はてなキーワード: 24時間営業とは
AV鑑賞が趣味だと知ってる友達にもなんとなく話しづらいのでここに書いてみる。パンツ脱ぐ展開にはならないし無駄に長い。
スペック→22、彼氏いない歴=年齢、推しが三次元だからと身だしなみは一応気を付けてる俳優ヲタク
先輩と急に飲むことになって、隣県まで飲みに行ったんだが、気付いたら0時過ぎてた。先輩はかなり酒強いし、自分もそれなりなんだが、その日は割とお互い酔っていた。実はすでに最寄りまで帰れない時間だけど、奢ってくれた先輩(実家住みの男)にこれ以上甘えられないしと思って、とりあえず自分は半分くらいのとこまで帰れる電車に乗ったが、そこでふと財布を店に忘れたことに気付いた。ICカードには電車賃くらいしかないし、キャッシュレス決済を嫌って導入してなかったことをここで初めて後悔した。とりあえず電車は終点に着いてしまったし降りて、イートインできるコンビニで始発を待つかと思って30分ぐらい歩いてみたものの、椅子がなかった。しょうがないから駅前に戻ったら案外明るいしベンチあるし、ここで座って待っててもなんとかなるんじゃねと思ってたら、うとうとしてたらしい。
「死んでる?大丈夫?」って声かけられて起きたら、10くらい上に見える、眼鏡をかけた少し髪長めのスーツのお兄さんだった。「今日寒いしここにいたら死んじゃうよ」って言われて、事情を話すと、お兄さんは近くに住んでて会社の後輩と飲んだ帰りなんだけど、家に泊まりに来ると連絡してきた友達と連絡が取れなくて(どこかで飲んでて潰れてる?)困ってるらしい。コンビニのイートインを少し探した話をしたら、「南側のコンビニにあったかも」と言われて一緒に行ってみたけど、深夜はどこもイートインの椅子を撤去してるみたいだった。どうやらその駅は駅から近いとこに24時間営業のファミレスもマックもないらしくて、「とりあえずどっか行こう」ってお兄さんが自転車の後ろに乗せてくれて、自転車の2人乗りとか小学生以来だなと思った。ただその日はあまりに風が寒くて途中で歩こうとなって、商店街があるあたりまで歩いたけどw年齢聞かれて答えたら「一回り下とか宇宙人だわ」って言われて、お兄さんは34らしい。今私が金髪だから社会人とは思われなくて(髪色落ち着いてる時は社会人だと思われがち)、大学で何やってるとか就職はって話にもなって、私が進学するんだと言ったら研究対象の話を興味深そうに聞いてくれたのは嬉しかった。
そうこうしてるうちにカラオケの前まで着いて、お兄さんが中入ってくから着いて行ったら、深夜パック2人分を払ってくれた。受付で書いてた名字しか知らないお兄さんと2人きりとか大丈夫か?AV的展開にならないか??と一瞬思ったけど、その時けっこう眠かったので、とりあえず部屋入って寝転がらせてもらうことにした。お兄さんは相変わらず友達からの連絡待ってるけど来ないらしく、だらだらと喋ってた。お兄さんに名前聞かれたから「当ててみてください」って言ったけど、自分の名前珍しいから当然当たるわけなくて、教えたら「珍しい」って言われたりしてた。そしたら突然私が気持ち悪くなって、「吐きそう」とだけ伝えて、トイレに駆け込んだ。先輩と飲んでた時もちょっと酔ったかなと思ったけど、吐くほどだと思ってなかったからびっくりした。そしたらお兄さんがトイレの外から「〇〇ちゃんいる?大丈夫?」って聞いてくれて、「吐いたけど間に合ったから大丈夫です」ってだけ答えた。ちょっと落ち着いて、うがいしてから部屋戻ったら、お兄さんがドリンクバーで水用意してくれてて、1杯飲んだらまた持ってきてくれて、とても助かった。起き上がってるのしんどかったし、表情もヤバかったのか、何十分か寝かせてもらった。(その間何かされたのかはわからん)
