はてなキーワード: ももちとは
いやさ、話がずれてしまうのだけれど、セクハラもポリコレ的にはNGですよね(もちろん私はセクハラしたくないけど) 告ハラって言葉もあったか。でさ、こういうのって「女性が大切にしているモノ」がポリコレ的にNGって扱いになるまでいかないと、なかなか止まらないというか、考えないと思う。単純に「女性が嫌なものはハラスメント」って扱いになってしまいがち。
なので黒塗り文化ももちろんポリコレ的にNGになっていただいて、一度、女性コミュニティ内でも政治的正しさについて考え直す機会になってほしいな。
2年くらい前まで入退院を繰り返してた。
中高生時代にも子供精神科に通ってたけど、高校卒業を期に、いったん精神科も卒業した。
私がお世話になった病院は精神医療専門病院で、なおかつ建物が新しくなって間もなかったのは、とっても幸運。
大学で一人暮らしをしてたある日、何故か包丁を持って外にでようとしてた。やばいと思って近所のメンタルクリニックに行ったら即病院に紹介されて、受診したその日に入院が決まった。
はじめは保護室という部屋に入れられた。
窓はなくて、トイレとベッドだけがある、施錠された個室。分厚い鉄扉についた小さな窓から、1時間に1回看護師さんが様子を見にきた。
部屋が真っ白で、ベッドに寝転んで天井を見上げるしかすることなかったから、いまでも白い蛍光灯は苦手。
何も持ち込めず誰とも話せず、孤独で辛かった気がする。
数日様子を観察されて、解放された。
4人部屋に移った。
入院の際にコード類や携帯は没収されてるので、音楽も聴けなかった。外部を遮断できるツールが使えないこれが一番辛かった。みんな顔死んでるけど。
病棟内でも保護室エリアと一般エリアは区切られてて、一般エリアは以外と静かだった。騒いだり奇声を発する患者は保護室に入れられてるから。
ご飯は食堂で一斉に食べた。毎回暗黙の席取り合戦がある。勝つために時間がきたら早く座ってた。
主治医の許可がでて看護師さんに言えば、1日に1回だけ売店に連れていってくれた。何買ったかはもちろんチェック。甘いもの好きだけど、買いすぎると怒られた。部屋に持ち帰ってこっそり食べたりした。
私と同い年くらいなのに立派だな、と思ったし劣等感爆発した。大学に行ってたはずなのにどうして今こんなところにいるんだろうって。病室の窓から大学が見えるのが、余計に悲しかった。
テレビ見るか、作業療法行くか、塗り絵するかくらいしかなかった。
それでも主治医が毎日顔を出してくれて嬉しかったのは覚えてる。
一度、持っていたタオルで首を締めることがあった。一応看護師さんに軽く報告してタオルは預かってもらった。
そしたら当直の医師に伝わってしまって、保護室に連行され身体拘束された。
両手首・両足首・胴体の5箇所をベルトでベッドに固定され、ピクリとも動けなかった。
おまけに血栓防止ストッキングなるものを履かされ、めちゃくちゃ痒かった。
痒くても掻けない。
拷問のようだった。時間が経つのが遅すぎて気が狂うかと思った。
私はまだ、見回りのタイミングでベルト外してもらってトイレできたが、最悪オムツらしい。女子の尊厳は守られた。
食事は胴体と手首のベルトが外され、ベッドの上で監視されて食べた。
翌日に主治医が来てくれて、もうしないことを約束して、その翌日に解放された。
あれは自分にとって紛うことなき拷問だ。罰則だ。約束を守るように頑張った。
症状の軽い人たちがいる病棟だったから、会話が楽しかった。気のいい兄ちゃんもいたし、優しい兄ちゃんもいた。
でもそれ以外の病棟は、みんな症状重くてそれどころじゃなかったなぁ。
私も病状が悪化して、ますます壊れてたし。身体拘束はこのころね。
なんだろ、そんな感じ。
まだネタはあるけど、区切るわ。
んじゃ。
ネットニュースで読んだ時愕然としたよね。いくら個室でも撮られるような環境でよくキスなんかするよね?
