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はてなキーワード: 平安時代とは

2014-07-19

人口グラフをググって見た

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1150.html

江戸時代でも前期と後期で違うみたいだ。

江戸時代が続いていたら下がっていたのだろうか。

というか平安時代って600万人しかいなかったの?!

色々思うところあるなー、こういうのを見てると。

http://anond.hatelabo.jp/20140719014328

昔々平安時代、偉い人たちは箱の中に(・∀・)ノ●ウンコー してた時代に、身分違いでとても結婚できない女性に対する未練を断ち切るために、その女性の(・∀・)ノ●ウンコー した箱を盗んで、(・∀・)ノ●ウンコー 見て幻滅しようとする行為流行ったそうな。

すると女性側は悪戯っ気出して「あいつそろそろ盗みに来るな」と思ったあたりで、箱の中にお香練った物を入れておいて、盗ませたりしたそうな。

ひょっとすると中には饅頭入れてくれた人いたかもな。マシュマロはなかっただろうが。

2014-07-18

外では雨が降っており、かつ雨は降っていないので、源義経母親ナポレオンである

ワトスン、これを読んでみろよ」

「なんだいこれは、手紙か?」

外では雨が降っており、かつ雨は降っていないので、源義経母親ナポレオンである

「どういう意味だと思う、ワトスン

「ただのいたずらじゃないのか」

「少し考えてみようじゃないか。まず雨のくだりについてだ。外で雨が降っていることと、雨が降っていないことは、はたして両立するだろうか?」

「雨が降ることと降らないことが同時に起こるなんてありえないだろう、ホームズ。これはあえて矛盾した文章にしているんじゃないのか」

「いいや違うぞ、ワトスン。雨は全世界で降るわけじゃない。ロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない」

「そうか。確かにそのとおりだ。雨が降っているのと、雨が降っていないのは、両立しうるわけだな。でもそれは何を示しているんだ」

「いまはまだ分からない。焦らず次に行こうじゃないか。ワトスン、君はミスター義経を知っているかい?」

「いや、知らない」

「そうだろうな、源義経日本の歴史的な英雄名前だ。百科事典を取ってくれ。…ありがとう源義経については…こう書いてある。源義経は1159年に生まれ、1189年に没した。日本平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、源一族将軍である天才的な戦術家で、時の支配者を倒したが、悲劇的な最期を遂げ、そのおかげで日本では今でも非常に人気がある。…義経はさしずめジャパニーズナポレオンというわけだ。よしよし、繋がってきたぞ」

「だがホームズ地域時代性別という、三つの理由によって、源義経母親ナポレオンということはありえない」

「もちろんそのとおりだが…おや、これはどういうことだ」

「どうした?」

源義経とチンギス・ハンが同一人物だという説があるらしい」

モンゴル帝国のか?」

「そうだ。チンギス・ハンが生まれたのは1162年頃と言われているから、少なくとも時代は一致している」

あくま珍説奇説の類じゃないのか」

ワトスン、こう考えてみたらどうだろう、源義経はチンギス・ハンの事績日本に伝わったあと、遡って生み出された存在なんだ」

まさかホームズ、君は源義経という人物が存在しなかったと言いたいのか」

あくまで仮説だ。だが、この源義経という人物の生い立ちは、あまりはっきりしないらしい。架空の人物である可能性は高いと思う。他国の人物を自国の人物として歴史に取り込むことはよくあるんだ。マケドニアアレキサンダー大王ペルシャイスカンダル双角王になったりね」

「ふむ、わかった。じゃあ源義経がチンギス・ハン伝説から生み出された架空の人物だと仮定しよう、するとどうなるんだ?」

「つまりチンギス・ハンも実在しない」

「おいおい、ホームズ、わけがからないぞ」

義経とチンギス・ハンの関係と同じだと考えるんだ。チンギス・ハンはナポレオン伝説から生み出された架空の人物なんだよ」

「そんな馬鹿な! チンギス・ハンは実在するよ!」

「君がその目で見たわけじゃないだろう。チンギス・ハンも謎の多い人物だ。当時、モンゴル軍を率いた王は確かに存在しただろう。だが歴史に書き記され、後世に記憶されている、我々が抱くチンギス・ハンというイメージは、実在のチンギス・ハンとは異なるんだ。同じく天才的な将軍であり、ヨーロッパ全土に脅威をもたらし、広大な帝国を作り上げたナポレオンと混同されて、チンギス・ハンという新たなキャラクターとして生み出された。そのような可能性は否定しがたいだろう」

「いや、ありえない、それは受け入れられないよ、ホームズ

ワトスン、さっき君は、源義経がチンギス・ハンから生まれた架空の人物であることを、あんなにあっさりと認めたじゃないか。だったら同じ理由でこちらの説も認めるべきじゃないか」

「…わかった、わかったよ。ナポレオンからチンギス・ハンが生まれたかもしれないことは認めよう。だがそれでも、ナポレオン女性じゃない、母親にはなれないぞ!」

ナポレオン女性じゃないだなんて誰が言ったんだ?」

「なんだって! ホームズ、君は正気!?

