はてなキーワード: ポリシーとは
はてな匿名ダイアリーというものが、何故かしっくりくるかこないような。
『ネット掲示板で誹謗中傷されて、真面目に恨んでいる。』ということだ。
それともう一つ。
もしこのことがネット掲示板がこの記事のリンクをされてしまった場合、私は誰なのかは教えない。
あーだこーだと言われても、私は決して名乗らない。
そういうポリシーでこのダイアリーをやっているから、よろしく。
あと、ネット掲示板にリンクされたら、真面目に許さないから覚悟しておくように。
まあ、そういうことで次回はこの界隈で起きていることを告発しようかな。
告発したくなければ、大人しく私の言うことを守るっていうことだな。
俺はクソアフィブログやってるけど、ポリシーとして嘘は書かない、ネガティブな記事は書かない、読んでて面白い記事、楽しい記事、感動する記事を目指している。そして、ソースは絶対引用元を示すようにしている。
ゲーマーでもあるのだが、GameWithはゲームやってすらいない人が書いているというふうにしか見えない。
その上で検索上位に出てくるので、邪魔で仕方がない。Game8も同じ。
一個人のゲーマーとして、個人サイトのほうがすごく情報まとまっているし信頼している。GameWithは信用していない。個人的にはだいっきれーだ!
これは当たり前のことだろうけど、GameWithはしない。個人サイトのソース元を書くのはリスペクトの意味もある。
GameWithはリスペクトが足りない。
たぶんそのゲームにおいて、一番情報の精度が必要なときどうするかって言ったら増田のサイトを見るだろう。
でも良いコンテンツがあるとして、そこにたどり着けないというのは一番の問題だ。
Twitterも告知に使っていって欲しい。更新告知アカウント作って、ゲームやってるやつどんどんフォローしていってみてくれ。
アフィはやってるのかわからんけど、アフィってだけで嫌がるやつもいる。
増田がアフィやってないなら、それだけで武器だよ。(個人的にはアフィは有りだと思ってる。金払わずに投銭できるようなもんだよ)
GameWithはドメインパワーはすごいけど、それだけだ。中身が無いサイトだってわかってるやついるよ。
増田の熱意がすごいのはわかるので、諦めないで欲しい。
俺は応援するし、増田がGameWithに勝ったその瞬間が見たい。
グッドラック!
出産後はとても大変なので、夫婦双方で話し合って色々と決めておくとよいと思うが、
自分が経験して、これは良かったとかもっとこうしてあげたらよかったとかあるので、
それを共有しておく。私は夫。
1:里帰り出産のススメ
頼れる実家があるというのは素晴らしいことだ。
そうすると、奥さんは子供だけに集中できるし、育児のリズムも作っていける。
週末に実家へ夫が会いに行けばいい。
親しき中にも礼儀あり。
2:ミルク併用のススメ
まだまだ気の抜けない状態が続き、そしていわゆる家での生活が始まる。
ここで思うのは夫にも子供への愛情を持ってほしいならミルクを併用しよう。
この時期の夫は完全母乳の場合、下手するとお風呂くらいしか子育てに参加できない。
それで十分だと思うだろう?違うんだよ。経験上絶対に赤ちゃんの食事をちゃんと経験できて
げっぷまでさせてあげられるとほんとに、いろんな実感がわくんだよ。(経験談)
あ、俺父ちゃんになったんだな。って思うのですよ。
そして、ミルク併用の一番のメリットは「母親が8時間寝れる日が作れること」
これに尽きる。3時間おきに母乳は本当に大変だ。ずっと寝不足なんだよ。
肌もあれ、髪もボロボロになり、寝不足は家事のやる気も奪っていく。
だから月に2回できれば週に1回、週末に夜の赤ちゃん担当を夫が変わるんだ。
ミルクを併用してるとこれができる。すると奥さんは8時間寝れるんだよ。
そうすれば、奥さんのやる気メーターも回復するし、家事もはかどってくる。
3:子育て中寝室分離のススメ
夫だって、夜赤ちゃんが泣けば普通に起きる。平日だとこれはこれで夫側もかなりつらい。
だから、2のススメとも関連するが、寝室を別にしておくと平日は夫は普通に寝れるので、
仕事に影響が出にくい。かつ終末は奥さんと変わることで今度は奥さんが安眠できる。
我が家はこれで、かなり助けられた。
