はてなキーワード: 自戒とは
なるほど、そういう意図なんですね。それなら仕方がないですね。
でしたら、本文の上の方にこういう事情があって敬称を略しています、と一文あればなおのこと自戒の気持ちが伝わりやすくて良いのではないかと愚考いたしますがいかがでしょうか。
昔、西野かDaiGoかホリエモンかどっかのオンラインサロンのメンバーだった大学生が内情を暴露するレポをnoteかなんかで書いて、それがバレて退会させられるっていうことがあった。サロンの内容が割と気持ち悪いことだったこともあって、よくやった!とアンチの界隈から絶賛され、多少の投げ銭も受け取った学生は「我、インフルエンサー!モノ申しますぞ」と自分の専門分野以外のアレコレにうっすい知識で物申す記事を上げて、総スカンを食らった。
彼は「有名人のサロンに所属していてその内実を暴露した」という点において評価はされたが、別にそれは彼自身の人格やすべての能力が評価されたわけではない。それを勘違いして、自分が偉くなったかのような錯覚に陥って尊大な言動をとった。
私はこなつが巻き込まれた冤罪いじめ事件に関してはとても気の毒に思うし、毅然とした対処をしたことは高く評価している。だが、それと「我、界隈の守護神ですぞ」みたいに無関係の事件に首を突っ込んで開示請求を行ったりすることとは別問題だと思わざるを得ない。
以下訂正
元々の増田がこなつ氏への罵詈雑言にまみれていたということなので開示請求もやむなし。
お疲れ様でした!
本文にも敬称をつけるべきと指摘がありましたが、自戒のためにも本文には一切の改変を行わずそのまま残します!
ご理解ください!
以下謝罪
既婚者(子持ち)だそうで、
「既婚者を好きになるのは罪ですか?」とか言ってて絶句。
もう相当本気な感じで、恋を叶えるとかうんたらいってて
なのにいい男がいない、とか言ってて、
でも婚活はしたくないの、と。
何やってんのって突っ込んでしまった。
なぜそっちに走った?
私も婚活をするまで相当嫌だったから、気持ちはわからなくはない。
有り体に言えば、自分に自信がなかったのもあるけど、
今は思うよ。
自分のやりたい事に向かって正直に真っ向から勝負している姿勢は
素晴らしい。
私は途中で挫折組。
続けるぐらいなら、一人で楽しく生きていきたい派なので。
どっちが悪いとは思わないの。
一人で生きていく覚悟をして、老後の貯蓄も始めるもよし
諦めずに婚活でパートナーを探し続ける努力をすることも素晴らしい。
そのまんまの自分を愛してくれと一人でグジグジしてること。
要は4、5年前の自分なんだけど。
ぐじぐじうだうだ悩んでる時点で仕事に対する姿勢自体私は疑ってる。
仕事やってんの?と。
ブラック企業で心が死にかけた時、強盗犯に人質が同情して味方になるように
そういう異常事態での恋心はまだ分かるんだけど、普通に職場に問題がない場合
早くない?
同世代の女性たちが子供の進学やら介護、老後のことで真剣に悩んでるのに
「愛されたい!」「認められたい!」って叫ぶのって、大丈夫?!
40代派遣社員で、次の仕事があるのかわからないことへの危機感とか
ないのかな?
それに、たとえ叶わない恋だとしても、恋をしたら自然と服装やメイクが変わる。
普段まったく構わない私でさえそうだったのに
本当に恋してる?
すごい失礼だけど、この人メンタルのどっかおかしいかもしれない。
この人もう40だからね。
髪の毛伸ばしてコンタクトにしなきゃモテないぞ、っつってるおじ様がコメントにいるけど
いいとこどりしようとするこの人に
イラついてる点ではきっと私と考え方は同じなんだと思う。
自戒の意を込めてとくと見届けようと思う。
あら、そういう感じなのか
聞けてよかった
正直ツリーの全部の内容を把握できてないから何か無理解があったらごめんなんだけど、あなたが言うレベル以上の差別らしい行動をしようとしてる女性なんていないと思うよ
見知らぬ男と二人きりになるのを避けるのを助けてくれる(=あなたに親密な女性でなかったとしても、その振る舞い自体は理解してる)んだよね?
