はてなキーワード: アウトプットとは
自ジャンルでアンソロの企画があれば、CP事情で合う合わないがない限り寄稿依頼はほぼくる。
創作系SNSのブクマはジャンル内でもかなり多い。正直他の追随を許さないほど多い。どのジャンルを投稿してもDRには絶対に入る。
呟き系のSNSでは下手なことは絶対に言わない。日常生活を漏らすのが個人的に嫌というのもあるけど
「ジャンルのことだけ語ってればいいや」と思ったら呟きは自然と減った。
なんのためにSNSしてるかって同志と交流したいからであって、コメントはいただけば絶対返すし、
萌えてる話をしてる方がいたら必ずイイネ等反応もする。腐女子だから萌えには我慢できないんだわという具合。
ともかく下手なことはしてないはずだけど、まったく話しかけられない。
アフターなんて誘われたことがない。フォロワーさんと食事とか、ましてや旅行なんて別次元過ぎる。
私から誘うと「先約が…」という時差が出てしまう。みんな早いなというか…暗黙の了解のうちにアフターが決まっている「身内」が羨ましい。
私の数少ない友達は「よくあの人と話せますね、自分は緊張して無理です」としょっちゅう言われるらしい。
イベントに出たときスペースで一番よく言われるのは「意外と話しやすくて気さくな人でびっくりしました」。
……とはいえ「これは建前に過ぎずおそらくジャンル内で嫌われてるんだな」と判断して一度は様子見に入った。
が、ブクマも同人誌の売り上げもまったく減らない。むしろ増え続ける。いや……もう本当にこれはなんなんだろう…
「あなたがこんな下劣な話をするわけがない」「あなたはもっと高潔な作品を生み出す人のはずだ」「失望しました」
というような長々と苦情みたいなのがきた。
やっと声が掛かったと思ったらこんなかんじ。しかもこれは定期的に別の人からも来る。
何が高潔だよ、二次創作だぞ?他人様が作ったキャラクターをお借りしてる身でしかない。高潔ってなんだよ。
これを言って来た人々はR18でもなんでも読む人だったので尚更納得いかない。
あとは
「新刊の展開、素敵だけど◎◎さん的にはどう思う?^▽^」「まぢ◎◎だよね!」
距離がなさすぎるわ…あと誰だお前は…
突然現れて、嗜好もなにも分からない初対面の人との雑談という器用な事、残念な事に私はできないんです。
困っていたら「返事がほしいな><」
もう降参だ…と限界を感じ、正直に返信に困っている事を謝罪すると
じゃあそっち行ってくれ…確かに友達は欲しいけど、なんでこんな極端なんだ…
私は下積みが非常に長くマンモスジャンルにいた年数が長いため、自分が認識する「大手」の規模はやばい。
壁に段ボールを高々と積み上げるようなサークルさんのことを「大手」と思っている。
彼女達はアフターで一人前ウン万円程度の高級肉店を使い、フォロワー同士でとんでもない距離と予算の旅行もしていた。完全に別次元だ。
だから、今いるジャンルで自分はいわゆる「神」だろうけど「大手」ではないという認識であった。
自分が何者なのかが重要なのではなく、周りが何者と感じているかが同人では重要だったのだ。
それに気付いた頃にはもう疲弊してしまい、今はもうどうしたらいいのかわからなくなってきた。
ジャンル愛はあるからアウトプットは続けるけどとにかく、普通の手順で普通の距離感を保ってくれて、あとこちらの萌えを尊重してくれる
知ってはいたけど、なんかどこから見たらいいのか分からなかったんだよね。
昔ならFBとかまとめブログをいじっていた時間がはてなに行き、Twitter使う時間もちょっと減って、休日は合算すると2時間ぐらい見てない?って日もある。
増田もブコメもアウトプット系はしてないけど、かなりはてなーになってきた気がする。いえーい。
自分の物差しを持たないと辛いんだね、という共通メッセージみたいなのに気づいたとき、はてなーになれた気がした。
底辺にいる自分からするとすごい人たちばっかりなのに、みんな苦労が耐えない。
トラバを見ていくと、上を見れば見るだけキリがないし消耗するってことが書いてある。
ブコメで筋肉の話題を見ると安心するようになってきて、なんだろうと思って考えたら、人と比べず現状を肯定して伸ばそうってことなんだね。
自己肯定感なんて、忘れてたよ。
大前提として、自分にとって何が良質な内容で何がクソな内容なのかは個性と主観によって違ってくる
