はてなキーワード: 山椒魚とは
ケーブルテレビSTBでは見られない場合が多いようなのでBSパススルーとか
地域によってはSTBで見られるようになったかもしれないので最新情報要確認
・03 氷室 ひむろ
・05 [子どもだけ][3択]2(番
・06 [子どもだけ]6 3/4
・08 [親子で]クレーター
・09 阿倍仲麻呂 あべのなかまろ
・10 [近似値]27(人
・11 [すべて][順番4答]イギリス ブラジル トルコ スリランカ
・14 吉田修一 よしだしゅういち
・15 岩手(県
・18 湊川《みなとがわ》の戦い
・19 ピラルク
・20 19
・25 [3択]しょくぱんまん
・26 市松(模様
・27 12(名以上
・29 鼻緒
・30e 『ねないこだれだ』
池澤夏樹=個人編集 世界文学全集II-11所収 ピンチョン「ヴァインランド」
岡地稔「あだ名で読む中世史 ヨーロッパ王侯貴族の名づけと家門意識をさかのぼる」☆
今尾恵介「ふしぎ地名巡り」★
奥野克巳「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」
ピーター・ゴドフリー=スミス「タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源」
テッド・チャン「息吹」★★
ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」☆
イリヤ・ズバルスキー、サミュエル・ハッチンソン「レーニンをミイラにした男」☆
チャールズ・C・マン『1493――世界を変えた大陸間の「交換」』★★★
ジョン・サザーランド「ヒースクリフは殺人犯か? 19世紀小説の34の謎」
東京創元社編集部「年間日本SF傑作選 おうむの夢と操り人形」
高丘哲次「約束の果て―黒と紫の国―」
堀晃ほか「Genesis 一万年の午後 創元日本SFアンソロジー」
水見稜ほか「Genesis 白昼夢通信 (創元日本SFアンソロジー 2) 」
村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集」★
サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年」。
チョン・ソヨン「となりのヨンヒさん」
「ガラン版千一夜物語 1」★★★
「ガラン版千一夜物語 2」
「ガラン版千一夜物語 3」
「ガラン版千一夜物語 4」
「ガラン版千一夜物語 5」
「ガラン版千一夜物語 6」
ジョン・サザーランド「ジェイン・エアは幸せになれるか?―名作小説のさらなる謎」★★
ジョン・サザーランド「現代小説38の謎 『ユリシーズ』から『ロリータ』まで」
J・P・ホーガン「未来からのホットライン」
ロバート・アーウィン「必携アラビアン・ナイト 物語の迷宮へ」★
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」(光文社)★★★
ジュリアン・バーンズ「フロベールの鸚鵡」
イアン・マクドナルド「黎明の王 白昼の女王」
オルガ・トカルチュク「逃亡派」☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」上巻☆
ユヴァル・ノア・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」下巻
住吉雅美「あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン」★★★
ルーシャス・シェパード「タボリンの鱗 竜のグリオールシリーズ短篇集」
オルガ・トカルチュク「昼の家、夜の家」
エイミー・B・グリーンフィールド『完璧な赤 「欲望の色」をめぐる帝国と密偵と大航海の物語』
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ4」
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ5」
タクブンジャ「ハバ犬を育てる話」☆
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ6」
ホアン・ミン・トゥオン「神々の時代」★
ヴァールミーキ「新訳 ラーマーヤナ7」
ローデンバック「死都ブリュージュ」
