのレザーの品質やその他部品の工作精度など、全体的な製品としてのクオリティも高く「なんかいいもの買ったな」と素直に思える仕上がりになっている。世間で実写をまだ見かけることが少ないのでわかりにくいが、カタログの写真よりも圧倒的に実物の印象が良いことは特筆しておきたい。
そもそも、そんなに車の性能について詳しくないことを事前にお断りしたい。Ver.Lは標準のサスペンションでモードはエコ・ノーマル・スポーツに限られるが、そもそも私はスポーツ走行がわからないので十分である。前者はディーゼルターボで小型のわりに強大なトルクを発生する仕様であったために、単純に街乗りでは頗る速かった。信号が青になったときなんか、油断するとドカーンである。それと比して随分と「ジェントル」になったのだが、静かで振動が少なく、発進時はモーターの比率が高いので、遅いとか、重たいとかと感じることはまずない。ハンドリングを含めて車の挙動としてはスッスと動くので気兼ねなく車を流すのには快適だ。ある程度の余裕を以て機敏に動く印象で、峠を限界まで攻めるとかサーキットを走るとかで無い限りは全く問題にならないだろう、というか、そんなことはしたことがないのでわからない。また、見た目よりも車重が軽い印象で、剛性の高さも動かしたらすぐにわかる。私は車について素人なのだが、素人が動かす街乗りの車で言えば最強なのではないかと思わせてくれる感がある。車の素性がいいとはこういうことなんだろうなと思う。
燃費については先代程度だろうなと思っていたが、8km程度の渋滞を含めた通勤路で14km/L、信号と渋滞の少ない郊外路では20km/Lにも到達するので想像以上に良かった。また、走行データを確認すると、60-70%はEV走行しているそうだ。ラバーバンドフィールはごくわずかにないこともないが、注意を向けなければアクセルの反応は良好だし、ハイブリッドカーも以前とは比べものにならないくらい進化したと思うし、ハイブリッドだからこそ得られる走行の妙味もある。主にエコモードで動かしているが、燃費優先というわけではなく、回生ブレーキの挙動や速度コントロールが非常に楽なので積極的にそうしている。特に説明書などに記載はないが、GPSと地図情報から法定速度情報を得たり、ITSで他車の速度情報を得たりしてコントロールに干渉している気はする。実際は不明だが、そんなに運転中はゴリゴリに感覚を研ぎ澄ませているわけではないので、なにかと気を抜けて(抜くな)ありがたい。なお、なんとなくウェイウェイしたいときはノーマルにするし、めっちゃウェイウェイブーンしたいときにはスポーツにしている。そうするとだいたい気分に合う走りになってくれる。
今回は個人的に初めてAWD設定にしたのだが、普段はわからないが、大雨の中で高速入り口のカーブが続くなかで加速を行うシチュエーションで圧倒的な接地感を感じた時にはうっかり爆笑した。「なんだこれ、全然滑らねぇ。」と。むしろこれまでのFF車が低μ路でいかに浮くように滑っていたか、を思い知らされることになった。とても安心感がだが、これが新型NXだからいいのか、AWDだからいいのかどうかは私にはわからない。だが、AWDにして良かったと既に満足している。
#静粛性
前車と比して随分と静かになった。ディーゼルと比べたら当たり前なのだが、ただ、それ以上に風切り音や外音の遮断がよく効いていてふと窓やルーフを開けたときに「外こんなにうるさかったの?」と驚くことが多い。極端な遮音がなされると自身の体内から発生する音が気になったり、どことなく不安になる感覚を経験したことがあるが、絶妙に不快な音だけをフィルタリングしているかのようで自然かつ快適である。また、若干のエンジン音やモーター音は入るようになっているが、それがないと車の動きが把握出来なくなって個人的には不安になるので丁度いい。もしかしたら、音というよりはハンドルやアクセルペダルから伝わる振動からよく把握できるという方が正確かもしれない。この点はパフォーマンスダンパーが入ったりすると少し違ったりするだろうか。乗り比べる機会がなかなか無いのは残念だ。
今回は外付けドライブ以外の実質フルオプションとしたので走行支援に関する装備も全て装着している。新世代レクサスとして特盛になっているので全てに対して記載をするとキリがないし、良いと思った機能について記載する。まず、街乗りのシチュエーションではプロアクティブドライビングアシスト(PDA)は意外によく働く。先行車の車速などを関知して車速を調整したり、車線からの逸脱を防いだりなど、注意がふと切れるタイミングで作動してくれる印象だ。初期設定では過剰な介入を感じたので設定から「遅め」を選択しているが、慣れれば程よいと感じる程度になった。
