はてなキーワード: 通勤とは
一日東京の街でも歩いてこい。
こんだけの人が通勤してんだよ。そして遊んでよ。どっかの会議室で数字だけ見ているからこんなアホな老害なんだよ。
現場を見てみろ。
こんだけ毎日通勤してんの、五輪で人が増えてコロナ増えるとか意味不明だぞ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/3282156/
「(報道で)飛び込んだって書いていますけど、ちゃんと警察に確認してほしい。
ホームに飛び込んだと証言していた目撃者は一番前の駅員だったといい、
まず、死んだ経理部長の頭の側面が電車に当たったことを知ってる時点でおかしい。
それを目撃した人物がおり、その様子を山下会長に報告しているとしか考えられない。
次に、死んだ経理部長の乗る車両の位置を知ってるのがおかしい。
毎日一緒に通勤するほどの仲ならともかく、普通は他人がどの車両に乗るか?なんて知らない。
帰りの電車でよく見かけるおじさんがいた。
50代くらいでスーツを着ている、会社帰りのサラリーマンに見える人。
その人はよく同じ電車に乗っているにも関わらず、いつも目的の駅の2つくらい前で隣の人に「次〇〇(駅名)?次〇〇(駅名)?」と聞くのでちょっと目立っていた。
同僚と雑談していた時、「××線は夕方に乗ると〇〇(駅名)おじさん居ますよね。」と話題にのぼった。
確かにあのおじさんは目立っているが、あだ名まで付けられているのは可哀そうな気がした。
とりあえず「居ますね。ときどき見かけます。」と返すと、同僚は「気持ち悪いですよねー。」と言う。
そこまで言うか?と思ったが、黙っていると横から別の人が「どうキモいの?」と聞いた。
その同僚が言うには、
・駅名おじさんは若い女性の隣を狙って座る
・「次の次です。」と教えてもらっても、またしばらくすると女性に「次〇〇?」と聞く
・いつも乗る電車で目的の駅が次かどうか解らないわけがない、女性と話したいだけ
ということだった。
それが本当ならキモいなと思った。
それから気になって、帰りの電車で駅名おじさんを確認するようになった。
おじさんはいつも女性の隣に座っていた。反対隣りに男性が座っている場合あったけれど、「次〇〇?」と聞くのはいつも女性に対して。
これはキモいのか?
おじさんには何か事情があって、人に聞かないと降りる駅が解らないのかもしれない。
ちょっとしたことを知らない人に聞かないといけないとしたら、私でも女性を選んで尋ねる。
(男性に尋ねると攻撃的な対応を取られることがたまにあるので)
誰かに頼らないと降りられない場合、あらかじめ優しそうな人の隣に座るのはキモいのか?
ある日、おじさんの両隣には男性が座っていた。
〇〇駅の2つ前、まだ聞かない。
〇〇駅の1つ前、まだ聞かない。おじさん、降りられるのか?
緊張しながら見ていたが、結局おじさんは誰にも聞かず、いつも降りる駅ですっと降りて行った。
もやもやした。
本当に女と話したいだけなのか?
それはキモいのか?
そのくらいは教えてあげればいい?
