はてなキーワード: 漠然とは
モナーの著作権なんて誰も持ってないんだから法的には盗用じゃないよ。
異世界転生して奴隷ハーレム俺TUEEEEEEEEEE!!というなろう小説大好きな俺のお勧めは『キッチンの歴史: 料理道具が変えた人類の食文化』だぜ!!
いや、なろうのコメント欄ってさ。自称学者様が沢山湧くのよ。ジャガイモ警察みたいな輩が。
ジャガイモ警察は知識持ってるからまだマシなほうよ?大半は「騎士キャラの行動にリアリティがない!」とか言って、その理由を聞くと「日本の武士のような絶対的な忠誠心が感じられない」とかいう理由だったりしてもうゲンナリ。
そんな学者様を眺めているうちに「実際のところはどうなんだろう?」と中世西洋の文化を調べてみると、これがなかなか面白い。
特に食文化は調べれば調べるほど、今まで漠然と抱いていたイメージがあらかた否定されていって知識欲の虜になりそうでヤバい。
そして西洋食文化の本を何冊か読んだ中で、一番面白かったのが『キッチンの歴史』。
それになにより、うまいぐあいに知識欲を刺激してくれそうな題材の選び方が楽しい。
近代まで手づかみで食事をしていたのは他の本で知っていたけど、
大きな肉にかじりついて口に入らなかった余分な肉を手持ちのナイフでカットするのが一般的な作法とは知らなかった。
そして中世も終わる頃になってある貴族が「会食の場にナイフ持ち込むの危なくね?」という当たり前のことに気が付き、
テーブルナイフの刃先が徐々に丸くなり、切れ味が鈍くなっていくごとに料理も変化していった。
噛みついてナイフで切らなくても食べられるように、ひとつひとつの料理が一口で食べられる大きさに変わって行った。
食事の仕方が変化した時代の遺骨の頭蓋骨を比べると、噛み合わせが変化しているのだ。
「大きな肉に齧りつく」行為をしなくなった西洋貴族の前歯は、元から小さい食物を箸で食べているアジア人と同じ形に変わっていった……
みたいな感じで!ページをめくるたびに「へー!へー!」ってなもんっスよ!キッチンの歴史ヤバい!!エモい!!!パない!!!!!
※追記
本文中の「ジャガイモ警察」は「ジャガイモは南米原産!中世欧州にはジャガイモは存在しないはず!!!」という薄っぺらい知識で語る人ではなく、
「ジャガイモが存在するならもっと多くの人口が養えるはずだ。人口が増えればあらゆる社会の形態も変わっていくので作中の小規模の都市はリアリティが~」という考察ガチ勢の方々を指しています。
前者には「いやここ中世欧州じゃないし」で一蹴できるけど後者には何らかのつじつまを合わせるか、考察不足を認めるか、ごめんなさいねウチゆるゆる世界観なんですよ~と開き直るしかない。
なぜわざわざ宣言したかというと、もちろん自己顕示や承認の派生からなる欲求が関係しています。
というわけで、これから私のセンチメンタルな身の上話を交えながら、増田をやめることになった理由を書き出していきましょう。
前置きとして、とても長い文章であることや、これが駄文であることを保険としてかけておきます。
もちろん、私は生まれてすぐに増田を始めたわけではないため、この情報は客観的に見て蛇足です。
ですが、このまま話を進めましょう。
父と母は今風にいえば“毒親”というやつで、そこから毒を抜いたような親でした。
そんな家庭で育ったこともあり、私は思春期を迎えたときには性格が歪みきっていました。
そして還暦を迎えたとき、友達の田中一郎様に誘われて匿名ダイアリーに出会いました。
匿名ダイアリーでの体験は毎日がエキサティングで、私はたちまち虜となります。
特にハマっていた時期だと、人気エントリに必ず言及したり、流行りの議論には積極的に参加していました。
匿名性をウリにしているのに特徴的な文体で存在感を示したり、一部のファンが必ずブクマしてくれるのをいいことに同じ形式のエントリを何度も書いたりもしています。
ここだけの話、自分の書いたものに別人を装って言及したり、自分でブクマしてホッテントリを狙うこともありました。
それだけ、私にとって当時の増田は切り離せないものだったのです。
しかし、それは長く続きませんでした。