だが、これは2のススメが前提になる。週末に赤ちゃん担当を変わらないと、
それはただ夫が安眠むさぼってるだけで怨嗟がとぐろをまくから気を付けて。
自分としてはもう少し、週末変わってあげる回数が多くても良かったなと後悔してる。
これがあるだけで夫は食事後の後片付けをするようになるし、
洗濯を回すこともできるようになる。
子供への時間を作るためにも家事はできるだけサボるというより、
楽にできる方法を取り入れるべきだ。
5:安息日のススメ
そしてできれば2か月に1回できれば月に1回。奥さん1人で外出させよう。
これも2のミルク併用が前提だが、まぁ母乳でも冷凍とかで行けなくもない。
まぁ10時~17時か18時くらいまで夫が1人で面倒見る。
この時期は夫側もミルクあげて、げっぷさせて寝かして、必要ならおむつ替えておけば後はTV見れる。
6:それ以外は夫の好きにさせるススメ
これが実は一番大事なんですが、ここまでのことができたなら、
それ以外のことは大抵は夫の好きにさせてあげてくださいな。浮気以外は。
奥さん側も「常に早く帰ってこいや!ごるぁ!」オーラが出てると、
夫さんもつらいんです。
以上。
まぁそれなりに育児に対するポリシーも各々おありになるでしょうから、
あくまでおススメです。あとは双方話し合って、それぞれの夫婦なりの「型」が
作れたら、きっとそれが正解だと思います。
その自分の考えこそが大いに間違いであるという疑問を持たないでいた
現実はそれを実行できるか、結果に起こせるかということにしか関心がないようで
それについて絶望しているものが弱者であり強者はただ合理的行動を取ることができる者であるというのは疑いようがない
強い者が強くあり続ける理由がようやく分かった
それを俺が求めている答えでないことも、認められないことこそが己の弱さであることも
やるべきことは突き留めることではなく、それを理解し自分が変わることではないだろうか
俺は産まれたときからずっと支配権を握られることに強い抵抗を覚えてきた
なぜ支配されることが嫌なのか考えてみたが、それ以上の理由がこたえられない
何かに決定されることが極端に嫌いだ
なぜ俺は決められなくてはならないのかと
影響を受けて支配され続ける限りは俺は永遠に自由になることはない
俺の求めている自由が一体何を意味するのか俺自身には分からない
だから正確な怒りの理由や動機が説明できないが、とにかくずっと怒りを感じてきた
人という檻の中で生きるのが苦痛だし、
宗教的観念やモラルにしても倫理にしても守らなければ自分の身を守れないという理由で守っている
つまり善人ではないのだ
俺が自分が根本的な悪人、悪感情を持っていることを強く自覚している
善とは嘘偽りのない感情で、常時ではなくとも、常に善人としての行動や心情を選択できる人間だと信じている
だが
だから探し続けている
俺は自身が悪であり、生きるべき善人を見つけたときにやっと死ぬに値する人間として生を受けたことを自覚し、
死を受け入れることができる
それが死生観だ
ずっと探し続けているが見つかりそうにない
もちろん俺と比べたら幸せな家庭をもっていたり守る家族を持つ、まっとうな人間は見てきた
だがどこまでも自分は疑いを持ち続けた
無力だ
100%の確率でそんなものはないし、自分を納得させれるだけの材料は揃わないとも思っている
愚かだ
であれば開き直り弱肉強食の世界に対して利用できるものを踏みにじっていくという精神性を持つべきだった
自身が悪であると思いながら悪を肯定しきれない未熟さ不安定さが俺の人間としての軸を破壊している
この世の正しさを作り出せるとしたら圧倒的な力だ
俺のように無力な人間にも目はついていて耳は聞くことができる
恐ろしく力の大きな存在を少しでも感じることで俺は残りの人生の生きる糧にしようと思う
俺はもう生きるのに飽きてはいるが
やはり死んではならないと考えている
ずっと繰り返してきたのだ、10年以上
だから楽しみは観察することや知ることだけだ
もう何かを変えられるとは思わないし興味も無くなった
聖人がどこにいるか探すよりも力を見ていたほうがずっと正しいと思っている
今ではそうだ
個人的な感想だと人物の行動が割と合理的というか納得がいくから?