たとえ聞いていたとして、聞き方が「すみません、私〇〇で降りたいのですが、次でしょうか?」だったら、やっぱり何か嫌だっただろう。
そもそも「次〇〇?」なんて気安く聞けるのは、若い女と侮っているからのようにも思えた。
本当のところどうなのかはどうせ解らないし、考えても仕方ないけど。
優しそうに見える人が嫌な思いするのは無くならないものなのかな。
私も道を聞くときは女性を選んでいたから、それも悪かったなとか思ったり。
もう今時は他人に道を聞くことなんて無くなったけど、他のことでも優しさに付けこまれている人は居ると思うんだよね。
そういうところが嫌だった。
わたしの父親は、昔から少しでも気に入らないことがあると怒鳴ったり殴ったりする人だった。
昨夜も父親の帰宅後いきなり大声で呼び出され、通勤バッグのフックをかけている位置が気に入らないと怒鳴りながら殴られた。
反論するとますますキレるから黙って耐えていたら、母親が止めに入って何とか終了。
近所迷惑なことこの上ない。
早く死ねばいいのに。
ゴルフで何かムカつくことでもあったのか、「家に置いてやっている」「みんなに嫌われている」などとフックと全く関係ないことをワーワー言われて意味不明だった。
ホントにムカついて仕方がない。
37歳にもなって、何でこんなに父親に偉そうな態度をとられないといけないのか。
もう日本人は新しいことに対して批判だらけだから、実験都市の中だけは新しいこと何でもやってみようってことにしようよ。
当然誰が誰と結婚していいしセグウェイで通勤していい。ドローンが飛び回ってて自動運転の車が行き交う。でもいつか大きな事故や犯罪が起こるのだろうか。ウーブンシティがそれなのかな。企業が統治する実験都市ってそれサイバーパンクじゃん
車通勤だから毎日車に乗ってるけど、正直制限速度を守って走ってる車ってほとんど見ないよね。たぶん車に乗ったことがある人で速度違反をしたことがない人ってほとんどいないと思うんだけど、普段速度違反を取り締まってる警察官なんかもプライベートで車の運転をしてる時って制限速度守って走ってるものなのかね?
たぶんほとんどの人が制限速度以上の速度で走ってると思うんだけど、もしそうだとしたら普段奴らは一体どんな思いで速度違反の取り締まりをしてるんだろうなって疑問に思っちゃって。だって自分だったら間違いなく良心が痛むっていうか自分の行動の整合性に矛盾を抱えて心が壊れてしまいそうなんだが。
実家住み、アラサーの妹に数年ぶりに彼氏ができた。(私は結婚して実家を出てる)
彼氏は私の1つ上。
久々の恋人で浮かれてる妹。
夕飯要否連絡がなかったり、
宿泊するか帰ってくるのか事前連絡なく深夜に帰宅するなど、お花畑。
(外泊ダメって実家ではなく、夕飯いるいらない、その日のうちに帰る帰らないの連絡しないのがルール違反)
二人とも社会人で良い年なのに、っていうので、浮かれてる妹は勿論、彼氏の家内評判は悪かった。
親に会わせるよりも先に、姉のチェックを受けておこうという算段らしい。
私は15分くらい前に着いて待ってた。
・15分遅れてきて、二人でヘラヘラ手を繋いで歩いて現れて、事前の連絡も「遅れてごめんなさい」の一言もない
妹とお互い好き合ってるのは確かだし、
後日妹に、親に紹介するつもりなら本気で気をつけろ、と説教したが「緊張してたんだよ、ごめんね」と軽く言われ、それもイライラ。
実家に妹を車で迎えに行き、庭いじりしていた父にエンカウント。「こんにちは」「はじめまして」で止めておけばいいものを、
「◯◯(呼び捨て)のお父さんですか?」と声をかけて父をイライラさせていた。
これが1年くらい前の話。
二人で同棲する、って話を1年以上しながら、
二人暮らしのアパート借りて住み始める初期費用なんて、どんなに盛って盛って見積もっても50万程度では?