ナポレオン男性女性かを確かめ人間はいないよ。もしかしたら男装した女性だったかもしれない。ナポレオンを描いた肖像画はどれも髭が生えておらず色白で艶かしい」

「いや、でも、信じられないよ」

「もちろん信じる必要はない。ワトスンロンドンで雨が降っていても、パリでは降っていないかもしれない。我々はナポレオンが男であり、チンギス・ハンと源義経は別人だと信じているけれど、別の視点から見れば、ナポレオンは女で、彼女からチンギス・ハン、そして源義経が生まれてきたのかもしれない。この手紙の送り主はそういうことを言いたいんじゃないかな」

「いろいろな見方があるということかな」

「そうだ、別の視点から見れば、私たちも二人とも男になってしまうかもしれない。いまとは逆に二人で探偵をやっているなんて想像はどうだろう」

「…ホームズ、私はもうすっかり疲れてしまったよ。頭の中がぐちゃぐちゃだ」

「おや、もう寝てしまうのかい、私の可愛いワトスン

「ああ、おやすみホームズ、愛してるよ」

2014-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20140510003704

ブクマで書き切れないのでちょろっと書く。眠くなったら途中ででも問答無用で寝る予定。

>険悪な関係を広げる中国ではあるけれど、かつては「中華」にふさわしく、東アジアのみならず、東南アジア西アジア方面制度文化を発信していた。

これは文化に優劣があるという誤解。実際には文化的に優れていたから広まったのではなく、単に国力で卓越していたから、その文化にも「力」があったように見えた、ということ。

その上で冊封体制に参加すれば強烈なボーナス付きの貿易で莫大な経済的メリットまで約束されていた、という時期があった。

もちろん、中華帝国側にしたら、遙か彼方の蛮人たちまで皇帝威徳を慕ってやってくるんだ、とドヤ顔で言うために出費を負担していた、ということでもある。

実際には日本の諸制度聖徳太子ぐらいのタイミングで既に何か中国とは違う物になっているし、さくっと遣唐使を廃止してしまえたことから分かるように、中国からの影響は小さい。

遠すぎて経済的メリットが薄かったのと、なんだかんだで日本が案外豊かだった、というのが大きい。

伝統の「漢の文化」は、いかなる異民族に侵入されようとも、異民族文化を「漢化」した。

これも誤解。実際には三皇五帝伝説の中身からして、すでに異民族文化が混ざってきている。以後の中国史を見てても、外国から持ち込まれた要素と引き継がれている要素が常に混合し続け、常時アップデートされ続けている。

どっかで

中華文明が連綿と続いているというのも、異民族文化の影響を受けすぎて原型など残っていないと言っても、どちらも正解でしょう」

と書いた通り。

ただ、現代中国人孔子とかの時代漢文を読めない(補助記号足したら日本高校生でも何とか読めるようになるものが読めないってどういうことだってばよって感じだが)。その意味では一貫した中華文化が続いているというのは嘘ではある。

外来王朝漢化したように見える現象は、単に中国大陸主要部を支配するためのツールとして漢字儒教科挙制度が便利だったというのが大きい。文化的な魅力が大きいからそれによって「改宗」していたと思うと足元を掬われる。

まり

>優れた制度を持ち、華やかな文化を持ち、数千年に渡り威光を放っていた大陸国家は確かに存在していた。

というのは実は誤解に基づく幻想。問題はその幻想を大変多くの人たちが信じていた/いること。


共産主義の下、さまざまな伝統破壊され、今では巨大なマーケットか、トラブルメーカーとしてしか認識されていない。

文化大革命の時期とかは何かを破壊するのが流行ったことはあったけど、現在共産党政権(と先代の国民党政権)が歴代王朝と何が違うかと言われると回答に窮する。

あえて言えば科挙がないことと、皇帝位の継承血統でなく有徳者の禅譲によっていることぐらい。

共産主義に何か意味があるように誤解しているが、実際には何の意味もない。あえて言えば五斗米道とか白蓮教のような、たまに中国史に影響を与える宗教の一種、程度に過ぎない。