よって基本的に善意のアウトプットは無条件で推奨される物であり、自分にとって役に立つかクソであるかを見極め選別するのは情報を拾う側の義務である
その前提は受け入れた上で、日本語のアウトプット記事に(自分にとって)役に立たない物が多い、という感覚は共感できる所ではある
いろいろ有って2年ほど努めた会社を離れることになった。職種はWEBエンジニア。主にフロントエンド担当、ポジションとしてはリーダー格。所属会社はいわゆるWEB系ベンチャー。
何社も経験しているジョブホッパーだが、スキルや経験はこの会社で一番貯めることが出来たし、一緒に働いてきた仲間はいい人たちだったので感謝している。しかし事業の方向性と自分の方向性がずれ始めたので会社を離れることになった。
この会社では採用も担当することが出来、そのおかげか今回の転職活動は人生で最もスムーズで、かなり質の高いオファーを複数もらうことが出来た。どこも魅力的な会社で高い評価を頂いているので、辞退する会社には正直申し訳なく思う。もちろん超売り手市場の超売り手職種ということもあり、自分の実力以外の側面も強いのだが。
そこで2回に渡ってありきたりだけど、転職について書きたいと思う。今回は採用側としての視点で書く。
※自分の身バレ以上に応募者のプライバシーのほうが問題なので、ある程度ぼかして書いてます。
100名近く会って実際に通したのは5〜10程度。一次通過率厳しすぎじゃね?って思われるかもしれないが、自分としてはできる限り通すつもりでやった。それでもこの結果だった。
フロントエンドエンジニアということなので、最低限「HTML/CSS/JavaScriptでコーディングできる人」「Gitを使った開発ができる人」という観点でだけしか見ていないのだが、それすら至っていない人が多かった。
「職業訓練校で習ったので、AdobeとHTMLとCSSは出来ます、jQueryプラグインは設置できます。Gitってなんですか?」とか「制作会社でLPを量産してきました。Reactってなんですか?」とかそういう人である。
いくら売り手市場とはいえ、Webアプリ開発者を求めているので、このレベルの人を採用して教育するほどの余裕はない。最低限学習意欲や、キャッチアップする能力があればいいのだが、こういう人に限って「これから頑張ります」という感じなので、正直お断りしていた。
こういう人は本来であれば書類でスクリーニングすべきなのだが、会社自体が有名ではないせいか応募母数が多くないので、こういう人も書類は通していた。
逆にSIerや社内SEからの転向組の方も多かったが、「JAVAで基幹システム作っています、バージョン管理はSVNです。Angularってなんですか?」とか「社内システム開発でベンダーコントロールしてました。希望年収は現職と同じく700万です」とか。もちろんGitHubアカウントなど持っていない。なぜ弊社に応募してこようと思ったのか謎である。
恐らく流行のモダンフロントエンドとRailsでGitHubでPR開発という、ベンチャーによくあるキラキラした部分に惹かれてきたんだろうけど、それにしても準備しなさすぎじゃないですか?この手の人に少し技術的に突っ込んだ質問をすると、大体とんちんかんな回答が返ってくる。
そもそも、いくら応募母数が少ないとはいえこういう人を書類通過させるのもどうかと思う。もうちょっと書類でスクリーニングしてくれと言ったが、自分の意見は通らなかった。ちなみにその上司ももう会社にいない。
上記に書いた社内SE氏もここに含まれるだろうが、それ以外にもこういう人がいた。
「43歳で現在雑用アルバイト。会社のホームページ担当を片手間でやってます(一応paizaではS判定)。ところどころ空白期間あり(聞いたらガチニートだった)。Gitってなんですか?」とか「38歳でコンサル会社でマーケティング担当ですが、技術的スキル手に入れたいのでキャリアチェンジしたいです。スクールでWEBコース勉強してます。Vue.jsってなんですか?」とか。
どちらも普通なら書類落ちレベルだが、前者の方はpaiza経由なので面談確約だし(paiza経由でGit知らないとかギャグかと思った)、後者の方もポテンシャルによっては通してもいいのだが、年齢の割にちょっとキャリアに考えが甘すぎると思ったのでお断りした。