と思うが、全く目処がたたない。
給料少なくても、毎月二人で◯万ずつね、と決めれば、それが半年後なのか1年後なのかなんて決まるだろうに。
まあ、お遊びならそんなものなのかな、妹が浮かれてるだけなのかなと思ったが、
プロポーズしてきた、のに、親への挨拶とか同棲は「彼くんの準備が整ったら。」
さすがにおかしいと怒鳴ったら
妹も若干正気に戻ったのか、彼氏と色々話したところ、借金こそないものの貯金ほぼなくてカッツカツだったらしい。
車通勤の癖に、『車を売れば金ができるから大丈夫』とかその場しのぎの発言。
妹は彼氏のことが好き、田舎だし20代とはいえ焦りあり、で別れる気はなく、とりあえず待つらしいが…。
姉の本音としては、
別れてほしいが、
「あのときお姉ちゃんに反対されたから結婚できなかった」と後々独身人生まっしぐらで恨まれても困るので、
同じく反対派の母とともに「いつでも帰ってきていいよ」というスタンスでいようとは相談してる。
■追記
割と反応いただいていて驚いた。
コメント全部読みました。優しい言葉も辛辣な意見もありがとうございます。
元々明確に反対の意を示していたこともあって、
妹本人にとっては私は過干渉でキツい姉のようなので…。
自分が結婚する時は、親への報告とか挨拶とか、その後の顔合わせとか、
妹が結婚する時は、いろいろ相談に乗ってあげたいと思っていたし、
お姉ちゃん楽しみにして張り切ってたから、彼氏に会ってまじでがっかりした。
本当は妹のことも祝福してあげたいんだけど、
明らかなだらしなさと先に見える苦労で全然そんな気持ちになれず。
お金もためてて、一応自分1人が暮らし始めるだけの費用はある。(親が確認済み)
自分は大した支出なしに同棲始めようとしてたんじゃないかって姉は疑ってるよ。
「お金ないなら私が一人暮らしする部屋に来る?」って考えにならなかったのは本当によかった。
車の貸し借りって田舎だと当たり前ですか?
税金の金額も非対称だし、整備とか大丈夫なんだろうか。大丈夫じゃないよね。
妹馬鹿じゃね?お似合いじゃね?というのは辛いけど認める。
少なくとも親が存命のうちは、
中野区中央は狭い敷地に同じような家が同じように建ち、みっしりと並んだ区画が続く。歩いているうちに自分がどこへ向かっているのかわからなくなる。東京の住宅地はそんなものだといえばそうだが、中央と名乗るからには、もうすこし街らしい華やかさがあってもよさそうなものではないか? 中野区中央は、その種のにぎわいとは無縁な場所だった。
べつに好き好んで中央まで歩いて来たわけではない。職場の寺元さんがこの1週間ほど出勤せず、連絡もとれない。社長に渡された住所のメモと住宅地図のコピーを頼りに寺元さんの居所を探し、様子を探るよう、依頼を受けて来た。他に社員は私しかいなかったからそうなったわけだ。
ファート商会という会社が私たちの職場だった。本社は中野にあり、放屁の気体用保存容器を製造販売している。このシリンダー状の容器に放屁を閉じこめておくと、どれほど時間が経っても、栓を開けさえすれば、気体が肛門を通って出てきた瞬間のフレッシュな臭気を嗅ぐことができる。このような器具にどれほどの需要があるものかと、最初私は半信半疑だった。が、細々と着実に注文が入り、会社は今まで生き延びてきた。
中野では誰もがその日を生き延びるのに精一杯だった。いちど中野駅で電車が止まれば、もう中野を出て行くことはできなかったからだ。
