はてなキーワード: 自戒とは
単純に副反応が強い。1回目、2回目は軽い倦怠感と一瞬37℃の微熱が出たかくらいだったので舐めてたら、先週に3回目打ったら翌日に39℃近い発熱でノックダウンした。金曜に打ったから接種後2日間休むことができたが、正直接種2日後も少しダルさが続いていた。まあ顕性感染したらこんなもんでは当然済まないわけで、今後もブースター接種を続けることになるなら喜んで打ち続けるが、ワクチンを怖がる人の気持ちも少しわかってしまった。
【追記】
ワクチンへの不安を煽ってるように読まれたのか。特にそんなつもりはないが、確かにこれ読んで怖がる人もいそうでその点は申し訳ない。どちらかというと、「2回目まで平気だった人も3回目は強く出る可能性があるので、翌日は仕事等休める体制になるといいね(国が音頭とれや)」というつもりで書いた。あとは何事も自分の身になってみないと大変さ・辛さはわからないよねという自戒。ちなみに全部ファイザー。
昔お付き合いした男の子が、漫画の『フルーツバスケット』が好きだって言ってた
当時の私は何故か読まなかったのだけれど、今期間限定で無料公開されてるとのことで初めて読んでいる
物語の中で、母を喪って身内もなく初めてのお正月を迎える主人公の女の子をひとりにさせまいと、他のキャラクターたちが帰省をやめて彼女のもとに引き返すというシーンがあった
主人公の女の子は案の定ひとりで泣いていて、みんなが帰ってきて笑顔になるのだ
フルーツバスケットが好きと言った男の子、私がお正月に帰省していわゆる毒親に痛めつけられてて辛いのを知っていて、「俺は実家楽しいから正月休みはLINEしてこないで」って私に言ってたなぁ
なんだよもう
こんな優しいお話が好きだって言うなら、私にそんな冷たいこと言わなくても良かったじゃない
当時、フルーツバスケット読んでなくてよかったかも、きっと複雑な気持ちになっただろうから
他のいろんな優しい思い出もあるし、傷つくには昔すぎるからもう平気だけど、理想の通りに人は生きられないなあって、自戒と共に思い出しました
第一子妊娠が発覚した時、喜びより戸惑いの言葉を吐く自分が嫌。
体調が悪い妻が、冗談めかして第二子かなって言った時、楽しみよりも不安を伝える自分が嫌。
第二子かなって言われた時、だとしたら男の子だろうか、女の子だろうかって楽しみがあった。妻は心身を大事にして欲しいなって気持ちもあった。
でも、調子の悪い妻の方が不安だろうし、せめてもの冗談のつもりだったと思うのに。
その気持ちを考えもせずに、口から出たのは自分の抱える不安な気持ちだった。
妻のことは大切だと思っているし、結婚して数年が経った今も大好きだ。
でも、自分は楽しみと不安が両立してるとき、不安ばかりを表に出してしまい、無神経な言葉を吐き出しては度々人を傷つけてしまって、
大事な人を大切にできていないことが度々ある。
生来、自分はマイナス思考の気質が強く、妻のメンタルまで巻き込んでマイナス方向に引っ張ってしまうときがあるし、自分の気質を変えたいなあって話をしたばかりでこの有様。
自分は、なんでこんな自分本位な人間性なんだろうかって考えると本当に死にたくなるし、妻にも子どもにも申し訳ない気持ちでいっぱいになるし、
きちんと胸を張れる自分になりたいと願う。
なのに、また同じ轍を踏んでいる。
今度は自分がその人と同じように人の気持ちを考えない、傷つけるような発言をしてしまっている。
もしかしたら、あの時の上司も、心配の気持ちはあったのかもしれない。でも、いくら弁明しようと言われた方にそんなことはわからないし、気持ちが癒えるものでもない。
妻も、あの時の自分と同じように、あるいはそれ以上に腹立たしくて、辛くて、悲しい気持ちになったんだろうなと思うと、妻への申し訳なさや自分自身の情けなさでいっぱいになる。
昨日、二年ぶりに泌尿器科で尿管結石だと言われた。尿の出が悪い。尿意が常につきまとい、下腹部の違和感もひどい。座ると痛いから立つしかないけど、立っていてもしんどい。結局、特別な処置無く大量の水を飲んで尿を出して終わった。二年前の前回と違って、機械を使ったりすることはなかった。
その前日まで全く何の気配もなかったのに、朝突然お腹が痛くなって尿も出にくくなるんだから本当に恐怖でしかない。毎日意識的に水を飲んでたのになあ。