ホセ・ドノソ「夜のみだらな鳥」
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」上巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」中巻
ロレンス・スターン「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」下巻
入江亜季「北北西に曇と往け」(一)~(四)
石黒正数「Present for me」
澤江ポンプ「近所の最果て」
カシワイ「光と窓」
月ごとに一番面白かった本を3冊選び、★をつけた。ただし、どうしても入れたかったものは☆をつけた。月ごとの順位なので、たとえばパク・ミンギュにはもっと星をつけたいのだがそれが反映されていない。
数えてみたが、2020年に読んだのは活字149冊、漫画22冊だった。毎月12冊から13冊読んでいると思っていたので、単純計算で150冊を超えると思ったが、ぎりぎり足りなかった。とはいえ、毎月10冊という目標は達成している。
1年を通して見ると、ノンフィクションばかり読む時期や、SFばかり読む時期などが明確に交代していることがわかる。特に、4月から6月はSFとファンタジーがほとんどだったが、8月以降SFを全くと言っていいほど読んでいないし、逆に11月、12月は1冊をのぞいてノンフィクションがない。
また、芥川賞をはじめとした日本の現代文学をほとんど手に取っていない。ベストセラーやエンタメ、ホラーもない。逆に、韓国やタイ、ペルーやチリなど、日米欧以外の海外文学の割合が高い。
意識してきたわけではないが、自分の好むジャンルは科学や歴史のノンフィクション、神話、行ったことのないラテンアメリカやアジアの文学、メタフィクション的であったり奇妙な味がしたりする短篇集、古典、であるようだ。一方で、女性作家の割合は低く、特に日本の現代女性作家をほとんど手に取ってない。一時期は多和田葉子だとか江國香織とかをよく読んでいたので女性作家が嫌いなわけではなく、ヴァージニア・ウルフも好きだし、ハン・ガンも自分の中では大当たりだったので、もう少し割合を増やしてもいいかもしれない(追記。身につまされる話よりも読んでいて気持ちのいい本を読む率も増えた)。
割合の話でいえば、大学時代はもう少し文豪の作品を多く読んでいたように記憶している。それと、いくつからの例外を除き、世間の動きや話題とは遊離したチョイスばかりである。世の中から目を背けているわけではないが、日々の雑事とはまた違う視点に立てたのはありがたかった。新型コロナウイルス関連の記事ばかり読んでいては気がめいってしまう。
今年は少し冊数が少なくなるかもしれないが、引き続き毎日の気晴らしとして、気が向いたものを好きなように読んでいきたい。
以上。
腐女子のフェミが、オタク文化を異常に攻撃するのって、「あれ、一般になり損ねたから」なんだよ。おっさんずラブとか、あのあたりの流れに乗れば一般になれたのに、乗ることができなかった。オタクは一般になった。腐女子の大半も一般のオタクになった。でも、腐女子フェミは一般になれなかった。このあたり、「オタクのくせにオタク文化を熱烈に攻撃するはてなのインテリ左翼オタク」も同じ。差別解放の瞬間に立ち会えず、自分の作ってしまった檻の中に閉じこもっていまだに出てこれないのだよね。隠れていることでしか自分の世界を守れない。でも、いまのオタクも腐女子も、堂々と一般の社会に出て行って楽しそうにしてるよね。だから、はてなの面倒くさいダメな中年以上のインテリオタクや腐女子フェミの中年以上は「こんなものはけしからぬ許せない」とか「差別だ差別だ」と攻撃してる。でも理論はでたらめでみんなそれぞれ言ってることが違う。その中で出てきた一番のびた意見に相乗りしてる状態だ。自分の住処に閉じこもって身動きできなくなった山椒魚。山椒魚は悲しんだよね。頭が邪魔で岩屋から出られない。俺にも考えがあると言いながら、実際には何もいい考えなどないのだ。しかし、蛙はどこにもいない。
現代文の授業で山椒魚を初めて読んだとき、この捻くれ者は、私によく似ていると思った。だが決定的に違うところがある。それは山椒魚は世界の神であったが、私は神にはなれなかったという点においてだ。その違いとは些細なようであって、とても重大なことであると私は思う。それは、私が誰かの神に、世界になりたいのに、なれない不完全な出来の人間であるからだ。