そんな日々が数十年も続くと、さすがの私もマンネリを感じ始めます。
私の気持ちの問題か、他の増田が問題なのか、ブクマする人達が問題なのか、はたまた匿名ダイアリーのサービスが問題なのか。
確信はありませんが九分九厘、匿名ダイアリーの問題だと私は思っています。
もちろん俯瞰して考えれば、ブクマする人達の性格が原因ではあったのですが。
いずれにしろ、増田はストレスとトラブルの温床になっており、今すぐやめるべきであったのは明白でしょう。
だのにやめられない、とまらない。
完全に中毒です。
もはや私にとって増田というものは、貧困層にとっての高カロリー食品と同じになっていました。
生活習慣病まっしぐらの私は、家族や友人をいつも心配させていたように思います。
直接謝る気はないので、ここで「申し訳ないと思っている」と書いておきます。
もはや死ぬまでこのままだと思っていたある日、転機が訪れます。
従姪孫の友達が遊びに誘ってくれたのです。
もちろんそれは断りましたが、ふとその遊びの起源が気になりました。
検索してみるとトゥギャザーなまとめ記事が出てきて、私は何の気なしにそれを見たのです。
「戦隊ヒーローは多対一だからズルい」と言われた時以来の衝撃といえましょう。
何も変わっていないのに、何かが変わったような感覚に漠然と包み込まれたのです。
没個性のキャラを描いて、自分の主張を喋らせることに人生を費やそうと。
そういうわけで、夢を実現させるため私は増田をやめる決意に至ったのです。
ですが増田のことが嫌いになったわけではありません。
もしかしたら十数分後には戻ってきて、なぜ戻ってきたのかを説明するエントリを書くかもしれません。
それを恥ずかしいことだと私は思わないし、思う必要もないと考えています。
自分の意志で「やめる」と宣言したので、それを撤回するのも私の意志なのだから。
なので皆さんは私を応援して、何らかのセンセーショナルな言葉をかけて欲しい。
己の人生観を下地に、何かを悟っているような口ぶりでブコメを書いてもらえると嬉しいです。
そしたら追記のエントリを書いて、皆さんと馴れ合うことができますから。
未練が残るのみです。
ここで仲間たちと過ごした日々、たくさん書いたエントリを忘れないでしょう。
冗談でも何でもなくて本当の話、そう遠くないうちに自分が取り返しのつかないことをしてしまうかもと本当に恐ろしい
28歳女、その他の部分は全てゴミだが温厚に生きてきた。他人のことを憎んだり嫌ったことは一度もなかった。正確に言うとできなかった。自分は他人との関わりの中で相手を傷つけたことが多々あったと思う。同時に私も他人から肉体的・精神的に傷つけられたと感じることが幾度かあったが(あくまでも私の主観)、怒りというものを覚えたことがない。後悔と悲しみだけ感じるタイプだった。ある意味ナルシストだと自分では考えている。
そんな感じで28年間やってきていたのだがここ最近、ここ1ヶ月、街を歩いていると突発的に何でもいいから何かを壊したい、そして無差別かつ大量に人を殺したいという衝動に襲われるようになった。突然漠然と全てが憎く思えて自分の中ではそれまで感じたことのなかった怒りを感じる。全部壊したくなる。この発作?が起きたら腹式呼吸にまず集中しながらお手洗いに駆け込んで、明るい曲をイヤホンで聴く、自分がなぜこんな恐ろしいことを考えているのかとにかく必死で考える。理詰めで考えろと自分に言い聞かせる。
遅すぎる厨二病だと笑われるかもしれないがそれでも本当に自分が恐ろしい。心療内科に行くべきなのだろうか?この頃頭の回転自体明らかに鈍くなったと感じる、自分でも訳が分からなくなってきた。誰か助けてほしい
恥ずかしながら、泣いてしまった。
3/9、開封できずにいたBEST MEMORIALを開封した。
それを開封するとWUGが終わってしまうと思って開封できていなかった。
CDをPCに取り込み、MVのBDを再生しながら今までのことを考えると涙がまた溢れてきた。
CDを買ったのは6枚くらい。殆どレンタルで済ませてしまった。
単独ライブに参加したのは最後の1回だけ。もっと参加すれば良かった。そんな後悔だけが残る。
いろいろぐちゃぐちゃでも気にしないで!