それにしても、9時を過ぎていたとはいえ、午前中からこんなに人が待合室に座ってるだなんて思ってもなかった。検尿も30分ぐらい待たされて、その間トイレに行くのをずっと我慢するのは地獄のように感じた。この我慢の間は痛みが無くなってたのは確かだけども…。朝は全然出なかったのに、30分待たされたあとだとめちゃめちゃ出た。なんならめちゃめちゃ出たあとは、下腹部の痛みがほぼ消えてたから、単に水分摂取量が少なかっただけなのかもしれない。1回目の結石のときも、冬で水をあんまり飲まない時期だったから、今回も同じなのかも。
とはいえ、水を飲む量が減るだけでこんなに痛い思いをしないといけないのか?尿管結石はつらいぞ。水を飲むだけでつらい思いをせずに済むならそれに越したことはない。自分も今日からまた水をたくさん飲みます…。自戒。
なんかわかるなこれ。人なんてちょっと満足に眠れない日が続いたり、オーバーワークになってしまったり、頭おかしい客や上司に当たって理不尽に人格否定され続けるだけで簡単に壊れちゃうし。
逆に今の周囲の環境が良好で平穏だと、根本の人格が攻撃的/他害的でもそれを取り繕って生きていくこともできてしまうし(結婚とか挙児をきっかけに配偶者が暴力的に豹変する例ってまさにそうなんだろう)。
「物凄いストレスに晒された中でも真っ当に優しいままで生きてるぞ」って人も中にはいるのかも知れない。でもそういう人も時間の問題だと思う。内臓疾患みたいに目に見えないところから壊れ始めて、異常が表に出始めた時にはもう取り返しのつかないことになってしまう。
人間の人格の半分以上は現在の環境でできているのだと思う。今の自分が優しくいられるのは半分以上は周囲にそうさせてもらってるだけ。
だから「自分のようなまともな人間に誰とも縁がないのになんで他人は碌でもない人間をちやほやするんだ」と他罰的に考えるのではなく「自分が優しい状態でいられるのはいま周囲に自分を脅かすものがない(/少ない)おかげだな」「自分も環境の変化によっては碌でもない人間になってしまうかも知れないな」と自戒した方がより優しい人間に近づきやすいと思う。
https://booksanta.charity-santa.com/
「ブックサンタ」の対象店の本屋に行き、絵本の棚を見ているうちに、絵本は寄贈が多そうと思い至る。
本屋に掲示してあった「ブックサンタ」のチラシには、「高校生まで」「どんな本でも」と書いてあった。
なら、中学生から高校生ぐらいまでの女の子へ本を贈ろうと思った。
わたしは中学生まで週一図書館に通い、10冊借りては借りてきた本を読み耽る日々を送っていた。
読んでいたのは推理小説と少女小説。当時は「かつくら」という雑誌があり、講談社の本格派ミステリー小説と集英社のコバルト文庫の最盛期だった。
本を読むことは読んでいたが、名作文学なんてものは読まなかったし、ノンフィクションは苦手意識が強かった。真面目な本なんて読まなかった。
本を贈るならあの頃の自分がわくわくしながらページをめくっていたあの体験を、と本屋の書棚を見ながら数冊選んだ。中高生に人気作と聞いたことがあるものだ。
本は娯楽でエンターテイメント。本を読んで楽しい!と思ってくれたら嬉しいな、とレジに向かった。
家に帰ってきて大反省した。
続編があるのに読めない。
1冊かせめて2〜3冊で完結するものを選べば良かった。
中高生ぐらいの女の子向きの、1冊完結か2〜3巻で終わる少女小説やジュニア小説。どちらも死語な気もするが、何があったのだろう。
リサーチ不足だった。
最近の温泉むすめ騒動を見て、自戒の念を込めてここに日記を書く。
何度でも書くぞ。
「怒りの感情を娯楽にすると心の健康が損なわれるから自愛せよ」
私は何度この失敗を繰り返すのか。
十数年前に嫌韓まとめサイトを巡回していたときが、それに気づいた最初だっただろうか。
最近だとけものフレンズ2騒動の話題を追いかけていたときだろうか。
最初はたまたま目に入ったニュースを読むだけだったのが、次第に自分から怒れるニュースを探すようになってしまう。
「怒りの感情を娯楽にすると心の健康が損なわれるから自愛せよ」。
具体的にははてブを見るのをやめろ、怒り駆動娯楽ニュースの集積地だ。
アルコール依存患者は長期間禁酒していても、また飲んでしまったら治療が台無しだと聞く。
そういう意味でははてブ見ないようにしたところで、この現代の情報化社会に生きる限り怒り快楽から逃れる方法が存在しないのがつらいところだ。