そりゃあ、追いかけ回してる記者も記者かも知れない。でも撮られるような環境で、公共の場で、なぜキスをする?
世間の人から言わせてみればアイドルなんて言われる歳じゃないかも知れない。でもファンにとっては永遠にアイドルであるわけで、夢を見させ続けてほしい。そういう考えでないファンの方ももちろんいらっしゃるでしょうが、そうでないファンも少なからずいる事を知ってほしい。
お金を落としているのはそういった事を嫌がるファンもいます。貴方の着るもの、食べるもの、住むところ、ほとんど貴方のファンが出しているのです。付き合うなとは言いません。でももう少し上手い付き合い方があるでしょう?中高生じゃあるまいし、ましてや40目前なのだから、大人の付き合い方あるでしょう?
好きな女の子が整形した。ずっとコンプレックスと言っていた一重の目をクリニックに行って二重に整形した。今日整形した二重の瞼をTwitterにアップしていた。僕は彼女の目元が大好きだった。
彼女が目にコンプレックスをずっと抱えているのはもう何年も前から知っていた。いつか整形したいとずっと言っていた。「可愛いのに」ってずっと思っているだけだった。
本人に伝えるのは失礼だと分かっているからもちろん伝えはしないけれど、とてもショックで仕方ない。他人の見た目に口を出すことが烏滸がましいのは分かっているけど、目元が涼しげで賢そうで大好きだった彼女の瞼が失われてしまった。僕がやめなよなんて言ってももちろん意味はなかった。彼女が一重でも美しかったのはみんな知っているし、彼女はみんなにそのままでも充分綺麗だよなんて何百回も言われただろう。それでも整形したかった彼女の気持ちを考えると仕方ない。
誰が、というと人間や組織に限定されてしまうが、科学とか宗教とか観念的なものも含めて、
未来のことは本来わからないのにも関わらず、科学的な予測や天気予報のことを信用するのはなぜか。
論理的に正しいからとかではない。いやそれももちろんあるが、一番重要なことは、
信頼に足る実績があるからだ。
一々世間に影響を与える全ての科学論文を事細かに検証してる人などほぼ0人だろう。
にも関わらずそういった理論やデータをもとに巨万の富や多くの人材が動かされるのは、
そこに実績に対する信頼があるからだ。
あの人が、あの専門家が、あの組織が、あの理論が、あの国が、あの科学が、あの宗教が言ってるなら、
きっと今度も正しいだろう。
自分では確かめてないが、あの人が合ってたというなら合っているのだろう。
それが信頼というものであり、
選択の余地はなかったと思い込むことももちろん自由な選択の結果だよ
今の時点でも選択の余地はどこにでも潜んでいると信じている選択をしている俺と
そうは思わずに選択の余地がないと信じているそちらで選択が分岐してるじゃん
選択結果が複数存在する、選ばなかった場合の結果が存在する(実在する、ではない)ということは選択の余地があったということ
分かれ道があったということは、そこで左道を選ぼうが選ばなかろうが右道の選択を行ったということ
分かれ道に差し掛かったときに自動的に右に進むと予め決定するという選択の結果で右を自動的に進むのもそれは選択
分かれ道に差し掛かって選択した後であの時は選択の余地がなかったと理由づけできることそのものが
その分かれ道でどちらに進むのかを持てる情報と感覚を全て消費した故の結果であり
それを積み重ねた先で片方を除外してもう片方を選ぶしかない状況になったのならまさしく完全に自由なる意志的な選択行動の結果
ただそれにしても人間が現実を認識しきる能力というのはどこか欠けているのが常なので結局何かしらどこかしらに情報不測による選択の余地は付きまとう
原子力発電所を安全神話で信じていた選択は100%余地のない選択だったが現実の方は許してくれなかったわけだ
なるようになるしかないというのは生来の自分の価値観による自動行動選択に委ねるっていう選択をして思考的な労力を無くしたいという願望選択だろう
ラットでさえ経験で迷路の道を選ぶが同じ影響を与えても同じ反応を全くたどるわけではない
つまりそこでラットの個体間に思考の際が生じているということでラットは各々別の思考を持ってして選択しているわけだ、これは自由だな