もう何年も前の話だ。夕方、私は仕事を終えて秋葉原から総武線に乗り、荻窪のアパートへ帰ろうとしていた。電車は中野で停まり、ドアが開いた。もともと中野での停車時間は不自然に長かった。新たに乗り込んでくる人はおらず、車内に放置された乗客は、列車が再び動き出すまで忍耐強く黙っているのが常だった。だがその日の停車時間は長すぎた。15分を過ぎた頃から、いらいらと外の様子をうかがったり、ホームへ降りたりする乗客が出はじめた。それでも列車は動く気配がなかった。30分が経過した頃、当駅で列車は運行を終了する旨のアナウンスが流れ、乗客は全員が外に出された。それ以来、私たちは中野で暮らしている。
中野は孤絶している。東京の他の区からも、日本の他の地域からも隔離されたままだ。新宿よりも西に向かう列車を選択的にブロックするよう、政府からJR東日本へ命令があったとかいう噂だ。感染症の拡散を防ぎ、テレワークの普及を急ぐためらしかった。通勤を控えるようにこれまでさんざん忠告したのだから、都心へ通勤した輩はもう帰宅させなくてもよろしいというわけだ。だが噂は噂で、なぜ中野以西への鉄道運行が突然終了したのか、本当のことを知る人はいない。少なくとも中野にはいないと思う。
中野で足止めされたら、人生を中野でやり直すしかなかった(生き続けていくのであれば)。テレワークをしていなかった乗客は一瞬で路頭に迷った。中野で住みかを見つけ、仕事を見つけ、生活の糧を得ていくしかなかった。
練馬、杉並、新宿と中野の境界には有刺鉄線を張ったバリケードが設置され、高いコンクリート壁の建設が始まっていた。20式小銃を抱えた警備隊が昼も夜もバリケードの前を行き来していた。こうした措置に抗議したり、やけを起こしたりして境界へ突入する人はときどきいたが、その場で「管理」され、戻ってくることはなかった。「管理」されたくなければ、望んで降りたわけでもない中野で生きていく他はなかった。
ファート商会は、中野へ流れ着いた人間で始めた会社だった。偶然に同じ場所に居合わせた三人、空き家になっていた蔦だらけの木造家屋を見つけて寝泊まりしていた三人だった。私たちは手持ちの金を出し合って米を炊き、駅前の広場で獲った鳩を焼いて共同生活を送った。放屁を保存するシリンダー型容器というアイディアを出したのは、社長の鬼澤さんだった。本人の話では、食品の品質検査に使う精密機器の会社に勤めていたそうで、その方面の知識は豊富だった。最初は中国から大量に取り寄せたシリンダーを小箱に詰め替えて転売していた(中野から移動はできなかったが郵便物は届いた)。仕入元と取引を重ねるうちに、小ロットでも自社ロゴマーク入りの製品を作ってもらえるようになった。
その頃には空き家の相続人を名乗る人物から弁護士経由で文書が届いて、私たちは追い出された(急激な人口増加のため中野の地価は上がったらしい)。駅近くの雑居ビルにたまたま空きがあったのでそこに移り、事務所で共同生活をしながら放屁の保存容器を日本中に送り続けた。事務所とは名ばかりで、中国から届いた段ボール箱が積み重なる室内には洗濯物が下がり、夕食の豚肉を焼くにおいが漂っていた。
三人がそれぞれに部屋を借りて事務所から引越したのは、それからさらに一年ほど経ってからだ。そうするだけの資金がようやくできた、そろそろ仕事とプライベートを分けたい、当面は中野から出られる見込みがなさそうだ、といった思惑や妥協が交差した結果、私たちはそろって職住同一から職住近接の体制へ移行したのだった。
鬼澤さんに渡された地図のコピーを見ても、寺元さんの住みかはさっぱりわからない。どの角を曲がっても同じような家並みばかりで、ときおり家の塀に貼ってある番地表示板だけが現在地を知る手がかりだった。ひと昔前までは、スマートフォンで地図アプリを見れば迷わずにいろいろなところへ行けた。中野に閉じこめられてから、その類のアプリはなぜかいっさい起動しなくなった。だから中野で住宅地図は貴重品になっていた。
