はてなキーワード: 新生児とは
東京などの新型コロナの感染が拡大している地域から来た人に2週間待機を要請するのは他の地方でもやってるのに、何故か岩手だけ叩かれる。
特に証拠も無いのに、東京から移住してきた高齢者を焼き殺したと言われている。
里帰り出産の妊婦がたらい回しにされたという話も、見出しの付け方がおかしい。
まず本来は居住地である千葉で出産予定だったという時点で里帰り出産ではない。
感染症対策が不十分であった事は落ち度といえるが、かといってそれが整っていない状況で受け入れるべきではない。
医療関係者への感染ももちろんだが、逆に医療関係者から妊婦や新生児への感染のリスクもあるはずだ。
ことさらおかしな対応を岩手の行政や医療機関、住民が取っているとは思えない。
酷いケースでは秋田県上小阿仁村の医者いじめの話を根拠に、岩手を叩いている人まで見かけた。
いくらなんでも雑過ぎる。
もちろん岩手の行政や医療機関に問題のある対応は見受けられるが、岩手だけがことさら酷い対応をしているというほどではないはずだ。
多かれ少なかれ他の地方でも、首都圏など感染が拡大している地域から来た人はまず感染を疑う体制を取っている。
クラスター感染や院内感染が同時多発的に起きれば、地方の医療体制では対応できなくなるのは自明だからだ。
その危機感が行き過ぎて、行政や医療機関で対応に問題があったという指摘は他の地方でも出ている。
にもかかわらず岩手だけことさら閉鎖的、差別的な対応を取っていると叩かれている。
問題点は改善されるべきだが、問題がある事を根拠に特定の地域に対する差別的な言動が許される訳ではないはずだ。
岩手の話題については報道される量もここ数日で急に増えてきている。
岩手バッシングの流れがネットだけでなくマスコミにも生まれつつある。
今後岩手叩きの風潮が加速して、岩手で院内感染や大規模なクラスター感染が発生した際に支援をするなというような声が出てこない事を祈る。
読んでて泣きたくなった。
私は里帰りせずに都会で産んだけど、
今の世の中では余計にしんどいよね。
泣けるなら泣いていいと思う。涙ながそ。
少し持ち直していたよ。
いざ里帰りしようって時にやっぱり辞めて別の病院探すなんて、
えらいよ。
あとちょっとだよ。
(休めないし在宅も難しい業種なので仕方がないが)
一緒にがんばろう。
・総人口75億人いるので、約半数が集団免疫をもつまで、中国の年代別死亡率が当てはまるとする。
https://www.worldometers.info/coronavirus/coronavirus-age-sex-demographics/
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO43367210V00C19A4CR0000/
→ 本来生きられた寿命から逆算すると、ざっと4億年分の寿命が消える。(新生児530万人分くらい)
・コロナの死亡者数を全人口から差し引いて、更に70歳以上(4億人くらい)はもう余命が0として差し引く。
→ 69歳以下で生き残った人間はざっと70億人なので、1年を犠牲にすると70億年分の寿命が消える。
オマエそれ新生児室の前でも同じこといえるの?
・0時から9時ごろまで1時間に1回グズって泣く。落ち着いたと思って横になっても数十分後には泣くので寝れない。途中子を泣かせたまま何もせず放置したり、3分くらいトイレに逃げてしまった。昼間は実母に子をお願いして3時間くらい寝た。
・夜泣き対応中にLINEのオープンチャットでもやろうかと思ったら格安SIMは年確できなくて使えなかった。圧倒的孤独
・うんちの回数が減った。日に2〜3回。ただ量はすごい。旦那がオムツ替えするタイミングでしている。
・子の泣き声で動悸が起きる。
・2週間検診に行った。子の成長は問題なし。母乳止めたいと相談すると1ヶ月まで頑張れとのこと。具体的にどう頑張ればいいか教えてほしい。
・まだ悪露が出ているので湯船はNG
・私の下痢が続いているので整腸剤を処方された。
・会計待ちの間に入院中にお世話になった助産師さんが母乳の状態を見てくれて、止める方法を教えてくれた。私の精神を優先しての判断とのこと。
・産後ケアとして再入院もできるらしい。市の助成を使えば日帰り3000円くらい(泊まりもある)で、子を預けて個室で休める、昼食つき。正直そういうのを手続きする余裕もない
