はてなキーワード: 性的嗜好とは
例のアレ系のネタ(淫夢、クッキー☆、syamu game、ハセカラ/恒心教)の問題点について、
簡潔に記載しているサイトが確認できなかったので書いてみました
こういうコンテンツが流行っているのにニコニコ動画やツイッターの運営が動かないというのはやばいと思う
※ここに書き込むのは初めてなので、内容が的外れだったら申し訳ありません
同性愛者向けのAVを素材として、ネタ動画やコラ画像を作成しているコンテンツ
ボイスドラマ/syamu氏の動画を素材として、ネタ動画やコラ画像を作成しているコンテンツ
炎上したコテハンと弁護士並びに関係人物に、嫌がらせを行っている集団の総称
「セックスを誘う時はこうするんだよ。性行為に至るまでにはちゃんと作法があるんだよ。もし、避妊に失敗したらピルを服用するんだよ。じゃあ、ルールを守って気持ちよくセックスしてね!」これのどこが推奨してないの?
>id:inherentvice ルールだけしっかり教えて「ルール厳守の上で気持ちよくセックスしてね」でいいじゃん。性機能の仕組み、性病リスク、性的指向、性交渉に至るまでの作法、避妊方法とかの知識は性的嗜好やプレイに依らず必要なわけで
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」とするべき、というのが自分の考え
って書いてるんだけど。引用を使わずに「じゃあ、ルールを守って気持ちよくセックスしてね!」なんて改変して推奨だと読めるようなニュアンスをわざわざ付与してるのはそっちだよね?
進む話も進まなくなるからやめて欲しいんだけど
それじゃあ話戻すけど
教育する相手はまだ責任の取れない子供である、という見方には概ね同意するけど、現在の社会体型(およそ大体の人間は18歳まで学校組織のもとで働かず学業に専念するという状態)によらず、基本的に中学・高校(14-18歳)の過程でほぼすべての男女が自身の性的機能や性的欲求・性交渉への興味が芽生え、実際に受精が可能になるまで身体が成熟するわけで、肉体的には性交渉に関わる知識は既に知っておかなければいけない段階にあるよね
それなら現状のように「判断力もおぼつかない」と言って性的意識の芽生えや性的知識の習得を過剰に忌避するより、むしろそれらについての自覚を促す(受精が可能なまでに身体が成熟していると同時に、今の自分の環境下では性交渉で受精に至ったとしても子供を産むのは容易ではない、という危うい状態にあると知らせる)のが妥当では?
性に関する知識を学校の教育課程に盛り込むことの難しさは理解するけど、だから現状の教育課程に甘んじることを許していい、という話にはならないでしょ
id:inherentviceだけどなんか突っ込まれてるから返信しておく
>id:inherentvice ルールだけしっかり教えて「ルール厳守の上で気持ちよくセックスしてね」でいいじゃん。性機能の仕組み、性病リスク、性的指向、性交渉に至るまでの作法、避妊方法とかの知識は性的嗜好やプレイに依らず必要なわけで
セックスを教育の中で推奨するってそれ本気なの?wあまり海外でも教育でセックスを推奨してるって聞いた事ないんだけど。性教育ってあくまで薬物で言う所のハームリダクションにみたいに行われるのが良いんだと思ってる。性行為に関わる様々なリスクを回避しようと思ったらしないのが一番なんだけど、なくすことができないから対策を教えるみたいな。そういうスタンス以外ありえないでしょ。
いや、別にセックスを推奨したつもりはないし、だからこそ「“ルールだけ”しっかり教えて」と書いたんだけど