律令制度や、孫子兵法近代まで日本制度を構築し、

日本版律令制自体最初から中国のとは結構違うし、律令国家は早めに見れば平安時代、どう遅く見ても武家政権によって無効化されている。

孫子読んだら分かるけど、軍制の本じゃないので、影響がどの程度あったと言われると「あんまりない」としか言えない。

要するに中国文化が優れていた、制度が優れていた、周辺の大きな影響を与えていた、というのは誤解の要素が大きい。

地続きでもっとも影響を受けていたはずの朝鮮半島ですら15世紀にはハングル作ってるわけで、推して知るべしである

>昔は輸送手段が乏しく、中国のあるところにいた人を実際に見る事ができなかったからこそ、書物で伝えられる聖人君主が素晴らしく彩られていたのかもしれない。

がすべて、ということ。

この後の清の歴史解釈もいろいろ難がある。

日本が清にトドメ差したわけでもない。日本の行動はそれこそ劉邦を包囲して屈辱的な和平条約を強いた匈奴と大差なく、何かが変わるという類の物でもない。

列強による清の分割は既定路線で、日清戦争が与えた影響は、単にプレイヤーの一人として日本が名乗りを上げたという程度。

その後の義和団の乱によって、列強中国大陸を直接支配するのは効率が悪いと悟り利権だけを確保しつつ清は存続させる、という方針に切り替えている。

ロシアだけはやや違うことを考えていたが、日露戦争の結果としてそれもなくなった。

それ以後の中国史の不味い部分は、大体は中国側特に蒋介石無能日本外交下手によって引き起こされている。

>この国がやるべき事は、張り子の虎の様な振る舞いではなく、栄光ある後継国として腰を据えて国家を「再興」させていくことではないのだろうか。

これが一番大きな誤解。

歴代王朝普通は常時勢力の拡大を指向していた。つまり今の動きの方が普通。「対等な外交関係」の存在理解できないという致命的な欠陥を歴代王朝は持っていたが、それと同程度の話。

官の腐敗を止められないのも、村落共同体が武装していて警察力がその中に及ばないのも、私的所有権政府によってたびたび脅かされるのも、すべて歴代王朝にも見られる特徴で、何一つ変わってない。

あえて言えば鄧小平が生きている時代泰山に登って封禅ぐらいはやっとくべきだったかもしれない。

まり中国政府が今本当にやるべきこととは(過去の栄光などまったく関係なく)、歴史上一度も成功したことのない難事に挑むということである

2014-04-23

昔の日本語の発音は違っていたというのは知っていたが、動画でその復元音声を聞いてみるとまた印象が違う。

ほとんど何を入っているのかわからない。古文法(かつ文語)というのもあるかもしれないが、おそらく話し言葉でもわからないだろう。

今話している日本語もきっと数百年後には不思議な発音法に聞こえるのだろう。

そう考えると、今ある日常がすこしだけ貴重に思えてくる。保存する価値が有るように思える。

小沢昭一氏が「流しの芸」や「客寄せ」、「見世物」、「厄祓い」、…、そういった民俗的な放浪芸のたぐいを収集、録音したCDがある。これもまた今となってはかなり時代を感じるのだが、おそろしく臨場感がある。今はその殆どがなくなってしまったが、当時は(すくなくとも取材された地域では)保存するとか考えるまでもない身近なものだったのだろうと感じさせる。

保存するにしても日常に寄り添いすぎて誰もとっておかないようなつまらないチラシ、パッケージ、謳い文句、宣伝歌の類が意外と生々しさを感じさせるんじゃないだろうか。

そういうのを保存している物好きはどのくらいいるのだろう。公的機関ではまさか保存すまい。


追記:

聞いてみたいという人がいたので、自分が見た動画を幾つか紹介しま

古代語 From Proto-Indo-European 古代言語音声集 How Ancient Languages Sound Like - YouTube

日本語以外にもいろんな古言語が聞ける。8:01から上代日本語10:01から中古日本語(これは多分↓の動画と同じもの

朗読 源氏物語(Tale of Genji) 若紫1 平安朝日本語復元による試み - YouTube

金田一春彦指導平安時代の発音復元。多分ブコメで触れられているものゆっくりに感じるけどどうなんだろう。

100年前の日本人の声 - Japanese voice 100 years ago - - YouTube

100年前の録音音声。これも多分ブコメで触れられているもの。このへんだと普通にわかる。少し落語っぽいから落語にそのまま継承されているのかも。

2014-01-20

人口を把握しながら歴史を読むと面白い

戦国時代歴史小説読んでるが、当時の人口は今の4分の1。

「10万の大軍」と書いてあってもスケール感湧かないが、人口補正したら、

今で言えば「40万の大軍」と言うことになる。

今の自衛隊総定員を上回る比率大軍と言えば、そのスケールがわかる

自衛隊員は今の日本の総人口の0.25%程度。

今の内閣総理大臣でも、指揮できるのは総人口の0.25%程度。

まり戦国武将は「領地人口の1%の兵士を指揮」してたんだろうなあ

時代分析する際に、その時代の総人口意識した方がいい。

大戦直前の日本(本土)の総人口は、今の6割程度しかいなかったし、

奈良時代などは、数百万人しか人口はいなかった。今の東京23区未満。

平安時代になって、ようやっと1000万人突破

江戸時代で3000万人。当時江戸は100万都市だったから、日本の総人口の3%は江戸と言う都市に住んでいた。

農業社会の当時としては脅威的な都市化率

2014-01-11

http://anond.hatelabo.jp/20140111084146

「失敗をおそれるようにさせるのは何か」というのは、日本風景だと言われるし、なるほどおもしろい。

結果で物を言う、という言葉があるけど、もともと結果以外の部分で評価する文化じゃないからだろうか?