(代わりに謝るのはちょっと踏み込み過ぎな気はするけど、個人の考えの差として置いておけるように思う)
このサイトの女性っぽい投稿群においては「性犯罪を起こす男Aを回避するために、男全般を避けることは『仕方がない』『申し訳ないがそうするしかない』」という意見の人が多いと感じる
現実も含めて、避けて当然!なんて顔してる人なんてまず見たことない
そこに対してわざわざ「犯罪をしない男を避けるのは差別だろ!(=避けてはならない!)」と言われるなら、「差別ではない!(=避けざるをえない理由がある!)」と返事するだろう
失礼な言い方になるけど、字面上の正しさや世の人は間違ってるはずだという考えに囚われすぎてないかな?
自戒も含めていってるんだけどさ
https://twitter.com/sho_pilgrim/status/1516530970735828997
千羽鶴の話。開戦すぐにウクライナ入りした身からすると、別にありがた迷惑ではないと思う。
https://twitter.com/sho_pilgrim/status/1516532063314317315
人より頭がいいという自信は時に盲目にする。
自分も自信が仇となり自分の矛盾や間違いの可能性に気付かずにいることが多々ある。
頭のいい人も間違うしそうじゃない人も真理をつく時がある。
https://twitter.com/sho_pilgrim/status/1516533546759950336
「相手の立場になって考えれば絶対いらないでしょ」って相手の立場ってものを
https://twitter.com/sho_pilgrim/status/1516548176093847569
https://twitter.com/sho_pilgrim/status/1516549313224224769
俺はウクライナにてあまりロクな飯食わない生活してるけど、食事も嬉しかったけど心が奮い立ったのは子供の落書きのような絵だったなぁ。
はてなに反左翼なユーザーが増えて久しいが、折り鶴関連のブコメは、もはやオタクまとめのコメント欄と同程度の内容だ。
はてなーは一体どうしちゃったんだよ。
もう8年も前になる。
当時付き合っていたころは苦しんでいたが、今は自分が悪かったと結論しており、自戒のためここに残す。
彼女は非常に可愛らしい人だった。
少し丸みを帯びながらも大きな目。
鼻筋の通った高い鼻。
均整の取れた顔立ちと綺麗な肌。
バイト先などではおよそ10人の男のうち8人が連絡先を知ろうと声をかけていたことを知っている。
当然その中には自分よりも格好が良く、お金にも余裕のある歳上の男性が多くアタックしていた。
当時の自分は、彼女は即物的なものに惹かれない素敵な女性だと思っていた。
その不安を消すために、大学生だった自分は扶養限度額の103万ぎりぎりまで稼ぎ、食費や交通費も削り、交際費に使った。
彼女はとても喜んでいてくれたと思う。
とても楽しい日々だった。
そして彼女は「そっか、それなら別れよう」と答えた。
当時の自分は意味が分からなかった。なぜそんな答えが返ってくるのか。
彼女は「私のために頑張ってくれる君が好きだったけど、頑張ってくれないなら付き合う意味を感じないから」と言った。
衝撃だった。
自分が考えていた恋愛とは全く異なる価値観を提示され、理解も共感もできなかった。
彼女は僕のことを好きで付き合ってくれていたわけではないのか、しかし彼女のために頑張る僕のことを好きだと言ってくれている、でも別れるとも言っていて、じゃあやっぱり好きではないのか。
堂々巡りだった。
しかし別れたくない一心で、減額を取りやめることをその場では伝えた。
彼女は喜び。その姿を見て自分もほっとした。これで良かったのだと思った。