正直なところ、自分もジョブホッパーだしあまり性格がいいとは言い難いし、実はそこまで人柄は見ていないのだが(どんな人にも長所短所はあると思うので)、それにしてもちょっとこの人とは働きたくないなと言う人はお断りした。
具体的には「前回面談で日程勘違いですっぽかしたにもかかわらず、再設定された面談で一切謝罪もなかった」とか、退職理由を聞いたら「上司や同僚とうまくいっていない、自分にはもっとふさわしい職場がある」とか、技術的に少し乖離がありますが大丈夫ですか?と聞いたら「そんなの調べれば出来るし、大した問題ではない」と逆ギレ的に回答してくるなど。
ちなみにこれは全部同じ人。あまりにもひどいので速攻でお帰りいただいた。エージェント経由だったので、一応人柄でこれは駄目でしょ的なフィードバックを返したけど、多分こういう人は改まらないだろう。そもそもすっぽかした人を再面談なんてありえないと思うんだけどね(これは会社批判)。
ジョブホッパーの自分が言うのもアレだが、こういう人は次の職場でも同じ問題で離職することになるだろう。まずは自分を客観視することからおすすめしたい。
その人はもともと難関大学と出て難関資格を持っていて、それなりに高い給与をもらっているハイスペックな人だったが、WEBエンジニアになりたいということで海外にエンジニア留学したといいう人である。
と、ここまで聞けばポテンシャルだけでも一次通過でいいような気もするが、肝心のGitHubの成果物がいわゆるスクールで勉強したものそのままという感じで、あまりクオリティが良いものではなかった。
聞いてみると、その成果物もスクールの仲間で作ったもので、実装は他の人がやっていて、自分はプロマネポジションをやっていたということである。
年齢も若い人だったので「弊社みたいな有名ではないベンチャーではなく、いわゆるメガベンチャー的なところとか受けなかったのですか?あなたならそこでも活躍できそうですよ?」と聞いてみたところ「そういう大きなところでは、自分で手を動かすことが出来なさそうだから考えてないです」とのことである。言ってることとやってることがちぐはぐである。
こういう人に必要なのはスクールに行くことではなく、まず自分がやりたいことを明確化して、実際にそれを実現するには何が必要かを考えることではないだろうか。
正直なところ、無理にエンジニアになるよりも大きな会社で、プロデューサーポジションとかに行ったほうが幸せな気がする。ただそういうところも「意識高い系」はいらんだろうけど。
通した人は母数があまりに少ないのだが、だいたい同じような傾向である
年齢や経歴はバラバラだけど、方向性はだいたい一緒である。正直なところ、実はそこまでハイスペックな人を求めているわけではないし、有名ベンチャーみたいにアウトプット原理主義というわけでもないのだが、ハイスペックな人はだいたい上記が当てはまる。
さてこれだけ頑張って一次面接通しても、最終的に採用に至ったのは2名である。経営者と現場の判断はまた別なんだろうし、うちで欲しい人はよそでも欲しいので辞退もそれなりにあった。
エンジニアはエンジニアリング以外したくない、自分の業務以外はしたくない、という人も多いだろうが、採用に参加するのは自分にもメリットがあるのでおすすめである。
チーム作りとかそういう意識高い的なことでもなく、ひたすら自分の他メリットとして考えても十分有用である。実際に自分の面接官として苦労した話をすると共感を得ることが出来て、非常に有効だった。
id:xlc 人が集まらないのはあなたの会社に魅力がないから、という前提を忘れているんでないかい?
まさにそのとおりで、だからこそ採用に苦労するし、それどころか自分を含めて次々と離職している。ただ今回は自分の採用視点でのナレッジを活かしたいからこういうのを書いた。
リファラルがどうのとマネージャーが言ってきたときは「うちの会社にリファラルで人を採用できるような魅力あると思う?」と言ったらぐぬぬとなっていたw。
採用手当以前に、まずは作っているプロダクトと労働環境を魅力的にしろと。
M社の例の怪文書は採用強者側の視点で、自分が書いたのは採用弱者側の視点。強弱にかかわらず最終通過率が殆ど変わらないのが興味深いと思う。
id:thesecret3 100名も会って採用1~2名なら人材紹介か社長の一本釣りのほうがよくないか?
