コミュニケーションのパロディ化って、いつから始まったんだろうね。
平安時代とか、書籍が普及しだした時点で広まったのかな。それともテレビやインターネットみたいな映像メディアが台頭してきた辺りからなのかな。
パロディ化したコミュニケーションって、黎明期やじわじわと広がり続けている最中においてはそのコミュニティを閉鎖的に表現するくせに、
一旦分水嶺を超えると一気にキャラクターの固定化に流れて行ってしまうのが興味深い。まあ当たり前の事なんだけれど、そう言った名残が語尾表現なんかにあると想像すると面白い気がする。
パロディ化したコミュニケーション方法って、どうして広まるんだろう。どうして人は面白いって感じた表現方法を自ら取り入れて発言してしまうんだろう。
学習ってのは、それ自体が普遍的に行われ更新されていることなのかもしれない。パロディとパロディとを組み合わせた表現がオリジナルになるのかどうか。あちこちに考えが飛び火してる。