友人Aに誘われて(経緯はあんま覚えてない)公開初日に見に行った。
そこのかっこよさと可愛さ、そこに惚れたんだと思う。
劇場限定のアニメBDに惹かれ、田中美海さんのサイン付きを頼んだ。
CDに付いてきたイベントへの応募番号。少し迷ったが応募することにした。
キャンペーンで、お渡し会に参加することができた。
ありがとう、待ってるといった言葉を受け、ライブへの思いは高まっていた。
イベントへの思いが高まっていたこともあり、友人B宅に泊まって東京へ前のリすることにした。
イベントの前日は特に用事もなかったこともあって、幕張メッセで開かれていたニコニコ超会議に行くことにした。
そこから友人宅へ行く際、少し腹痛を感じた。後々考えれば、この時から予兆はあったのだろう。
その日の夜、体調に不安を感じた僕は早めに休むことにしたが、収まらない腹痛、どんどん湧き上がる気持ち悪さ。
熱を測ると39度を超えており、スマホを使い必死で熱を下げる方法を調べていた。
体調は更に悪くなっており、熱は全く下がらなかった。僕はイベントへの参加を諦めざるを得なかった。
僕は約束を守れなかったという思いでいっぱいだった。
ここからWUGに対して後ろめたさみたいなものを感じるようになった。
この時泊まりに来て高熱を出すという本当に何をしに来たか分からない僕を手厚く看病してくれた友人Bにはとても感謝している。
夜も遅くに買った来てくれた冷えピタとポカリスエット。病院まで連れて行ってくれたこと。布団を汗で汚してしまっても文句も言わなかったこと。
感謝してもしきれない。
しかし、友人Cが誘ってくれたアニサマ2014において、彼女達のライブを見ることができた。
トラブルがありつつも素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた彼女たち。
その光景に僕は胸を打たれた。
次に彼女達のライブを見たのはたまたま行っていたワンフェス2015Sであった。
そこで聞いた少女交響曲。これがまたハマった。
新作の映画をやることを知ったのはここだった。
今度は1作目の映画を見た友人Aを誘い、前編後編を映画館に見に行った。
少女交響曲、Beyond the Bottom。共にカッコイイ曲で自分の好みにバッチリだった。
しかし、その後単独ライブに行く機会は無かった。タイミングが合わなかったと言えば言い訳になると思う。
解散までに単独ライブに行かなきゃなという漠然とした思いだけがあった。
2018年12月。もう残り回数も少ない。そんなとき、部屋の掃除をしていると行けなかった単独イベントのチケットを見つけた。
そのとき、地元愛知でWUGの単独ライブが初めて開催されるのを知った。
これは行かなければならないと思ったが、時すでに遅し。友人と相談している間にチケットは完売していた。
悔しさが募る。せめて最後に1回くらいはと思っていたのに。
チケットを取ることができたわけだが、最後の単独ライブだけ参加していいのだろうか。そんな後ろめたさがあった。
とてもよかった。それと同時にもっとイベントに参加するべきだったと後悔した。
不安を吹き飛ばす13000人の動員。彼女達のライブにはそれ以上の力を感じた。
こんなに多くの人に愛されていたんだな。
翌朝、ホテル土曜日のフライトを聞きながら帰宅の準備をしているとまた涙があふれてきた。
あの時こうしていれば。後悔が胸の中でずっとぐるぐるしていた。
Wake Up, Girls!のみなさん。お疲れ様でした。
ラストライブは最高でした。素晴らしい歌とダンスをありがとうございました。
今まで彼女たちを支えてくださったワグナーのみなさん。ありがとうございます。
あなた達の応援が彼女たちがここまで頑張れてきた原動力だったと思います。
作曲に携わった皆さん。素晴らしい曲をありがとうございました。