社長はエンジニアの実務層への伝手はほぼ皆無だし(ビジネス出身だし)、人材会社はエージェントを使ってたけどほとんど効果なかった(M社と同じ感想)。いわゆるヘッドハンターを使うほどの金はないし。エグゼクティブではない実務レベルの人をヘッドハンティングするのは。。。これに関しては求職側編で書く。
あれ、たった一言でこれまで積み上げてきた人生の価値観をアウトプットできる、すごい見せ場じゃないですか。
おれ、とっさに振られて、ここ大事なところと思ったけど、あたまパーになっちゃって、「摩訶不思議」っていったらクソわらわれた。
女性差別、表現規制云々する人は嫌悪という気持ちを中心にして話をしているので
瞬発力を求められる(というか早く表現することが気持ちよくなっちゃう)Twitterとかネットニュースだと
気持ちを正当化したい欲望に振り回されて「自分が悪くない・間違っていない」と取り繕うためにブレブレになっちゃうから
何かを論ずるには相性悪いと思うんだよなー。
自分のブログでホソボソと、そしてじっくり考えてからアウトプットしたほうが安全だと思う。
自分の嫌悪の押しつけは不当じゃないか? ただのわがままじゃないか? という段階が全くなさそうなので
ずっと応援していた、
毎日その子のことばかり考えていた、大好きなアイドルが突然いなくなってしまった。
もとからいなかったかのように、グループも事務所もなにもなかったかのようになにも言わない。
いなくなってしまったのにそれについて何の発表もないので、
その子が元気なのか、なぜ突然いなくなってしまったのか、今も芸能の仕事をしたいと思っているのか、
全部がわからない。
ファンはみんな戸惑うまま。
この1年ずっと、
小さな刃物で刺されつづけたような、大失恋を細かく刻んで体験しつづけたような、うまく言葉にできない、いままでの人生で感じたことのないタイプのダメージを受けた。
私はアイドルオタクだ。
ずっとここ数年、その子のことばかりを考えていた。
より近くで観るために良い場所のチケットを手に入れることにいつも必死だった。
行方知れずになってしまったいまでも、毎日彼女のことを考えている。
いまこのように、毛布にくるまり眠りにつくまでの間、皿を洗っている時、
街で買い物をしているとき、ネットで新作コスメなんかのニュース記事を見たとき、これをあの子にプレゼントしたらどうだろうかといつも思う。
でもいまは、なぜいなくなってしまったのかなにもわからないから、
事務所に送ってもプレゼントも届かないかもしれないし、届いても邪魔で迷惑になるだけかもしれないし、
一方的に想っているだけのファンっていうのは、もう何もしないで静かにしているのが1番彼女のためになることなのかもしれない。
改めてこう書き出してみると、なにも役に立たないくせに押し付けがましい感情しかないんだな、さみしいな。
ずっとこの1年、毎日同じことばかり繰り返し考えてばかりいたから、
アウトプットしたくて、整理して少し変わりたくて、はてなのアカウントを作った。
願いは
心から笑って過ごせること、
幸せでいてください。
ステージの彼女を観ていることがあまりに幸せすぎて、自分の頭の中のほとんどを占めすぎて、依存しすぎていたなと改めて実感した。
わたしは自分自身のことはバカで恥ずかしくて好きじゃないけど、貴女の素晴らしいステージを観ていられることが、なにかアイデンティティのような、そのように感じていた。
はぁ、きもちわるい。
よく、自分への一方的な恋愛感情の押し付け、勝手に気持ちを煮詰めて爆発させてきたり、妄想のようなイメージの押し付けをしてくる異性が気持ち悪すぎて鳥肌だったけど、
まさに私も同じじゃん。
もう一度ステージで見たいなんて欲を言わないので、
このままサヨナラじゃなくて、
もうファンの応援は必要ないですよサヨナラと言ってもらえたらスッキリする。
夜中のテンションでこんなこと書いて、明日みたらゲッソリしそう。
はー。
でも、すこしスッキリした。
いつまでたっても上手くできなくて、残業もかさんでずっと辛い。
次の職場ではなんとか、どうにか、と思いやってきたけど結局しんどい。