しかし辛い生活が変わることはなく、彼女は今まで通りで、なぜ自分だけという不満だけが募っていったのだろう、だんだんと彼女に対して性格の悪いことを言いはじめ、その数か月後にあっさりと振られた。
振られた直後はあれだけ頑張ったのにと腐る一方で、彼女のことは好きなままで、愛憎入り混じる感情を持ったまま生きていた。しかし時間の流れはありがたいもので、数年たって当時の苦しみを忘れることができてきた。
大学卒業と就職を経てお金と時間にある程度の余裕が出てきた今、彼女のことを思い出すと、あぁ悪魔のような子だったんだと実感している。
ある両親が、不治の病にかかった我が子を直すために悪魔に願った。
悪魔は願いの代償として、両親の最も大切なものを貰っていくと答えた。
両親は快諾し、子の病は治された。代償として子の魂を悪魔に持っていかれた。
なんともひどい話であると子供のころに憤慨した記憶があるが、大人になった今では、悪魔には悪魔の道理があるんだなと理解した。
もしここで最も大切なものである子の魂を両親が渡さなかったとしたら、それは悪魔に対して不誠実な行為である。悪魔は人間にとって性格の悪い存在ではない。人間にとって価値あるものを欲しがる存在と言える。結果的に、取られた人間は苦しむのである。逆に言えば、取られても苦しまないものはその人間にとって価値があるものとは言えないだろう。年収1億の人にとって100万円ははした金であろうが、年収100万のひとにとっては何よりも価値があるだろう。だからこそ悪魔のような彼女はそれを自分に欲していたのだ。
自分が苦しくなるほど価値あるものを代償に関係を維持する付き合い方は悪魔との付き合い方なのだろう。およそ凡人である自分にはとても不可能なことであるのも当然である。このように考えると、人との付き合い方とは、自分が苦しくならないもので保てる程度の関係で良いのだと思えている。
あなたも悪魔の付き合い方をしている人はいませんか。もししているならば、私はあなたを尊敬します。そしてあなたの人生が幸せであることを願います。
できないことや一般から外れていることをアイデンティティに置き始めたら終わりだよね普通に。彼女できないキャラやってたらもっとできなくなるし、社会不適合者キャラやってたらどんどん世界から取り残されていくよね、もうちょっと頭使おっか。そういうネタを面白がるコミュニティに依存して、後から困るの自分だよね。少し考えればわかるよね。自分のことを棚に上げてものを言うというのは本当に恥ずかしい態度だよね普通にさ。
厳しい現実や自分の本心と素直に向き合うことというのは意外とできる人が少ないようで、正論を言ったら普通に不機嫌な態度をとられるものです。なのに自分は失礼なこと言うのやめよっか。仲良いことと舐めてることは全く別の話で、親しき中にも礼儀ありって言葉、中学生で習ってるよね普通に。そもそも俺、お前のことそんな仲良いと思ってないよねアンタ。
彼女できないのもそうだし、モテないことやら学歴が周りより低いことやら、留年やら浪人やら、社会的な能力やら、メンタルの弱さやら、生きづらさやら、できないことをネタにし始めたら人の成長ってそこで終わりだよね。ネタにすることって一種の適応機制みたいなもんだけど、なんの解決にもならないこと、普通に考えたらわかるよね。
ネタにして自分の欠点を誤魔化し、それらについて真面目に取り組むのは馬鹿らしいことみたいな謎の正当化によって人の成長や時間は完全に止まるよね。5年後10年後、差が開いてもう関わりもつような人間じゃなくなってるよね普通に。手遅れになる前に気づこっか。自戒だよね。
やはり自分がまともで成熟しているのだと思っているヤバい人に、ヤバい人やら未熟な人扱いされるのは腹が立つよね正直問題。自分、もっと見つめ直そっか。でも、正味かわいいもんだよね普通に。
昔の自分を恥ずかしむ感覚のない人は、おそらくよほど人間として元から完成されていた人か、成長がなくなり価値観のアップデートが止まった人なのだろうけど、前者なんて存在しないし、後者はマジでヤバいよね正直問題。自分が成長してないから他人が成長するものだと気づけないよね。
