古事記の時代、アメノウズメがストリップをしてもそれはエロではなく笑いだった。たぶんそのへんがおおらかだったので、エロと見なさなかった。
人はだんだん衣服を着るようになる。平安時代、女は何重にも服を着て素肌なんてほとんど見えず、そもそも人前にはめったに姿を現さなかった。よって、男はその評判や歌の上手さ、声の良さ、なんなら後姿だけで欲情できた。
着物がもっと軽くなった江戸時代、歩いてるときに足がすそからチラっと見えるのがたまらなかったらしい。うなじとか、わずかに見える素肌へも熱い視線が注がれた。お尻や足の長さがポイントだったので「小股の切れ上がったいい女」なんて言葉があったり、厚底下駄が流行ったりした。一方で、授乳なんかでおっぱいはよくポロリしてたから、別段どうでもよかったらしい。春絵でも上は着物を着たまんまだったりする。
海外でも、19世紀ヨーロッパの娼婦はスカートが長かったから、靴下が見えるだけで十分なアピールになったそうだ。素人じゃなくてプロでそれ。
つまり、人間は隠されたところにエロを感じるのだ。もうこれは色んな人が言い続けているが、まったくそのとおりだと思う。
そして、僕は今20代前半だ。
ぼんやりと異性に興味を持った段階で、美女の裸が、もう毛穴までという高画質で見えた。
需要と供給で、どんどんそれでは満足できなくなる受け手に対して、もっと過激に、もっと丸見えに、情報は流れ続けた。
昔のほうが過激だったって言うけど、ネットはない。手軽さ、意図しないでも目に入ってしまう率がぜんぜん違う。
無法地帯なネットではない、少年誌だって第一話からクッキリのパンチラ(じゃない、もうパンモロ)があたりまえだし、胸の形も露骨な絵が多い。
グラビアはお姉さんが少なく、ロリっぽいアイドルが多くて、タブー感もない。二次もロリが当たり前でいいもの。他の選択肢はほとんどない(もっと深くエロマンガを探せば嗜好にあわせていろいろあるんだろうけど、さらっと最初に触れる範囲で)
ちょっとまとめサイトでも見れば、スマホの広告はエロマンガばっかりで、全裸の女の子が汁まみれでアヘ顔をしている。
物心ついたらもうこうだったのだ。いまさら、初々しいトキメキなんて、ない。
いきなり生々しいものを見せられた。女の子なんて洋服の下はこんなものと思わされ「女の子」じゃなくて「おっぱいとおしりがついてるいいもの」みたいなかんじ。
そして大多数の一般の女の子はここまでイイ体してない。当たり前だけど。それに、作られた女の子(2次元も3次元も)みたいに、こんなに都合よくはしてくれない。
作っていたりずっと見ているおじさんたちには段階を経てエスカレートした結果でも、僕たちには初めてのものだったんだ。
欲情じゃなくて恋がしたかった。
でも見ちゃうんだよな。