平日8-17時の仕事です。育休は取らず、在宅併用で週2日ほど出社しています。出社している2日は義母が助っ人で来てくれます。
妻は、一般的には産後の肥立ちが悪いと呼ばれる状態にあります。育児と家事へのやる気があるためつい動いてしまい、回復が遅れているものと思われます。
発生するタスクは、
ミルク(3時間サイクル)、おむつ交換(2~3時間に1回)、沐浴(1日1回)、泣き対応(突発的に、夜間頻度高)、ミルク嘔吐対応(まれに)です。
クリティカルな問題点は、ミルク対応でまとまった睡眠が取れないということです。
どちらかは起きないなど当番やルール作成で対応できそうですが、実際泣くと2人とも起きてしまうため、2人とも寝不足です。
当初は私が日中担当で、妻が夜間担当の2交代制を敷く理想を掲げてはいましたが崩壊しています。
また、妻は体調が悪いため、夜間を担当させることすらためらわれます。
結果として、私は眠いまま、在宅もしくは出社し仕事をしていますが仕事の効率が落ちています。
妻は、日中は寝ているはずですが、起きていることもしばしばで、この点もよくありませんが、急に生活のリズムを変えろというのも厳しい気がします。
義母は、孫に会えるので喜んで日中の育児を担当してくれますが、義実家には要介護の義祖父がいるため、週2日が限界です。
義実家に妻子を置くことも考えましたが、上の理由から義実家に断られました。妻自身も反対しました。
もう少し大きくなるとまた違うのだろうと思い頑張っていますが、土日も休まらないのでどうしたものかというのが正直なところです。
単純にそうであってくれないと困るし、あくまで『今のところは』ってだけだぞ
単純ヘルペス脳炎の概要
日本では年間100万人に約3.5人に発症し、50~60代に多くみられる一方、新生児や小児がかかる場合もある。
初感染時または再活性化(一度治癒し休眠しているウイルスが再度活発になること)時に発症する。その病態は発症年齢によって大きく異なる。
なお、HSVは世界的に広く浸透したウイルスで、感染経路はHSVによる口唇ヘルペスや皮疹を発症した患者の唾液や病変部との接触や、性器ヘルペスからの性的感染や母子感染によると考えられている。
I.単純ヘルペス脳炎の症状・徴候(小児)
発症年齢は、6歳未満が多いが、小児期のどの年齢層にもみられる。発生に季節性は無い。ヘルペス性歯肉口内炎の合併は稀。
初発症状としては発熱が高頻度。神経学的初発症状としては痙攣、意識障害、構音障害が多い。しかし、小児期の他の病因による急性脳炎・脳症と比較して、単純ヘルペス脳炎に特異的な症状は無い。
急性期には、半数以上は重篤な意識障害を呈するが、意識障害が軽い例も存在する。
子供は未就学児ではなくなり、育児にかける手間という意味ではだいぶ軽減できてきたなーと思ってます。幼児まではめっちゃ大変だった。
2人目の子どもが産まれたとき、会社に育休を取らせてと相談したけど、「みんなが真似したら仕事が回らなくなるから」というわけのわからない理由で却下されてしまった過去があります。
会社は大企業で、男性の育休制度はあったけど、まだ取得した人はいないという状態。もう10年以上前の話ですね。懐かしい。
「出世に響くよ」みたいなこともアドバイスという体で言われたりして、牧歌的な時代でした。
育休、結構じゃないですか。ポーズだとか、そんな時期に育休とっても育児の役にはたたないよとかいろんな意見が飛び交っていますが、私は良いと思いました。
「大臣の2週間育休取得」に期待することとしては、
あたりなのかなと思います。
男性の育児参画重要ですよ、女性の社会進出にはもっと男性の協力が必要ですよ、と一生懸命言ったところで、政治を行っているおじさん(おじいさん)たち自身の振る舞いがそこに立脚していないと全く説得力なしだと思うんです。大臣には育休取得をぜひとも成功させて、背中を見せてほしいと思います。
と、まあ基本的にはそういう気持ちなんですけど、もやる部分というか、こういう考え方もあるよなーという気持ちが自分の中にあるんです。
それは、社会的地位や影響力があり、お金もある人は、育休取得ではなくて、例えばシッターやヘルパーを雇う、サポートのサービスをフル活用して、仕事もしつつ、育児もこなすみたいな背中を見せられるんじゃないのってことなんです。
育休をなぜ取るのか。それは育児が大変だからですよね。大変なことをもっと気軽にアウトソースできる。そのことに寛容な社会を作って欲しいなという気持ちもあります。