なお、この実験は結果を人間が予期しているので強制させられている、という見方はそれこそ傲慢だ
実験する研究員はコンマ何秒後にラットがどのルートをたどるとか完全な予測なんてしてない
単にデータからこうなるだろうなと予測をしてこうなったらいいなくらいの感覚で行っている、研究者の大半はこうなってくれ頼むくらいで実験結果を待ってる
なお本能に基づく習性とか反射とかは個人の努力や経験からはどうしようもないことが多いのでその領域に関しては君のように自由も選択の余地もないだろうな
呼吸を止め続けるとか心臓を意識的に止めるとか無理だし自由はないだろう、
だけど顔面に物が迫ってきて目をつぶる反射的行動は訓練で抑えられたり本能的領域のものでも自動化を解除する方法はある
それを訓練しない人にとっては選択の余地がないように思えるけど格闘技や武道をやるやつにとっては自力で主導権を握れる選択権のあるものだと認識するわけだ
極論を言うと全能感のあるマッチョほど選択権が増えていき、そうでないクソ雑魚ナメクジほど世界は狭く不自由になっていく
なにせ自分の選びたい選択結果にどうやってもたどり着けないんじゃ、経験を重ねるたびに自分の無力さと不自由さを重ねるだけだからな
仮に産まれてこのかた自分の第一希望しか叶わなかったような人間が世界に選択はなく、全てがこうするしかなかったんだと言い聞かせて信じ込む必要なんてないんだから
だいたいそういうやつは自分の無力さを呪いながら別の選択をできなかったことを何らかのせいにして自責の念や後悔を払しょくさせたいだけ
しかし実際問題として自分の能力値さえ足りているならその問題は解決でき別の選択行動に移れたと仮定できた時点で自分がそこまで到達しなかったという選択をしたとも認識できる
テストの赤点取るのはなるようになったんじゃなくて、単純に学力が足りないのに勉強サボった選択の結果
ただし現実は死ぬほど強いのでどれだけマッチョでも選択を誤るときがくる、問題は同じことがあったときに自分がどう次の選択をするか考えて備えることだ
これを読んでというわけないじゃないが、最近(でもないが)ハッピーエンドとかバッドエンドとかがわからなくなった。
例えば、『秒速5センチメートル』とか、私はハッピーエンドだね~と思ったけれど、世の中では胸糞らしいし、『かぐや姫の物語』も私はすごい上級のハッピーエンドじゃん……!と感動していたら、ツイッターでものすごいバッドエンドって言っている人がいて驚いた。
というか、見る側にとっての、ハッピーエンドになるための目標スコアが高まりすぎていて、なんでもバッドエンド扱いにしすぎじゃないのか?という。
で、結局、思ったのは、私の思う"ハッピーエンド"ってハッピーどうこうよりただの私の"好きエンド"なんじゃないかってことだ。
物騒な言い方だが、私は人の死ぬ話が好きだ(スプラッタものとかではなく)。報われない話が好きだ。結ばれない恋の話が好きだ。
で、そういう要素があると、私的には"ハッピーエンド"になるのである。
逆に、たぶん世間的にハッピーエンドなんだろうなあと思っても、個人的に好きではない話とかももちろんある。そりゃ誰でもそうだろって話ではあるが。
例えば、『ゆりかごを揺らす手』とかは、ベビーシッターの金髪美人の思うままになって終わったらそれはそれで好きかもと思うし、『耳をすませば』も『秒速~』みたいにウダウダして何もないまま終わってたらもっと好きだった気がする。
ただの、アンチハッピーエンドなのかもしれないが、とにかく、個人個人でハッピーとかバッドとか変わる基準ではなく、これからは「私が好きなエンド」基準で生きていこうと思った。
ところが正義というのは絶対的普遍的なものではなくひどく曖昧なものなので別の正義で作られたポリコレ棒というのももちろん存在する
ポリコレ棒を振りかざす以上、彼/彼女は自分のものと違う色のポリコレ棒も尊重しなければならないのだが咄嗟に反応できない事が多い
ポリコレ棒を振りかざすフェミニストは弱者男性の正義で作られたポリコレ棒もまた尊重すべきで、そうする事によってフェミニストはフェミニスト以外の共闘者を増やす事ができるのだが、今まで弱者男性のポリコレ棒を尊重したフェミニストは一度も見た事がない