何度も同じ所を行ったり来たりして、ようやく見つけた寺元さんの居宅は、路地の奥にあった。旗竿地というのか、家と家の間を通って行くと不意に現れる隙間がある。そこへはまりこむようにして古アパートが建っていた。鉄柵にかかるプラ板に、かすれた文字で「シャトーひまわり」と書いてある。柵のペンキはささくれ立った指の皮のように、いたるところから剥けて、露出した地金から赤錆が吹き出していた。一階の通路には落ち葉が吹き溜まり、繰り返し人が通った箇所では砕けて粉になっていた。各戸の前に置かれた洗濯機のカバーは、もとは水色だったらしいが、雨と埃をかぶり続けて黒くなっていた。
103号室には表札も呼び鈴もついていない。寺元さんの居所はここらしいが、本当にそうであることを示す手がかりはない。ドアをノックしたら全く無関係な他人が出てきて、警戒心に満ちた視線を向けてくるかもしれない。そういう可能性を考えると、ドアをコツコツとやる力が自然に弱々しくなる。返事はない。中に人の気配があるのかどうかも分からない。洗濯機の上にはすりガラスの小窓がついているが、その奥で人影が動く様子もない。小声で名前を呼びながら再びノックしてもやはり返事はなかった。
寺元さんは出かけているのだろうか。あるいは先週あたりに部屋の中で倒れて誰にも気づかれず……不意にそんな想念にとりつかれたが、辺りは埃っぽい臭いがするだけだ。やはり出かけているのだろう。
その場を離れようとして歩き始めた瞬間、背後で音がした。振り返ると、寺元さんがドアの隙間から半分だけ身を乗り出し、こちらを見ていた。禿げ上がった丸顔はいつもより青白く、無精ひげの生えた頬がこけて見えた。「田村さん、なんで……ああ、そうか……まあ、ここじゃなんなので、どうぞ……」
「散らかってるけど」
といいながら寺元さんは私を部屋に招き入れたが、中は私の部屋よりもきれいに片づいていた。ローテーブルの上にはA4サイズのポスターみたいなものが散らばっていた。猫の写真の下に黄色い枠が印刷してあり、「さがしています」という文字が見えた。
「先週から急にいなくなっちゃってね、ずっと探してたんだけど……」
猫を飼いはじめたと寺元さんが言ったのは半年ぐらい前だったか。ランチの時に写真を見せてきたのを覚えている。たしか、ニティンとかいう名前だった。額の毛が富士山のような形に、白と黒に分かれている猫だ。
「この近所では、見つからない感じ?」
「毎日そこらじゅうの路地に入って見て、電柱にポスターも貼ったんだけどね。今のところ手がかりはなくて……」
寺元さんは俯いたままTVのリモコンをいじくり回していた。目の下にできた隈が濃かった。
中野では孤独死が増えているらしい。突然にそれまでの生活、人間関係から切り離され、中野に閉じこめられた人々が、生き残りをかけてあがき続け、一息ついたあとに待っていたものは、容赦のない孤絶だったというわけだ。
職場への連絡も忘れ、一週間にわたって捜索を続けていた寺元さんと猫との個人的な結びつきは、どれほどのものだったのだろう。そして突然に去られたと知ったときの衝撃は……いや、仕事を忘れていたのではなくて、猫を探すために休むと言えなかったから、連絡できなかったのかもしれない。猫の存在が、どれほど寺元さんの柔らかいところに入り込んでいたか、誰にも知られたくなかったから、中野ではそれなりに気心が知れているはずの私たちにも、失踪事件とそれがもたらした内面の緊急事態について、口を閉ざしていたのではないだろうか……
「鬼澤さんには、寺元さんが体調崩して寝込んでたとか言っておくので、ニティンの捜索、続けてください」
「気遣わせちゃって、ごめん。僕の方からも、後で連絡入れておこうと思うから……」