でも、こんなグループがあったんだよって多くの人に知ってもらいたい。
身近な人から伝えられればと思う。
https://i.imgur.com/JgV5qf9.jpg
今度、宮城に行ってみようかな。
元気になりたい
漠然と元気がない無職ですつらい 貯金もそろそろやばくこうやって貯金ゼロの20~40代が形成されていくのだなとぼんやり思う
恋のときめきもハマり込める沼もなく趣味も曖昧になってしまっている 体力は全然なくて今週は1度病院行ったきり家から出てない
お湯沸かしてお茶飲んだらとか、カップ麺食べたらとか、アニメ1話みたら今日は頑張ったなと思ってしまうくらいのだめさ
どうでもいいけど電子レンジで加熱するだけの冷凍食品またはコンビニ飯とお湯を沸かして入れるカップ麺だと後者の方が頑張った感がある
無職なので時間だけはあるが起きて何かをしている時間というのはほとんどなく有意義と感じる時間は全くないので時間があるという感覚がもてないままどんどん流れていく 喪失感のほうが強い
現在無職。将来の夢はない。結婚も出世も興味がないし、何もない。
何になりたかったのか思い出せない。将来の夢も無謀で漠然としたものだったり、転々としていた気がするし、死にたかった記憶が強い。
のにも関わらず死ぬことに対する恐怖が芽生えてきた。だけどもう誰も頼りにできないし、何も手の内に残っていない。死ぬのもいいのかもしれない。
何事も悩みだすと手が付かなくなる、今なにをするべきなのかわからなくなる。
やりたいことはある。でもそれは金にはならない娯楽の範疇だ。娯楽の範疇を生かした職に就いたら全く役に立たず職場で嫌われて辞めた。
金のために仕事をしなければならない。何でもよいのかと言われれば何でもよくはない。でも何をしたいのかわからない。何をしたいのかわからないからどうしたら良いかもわからない。履歴書を書こうにも、不安が押し寄せてきて、途中からひたすら障碍者でもできる仕事について調べてしまう。気づいたら一日が終わっている。不安が強すぎて不安をなくす方法を探し続けている。
過去に捕らわれすぎずに将来を見据えて行動した方が良いと心療内科で言われた。そりゃ医者だったらつぶしが効くから将来の事考えられるだろうけど、何もない人間が将来の事なんか考えられるわけないだろ、と思ってしまった。
いっそ死んだ方が早いかもしれない。
AI技術の進展や、外国人労働者の受け取れなど、君たちを取り巻く環境はどんどん変化していって、先が見えない社会になってきていている。
とにかく頑張って欲しい、生きて欲しい
校長を含めて3人くらい登壇して挨拶してたけど、みんなこんな感じ。漠然と頑張れを連呼する調。少なくとも「輝かしい未来」とかいう明るい系フレーズはなし。
三大都市圏から1時間圏内にある地方都市で、学校はいわゆる底辺に近い偏差値40前後。1/3 が進学(と言っても専門学校がほとんど)で残り 2/3 が就職という感じ。進学で就職を先延ばしした 1/3 はもう暫く猶予があるとしても、来春から就職することになった 2/3 の過半数は非正規な職場への就職らしい。もっとも、正規と称されるところだって、初任給15万なら御の字という低待遇だが。
真っ先に外国人労働者とバッティングする層なのよね。あいつらは、時給1000円でも喜んで就業するだろうし、何年かして祖国に帰ったとしても次から次へとやってくる。
「時給1000円でも喜んで働く労働者」が無限に補充される状態だから、恐らくは能力的に彼らと大差のない日本人の高卒の子たちも、彼ら外国人労働者と同じ待遇で固定化されるだろう。
能力を磨けば何とかなる次元でもなく、どう足掻いても太刀打ちできないこと分かってるから、来賓たちは揃って「とにかく生きて欲しい」になるんだろう。
最後のホームルームは写真を撮り合ったり。彼ら彼女らにとっての「学生だった最後の日」になるんだよね。