セックスを一種のコミュニケーションとして描いているという部分はあるかもしれないけど、別に「暴力的で抑圧的なコミュニケーション」ではないと思う。
スモーブ(正直このあだ名はどうよと今でも思う。ずっとスモーブから変わらないあたりがハル自身がずっと一方的なコミュニケーションしかしてなことを示しているように感じる)とのセックスが一方的だったとは思わないし、銀髪のあの人とのセックスはむしろハルの方から懇願してだったし。
「あたしだって愛にあふれたセックスがしたい!」みたいなことをハルが言ってたんだけど、それは娼婦だからそれができないんじゃなくて愛のあるセックスをするための努力が圧倒的に足りてないからできないだけだと思った。周囲の酷い環境ももちろん理由だけど、それが解消されてもハル自身が変わらないと結局無理でしょって意味で。
結局あの世界の人たちって誰もかれもが一方的なコミュしかしてなくて、なんて一方的なんだと憤ってるハル自身が自分はもっとマシだちゃんと周りを見てるっていいながらだいぶ杜撰で、そういう部分こそが面白いんだけど。
今「プロゲーマーライセンス」とやらでe-Sports界隈が沸いている。説明するのもめんどくさいけど、
「闘会議 2018」の発表会が開催。e-Sports新団体発行のプロライセンスを所持する選手達が腕を競う初の大会に
http://www.4gamer.net/games/999/G999905/20171214013/
↓
ゲーマー「プロゲーマーライセンスってなんやねん。ワイらが草の根のコミュニティとかで育ててきた土壌をどないする気やねん」
↓
http://shinobism.com/statement
要約:なんでぽっと出のよくわかんない団体に「プロゲーマーライセンス(笑)」なんて認定されなあかんねん。(完全否定ではない)
で、個人的にも色々思うことがあったので「ちょっと物申してやるか」って思ってたら、(e-Sports老人会的には)驚きのエントリーが飛び込んできた。
プロゲーマーライセンスを発行する人達は一体何者なのか? - teruyastarはかく語りき
http://teruyastar.hatenablog.com/entry/2017/12/25/052048
良いエントリーだと思う。よく調べた、クリスマスの夜にこの長文をよく書ききった。素晴らしい。
面倒くさいところも調べきってくれた、ありがとう。
で、「e-Sports老人会からひでーブコメがついているんだろうな。」って思ったら
は? おいおい、マジで言ってんの?
と思ったので、e-Sports老人会の一人として物言わせてくれ。
梅崎 伸幸(株式会社Sun-Gence 代表取締役社長 / DetonatioN Gaming CEO)
これ。元々のハンドルネームは「LGraN」。ググってもらえるとわかるけど、完全なトラブルメーカー。
『League of Legends』とかから入ったファンはわからないかもしれないけど、e-Sports老人会のおじさんにとっては関わりたくない、見たくもない人物。
ただメディアへの見せ方や、外面の良さは天才的。これが元営業マンの為せる技か。
「日本初の給料制プロゲーミングチーム作ります。」、「日本初のプロゲーマー育成のためのゲーミングハウスを作ります。」、「この経験を活かして本を出します。」……etc。
テレビにも出たしね、もうあっぱれだよ、天才だよ。おじさんは応援できないけど、勝手にやってくれ。ただe-Sportsコミュニティに迷惑はかけんな。
あと
筧 誠一郎
元電通マン。e-Sportsをビジネスにしようと色々頑張ってたよね。それは否定しないし、夢が叶ったね。
e-Sportsのテレビ番組も仕掛けてたし、LGraNなんかに比べると(比べるのも失礼だけど)、本当に日本のe-Sports発展のために頑張ってたよねわかる。
JeSPAはいったいどこを向いてeSportsをやっているのか? 選手不在の大会を糾弾する|なぞべーむ|note(ノート)
https://note.mu/nasobem/n/nebe5e3866748
今度は大丈夫? どこ向くかわかる?