寺元さんはアルミサッシを静かに開け、冷蔵庫から麦茶を出した。梅雨時の空気で蒸し暑くなり始めた部屋にかすかな風が入ってきた。窓の外に見えるのは隣家の壁ばかりで、申し訳程度についたコンクリート製のバルコニーの下には、古い落ち葉が厚く積もっていた。その隙間に何か、木の根か、古い革製品のような、黒に近い焦げ茶色のものが突き出ている。表面には緑の苔か黴のようなものが吹いて、時折、びくり、びくりと脈動しているように見える。
「寺元さん、そこに、何かいるみたいなんだけど」
「ああ、それ、引っ越してきたときからずっとそこにあって……え、動いてる?」
その「何か」の動きはしだいに大きくなり、周辺の落ち葉がめくれて露出した土には蚯蚓や百足が這っていた。そこに埋まっていた朽木のようなものは、地表面に見えていた一部分よりもはるかに大きかった。それは蛹のように蠕動しながら室内へどたりと入ってきた。麦茶のグラスが倒れ、中身がフローリングの上に広がった。
その「何か」は動き続けるうちに表皮が剥がれて、琥珀色をしたカブトムシの蛹的なものが姿を現した。痙攣的な動きはしだいにゆっくりと、動物らしい所作が読みとれるようなものになってきた。やがて内側から被膜が裂け、現れたのは肌だった。真白なその表面へしだいに赤みが差してきた。寝袋のように床へ残された被膜から、人型をしたものが起きあがる。
それは姉だった。間違いなく姉だった。17歳の夏の夕方、高校の帰り道、自転車ごと、農道のどこかで消えた姉。警察が公開捜査に踏み切り、全国の交番に写真が貼り出されても、けっして戻ってくることのなかった姉。落ち着いたピンク色のフレンチスリーブワンピースを着て、薔薇色の頬に薄い唇と切れ長の眼が微笑み、当時の面影はそのままに、だが記憶の中の姉よりもはるかに大人びた姉が私を見ていた。
「背、伸びたじゃん」
といいながら姉が私の腕に触れた瞬間、思わず涙がこぼれた。
「そうか、田村さんのお姉さんだったのか。だからずっとそこに……」
寺元さんは何か遠く、眩しいものを見るような目で、姉と私を見ていた。
姉は寺元さんに微笑みかけながらも決然と言った。寺元さんは照れくささと寂しさの入り交じったような顔で笑った。が、不意に真顔に戻った。
かすかに、猫の鳴き声のような音が聞こえる。涼しい夕方の空気が窓から入ってくる。
どこか遠いところを見ながら姉が言う。
「もうそんな季節か」
中野ディオニューシアまつりは毎年初夏に行われる。今年もたくさんの供物を捧げた行列が、狂乱状態の男女が、鍋屋横町を練り歩くのだろう。中野で過ごす何度目の夏になるだろう。いつの間にか、夏の風物詩を繰り返す季節の一部として、中野で受け入れつつある私がいた。
長年腰痛に悩んでるが、最近腸腰筋と腰方形筋のストレッチを念入りにやるようにしたら結構改善した
他にも有効なのがあったら聞かせて欲しい
もう実施中とのことで、あまり役には立たないかもしれませんが…10年以上腰痛に苦しんできたのでメモ代わりに書きます。
一番ひどいときの痛みを100(走れない、曲がらない)として、下に書いた色々の合わせ技で30~40まで下がっていたのが長期間続けて0~5くらいになった。
今やっているのは、誰でも少なくとも10回程度はできるものだけ。私も最初は10〜20回からで無理に増やす必要はない。焦らずに。
両足を抱えて背中の筋肉を伸ばした後、片足ずつ抱えるのもよい。
片足ずつの方がより深く足を折り曲げられ、抱えた足を少しひねることでで体の横(尻)の筋肉を伸ばせる。
体は左右にぶれないようにする。体の前に手を置いてもよい。
(左右1セットで数10回。これは負担がかからない割に効果あるからおすすめ)
(まずはやり方の練習だけでよい。少しずつ増やして今は60回。腹筋に力を入れると背筋が緩む。腰に負担掛けず筋肉を伸ばす)
両足を広げて前屈はきつい人も多いので、伸ばさないほうの足は内側に曲げて伸ばす方の足が曲がらないようにするサポートに回す。