でも、平安時代には、どっちかというと「形や名として示せるもの大陸的なモノ)よりも、明確な形に残らない微妙な心の在り方とか(日本的なモノ)を評価する」のが文化的だったはずなんだけど、そういう貴族文化が、「命を惜しむな、名をこそ惜しめ」「働きが石高になる」の武家文化駆逐されて以来、「形として残る物だけが評価対象である」という風潮に変わり、今に至っているような気がするが、どうなのだろう。最近では、更にそれが加速して、「名(ブランド)」や実体すら無意味ものみなして、ひたすら「結果としての形(カネ)」あるいはコマギレになった「情報」だけをむやみに有り難がることこそクール、というふうになってきているようだけど、もう、何のために生きてるの、それ、楽しいの?ってレベル。お互いを、心などないロボット人工知能とみなして「インプットに対するアウトプット」だけを評価する、って話だよね。

から、「失敗をおそれないように」するために、「チャレンジトライする姿勢を評価しよう」なんて主張したら、さっそく「『姿勢』? 『心』の在り方なんて、目に見えないものをどうやって評価するんだ!」とか噛みつく人が出てくるんだろうな、と想像

そりゃ「トライ」したくもなくなるわwww

2014-01-02

「色の白いは七難隠す」は差別だと思うな

からあるから差別じゃないって話にはならない

日本には平安時代から人種差別伝統があったって話だろう

日本の過剰な美白信仰差別ではあると思う

まあ外国人と接する機会のなかった平安時代からこうだったようなのでいわゆる人種差別ではないが、広い意味では人種差別

同じ日本人でも生まれつき色白な人と色黒な人がいるのに、白い方が美しいという擦り込みはやっぱり差別だと思う。

自分も純日本人だが色黒なのですげーコンプレックス

「色の白いは七難隠す」というように、顔立ちそのものに関わらず肌が白い方が上っていう意識日本にはあるからな。

2013-11-20

エロに対するハードルを上げられてしまった僕たち

人は接することができる環境によってエロハードルが違う。

古事記時代アメノウズメストリップをしてもそれはエロではなく笑いだった。たぶんそのへんがおおらかだったので、エロと見なさなかった。

人はだんだん衣服を着るようになる。平安時代、女は何重にも服を着て素肌なんてほとんど見えず、そもそも人前にはめったに姿を現さなかった。よって、男はその評判や歌の上手さ、声の良さ、なんなら後姿だけで欲情できた。

着物もっと軽くなった江戸時代歩いてるときに足がすそからチラっと見えるのがたまらなかったらしい。うなじとか、わずかに見える素肌へも熱い視線が注がれた。お尻や足の長さがポイントだったので「小股の切れ上がったいい女」なんて言葉があったり、厚底下駄流行ったりした。一方で、授乳なんかでおっぱいはよくポロリしてたから、別段どうでもよかったらしい。春絵でも上は着物を着たまんまだったりする。

海外でも、19世紀ヨーロッパ娼婦スカートが長かったから、靴下が見えるだけで十分なアピールになったそうだ。素人じゃなくてプロでそれ。

まり人間は隠されたところにエロを感じるのだ。もうこれは色んな人が言い続けているが、まったくそのとおりだと思う。

そして、僕は今20代前半だ。

だいたい思春期にはネットができるようになっていた。

ぼんやりと異性に興味を持った段階で、美女の裸が、もう毛穴までという高画質で見えた。

需要供給で、どんどんそれでは満足できなくなる受け手に対して、もっと過激に、もっと丸見えに、情報は流れ続けた。

昔のほうが過激だったって言うけど、ネットはない。手軽さ、意図しないでも目に入ってしまう率がぜんぜん違う。

無法地帯ネットではない、少年誌だって第一話からクッキリのパンチラ(じゃない、もうパンモロ)があたりまえだし、胸の形も露骨な絵が多い。

グラビアはお姉さんが少なく、ロリっぽいアイドルが多くて、タブー感もない。二次ロリが当たり前でいいもの。他の選択肢ほとんどない(もっと深くエロマンガを探せば嗜好にあわせていろいろあるんだろうけど、さらっと最初に触れる範囲で)

