はてなキーワード: 開発独裁とは
>人種差別は許されないし、公立校差別も許されないし、田舎差別も許されない。全部やめようぜ!
路上にガム捨てるのが罰金のシンガポールみたいな開発独裁国(日本の民主主義の未熟さを批判していた芸人がシンガポールに行くとかって意味判らないんですけど…)ぽさを感じるし良くない。ガムを路上に捨てる事は良くないが、ガムを路上に捨てる事に刑罰があるような国はやっぱりろくでもないとは思う。全部やめようぜ!は、「好ましくない」レベルで、罰則を設けようとは思わない。フランス人はスケベ!みたいな偏見が法的規制されているような国はやっぱりろくでもない。
ちなみに何が良いか悪いかを決めるのは国だから、政府批判も禁止事項に含まれているぜシンガポール。シンガポール持ち上げる意識高い人って何なの?
4일
4日目
チェックインした当日に見つけられなかったアメニティは、不注意で見落としていただけで、実は室内の革のバッグに収納されていた。
芸術の都らしく、こういったところもオシャレだ。
遅めに起きたが、チェックアウトが12:00なのでまだ余裕がある。
散歩と軽い朝食ついでにロッテマートでお土産のインスタント麺を買う。
広いとは言えない韓国は地域の対立意識が強く、特にこの光州の人達は他の地域の人々から嫌われているらしい。
曰く「手先が器用で芸術の才能がある。日本人に似ており、社交的でソツがないが、計算高く、最後には裏切る」
近世の新羅・百済・高麗の対立からともいわれているし、朴正煕時代の選挙戦の影響とも言われている。
観光でちょっと撫でただけ、その上言葉も不自由なので、深いところは全く分からないが、顔つきは日本人に似ている人が多いし、ソフトムードの人が多いなとは感じた。
韓国社会に深くコミットすれば、違う印象も持つのかもしれないし、逆にそれが偏見だと感じるのかもしれない。
男同士で楽しそうに談笑していたが、やがてオバちゃんの一団が乗り込んでくると、座っていた一人が席を譲る。
青年は非常に自然に席を譲ったが、オバちゃんは日本だったらまだ席を譲られるほどの歳ではない。
光州を出発したバスは東に向かい、窓の外の景色は再び緑豊かな山道となった。
バスの車内では、民主化運動に参加し、5.18の時には予備で拘束されたという現職の文大統領について調べる。
5.18民主化運動の地を訪れた後、テキストを読んで感じることは、韓国社会には「強者の韓国」と「弱者の韓国」の2つがあり、彼のアイデンティティが一貫して「弱者の味方」であるということだ。
日本・韓国双方の財閥や日韓間の慰安婦合意に否定的なのも、「弱者の韓国」にとっては日本や旧日本統治時代の流れをくむ財閥は「開発独裁主義で弱者を顧みなかった強者」であり、そこで立ち上がってくる彼の願いが「強者に虐げられた弱者を救う」事だからだろう。
大統領の権力集中にも否定的で、権限の縮小や任期の変更も主張しているというし、地域対立の解消も目指しているという。
上手くいけば、韓国行政の積弊である大統領の悲劇的な破滅の歴史に終止符がうたれ、光州の人達への差別意識も和らぐかも知れない。
うまくいかなければ、諸外国に振り回され、経済を停滞させ、反動で韓国社会の分断をさらに進めるかも知れない。
果たして彼を待っているのは、改革の英雄の未来か、理想主義者の蹉跌か。
実際に地域を訪れて、テキストの背景の感覚が色彩を帯びて見えてくることもある。
日本人にとってメジャーな観光地とは言えない光州だが、是非訪れて見たほうがいいと思う。
釜山へ
3時間半の乗車ののち、バスは最終目的地に到着したようだった。
乗客がどんどん降りていく。
「しまった、周りの動きに合わせて降りてしまったが、実は釜山に着く前に降りちゃったかな?」
さっぱり分からないので、チケットカウンターに行って、お姉さんに状況を説明した。
「I'm going go to Busan, but I had mistakes. I had put down bus.