自分の子どもは自分たちだけで育児しないといけない、みたいな空気ができるのがすごく嫌。育休を取る理由が、育児が大変だから、ではなくて、自分の子どもがかわいく、新生児・乳児のときにたくさん触れ合っておきたい、という理由であれば話が違うんですけどね。
育休の取得については、それなりに立場のある人、責任のある人が、家庭と職場の板挟みになりやすいと思うので、育休取る・取らないの選択肢に加えて、外部サービス活用(その充実)がもっと議論されると良いなと思っています。
新生児の育て方の大部分を産んだ産院で先に母親がやるからだと思う。
もちろん父母学級とかでも習うんだけど、人形じゃなくて実際の新生児を使って抱っこしたり、おむつ変えたり、母乳あげたり、沐浴したりの指導が産院で入るためにどうしても先に母親が慣れてしまい、家に帰ってからも母親主導の育児になるのでは?と思う。
もともと子どもは全然好きじゃなくて、人の子どもはいまだに苦手ではある(嫌いではない)。ただ、子どもを産める機能が自分に備わっていることもあり、いつかは出産を体験してみたいという気持ちはあった。
浅はかだからその後のことなんてあまり考えてなかった。とりあえずやってみたらできたので産んだ。そしたら産む前の想定以上にしんどかった。しんどくてネットで調べたらみんなしんどいって言ってた。産む前に調べなかったんで産めたのかもしれない。浅はかだなあ。
なのでみんなが言う「子育てはしんどい」、これはわかる。私くらいの浅はかな人たちが産んでからえーっ子育てってこんなにしんどかったのー!?と知るのである。
生後半年くらいまでは死なせてはいけないという気持ちだけで世話していた。死なせたら自分が罪悪感に苛まれることを危惧していたから、子どものためでは全然なかった。
これが逆転し始めたのは子どもの方が私を認識し始めたとき。母親を後追いするようになった。
かわいい…
これ…が…かわいい…?
もちろん自我が目覚めたということは新生児期以上に大変でもあった。しかしながらこの子どもから発するひたむきな情を一心に受け止めることができるのは私だけなのである。(そのときの夫とはいろいろあり別居していたその後離婚した)
そのうちだんだん可愛いがしんどいを上回るようになっていった。
子どものことは今、心の底から愛してる。子育てもめちゃくちゃに面白い。なんと奇跡的にその後別の人と知り合い結婚したんだけど(しかも子どものために姓をこちらに合わせてくれた菩薩みたいな人)これ以上の子どもは産むつもりはない。
浅はかなりに調べたら二人を育てることは富豪かスーパー母ちゃんでもない限り無理だと判断した。夫もそれでいいと言ってくれているのだ。菩薩!
私の場合は子どもからなつかれたので愛することができたとは思う。これがあまりなつかない習性の子だったら私だってどうなっていたかわからない。なんだかんだで運だと思う。他の人に出産は勧めない。
ささいなことで言い争いのような感じになった。
妻は専業主婦。
夫が月を見ながら風呂に浸かりたいからと、夕食時にスーパー銭湯に行くことを決定。妻は具合が悪くいきたくないが、子供の着替えを用意し袋にいれ手渡し、運転できない夫のために運転手をする。出るときに連絡してと駐車場にて車で父子を待つ。
一時間半近くして電話。広い駐車場で離れた場所から行くと返事して向かう。
父はしっかりコートを着込み、子はパジャマ一枚きりで寒い外で待ち、車に乗り込む。驚いてなんで着せていないかと問う。着替えがほとんど入っていなかったからだ、おかげで身体が冷えてしまった。上着はバッグにしまって取り出せないという。驚きつつバッグ寄越してと薄暗い車内バッグを受け取りチャックを開け三秒で詰め込まれたコートを見つけ、そのあと五秒でカーディガンを取り出し後ろの席に渡す。着せてといいつつ、なんでバッグから出さなかったのかと詰問。
混んでてそれどころじゃなかったという。館内にはあちこちに座る場所があるから、子供にジュース飲ませてる間にそこで取り出せるのでは?三秒で出てきたがという。
バッグの中身を人前で広げられるかとキレる。取り出すとき、一枚きり取り出したがそれ以上は広げてない。薄暗い車内ですらすぐさま見つけられた。
上着がないなら、暖かい館内から電話してほしいと言うと、それどころじゃないと。携帯もなかなか見つからなかったんだと。
…はあ?見つからないならなおさら鞄を探すために館内に留まるべきじゃないか。
自分はしっかり着こんで子供は寒いなか髪もびしょ濡れのままパジャマ一枚で外に考え無しに連れ出す??