ちょっとまとめサイトでも見れば、スマホ広告エロマンガばっかりで、全裸女の子が汁まみれでアヘ顔をしている。

物心ついたらもうこうだったのだ。いまさら、初々しいトキメキなんて、ない。

いきなり生々しいものを見せられた。女の子なんて洋服の下はこんなものと思わされ「女の子」じゃなくて「おっぱいとおしりがついてるいいもの」みたいなかんじ。

そして大多数の一般の女の子はここまでイイ体してない。当たり前だけど。それに、作られた女の子(2次元も3次元も)みたいに、こんなに都合よくはしてくれない。

せめて最初もっと、夢を見られるような環境がよかった。

作っていたりずっと見ているおじさんたちには段階を経てエスカレートした結果でも、僕たちには初めてのものだったんだ。

欲情じゃなくて恋がしたかった。

でも見ちゃうんだよな。

2013-10-13

どうして平安時代の話は貴族のことばかりで一般大衆に関する情報がないのかって、そりゃ平安時代に読み書きができたのがほとんど貴族からでは

 

と、あるサイトを見て思った

2013-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20130914185939

もともと今の和歌山市に「わかのうら」という地名(つーか海の名前)があったんだよ。万葉集に出てくるよ。字は「若浦」になってるけど、音をあてただけなのでなぜ「わかのうら」と呼ばれていたかは不明。なお、その時代に、漢詩に対する「和歌」という概念は(多分)まだないので、「和歌の海」という意味ではないと思われるよ。万葉にも歌われたので、「わかのうら」は歌枕として有名になったよ。

戦国時代に、ここに城を構えた秀吉が、城の名前を付けるときに、あの有名な歌枕「わかの浦」を見下ろす山の上の城だから「わか(の)やま」だな。ハッハッハッ、ということで「わかやまじょう」と名付けたよ。そのせいで、「わかやま」という名前が出来たよ。

から、「わかやま」の「わか」は、「わかのうら」の「わか」に由来するのは確実だけど、「わかのうら」の「わか」が何を意味たかは、今となっては分からないよ。ただ、今で言うところの「和歌」というハッキリした区分意識ができたのは万葉集よりもう少しあとだと思われるので、(たぶん、平安時代紀貫之の頃だよ)「和歌の浦」という意味ではなかったと思われるよ。

2013-06-18

小学校の授業で一応習うこと」をみんながみんな覚えているわけでもないんだよな。

常識ってのは自分で思っているよりずっと狭い。

「え?クモって昆虫じゃないの?」

カエルはは虫類だよね?」

平安時代って江戸時代とどっちが前?」

というのを聞いても、あんまりおどろかなくなった。

きっと僕自身もそういう何かしらのわかってないことがあるんだろうな。

2013-06-17

未だ覚めぬ、総中流時代幻想

大学卒業して20年たつとわかる、終身雇用なんて、幻想だった。 - 竹内研究室日記

は、実体験とともに思い出を振り返る上品オヤジ説教なので、

居酒屋で絡まれたら、大変な時代でしたねー今もどんどん悪くなってますねーとか言っとけば良いわけだが、

ブコメが興味深い。

http://b.hatena.ne.jp/entry?eid=150492630

大学生就職希望人気ランキングを遡って見るといいよ。満州鉄道(笑)炭鉱(笑)国鉄(笑)銀行(笑)航空(笑)

このテの話題が出る際には、鉄鋼、造船、繊維などの、大量のブルーカラー必要としたが、ある時期を境に必要としなくなった産業を指すことが多かったので、隔世の感がある。

南満州鉄道実質的には"国家運営"プロジェクトであったことは結構有名だろうが、挙げられているいずれの業種も強い"国策"企業であって、官僚として中枢に入るか、実地に出て国を変えるかという、エリート選択肢しかない話題ではある。

(その意味で、件のブログ東大工学部出の連中の話なんか知らねえよ、という揶揄なのかもしれないが、夢に賭けた若者を笑うのは、自虐にしても寂しいことではある)

まあ、本題はこっちである

時代は既にもう一歩先の「普通人生結婚してマイホーム持って子供育てて…)なんて、幻想だった」のフェーズに行ってるんですけどね。この国もうダメじゃん

なのに日本社会は未だに終身雇用前提でできてるからなぁ。これでは住宅ローンも組めないし、子どもも作れない。理系研究者の方でこれだから、我々文系人間はどうやって食べていけばいいのか。