Do you mind teach me How to go to Busan?」
お姉さんはキョトンとして下を指差して答えた。
「Busan.」
西部バスターミナルとのあまりの違いに驚いたが、自分が降りたのは釜山北部郊外の総合バスターミナルらしい。
比較的街中にあって小綺麗な西部バスターミナルと違って、総合バスターミナルは山間にあり、設備も古め。
ともあれ、釜山市内であれば地下鉄で市の中心部にアクセスできる。
東横インは日本語が通じるので、ホテルの免税の手順や、空港の早朝便に間に合うようなタクシーの手配など複雑なコミニュケーションを取ることができた。
これで不安はかなり減った。
夕食を食べに行こう。
地下鉄に揺られ、西面駅で降りる。
地上に出るとすごい活気だ、夜の西面は若者でごった返している。
そうか、そう言えば今日は金曜の夜だ。
対戦筐体を見ると、鉄拳では対戦が繰り広げられていた。
日本では下火になりつつあるゲーセンだが、韓国では若者の娯楽として健在だった。
西面のメインストリートの反対側、飲食店街を歩くと「ソンジョン3代クッパ」は見つかった。
韓国語で聞いてくるオバちゃんに「テジクッパ ジュセヨ」と伝えると、すぐにお盆に乗せられた一式がやって来た。
豚肉入りのスープご飯。小皿の薬味を混ぜて、自由に取れるキムチをつまみながら食う。
名店の名物だけに間違いなく美味かった。
美味くて一気に食ったために、詳細な味の分析は忘れた。
やっぱアレは特別辛かった。
一気に食い終わって、会計を済ますと、レジのおじさんがアメちゃんを勧めてくれた。
釜山は韓国の大阪と言われるらしいが、こんなところもなんだか似ている。
22:00を過ぎた西面はまだ若者でごった返している。
黒いマスクをした10代の若者から、ワンレン肩パットのお姉さん(マジでいる。しかも結構いる)、恋人たち、果ては迷彩服の青年兵まで、ありとあらゆる若者のエネルギーで通りは充満している。
日本で10代の特に少女に韓国カルチャーが人気な訳が少しわかった。
韓国社会では、まだ若者の存在感が大きく、ユースカルチャーを駆動しているエネルギーの絶対量が多い。
そのさきにあるものを少し思いながら西面の街を歩く。
メインストリートの入り口では、2人組デュオがストリートライブをしていた。
2人とも上手いのだが、太っているほうがより歌が上手かった。
あんまりにも高度化しすぎて最先端の研究者しか分からなくなってるんだと思う。
100年後から見たら外国人を拒絶して鎖国するのが正解なのかもしれないし。
民主主義万歳から開発独裁最強だよねーみたいな風潮になりつつある気もするし。
桶狭間は奇襲じゃなかったかもしれないし、竹島は韓国のものかもしれないし、
放射能が身体を蝕んでいるかもしれないし、STAP細胞はあるのかもしれない。
何が正しいって判断できないのにこれからどうやって民主主義やってくの?
どの法律が正しいかも分からないのにどうやって投票すればいいの?
