はてなキーワード: F1とは
土曜日に1時間の練習走行を一回したあと、決勝レースのスタートする順番を決めるための予選を行います。
熱心なファンは練習走行からチェックするでしょうが大抵のファンは予選と決勝しか配信を見ません。
サーキットに足を運んで観戦するファンも練習走行、予選、決勝と進むにつれて増えます。
そこで頭のいい人が考えました。
日曜日だけじゃなくて土曜日にもレースをすればサーキットの観客は増える(収入が増える)し、
こういった考えのもとF1では年に何回か土曜日にもレースが行われます。
金曜日に練習走行を1回、土曜日のレースのスタート順番を決めるための予選を実施し、
土曜日に土曜日レース(日曜日のレースより周回数が少ないミニレース)と日曜日のレースの予選。
こうすると視聴者や観客が少ない練習走行を2回減らして、人気がある予選とレースを1回ずつ増やすことが出来ます。
で、それがいいことなのか?
というのがこの文章の本題です。
私はF1を見ますが練習走行まで目を皿にして見るほどの熱心さはありません。
しかし、一方で私の娯楽に使える時間は限りがあり、今週末の土曜日はつまらない用事にふりまわされてF1を見る時間がありませんでした。
通常であれば、予選とレースを消化するために3時間ほど使えばいいだけのところを
予選×2、ミニレース、レースと合わせて5時間ほどかかることになります。
娯楽というのは負担に感じる、消化しないといけないという義務感を感じると途端に嫌になってきます。
またリアルタイムで視聴していないとうっかりと情報が目に入って結果を知ってしまいます。
私はまだ金曜日の予選も土曜日のミニレースも土曜日の予選も見ていませんが結果を知っています。
だから予選×2、ミニレース×1を見るモチベーションがそれほど高くはありません。
しかし、これを消化しておかないと日曜日までの流れを掴むことが出来ずに決勝レースの面白さが半減します。
見ないわけにはいきません。
これが通常であれば予選の1時間を見れば決勝レースに追いつけますが今回は3時間必要になります。
こういったことはF1だけではなく、あらゆるジャンルで蔓延しています。
いかにして時間を専有するか?時間の陣取り合戦がエンターテイメント業界では熾烈に争われています。
ただ我々はそういった義務的なエンターテイメント消化に疲れ切っています。
そしてこれは皮肉なことにその反動としてあらゆる予習を必要とせず、止めたいときにすぐやめれる(ような気がする)、
TikTokのような短編動画配信へと時間を使うようになります。
TikTokには消化しておくべき事前情報というものがありません。
うさぎ。小学校の庭で飼ってた人も多いだろう。あれは虐待だと覚えてほしい。
うさぎを飼っている。
飯がなければソワソワして飯を出す素振りをすれば部屋中を飛び回り足をダンダンさせて勢い良く体当たりをし器をひっくり返して「あ…」って反応を見せる。
遊んでほしいときは腹の上に何度も乗ってくるしダッシュで走り寄って来る。
でも遊ぼうとしたら「そういうんじゃないんだよね」と逃げる。それを繰り返す。遊ばれている。
撫でられるのは好きだ。しかし抱っこは個体によるが比較的苦手なので、うまく抱っこ出来たとしても脇に噛み付いたり服に穴が空いたりする。
こたつで本やノーパソ開いてたら普段来ないのに膝の上に構えている。
機嫌の良いときは空中ひねりを加えながら走り出しF1のようにコーナリングを決め、80cmくらいジャンプしてアベンジャーズのように着地し、ドヤ顔をする。
寝相は様々で香箱座りしてみたり身体だけ横に向いたり頭も床に寝かせたり手を伸ばしてみたり腹を上にしてみたりお気に入りのぬいぐるみに体を預けたりしている。人間の頭にケツを向けて寝る。
あと好物はコードで、先日も一機ドライヤーがやられた。人参は嫌い。好き嫌いが激しい。牧草に顔突っ込んでよくくしゃみをする。食糞もたくさんして口からボロボロ落とす。
収納コンテナの上に飛び上がると降りれなくなりジタバタしているし、格子状のワイヤーネットを登ると引っかかって慌てて、墜落したらびっくりして小屋に戻って不貞寝する。
そしてとても大変な動物だと言う。
絨毯は穴だらけ。
腕についた引っかき傷は半年経っても消えない。
猫と犬の中間のような性格で猫寄りではあるが、猫ほどかしこくはない。
一度始めたイタズラについての執着心はつよく、いまもこれを書いている間にコード収納ボックスの蓋を4回くらいひっくり返している。
クリスチャン・ホーナーのセクハラ騒動から端を発したレッドブルチームのゴタゴタが沈静化しない。
当初はあり得るわけがないと受け止められていたフェルスタッペンのメルセデスへの移籍も絶対にありえないわけではないと真実味を帯びつつある。
とはいえ、果たして現在最強のマシンをフェルスタッペンが本当に捨てることなんてありえるのか?
筆者はありえると考える。
といっても、
レースで勝つためにはレッドブル以外のチームへと移籍しなくてはならない。
そのためには現在長期契約を結んでしまっているレッドブルと何らかの方法で契約を解除しなければならない。
そのための方便としてレッドブルチームのお家騒動を利用しようとしているのではないか?
御存知のとおりF1は2026年から大幅にレギュレーションが変わる。
そのときに果たしてレッドブルは勝つためのPUを用意できるのか?
そのことをフェルスタッペンは疑問視しているのではないだろうか?