これは、ある程度は誇っていいことなのかもしれない。

一億総中流」は遠い過去の夢となっても、少なくともはてブコメントを残す人間の脳裏には、鮮烈な印象として焼き付いているわけだ。

列島改造をすすめ、基盤を整備し護送船団で企業を育て、労働組合を抑えつつ国民意識を総中流に向ける。

田中角栄音頭を取り、中曽根が完成させた「戦後日本」。

出稼ぎ労働上京へと姿を変え、地方公共事業を、都市民間企業を躍進させた。

日本住宅公団が「団地」を建て、借家ではなく「家」をという意識を持たせていった。

団地妻とは蔑称ではなく、羨望の対象であったのだ。

その意味で、「普通人生」や「日本社会」が、未だに1960年代に築きあげた幻想を基にしているというのは、

とても、とても、とても、感慨深い。

一応補足しておけば、日本終身雇用前提の社会になったことなど一度もないし、

普通人生が、結婚マイホーム子供のセットになったことも、やはり一度もない。

それはつまり残酷な言い方をすれば、

平安時代後期に「禄をもらって荘園を維持し、遊興に耽るとか既に幻想だった。この国オワタ」と言うのと同じだ。

もちろん王朝国家体制は、その制度設計を平安貴族を中心に置くだろう。

でもそれは「普通」じゃ無い。

今我々がここにいて、増田を読み、はてブコメントをしているのは、

貴族が紡ぎ、武士が駆け、商人が席巻して、軍人が靴を鳴らしたその系譜じゃない。

そのほとんど大多数は、主流ではない人達の脈々と続く人生連続が途切れなかったからだ。

子を産み育てることが楽であった時代はない。

しかし、たった一度でも途切れれば、今ここに我々は居ないのだ。

一億総中流は、「自分たちがどの階層いるか?」というアンケートへの回答からなった。

時代が下るに連れ、平均すれば間違い無く豊かに生きやすくなっている。

一億総中流という意識が、上を見ればキリがない日本を生きる中で、前向きに豊かな気持ちを持たせてくれた事は良いことだと思う。

だが、いままさに最頻値にいる人達が「昔、幻想を信じさせることで上向きにしていた時代」を「普通の事」だと思い込むことは、果たして良いことなのかどうか、僕には判らない。

2013-05-13

http://anond.hatelabo.jp/20130513110422

何言ってんだ?

芥川がやったのは小説化だ。

元増田がやってんのは「当世を江戸時代に例えようって書き物で何故か時代設定の1000年違う芥川の小説を持ち出す」という意味不明の醜態だ。

ぶっちゃけ元増田江戸時代平安時代区別がつかないしそもそもどっちもよくわかってないんだろ。

馬鹿はたとえ話なんかしなくてよろしいっていう例だ。

2013-04-11

小中高の国語をガラッと変えたらどうだろう。

思い切って、リベラルアーツでいうところの、文法学・修辞学・論理学をやったらどうだろうか。

法学

まず、文法学

現在国語の授業における文法論は特殊だ。

一応、中学現代文の文法を、高校で古典の文法をならったけど、あれ意味がないように思う。

辞書と文法書さえ手にすれば、ドイツ語だってフランス語だって素人でもなんとか作文はできるけど、その逆にアメリカ人中学日本語の文法書と日本語辞書を与えて作文が出来るとは思えない。

江戸時代学者が、平安時代の文章を解釈するために成立させた学問ベースになっているためだろうけど。

いっきり刷新したほうがいいと思う。

言語学的な内容も盛り込みつつ、日本語学校で教えるような実際に即した日本語教育というのが着地点かと。

修辞学

ディベートプレゼン国語の枠で教えたほうがいい。

というか、なんで義務教育で今までなかったのか。

論理学

国語教育に「論理的に考える能力を身につける」とかい目標があるなら、論理学の基礎を省くわけにいかないだろう。

集合、命題に触れるのが数学で、国語ではノータッチという有様で、論理的に考える能力を身につけるとか無理だろJK

追記、従来の国語教育の位置づけ

美術とか音楽とかと同じような、位置づけにしたほうがいい。

国「語」とかついていると、語学みたいな響きだけどさ、でも中身は芸術の授業だろ?