今まで、経理ではないが数字を扱う仕事をしてきた。ミスが絶えず、やり直しが多く疲弊する一方。アウトプットも良くない。
ずっとこんな調子だから自己効力感が失われたまま毎日を過ごしている。
プログラミングは道具というのは事実。ネジや木や鉄やそれを組み立てる道具みたいなもので目標が無いと上達するのは難しい。気づいてないかもしれないけど学校の教科書は何百年という単位で頭の良い大人が作り出した教育方法で、プログラミングを自習する場合は自分で目標を作らないといけない。例えば理想の目標があったとして、それを100とすると天才でもない限り簡単には作れない。しかし10の別の目標を達成して次に20の目標と順に達成すれば50くらいの時には100までの距離が分かり、その目標に突き進むか、諦めるか、別の目標を目指すかがはっきり分かるようになる。ひとまず簡単に出来るものを5個作るといいよ。
次にプログラミング言語とその環境の探し方を知らなければいけない。良くないものを選ぶといきなり挫折する。環境設定の話が出ているのでたぶん問題ないと思う。ただ個人的な感想では言語を探している時点で疲れて投げ出してしまうという事が多かった。重要なポイントとしては
1ゲームが作れるから最低でも2Dのグラフィックが描ける言語、3Dか物理演算があるとさらによい。
2ヘルプの付いた統合開発環境が良い。でも、これだと選択枠が限られる。
3日本語が使える言語だと幅が広がる。表面的には日本語が使えても、言語内部では違うために変換に苦労する。
4誰も使わなくてもアウトプットが出来る環境だとモチベーションが上がる。
5プログラミングの中核は同じなので言語を変えても無駄になるものは無い。
6プログラミングにはまっても一日30分は最低でも運動する。学校や買い物の行き来でも問題ない。
ちょっと癖が有るけどHSPとかかな、RubyはWindowsでスタンドアローン動くしWebでも動く、スマートフォンに興味あるならiOSかAndroidの開発環境もありかもiOSは知らないけど、Androidの方はクレジットが無くてもデビットカードが有ればアプリを登録できたはず。プロバイダの無料のホームページ枠があると思うけど、無いならレンタルサーバーを月100円のでいいので借りてみて、簡単なホームページを立ち上げて見るのをおススメする。
増田は疲れ気味だな。
まぁ昔の小説家がカンヅメにされた理由を身を以て知れてよかったではないか。
( そうでもしないと人間書けないんだな。)
Twitterアカウントは実名になりアイコンは本人画像になった。
八重洲ブックセンターで開かれるイベントに参加するようになった。
noteを書き始めた。オンラインサロンとかにも参加しているんだろう。
そういうこともあるだろう。
いわゆるインフルエンサーに憧れて,新しい生き方を標榜する人びとは腐るほどいる。
後ろのソファに置いてあるiPhoneを手に取ってTwitterで「お金2.0」とか「hogehogeをアップデート」とかで検索したら5秒で見つかるはずだ。
知らんけど。
でも,僕の大切な友人が,かけがえのない人たちが,そんな腐るほどいるであろう人びとのコピーアンドペーストみたいな発言をし続けることはどうにも耐え難い。
もちろん,彼らの生き方だし,彼らの考えることなのだから僕の口をはさむ余地はない。
分かっている。でもどうにも耐え難い。そんな気持ちで今文章を書き殴っている。
彼らは(僕らは),偏差値が高くも低くもない地方の国立大学で同じサークルに在籍していた。
みなさらなる地方から出てきて下宿をしていたので,口実を見つけては(あるいは口実などなくとも),酒を飲んだり,タバコを吸ったり,深夜アニメを観ながら麻雀を打ったりした。
彼らはみな何かを考えていたし,自身の哲学を持っているように見えた。
僕はあまり友人が多くなかったし,地元にあまりいい思い出もないので,彼らとの時間こそが僕にとっての青春時代だったのだと思う。
願わくば,彼らにとってもそうであって欲しい。
彼らはみな優秀だったし,特に就職活動で苦労することもなく大企業に内定した。