何度でも書くぞ。
ポジティヴシンキングすぎてポジティヴ大会優勝!というかそう言う大会に出場するよりも大会自体を開催してしまう、
あのさー
私やらかしちゃって、
さすがに温かい晩ご飯食べて寝て起きてうんこして朝ご飯食べたら元気になるかなって思ってたけど、
この凹みが沁みるわーって
「なになにみ」ってのがあるじゃない。
「昭和み」とか「分かりみ」だとか「さしみ」の「うまみ」だとかそう言ったまるまるみって言葉なぐらい
この凹みが凄かったわ。
朝起きてもなんかそのクレーム解決部隊を投入しなくてはいけないという
結果はもう解決してから良かったから肩の荷が12トンぐらいおりたからよかったわ。
送り状番号のよくみんなも荷物がどこに届いてるかって調べるときに入力する1万桁ぐらいの数字があるじゃない。
それを私控え忘れて消してしまったのよ。
お荷物自体は正しい住所が記載されて無事に配達はされるんだけど、
ウエブ上では荷物は無いことになってるのよ。
だから困ったなーって
私はグリーンベレー帽を被りながら緑のたぬきを食べていたことが一番の原因であり片手で余裕でお箸で麺をすすっていたのが一番の原因でもあり敗因でもあり
そう言うことだったのよ。
まあよく何を行ってるか分からないと思うけど、
凄い自信だったわけ。
でもちゃんと無事解決してよかったわと撫でる肩を降ろすところよ。
ウエブ上では追跡できずに
一応はちゃんと到着することを温かく親やぎが産まれた子ヤギが立ち上がるのを優しく見守るような眼差しで見届けることが出来たけど、
この凹み具合がもうとんでもない感じで
もうレジ袋どうのこうのっていうあんな小さいことに3円とか5円とか出した方が、
生肉のジュースがこぼれてエコバッグの中がジューシーな日にちが経ったらなんとも言えないスメルになるぐらい困るから、
実際にはもうレジ袋買った方がいいのよね。
もうそれはゴミ箱にかぶせるゴミ袋かに変身させることが出来るじゃない。
なになにみ、って言葉の発端だったわけで、
あー今日はツイていない1日だなーって今日は終わっちゃうのかと思ったけど、
案外早急に投入した緑のたぬきをすすりながら事件現場に突入するグリーンベレー帽の隊員を派遣してよかったわ。
久しくそういうのを食べてないと
うわ!これ意外とイケるじゃん!って
麺が日々美味しくなってるのよね。
改めてそう思ったわ。
もう自戒としては端末操作するときには緑のたぬきを食べながらしないってことを強く決めて守らなければ!って思った矢先で
藤井風さん風に言うと、
そんなこともうどうでもえーえーよって言いたいぐらいだったわ。
とりあえず
解決してよかったわ。
と言っても違うお店のモノなのでなんか塩気が多いくて塩っぱいかな?って思うけど
一緒にミルクヒーコーをあわせて飲むと
美味しいわね。
私も気兼ねなくおのののかの出産祝いに便乗するかのようにあたたたかいボタンを押すことが出来るのよね。
まだルイボスティーのパックが残っていたので
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
追記で言及されてる者(id:el-condor)ですが、ちょっと草生えたのと100字にはできなそうなのでここにコメント書いておきますね。
ブックマークコメントは単に、そちらの記事を読んだのをきっかけに、「〜ということが一般的にありそうだから気をつけようね自戒も込めて」つまり所謂選択的懐疑に対する留意のコメントと思って書きました。筆者氏が当方のブックマークコメントに該当する人だと読み取った訳ではありません。
また、当該コメントを単語単位で文章を追った時に、そのような解釈をする余地はないと認識しています。
文全体の構造は「[A節]を見る時があって微笑ましい」であって、[A節]の主語は「こういうことを主張している人が」ですね。ですから、文意をわかりやすく書き換えると「筆者と同じ主張をしていて〜、という人がたまにいて微笑ましい」です。
そう考えると、当該記事の追記は、当方のブックマークコメントについて「書いていないことを読み取りすぎ」であるかのように当方には見えます。
このようなコメントをするのは、「自分が暗黙に措いている前提等の影響を配して『書いてあることだけを読み取る』ということが如何に難しいのか」という事例として興味深かったことが理由です。