元増田とかトラバの「ハームリダクション~」とか「リスクを回避しようと思ったら~」とかやたらセックスを危険視・特殊視してる節があるけど、それ以前にセックス自体は生物としてごく当たり前の行為で、そういう行為がひろく行われている事実自体は別に何の問題もないよね。なんでそんなリスクの部分だけを強調するのかがよくわからない
「セックスという行為の存在自体は肯定的に捉えつつ、それはそれとしてセックスする前に必要不可欠な知識はしっかり頭に入れてからやってね」とするべき、というのが自分の考え
性教育ってあくまで薬物で言う所のハームリダクションにみたいに行われるのが良いんだと思ってる。性行為に関わる様々なリスクを回避しようと思ったらしないのが一番なんだけど、なくすことができないから対策を教えるみたいな。そういうスタンス以外ありえないでしょ。
その思想はたぶん明治期か戦後か知らないけど西欧で劣勢になって日本に逃げ延びてきたプロテスタント系潔癖主義で、真理とかではなく舶来品崇拝と精力的な布教で進んだ観念のように思い込まれているだけの、認知的不協和から快感を引き出す一種の性的嗜好だと思う。
生殖を最低限必要な限度に抑えた形が生物として優れているというのはおかしいでしょ。繁殖をしろよ。旧約聖書だって「生めよ,増えよ,地に満ちよ,地を従わせよ」って書いてあるだろ。DQNのように増えろよ。そして確実に増やす算段をしろよ。
なんかブコメいっぱい来てた。ありがたいね。けど意味わからんものばかりでびっくりしたんだがw
実践的な性教育って教育の範疇超えちゃうよね。じゃあ、結局性教育ってどうすればいいんよって趣旨だったんだけど伝わってなかったらしい
id:ikanosuke 苦痛や病気や望まぬ妊娠を回避するためのものであり、快楽の教育ではないので。/爪切っとけ位は教えた方がいいと思う。/補足)快楽なのは自明だが、本来の機能は生殖。教育が担うべきはどの範疇かという問題よ。
快楽の為に性行為してるから色々問題になってるわけで、そこを前提にしないで教育するって意味わからんのだがwそれに性病ならんように望まぬ妊娠の為にコンドーム使いましょうなんてもうとっくにやってることじゃん。言ってる内容が完全に現状の性教育の肯定でしかないんだがなんでこんなのがスター集めてるの?
id:inherentvice ルールだけしっかり教えて「ルール厳守の上で気持ちよくセックスしてね」でいいじゃん。性機能の仕組み、性病リスク、性的指向、性交渉に至るまでの作法、避妊方法とかの知識は性的嗜好やプレイに依らず必要なわけで
セックスを教育の中で推奨するってそれ本気なの?wあまり海外でも教育でセックスを推奨してるって聞いた事ないんだけど。性教育ってあくまで薬物で言う所のハームリダクションにみたいに行われるのが良いんだと思ってる。性行為に関わる様々なリスクを回避しようと思ったらしないのが一番なんだけど、なくすことができないから対策を教えるみたいな。そういうスタンス以外ありえないでしょ。
id:asterpleo パラドックス言いたいだけだろ。セックスの方法よりも相手との体の違いを知ること、同意を得なければ強姦になること、避妊や失敗したときの処置、断り方、異性だけが愛の対象じゃないことを最低限教えてほしいだけ。
じゃあ、矛盾でいこうw相手との体の違いって保健体育でやってるし、 LGBTは確か教科書に盛り込むってニュース見たわ。勉強不足の著しい人が教育の必要性を訴えてる変な感じ。断り方についてはノーを突きつける以外ない。相手との関係を悪くしないでということも含むならそれは個人コミュ力にかかってるくる。同意に関して教えるのは完全に賛成なんだが、正直無限にプロセスがある同意をどう体系化して教えるのかというのを俺は知りたいね。今のところコミュ力の高いやりとりから察しろみたいな記事しか見た事がない。バカにもわかるようにしなきゃいかんのにそんなんダメだろ。ちなみにはてな民は、同意のプロセスをどう教えるつもりなの?