他にも金の匂いがするから寄ってきたみたいな人もいるんだろうけど、憶測で人を否定するわけにはいかないし、本当に日本のゲームシーン、e-Sportsシーンをを盛り上げてきた人もいるからそこはかすかな希望かな。
はっきり言っちゃうと、どんなに綺麗な液体でも一滴の墨汁が入っちゃったら一気にグレーになるじゃん。正直なところそれが怖いわけ。
まぁ、バラバラだったe-Sports団体(笑)を1つにできたのは素晴らしいことだと思うよ。
ただe-Sportsに限らない話だと思うけど、シーンってのはまず選手がいて、それを応援するファンがいて、最後にサポートする企業や団体があるわけ。
いきなり団体作ってらっしゃるけど順番間違ってらっしゃらないかなー? ちゃんと選手と観客のこと見てるー?ってのが思っちゃったわけよ。
まぁ、ゲーム業界のレジェンドも役員にいるし、さすがにこれまでの団体みたいなひどいことにはならないと信じたいけど。頼むよ。
すこしまえに、友達が行ってみたいというので、おそらく女性のオタク向けのカフェのようなところに行ってきた。
そこには色々な設定があって、スタッフの男の子同士が先輩後輩だったり、先生だったりして、そういう設定の上でのスタッフさん同士の絡みなんかを横目に見つつ、カフェとしても楽しめる、みたいな感じ。メイドカフェと同じで、特別メニューを頼むとなにかやってもらえたりする。
少し高価なメニューになると、スタッフの男の子二人に、好きな設定で寸劇?をさせられる、みたいなのがあった。面白がって友達が頼んでみていた。ルームシェアで一緒に住んでいる男友達同士、片方が片方を好きで告白する、みたいなやつ。
それがもう、ものすごくぎこちない。男の子たちは20歳前後くらいで、人によっては高校生みたいな感じで、お客さんに言われた設定に戸惑いながら、ノリきれない気まずさを滲ませた棒読みのセリフを言って、半ばヤケになって、片方が片方を押し倒して雑に体をまさぐるような真似をした。二人とも、あまりやりたくなさそうだった。
一緒に行った友達は爆笑して楽しそうにしていたので、楽しめる人もちゃんといるんだな、と思ったのだけど、私には無理だった。何より、特別メニューという体裁でお金を払うことで、人に意に沿わない、性的な匂いが皆無ではないことをやらせている、と自分が思ってしまう状況が耐え難かった。私は今、札束でひっぱたいて、人間の尊厳をほんのひとかけらかもしれなくても、搾取しているのではないか、という罪悪感がいたたまれなかった。そういうふうに感じずに楽しめる人ももちろんいて、それがどうこうとは思わないが、私には辛かった、という話。
これがもし、すごく上手にオーダーをこなす大人の人で、寸劇の完成度が高かったらこんなふうに感じなかったかもしれない。それは「意に沿わないこと」であってもそう感じさせない、もしくは求められたことについて「意に沿わないこと」を外して、それでもきちんとオーダーをかなえる力量が向こうにある、というだけで、構造はだいたい同じなのに、それに対しては罪悪感を持たないかもしれない、ということなので、いい加減な基準だなぁと自分でも思う。
金銭の対価としてのサービスの範囲内で、相手を尊重して、意に沿わないことをさせないように、というのは、性的サービスの場合にはけっこう難しそうだな、と思った。
だから、「ハラスメントされてでも男にかまわれたい」ってブスがいるのかどうか知りたいんじゃないの?元増田は。
「いくらブスでもそんな人いるはずない」と言い切れるのかどうか。
ちなみに俺はハラスメントされてでも女にかまわれたいブ男ですが。
はあちゅう擁護している人は「ハラスメント=社会から滅しなければならない物」と考えている節がある
全然そんなことは無い
不特定多数に向けられたものは全体の10%が不快に思う表現か全体の90%が不快に思う表現かで扱いが変わるのも当然だ
ただ単に「控えたほうが好ましい」というだけで、違法行為でなく批判や訴訟などのリスクを覚悟するなら行っても良い
ただ、ハラスメントと自覚せずに行うことはやられる側ももちろんやる側にも不幸でしかない