まず前提として、この文章はすべて、井伏鱒二氏の短編小説である「山椒魚」を借り、私が私について語るだけの、極めて主観的でくだらないものであるということを示しておく。恐らく十八の人間が書く文章なんてたかが知れていると思うが、それでも私は山椒魚にとてつもない親近感を抱いているのである。それについて少しばかり、私が今まで思ってきたことを書けたらいいと思う。
まず「山椒魚」とは一体何かということを明確にしておく必要がある。山椒魚とは前述したように、井伏鱒二氏による短編小説である。山椒魚は自身の身体が成長しすぎてしまったことによって、住処である岩屋から出られなくなってしまう。外に出ようと幾度となく繰り返す山椒魚だが、それが叶うことはついになかった。外の世界を自由に生きる生物たちに嫉妬を抑えきれない山椒魚は、ついに悪党となり、山椒魚は岩屋に入ってきた蛙を閉じ込め、自身と同じ状況に追いやることで、自身の精神の安定を保とうとしたのである。蛙は屈することなく二匹は岩屋の中で激しい口論を二年にも及んで繰り広げるが、空腹で動けなくなり、死しか望めない蛙に対して、ようやく山椒魚は友情を感じるのだ。山椒魚は聞く。「お前は今、何を考えているようなのだろうか?」と。それに対し蛙は、「別に今でも、お前のことを怒ってはいないんだ」と答えるのだった。
この山椒魚を初めて読んだ時の感想は、「二年も口論を繰り返していたのか」とそれに尽きる。だが数回これを読み深めていくうち、山椒魚とは、ただ友達が欲しかっただけの、普通の人間なのではないかと思うに至ったのだ。山椒魚には寓意が込められており、簡単に例えを出すならば「うさぎとかめ」のように、ほかの生物やもので真意や本質を遠回しに伝えるというものだ。私の中で山椒魚は普通の人間であるし、出られなくなった岩屋は肥大した自意識であり、蛙はそれらをすべてわかっていた人間なのだ。これらも前提に、本題へ入ろうと思う。
何故この文章の題名を「山椒魚は世界の神であるか?」にしたかは至極単純である。私にとって山椒魚は、世界の神であるからだ。もっと突き詰めて言えば、岩屋の中に閉じ込められた蛙の世界であり神であるということだ。まず先程書いたように、岩屋は肥大した自意識であると私は思っている。山椒魚はその自意識に閉じ込められた、或いはそこから出ることを拒んだ所謂可哀想な人間に過ぎない。蛙はその山椒魚の自意識を満たすため利用された、こちらも可哀想な人間であるという認識をしている。山椒魚は蛙を利用し監禁することによって、死の間際に、世界となり神となることに成功したである。
人間が人間の神になるために必要なことは、その標的からすべてを奪うこと以外に存在しない。山椒魚は蛙を自分の住処に閉じ込め取り入れることによって、蛙からありとあらゆる自由を奪うことに成功している。それがなければ山椒魚は神になれなかったし、もしかしたら山椒魚は図らずも神になっただけかもしれない。だがそれだけ、人間が人間の神になるということは難しいことなのだ。それが善悪のどちらに所属するかはまず置いておくとして、私はそれをやってのけた山椒魚を素直に尊敬する。山椒魚は悪党となることで蛙を閉じ込めたが、この時の山椒魚の心境を鑑みるに、標的が蛙であった必要はなかったのだと思う。よくニュースで聞くような、無差別殺人犯の言う「誰でもよかった」と同じように。ただこの「山椒魚」にとって、この蛙が蛙でなかった場合、二年間口論が繰り広げられることも、最後にようやく友情が芽生えることもあり得なかったのではないだろうか。
しかし、だからといって山椒魚が神であるということに相違はない。閉じ込められた蛙にとっては、憎むべき対象も、愛すべき対象も、結局は山椒魚しかいなかったのである。蛙は最後に「今でも別に、お前のことを怒ってはないんだ」と言った。それはおそらく、蛙自身も、山椒魚を神とすることで救われた一人の人間だったからだと思う。山椒魚が蛙を閉じ込めたとき、蛙は、閉じ込められた岩屋の中で堂々と「俺は平気だ」と宣言する。それは山椒魚を見くびってのことだったのか、それとも逆に、山椒魚ならば…という、敬愛の証だったのかもしれない。ただ私が思うのは、おそらく蛙も、もしかしたら山椒魚と同じような立場になっていた可能性があるということだ。メタフィクションのような話になってしまうが、蛙は山椒魚よりも体が小さいので、少なくとも岩屋から出られなくなってしまうということは考えにくい。