結局、いつ何を始めるにしてもやっぱ0からスタートするんだよね。泥臭くがんばろっか。成功や幸福を掴める人間は結局そういう人間だよね。成長しよっか。
有名人の〇〇さんが俺の嫌いなものを小気味よくぶっ叩いてくれないかな、という願望は総じてキツい
ゼレンスキーに期待していた人たちも、「やらかし外国著名人を俺たちの〇〇さんがぶった切らないかなw」って期待している人を見ればキツく感じるだろう
でも俺もそういうの期待しちゃうときあるし、人の心は止められないので、そういうキツさを客観視してインターネットに残さないのが現実的な回答だと思う
思うのだが、客観視したキツさを残してはいけないインターネットというのもまた息苦しくて正しくない気はする
自戒程度に留めておこう
この記事をね、読んだんですよ。1か月前に。
熊本生まれの妻に「熊本の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピー
前もって言っておくけど、ヨッピー氏個人に思うところがあるわけではないし、もちろん個人攻撃をするつもりもない。
これは広告記事だというのもわかっているし、熊本の魅力を伝えてくれているのもわかっている。基本的にはありがたい。
ただなにか、なんだろう、ずっとこの記事のことが心の中でしこりになって残って日に日にもやもやが募り、ついに吐き出したくなったので書いている。
自分は熊本生まれ熊本育ちで、大学進学で上京し、地元で過ごした年月と、東京を拠点にする年月が同じくらいになったところで、不本意ながら諸事情あって一度熊本に戻った。
当時東京に出た理由は「熊本、なんにもないからなぁ」に尽きる。地方特有のローカルルールとかどこどこさんちの誰々さんでいるのに耐えられなかったこともある。
それでも故郷のことは好きだし、愛着もあるし、褒められると嬉しい。たぶん、だから余計にもやもやしているんだと思う。
ヨッピー氏が挙げてくれた熊本の良さ、それ、『熊本』じゃないんよ。
まずこれ。「熊本駅前に住む」という感覚が、熊本の人間にはいまだ馴染んでいない。
熊本駅周辺が開発されたのはここ数年の話である。近年まで熊本駅前はマジでなんもなかった。本当になんもなかった。
九州新幹線が通ったのが2011年の話だが、そのときでさえ開発は進んでいなかった。線路を挟んで土地の管轄が県と市で異なり延々喧嘩していたからである。
駅周辺の開発が進んだのは(計画は長期であったろうが)2016年の震災以降である。
まず、そもそも熊本市内の人間は電車のことを電車と呼ばない程度に熊本駅に用が少ない。(市外からの通勤通学を除く)
「電車」=路面電車(市電)であり、いわゆる電車のことは「JR」と呼ぶ。JRは「外」に行く乗り物だし、「外」から来る人間の乗り物だ。
基本的に「熊本(市内)」に住んでいる人間が移動以外の理由で「熊本駅前」に行くことはほとんどなかった。
東京に住んでいる人間が羽田空港に行くくらいの感覚だと思ってほしい。おかげで今もそんなに馴染んでいない。
あと駅前は川沿いで地面も低い。熊本人はあのへんを住む場所ではないと思っていた。住宅地として開発されていることに慣れない。
駅の近くに家電量販店もスーパーマーケットもドラッグストアもコンビニも飲食店もスイーツ屋さんも映画館も飲み屋も何から何まで一通りそろっている
揃ってはいるのだが、感覚として羽田なのである。ここに書かれているものは街中にもあるし、郊外のイオンにもある。つまりそんなに魅力はない。
最近できたアミュプラザ熊本はちょっと都会っぽいものが揃っているが、いまさらこれで都会ぶるのも恥ずかしい。
むしろ中心部にあったパルコがなくなったことで心に穴が開いている。かつて福岡とタイマン張るとき唯一勝ち札にできたパルコ。(そのあと福岡にもできたから負けた)