途中でぺちぺちとお兄さんにほっぺたを触られて起こされて「5時になったら帰るわ」って言われて、その時で30分前くらいだったのかな。私は横になってたけど「もうちょっと飲みなよ」って水差し出してくれたり、熱ないかっておでこ触って確認されたりした。その後ちょっと元気復活してきたから喋ってて、「彼氏いないの?」「いないし、大学生なってからは何もないですね」「じゃあ好きな人は?」「5年くらい好きな人がいますね」「告白してないの?」「したけど振られ方が優し過ぎて諦められなかった」とかいう話もした。「おっぱい触らせて」とか言われたけどそれは断ったw
「あと10分だよ、人生でもう二度と会わないと思うし俺となんかしたいことないの?」って言われて、何を狙ってるのかよくわかんなかったから、「どういう系ですか?」って聞いたけど「あっち向いてホイとか」って言われたの面白かったw普通にしんどかったし「え、それは結構です」って言ったけどww「キスしていい?」って言われたのは「えー。っていうか吐いた後ですけど」「うわそれは嫌だわ。いや、いいって言ってくれたらしたけど」となった。
お兄さんが本当に帰るわって感じで立ち上がって、手を振られて振り返したら、「ちっちゃいねー」って手を合わせられたりもした。「持ち帰りたかったな」って言われたけど曖昧に笑って流した。(たぶんここでそういうノリに乗らなかったのは正解)そうしてお兄さんは帰ってった。
お兄さんには「帰れるなら早く帰ったほうが落ち着いて寝れると思うし楽だよ」って言われたけど、帰ってからもしんどくて、8時ギリギリまで寝てて、なんとか起きて電車乗ってバス乗って家に帰った。
いやまじで自分がこんなことするとは思わなかったなーっていうのが、率直な感想。もっと貞操観念とか倫理観とかしっかりしてると思ってたのにwAVは見るけどこういうことされたいとかじゃなくて、好きな俳優を見てるのと近い感覚で傍観者として楽しんでる感じだし。
しかしお兄さんが断っても無理やりしてくるとかいう人じゃなくて助かった。処女もファーストキスも守られた(はず)w本当は潔癖症だから普通に知り合いと飲んでてボディタッチみたいなのもしんどいんだけど、お兄さんにはまあ嫌悪感はなく、それよりも助けられたって感覚のほうが強かったのか。
まあでもとにかく、しばらく酒は飲まないし、財布は忘れないように気を付けようという教訓。
午前中お出かけしてたわ。
たぶんそれ今日に持ち越してたらお出かけしたあと郵便局へ行ってよしってなるから、
近所に中央郵便局があるのでセブンイレブンをはるかに超える24時間営業はそういうとき助かるのよね。
私の好きなフレーズの
明日は明日の風が吹くと言うけど
今日は今日の風が吹くから今日のことは今日やっておかなくちゃいけないわよ!って教訓的な
後回しにしていることは面倒くさいけど
やっつけちゃいたいわね。
食券制なのに間違えるの?って思ったけど自分の食券の半券を見たら確かにちくわ天の券になってたわ。
そういうのってだいたい人間の思い込みや勘違いだったりするしね。
それ以降ちゃんと絵の下に書いてある文字を読むようにしてます用心深くね。
今日はもう一ついこうかしらと思って、
帰ってテレビ見ながら巨峰を食べてキョホーって言いたいところね。
それはさておき、
冷たく冷えている果物があれば
冷えてるビールがなくてもごきげんさんだという法則を発見してしまったわ。
面倒くさがらず秋の果物は食べて欲しいわ。
そもそもとして葡萄は皮ごと一緒に食べるものだと思ってたから、
日本だと皮は取り除くことには逆にカルチャーショッキングだったわよ。
週間でもう全部皮ごといっちゃってるけどね。
丸ごとポリフェノーリたいと思わない?