2012-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20121127191734

当事者全員が完全に納得ずくでやるなら、もちろん悪くない。

嫉妬心ほとんどない人だけで合意の上の多対多の恋愛をし、各自相手は疎かにしない、という理想が実現される限りにおいては(おそらく、市場はだいぶ狭くなるだろうが)。

ただし、時間的・労力的リソース無限じゃない。

キャパオーバーの掛け持ちをする奴が出て、疎かにされた人が傷ついたと言い出して紛糾する未来は割と容易に想像できる。

比較的それに近い恋愛関係が維持されていた平安時代貴族にも、「あの人が最近あたしのところに来てくれない……」みたいな恨み節は山ほどあるし。

一夫多妻を容認するコーランにも、「妻たちを公平に扱う自信がないなら、妻は一人にしておけ」と書いてあるそうだ。

まりは、「駄目じゃないけど、環境的・能力的にそれが出来る条件を本当に備えている人はかなり稀」なんじゃないかと。

2012-10-01

日本三大「豪傑」選考

「豪傑」にもいろいろあるが、ここでは、個人の武勇、それを示す逸話、そして知名度を鑑みて選考する。

ただし数が多くなるためいわゆる「剣豪」は除いた。あしからず

藤原秀郷

俵藤太。大百足退治。

武勇については問題なし。

知名度でどうか。

源頼光渡辺綱坂田金時

頼光四天王を率いて酒呑童子や土蜘蛛を退治。

対戦相手は最強クラスだが、頼光本人の武勇がよく分からない…。

源為朝

西八郎。保元の乱活躍

一矢で船を沈めたとも。

大蛇退治の逸話もあり。

那須与一

屋島の戦い、扇の的。

為朝と比べれば落ちるか。

武蔵坊弁慶

五条大橋での刀狩。立往生。

知名度は随一。

小島太郎

小島

猿や犬を懲らしめる。

実在が疑われる。

七条兼仲

餅。

薄田兼相

岩見重太郎モデル。狒々退治。

史実では大坂の陣奮戦

本多忠勝

徳川四天王

意外に武勇を示す逸話は少ないが、知名度だけで他の不足を補うレベル

加藤清正

朝鮮での虎退治。

現在では豪傑というよりも名将として評価されていると思われ。

雷電爲右エ門

伝説的な力士

他の候補者と比べて異色ではあるか。

暫定で選ぶなら「源為朝」「武蔵坊弁慶」「本多忠勝」。

こうして見ると昔のほうが逸話スケールが大きいので、

忠勝に代えて源頼光(with四天王)を入れ、

三大怨霊みたいに平安時代で固めてしまってもいいかもしれない。

意見を求む。

南北朝とか思いつかないんだけど誰かいたっけ?

2012-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20120707161837

ほぼ同意


お見合い結婚するんだったら、平安時代貴族みたいに男が女の実家に通う通い婚にして

子供の面倒は母親と母方の祖父母が主に見るようにすると、お見合い結婚の弊害も少なくなると思うけど

2012-04-11

http://anond.hatelabo.jp/20120411091450

日本アニメだって文化的背景がない、無国籍的なものがバカ売れしてるんでしょ。ワンピースとかNARUTOとか。

NARUTO日本の文化っぽいように見えるが、作者が洋画ファンなことからも明らかなように、あれは間違いなく「アメリカ人が考えるニンジャ」を描いてる。

別に三橋某なんかどうでもいいけど

文化的背景がある」ってのは「民族モチーフを出していく」って意味じゃないと思うが…。


日本アニメ漫画の「文化的背景」を論ずるなら

近世だけに絞っても手塚以降の歴史ボリュームを知らないといけないし

もっと言えば江戸時代、更に言えば平安時代ぐらいか日本人はあんなんばっかりやってきた。

ポンチ絵の文化ラノベ文化もね。


「背景」ってのはそういうこと。

それを下敷きに、アウトプットするものの”ガワ”が和風でも洋風でも無国籍風でも

それはただの「風」であって「文化的背景」とは関係ない。

もうわかるでしょ?


例えを日本以外にしてもいいよ。

ハリウッドがどこの国を舞台映画撮ったってそれはハリウッド映画でありハリウッド文化だよね?

ラストサムライ』は邦画じゃないよ、日本ネタにしたハリウッド映画だよ。


本物の忍者もっと地味で暗くてネガティブイメージがある。

日本人はそういう忍者を好むのだけど、アメリカ人は「理解不能」だから

カッコイイ一部分だけ切り出して「Oh! NINJA!」とか騒ぐ。

本物の忍者

見たんかい

どこの里のもんだよw

君の脳にボンヤリと詰まってる「本物の忍者イメージ

山田風太郎作品が元ネタすらわからない馬鹿の手で水割りされた末に

なんか劣悪な漫画を通して君にインストールされてるだけだと思うよ。


繰り返しになるが、

別に三橋ナントカに賛同するわけじゃないからね。そいつの文読んでないし。

でも君は色々不勉強すぎるし頭が悪すぎると思う。

若い人なんだろうけどさあ…


あ、誰に似てるのかわかった。

肩に力入っててグルグル考えてるけど圧倒的にモノを知らないこの感じ

青二才の人だ。

2012-01-03

http://anond.hatelabo.jp/20120103155101

平安時代貴族が異常に早婚だったのは、幼くして早熟という状態=裕福で栄養状態がよい=ステータスだったからではないかと思う。

面白いなあ。

まんべんなく栄養状態がよくなり、早熟の希少性が薄れた今の時代は、

裕福な家庭に育つほど晩熟で、貧しい家庭に育つほど早熟で性経験が早まる傾向にあると思う。

ステータスが変化したんだろうな。

http://anond.hatelabo.jp/20120103150939

検索すればわかるけど

大正時代くらいまでは女性の平均初潮年齢は15歳前後

ちなみに男性射精年齢は16歳くらい

戦後になって栄養状態が良くなってきてから初潮年齢が13歳前後になった(射精も同じく)

どうやら栄養状態が良い時代だと女性は早熟になりやすいようだ。

 

平安時代貴族が異常に早婚だったのは、幼くして早熟という状態=裕福で栄養状態がよい=ステータスだったからではないかと思う。

2011-12-07

http://anond.hatelabo.jp/20111207150815

ぶっちゃけ大家族制に戻るしかないんじゃないの?