id:skgctom 何をやっちゃいけないかは教育で学ばせるべきだが、何をやればいいかは相手次第なんだから性交相手と学べよ。避妊手段ないから69ねってお前の性癖であって万人に通ずる正答じゃねえだろうが
やっちゃいけないことをやるから教育が必要なんじゃないの?wやっちゃいけないことを教えてそれをやらなくなるならそりゃ結構じゃないwけどそんなおとぎ話してないんだなこれが。あと、69の件は海外ドラマの性教育問題で出てくるシーンなんよ。ごめんな。
まだまだ、たくさん突っ込みたいブコメあるんだけど、とりあえずはこのくらいかな。暇なときに追加していきますわ。ちなみに、結局どういう性教育がいいんよ?そこが知りたいんだが文句ばっかで、具体的にこれだって意見が全然ないんだがどういうこと?それを教えてくれよ。
スポーツジムに通っている。運動後に風呂に入る。だいたいどこのジムも同じようなもんだと思うが小規模なスーパー銭湯のように風呂には炭酸なんとか風呂だとかジェットなんとかバスだとか複数の浴槽がある。
広告記事の話題で有名な銭湯神ヨッピーの記事でサウナと水風呂の往復はすばらしいと書いてたのでそれに倣ってサウナと水風呂を往復する事も多い。
サウナに入るといつも見る人がいる。小太りで太く黒々とした角刈りのアラサー男。目はパッチリとはしておらずいかにも熊さんタイプ。パッと見の容貌は柔道部的でもあるがそんなに体育会チックな体つきではない。
熊さんはサウナと水風呂だけを往復する。自分が風呂エリアに入る前から往復していて自分が風呂エリアを出てもまだ往復を続けている。
「ゲイっぽい人がいるな。」程度には思ってた。熊さんはジムエリアで見かける事はない。風呂だけに入りに来てるのかもしれない。まあそういう人もいるだろう。自分が見てないだけで運動もしてるのかも知れないし。と考えていた。
しかし何カ月経っても熊さんはサウナと水風呂にしかいない。ガラガラのサウナに自分が一人で座っていた時は妙に近くに陣取りに来た時はなんか異様で少し距離を離して座り直した。サウナに出入りする人をその細い目でバレないようにチェックしてるようにも思える。
ゲイなのかも知れないと思った。
ゲイの人は男性に性的な興味を持つのだろ?特定のパートナー相手やゲイの社交場において彼らの性的嗜好を発揮するのは一切構わない。結婚だってすればいい。
しかし公共の風呂でその欲望を抑えられないならばなんらかの規制は必要だろう。混浴風呂は特殊な場なのでタオルや水着の着用を許されるし、露天温泉などの雰囲気を味わう事が目的だがジムの風呂は運動後の汗を流し疲れを癒す場だ。異性や自分を性的な目で見る人間がいることが想定される場ではない。
「ゲイの疑いのある方の入浴を禁ずる」とは言えないのはわかる。ゲイであっても露骨な行動を取らない人は別に害もないので仮にチラッと、内心では性的な目で見てたとしてもそのくらいなら許容する。
しかしあからさまに(浴槽内と違いお湯が無い分オトコのカラダが見やすいという考えで?)サウナに居座り他人をジロジロ見るゲイを野放しにするのは政治的にも正しいのだろうか。
熊さんはじつはゲイではないかも知れないが彼に限らず同じ問題は起きうる。
「同性愛者風呂」を作る?そこに入る男(もしくは女)達はお互いが性の対象という事になるがいわゆるハッテン場にならない?ゲイ証明書でも発行して、ゲイは異性サイドの風呂に入れる?
ゲイの人がジムや銭湯に通う権利を含めて、全てを認めるべきとした上でノンケが被害者にならない方法は何かあるのだろうか?自分の考えとしてはゲイが風呂にいたとしても気にしないからあからさまな行動を取らないで欲しいということなのだが統一的なゲイ団体があるわけではないし、ノンケの男にも痴漢なりレイプなりをして男性側の信用を毀損するヤツがいるぐらいなので良識に任せる系の対策は無意味なのだろうなとも思う。どうすりゃいいんだろうね。
いったいどこの世界の「リベラル」が、君個人の「性的嗜好」に対して「それは差別だ」と名指しで批判したのか。
君が個人的に楽しんでいる「公に表現されたコンテンツ」への批判を、君が勝手に個人攻撃と受け取って騒いでいるだけではないのか?