今回の目玉装備であるアドバンスドパーキングだが、期待せず面白そうだからという呑気な気持ちで導入したが、意外に使える仕様になっている。正確な画像認識のため駐めたい場所の周辺に近付いたら可能な限り徐行する、車が十分に動けるスペースを確保して周辺に柱などの障害物がないことを確認するといった多少のコツさえ身につければバシッと綺麗に駐車してくれる。そりゃ自分で入れたほうが速いのだが、自分であくせくとハンドルの切り返しやシフトチェンジする必要がないので気持ちは楽である。一部から怒られるかもしれないが、最近は駐車をNXに任せている間に降車の準備としてマスクを装着していることが多い。また、リモートパークも入れたら出られない駐車場で使用したが、さすがに不安だったもののきちんと駐車してくれた。どちらかと言えば駐車している間に隣の車両が変な幅寄せをしてきたときに乗り込むために車をスペースから出す目的で使うシチュエーションが多そうだと思った。
高速道路ではオートクルーズコントロールとレーントレーシングアシストでほぼ走ることにはなるが、基本的な機能として問題なく軽くハンドルの一部を握っているだけで作動してくれるので感覚的には自動運転に近い。また、レーンチェンジアシストもオプションで装備しているが、ウインカーを一定時間保持することで周囲を認識し自動で車線変更してくれる。ただ、3-4秒かけてじわぁ...と車線変更するので横向きのGが発生しにくいので主たる同乗者である妻には好評だが、若干じれったく、この間に道路状況が変わらないか少々不安にもなる。そのために急な障害物や割り込みなどに対して車線変更による回避への対応もできないのでそこからLTAが作動している状況で車線変更しようとすると車が抵抗するし、その後に「もしかしてぼんやりしてますか」とナビに煽られるのは少しイラッとする。自身で車線変更する際にはLTAを切る癖をこれからつけなくてはならないだろう。ただ、ネガティブな点はそれくらいで総じてよくできており、未来が来たなぁ、と感じた。
今回のNXに限らないんだろうけど、車自体がモバイルネットワーク接続できるのって使ってみると相当に便利。離れてても車の施錠などの状況が確認できたりエアコンを事前に動かしたりすることもできる。地味に楽しいのがマイカーログで、運転経路や燃費なんかも確認できる。これまでは車で直接ナビをいじってみることはできたけど、面倒くさくて見ることは正直なかった。これならどこでも手元で確認できるのはお手軽でついつい見ちゃう。あと、これはいいなと思ったのは事前にスマホで経由地や目的地を設定して車に送っておける機能。車に乗ってからナビ設定するのって時間がかかるしすぐに車出さなきゃならない時とかにはうんざりするけど、例えば出先のお店で食事を摂りながら次はどこに行って...みたいな話をしながら入力して、あとは車に乗り込むだけというのは実際に使ってみると実に心地良い。ちなみにまだオーナーズデスクにお世話になったことはないのでそのうち使ってみたい。
#オプション装備について
運転支援については記載した通りなので、パノラマルーフやプレミアムオーディオのマークレビンソンについて。パノラマルーフはツートン調になることに若干の抵抗があり、特に必要性も感じなかったが換気やリセールを意識した際の人気オプションであると説明され導入した。実際には「開けると楽しい気持ちになる」程度であるが、朝の日差しが心地よい時や、ふと信号待ちで天井からの町並みを見上げた時には良い開放感があって装着してよかったなと思える。
ちょっとだけオーディオ趣味なのもあってマークレビンソンの装着はあまり迷わなかった。自分でオーディオ装置を選定するととんでもない手間と金銭がかかることは目に見えていたので、お手軽にメーカー純正のオーディオシステムが最初から入ってること自体が魅力的だった。納車まで試聴する機会はなかったのだが、カーオーディオに詳しくはないものの20万円程度のオーディオシステムとしては十分良いレベルを確保していた。具体的には解像度や定位感が良好でノイズレス、ダイナミクス表現にも優れており小さい音量の楽器までしっかりと表現する「普通に良い音」だった。過剰なサラウンドや低音をブーストするような安っぽい演出ではなく、どこの座席に座っても2chのオーディオらしく自然に聴けるというのは実はそんなに簡単な事ではない。とてもよく練られたDSPが入っていると思う。音量を上げた時にありがちな内装の共振は抑えられてる印象で、キックドラムや超低域のシンセベースのフレーズでもスピード感があって無駄な残響がなくキレがいい。難点があるとすれば、ピュアオーディオ的な良い音の作り方でもあるので音源に左右されがちなこと。当初はiPhoneからのBT接続にしていたんだけど、有線でのApplCarPlayや、妻のXperiaでのLDAC接続では歴然とした差があったし、録音自体が良質なものは心地よいけど、そうでないものは荒が目立って気になってしまう。聴くものを選ぶようにはなってしまうけど、それはオーディオの世界では普通のことだと思うので「スピーカー自体に金をかけたことがある」層のためのオプションなのかもしれない。ただ、この音を自分であれこれ買って再現しようと思ったら3倍出しても得られない可能性はあるし、ある意味コスパには優れているし私個人では大満足で、これ以上はいらないと思ってる。キリがないから。