(それぞれ20回以上。最初は腰が固まっていて体が全く前に倒れなかったが、今は20年ぶりくらいに足の指がつかめるように)
(腰と肩の横が伸びる)
腰とは直接関係ないのでやらなくてもよいかもしれないが、腹筋背筋で体をまっすぐ支えながらの運動。
(最初10回から始めて今は50回。無理することはなく、別に5回や10回でもよい)
…
その他試したものを書いておきますね。玉石混交ですが、各人の腰痛のタイプによって効果は違うはずです。
私はマニフレックスの一番安いの(とは言え3万円)を使っていて、少し改善した気がしたので5~6万の一番固いのに買い替えた。
荷重がかかったところ(尻とか頭とか)だけ凹んで背筋をまっすぐ保つので、腰には負担がかからない。
5~7万くらいのクロスバイクを買って、数km以内のところは自転車で行くようにした。腰から太ももにかけて常時動かすことで、少しはほぐれたり血流が良くなるかなと。
朝の通勤に自転車を使うと、左右対称の運動で体全体が解れて、間接的には腰にも良いと感じる。
ひどい状態は脱するが、完治はしない感じ。最近グルコサミンが効かないというエビデンスが増えている。
一方、海外から輸入して何人かにあげたが、腰痛・膝痛に効いたという人が多かった。
その時は痛みは無くなるが、当然元に戻る。注射で痛みが無くなった隙に動かして緊張を解消するためのもの。
注射は一瞬だが、注射の前後に時間を食うので定期的にする気にはならなかった。
実感できるほどは効かなかった。
アリナミンAにも入っているビタミンB1,2,6,12がアリナミンA並みに入った海外のマルチビタミンを長年飲んでいるが、腰痛が治ることはなかった。
あれでも緩和されていたのかもしれないが。
直後は少しは楽になり可動範囲は広がるが、またすぐ元に戻った。
週に何回も継続して行っていればよかったのかもしれないが、当時は忙しく毎週行く気力もなかった。
「自分で治せる! 腰痛改善マニュアル」に倣って腰を反らす運動を始めたがむしろ悪化した。
硬めのポールや柔らかめのボールで丁寧に時間をかけて腰をほぐしたり反らしたりしたが、これも目立った効果はなかった(気持ちは良い)。
2万円以上の治療器を買ったが、治療した後は必ず腰が抜けたようになり、あまり変わらないか、少し悪化したように感じた。治療中は気持ちよかったが。
寒い時期は腰が硬いことから、一年中朝にも風呂に入った。動きやすくなり朝のひどい状態は脱することができる。
なんとか時間を確保できる人は朝に風呂につかることはおすすめできる。月数千円で朝のつらい時間を減らせると思えば安い。
一方、カイロ、電気治療器に付属の温熱パッドなど、局所的に温めても改善効果(日々良くなっていく実感)はなかった。芯まで温めるのは困難なのか。
ひどい時期に体を支える補助にはなったが、改善効果はなかった。
運動をした後の歩くのもつらいような腰痛の時期にはお世話になった。
腹筋マシンで50kgの荷重でやって余計に痛くなった(笑)。やるならもう少し軽めがよい。
私は良いと思う。近くにジムがあって面倒でなければ。
結婚前にジムに行っていた時期は腰痛はマシになっていた(筋トレ+水泳1000m)。
…
以上、他の方のコメントを見て、そう言えばやったなあ、持ってるなあ〜ってのを追加しました。
ただ交通インフラと図書館などのインフラは埋められない差があるなって思ってる
交通インフラが脆弱で電車が無いかあっても本数が少なく、バスは不採算で廃路、通勤通学に車が必要で、
この平成・令和の時代において、高校に通えないから諦めるなんてことが起きちゃってるのは衝撃だった
あと図書館な
【悪いこと】
・暑い。
・金がもったいない。