「人がリアルでやっている恋愛・セックスとは違って、表現物が批判の対象になるのは分かる」と君は言ってはいるが、その実
「人(エマ)が公にしているわけでもないプライベートを暴き立ててお前の思想がどうだと槍玉に挙げ」、そして
「公に表現されたコンテンツへの批判を『俺個人への差別』と憤る」ような君の行いを見れば、
「俺の個人的なことは個人的なこと。お前の個人的なことは政治的なこと」をやっているのはまさしく君の方だ。
「世間様から迫害される弱者としてのオタク像」に閉じこもって、「差別だ!」というポリコレ棒を振り回し、
気に入らない他者(別の弱者)を不当に殴りつけながら自分は安全圏にいる、そういう醜い行いをしているのはまさしく君自身だ。
はっきり言うが、誰よりも君を差別しているのは君自身だ。誰も君という個人のことを差別などしていない。それは君が勝手にそう思い込んでいるだけだ。
たとえ誰から個人的な侮辱や軽蔑を受けたとしても、君自身が自分を信じているならば、堂々とそれを受け止めればよい。卑屈にならず主張すればよい。
「オタク」などという大きすぎる一人称で語らず、「俺は」と語ればよい。君が世間から身を守るために被るその「殻」は、君を閉じ込めている檻である。
https://anond.hatelabo.jp/20170731152739
リベラルが言っていることを要約すると、「俺の個人的なことは個人的なこと。お前の個人的なことは政治的なこと」っていう話になる。
他人を批判するときには「個人的なことは政治的なこと」と叫びながら土足で踏み込んでくるのに、いざ自分が攻められる側になったら、「プライバシーの侵害だ」と騒ぎ立てるのがホントに糞すぎる。
エマ・ワトソンの個人的な恋愛について文句をつけるのが不当な言いがかりならば、リベラルはこれまでオタクに文句をつけてきたのを謝れよwww
エマ・ワトソンがどんな男に欲情しているとしても、それは彼女がプライベートでやっていることだし、差別じゃないって?
ふーん、そうなんだ。
だったらオタクも現実の女性に向かって、「お前たちはこの漫画のキャラクターみたいに男に媚びろ」とか、「レイプされたら喜べよ」なんてことを主張しているわけではない。それなのに差別だのなんだのと言われて文句をつけられるのは心外だ。
オタクがプライベートで楽しんでいるものに差別だのなんのとイチャモンをつけるのは、エマ・ワトソンのプライベートな恋愛について批判することと同じである。
ぶっちゃけ、リベラルやフェミが「オタクの性的嗜好は差別だ」という指摘をしてくるだけでも不愉快なんだが、それに加えてオタク側に改善・反省を求めるって、もう完全にセクハラじゃん。
まあ、人がリアルでやっている恋愛・セックスとは違って、表現物が批判の対象になるのは分かるんだけどね。それでも表現物の作成者・消費者に人格攻撃するのはセクハラになりうるし、もうすこし慎重になってくれよとは思う。
リベラルに言わせれば、エマ・ワトソンは自分の性的嗜好を恥じる必要はなく、堂々としていればよい。
それならばオタクが「男に媚びるような萌えキャラ」を愛好しているとしても、オタクはこの性的嗜好を恥じたり隠したりする必要はないのではないか?
もちろん、その結果として「男に媚びるような萌えキャラ」が公共機関とコラボするのだとしたら、それはまた別の問題となる。
だが、オタクにはエマ・ワトソンと同じ程度には自分の性的嗜好を開陳してみせて、そのうえで堂々と開き直ってみせる権利があるということになるのではないか。ポリコレもこの基準にもとづいて再考されねばならない。
理由は二つある。
ホモはステルスして男子更衣室や男子サウナに入ってくる。キモイ。なんで逮捕されないんだ?
こういうと、ステルスホモは「お前の裸なんぞ興味ない」という。だが、ストレートの男が女子更衣室に入って「お前らブスの裸なんぞ興味ない」といって許されるか?