妻は、コート着せないとかはあり得ないと怒ると、夫は逆切れして運転手の肘置きを何度も蹴る。咎めるとお前が悪いからだという。もともと悪いのはバッグからコートを出す手間すら惜しむ、コートを暖かい館内で上手く取り出すことすら覚束ない夫ではないか。なんてとんまなのか情けないし、これは子供のために上着くらい自分が詰め込んだバッグから取り出す手間すら惜しむしみったれさが憎らしい。
子はおろおろする。すまない。
家に着き子を見るとなんと、持たせたはずの着替え(薄手のフリースシャツ、綿の長袖シャツ、パンツ、長い靴下、スエットのボアパンツ)のうち、薄手のフリースシャツしか着ていない。靴下も履かず、行きに着ていたズボン。
嘘だ、入れた筈だ。落としてきたのか!?
バッグを見ると上から二番目辺りにボアスエットパンツあり。夫の洗濯物といっしょくたに。少し下に子の着替えをいれて渡したユニクロの小振りのビニール袋がぐしゃぐしゃに入っており、中身を確かめると綿の長袖、靴下…
子供はもう120センチで女湯に入れられるわけないだろと妻を鼻で笑って連れて言った奴が、袋の中身すら見ずに着替えがないと人のせいに。袋の、中身すらわからずに。幼稚園児の世話も責任を感じずに?偉ぶる?
夫は家につくと一人さっと車を降りて家に入りバッグは玄関に投げすぐさま歯磨き無言で寝に入る。
着替えはバッグにあったが?というがお前とは話さないと言う。
バッグから服を探すことができるわけないというので、座る場所も無かったのか、見られたくないならトイレの個室では?と聞いたりした。ことごとくキレる。お前バカか?出来るわけないっていってるだろと激おこ。創意工夫(これしきで情けない)もやる気もない。呆れるしかない。
小学生の兄弟のほうが面倒見が良さそうでこの場合、バカはお前で間違いないよねとでかかるのを飲み込む。たぶん刺される。
子供が生まれるまで、酒はほとんど飲めない、タバコも吸わない、ギャンブル嫌い、暴力もない、見下し発言もしなかった、トイレ掃除や風呂掃除も休みの日にはしてくれてた(子が生まれてからはほとんどしなくなった)からまともな人かと思い込んでいた。
子が生まれたあと、新生児のまわりで咳をしまくり薬も飲まないので咎めると、言い争いになり、夫はイラつき殴ろうというそぶりを見せた。殴るならもちろん殴り返すつもりで睨むと怯んで止めて、ものを壊したり、テーブルを叩く。やめろと言うと、殴りそうなのをこれで我慢しているなどと抜かす。
お前は話し方がなってないからダメだという。じゃあどう話したら良いか例を示してくれ、具体的に教えてくれと言うと黙る。何がダメなんだ。言えもしないくせしてダメ出しとかアホだ。
妻がキレて当然だと思うけどもはやキレる価値もあまりないよね。
出来ない出来るわけないとすぐパニックみたいになる子は夫にそっくりなんだろう。
つらい
帰省を終えて実家から家に戻るために空港へ向かう電車に乗っていたら、隣の席に同じく帰省明けらしい大きな荷物を携えた若いご夫婦と、そのお父様の腕に大事そうに抱えられた小さな赤ちゃんがいた。
赤ちゃんは周りの色とりどりのキャリーバッグや外国からの観光客らしき集団、年末年始の電車の内装がどれもこれも気になって仕方ないのか、忙しなくきょろきょろしていた。
その内抱っこ係がお父様から、私の隣に座るお母様に変わった。
お母様の腕に抱かれてから、赤ちゃんの興味は今度は私に注がれたらしい。めちゃくちゃこちらを凝視してくる。私は冷や汗を掻いた。
赤ちゃんは好きだ。何しろ可愛い。間近で見た頬っぺはふっくらしてて生クリーム大福みたいで愛おしい。あと、お目目が大きい。こぼれ落ちそうだ。やはり人類は繁殖のプログラムとして赤ちゃんは可愛い、守りたいと思わせられるよう遺伝子に組み込まれているのだろうと実感させられる。
しかし私は赤ちゃんと密接に関わった経験がない。子供を産んだ経験も無いし、弟はいるけど年が近いので彼が赤ちゃんだった時の記憶が無い。
なのでこういう時、電車内でたまたま隣り合った見知らぬご家庭の赤ちゃんと、どうコミュニケーションを取ればいいのかわからない。下手に話しかけたり触ったりして泣かせてみろ。その瞬間私は電車内において人権を喪失する。