なので、自由に飛び回ることのできる外の世界―要するに「山椒魚」の世界観で「社会」で、同じ立場になっていたかもわからないのだ。山椒魚は肥大した自意識から出られなったが、それはあくまでも人間の内側で起こっている出来事に過ぎない。自身の激しいナルシズムが引き起こす極端な自己評価と他者評価のギャップに悩み、それを見栄で隠そうとしたために発生した、ある種一時的な反抗期のような、よくよく考えてみれば、我々も通ったことのあるような道でしかないのだ。だが蛙は人間の内側でそれを発生させてはいない。人間と人間が大量に入り混じる、失敗の許されない、いわば監獄のような世界でそういった問題に悩まされていたとしたら、それはきっと山椒魚よりも可哀想で哀れな姿になっていたに違いない。山椒魚は蛙を閉じ込めることで、自身と同じ状況の人間を作成し、その結果精神の安定を保とうとしたが、それは蛙も同じだったかもしれないということだ。蛙は山椒魚に「わざと閉じ込められる」ことによって、可哀想な人間に捕らえられ逃げられない自分を作り出し、自分の社会に対する折り合いのつかない問題から逃げ出そうとしたと考えれば、最後の「今でも別に、お前のことを怒ってはいないんだ」というセリフにも納得がいく。
この文章を書くにあたって、自分の「山椒魚」に対して抱いた如何ともし難い薄気味悪さというのは、蛙によってもたらされた山椒魚への許しが生み出したものだと気付いた。小説であると一言言ってしまえば確かに終わりなのだけれども、例えば自分が身勝手な理由で他人に監禁され、しかもそこで死を迎えなければならないとなった場合、最期に相手を許すことが出来るものだろうか。それが愛する人や家族ならいざ知らず、どこの誰ともわからない人間にいきなり監禁された時点で、普通に考えて怒りなんて言葉では済まない。それこそ二年間によって繰り広げられた喧嘩でさえ、この最期によればおつりがくるほどだと思う。最初こそ「二年間も口論していたのか」なんて暢気な感想を抱いたけれど、少し考えてみたら、最期の蛙の言葉は、私にとっては最早呪いだ。もしも私が山椒魚だったとして、自分が閉じ込めた相手が死の間際に自分を許す旨の発言をしたら、嬉しさも喜びも何も感じることは出来ない。むしろ、「この人は今まで何を考えて自分の思い通りになってくれたのだろう」という不信感すら残ってしまうだろう。自分という一人の人間を殺したという事実から逃げるなよという、怨念のようなものさえ感じさせる。それを考えると、山椒魚が蛙を閉じ込めたというよりも、蛙のほうが、山椒魚を好きに操っていたようにしか考えられないのだ。蛙は山椒魚のことを、自分と似た人間だと思い、自身が社会に出たことで削られてしまった自尊心や自意識を回復するために、「わざと山椒魚と一緒にいた」ようにしか思えない。物理的にそこから出られなかったとしても、こころだけでも自由になることは出来たはずなのだ、山椒魚と違って自由に泳ぎ回ることが出来ていた人間ならば。だがそうではなかった。ということは、蛙は自由に泳ぎ回っているように見えて、その実、社会という檻から逃げられず、自分を肯定するために必死だった、ただの哀れな、普通の人間でしかなかったのだ。
最後にもう一度、これは私が井伏鱒二氏によって描かれた短編小説「山椒魚」を借りて書き殴っただけの、主観的で陳腐な文章であることを明記しておきたい。ここに書かれていることはすべて、私が勝手に作り上げた妄想であって、おそらく山椒魚には、これよりももっとポジティブなメッセージ(寓意)が込められていることだろうと思う。しかし私にとって「山椒魚」は、どうにもポジティブなものとは受け取れなかった。可哀想な人間が寄り添って、互いの削れた部分を埋めるために、互いの世界になろうとする。そんな常人には理解出来ない、孤独で閉鎖的でどこまでも自分本位な人間の本質を描いているように見えたのだ。
私は山椒魚に似ている。けれど私は誰かの世界にはなれなかった。私にとっての「蛙」がこれから現れることはあるのだろうか。山椒魚が蛙を操っていたのか、蛙が山椒魚を操っていたのか。本当のことは、誰も知らない。
了
『山椒魚』や『黒い雨』といった作品で有名な井伏鱒二だが、検索エンジンの変換候補のなかに「井伏鱒二 ガンダム」という妙な組合わせが出てくる。
この情報源をたどってみると、どうやら過去のWikipediaに以下の記述があったことが原因らしい。