完璧な車なんてないと思ってるけどネガティブポイントは新型車なのもあってないことはない。例えば、ナビの音声認識。初期設定ではヘイレクサスで起動してあれこれ操作やナビ設定ができたりするんだけど、エアコンやルーフ、窓の操作はだいたい失敗する。AlexaやGoogle Assistantほど賢くもなく、反応も最近の音声認識端末で経験するよりは圧倒的に遅い。なんとか使えるのは目的地設定でこれはわりと精度高くできるんだけど、まぁ時間かかるのでオーナーズデスクに繋いだ方が早く設定できる可能性すらある。いや、どうせならそっち使えばいいんだけど、人間の手を直接煩わせるのに若干の抵抗があるのでナビ側でなんとかならないかなと。
あと、エアコンやナビの地図を動かしたりという場面でナビは見やすい高い位置にあって、更に巨大なので意外に操作していると手が疲れる。リモートパッドが評判悪かったみたいで廃止されたようだけど、あっちの方が楽だとも思う。見やすさや表示範囲は圧倒的に良いのでもっと音声操作がスムーズで高精度だと手を伸ばさなくとも使えて本来開発者が意図した形になるのではないか。あと、再生中の楽曲情報については小さい窓でいいので地図と同時に表示できたらいいのになと思う。
あと、デジタルキー。実は初期登録がうまくいかず、使用できていない。ただ、使う状況もいまのところないのでそのままにしてる。もうこのままでいいと思ってるくらいにどうでもいい機能だったのかもしれない。うちは運転するのが私ひとりなので共有する相手もいないからこれでいいんだけど。まぁ、いらなかったな。
#総じて
イマイチな面もあるが車の素性が大変良いので吹き飛んでしまう、というのは素直な感想。なんだかんだ走らせてナンボなので現状では大変満足している。内装においてはこれまでのレクサスと比してスイッチが多い高級感とかアナログ時計とかの特徴は廃されたけど、要素を絞って現代的でシンプルに徹した品の良さは所有していると好ましく思えてくる。ただ、こう書くと北欧テイストなのかと思われそうだけど、そんなにデザインコンシャスなわけでもなく、日本的な割り切り方や合理性をうまく良い形に落とし込んだ、という感じです。まぁ、前車はボ○ボだったんだけど、正直なところ内外装はボ○ボのほうが好きだった。あれは良すぎるんですわ。でもNXはこれでいいんですよ。マイナー輸入車のあれこれに正直なところ懲りた僕は、天下のトヨタ様がパッケージングした車を買ったんです。
これまで乗ったトヨタ車や、代車で乗ったレクサス車と比べると乗り味が欧州車っぽくなった印象だけど、個人的にはそっちの方が好ましい。メルセデスのGLCと購入検討していたけど、やや世代が古めになるのとシートベンチレーターやらの欲しいけどあまり装着例がないオプションは在庫車もあまりないし、注文者は納期未定で値引きもないし、なんだかんだお高いんですよね。その点でNXはずいぶんとコストパフォーマンスは良いと思います。まぁ、高いんだけど。
輸入車はそれなりにブランド力があって、レクサスがイメージ的に御三家に及んでないところはあるかもしれない。ただ、実車が明らかに劣っているかと言われたら全くそんなことはなく、総合しての商品力はすごく高い。とくにNXは価格でみれば価格以上の出来だと思う。トレンチコートを買うときにバーバリーやアクアスキュータムの名門の定番を買うのか、三陽商会の百年コートを買うのかを迷ったときに、GLCやGLBを買う層は前者だと思うし、 Permalink | 記事への反応(1) | 23:58
同じ体格でも男女の力の差は歴然です
自分は回転寿司が好きで、週1かそれくらいの頻度でどこかしらの回転寿司屋へ行く。
特に行く店は決まっていなくて、くら寿司だったりスシローだったりそれ以外だったりする。
先日行った店は久々に行く店だった。
店に入って、回転寿司屋に入ったら必ず頼むセットを注文した。
ひとしきり食べた所で、今日はぶりとサーモンが美味いと確信して追加で注文した。
その日はやたらと空腹だったのでついでにサイドメニューのフライドポテトも注文した。
ぶりとサーモンを食べ尽くし、それからフラフラと注文用のタブレットの「次へ」ボタンを押してメニューの海を彷徨っていた所で、そこにヤツはいた。