ようは私は赤ちゃんに対して人見知りをした。
一方赤ちゃんは私の金髪が珍しいのかしきりに手を伸ばし、そして人見知りをしてもじもじする私に向けて、まるで気さくに声をかけるように「ま!」と声を上げた。可愛い。
察された。気を遣われてしまった。この20歳以上歳の離れてる新生児に。
お母様が、私と赤ちゃんのその言葉無き逡巡に気づいて、「すみません」と微笑んだ。私は狼狽えながらもつれる口で「い、いえ、だ、大丈夫、です」と言った。
「可愛いですね。何歳ですか?」
「8ヶ月なんです」
「これからお帰りですか?」
「ええ、〇〇まで。飛行機に乗るんです」
降りる時に赤ちゃんと握手させてもらい、優しいご夫婦に会釈して、それから赤ちゃんに手を振った。小さな手にはそれでもしっかりと爪が生え揃っていて、赤ちゃんはすごいなあと思った。
昨年、2度目の流産をした。
ショックだったけど、妊娠して間もない頃で、正直子供の形なんてないし、
体もまだ変わり始めだったので、回復も早かった。
22週以降は、基本的に中絶も禁止。早期でも出産し生きている人も沢山いる。
一般的に15週から安定期に入る時期だったが、私の場合はひたすら辛いまま終わった。
12週以降は、出産と同じ手順で死んだものを生まないといけない。
お金も同じようにかかる。死んでるから、死産届も出さないといけない。火葬も必要。
誰にも祝福されなくて、痛みとダメージだけで何も残らない。
そんなこと、どこ調べてもあまり出てこなくて、実際はショックばかり。
そもそも誰もしらないし、経験者は辛くて思い出したくないことだからなのかもしれないけど。
無理しすぎは禁物だが、どうか妊娠中の人は自分を責めないでほしい。
私は、義母に無理しすぎたから流産したんだとか、職場で唯一相談せざるを得なかった子育て中の人に後悔するから休んだ方がいいと言われたけれど、正直傷ついただけ。
実際、流産後に遺伝子検査して、胎児側の原因であることが判明した。
そもそも歳をとるとそういう確率がぐんと上がるのは承知のこと。
色んな理由はあれど、自己責任だし、そうなってしまった以上時間は戻せないし、不運としか言いようのないことで、現実の運命を受け入れるしかない。
だから、周りの人は、安易に自分の意見を押し付けるのは気を付けてほしい。
9~10週頃に、出産する病院を決めて近所に移った。そこで育ちが悪いと言われる。
年齢的に心配だったこともあり、胎児専門の病院にも行って、似たようなことを言われた。
トリソミーなどでよくある形状の異常は見られないけれど、小さいと。
(首の付け根の厚みなどで、その兆候が初期に出たりする)
原因不明で、あまり見ない症例だということで、そこにはその後も何度も通った。
毎日毎日しんどすぎて、びっくりであった。ホルモンバランスの変化のきつさ。
口にするにも、ジュース飲みたくなったり、パスタ食べたくなったり、偏食になってしまった。
妊婦は生ものNG。ってことで、気を使うと食べられるもんが少ない。
<血流1.5倍>
血流が1.5倍になるって知ってた?妊娠してから知ったんだけど、1.5倍って!マジきつい。
例の胎嚢で栄養やっているうちはいいんだけど、胎盤ができてきて子供とつながっていき、血液から栄養送らないといけなくなる。
それは知識では知ってるけど、こんなに母体に負荷がかかるとは。身を持って実感した。
まず階段しんどすぎて、登れない。いつもさっさと歩いていた坂だって、途中休み休み。
電車もバスも立つのは本当にきつくて、息切れして心臓バクバク。人混みもすぐ酔うし、休み休み。
<頻尿>
お腹が大きくなるにつれ、それはそれは頻尿で参った。打ち合わせなどで事前に行っても、終わる頃にはギリギリ。客先などで苦労した。
<免疫低下と持病いろいろ>
赤ちゃんを異物とみなさないよう、妊婦は免疫が低下するらしい。知らなかった、、、、
だから、何年かに一度、弱っているときになるような病気がいっぺんにきた。
むせ返る止められない咳がきつくて、お腹にも力入るし、ハラハラだった。
それによりヘルニアが再発して、咳すると激痛走って痛い痛い。