ああいうのって割合ご都合主義で、ストーリー展開のためにゾンビが急に強かったり弱かったり登場人物がなんでそんな行動するの!?バカなの!?っていうのが多いんだけど、そういうのがウォーキング・デッドはあんまりなくて、登場人物のそれぞれの行動が一貫してて、バカはバカなりのポリシーがあったり、賢い人はちゃんと考えるし、それぞれのキャラクターの中で苦悶したりとかする感じも納得感があるというか。
ああいう極限の状況下において、人がどういう行動を取るかっていうのがすごく作り込まれてる感じがして面白い。
ニーガンの極悪さとかかなり最高。
男性と同じに責任を負って働き、大きなプロジェクトを完遂するには
私は今まではジェンダーに逃げず、第一線で仕事することをポリシーとしてきた。
そんな自分がこんなことになって考え方が変わることになって、
世の中のジェンダーの話題がなんとなく、ああそうなんだなあと感じるようになった。
自分でも少し残念さを感じてるところもある。
お前は勘違いしてる
いや、マジで本当の話だ
お前の想像
何で過失する?
何で事故が起きる?
なんで?
考えてみた?
「じゃあなんで俺はこうなの?」
みんな修正してる
ミスする、間違える、それはもう起こったら仕方ない
怒られるくびになる評価が下がる
それは結果だから仕方ない
普通のこと
二度目が起きないよう修正する
お前には一刻も早くこのポリシーを脳みそに刻み付けないといけない
お前に残されてる時間は少ない
何かを優先させなければいけないのなら時間
クヨクヨ悩む必要がなくなる
そんなことに神経使うくらいなら修正に使え
他はすごいぞとか
できないんだろ?
じゃあ無理したところでミスするだけ
お前の速度でしろ
マイペースは遅くて良いといってるんじゃない
お前の出せる最高速度でいいって話
それ以上、優れたパフォーマンスなんて発揮できないだろ
理解できたらやっと入口
堂々と8年引きこもってましたって言え
それで十分
見下されたらどうぞ見下してくださいと思え
当然だから
不当な評価と思うな
でもこの先やることを変える必要もない
ただ一歩ずつ前進すればいいだけ
遅いとか違うとか何やってるとか使えないとか
誰が何を言おうが無視して
https://anond.hatelabo.jp/20180218001154 の続き
ホントに切り分けといてよかった。結構な批判や反論ももらったが、整理しておいたおかげで理性的に受け止めることができる。
はてブで「女性専用車両では女性間の痴漢被害が全然解決されない」というコメントがあった。確かにそれはもっともなので、c.の項目に付け足したい。
圧倒的に「フリーライダー」について指摘するコメントが多かった。「フリーライダーが問題」と書いたのは安易だったかもしれない。
もしフリーライダー的に女性専用車両に乗車する女性がいるとしたら、男性側のささやかなコストにも気づいてあげてほしい、というくらいの意味だった。例えばこうだ。
あとは、フリーライダーの女性とそうでない女性が見分けがつかないというのが話を複雑にしている。痴漢に遭わなそうな外見をしているからといって「こいつはフリーライダーだ」と決めつけて揶揄する人は多いし、それは恥ずべきだと思う。だからといってフリーライダーが全くいないことの証明もまた難しい。
もし今後本当にフリーライダーの存在が施策の是非を分けるとしたら、フリーライダーの実態調査と、フリーライダーを見分ける仕組み(安易に性別で区切るのではなく、より多様な属性で精度高く区切る、公的な認証制度を設けるなど)の検討が必要だろう。でも個人的な自分の意見としては、フリーライダーが相当数いたとしても許容して良いと思うし、痴漢を正しく見分ける仕組みをとっとと作った方がマシだ。生活保護とは違って、フリーライダーは施策の是非の本筋ではない。フリーライダーの多寡がこの施策の命運を分ける未来はやってこないと思う。
個人的に一番紛糾しやすいと思っているのがここ。でもそんなに指摘はなかった。
2. 「アファーマティブアクション的なもの」だから不合理な差別ではない
「ゾーニング」については情報が少なくてよくわからなかった。ゾーニングも条件次第では不当な差別になるのでは?