第三の性用のトイレや更衣室を用意すればいいという奴がいるが、そういう問題じゃない。ステルスホモは男子更衣室も第三の性用の更衣室も、どっちも自由に利用ができる。キモイ。
ちんこがついてる奴が女子更衣室に入ったら逮捕。これくらい厳しく線引きされてる基準がステルスホモには適用されない。システムハックだ。キモイ。
アッピールホモは自分のちんこ話を他人に無理やり聞かせてくる。キモイ。アッピールホモは、自分がなにを見るとちんこが勃つかを聞かせようとする。ほんとキモイ。
隣の席のおっさんが「私は二次嫁でしかちんこ勃たないです。いまの嫁はばりさんです。三次の女性には勃たないから、無害ですので安心してください」とかアッピールしてきたら? うわっキッモッ。
こういうとアッピールホモは「ホモは生まれつきの性的指向。二次嫁とかの性的嗜好とは違う」という。そういう問題じゃない。おっさんのちんこ話を聞かされて、政治的に正しく賛成して配慮しないといけない状況がキモイ。
おっさんのちんこ話に配慮して職場の机がひゅうばりだらけでも我慢して、床に落ちてる瑞雲をばりさんに載せたら「それは政治的に正しくありません。もっと配慮してください」とかいわれる。キモイ。
もう一度書くが、指向か嗜好かの話じゃない。アッピールホモのちんこ話を聞かされて、アッピールホモのちんこ状況を勉強して、アッピールホモのちんこ具合に応じた行動をしないといけないことがキモイ。
まとめ。
キモくて金のない40代おっさんです。現在立っているフラグは以下の通り
NHKに名指しで「死ね」と言われたとき(一応『AIが言った』体になってますが)、ふと浮かんだのはルワンダ虐殺の際にラジオから流れた「ゴキブリを殺せ」というプロパガンダのことでした。
あの番組を見た後で、私こそがゴキブリだったんだとはっきりと自覚させられ、これ以上日本の社会と接点を持つのは互いに不利益しか生まないのではないかという思いを一層強くしました。
一方で、だからこそ今の自分にできることを少しずつ広げていって、社会との接点を持ち続けるべきという正論も捨てたくはありません。
最近、アルコールに手を出して身持ちが崩れ始めました。ナマポ受給で酒のんでアル中直行とか最低すぎる。これだからゴキブリなんだ俺は。苦しい。逃げたい。
苦しんで死にたい。それを見世物にされ、尊厳を踏み躙られて消費されたい。多分日本が望んでいるのはそういうことだろうと思う。それが、自分ができる唯一の“真っ当”な生き方だと思う。
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トラバありがと。
というわけでこないだ1.5章アガルタの女をクリア。感想やら考察やらを見てました。
するとフェミニスト界隈がわりとザワザワしてる。
なんでかなー?と思っていろいろ読んでみたら
「あの結論は男根主義的。結局、『女は男が愛してやらなきゃな!』ってことでしょ?」
との意見がおおかった。
言いたくなる彼女らの気持ちもわからないではないけど、フェミ女の私から見て、アガルタの女は「男女の問題」にかなり深く切り込んでいる点で良作だと思ってるので、
ライターさんすごくがんばったなぁという思いをこめて、見解をちょっと書いてみようと思う。
※以下ネタバレ有り
◼︎アガルタの女のテーマは、「これから男性はフェミニズムや女性とどう向き合っていくべきなのか?」
この設定をどうとらえるかによって、アガルタの見方はかなりかわってくると思う。
男女平等の考えが広まってきている今の世の中、女性はかなり自由に活動できるようになっている。(社会参画とかの面においてはまだまだだし、他国になるとさらに権利は少ないけど)
一方、女性の自由な発言が増えたことによって肩身がせまいと感じる男性は少なからずいるよなー、と自分は思っている。