私はそう思うわ。
イタリアだと葡萄はいくらでもあるってことわざがあって一緒の意味なのね。
ところ変わればと言った感じかしら。
特にもう今秋シーズンはクライマックスシリーズに匹敵するほど葡萄たべてるし、
残りの3チームも加えてあげて6チームでクライマックス戦やっちゃえばいいのにねって思ったわ。
うふふ。
そのキャベツはいい感じにしなしなの火加減で火が通っててシャキシャキがまたいいのよね。
朝はテンション上げたいじゃない。
麦茶のパックを使い切るためにせっせと使ってる
でも聞いてよ
麦茶のパックが山積みになってまだ最盛期のシーズン迫ってきてる夏か!って思うほど麦茶パックが山積みになってたわ。
ここでまた私が加勢して1パック買ったところで
麦茶パックの山は倒せないわよ。
大丈夫かしらって思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
都会でなくても夜になっても明かりは消えない。
大学生になり、24:30で終わるバイトをするようになって知った。
私があがる時間以降も働いてる方はいる。朝の6:00くらいまでだったと思う。
高校生の頃は実家暮らしで、夜外に出ることはほとんどなかった。
夜の明かりといえば、窓から見える、すぐ近くの自動販売機の明かりだけ。
大学生になり一人暮らしをはじめ、先述のバイトのこともあって夜に外に出る機会が増えた。
コンビニの明かり、居酒屋の明かり、学生の喧騒、暴走するバイクを追いかけるパトカーのライト……。
夜は明かりで溢れていた。
なんか、そういうのって、都会のかぶきちょーだとか、いかにもな所だけだと思っていた。
眠らない人々はどこにでもいる。
夜に帰るようになって、夜のスーパーやコンビニをよく利用するようになった。
当たり前だけど、働いている人がいる。
自分はバイト終わりだけれど、彼らはこの後の深い時間も働くのだと思うと、なんか申し訳ないような、ありがたいような気持ちになる。
自分みたいに利用するやつがいるから24時間営業させられてるんだろうな〜という後ろめたさと、
深夜手当もらってるからとかじゃなく、ただ寝静まった時間帯にも勤労していることへの尊敬と感謝と労い。
眠らないまちの、眠らない人々は本当にえらい。
ただでさえ体調を崩しやすいのに、
昼間に寝ようとしたら近隣小学校の運動会の練習や近隣保育園の騒音に悩まされ、
台風が来れば、日勤の正社員に「電車が止まれば私が帰られなくなるから」と早出を強要され、
シフトアップの時間かと思えば、「電車が来ないから出勤出来ない。帰るなよ」と長時間の残業を強要され
はてブを覗くと「こんな日に出社する奴は馬鹿」「JRは一日止めろ」と心無い事を言う人ばかりで、
本当に夜勤労働者は奴隷としか思われていないんだろうなと感じる。
本当、「私が昼まで眠る為に奴隷は家に帰らず働け」とよくネットの海に言えるものだ。
夜勤労働者は奴隷、いやもはや犯罪者のように扱われている。だけれど、あなたが深夜に病院に行けるのは、電気やガスが使えるのは、全部誰かの夜勤のおかげ。
はてなは視野が狭い人が多いから、夜勤するくらいならコンビニを閉店しろとアホな事を言っているが、
24時間営業じゃないスーパーに朝から品物が並ぶのも、道路や線路が朝から使えるのも、全部夜勤の人が夜のうちに働いてるからでしょう?
いろいろなアルバイトをやってきた。
学生主体で回しているイベント裏方や、派遣もやった。特技を生かした期間限定のバイトもやってみた。
学生主体のアルバイトは今どきらしく、最低限の接触であとはスマホ触ってるパターンか、妙な仲間意識の元テンション高くやってるところに二分できた。どっちにも馴染めずすぐやめた。
印象に残っているのは期間バイトと接客業。そこにいる人の対照的な姿が印象に残っている。
期間バイトで出会ったのは、フリーターでも割と幸せそうな人たちだった。
一般的なカテゴリでいえば陽キャなんだろう。恋人というよりはもう少し落ち着いた、パートナー同士で働きに来ていることが多かった。そうでない人も、異性関係にはそれなりに不自由していない印象の人が多かった。おそらく数年後には、インスタやFacebookでそういう人たちの結婚報告を見て、「おめでとうございます」とかリプつけることになるんだろうと容易に想像できた。
一方接客業にいた人たちはそうでない人が多かった。
アラサーからアラフォーで、仕事が終わるとパチに直行するような男性たち。
女性は学生か、近隣の既婚女性がパートで来ているパターンが多く、この男性たちは端から眼中にない。
男性たちの将来には悲観的な未来しか見えなかった。社員登用が積極的に行われるような会社ではなかった。一定の年齢になるか、出勤不能になれば容赦なく切られるだろう。
最低限の年金は払っているだろうから、一応暮らせるだろう。暮らせてしまうだろう。
どうしようもない現実だった。
最も救われないのは、この人たちは一応働いて、今のところは生活も成立し、税金を払っているということだった。
セイフティネットに引っかからない程度の底辺で、上に上がるでもなく、下に落ちるでもなく、ただ生きているだけ。
その接客業を一年で辞めた理由はいろいろあるが、あの男性たちの笑顔を見るたびに削られていく自らの心に耐えられなくなったというのは理由としてかなり大きい。
彼らを救うには、彼らがせめて、異性ではなくとも、気の許せる友人とともに暮らし、死に際にその友人がその死を看取ってくれる、その程度の幸福を享受できるようにするには、どうすればいいのだろう、ということをずっと考えているが、答えは出ない。
昨夜仕事帰りにちょっとメールする事があったので、24時間営業のスーパー駐車場に入ってスマホをいじっていた。
警察のパトロールか?と思って顔をあげると、知らない若い女性が立っている。
これは出会い系の待ち合わせで車間違ったか?などど思い、窓を少し開けて
「待ち合わせ?相手間違ってない?」
と声をかけてみたが、そうじゃないという。
あ~これはあれか。夜のバイトか…。