さらにお腹がくるしくて前屈みになるから、腰が痛い。ヘルニアがいっそうきつくなる。
肌の痒みもすごくて、寝ているときに掻きむしってしまい手足がボロボロに。血だらけ。
目は結膜炎やらものもらいやらを左右繰り返し、まぶたの痒みはまだ残っている。
<不眠>
体調が悪くて寝付けなかったり、夜中に起きてしまって苦しくてもがいたり。
とにかく夜中に睡眠から覚めるのが毎日で、しんどすぎた。トイレも近いので夜中に何度も。
夜中に目が覚めてしまうと、色んな不安が吹き出すのも困った。このときスマホは悪の味方。
病院で言われたことや、言われなかったことや、とにかく育ちが悪かったせいもあって色々調べてしまった。
<むくみ>
色々辛かったけど、一番はこれかも。
もともと浮腫みやすい体質なんだけど、無理をするとお腹がパンパンに張ってしまい苦しくて気持ち悪くて動けなくなる。
職場ではヘルニアが出てしまい、と誤魔化していたが本当に辛かった。(実際それも出ていた)
下痢や便秘なども色々あったけど、上記色々が辛すぎたので記憶から薄れている。
つわりの気持ち悪さと、お腹が張って気持ち悪いのと。数ヶ月ほとんどずっと。
仕事もあるから寝ているわけにもいかないし、どうにもこうにも辛かった。
仕事は人に任せられないものも多く、立場的なこともあり部下の手前、がっつり働いていた。
頭の回転も悪いし、パフォーマンス落ちていたと思うが、何せ流産するかもしれないから妊娠も伝えられないため、頑張るしかなかった。
義父義母は近くに住んでいることもあり、夫経由で伝わってしまい、何度かお食事などもした。
自分の親は、少し離れていることもあり、育ちが不安定と言われている以上、言うに言えず。
流産の時は、母が子宮一部摘出手術になってると聞き、自分のことは言えず仕舞いになってしまった。
まだ伝えられていない。
いや、一応、ゆっくりとは育っていた。けれど、一般的な胎児成長曲線からは外れてしまっていた。
1W遅れくらいの大きさだ、と言われていたものが、14~15週にはそれ以上の開きが出てしまっていた。
普通だったら安定期に入るころ。一番楽しい時よと言われていたころ。
知らないことばかりだが、妊娠初期からこの辺までの成長ペースは、どんな人も大差ないらしい。大きさに差が出るのは、もっと何ヶ月も経ってから。
ネットで調べても、生理日や受精着床日が曖昧であることによる妊娠週数のずれ、というのがよくある話らしいが、こちらは不妊治療で病院に通っての妊娠なので、ずれはない。
病院では二箇所とも、原因不明と言われていた。胎児専門の病院では、万が一このまま育っても、低体重で生まれたり、障害を負うリスクが高いと言われた。
中絶も勧められた。産むとしても、NICUなど施設が整っているところでないとまずNGだとも言われた。
2人目、3人目だったら諦めたかもしれないけど、私には諦められず、悩む日々。
親から1本ずつもらって2本のペアになった遺伝子は、全部で22対に加えてXYの46本。
数が欠けても多くてもだめなこと。数が合っていても、どれか1本でも短かったり欠けていても駄目なこと。
例えばダウン症は21トリソミー、21番目の染色体が3本あることで起こる、一般的な障害だ。
私の胎児は結果として6番目の染色体が少しだけ欠けていたことが、死後の精密検査でわかった。
話を戻す。中絶する?しない?など悩みながらも、22週を越えれば出産している人も世の中にはいて、育っている人もいるという希望のもと、胎児がまだ生きたいと育つのなら、覚悟を持って産む選択をしたいとも考えていた。
しかし、育ちが悪いと言うことは、低体重児以前にそもそもまだ外では生きていけない大きさなわけで。
いずれにしてもリスクがあるので、紹介された病院に一時変えることになり、初診察の矢先。
こうなることも想定内ではあったんだけど。やっぱりショックで。わかりました、と言って涙を堪えるのがやっとだった。
夫はずっと仕事で忙しく、やっと同行してもらえたんだけど、動いている様子を一緒に見ることはなく終わった。(その前に録画した映像は見せたけど。)
超音波検査の後に、別の部屋で、今後について話があった。