筆者氏だけでなく当方も含めた誰にでも意外に難しいことですし、だからこそ筆者氏の国語の先生もそのように指導されたのだと思います。良い指導だったと思いますし、益々偏りなく(これが難しいのですが)実践されるとよろしいのではと思います。
某紙のキャッチコピーであり、ロリコンが犯罪を起こした時に自戒として目にする言葉であるが
この言葉は罪深いと思う
そもそも、二次元のロリと三次元のロリは地続きではない、もちろん、地続きの人もいるが少数である
性欲に関する、特に二次元の表現がやり玉にあがるのはここがわかっていない人の多さ故だと思う
そして、YESロリータNOタッチもその誤解を後押ししているように見える
理性や倫理観でもって触れないという選択肢を取っているのではない
現実に手を出すかと言われたらNOだが、これは、金属を食べますかと聞かれNOと答えるのと同じ
某紙のキャッチコピーであり、ロリコンが犯罪を起こした時に自戒として目にする言葉であるが
この言葉は罪深いと思う
そもそも、二次元のロリと三次元のロリは地続きではない、もちろん、地続きの人もいるが少数である
性欲に関する、特に二次元の表現がやり玉にあがるのはここがわかっていない人の多さ故だと思う
そして、YESロリータNOタッチもその誤解を後押ししているように見える
理性や倫理観でもって触れないという選択肢を取っているのではない
現実に手を出すかと言われたらNOだが、これは、金属を食べますかと聞かれNOと答えるのと同じ
パクられた作者の気持ちも、チュチュアンナのデザイナーの気持ちも想像できるから、胸が苦しいのだ。
まずは作者の気持ち。
私は靴下の仕事を離れた後、別分野のデザインの仕事をしている。
詳しくは書けないが特定分野の仕事で、そこに関係が無い人はまず見ることが無いような世界だ。
気のせいだと思おうともした。しかし私のデザインはある種独特なもので、アイディアとしては思いつきにくい。
非常に悔しかったが色々な事情があったので黙っておくことにした。
今回被害者の作者も悔しかっただろう。怒っただろう。その上で抗議をし、疲弊していることだと思う。
似たようなことをしてきた商品が世に出る度、いつか問題にならないかとヒヤヒヤしたはず。
もしかしたら同じことをやりすぎて、感覚が麻痺してしまった部分もあるかもしれない。
なぜこのデザイナー達(3人らしい)がトレパクなんてことをしてしまったのか。
としているが、それだけでは無いだろう。
問題の大元を考えれば、社会の問題なのである。デザイナー達は、その末端でひとつの判断ミスをしたに過ぎない。
チュチュアンナはトレンドを取り入れた、旬な商品を提供することに長けている。
(だからこそ同業他社はチュチュアンナの商品を参考にするし、真似する。絵柄だけではなく素材や仕様を見たら、
チュチュアンナのパクリなんてものは沢山存在する。もちろん、チュチュアンナ以外の他社間のパクリ合いも存在する。)
時流を読み、素早く対応している。これはイコール超短納期なのだ。
パクリ商品が世に出てしまう流れはこんなところだろう。今回のポメラニアン柄を例とする。
1:商品企画方や営業から「ゆるい動物イラストが流行ってるから10種類書いてくれ。○○日から生産だから、3日以内で。」と依頼される。
2:デザイナーは資料を集め(又は依頼者から提供された資料を元に)イラストを描いて依頼者に見せる。
3:依頼者から「ゆるさが足りない。もっと元のイラストに近づけてほしい。生産日はズラせない。」と言われる。
4:デザインを練る時間が無く、結果的に元イラストとほぼ同じものができてしまう。
(因みに靴下のデザイナーは靴下の、繊維や編み地のプロフェッショナルであって、イラストレーターではない。
イラストを描くのが好きな人もいるが、私の周りは少数派だった。柄の修正にも本当は時間がかかる。
パジャマのデザイナーでも同じようなことが言えるのではないか。)
商品を作っているのは、トレンドを捕まえるのは、デザイナーだけでは無い。
短納期になってしまうのは「流行に乗っている、売れるものを作りたい。(会社に貢献して評価されたい)」という想いからだ。
この想いの元になっているのは消費者の問題だ。しかしその問題を打ち消すのは難しいだろうと考える。
マズローの欲求5段階説(書くと長いので知らない人は調べてほしい)が正しくかつ人間の自然な欲求なのだとすれば、