こんな素性のわからない子と遊ぶつもりはないが、興味本位で話を続ける。
年の頃は二十歳前後、カジュアルな身なりでぱさついた茶髪に化粧っ気のない顔、片手に携帯音楽プレーヤーを持ち、片耳のイヤホンを外しながら話をする。
「こんな時間になにしてるの?」
「アルバイト的な?」
「お小遣い稼ぎ?」
などと質問していると、
話を聞くと、どうも以前に厄介になったことがあるらしい。
「いくらくらいでやってるの?」と聞くと、
「2か3」
「それで最後まで?」
「うん」
高い!高いよ!
この辺のデリヘルなら1.7も出せば90分本番ありだよ!
値切れば値切れるんだろうけど、その気はないので
「そっか。手持ちがないからまた今度ね。連絡先交換する?」
ああそうですか。
「じゃ、気をつけてね」と車を出す。
興味本位でからかってしまったが、一見普通の若い女の子がお金目当てに深夜の駐車場で男に声を掛けるなんて、どうなってるんだろう。
それでは足りないのか、それともなにか働けない理由があるのか。
「死ね」とか「使えねー」とか普通に言われるし、巻き舌でゴルァゴルァ言ってくる人、はたまたリアルに精神に変調を来してそうな人などなどなど、
いろんなお客さんがいて、いろんな殴られ方をするよ。
客がイキってくるだけじゃなくて、コールセンターに外注してる不動産屋の社員もやばかったりするしね。
「下請けの非正規風情がまともな仕事をできるわけがない」って面と向かって言われたこともあるよ。驚くことに盛ってないよ。
この仕事をやるなら夕方以降の営業時間外の勤務がおすすめ。インフラに近い部分の商売だから24時間営業なのね。
移管先がなくなった時間帯のコールセンターは、ガチでなんの権限もない状態で客を待たせないといけないんだ。
不動産屋さんのお休みの時間を守るお仕事だからね、委託元の社員の代わりに殴られ続けることを求められるよ。
夜遅くなればなるほどお客さんはキレッキレで、不動産屋の社員に緊急連絡したときの態度は冷えっ冷えになっていくよ。
さて、職場内部で殴られることに魅力を感じてるみたいだから、そこについても書いておくね。
私が通う職場は一見団結してるように見えて、常に必ず誰か一人イケニエがいるよ。
実務能力が低い/清潔感がない/世渡り下手、みたいな理由で選ばれた人がひどい誹謗中傷を受けるよ。
職場に害をなす奴を懲らしめるって"正義"のもとに殴られるから逃げ場はどこにもないんだ。
コールセンター界隈にはサンドバッグとして働ける、君の望み通りの仕事がたくさんあるよ。
2일
2日目
疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。
チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。
初日の釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。
「近代化している韓国だからなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。
今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。
ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。
どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。
チェックアウトして釜山駅へ。
「近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参やナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。
昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこが工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。
ネット環境やK-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。
絶賛工事中の釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。
これで移動が便利になって一安心だ。
釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。
西面で降り、繁華街の路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃんと作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。
路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。
両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。
カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜、ニンニク、ゴマがトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。
見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。
味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。
良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。
韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。
昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。
腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでんの屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。
「屋台で出されたものを屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景。
「社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。
西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。
メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。
異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。
バスは直ぐに発進した。
窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんのクルクルパーマや韓国女子のファッションについて考える。
若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。
よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック。
この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。
光州へ
3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。
熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。
韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。
すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。
「自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。
そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種がちょっと違う。
かつて日本にやってきた渡来人は、この地方の朝鮮人だという話を聞いたことがある。
日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。
ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン。
部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策。
地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。
夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。
予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業の食べ放題の店に向かう。
地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。
「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。
どうも殆どタクシー運ちゃんや地元の人しか来ないような店らしい。
席に座ると、自動的にオバちゃんがご飯とスープとデジカルビを持ってきてくれる。
ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題の白飯が進んだ。
初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。
「マシッソッダ(美味しかった)」
みんな旅行とか行ったのかな。
積ん読してた本が2、3冊消費されたところでたまらなくなってエッセイ紛いのものが出来上がったので、どこに書くにも場所がないのでこちらに。
運良く窓際の席を取れたが、ゴールデンウィーク、しかも異例の10連休である故か通路には立っている人が端から端まで広がっている。自由席だからなのだろうが。
当日に特急券を購入するという考えが甘かったと悟ったのははるばる新潟駅に到着したその時である。慌てて自由席のチケットを購入し、1時間も前からホームに並んで電車が到着するのを今か今かと待っていた甲斐があり、無事に窓際で座り込んで駅弁を食べる贅沢をする権利を得た。
窓の外には平野の田園風景が広がっている。その遥か向こうにそびえる奥羽山脈の頂には、5月にもなろうかというのに相変わらず雪が降り積もり白く輝いていた。
奥羽山脈は手前の山に阻まれ隠れ、そしてまた姿を見せる。手前の山には仄かに淡い白さが点在している。どうやらあれは山桜のようだ。
そう、窓際の席とは山側なのだった。
初夏の日本海の底知れぬ青黒い美しさはえもいわれぬ郷愁が湧くが、遠く高くそびえる山脈の頂上の銀色もまたノスタルジーである。
列車が北に向かえば線路は海に近くなっていき、奥羽山脈は遠く離れて行く。その遥か向こうに見える頂に銀色が輝いていればいるほど、胸の奥が詰まってたまらない心持ちにさせられるのだ。あの山の上から下に降りてくればきっと緑が増えるのだろうが、初夏になろうとしている時季に尚白く輝く凛とした佇まいが胸を打つ。これを横目に眺めながら移動するとはなんとも美しい初夏の電車の旅である。
新潟らしく広く大きな田んぼの中ではトラクターが動いている。ちらほらと水が張られた田んぼも見られ、秋になればここ一帯は美しい金色の広がる風景が見られるに違いない。