卒業って、社会に出る、というよりか、社会に放り出す、ということなんだって感じたよ。18歳の若さでこの社会はあまりに厳しすぎるよ。30代になったら年収300万、40代になったら400万、そんなビジョンを絶対に描くことができない未来しか見えないのだもの。
「それで、二人はもう主題を決めたのか?」
俺は探りを入れてみた。
この期末レポートで最も避けたい事は、テーマや内容が似てしまうことだからだ。
相対評価なんてされたら困るし、コピーを疑われて減点なんてのは最悪である。
「僕はオオザワの『不可逆性の時代』についてレポートを書こうかな~と」
タイナイの持っていた本に目を向けると、表紙に『不可逆性の時代』と書かれているのが分かった。
主題だけは決まったものの、何から取り組めばいいかなんて見当もついていないとみえる。
以前もそんなノリでレポートを書いて、シマウマ先生に「意識高い系の読書感想文」だと揶揄されたばかりだろうに。
「ウサクの主題は?」
「我は『未だ残り続ける、前世代の負債』だ。ここ50年の間に起こった大きな出来事をまとめ、現代にどのような負債を残しているか調べる。そして、その是非や責任を考察し、次世代に残さないためにはどうすべきか等を書くつもりだ」
翻ってウサクはさすがといった感じだ。
シマウマ先生が喜びそうなテーマに狙いを定め、更には方針まで既に固めてきている。
ウサクがそうしてやっと掴めるレベルだから、俺には逆立ちしても無理だろう。
そもそも逆立ちなんて出来ないし、出来たところで頭に血が上るだけに違いない。
二足歩行でBあたりをせいぜい目指そう。
俺は図書室内をのそのそと歩きながら、並ばれた本を眺めていく。
タイナイみたいに漠然と選ぼうかとも思ったが、それが複雑で面倒なテーマだったりすれば後が厄介だ。
変なところで油断をしたせいで春休みの予定が台無し……という事態などあってはならない。
「んー、これとこれを合わせて、ちょっとヒネってみるか」
そうして気になった本をいくつかチョイスし、うんうん唸ること十数分。
……まあ、自分で言うのもなんだが、センセーショナルさには欠けるな。
しかし、身の丈には合っている。
焦点を絞ったので、調べる範囲も狭くて楽だ。
後は目ぼしい資料を見つけ、あの馬面の欲求を満たす事実を抜き出していけばいい。
その事実から分析できるものを並べ、大まかな見解としてまとめれば完成である。
「はー、やれやれ」
ようやっとテーマと大まかな方針が決まり、俺は安堵のため息を漏らした。
グギュルルルル―――
だが、その吐息の音は、腹の唸りによってかき消される。
そういえば、俺は空腹だった。
課題のため後回しにしていたが、こいつに喚かれちゃ仕方ない。
けものフレンズ2が不評だ。
もちろん前作監督信者の大暴れによるところも大きいのだが、けものフレンズ1の続編と見た場合根本的欠陥があるのだ。
え、それって悪いの?
となりそうだが、悪いのだ。
けもフレ1の支持者にとっては致命的に。
他人との衝突を産みうるだけの自我を持っているのはツチノコ、トキ、アライさんぐらいで、
あとは結局は漠然としたいい子である。(アライさんも本当はこちらに含めてもいいかもしれない)
表層的な口調や軽い行動の違いはあってもまともな意味での意見の相違や対立はないのだ(ライオンとヘラジカのあれが対立? またまたご冗談を)。
逆に完全悪もいる。
(他の媒体のけものフレンズでは必ずしもそうではないが)1のセルリアンは全く同情の余地のない絶対悪でのけもので排除の対象である。
軋轢の生じえない群体があり、それに排除される絶対悪だけがいるのがけもフレ1なのである。
「悪」と決めた相手に徹底攻撃をかけた現実のけもフレファンたちと同じように。
だからカルガモやイルカアシカのこだわりは主人公たちを足止めし、
なんという汚い連中だろう?