「アファーマティブアクション」が一番自分の思う核心に近い。アファーマティブアクションはいうなれば、根本的な差別を解決するという大局のために、より小さな差別は積極的に行うべきという考え方だ。特に雇用関連では女性を優先的に扱うことが法的にも許容されつつある。
女性専用車両がアファーマティブアクションだとすると話はシンプルで、アファーマティブアクションが認められる社会であれば女性専用車両もOKかもしれないし、認められない社会ではNGだ。
日本でのアファーマティブアクションについての合意形成はまだ過渡期に思える。今後は「こういうルールならアファーマティブアクションはOK」という形の合意形成がなされていくことを期待する。
個人的な意見でいうと、アファーマティブアクションは終了条件を明確にして、「苦肉の手段である」ということを公知にするのが良いと思う。鉄道会社は女性専用車両も「こういう状態になれば女性専用車両は終了する」と明言するとみんな分かりやすいかも。
あと、アファーマティブアクションは差別ではないとする意見もあった。うーん、肯定的差別という言葉で紹介される国もあるし、やっぱり差別なのでは?
「特権意識」というワードへの反発がちょっとあった。ちょっと言葉選びが雑だったかもしれない。
これまでの人生経験から、"〇〇専用" という言葉は人をおごらせて攻撃的にする魔力があると常々感じていた。上級生専用、東大生専用、正社員専用、、、
女性専用という言葉の魔力せいで、女性専用車両に入り込んだ男性(間違って乗った人や、子どもや障害者、その付添人なども含む)に過度に攻撃的になる女性がいなければいいな、と思う次第だ。
Twitter もはてブも短文なせいで相手の立場を100%理解せず批判の応酬が起こりがちだ。
よくよく話してみたら意外と「あれ、そこまでは同意見なんだ」ってことはよくある。
個人的には女性専用車両の「やり方」には否定的だが、すぐさま撤廃すべきでもないと思っている立場。
具体的には以下の通り。
私が女性専用車両を賛成する立場の人と議論する場合、e. や f. あたりの論点を中心に、より摩擦の小さい痴漢防止のアプローチを探るのが建設的だ。逆に a.-d.あたりを蒸し返されても「え、そこは反対してないのに」と思う。
ライトノベル作家の如月さんが自身の著作のカバーイラストがポルノに該当するとして、広告料金を払い込んだのに、Twitterに広告を非掲載にされ、その対応についてTwitterジャパンにクレームを入れた件が話題になっています。しかし、この件はよく考えてみれば、単なる言いがかりだということがわかります。
如月さんは、クレジットカードで広告料金が引き落とされているのに、広告が非掲載にされている事について立腹していますが、Twitterの広告課金システムは、クリックやリツイートなどの反応があった場合にのみ課金するクリック課金システムです。
広告掲載のポリシーに反する報告は停止されてしまいますが、ポリシーチェックチームが報告をチェックするまでに時間があるので、それまでの期間は広告が掲載され、広告が掲載されていた期間に関するクリックが課金されているのです。要するに、如月さんの広告が停止するまでにあったクリックについて課金されているだけですので、Twitterの請求は正当です。
もちろん、お金を振り込んだのに、広告に使わなかった分のお金は後で引き戻すことができます。(当たり前ですね)
如月さんは、クレジットカードの引き落とし履歴をスクリーンショットし、まるでバナー広告の支払いのようにすでにまとまった料金を先払いしているのに広告だけが停止されているとミスリードしていますが、これはおかしい。
Twitterはクリックリツイートなどの反応があった分についてクリック課金をしているわけです。ですから、まるでお金を払ったのにTwitterに理不尽に広告が停止されているとミスリードするのはアンフェアではないでしょうか。