我々はパル玉(旧パルコの前にあった丸い石のモニュメント/熊本におけるハチ公前)のことを今後なんと呼べばいいのか。
これはまあそう。道路の真ん中を車と同レベルのスピードで路面電車が走っていたらおそらく事故が多発する。
なお熊本市内で自動車運転免許を取ろうとすると、上り下り計6車線の真ん中に路面電車まで走っている交差点で車線変更と右折を行う教習が発生する。地獄。
トンネルいっぱいある高速教習もするし、踏切も渡るし、側溝ギリギリ1車線ハンドルさばきを間違ったら崖から落ちる山道を走らされたりもする。地獄。
熊本市内の基本的な移動ツールは自家用車以外だとバスである。バスは優先レーンがあるので比較的スムーズ。バスに乗れ。
街中に駐輪場を増やせというのは20年以上前からずっと思ってはいるのだが、上記は駅と「まち」しか行き来していないからできる発言でもある。
もともと熊本は川をそのまま堀とした城が建てられ、その回りにできた城下町がそのまま中心市街地になっている。
(渋滞が多いのは車が多いのもそうだが、城下町ゆえ道が恐ろしく入り組んでおり、一方通行や時間区切りでの取り決めが多く、見た目より時間がかかる経緯もある)
その一方で、住宅地は中心地から離れた高台や、川から離れてくぼんだ土地に作られているもののほうが圧倒的に多い。過去に大水害に襲われているからだ。
住宅地近辺は高低差が多く、自転車での行き来には労力を要する。
また、郊外の住宅地から中心地に働きに来る人間が多いので、必然的に自動車が増え、駐輪場より駐車場が優先される。自転車はあふれる。
無法に自転車が置かれているのでチャリ泥棒も多い。進学校でも数年に一度チャリパクで停学になるやつが出てくる。犯罪、ダメ絶対。
市もだいぶ前から問題視しており、課題にもしているので、熊本で気軽にこの話をすると若干荒れる。
参考:https://www.city.kumamoto.jp/common/UploadFileDsp.aspx?c_id=5&id=19753&sub_id=19&flid=275258
やたらとメシが美味い
これは半分正解で半分間違いである。熊本は確かにとれるものがうまい。肉も魚も野菜も果物も、質と鮮度がいい自負はある。
おかげで郷土料理がほとんど発達していない。なにもしないでもそこそこうまいからである。美点でもあり欠点でもある。
熊本はいつもそうだ。地産地消でほどほどに満足できるので、観光にも産業にも力を入れず、中途半端にのほほんと生きてきてしまった。
熊本で熊本らしい料理を食べるのは実はそこそこ難度が高いし、居酒屋も単に素材がうまいだけの場合が多い。いいことだろうけど味付けまでうまいかは人による。
あえて言えば何故か中華がうまい気はする。太平燕を食え。祝い事の際は桃花源へ行け。
水がうまい
これは素直に認める熊本の美点。水道水のカルキ抜きをしないでも金魚を飼える。
エキノコックスさえ到達しなければ誇り続けられるだろうが、いまだに井戸水や湧水を飲んでいる家もそこそこあるのであいつらが来たら終わりである。
そしてそこここで水と温泉が湧きまくるので熊本は地下鉄を通せない。地下道もほぼない。おかげで路面電車はのろいし、渋滞も起こる。
また、水が豊かな一方で、治水と環境保全に関しては、本当に何年も何年も何年もいろんな課題と論争と葛藤が続いている。
県外の人間が軽率に「ダム作っておけばよかったのに」みたいなことを言うとだいぶ傷つくので覚えておいてほしい。
その前に温泉の話をしろよ!!!!!!サウナとか言ってる場合じゃないのよ!!!!熊本の『湯らっくす』は天然温泉なんですよ!!!!!!!!
湯らっくすに限らず街のど真ん中のホテルも温泉なんですよ。熊本は銭湯感覚で温泉に行く。山鹿や黒川まで行かなくてもいいのよ。街中で温泉入れるの!!!