第1話で巨大セルリアンからキュルルたちを救ったのもまたビーストである。
かばんの「あの子たち」という呼称や口ぶりからも排除が当然の「絶対悪」ではない 。
なんという裏切り!
フレンズたちはまるで自我が存在しないがごとき仲良しこよしで、
あの素晴らしいジャパリパークを返せ!
こんなの、けものフレンズじゃない!
だからけものフレンズ2のブルーレイは売れないだろうし、これからも叩かれ続けることだろう。
それは残念ながら間違いないことだと思う。
1を買っていない僕は予約したが。
うちは製造業の技術系だから女性いない社会で生きてるんだけど、普通にどこからか見つけてきて結婚する人も結構いる。そろそろいい歳になってきて思うんだけど、みんなどこで女性と出会うんだ?っていうのが疑問でしょうがない。今の社会女性と男性の棲み分けが多くて知り合うことすら困難になってると思うんだけど。
ちなみに、趣味で山登ったりしてるけど高確率で夫婦で登ってる人を見る。あれ、どうやって知り合ってそうなったんだろうねって何時も思いながら見てる。特に気合入った若い男女だと。
休日はほぼ家にいなくて、ソロツーしたり声優ライブ行ったり。あ、日本酒の酒蔵巡って一人飲みするのも楽しいですね。スマブラブームにのっかってSwitch買ったんでゲームも楽しい。(ネットで知り合ったオタク友達がいるから対戦相手もいるよ)
…引きこもってる訳ではないんだけどなぁ。メンタル引きこもってるのかな。まだ危機感とかはじわりとしたものだけど、まずスタートがないよなって所で漠然と考えちゃった。
…もしかして、ソロでも出来る趣味ばかり持っててソロで活動しちゃってるから出会う機会がないんか?
あ、ちなみに婚活的なの一回友達に連れられてオタ婚みたいなの行って辛かった。あの回転寿司の寿司ネタみたいになる奴はあんまりしたくないな。少し年齢上の妙齢女性が集まる奴だったので年収欄とかでがっつかれて引いた記憶。経験にはなったけどね!
漠然と感じていたけどはっきりとは分からなかった、どこが駄目なのか(の一つ)が分かった。
作品数と作者の数が多すぎるんだ。とにかく数を出して回してなんぼ、そのうち一つでも大当たりすればしばらく潤う
というビジネスモデルは昔からだと思うけど、最近はその数が増え過ぎなんだ。
そして、勤め人の編集はともかく作者や漫画家は売れないとミニマム分以上の稼ぎはない、たまにある大ヒットから
業界の維持のためにと分け合うシステムもない。そりゃあ磨り減っていくし粗製乱造になっていくわけだ。
もうこの先はアタリ・ショックが如く、粗製乱造に嫌気した読者が安牌な大ヒット以外には金を出さなくなる将来しか見えないね。
電子書籍への対応が不備だとかまして海賊版だとか、そういった問題じゃないねこりゃ。
そのうち、海賊版なんて惰性でダウンロードされたきり読まれさえしない状態になるんじゃないの。タダでも時間がもったいない状態。
くだらない話。
大学中退とともに家を追い出され、当時から付き合ってる彼女の部屋に転がり込んだ。
適当にバイトして生きていて、趣味はスマホゲーとパチンコという、日本の癌と言われても仕方ないような存在。
彼女はまだ学生で一人暮らし。家賃は親御さんが払っている。食費や光熱費はかろうじて折半しているものの、ギャンブル中毒に貯金などあるはずもなく、毎月カツカツの暮らしを送っている。
ここからが本題なんだけど、この度、彼女と別れたくなってしまった。
理由はうまく説明できないけど、漠然とした申し訳なさというか、若い時間を俺みたいなクズに費やしても何もリターンがないことに俺自身が耐えられなくなったというか。
このまま寄生を続けるのはもう精神衛生的に無理だ。にも拘らず俺には何もない。
その程度のこと、と思われるだろうけど、知能含め貧困層の俺にとっては八方塞がりなんだよ。