もともと子どもは全然好きじゃなくて、人の子どもはいまだに苦手ではある(嫌いではない)。ただ、子どもを産める機能が自分に備わっていることもあり、いつかは出産を体験してみたいという気持ちはあった。
浅はかだからその後のことなんてあまり考えてなかった。とりあえずやってみたらできたので産んだ。そしたら産む前の想定以上にしんどかった。しんどくてネットで調べたらみんなしんどいって言ってた。産む前に調べなかったんで産めたのかもしれない。浅はかだなあ。
なのでみんなが言う「子育てはしんどい」、これはわかる。私くらいの浅はかな人たちが産んでからえーっ子育てってこんなにしんどかったのー!?と知るのである。
生後半年くらいまでは死なせてはいけないという気持ちだけで世話していた。死なせたら自分が罪悪感に苛まれることを危惧していたから、子どものためでは全然なかった。
これが逆転し始めたのは子どもの方が私を認識し始めたとき。母親を後追いするようになった。
かわいい…
これ…が…かわいい…?
もちろん自我が目覚めたということは新生児期以上に大変でもあった。しかしながらこの子どもから発するひたむきな情を一心に受け止めることができるのは私だけなのである。(そのときの夫とはいろいろあり別居していたその後離婚した)
そのうちだんだん可愛いがしんどいを上回るようになっていった。
子どものことは今、心の底から愛してる。子育てもめちゃくちゃに面白い。なんと奇跡的にその後別の人と知り合い結婚したんだけど(しかも子どものために姓をこちらに合わせてくれた菩薩みたいな人)これ以上の子どもは産むつもりはない。
浅はかなりに調べたら二人を育てることは富豪かスーパー母ちゃんでもない限り無理だと判断した。夫もそれでいいと言ってくれているのだ。菩薩!
私の場合は子どもからなつかれたので愛することができたとは思う。これがあまりなつかない習性の子だったら私だってどうなっていたかわからない。なんだかんだで運だと思う。他の人に出産は勧めない。
運だけじゃないと思いますよ。あなたはすごい。 これからも楽しく子育てできたらいいね('ω')ノ
独身の50回目の誕生日は運の性にしてもいいですか?
なんだっていいよ!50歳おめでたい!半世紀!
うんち