熊本地震のときに「風呂壊れたまんまだから温泉いくわ~~」であんまり困らなかった(当然困った人もいる)くらいのレベル。
郊外には家族湯(時間制で家族単位で貸し切れる温泉)も多いので、身体にコンプレックスがあったりタトゥーを入れていても安心。混浴デートにも使える。
熊本の自慢。
他にもいろいろ言いたいことあったけどここまで書いたらだいぶすっきりしてきた。
何度も言うけどヨッピー氏が書いていることは嘘ではないし、悪いことでもないのだ。誉め言葉は誉め言葉として受け取っておけばいいのだ。褒めてもらえるのはありがたいことだ。
だけどやっぱりもやもやするというか、なるほどこれが「内」と「外」の感覚や見え方の違いなんだなと思ったりした。
これをこじらせるといわゆる「村八分」に発展していくのだろう。怖い。自戒せねばならない。
田舎の排他的な、というか、熊本の場合は排他的というより、身内ノリや郷土愛が重い感じ(謎の高校閥とかさ)が嫌でその外に出たんだけど、外に出てなおやっぱりあの感覚から逃れられない自分に苦笑する。
今どんどん出来ている新しい綺麗な建物は、我々にとっては瘡蓋みたいなもので、地震の前にあったもののことを思ってしまうけれど。
おかげで熊本城もまた天守閣が見えるようになったし、今の中高校生にはきっと駅前が「まち」の一部になっていくんだろうし、ヨッピー氏が書いてくれたような新しい熊本がそれも「熊本」になっていくんだろうなとも思う。
阿蘇はいいよ。風は気持ちいいし馬にも乗れる。(火口は入山規制中だけど)(阿蘇はくそ広いので別に観光できないわけではない)(正直火口はそんなに面白くないので行かなくてもいい)
天草もいいよ。イルカ見れるし。太刀魚釣れるし。(泳ぐなら天草より芦北行く気がする)
人吉もいいよ。鍾乳洞探検も球磨川でのアクティビティもいい。うまい鰻屋もある。(市内から行くと高速にトンネルありすぎて気が狂いそうになるけど)
アーティストの地方ツアー大体飛ばされてたけど最近は来てくれる人もいるよ。(相変わらずテレ東映らないけど最近はもう配信があるし)
市内は基本盆地で吹き溜まりだから夏場クッソ暑くて湿気やばくて温室みたいになって死にそうになるけど。
いいとこだよ熊本。やっぱなんもないけど。
人は「楽と感じる方法」しか選ばないことを前提に、仕組みを作らなければならない。
https://blog.tinect.jp/?p=75230
人の上に立つ人であるとかが
部下に身勝手な期待をする前に
ただ、どうにもモヤッとする文章ではある。
以下のような主張が展開されている。
誰が戦っても勝てる仕組みづくりをしたから
緒戦で日本の優秀な戦闘機と熟練パイロットにボロ負けした米軍が
勝てるようになった、という論が述べられ
誰がやっても勝てる仕組みを作らねばならない、と結論づける。
なるほどと思うのだが、
しかし、その論だと、その「勝てる仕組みを考える仕事」をする人が
勝てる仕組みを簡単につくれる環境を作る人が必要になるのではないか?
という問題が発生する。
更に言うと、その勝てる仕組みを考える仕事をする人が勝てる仕組みをつくれる環境を作る仕事をする人が、
その勝てる仕組みを考える仕事をする人が勝てる仕組みをつくれる環境を作る仕事をする人にその環境を作れるような環境を作る人が必要になってくる。
と、延々と入れ子状になっていくのだが、
おそらく筆者は経営者、企業のトップがその入れ子の大本である、と定義しているのだと思う。
そして、その入れ子状の仕組みの一番内側にいるのが、なにも考えずにただ飛行機に乗って一撃離脱すればゼロ戦に勝てるヤンキーということになる。
なんか文章力がなくて意味がわからなくなってて申し訳がないんだけど、
さらに内側の入れ子の仕組みを考えなくてもいい、というわけではないということである。
もちろん最末端のさらに最末端のワーカーであれば別だろうが。
そう考えると、もとの文章の冒頭に書いているベンチャーの営業の面々がやるべき仕事としては
やはりもう少し踏み込んで消費者・お客様のことを考えなくてはいけないのではないか?って話になるんじゃない?