内陸県生まれではないのだが、何だかんだ人生で食べた貝はアサリ・ハマグリ・カキ・ホタテ、ややレアなものでマテガイくらい。
美味しい貝なのだろう、と。
ポテトが到着して、バター味の粉をかけて混ぜているとほどなくしてアワビがやってきた。
その時の第一印象は、「小さくね?」だった。
シャリの上にちょん、と乗ったそいつは、シャリを覆うには足らず、シャリの上面が見えてしまっている。
横にしっかりシャリの隠れたマグロが流れてきたために、このボリューム感の差は歴然だった。
生焼けの腐った鶏肉に酢を染ませた味。
鶏の軟骨、あるいは砂肝の銀皮のような、噛むと歯に納豆のような滑りを残して自ら割れるかのように噛み切れる食感。
不味い。
十数回の咀嚼ののち、飲み込むにはまだ形が残っていて喉につまらせる頃合い。
しかし、口の中にあるこれを1秒でも早く胃に流し込んでしまいたいという条件反射に負けて、飲み込んだ。
食道にやや詰まっている感覚がする。
滑りと悪臭を茶で流し込み、それでも残る舌の感覚を消し飛ばす為にまだ温かいポテトを口に放り込む。
普段より圧倒的に早くポテトは空になった。茶も飲み干してしまった。
その後、ぶりとサーモンを食べられるだけ食べて、その場を後にした。
家に帰宅してから、アワビについて検索して、そこで初めて磯臭いだとか、人を選ぶなどという記述を見た。
なるほどあれこそがアワビだったのか、と一人ボヤいた。
”上から下までBTSやBLACKPINKの“もどき”があふれる韓国の音楽ランキング番組を見ると、あきらめに近い絶望感を味わいます。同じ顔、同じメイク、同じファッションで、同じフォーメーション、振り付け、曲調、歌い方のグループが延々と続くからです。(中略)
楽器をまともに扱えるバンドもほとんどいなければ、落ち着いたベテランの存在もない。なかには星野源とコラボしたZion.Tや、ラッパーのMudd the studentのように、異彩を放つミュージシャンもいますが、チャートに占める割合としてはごくわずかなもの。”
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/joshi-spa.jp/1136077
は?
そんなわけねーだろ。
逆だよ、逆。
とりあえずさ、Melonって知ってる?
そのMelonの2021年間TOP100に入っている男性アイドルグループはBTSだけ。
他のグループは1曲も入っていない。
1曲も。
韓国で圧倒的人気を誇る女性シンガーソングライター。
あまりにもデジタルチャートで無双するため海外ファンから畏敬を込めて「デジモン(digital monster)」と呼ばれている。
10年前に夢色パティシエールの韓国版主題歌を歌っていた黒歴史あり。
2 Rollin’ Brave Girls(ブレイブガールズ)
四年前に発表した曲が突如としてチャートを逆走し、結成10年目にして奇跡の大ブレイクを果たした。
https://www.youtube.com/watch?v=-Axm4IYHVYk&ab_channel=BraveEntertainment
4 Peaches ジャスティン・ビーバー
説明不要。昨年、会社合併によりアリアナ・グランデと共にBTSと親戚関係になった。
https://www.youtube.com/watch?v=4TWR90KJl84&ab_channel=SMTOWN
6 LILAC IU
女性新人ソロ歌手。BTSのチャート独占を阻止したことで話題になった。(ごめん正直よく知らない)
無名で終わった歌手や引退した歌手が再起をかけて歌う『Sing Again』というオーディション番組に出演してブレイク。
日本人の多くはBTSが曲出せば当然年間一位を取れると思ってるかもしれないが韓国国内ではデビュー二年目の新人アイドルに負けることだってある。ファンの母数や海外人気に歴然たる差があるのでCD売り上げは圧倒的にBTSの方が上だが。
10年前の曲がまさかのチャート大逆走。はいはいデジモンデジ(ry
はい。
Brave GirlsやaespaはBLACKPINKと同じ四人組女性アイドルグループだが似てる所あるか?
TOP100まで見ればラッパーもいればトロット(いわゆる演歌)歌手だっている。
アイドルオタクしか見てないような音楽番組のチャートだけ見て寝ぼけた記事書いてんじゃねーぞ。
ついでに言っとくが男性アイドルだって世界的に売れてる連中はBTSとは違う路線で勝負してるからな。
まさか全員で陣形組んで踊るパートがあるとかラップパートが必ず入るとか全体的にメイクが濃いみたいな「ジャンルの特徴」を指して「BTSもどき」なんて言ってるんじゃないよな?