「女は男に従え!」的発想の人の動きが抑えられるのはいいけれど、そうではない男性まで窮屈な思いをしているんじゃないかな、と。
特にFGOプレイヤーである10〜30代の男性たちは、家庭内などで「女のほうが強い場面」を生まれた時から見ているし、大半は生まれた時から「女性は大事にしようね」とも教わってもいるので
「女性は男性に搾取されている!」とか言われてもなかなかピンとこなさそう。
フェミニズムを前にした時、「女性より男性のほうが肉体的にも社会的に有利とか言ってるけど、だからってそう男叩きしなくても……」と戸惑いを覚える人のほうが多いのではないだろうか。
結果、「フェミニストって自分たちの権利ばかり主張する自分勝手な女集団」と思ってる人も少なくない気がする。(本当はそうじゃないんだけどね)
そんな考えを念頭においてアガルタの世界を見ると、なるほどと思えるところがどんどん増える。
主人公一行は女の治める三つの国を巡ることになる。この国々を簡単にまとめると
お察しのように、これは「歴史上で、男が女にしてきたこと」だ。
さらに一歩踏み込むと、「これから、女が男にしていくだろうこと」でもある。
最近じゃ女性から男性へのセクハラもあるし、ホストやチンパブなどで性的に男性消費もできる。
一方で「男性性欲は存在が害悪そのもの!」と声高に叫ぶ人もいる。
この三つの国は、男性にも女性にも警告をしているように見える。
「異なる性を追い詰めていないか?」と。
今回「追い詰められた者であり、追い詰めている者」が不夜城のキャスター・シェヘラザードだ。
かつて男(であり服従を求める王)から攻撃され、それによる死を恐れるあまり、必要以上に男を攻撃している。
◼︎フェルグス→無垢な少年が、「被害者であり加害者でもある」女性をどう受け止めていくのか
アガルタでキーマンとなるのは、本編で男性性欲の塊のように扱われているフェルグスだ。
フェミニストからしてみれば、女性を性的嗜好品としてみているような彼が好かれることは少ない。(私は大好き!!!)
今回あらわれた幼いころの物腰柔らかなフェルグスは、自ら剣を手にするような「強い女性」に対してどう出ればいいのかよくわからないでいる。
この少年フェルグスは、いわゆる「フェミニズムをかさに着て攻撃的な態度をとる女性を扱いかねる男性」そのものだ。
彼は旅の中で二つの疑問にであう。
・王として、民を幸せにする国を作るにはどうすればいいのか?
・個人として、死を恐れるシェヘラザードの苦しみを癒すにはどうすればいいのか?
これに対する結論の詳細はプレイした人はもう読んでいると思うので省くとして、
コロンブスのように女どころか男までもモノあつかいするのではなく、かといって一方的暴力に対する従順な奴隷となるのでもなく、ただ目の前の人間と向き合うことが必要だとフェルグスは学び、死ばかりを見つめるシェヘラザードを救うことに成功する。
加えて「異性によって傷を負った人を男性性(女性性)が導き、対等に向き合うことを可能とする」ことも伝えてます。
簡単に言えば、「キモい死ね」と異性に言われ呪われたら、やっぱり異性に「そんなことない」と言われることこそ呪いの解除にもなるってことかな。
「性的」であることは決して悪いことじゃなくて、なにより性の差異があるからこそ産まれるものがあるという結論が、すごく心地よかったなあ。
(「男女がいれば子供が産まれる!」とフェルグスは言ったけれど、あれは何も子供に限ったことではなくて、「異なるものが交わる時今までなかったものが産まれる」って意味だとも思うのです。)
最後、彼の武器カラドボルグが大地を割って人々は救われるわけだけれど、カラドボルグは漢字で書くと『虹霓剣』つまり虹の剣。
LGBTを指すレインボーとかけていると考えると、「男女にかぎらず全ての性が力を合わせることで全ての命が救われる」というメッセージにも読み取れて、なかなか深い話になっている!