その欲求を満たすために、メーカーは流行っているもの・かっこいいもの・かわいいものを作り出すのだ。
しかし、今のままで良いのだろうか。
欲求を満たすための方法は、トレンドを追うことで良いのだろうか。
消費者が欲求を満たすために流行を追う限り、メーカーは作り続けるし、
流行というのは多数の人が求めるものであるので、大量に作らなければならない。
大量生産・大量廃棄。今、世界で目指しているサスティナブルな社会とは真逆なのだ。
その実情がある限り、短納期であったり無理を強いる仕事の仕方は変わらないし、トレパクはまた発生するかもしれない。
SNS上でどんな意見にもやたらと切れ散らかしている人がかなりの数視覚化されていると思うのだけど、最近ではそういう人たちを「SNSの白兎」と呼ぶようにしている。
要するにいつも皮を剥がれた状態で、軽く肩をぽんと叩いたつもりでもその人にとっては激痛に感じられてしまい、殴り返すことの口実にしてくるような人のことだ。
そういう人に限って、自らが他人以上に痛みに敏感になっていることに気づかないふりをして、人混みや海に飛び込もうとする。
一見、何事に対しても攻撃的なだけの人に見えるが、本人にしてみればそれは現実に痛みであり、自分には反撃の正当性があると思いこんでいる。
普通の人にしてみれば何でもないような相手の運転も、すでに傷がえぐれている状態であれば激痛に感じることは十分にありえる。
その傷は一日でできるものではなく、ときに低温やけどのようにゆっくりとそれでいて確実に傷をえぐり続けることもある。
そんな人に正論を向けても無意味で、触れただけでも本人には激痛なのだから、普通のコミュニケーションは無理だと諦めて近づかないことが一番だ。
もちろん、相手の反撃を押さえつけるくらいに強い迎撃ができるなら挑むことも一つの手段だ。
しかし、ほとんどの場合は無傷で済むわけがなく、結局は損害をこうむるだけのことのほうが多いのも確かだ。
自らに不利益しかもたらさないような相手に、わざわざ自分から近づいていく必要はない。
動物園の動物よろしく、檻の外から安全に眺めているくらいがちょうどいい距離感と言える。
もちろんこれは自戒にも使える概念で、今、自分はどれくらい痛みに過敏になっているのか、周囲の反応と見比べながら自己診断をしておくべきだろう。
一つの刺激に対して、全ての人間が同じ反応を返すわけではない。
言いかえれば、自らの意見や行動に対して、同じ反応を期待すること自体が間違いなのだ。
正の行動をして正の反応が返ってくれば関係を築き上げていけばよいし、負の反応を返すような人とは距離を離すようにすればいい。
負の反応に負の反応を返し続けていれば、気づいたときには自分が白兎になってしまっているかもしれない。
実際のコミュニケーションでも、相手の白兎レベルを考えるようになってから、無用なトラブルが随分と少なくなった。
それ以上に、自分のメンタルが随分と健全に保てるようになった。
望んでもないような相手とも無理やり接点を作られてしまうSNS時代だからこそ、紛れ込んだ白兎とは距離を保てるようにしたいよね。
思いつきをネットに書かず温めておくほうが本当はいいのかもしれない。
ネットに書き込みをする暇があったら昇進につながるような自分磨きをする。
思いつきを公開するのは現実で然るべき機会が来たらでいい。
機会が来なかったらそれは公開するまでもない思いつきだったということだろう。
それはつまりそんな人間がするような思いつきも大したものでなかったのだと考えるべきなのだろう。
ネットの、しかも匿名の場というのは何か思いついたらすぐ書くみたいなところがあるから短絡的な内容が多い(自戒)。
思いつきが起こったしてもネットに書かないという方針なら、時間による熟成と、自分磨きとの相乗作用で、結局それは大した思いつきがなかったことに気付けて捨て去ることができるか、あるいは本当にすごい考えへと昇華させられるかもしれない。
相応の立場になって発言の機会が与えられたら初めて発表するという方針なら、その過去思いつきだったものが、ネットに書き込むのとは違って、金になる。
安易にネットに書き込まなければ自分磨きの時間が増え期待される生涯賃金もあがるだろう。
実際全国区で知れ渡るような考えや商品を構築しているアイディアはそういう忍耐によって昇華された、元は思いつきだったものだろう。