まあ、この増田の冒頭に書いたように
あくまでこれは人の上に立つ人が
その意味では成立しているのだと思う。
きちんと誰に向かってどのような状況に対して書いている文章なのかがわかりにくことと、
たとえ話として出しているベンチャー企業の話とか戦争の話とかがちょっと胡散臭いというか、ホントの話なの?と感じられるところ、
マニュアル車(MT)の場合は、クラッチペダルを床まで踏んで、ギアを所定のポジション(ローギアかバックギア)へ入れて
アクセルをゆっくり踏んでいくと同時にクラッチペダルを徐々に緩めていき
そう簡単には踏み間違えないと思います。(この動作をミスするとエンジンストールし易いです)車庫入れ時や駐車場でノロノロと空きスペースを探している際など(AT車だとクリープのみで進んでいる状況かなと)は超低速なので、クラッチを切ってからブレーキを踏みます。
ちなみに、クラッチを切った状態(AT車でいうとDレンジからNレンジにした状態みたいなもの)だと動力がタイヤに伝わらないため、その状態で間違ってアクセルを踏んでしまっても、エンジンがブオーンと唸るだけです。
急発進はそのつもりでの操作が要るので踏み間違いでは、し難いでしょう。マニュアルだと坂道の下りでもオートマのような加速はあまりしません。適度なエンジンブレーキ動作となります。
急発進もクラッチペダルさえ踏めば発進しません。あまりないけど、ギャーを間違うとノッキングやエンストを起こします。マニュアル車の後ろで車間距離を適度に取らずにあおり運転みたいなことしていると、シフトダウンで急激な停止状態となることもあるので、追突しても、車間距離を取らなかったほうが悪いということにもなるので要注意です。ペダルの踏み間違いによる事故がMT車ではほとんどない理由は他にもあります。
ブレーキとアクセルの踏み間違いは、ほとんどの場合焦りや集中力の欠如から起こりますが、MT車では車を発進させるだけでも複雑な操作の組み合わせが必要なので集中力が必要です。
そのため、何かに気を取られてブレーキが緩みクリープで車が動いたことに焦りブレーキとアクセルを踏み間違えたりします。
つまり、AT車は操作が簡単な分 他の事に気を取られる確率が上がります。ドライビングポジションというか、座り方にも差があると思います。
MT車は両足でペダルを操作するので、ペダルやハンドルに対し腰の角度が必ず正対することになります。
さらにMTのシフト操作のために左手を常に使う必要がありますが、
AT車の走行中は右手のウインカー操作の頻度が高いだけでシフトもワイパーも操作頻度が高いわけではない。
両足両腕を使って操作しているとハンドルセンターから左右にズレると
すぐにバランスが悪く感じ修正しますが、右足と右手だけだと位置と方向のズレ認識は難しい。
このズレでアクセルとブレーキの空間認識に間違いが出やすいってこともあるとは思います。
あとは単純に
「後進時にMT車は腰を回転できず上半身だけで振り返るが、AT車は腰を回転させようが位置を変えようが動かせる」
着座の位置と向きが変わればペダルの認識間違いはすぐ起きると思います。
MT車がAT車に比べて安全ではないかといわれる理由の大きなところは踏み間違いではなくて。。。
「クラッチで動力を切れる為"暴走事故"が起きづらい」ということだと思います。
ATでもMTでも"瞬間的な踏み間違い"は大小あると思いますがどちらでも起きると思います。
ただし瞬間ではなくて感覚的に"短時間"に入る数十メートル、数十秒にわたる暴走は故意や故障でなければMT車ではありえないと言っていい。
よい事例としては「プリウス福岡暴走事故」ですね。病院に突っ込んだ有名な事故。
あれは300m以上暴走したのち病院に突っ込んだ。この事故は正常なMT車だと絶対に無いと言える。
300mもコントロールできず加速し続ける状態をMT車では想定して運転したことないです。先月納車されたスイフトスポーツのMTに乗ってますが、今のMTはクラッチだけじゃなくてブレーキも同時に踏んでないとエンジンかかりません。
これには驚きました。
昔、教習所で踏切内でエンコしたらギアを入れたままセルを回せば進んで脱出すればよい、と習った記憶がありますが、もうそういうのは昔話なんでしょうね。
まあ感想は概ね世間の皆様が言ってる通りなんだけど、俺は「なんでこんな映画が商業ラインに乗ってしまったのか」という方に頭が行ってしまった。
プロデューサーは、名前がいっぱい出てきて誰がメインのプロデューサーかわからない。
この滑り続けるギャグの応酬を見て、背筋が寒くなったのは、「これ、誰もツッコミ入れなかったの?」という事実に対してである。
聞けば、演出指示はかなり細かく、「語尾まで含めて脚本と一言一句変えてはいけない」という厳しい演技指導のもと作られた作品らしい。
そりゃないよ。
「一つだけ種類の違うキノコが・・・」って何度言わせるんだよ。つまらんわ。
これ、監督が脚本書きながら「ウヘヘ。ここでドッカンドッカン爆笑くるぜ」と思って書いていたんだとしたらもう潮時だから引退した方がいい。
これは一体なんだろう?