まさにはあちゅうが無自覚に童貞を見下すハラスメントを行い批判を浴びて困惑しているように
昔から、褒められたくて褒められたくてどうしようもないたちだった。とにかく褒められたい。褒められないと、私の頑張りになにかしてもらえないと、自分のできることが、特技だと思っていることが、ひどく無価値なものに思えてしまう。さらには、時たま声をかけてくれる、褒めてくれる人々のことばはすべてお世辞で、自分のしていることは本当はだめだめで、そりゃ褒めるところがないのだからふだんは誰も声をかけてくれないのだな、などとまで考えてしまう。
こどものころ、私が褒められるためのハードルはえらく高かった。
私はなぜか、ある程度の勉強や、ある程度の頑張りができるこどもだったからだ。
たとえば、いつもテストで90点を取るこどもが100点を取ったところで、いつもよりすこし点数が高いだけなので、それだけ「すごい」と思ってもらえる幅が狭いのだ。「この子はいつも高い点をとる子だからね」で済んでしまう。
それに比べて、万年赤点をとっている子が100点を取ったとなれば、もうそれはお祭りである。誰もがすごい、よくやったねと褒めてくれる。ふだんからその子にとっての100点は「起こりえないもの」と認識されているから、突然起こったとんでもないサプライズに、ごほうびなんかも出てくるかもしれない。
こどものころの私は、それがひどくうらやましかった。点数が取れない、頭のよくないこどもになれれば、あの手この手でおとなが私を構い、そしてものすごく褒めてもらえると本気で思っていたくらいだ。こどものころ、しんどくなったときの私の口癖は「あたまがわるくなりたい」だった。この話をすると、思い上がっているんじゃないかとか、性格の悪い人間であるとか、そういう印象を持たれてしまうと思うのだが…それだけ、私にとって、たくさん褒めてもらえるということは大切なことだった。ふだんから赤点をとったことがないことや、志望校に推薦で受かったことや、卒業するときに主席をとれたことなんかは、私にとって大した価値を持たなかった。おもっていたより、褒めてもらえなかったからだ。きっとすごいことじゃないのだ。こんなことより、あたまのわるい子が頑張った方が、何倍も価値があるのだ。人から褒められることでしか、自分で自分のしたことに自信が持てない私は、本気でそう思っていた。正直、今でもときどき、疲れた時なんかに、そんなことを考えてしまうことがある。
だから、できる子が「できる」ことを、あたりまえだとおもってしまいがちであるし、そういう子は、影に隠れてしまいやすいのだと思う。褒めそやして持ち上げる必要がないからというのもあるかもしれない。
私はそれがとても悲しかった。
もしあなたが、こどもに接する親であるとか、親戚であるとか、先生であるとかなら、私のような、褒められることを忘れられてしまったこどもを、たくさん褒めてあげてほしい。
その子は、もしかすると、私のように、自分に自信を持つ過程で、人から褒めてもらうことが必要な子かもしれない。
褒められたくて、でもおもうように褒めてもらえなくて、まわりの普通の子の方が自分よりも何倍も価値をもっていると思っているかもしれない。
できない子をのばすために、たくさん褒めてあげるのももちろん大切だと思うが、私のようなこどものことも知ってほしいと、そう思う。
言っておくけど、チートとは言っても普通のゲーム環境を整えるだけ。多分、ゲーミング○○の部類のだけの話で、例えばFPSで「画面の真ん中にシールを貼って、レティクルが広いスナイパーライフルや、照準が消える状況でも擬似的に照準を作り出す」とかじゃないからな。
これはどのゲームでもしろ。5.1chのホームシアターとかがない限り。
「音が聞きやすくなる装備」を強装備だと思えない奴が一定数どんなゲームにでもいるが、これは間違いなくヘッドホンをしていないから。安物でもいいから絶対にしろ。これをしてないのにゲームで強くなりたいっていうのは、裸足で陸上競技するようなもんだと思え。