30枚1箱400円をまとめ買いしているが、1日1マスクで使い捨てているので、年間4800円ほどかかっている計算だ。年に5000円程度が出せないド貧乏ではないが、うっとうしい支出だ。
・ニキビがすごい。
思春期ほどじゃないが、2週に1つほどニキビができるようになった。場所はきまっていてマスクの擦れる顎。
ビタミン剤を飲むようになってニキビ発生はこのところ落ち着いているが、ニキビ跡は残ったままだ。辛い。
・人の顔が覚えられない。
コロナ禍中に幸か不幸か転職したのだが、いまだに職場の人の顔の全容を把握できていない。ただでさえ前職より人数の多い職場なので苦労している。
・醜形恐怖症がひどくなった。
最初こそ、ブサイク顔を晒さなくて済むマスクは精神安定上よいものに思えたが、マスクのせいで醜形恐怖症にさいなまれるようになった。
人間ってマスクしてた方が美男美女に見えるじゃん?自分も御多分に漏れず美女に見えてるかもしれず、マスクを外すのがひどく怖い。目元はまあまあ自信のあるパーツだが、鼻が丸っ鼻なので本当につらい。
特に転職してから、職場の大半の人には素顔を晒していないので、いつかマスク時代が終わった後に顔を晒すのが恐ろしい。
【よかったこと】
・化粧しなくていい。
口紅というメイクがとにかく嫌いなので、口元を隠すことができるマスクは最高。
口紅の売上が落ちたというニュースを聞いた際には、化粧品会社に気の毒に思ったりしたが、やはり口紅フリーは最高。
・よだれ対策
送ってこられる側からOCRで電子化するのがこれほど簡単なものはなく
事務類はアウトソーシングしやすい=リモート化しやすいということでな
自分らが、
オフィスに通勤していて、コロナみたいな、オフィスに出社しない特殊な事情みたいな災害用で売ってるんだが
なにがオフィスのほうが良くて
オフィスを持つという
出退勤時間(8:00-9:00、17:00-18:00)に犬のお散歩させてる飼い主さんは、もうその時間帯を避けてお散歩は出来ないのかな?
通学路にもなっている住宅地を徒歩通勤してるんで、学生や会社員に混じって歩くんだけども、その時間に犬の散歩は正直邪魔だなあと思ってしまう。
そこそこ距離があっても、マーキングやら縄張りの確認?で都度止まる犬のほうが遅いのでこちらが追いついてしまう。
そこで犬が満足するまで嗅がせたりマーキングさせる飼い主はいいんだけども、問題は背後から迫る人間に追い抜かれたくないと犬のリードを引っ張ってストップアンドゴーを繰り返す飼い主。
なぜだ? なぜ犬がフゴフゴしてる間に止まって待ってくれない?
何度も追いつきそうになり、その度にチラチラと振り返りこちらを伺いながら犬のリードを引っ張り追い抜かれまいと歩き出す飼い主。行き先同じなので付いて行く自分。
別れるまで嫌でも視界に入り意識してしまうなんとも気まずいあの空気。
他の飼い主と出会うために人の多い時間帯を選んでいるのだろうか?
仕事で遅くなった時(19:00~)はさっぱり居ないんだよね。
リモートワークに適応できず休業の記事、いろんな人・状況があるもんだなあと
オフィスが仕事専用の環境(机・椅子・照明などなど)だから仕事しやすいってのはその通りだと思うんだけど、
会議室机に2人座って、資料は足元に段ボール箱置いて、パイプ椅子に座って仕事してた時もあるし
トイレがいつも混んでる会社とか、休憩スペースがまるでないところとか
だから自分はリモートで環境よくなったと感じることの方がずっと多い
リモートワークになって自前のモニター2台つなげて仕事してる、通勤時は貸与モニター1台だったから作業効率もアップ
会話は必要な人と周囲を気にせずできるようになって、トイレその他生活面はもちろん不自由なくて
けどまあ家族の声を通話中に入らないよう配慮するのはまだまだ面倒を感じる
防音が課題