休みの日も触れたことのない技術を触ってみたり、知り合いとご飯を食べたり、充実した日々を送っていた。
やる気が出なくなってしまったのだ。
正直、この年齢にしては色々なことをやってきたと思う。
これ以上のないチャンスと幸せを噛み締めて生きてきた。
そうして、いよいよやることがなくなってしまった。
きっと一時的なものだろうと離れてみようと思っていたが、そもそも休日にやることがなかった。
そう、のめりこめる趣味がなかったのだ。
本でも書けば気がまぎれると思った。休日にやることができたのだから。
しかし、本の執筆というのは、人の心を蝕んでしまうことをこのときは知らなかった。
一週間やれば終わるものではない。数ヶ月は心の片隅に本を書くことを置いておく必要があった。
出版社から出る本となると、読んでくれる人のことを想起せざるを得ない。
ようはプレッシャーになるのだ。
プレッシャーは、時に筆を進めるための起爆剤となるが、弱ってる人間に対してはまったくの逆効果だった。
本を書いている間もSNSを眺めて、各々が趣味に打ち込む様子を見てきた。
楽しそう。
そうして、筆を止め、友人と遊びに出かけたこともあった。
友人と遊ぶのは本当に楽しかった。
しかし、この人は、休みの日はこんな楽しそうにしているのかと思うと、自分は友人を楽しませられているのか、なぜこの友人のように過ごせないのかと自分を貶めるような思考に至ることもあった。
その友人は人に好かれるので、常に人が周りにいた。
ご飯に誘っても、先に誘いがあるからと断られるようなこともよくあった。
一方自分の周りには、会うたびにすごいと言ってくる人たちはいたが、心から友達と言える存在は数えるほどしかいなかった。
「私とは釣り合わないですが、すごくできる方なんですね」と聞こえてくる。疲れる。
それを聞いてしまうと、一緒には過ごせないと思ってしまう。こんな思考だから友達も少ないのだろう。
友人はそんなこと気にもせずに自分と関わってくれる。とてもシンプルだ。楽しければそれでいい、と。
話を聞いていてもいつも面白い。
自分の知らない世界をたくさん知っていた。お金を払ってでも知り得ないような世界だった。
きっとこれからも技術者として、新しい技術に触れたり、ときに自分が生み出すのだろうとキラキラしていた。
そうして合点がいった。
人にちやほやされたかった。
でも、今はそうじゃない。
こんなこと書いてる自分に対して、
「ほんとお前はしょうがないやつだなぁ」「休み付き合ってあげるから、楽しいことしようぜ」
といってくれる友達がほしい。
私が誘う側ではなく、誘ってほしい。
新しいところに飛び込んでみたい、でもそんな元気はないのだ。
いや、あのちやほやされている友人が、そんな自分に気づいて、そう言ってほしいんだ。
そうこうしているうちに、技術へのモチベーションを取り戻して、色々触れたいし、還元したい。
この夏は、そういうことを考えさせる程度には暑かった。つらかった。
もしこの増田を読んでる方々のまわりにこういう人間がいたら、面倒かもしれないがどうか構ってあげてほしい。
たった一言声をかけてもらえるだけで、きっとその人は報われると思う。
増田は疲れ気味だな。 まぁ昔の小説家がカンヅメにされた理由を身を以て知れてよかったではないか。 ( そうでもしないと人間書けないんだな。) インプット、アウトプットの回路...
リアルの人からのやさしい声かけじゃないと届かなそうだけど なんか書くなら疲れてそうだからおデブりんになるまで焼き肉とラーメンでも食べてのんびりすれば