似た展開が繰り返されたりとか、男女どちらでもある主人公の動かしかたとか、気になる点もあったけれど、「全ての人間が性別に関係なくその歴史と差異を認めて前に進もう」という願いがこもったとてもいい物語だなーとフェミ的に思いました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sexual_orientation
性的嗜好という用語は、性的指向と主に重複しているが、一般的に心理学的研究では区別される。 例えば、バイセクシュアルであると識別した人は、性的に他のセックスよりも性交渉を好むかもしれない。性的嗜好は、ある程度の自発的選択を示唆するかもしれないが、 科学的コンセンサスは性的指向が選択ではないということである。
性的嗜好という用語は性的指向と同様の意味を持ち、2つの用語はしばしば同じ意味で使われますが、 性的嗜好はある程度の自発的選択を示唆しています。
マイノリティ中のマイノリティの性的嗜好を持っている私は、現実では決して成就することのできない(成就すれば私は牢屋にはいることになる)その欲望を、同人誌の中で表現して昇華している。
現実では決して解消できない切ない性欲をもつ、異榻同夢を見る文字どおりの「同人」に向けて表現を届けているわけだ。
戦前から、少年愛者や嗜虐・被虐嗜好者、窃視症、露出症など、メジャーなマイノリティ(?)の嗜好者たちは、同じく同人活動で薄暗いマグマのような欲望を地下で共有し、慰みにしていた。
インターネットでは、10万人にひとりだけにしか胎生しないようなストレンジな欲望でも、同好者を見つけることかできる。
作品の感想をもらえれば無上に嬉しいし、フィクションの中でしか味わえない心臓が溶けるような興奮を同人たちと共有する喜びは、ほかに代え難いものだ。
例の同人作家に警察が「申し入れ」た件には、率直に危機感を覚えたし、苛立ちもしたのだが、考えを巡らせているうちに、私自身の同人活動についても深く省みることになった。
私にとっての現時点での考えを書こうと思う。
さて、私はツイッターを使っているが、私のタイムラインでは、「現実と虚構の区別がついていない人間」をよく見かけるし、これは犯罪だろうと思えるようなツイートも、見かける。それもかなりの頻度で。
おそらく、ロリコンのインナーサークルでは、児童ポルノが想像以上にカジュアルに流通しているだろうし、露出症者たちの間では「いい季節になってきたから全裸散歩してきた!」みたいな投稿が日常的にされているだろう。窃視症者たちのタイムラインには盗撮の動画がひっきりなしに流れているだろう。
私は、簡単に犯罪の壁を越えてしまう人間がたくさんいることを知っている。知っているが見て見ぬふりをしていた。
幸い、「増田さんの同人誌で頭真っ白になるくらい興奮して、ちょっと〇〇してきちゃいました」なんて馬鹿者はいままで一人もいなかったが、完全に読者を信頼できるかと言われると、それは難しい。
模倣犯を生んだとしてもその表現をするのかと問われても、そこまでの覚悟や信念が自分にあるのか、悩んだ。
悩んだ結果、注意書きを厳しく書くというのは、作者が誠実にとりうる責任のひとつではないかと、私は結論した。
と、これからははっきりと書こうと。
飲酒運転が描かれる作品の巻末に、薬物が描かれる作品の巻末に、一言注意書きを添えるのは、ただ単に作者を免責するだけでなく、小さくても啓発的な効果を持ちうるのではないか。
合理的な範囲で作者は社会に責任を果たさなければならないと思った。
乱交を描くときには、性感染症の知識を、痴漢を描くときには、性犯罪がどれほど被害者の尊厳を傷つけるかを、書くべきだろうと、私は思った。
創作表現が与える影響の責を法的には作者が免れることはもちろん大原則ではあるが、
そのことに胡座をかいてしまうのも、あまりに無責任だと私は考えた。
(トラックバックへ。私の嗜好は加虐的なものではない。むしろ分類するとすれば被虐的な嗜好だ。私の読者が事件を起こすとすれば、比較的には軽い性犯罪ということになると思うが、それでも、だからこそ、事件を起こす危険性はあると考えている)
個人的には表現規制には反対だし、漫画を手本にしたとかいう話も「もしかして表現規制のための世論造りの布石?」くらいの陰謀論を持ってたりする。
ただこの先の議論の発展に期待することとして、「LGBTQのような性的嗜好者の権利を主張するなら小児愛者や近親相姦も認めろ」とかいうトンデモ野郎へのカウンターとなることがある。
万人受けしない価値観として強烈な不愉快感を与えることとしてしばしばLGBTQとロリエロペドが並列されることがあるけど、この創作における表現で見ればわかるように社会的な悪影響の程度が天と地ほども違うだろうがと言いたい。
「LGBTQ漫画を読んで自分の性嗜好に気づいて実行しようと思った」と