さて、新潟平野の自然の豊かさ美しさは想像するに難くない。今回は駅弁をただただ食べている1人の女の話である。
そもそもの旅の出発点は京都なのだが、本日の始まりは富山からだった。富山発、始発の電車に揺られて向かったのは直江津である。つまりは日本海側を延々と北上していくのが今回の旅の目的なのだ。というか、それだけである。日本海側を北上して秋田に向かうのを目的とした旅だった。どこに書くにも宛がないし、需要もなにもあったものでないからこうしてつらつら散文を書き連ねている。
富山駅前に24時間経営または早朝から開いているお寿司屋さんなんかがあればおそらく私はそこに直行しお寿司を朝からとはいえお腹いっぱいいただいていたと思う。しかし富山駅前には何もない。朝5時から、もしくは6時から…更に粘って7時なんかにも開いている店、更にいうならば寿司屋なんて存在しない。7時台から開くのはチェーン店かモーニングをやっている喫茶店か何かだけである。そして元気に営業していたのは24時間営業の吉野家のみであった。
その時点で私は富山で味わう海の幸の幻想を頭の中から叩き出した。白えびの軍艦に唐揚げ、新鮮な蛍烏賊の踊り食いや辛子味噌和え、ずわいがにや幻魚、その他内陸では食べられないお魚などなどである。食べたかった。
しかしそうも言っていられない。猶予はあまり無いのだ。今日中に秋田のその先まで着かなくてはならない。家族と合流する予定がある。そのためにただ日本海を傍目に北上しているのだ。
あいの風とやま鉄道に揺られて泊駅に着けば、1時間近くの待機時間の後に直江津行きが発車する。その頃には7時も回っており、ワンマン運行の1両のみの車内には案外人がいた。
さて直江津に着くまでに私がしていたことといえば、ただ海を眺めることだった。
日本海は海が近い。個人的な感覚だがみんなそう思うのだろうか。太平洋側の事はあまり詳しく無いが、日本海の海は近く深くあるような気がする。その黒く光る朝の海の美しさと言ったら!まるで海の表面にも溢れそうに青魚の群れが泳いでいるかのように、白く立った波が時々日光を浴びて生き物のように揺れている。青さの深い、銀と灰色と藍と黒が混ざったような深い深い海色は、海から随分と離れた所に行ってしまった私の目にも優しく映った。遠く沖には白い漁船が横切って行った。すわ喘ぎそうになる郷愁を感じる。胸の奥に響いて打ち震えるかのような懐かしさと海への憧れが込み上がっては目の奥がじいんと熱くなった。
電車の揺れが心地よくてどうやら眠っていたらしい。これは最近しばらく満足に寝られていないせいだろう。気がついたら直江津駅に着いていて、次の電車が出るまであと1時間の間があった。
大正時代の立ち売り衣装に身を包んだおじさまがいるということをきちんと事前に調べておいた。スマホでなんでも調べられるとは便利な世の中になったものだ。
到着するのが9時前でなくお昼時だったなら今度こそ寿司を食べに行っていたが、時間がないのでそうも言っていられない。
電車好きの皆々様が声高らかに宣言するように、私ももれなくそうだと頷くことにしている。車窓から見える景色も楽しいものだが、そこにご当地の駅弁が加われば怖いもの無しであるし何よりお腹いっぱいになって幸せになる。
朝ご飯代わりに駅弁を購入する事を楽しみに直江津駅に降り立った。
改札口に向かうと、出る直前の部分にこじんまりとしたささやかな売り場がある。まあ何がどうなっているかは気になった人が各自で調べればいいので詳しくは書かない。
しばらく待ってもおじさまが来ないのでどうしようとウンウン首をひねっていたら、親切な黄色ジャンパーの方が声をかけてくれる。同じ会社の人のようで連絡を取ってくれた。すぐに戻ってくるそうだ。どうやら弁当が残り少なくなってきたから補充をしに行っていたらしい。
いただいたのは鱈づくし弁当である。しかし、戻ってきた駅弁売りのおじさまが持ってきた物の中にさらに目を惹く物が存在した。上越名物(?)スルメの天ぷらだった。本当にこれが名物なのかもわからないがとにかく美味しそうなので購入してしまった。繰り返すようだが朝9時前である。少しというか結構重たいラインナップなんじゃないか?との一抹の不安と、大人になった事によって気になったものをパッと買える喜びで押し挟まれながらわくわくと胸を躍らせた。
味や中身の紹介は調べればいくらでも出てくるので割愛するが、鱈づくしの弁当は珍しいものだし鱈子も入っていて味も良い。スイスイ食べれてしまう。しかもスルメの天ぷら、これが1番の食わせ者だった。とにかく美味しい。お酒飲みたい。これを文字通り酒の肴にすればいくらでも日本酒が進むこと間違いない。移動距離が長いため朝の脳内では流石に自重してしまったのだが、どうせ移動中に転寝するならお酒を嗜むのを選択するのが大人の行動だったと今になって反省している。今度こそは間違わず躊躇わずに酒を購入する事をここに誓います。
流れる景色を眺めながら食べる駅弁の味わいの乙な事と言ったら!と満足ながらもやっぱり少し重たかった。行儀が悪いのは重々承知で半分残し、今度はお昼ご飯にするためにとっておいた。
今が秋ならば目の前一面に稲穂の海が広がっているだろう。田園風景の美しさとは未来が楽しみなことにもあるかもしれない。
点在する民家の遥か向こうに山々がそびえている。その更に向こうに相変わらず悠然と存在する白い山脈の頂きを眺めながら駅弁の蓋を開けるこの瞬間の静かな興奮である。
美しい景色を眺めながら、その土地の食べ物をいただき、更に移動までさせてくれる。電車の旅でなければ味わえない幸福な感覚に1人で酔いしれながら最後まで食べきったが、終わってしまうのも少し物哀しい。
ここが機内食やなんかと違う所なのである。駅弁は去り際に満足感と一緒に微かな残り香を置いていく。決して美味しい匂いが残るわけではない。なんだか少し物足りないような、それでいて胸がいっぱいになるような、この土地に少し近づけたような、微かな証を残していく。
反対の窓の向こうには日本海が近づいてきていた。人と人の隙間からちらちらと光る海が見える。