まだ20代だった頃、転職してきた中間管理職のおっさんである。
全然面白くもないギャグや下ネタを言うだけ言って俺たちは愛想笑い。
面白いと思ってる人は誰もいないのだが、一応上司だから話は聞いてるふりをしなければならない。
そういえば、その会社の会長がある日気まぐれでキャバクラに連れて行ってくれた時も、延々とつまらない下ネタを繰り返し繰り返し話をしていた。その会社を辞めて何年か経って、また会長に誘われて再びキャバクラに連れて行かれた時、数年前と全く同じ下ネタとギャグを言っていて「人間は終わるとこうなるのか」と衝撃を受けた。
これが本当にヤバいと思う。周りの人は「それ面白くないですよ」とつっこめないし。
当然、金づるだと思ってるキャバ嬢が「つまんないよ」と指摘することもない。
去年のオリンピックの開会式で、「渡辺直美に豚のコスプレをさせよう」とか頭の沸いたアイデアを披露していた人と同じ匂いを感じるのである。
背筋が寒くなったのは、俺ももうとっくにそういうおじさん側の年齢に突入しており、いつ自分の冗談が愛想笑いに囲まれないとも限らない世界に生きているということだ。
ここ最近の炎上映画、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリーズ」とかも同じミスを犯している気がする。最近だと神山健治の「永遠の831」と「ひるね姫」とか。要は監督にしか理解できないストーリーが監督にしか理解できないテイストで雄弁に語られているのだが、誰にもその面白さがわからないまま話が過ぎ去っていく。
まあ感想は概ね世間の皆様が言ってる通りなんだけど、俺は「なんでこんな映画が商業ラインに乗ってしまったのか」という方に頭が行ってしまった。
プロデューサーは、名前がいっぱい出てきて誰がメインのプロデューサーかわからない。
この滑り続けるギャグの応酬を見て、背筋が寒くなったのは、「これ、誰もツッコミ入れなかったの?」という事実に対してである。
聞けば、演出指示はかなり細かく、「語尾まで含めて脚本と一言一句変えてはいけない」という厳しい演技指導のもと作られた作品らしい。
そりゃないよ。
「一つだけ種類の違うキノコが・・・」って何度言わせるんだよ。つまらんわ。
これ、監督が脚本書きながら「ウヘヘ。ここでドッカンドッカン爆笑くるぜ」と思って書いていたんだとしたらもう潮時だから引退した方がいい。
これは一体なんだろう?
まだ20代だった頃、転職してきた中間管理職のおっさんである。
全然面白くもないギャグや下ネタを言うだけ言って俺たちは愛想笑い。
面白いと思ってる人は誰もいないのだが、一応上司だから話は聞いてるふりをしなければならない。
そういえば、その会社の会長がある日気まぐれでキャバクラに連れて行ってくれた時も、延々とつまらない下ネタを繰り返し繰り返し話をしていた。その会社を辞めて何年か経って、また会長に誘われて再びキャバクラに連れて行かれた時、数年前と全く同じ下ネタとギャグを言っていて「人間は終わるとこうなるのか」と衝撃を受けた。
これが本当にヤバいと思う。周りの人は「それ面白くないですよ」とつっこめないし。
当然、金づるだと思ってるキャバ嬢が「つまんないよ」と指摘することもない。
去年のオリンピックの開会式で、「渡辺直美に豚のコスプレをさせよう」とか頭の沸いたアイデアを披露していた人と同じ匂いを感じるのである。
背筋が寒くなったのは、俺ももうとっくにそういうおじさん側の年齢に突入しており、いつ自分の冗談が愛想笑いに囲まれないとも限らない世界に生きているということだ。
ここ最近の炎上映画、「ドラゴンクエスト ユア・ストーリーズ」とかも同じミスを犯している気がする。最近だと神山健治の「永遠の831」と「ひるね姫」とか。要は監督にしか理解できないストーリーが監督にしか理解できないテイストで雄弁に語られているのだが、誰にもその面白さがわからないまま話が過ぎ去っていく。