もう無理だよ。

女に専業主婦になれっていったって「子育て中に夫に暴力ふるわれても離婚できないなんて!」って話だし、捨てられたらそれこそ大変だし

暴力ふるわない、捨てたりしない男を見つけられなかっただけだから自己責任だ」って言っても余計非婚化が進むだけだし

子供と1日中二人きり3人きりで家にこもってるのも精神衛生上良くないし

もうもうもう、核家族モデル限界なんだよ。

子育てだって経験者が身近にいたほうがいいでしょ。

夕飯の支度をしてる間、子供を見てくれる女手欲しいでしょ。

平安時代みたいに通い婚にしちゃってさ、女は親元で子供育てるんだよ。

それがいいよ。

2011-11-12

とりあえずの感想

http://anond.hatelabo.jp/20111112181142

とりあえずの感想を。当然だが私一個人のテキトーな感想なので、深く受け止めてはいけない。

1.マナーに異常に厳しいが、融通が利かずユーモアがない(ジョークやいたずらをしないけど、靴を並べないと怒る)

私利私欲のためにやっちゃいけない融通利かせて逮捕される馬鹿もいるけどね。

マナーに厳しいのはマナーが守られる社会の快適さを感じている人が多く、ジョークやいたずらの不快感や損失、悪質さを感じている人が多いからかと。

はいジョークやいたずらに勤しむ人々がいないわけじゃない。

2.自分の気持ちに素直じゃない。損得で行動する(いつも本当の気持ちで行動しない)

損得の気持ちが他の気持ちを上回っているだけなんじゃないかと。

3.自分成功しないんじゃなくて、他人が成功するのが悔しい(成功している人の悪口をいう。でも悪いことや失敗している人の悪口はいわない)

成功している人の悪口は結構ある。でも悪者や失敗への悪口も多いと思うよ。後者は表立ってはなかなか言われないだけで。

4.ブランド物など他人と比べる、相対的な方法しか幸せを計れない(私の国では考えられないくらいみんなブランドものを持っている!)

この傾向は弱まってきてると思うけれども、一時期はすごかった。

5.差別はないけど、いい人でも仲間はずれにしたりいじめたりする(みんなだれかのことが嫌いなのかな。怒っている。)

差別無意識中心に結構あるとは思うが、まっとうな指摘を受けたら問題ない程度まで修正する人が大多数だと信じたい。

あと、あなたが良い人に感じてても他の大多数はそう感じてないとか、誰かが誘導かけて追い込んでいるとか、そういうケースは多いかと。

6.おいしい食べ物でも文句を言う(なんで?おいしいのにといつも思っている。日本人はとにかく文句をいうが何もしない!)

要求が超ハイレベルなだけ。トイレで言えばトイレットペーパーに満足できずウォッシュレットや温かい便座を作ってしまうようなもの

7.感情表現が変(愛してるというと軽いといわれるがほんとなのに。私や私の外国人友達もよく軽いといわれる)

感情表現は奥ゆかしさが最上という、少なくとも平安時代以前から続く文化があるので、嫌とか言われようと変えるのは非常に困難。特に愛を告げる方法には、知性と感性いかに優れているかが勝負どころだったという長い歴史がある。ストレートに愛を告げるのは「愛を告げる方法ストレートしかわかりませんでした」という敗北宣言になってしまいがちなのである

8.性別の特徴をみとめない(男は強くて、女は弱い。そういうことをいうと怒る。でも女は男より綺麗でしょ?)

男尊女卑だった文化へのカウンター期という側面が強いかと。ただ今後落ち着いていくかはわからない。

9.英語が話せない(日本人小学校から勉強している?私は日本語が2年ではなせる)

主に発音がね…。RとLとか幼少の頃に訓練しないと耳も口も獲得できないという説が強かったはず。

10.みんな元気になるのは学校仕事が終わってから(みんないやなのになぜやる?)

第二次世界大戦前あたりのドイツギムナジウムとかも、そういうものじゃないの?ある程度は世界共通なんじゃないかと。

2011-09-07

コミュニケーションパロディ化って、いつから始まったんだろうね。

平安時代とか、書籍が普及しだした時点で広まったのかな。それともテレビインターネットみたいな映像メディアが台頭してきた辺りからなのかな。

パロディ化したコミュニケーションって、黎明期やじわじわと広がり続けている最中においてはそのコミュニティを閉鎖的に表現するくせに、

一旦分水嶺を超えると一気にキャラクター固定化に流れて行ってしまうのが興味深い。まあ当たり前の事なんだけれど、そう言った名残が語尾表現なんかにあると想像すると面白い気がする。

パロディ化したコミュニケーション方法って、どうして広まるんだろう。どうして人は面白いって感じた表現方法を自ら取り入れて発言してしまうんだろう。

学習ってのは、それ自体が普遍的に行われ更新されていることなのかもしれない。パロディパロディとを組み合わせた表現オリジナルになるのかどうか。あちこちに考えが飛び火してる。

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