2026年には現在レッドブルにPUを供給しているホンダとは袂を分かち、
レッドブルは自社製のエンジンとフォードが開発した電動モーター部分で戦うことになる。
そのことを不安視しているのではないだろうか。
以前は、その非常に優れたドライビングテクニックをもってしても
優勝どころかトップ争いに絡むこと無く終わるレースのほうが多かった。
その主な要因は競争力のないルノーのパワーユニットに起因するものだった。
シャーシー自体は優れていた。
それは史上、最も優秀なF1カーデザイナーであるエイドリアン・ニューウェイの設計によるものだからだ。
それでもPUが駄目ならば勝てないのだ。
2026年からのPUは当初それほど難しいものではないと目されていた。
現在のターボエンジンから排出した熱エネルギーを電気へと変換しそれでモーターを回すなどという目もくらむような複雑さを捨てて
単純にエンジンとモータを組み合わせるだけのシンプルなものになるはずだった。
しかし、フタを開けてみるとそれほど簡単なものではないことが理解されるようになった。
ICEの信頼性が非常に重要なシステムであることが判明したのだ。
エンジンをできるだけ全開にして発電をしたい。
コーナーの立ち上がり部分やストレート部分以外でもICEを全開にして発電をしなければ、
サーキットの途中でバッテリーのエネルギーが枯渇して失速してしまう。
これまで数十年もの歳月をエンジンと向き合ってきた企業が作り出す
ICEと互角に戦うことが出来るのだろうか?
そのように考えたときに他のチームへと移籍する可能性を考慮しないわけにはいかないのではないか。
とくにフェルスタッペンのようにルノーパワーユニットに幾度となく苦虫を噛み潰すほかなかった経験を持つドライバーなら。
もちろん、フェルスタッペンが来年他チームに移籍したなら来年度のチャンピオンシップは捨てることになる可能性が高い
角田裕毅というドライバーは典型的な日本人の性格のパターンの一つである、
カッとなりやすく火がついてしまうと自分を制御できなくなってしまうタイプの人だ。
F1界では、彼はドライバーとしての腕前は優れていると認められているものの、
見ている私たち日本人のファンからしてもこれは少し違うだろう?
と怒りを感じるものであったが、
理不尽なことに対して怒りをあらわにすることにダメージはないが、
そうではないのだから彼は自分が至って冷静な大人であることをより多く周囲に対してアピールしなければならない。
特にレースが終わったあとにその怒りを「行動」で表現してしまったのは良くない。
正しい、正しくないより単純に損だ。
何も得をすることがない。
もちろん「言葉」でその理不尽に対して冷静に抗議をすることは必要だ。
しかし、子供っぽさを感じさせるようなことは絶対にしてはいけない。
彼が上位チームであるレッドブルへの昇格を望んでいるのであれば特にだ。
アンガーマネジメントという観点で彼には常に注目している。
精神面でのアドバイスを受けるために専属のトレーナーもついていると聞く。
果たしてそのような行動で人は変わることが出来るのかどうか?
その面で興味をいだいている。
現在のレース実況ではドライバーとチームが会話をしている場面が放送される。
そこではアドレナリンで溢れきったドライバーたちが思わずFワードを連発することもある。
しかし、欧米人の怒り方はどこかクールさが残っていて私たち日本人がしがちな「激昂」とは少し違う。
かつて司馬遼太郎はその小説の中で日本人は射撃が下手だ、と語っていたことがある。
日本人は欧米人と比べて感情が激してしまうので引き金をやさしく引くことが出来ないのだ、
といった話だったと思う。
参考までに。
F1ではドライバーの最低重量は80kgと定められていて、その重量はシートの重さも含まれる。
つまりドライバーの体重+シートの重さを合わせて80kgということだ。
それよりも体重が軽かった場合には、シートにおもりを付けなくてはいけない。
つまりバラストを効果的に配置することによってマシンバランスを改善することを抑止している。
これによりドライバーの体重の有利不利を取り除くべき工夫している。
尚、この規定は2019年から取り入れられたものでそれまではドライバーの体重はマシンの最低重量の中に含まれていた。
またドライバーの体重が軽い場合のバラストはマシンのどの部分にでもつけることが出来た。
この時代にはその他の要因もあったのだがドライバーの体重が軽いほうが有利であった。
ゆえに長身のドライバーなどはボクサー並の激しいダイエットを求められていた。
とてつのなく予算が(80億円とか?)かかるみたいだから現実性が極めて低いという話は別にして。
都市部でグランプリを開催することの利点はアクセスが極めて簡便になることだ。
比較的、交通の便が良いとされている鈴鹿サーキットですら大阪の都市部で開催されるグランプリには絶対に叶わないだろう。
東京から新幹線で新大阪まで行けば、おそらく御堂筋線一本でたどり着けるような場所で開催するのだろうから日帰りが容易になる。
この訴求力は凄まじい。
この一点だけでも十分な魅力と言える。
あと、どういうサーキットを作れるのか?というのにも興味がある。
鈴鹿はいわずとしれた伝説的なサーキットでドライバーから深く愛されているし世界中のファンも評価している。
ただいかんせんオールドサーキット特有の狭さというものが現代F1の開催地としてはやや不適格なもとなりつつもある。
F1はその安全上の理由から、ひたすら車両が拡大化されている。
その大きな車両と、オールドサーキットの道幅がミスマッチなものとなりつつあるのは本当のことだ。
大阪グランプリのために新しく構想されるサーキットが現代F1にマッチしたオーバーテイクが随所で見られるようなものであったりしたら、それもひとつの魅力でもある。
まあ何にしても鈴鹿での複数年開催契約が決まったみたいだから直近実現することはない計画だけど、そのあとを狙うくらいの気の長さと、どこかに財源があるというのなら実現は決して不可能でもないし悪いアイデアではないと思う。