目の情報は確かに大切。耳の情報に騙されて目の情報を見逃してしまうことももちろんある。しかし、耳の情報は目の情報に比べて機敏に反応するし、収集範囲が広い。
FPSの場合、2chのテレビやゲーム機器からの音はクソだ。左右はわかるが上下はわからない。それに加えヘッドフォンは左右上下がわかる上に目の情報と合わせれば後ろの音までわかる。
格闘ゲームはあまり音の情報に左右されないゲームではあるが、目の1Fの情報よりも耳の情報は正確残りやすい。多くの人が格闘ゲームのコンボを「ユクゾッナギッ」と覚えるのは耳のほうが残りやすくテンポをつかみやすいからだ。
くっそ手軽にできる公式ハードウェアチートなので絶対にしろ。してないのに勝てないと文句を言うな。そもそも得ている情報が圧倒的に違うということを理解しろ。
バカにできない。ゲームっていうのは、疲れているとなにやってもうまくいかない。ゲームをやっている時に座っている椅子によって疲れ方がぜんぜん違う。それは持続的なパフォーマンスを生み出す。
高い椅子はもちろんいい。アーロンチェアとか。でもそこまで行かなくてもいい。実際にホームセンターにいって座り心地を試す。その時に肘掛けに手を置くな。普段ゲームをする時どういう体制かを考えろ。
オレ個人のおすすめは完全に椅子に体を預け、目線の位置に腕を伸ばし「グー・パー」を20回ぐらい繰り返す。それで一番楽にできたやつを買えば問題ない。
ヘッドフォンが瞬間的に強く慣れる道具としたら、いい椅子は自分のパフォーマンスを伸ばすサングラスやガムの類だ。
どんな椅子でもいいけど必然的に1万、2万の価格になるのでケチらないことをおすすめする。
上の2つなんか霞むほどのチート。フレンドは正直、「今すぐ出来る」とかいっといてこれを書くかは迷ったが、これもチートの一種としてあまりにも瞬間的に絶大な効果がある。
FPSやらのランクマッチで「味方ガチャ」とか言ってるやつがよくいる。これは認めたくないが、残念ながらのその通り。特に人数が少なくなるほど一人の勝ち負けへの負担が大きくなるため、一人に足を引っ張られると負けると言う状況はある。認めたくないが、これはあることなのだ。そして、自分も下手すればその「足を引っ張る側」になってしまう可能性もある。まぁネットでイキって味方ガチャとか言うやつは自分が足をひっぱっている事を学ばないことも多いけども。
フレンドは正直、難しい。簡単にできるなら誰も苦労していない。でも、ボイスチャットはほとんどのゲームでゲーム内ボイスチャットがあるはず。
「足を引っ張らない」「足を引っ張らせない」ためには自分がボイスチャットをつけて的確に情報を周りに伝えていくことがチームプレイでは必須。
例えば、自分がゲーム開始直後に相手にいきなり殺される地雷プレイをしてしまったとする。その時に、「自分はどこにいたか」「殺してきた相手はどこにいたか」「相手はどのような戦術(武器やキャラ)を使っているか」「相手のどのような戦術(武器やキャラの技)で死んでしまったか」、自分がわかる限りの情報を周りに伝えることで最低限、味方に危機を伝えられる。
例えば、FPSで開幕早々相手のスナイパーに殺されてしまった場合、「崖側でスナイパーに狙撃されました。相手は高台の上にいます。武器は○○です。4発でキルされました。」と言えれば、味方は
「崖側を狙撃しているスナイパーがいること」「高台の上で構えている事」「○○という武器は5発装填のSRなので4発売ったのなら残弾1」ということが理解できる。つまり、近くにライフルを持った人がいれば「残弾1ならリロードタイミングを狙える」となるし、射程の短いSGやSMGを持った人は「怖いから近づかないで置こう」となる。また、「スナイパーライフルもってるのに4発撃ってるのならそこまで強くないな」と思う上級者もいるかもしれない。
あとはゲームプレイ中に「Aさんの後ろの窓を見ています」ということで、Aさんは後ろの窓を気にしなくていいので視野を集中できたり、他の人がAさんの後ろの窓を気にしなくてよくなるのだ。