僕は就職活動をしなかったので詳しいことは分からないが,当然の結果だと思う。
魅力的な人間が正当に評価されたことは自分のことのように嬉しかった。
そして,僕らはそろって卒業し,僕は別の地方へ,彼らは東京へと転居した。
卒業後も出張や帰省やその他もろもろの用事で近くに行ったときには連絡を取るし,酒を飲みながら,コーヒーを飲みながら色々な話をする。
彼らは相変わらず魅力的な人間だったし,仕事の話も僕にとっては新鮮で興味深い。
僕は彼らのことが本当に好きだし,匿名のこの場では,恥ずかしげもなく親友であると言いたい(もちろん実際にあって確かめ合うようなことはしないので実際のところは分からないが)。
繰り返すが,彼らの生き方に僕が直接何かを言う権利などありはしない。
SNSの使い方というのは非常に難しい。
僕は母親とTwitter上で相互フォローなのだが,ある時を境に母は政権批判のリツイート以外をしなくなってしまった。
彼女には彼女なりの思想があるのだろう。何かを言うことはできない。
彼女のTwitterアカウントは数年前から僕のミュートリストの中にある。
思うに,誰もが言いたいことや考えていることがある。
しかし,咀嚼して,飲み込んで,消化してしまう前に色々なものが燃え尽きてしまうのだ。
一瞬で燃え上がり,そして燃え尽きてしまう情報について考える時,僕は大気圏で煌々と輝くスペースデブリを想像せずにはいられない。
そんな時に目に飛び込んでくるキャッチーなフレーズはあたかも答えを与えてくれるように思えるのだろう。
僕自身にも思いあたる節がある。
話が逸れてしまった。
大学時代の彼らの話は未消化で,拙く,青臭かった。
でも,決して誰かのコピーアンドペーストではなかった。
一切の出典のない話はこの世に存在しない。
でも彼らの話は本物だったし,彼ら自身だった。
そんな彼らの話が僕は好きだったし,僕自身もずいぶん恥ずかしい話をしたような気がする。
変わらない人なんていないのだろうが,そう思える。
だとしたら,僕の感じる嫌悪感の正体はアウトプットの方法にあるのだろう。
情報を噛み砕いて,飲み込んで,消化する。そして何らかの形で放出する(あるいは排泄する)。
この一連の作業に必要なものは枠組みだろう。フレームワークなしで人間は論理だった話をすることはできない(もっと言えば論理的思考も)。
いわゆるインフルエンサーは,旧来のフレームワークを貶しながら「新た」な,「多様性」の名の下に画一的なフレームワークを提供する。
では、そのグローバルな新しい世界を受け入れたビジネス書に何が書かれているかというと、究極的には自己啓発的に「がんばれ」としか言っていない。
しかし、現在の東京は、シリコンバレーでも深圳でもない、世界の中で2周遅れた街になっています。
東京にはグローバルな情報産業のプレーヤーとして誇りを持てる環境は全くなくて、そこで生まれる言葉は非常に貧しい。
もちろん、東京にもポジティブにもがいている個人はたくさんいますけど。やはりこの現状では「がんばれ」くらいしか言うことがないのだと思うんです。
(https://www.asahi.com/and\_M/articles/SDI2018071041031.html])
ビジネス本批判なのだが,いわゆるインフルエンサーの発言もこれに近いものだと思う。
絶望的な現状を(現在の枠組みを)冷笑的に貶め,インターネットとSNS,テクノロジーが新しい生き方を生み出す!と声高々に宣言する。
ではどうしたらいいのか?がんばれ。動け。ポエムを大さじ2杯ほど。
結局のところ,枠組み「っぽいもの」以上が与えられないままアウトプットのフェーズにたどり着いてしまう。
インフルエンサーの人びとは「がんばって 」それなりの成功を納めたからインフルエンサーたり得るんだろう。
ただ,彼らの何百倍もの人びとが同じように失敗し続けている。
結局のところ,誰も何も分かりはしないんだろう。
僕はウィナー・テイク・オールでばらまかれ続ける虚無を嫌悪し続ける。そして、僕の好きな人びとに薄っぺらな言葉を吐かせたことを悲しく思う。
僕の友人たちは成功するかもしれない。
あるいは失敗するかもしれない。