あるいは、クリック課金だと言うことをよく理解せずにクレームをつけているようにしか思いません。
問題になったカバーイラストが来るのかどうか、これは明確な定義が難しいかもしれません。そこでTwitter者のポルノに関する要件を見てみましょう。Twitterは広告掲載のポリシーとして、成人向けの画像を含む広告の掲載を禁止しています。その要件として、以下のようなものがあります。
画像、動画、または文章の中における完全または部分的な裸体、および性的コンテンツ
問題になったカバーイラストは、女性の乳首の存在感が薄いシャツの下からあらわになっており、部分的なら裸体や性的なコンテンツとして扱われても仕方がないものだと思います。そもそも、国がポルノを規制する問題とは全く別でして、要するに自分のメディアにどういう広告を掲載するかしないかはその会社が決めていくものなので、気に入らなければ、別の媒体を使うしかないのではないでしょうか。
国がポルノ的な表現を拡大解釈して、表現を否定するのには慎重でなくてはいけませんが、自社のメディアに表示する画像や動画を取捨選択するのは広告を運用する会社のポリシーが優先されるべきものだと考えます。
ということで、まとめると、Twitterが請求した料金は広告が停止になるまでに発生したクリックに基づく料金なので、正当な請求です。
また、ポルノの判断についてですが、女性の乳首の存在感があらわになっている写真にはポルノ的な要素がありますし、ポルノかどうかを判断するのはTwitterのポリシーチームです。Twitterには自社のメディアにのせる広告を選別する権利があります。
うちの妻は偏食家で絶対に刺身を食べないというポリシーの持ち主なので、ちょっと贅沢しに温泉旅館を選ぼうとすると和食のコースは大体刺身がついてくるから避けるという感じになってきて、フレンチがある温泉(大体箱根)か完全に逆に振って自炊の湯治部(別府の湯治部は近くにスーパーもコンビニもあって良かった)という選択肢になってしまう。
温泉+フレンチ(洋食でもいい)で行ける良い所(箱根以外)があったら教えてくれ。雲仙の観光ホテルなんかもこのパターンが出来るみたいだけどちょっと値が張るし。
ところで妻は刺身は箸ひとつもつけないけど「うさぎ肉はねー美味しいんですよー癖の無い鳥肉というかー」なんて事を良くいう。そっちの方がゲテモノ喰いだろうっておもわず突っ込みたくなる。
名店のパティシエがレシピ教えて神経質の度が過ぎるタイプが手順を完璧にトレースして作るパターン多い
そんでフランス系のポリシーとして「砂糖とバターが多いほど美味い」って美徳があって
日本人の遠いところでなんとなく味がある、っていうのと対極なわけ
https://blogs.yahoo.co.jp/naginon/65975073.html
"「当方以外のtwitterアカウントへの言及」「某氏の個人名、及び所属団体への言及」に関わるブログからの情報の削除は行わない。"
だそうです。
「自分の文章を批判するために、賛同している人や意見してる人、RTしてる人を晒してバッシングすんな」
「マナーとして、周りの人を巻き込むな」
要約すればたったこれだけの2文なのに、ご理解もしくはご賛同いただけないとの事で
非常に残念です。
このような結果となり申し訳ありません。
実際に晒されて辛いという方もいる中、皆さんに迷惑がかかるかもしれない状態で
私は文章を書き続けることはできません。ただただ当方の力不足です。
しばらく掲載した後、アカウント及び文章は削除させていただきます。
ご質問やご意見ご感想などありましたらtwitterアカウントのDMやリプライにてお送りいただければ幸いです。
https://twitter.com/kenchin_against?lang=ja
2018/2/2
毎週1回はジムで筋トレ(または自宅で腕たてや腹筋など)をしている。
元々痩せ型で貧相だったので、少しでもカッコいい体作りのため。