頭ではわかっていて、話もちゃんと聞いているんだけど、目からは涙がぼろぼろ止まらなかった。
すぐに処置したほうがいいということだったんだけど、仕事があったり、先生の予定が合わなかったりで、入院は10日以上先になってしまった。
体がなぜか楽になった矢先だったので、やっぱりそういうことなんだ、と思った。
妊娠19週。5ヶ月が終わる頃。
初期の流産の時は、静脈麻酔で寝ている間に掻き出されて終わった。
1日の入院なので、日帰り。
鈍痛はあったけど、お腹も大きくなっていないし、なんてことなかった。
だから、分娩なの。
キラキラしたし新米ママのいる場所で、新生児の声が聞こえる場所で、自分は死と向き合う。
そんなところで、陣痛を起こして、産まないといけない。死んでるのに。
生まれてくるものでないものを生むように仕向けるわけだから、前段階の処理もきつい。
お金も、出産と一緒の金額がっつりかかる。もう生きてないのに…
初期流産と違って、この数ヶ月、育っていたことを実感していて、胎動と思われるようなものも感じていて、一人じゃない日々を過ごしていたから、本当にショックで。
理不尽に酷い仕打ちに、痛みも恐怖もすごいし、辛すぎて、前世で何か悪いことしたのかな?と思ったりもした。
<入院1日目>
朝から荷物持って入院先へ。当初は個室なんて贅沢言ってられないと思っていた。
聞くと、普通に出産する、し終えた、お母さん方と一緒だという。
赤ちゃんは別部屋だが、見ることもあるという。
個室は高すぎるので、せめて1日1万少々プラスの2人部屋を希望。
他の妊婦がいつ入るかはわからないが、幸い今日はいないと言う。
2人部屋へ案内され、奥のベッドで荷物を整え、1日目の処置へ。
子宮口を広げる処置。何か棒を何棒も入れられて。そのままにされるので、痛いったら。
体が拒絶しているんだろうか。
この時から基本的にずっと点滴。この日は栄養や水分を入れるため、その後は薬を入れるなど。手が穴と痣だらけに。
<入院2日目>
しかしこれが、意識が完全に落ちず、悪趣味な映画みたいな幻覚が見えて辛すぎた。
吐くのはおさまってきたけど痛みがずっとあって寝てるしかない。寝てても辛い。
翌日の処置も怖くて寝るに寝れない。
<入院3日目>
分娩台へ移動。なぜか色んな不安とか悲しみとか?で涙がボロボロ出てしまった。
猫のように丸まるように言われる。
背骨横に刺して麻酔を入れるんだけど、ヘルニアせいかうまく入らず、激痛。全身ビックン!!てなるくらいの痛み。
位置を変えてもらい、3~4回目でなんとか成功。仰向けになる。
陣痛の促進はどうやったか忘れたけど、麻酔が切れたあたりで周りに誰もいなくて、言うに言えず結局30分くらい陣痛くらってたのが辛かった。
ずーーーーーんという痛みの大きな波が、やってきては引いていきまた来る〜!というのを繰り返していた。
これが陣痛か、、、と思った。
やっと先生が見に来て、もうきてるね、となって、掻き出されると言うか引っ張り出されると言うか。
どろどろにゅるにゅるしたあったかいものが出て行き、どうやら出産したようだった。時間を記録される。
残りのものを掻き出す処理。これをきちんとしないと、後々いけないらしい。
その後、意識は戻ったものの体がまだちゃんと動かないため、ナースセンター裏あたりで寝かされることしばらく。
やっと昼すぎに、自分のベッドへ戻る。
あらかじめどうするか聞かれるんだけど、長く死んだままお腹に起きっぱなしだったし、そもそも未成熟な状態かつ人間の死体は、見てしまったらそれが呪いのように忘れられなくなりそうで、怖かった。
でも、ごめんね、って気持ちは今もあって、向き合えなかったことも、やっぱり辛い。
子供の名前は?火葬場はどこにるすか?火葬はいつにするか?遺体はいつ運ぶか?立ち会うか?骨壺はこれでいいか?一緒に入れたいものはないか?お骨は引き取らなくていいか?
などなど。
まだ出産直後でぐったりしていて、恐怖と痛みの感覚が残る茫然自失のところ、言われる。
名前なんてないよ!色々考えてたけどないよそんなの!入れるものだって、その子のためになんか用意したら思い出や思い入れ増えてもっと辛くなるじゃん!だから用意なんてできなかったよ!