もともと、ガンダムシリーズの製作者である富野由悠季は、井伏の「黒い雨」に影響を受けていた。それが、既存のアニメとは一線を画す、ガンダムシリーズでのリアルな戦争描写の参考のひとつとなる(現に、機動戦士ガンダムΖΖで、マシュマー・セロのコロニー落としによってダブリンに黒い雨が降り注ぎ、ジュドー・アーシタがそれに打たれながら「黒い・・・雨が・・・」と呟くシーンがある)。その後、事情を知った井伏もガンダムを鑑賞し、感銘を受け大ファンになった、という経緯がある。他にも、目の前に飛び出してきた猫が素早く逃げていった時、井伏が「は、速い、シャアか?」などと呟いたというエピソードもある。
しかし、こんな話はまったくのデタラメである。巧みな話の流れにだまされてはいけない。前半はたしかにガンダムの作品に基づく事実だが、後半の「事実を知った井伏」以下の記述からは、すべて虚構でしかない。上手い話を思いついた熱心なガンダムファンが悪戯で書き込んだものと考えられる。
「目の前に飛び出してきた猫が素早く逃げていった時、井伏が「は、速い、シャアか?」などと呟いたというエピソード」など、いかにもガンダムファンがでっち上げそうな小咄である。
本日付で増田を退職します。1年間という短い間でしたがありがとうございました。
今年一年はずっと増田で日銭を稼ぐ日々でしたが今思うと何でもないような事が 何でもなかったと思う。
私が増田で携わったのはアナル開発で残ったのはエネマグラだけでした。
めんどくさいので以下書いた増田。よいお年を
アナルが開発済みな上に30本以上エネマグラを所持していたことが妻にばれた
Q. ベンダーフリーは肛門をも開放する思想だと知っていますか?
ゆとりアナル:ゆるふわ系。ガバガバとは違う さとりアナル:賢者タイムが..
いやでも外資系アナルって言うと普通の人より開発進んでそうじゃない?
自己レスだが未完結じゃねーか。ケツ出せよ http://anond.hatelabo.jp/c/連載増田小..
次は終点、肛門。終点の肛門です。どなた様も拭き忘れのないようご注意く..
正直増田の便臭に比べたら俺の年収なんてクソみたいなもんだと思う
38138ページ中1ページ目を表示(合計:953448件) 「うんこ」を含むキーワー..
[うんこ知新]ここで2006年頃のうんこ+増田界隈を振り返ってみましょう
「ごめんなさい、こういうとき、どんなうんこをすればいいのか、分からないの。」
いつのまにかエネマグラ2500本超えてた このハイペースすごいわ もっと..
え?俺がエネマグラたくさん持ってることバレてんの???????
「俺が選ぶ今年のベストアニメ」とか「ベスト漫画」とか「ベスト映画」の記事はよくあるけど
俺が親切に紹介してやる。 まず俺が増田だ、よろしくな。二人目は増田、つ..
「『ブクマが付かない』というのはですね、嘘吐きの言葉なんです。セルク..
増田はブクマカが嫌いじゃないの、出しゃばってくるブクマカが嫌いなの 自..
そいえば私の中のid終わったの?まだ俺が出てきてないんだけど?
今度からid:sabacurryにブクマされる事を裁かれるって呼ぶわ。 今日もたくさん..
鯖枯れじゃなくても ねと落ちじゃなくても ブクマをくれた幸せ 感じてスタ..
鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖鯖..
すいようび「すいようびがやられたようだな…今日も頑張ろう」 すいようび..
カチューシャ様のスカートに顔突っ込んでパンツァーフォーしたい
俺の髪の毛が減ったんじゃないの。地肌が表面に出てこられるようになった..
トイレで「紙がねえ!」って思わず叫んでしまったら妻に「髪がないのはいつものことでしょ」って言われた。
知り合いのwebプログラマが「JS最高。Cじゃ抜けない」って言ってたけど
ロリっ娘の俺が現世に転生で係長に転生して出来の悪い部下を叱ってる
最初はそれでいいかもしれないけど有名になるにつれ5ドル貰う度にうんこを..
旅の途中で、鯖に出会った。 「増田さん増田さん、あなたの書いたエントリ..
http://anond.hatelabo.jp/20150805225925 http://anond.hatelabo.jp/20150805230424 鯖と別れた増田は..
増田はついに増ダ島に着いた。途中三回漏らした。 増田を倒して紫青緑スタ..
増田と増田の死闘はそれはそれは激しいものだった。 増田を書けばブコメを..