ボイスチャットは相手を煽ったり、味方に指示をするものではなく、自分がどういう状況にいてどういうことを考えているのかを伝えるためのもので、その情報は味方にとって優位に働きやすいのである。
理想を言えば5人が全員ボイスチャットをしていることだが、当然そんなのできるのはゲーム集団ぐらいだ。野良でやるなら自分ぐらいはボイスチャットをつけるかとつけて自分の状況を常に報告してあげてほしい。そうすることで味方ガチャでの事故は大きく減らすことが出来るはずだ。
ゲームに勝つためにはいくら「能力」や「戦術」を鍛えてもだめ。もちろん、個人プレーの格闘ゲームなんかであれば自分の能力を鍛えて鍛えて鍛え上げればその「圧」だけで勝てることもあるかもしれない。
でも本当に必要なのは「戦略」の部分で、ベストパフォーマンスで挑む事。
FPSであれば、確かにうまいやつが一騎当千でバッタバッタと敵をなぎ倒していく場面もある。あるが、そんな鬼のようなプレイヤーでも不死身チートを使っているわけではないのだから3人ぐらいで別々の方向から撃ってやれば死ぬのだ。
FPSに限ってはキレイなAIMができる事は必須ではないとは言えないが、殆どの場合において重要なのは撃ち合いではなく「索敵戦」なのだ。具体的なチートを上げるとオートエイム以外のチートは殆どが相手がどこにいるかを察知できる物が多い。反射神経やマウスやパッドのコントロールテクニックは磨かなければどうにもならないが、それはあくまでも「撃ち合いでの強さ」に直結するもので、「索敵戦」になんの意味もない。索敵戦は、堅実に情報を掴み、味方と共有し合うこと。そこに反射神経やマウスやパッドのコントロールテクニックは必要がない。
プロチームまでいって初めて「索敵戦に負けた時のリカバリー」として「撃ち合いの強さ」が必要になってくる。どんなに威力が高いスナイパーライフルでも、近くに寄られたら負けるし、どんなに近距離が高いSMGやSGでも遠くにいたら逃げるしかない。そのばったりと自分の得意レンジ以外の敵と出会ってしまった時に、スナイパーは近距離の敵にも綺麗に弾を当てる反射神経、SMGはキレイなコントロールテクニック、SGはとっさの判断力が求められるのであって、そもそも「得意レンジ以外で人と合わない」ようにするべきなのだ。
どうもどうも、私は文化の維持だと思って毎月料金払っているけどほとんど動画を見てない、運営にとってはコストのかからないおいしい会員です。
ニコニコ動画の一番大事なことは、非同期だけどコメントで同期したコミュニケーションがとれることである。そう考える。
ニコニコ生放送の一番大事なことは、出演している者と、見ている者と、コメントで同期したコミュニケーションがとれることである。そう考えている。
だから、画質なんてどうでもいいんだよ!帯域が足りなきゃ積極的にワンセグ程度まで落っこちてもいいんだよ!なんか動いてさえいればいいんだよ!
音質はもうちょっと重要。でも映像に比べるとデータ量小さいし頑張れ。つーても昔の携帯電話程度まで落ちちゃっても良いと思うよ。
一番やってほしくないのは、動画が途中で止まってコメントの進行がなくなることだよ!あれ一番むかつくんだよ!
時間の進行、疑似同期または生主との同期。そこを一番大事にしてほしいんだよ。
だって動画見たいだけならyoutube行くじゃん。画質めっちゃいいじゃん。お金かかってるじゃん。
リアルタイムでコメントやり取りしたいだけならテレビ見たりみんなで示し合わせて動画見てtwitterでいいじゃん。
ニコニコの良いところはさ、同時にはそこまで人がいないマイナーな動画でも、ぽつりぽつりとコメントがたまっていけばそのうち凄いにぎやかになるとこじゃん。
元から人通りの多い動画ももちろん悪くないけどさ、人の多いニコ生、確かに楽しいけどさ、そこは本当に一番大事なところじゃあないと思うんだよ。
いいか、くれぐれも動画が途中で止まってコメントの進行がなくなるのだけはやめてくれ。16x16のモザイクで声モコモコにこもっててもいいから、コメントも抜粋でいいから、時間の進行だけは守ってくれ。
本当にそれが最低限やってほしいことなんだ。