そんな色んな気持ちがぐちゃぐちゃにあるんだけど冷静に言葉にできないから、涙がぼろぼろでて、たった一言ずつ、「ないです」とか、用件だけ答えるのがやっとだった。葬儀屋さんも別に悪気あってでもなく、人の良さそうなおじさんで、一緒に涙されてしまって、仕事だから必要なこと聞いてるのわかるんだけど、でもこの仕打ちは、死産後直後の女性には辛すぎる。
市町村への提出、代理で行ってもらうようにはしたんだけど、そもそもこれなんとかならないのだろうか。
若くて可愛らしい、女の子らしい妊婦が、夫に甘えながらやってきた。
夫は、夜八時の面会時間MAXまでいて、翌日も朝からきていた。
赤ちゃんの心音チェックや、夫へ甘えられる状況、すべてが羨ましく見えて辛かった。
<4日目、退院>
朝事務が動き出したら手続きしてすぐ出た。休み休み帰り、自宅で仕事など少々。
夫は仕事で忙しいこともあって、自分もそっちを優先すべきだと思い、死産のためにわざわざ来てもらうこともないと一人で頑張ったけど、これを見た男性は、女性が遠慮してもぜひ付き添ってあげてほしい。精神的にも、入院荷物運びで体力的にも、きつい。
帰路は、お腹の中が空っぽになり、心も何か穴が開いたような気持ちだった。
ただ、疲れやすくて夕方にはぐったりする日々はしばらく続いた。
何せホルモンバランスが一気に戻ろうとするため、なんか色々ぐったり。
骨盤や内臓の位置?もきっと戻ろうとしていたんだろう。なんかあちこち痛かった。
妊娠中運動もまともにできない辛さだったので筋力も体力もぐんと落ちてしまった。
一週間はほんとぐったりしていて、夜もすぐ寝て休みも寝ていた。
二週間目くらいから、アルコールも美味しいと思えるようになって、仕事外で人とも会えるくらいになっていった。
階段や坂も、徐々に登れるようになった。
しかし骨盤のあたりが痛い、というのはしばらく続いた。1ヶ月以上。
休み休み動いていたせいで驚くほど下がっていたヒップも、日常生活で2ヶ月後には大分戻ってきた。
<安置されたお寺へ>
1ヶ月半ほどして、お骨があるお寺に顔を出した。やや緊張しつつ。
本当は行かないつもりでいたけれど、それではあまりにも可哀想だと思って。
夫と一緒に足を運んだ小さなお寺では、本堂の仏さんの横らへんに、大切そうに小さな骨壺たちが沢山並んでいた。お人形やらぬいぐるみやらと一緒に。
それを見たら、涙が出た。手を合わせる。
家に引き取られなかったものたちを、大事に祀ってくれていたお寺に感謝の気持ちしかなかった。
天国でお友達ができてるといいな。ここでは1〜2年安置していただいたあと、供養となる。
結果が出るまで1ヶ月以上かかった。
結果、6番目の遺伝子がほんの少しだけ欠けていたそうだ。
身体形状の異常は全くなく、指先も鼻も、内臓も、体はきれいに作られていたのにな。
結局、今回の入院だけで全部で100万以上。入院費や葬儀屋代、無痛分娩や、染色体の遺伝子精密検査も含んで。
出産一時金で40万ほど戻ったけど、それでも痛い出費となった。それ以外に、事前に検査も色々したし事後も病院に数回通った。
これを書いてみたら色々思い出して涙が出た。普段もふと、思い出して一人涙が出るときもある。
何も残らなかったけど、経産婦になってしまい、心も体もめっちゃ痛めた。
友達の幸せそうな出産記録や子育て記録などを見かけると、ああ、あの子も同級生になるはずだったんだよなあ、と、思ったりする。
まずぜひ、みんな妊婦には優しくしてあげてほしい。
席を譲られたことはほぼなく、幸い座れた時に妊婦マークをつけておくことで高齢者の譲ってくれアピールには効果ありだった。
おばさんが譲ってくれたことが2回ある。流産しそうだったし、殆ど誰にも打ち明けられない状態だったから、妊婦として優しくされたことに、泣きそうになってしまった。
お腹大きく見えない頃こそ、心身共にしんどかったりする。男性が譲ってくれたことはない。
無事出産した人は、どんなに辛くても、そこまでいけなかった人もいることを知っておいてほしい。
本当に意味不明に辛くて、本人も理解できない状態だったりするから、一番近くにいる人が、一番大切にしてあげてほしい。
過剰なくらいで丁度いいし、どんな用事よりも優先してなるべく付き添ってあげてほしい。
最後に、お金めちゃちゃかかることや、精神的にも身体的にもダメージ大きいことが、誰にも知られず女性一人辛い思いして終わっている事実が、もう少し何とかなっていったらいいなと思う。
悩んでいる妊婦は、どう転んでも現実は一つだから、勇気持って受け入れて、前向きに生きてほしい。
体調悪いのしんどいと思うけど、頑張って。