むきゅぅ~漏らしましたw これにて完結です! 実は、ネタ増田したら増田の..
おじいさんの鯖コレクションは断捨離された。 再び鯖を刈らなければ!!! ..
たぶんもう終わってるよ http://anond.hatelabo.jp/20150618102133
う~ん、この違和感はなんなんだろう。 んー、と頭を捻って考えても見るが..
1.鸚鵡返しを使う。 「¨好きなテレビ¨なに?」「¨好きなテレビ?¨えーと、..
転職エージェントとの面談なら服装は自由でOK 極端な話スーツにノーネクタ..
その通りだと思う。 俺はスマホをいじりたいがために便意を催してるよ。
丼なんか要らねーんだよ!って言われたら定食出すしかないだろ。
「お前の書く文章はリズムが悪いから読みにくい。 それはお前が普段人と会..
読みづらいだけ。書いてる途中でリモコンバイブのスイッチをオンオフされ..
山梨県(甲斐国)を中心とした地域で作られる郷土料理。小麦粉を練りざっ..
おかえりなさい、あなた。タワシにする?スポンジにする?それとも
タラバガニが本当はヤドカリだってことを指摘するのに気を遣いすぎてずわ..
「俺は、リーダーのジョン・増田大佐。通称ハンニバル。奇襲ブコメと騙り..
私のfacebookの前で、お知らせしないでください。私はあなたをしりません。友..
じゃあNettouochiにブックマークされることを寝とられるって言うわ。
この前スーパーで買い物中に旦那が「舐めろー舐めろー」と言ってきたので..
アラフォーニート職歴無しコミュ症の俺がコンビニに転生して店員になった..
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は パンティー見たい
右上のお知らせのところにしいたけが並ぶとスターもらったのかしいたけも..
グーチョキパーでグーチョキパーで何作ろう?何作ろう?右手が”チョキ”で左手も”チョキ”で、
高校野球の女子マネージャーが真柴の『フリッカー』を 体得したら
誰か「オークのちんぽでマジイキすると日常に戻れなくなるのでおすすめし..
東京喰種 東京レイヴンズ 東京ミュウミュウ 東京ESP 東京トイボックス 東京自..
おわり
http://anond.hatelabo.jp/20150114231342
穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話の二つしかない、という主張、直感でおかしいのがわかるだろう。
まず、その他の話がある。
群像劇、叙事詩的な話はどうなんだ、登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話はどっちなんだ、と。
その他の話を除けばいい。例外は除いて考えよう。
除いたあとで穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話、とに分けよう。
登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話を、登場人物AかB、どちらかを主人公とみなして、どちらかを小道具と見立ててれば確かにどちらかのハコにいれられる。
直感は解決されただろうか?
されない。
間違ってはいない。
まず、波瀾万丈、という言葉があるように、主人公は上がったり下りたりする。禍福は糾える縄の如し。
上がったところで終われば確かにハッピーエンドに見える。
もしも毒りんごで殺されたところで終わってしまえばバッドエンド。
だが、その後を追い続けて、喧嘩の絶えない家庭になって、そこで切ればバッドエンドである。
登場人物が全員死んでしまうような1ページを最後に追加することもできるし、
死んだはずの主人公が不思議なことに何故か生きていた、と書くこともできる。
無敵の殺人鬼を死に物狂いで倒したホラー映画の主人公たち。ハッピーエンドだ。
だが、稲光をバックにヤツの死体が動くカットを最後に付け加えたら?
試写会のA/Bテストでラストが変わった映画の話などよく聞くではないか
「最後にデザートが出たよ」
きのう君が行ったのは焼肉屋だったろうかフレンチだったろうか。
鍋料理だろうが中華だろうが、アイスか杏仁豆腐かなにか、最後に甘いものが出てきてもおかしくない。
ハッピーエンドか否かによってその物語がどういうものであるか知ることはできない。
冒頭の二分法を受け入れるのに直感的な抵抗が生じるのは、それゆえかもしれない。
もうひとつ
「助けの必要な負け犬が主役のストーリー」と「お仕置きの必要な成功者に天罰が下るストーリー」
という二分法もあるそうだ。
これは中身に言及があるという点で、ハッピーエンドかどうか、という分類にはない特長がある。
だけど、やっぱりこれも物足りないんだ…
http://anond.hatelabo.jp/20150114231342 <h3>o- *</h3>
穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話の二つしかない、という主張、直感でおかしいのがわかるだろう。
まず、その他の話がある。
群像劇、叙事詩的な話はどうなんだ、登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話はどっちなんだ、と。 <h3>o- *</h3>
その他の話を除けばいい。例外は除いて考えよう。
そのあとで穴に落ちて這い上がる話と、穴から這い上がれない話、とに分けよう。
登場人物Aが勝って登場人物Bが負ける話を、登場人物AかB、どちらかを主人公とみなして、どちらかを小道具と見立ててれば確かにどちらかのハコにいれられる。 <h3>o- *</h3>
直感は解決されただろうか?