Post-Truthってこのことだよね。
元記事がどっかに流れてしまって、大したことを言ってないので探すのも面倒なのでこのまま書くけども、
民主主義より独裁のほうが効率よくないか、という話の反論というか徒然なる雑感です
まず基本的に、会社と国家だと、会社は経営者の経営が失敗したら倒産して社員は失業して、
それはそれで大変なんだけど失業保険とか再就職とかそこそこ逃げ道があるんですが、
国家が破たんすると会社と違って逃げられないという問題があります
日本語なんて日本でしか通じないですし、今どきはどの国も難民に冷たくて排斥されますし逃げられないですね
つまり会社は経営失敗してもしょうがないけど、国家は運営失敗しちゃいけない
国の運営に参加してる人(国民)は、そういう「絶対に引けない戦い」をやってる
つぎに、経営や政治がやってみて上手くいくかどうかは、究極的には「わからない」です
一部の例外を除いで正解なんかないので、特定の事業に全リソースを注ぎ込むようなカッコイイことをやって
上手くいくかどうかは時の運というのは、会社はやっていいけど国家はやっちゃまずいです
先進国のイギリスとかが成功したのはアメリカ大陸やインドアフリカを筆頭に超絶に搾取しまくったからですが、
そのあとを追いかける国が真似しまくったのが啓蒙専制君主とか重工業に集中投資とかそういうやつで、
今どきだと、いわゆる開発独裁ですよね。ソ連の五か年計画みたいのも入れちゃっていいと思うけど、
工業とか何もないところに工業を導入したら上手くいくというのが開発独裁の言い分ですけど、
しばらくすると高成長でごまかしてたのが成長が落ちて、取り分の配分で意見が分かれるようになって
日本も明治から戦後の高度成長期、自民党一党政治でずーっと開発独裁と呼んで差支えない状態でしたが、
80年代にセカイイチな経済になったあたりで正解のない政治と向き合うようになり、それで政策失敗して今に至ります
さて、話の方向をちょっと変えまして、国会の話し合いとか時間の無駄だよねって件ですが、
選挙で自分たちの意見を表明する人を出して話し合いをするわけですが、あれで大事なのは合意形成なんですよね
政治って、「あれはやらない、これはやる」というイエスノーもありますけど、
「あれもこれもやらないといけないけど、どこから順番に手をつけようか」ということをやりまして
橋をかけるのが先か、保育園を建てるのが先か、優先順位をつける
もちろん、最終的には全部やるということで、それぞれの現場に議会の結果を持ち帰って、
「後で橋をかける順番になったので、先に保育園を作るのを協力してくれ」と、選んでくれた支持者に合意を説得する
みんなが「自分の意思で協力する」体制を作るための議会なんです
これが議会がないとどうなるかというと、合意してない人にやらさないといけなくなる
自発的にやる気がある人だったら、自分で動いてくれると期待できます
けど、やらされてると感じてる人だったら、隙を見て自分の都合でサボります
サボる奴は監視して管理すればいいだろう、と思うかもしれないけど、そうすると、管理費がかかります
人間、自分の面倒もろくに見きれないのに、他人の全部を監視できるわけがない
管理って大変なんです
会社だって、人数が増えると少人数の頃に比べて管理費が膨大に膨らみます
IT革命って「管理費がちょう安くなるよ」って話だったはずなんですが
現状、総トータルの管理費はあんまし変わらん感じでして、むしろ増えてたりもしまして
大企業で10万人単位かそこらの管理で大変なのに、日本国の場合、億ですよ億
1億の人間を監視して管理して効率よく動かそうと考えた場合のコストって、どれだけかかるか見当もつきません
警察官をどれだけ増やせばいいのか。警察官を監視する内部監査職をどれだけ用意すればいいのか
かといって、管理しきれないからと放置して、みんなが好き勝手に動いたら、効率よくなるわけがない
独裁とか専制とか、管理費用がかかりすぎる仕組みを高成長率が期待できない状態でやったら、管理コストで国家が縮小してくしかない
地下資源取り放題とか植民地搾取とか奴隷狩りとか、そういう美味しい搾取が出来るなら話は別です
独裁体制で軍事増強して韓国や中国に攻め込んで奴隷労働者を確保できるとかね
今は乱世だ、朝鮮半島を再植民地化して搾取しようとか、そういうビジョンがある人が独裁を唱えるなら、それはそれでアリかと思ったりします
それが不可能というなら、国内でコスト負担するしかないので、つまり国民負担がかなり重くなります
シンガポールもそうだし中国もそうだと思うけど、開発独裁国に近いからね。"emerging democracy"って言葉で飾って、人権にうるさい事になっている各先進国(日本もそうだろうが)が、不都合な面はあまり見ない振りをしている。確かにそれらの国では、企業活動のスピードが速いんだろうけど、それは飽くまで『一部の支配者たちの害を与えない限り』っていう条件付の話だろうし。反対にそこに取り入ることが出来れば、多くの人にはメリットがあっても、一方で泣く人も結構な割合で発生するみたいな話を強引に押し通す事も出来るんだろう。民主主義の面倒くささ、生じる無駄の発生などを棚上げした事により生まれる速度だから、市民にとって嬉しいことばかりでは無いと思う。
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?