…なのだが、それ以上に「週に1回定期的に筋トレを継続できている自分」が好きで、そんな自分に酔いしれたくて続けている節がある。
MT車のほうがコントロールしやすいし、操作するのも楽しいし、珍しいから希少価値感じるし、何よりせっかく取った免許(限定なし)が活かせる。
…なのだが、「そういうこだわっている自分」が好きで、そんな自分に酔いしれたくて乗り続けている節がある。
かわいい彼女がほしい。
実現可能かどうかはさておき、そのくらい誰だって考えたことあるものだ。
かわいいとまでは思えなくても、総じて「いい」と思えれば付き合った子はもちろんいた。
見た目だけじゃない。
…なのだが、「かわいい彼女をものにできた魅力ある自分」に酔いしれたくて求めているだけの節がある。
これ以外のことも含め、この通り多くのことについて最終的に「~な自分が好き」に帰結してしまい、自分は本当に意志やポリシーのある人間なのか疑問に思えてくる。
時間がたつにつれて、あのセックスが忘れられなくて困っている。
経験人数はたぶん3、40人くらい。
SMヘルス嬢の経験があるので、挿入しないプレイであれば三桁だ。
実際そのような流れだったと思う。
この人どんな顔を見せるんだろうって思った。
まあでも年齢は嘘だなみたいな。笑
始まる前はまだ自分に乾いた感じもあって。
気持ちよいところを見つけられて本当にずーっと中でこすられたり
どMなことを見抜いてそんな自分でいさせてくれたり
最中に顕示欲とかが見えない、ただ純粋にSEXが好きな感じもよかった。
初めて中でいきそうで(結果的にいけなかったが)本当に気持ちよすぎて挿入されながら「どうしよう、どうしよう」て言ってた。
たいてい、楽しくSEXできたときは「ありがたい...」と感じるのに、
今回はもう連絡とりたいし、(さくっとセックスというポリシーに反する)
おかわりがほしくてたまらない。
どうしよーおぼれたくないよーでもおぼれたいよー
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2016/02/07/121747
被害者性の道徳文化は「道徳的依存」を助長してしまい、個人間の些細な問題に自分自身で対処する能力を減退させてしまう。個人が弱められるのと同時に、人々は被害者のステータスや被害者の擁護者というステータスを得ることを競い合うので、激しい道徳的紛争が絶え間なく続く社会が登場してしまう。
…
被害者は、自分自身の強さや価値を強調するのではなく、自分の受けた抑圧や自分が社会的に疎外されていることを強調するのだ。…このような状況のもとで、第三者への訴えが寛容・堪忍(toleration)や交渉に取って代わった。人々は他人からの助けを求めるようになり続けて、自分が尊重と助力に値することの証拠として自分が受けた抑圧を喧伝する。このような道徳文化は「被害者性の文化」と呼ぶことができるだろう。犠牲者の道徳的地位は、名誉の文化では底辺に位置していたが、いまや頂点へと登りつめたのだ。
…
抑圧者というラベルを貼られた人も、しばしば「自分も同様に被害者である、と主張する」。たとえば、「ラディカル・フェミニズムに異議を唱えたために性差別主義者として批判された男性たちは、自分たちは裏返しの性差別主義の被害者であると主張することで自分たちを擁護する。被害者に対して共感的ではないとして批判された人たちは、自分たちが受けてきた被害を示そうとする」。[このように、被害者性の文化では、被害者性が競われて縮小均衡が起こることになる。左派の若者と右派の若者は、不平の渦巻きに巻き込まれるのだ。被害者性の文化が広まるにつれて、今後数十年間において政治的分極化が着実に進行していくことが予想される。]
「被害者」を過剰に賛美することで、本来は自分の力で解決できる問題を解決しようとせず、最初から人に頼ることが最も善となり
全ての人がこのポリシーに従うことによって本来起きなくてもよい闘争が起きたり、社会が停滞したりする。