されない。
間違ってはいない。
しかし、その分類に果たしてどれだけ意味があるだろうか。 <h3>o- *</h3>
まず、波瀾万丈、という言葉があるように、主人公は上がったり下りたりする。
上がったところで終われば確かにハッピーエンドに見える。
だがもし、その後を追い続けて、喧嘩の絶えない家庭になって、そこで切ればバッドエンドである。 <h3>o- *</h3>
登場人物が全員死んでしまうような1ページを最後に追加することもできるし、
死んだはずの主人公が不思議なことに何故か生きていた、と書くこともできる。
(井伏鱒二の「山椒魚」の改稿を見よ) <h3>o- *</h3>
「最後にデザートが出たよ」
焼肉屋だろうが鍋料理だろうがフレンチだろうが中華だろうが、最後にアイスかなにか出てきてもおかしくない。
ハッピーエンドか否かによってその物語がどういうものであるか知ることはできない。
冒頭の二分法を受け入れるのに直感的な抵抗が生じるのは、それゆえかもしれない。
<h3>o- *</h3>
もうひとつ
「助けの必要な負け犬が主役のストーリー」と「お仕置きの必要な成功者に天罰が下るストーリー」
という二分法もあるそうだ。
これは中身に言及があるという点で、ハッピーエンドかどうか、という分類にはない特徴がある。
だけど、やっぱりこれも物たりないんだよな…
昨日これ↓を書いのですがその結果を報告したいと思います。
少子化のこと言ってる人は本当に子どもを育てたことあるのだろうか?
http://anond.hatelabo.jp/20131126124157
結論を言うと、私的な部分ですが
もうこれを最後にわたしは書かないのと
すぐ消すとこれも消えちゃうかもしれないので一旦放置しときます。
あと、この日記も一切返事しないので有意義に使ってもらえればと思います。
まず書いた理由
・どんなサービスか使ってみたい
決めたルール
・本当に思ってることを書く
・対応は誠心誠意に
話が展開してほしいし、いやな文章は書きたくないので
・性別は断言しない
・決まり文句は極力使わない
使うと形式的な流れになりそうだから
・http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/chapter2.html
晩婚化や未婚化の方が出生率の低下の理由としては大きい。
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ここでひとつの結論はでました。なるほどと本当に思いました。
タイトルと本文の内容をセットで考えるとすごい的確だなって。
1人あたり年間50万くらいかかるって言ってるけど。
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これに対して返事書いたんですけどうまく下にくっつかなくて、
少し平均というものの使い方に疑問を感じました。
仮に1と10000があれば平均値は現実からかけはなれているので。
このあたりから、
親にみてもらえる環境のほうがいいという話なのが
なぜか「お金なんかなくてもいい」という
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なんか一番盛り上がってますね。。
・要約すると~
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変な方向にいってたので、ここですごいホッとしました。
↓
・この手の「子育て頑張るべき」みたいな主張する人って
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否定はしないけど、やっぱり今までの流れで
「お金なんかなくてもいい」
「子育て頑張るべき」
というキャラクタ設定になってて
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駆け足でしたがそんな感じです。
コメントがないと寂しいと思って、ひっかかりそうな文言をいくつか
混ぜたのですがいっぱいコメントいただいて、とてもためになりました。
とくにここは、つげ義春のまんがにある「山椒魚」にそっくりだなと思いました。
一度読んでみてくださいね。
とにかく、すごいストレスだったのでもうやりません。
でも一部を除けばしっかりした意見を書いてくれてる人も多いので
それでは、さようなら。