はてなキーワード: ももちとは
耳栓とヘッドフォンの組み合わせでびっくりするくらいな静寂を手に入れました。
使っているもの
今週の火曜から子供の幼稚園が流行り病で学年閉鎖となってしまい、にぎやかな中在宅をしています。
ただ私は騒がしい環境下で集中するのがすこぶるだめで、子供のことは大好きですが(ちょいと静かにしてくれ・・・)と心のなかでぶつくさ言いながら仕事をしていました。
実は普段から耳栓をしながら作業をすることが多く、今日も普段どおり耳栓をしながら仕事に勤しんでいましたが、ふと「この上からヘッドフォンしたらどうなるんやろ」と思いつき試しにノイキャン性能抜群なSONY WH-1000XM4をしてみると・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・( ˘ω˘ )スヤァ・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・一瞬で静寂に包まれてビビりました。これならハロウィン当日の渋谷のスクランブル交差点のど真ん中でも作業できる確信があります。(静寂な打撃を食らいそう)
そして気づかないうちにもうひとつの課題も解決してくれていました。
この蒸れとそれに伴い起こる耳の中のムズムズ・・・
これがどうも苦手で、仕事をしているときは耳栓、会議はイヤフォンを使うようにしていました。
でも耳栓をしてヘッドフォンをするとそれが起こらない!なにせ蒸れるはずの耳の穴はふさがっているので蒸れようがありません。
耳栓とヘッドフォンのノイキャンを組み合わせたら静寂を手にし、耳のムズムズまで解消されました。
弟、再発しちゃった
最近は元気かと思ってた
さっき、「超激重な話していい?」って軽い感じで言われて
高校からの帰り道にある大きな川に掛かった〇〇橋から飛び降りようと思ったんだけど、でもなんだかんだ助かっちゃいそうな感じもしてさー 中途半端に助かって介護してもらう身体になって親に迷惑かける人生も嫌だし… でも2学期始まってからずっとツラくてー
みたいなことを、弟はつらつら淡々と話してた
…えー?あのデカい川?ハハ…浅はかだなあ…って
私は努めていつも通りに、なんでもない話のように冗談ぽく返した
何事も無かったように話してた
でも私の頭の中は真っ白だった
なんか、眉間のあたりがヒヤッとして
どうしよう、どうしようって考えてた
確かに、わかるよ
ぼーっと立ちながら、あ〜ここでこのまま突っ込んだら一瞬で死ぬんだよなとか考えること、私もたまにあるよ。誰だってあるよ
でもそこで実行はしないじゃん
そこで思い留まることができなかった人が死んでいく
弟が、そうなったらどうしよう
もういいやってなっちゃったらどうしよう
若い頃ってそういうこと考えちゃうのあるよね、で済まされなかったら本当にどうしよう
親に相談しようとは思うんだけど、
ただでさえ受験生の親としての心配やら気配りやらで大変そうなのに、実は本人の精神状態がめちゃくちゃ不安定で自殺しようと考えてましたなんて言ったら、まじで倒れてしまいそう
弟とはその後、進路の話とか聞いて最後の最後になんとか、元気出せー!って言えた
でももちろん今も色々考えちゃって寝れない
はーー
神話っていわゆるあこがれや予言みたいな部分があって、バナナ型神話に出てくる「石」=「不変」「不老長寿」って実はAIやロボットのことなのよ。
AIやロボットのコアな部分である「CPU」の事を一部自作界隈で「石」って言うじゃろ、そういった石(シリコン)から成る珪素生物的な存在のことを我々有機生命体は無意識に憧れていて
神話のやり直しをしたいのよね。今の生活になくてはならないPCやスマホやなんかは神話のやり直し「石」への憧れの集大成なのよな。
君が代の「さざれ石の巌となりて」というのももちろん「石」への憧れ、シンギュラリティは有機生命体から珪素生命体への代替りなんよ。ただし、遺伝子は引き継がれないけど模倣子(ミーム)は引き継がれるよ
歴史修正主義を今すぐやめろ。
常に何の理由も必要とせずセクシャルマイノリティが当たり前に存在してきたのが日本のオタクコンテンツだ。
それを不適切だとして勝手に改変しセクシャルマイノリティの存在を抹消してきたのが欧米だ。
その欧米が今さらになって急に「セクシャルマイノリティに寛容な進歩的なボクちゃん達」に目覚め「日本は遅れてるゥ~」などとイキり散らすのは、許さない。
例によってまた元発言の主の名前は武士の情けで伏せといてやる。
ちなみにこれみんなスーパーマンの息子をポリコレが無理矢理ゲイにした時の話な。
>逆だよ。同性愛者であることに「なぜ」は要らんのじゃ。掘り下げるかどうかは作品の趣旨やテーマによるが、当たり前のようにそこに居る、が大事で今まで蔑ろにされてたことなの。
↑
逆だよ。同性愛者であることに「なぜ」が要らんかったのが日本じゃ。
当たり前のようにそこに居る、が今まで蔑ろにされてたのが欧米じゃ。
>「我々を納得させる理由がないとセクシャルマイノリティの存在を許さない」という人。現実のセクシャルマイノリティにももちろん同じ目線を向けて生きている。
↑
「我々を納得させる理由があろうとなかろうとセクシャルマイノリティの存在を許さない」としてセーラームーンもCCさくらも勝手に改変したのが欧米なのだが?
「「我々を納得させる理由がないとセクシャルマイノリティの存在を許さない」という人」なんてのは、日本のオタクにはもともと存在しないのだが?
謎なのだが?
>異性愛者のキャラで「なぜそのキャラは異性愛者になったのか」の掘り下げはどれだけ存在するんですか?その掘り下げがない異性愛者の恋愛描写は「そういう配慮」とは感じないんですか???
↑
基本的に恋愛物のコンテンツは「なぜその人を好きになったのか」を掘り下げるものなのだが?
>好きなもんを好きなことに理由なんて無い思うんやけど
>私だって妻のこと好きやし
↑
逆だよ。
好きなもんを好きなことに理由なんて無いはずなのに、あきらかに「理由がある」から不自然に見えて反発するんだよ。
本当は同性愛者じゃないのに「ポリコレに配慮する進歩的なリベラルインテリ」だと思われたくて同性愛者のふりしてるようにしか見えない。
>「理由を説明してくれないと存在に納得できない」というのは同性愛差別そのもの
↑
誰も「存在に納得できない」とは言ってない。
「その作品に登場する必然性があるのか納得できない」しか言ってない。
>同性愛者が同性愛者である事に理由なんてないし、作者も当たり前に存在すると思ったから登場させてるんですよ。
↑
逆だよ。
当たり前に存在するものとはされていない欧米の価値観が背後にあるから、無理にでも「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調する必要があり、
日本のオタクコンテンツなら自然に当たり前の存在として同性愛者を描いてきた。
このスーパーマンのような無理やりゴリ押しするような不自然さは日本のオタクコンテンツには無い。
>これちょっと違うな。「作者も当たり前に(同性愛者が)存在すると知っていたから」に訂正します。
同性愛者が同性愛者である理由などなく当たり前に存在してきたのが日本のオタクコンテンツなのだが、
欧米は日本と違って同性愛差別が酷くて「当たり前には存在しないもの」として扱われてきたから無理矢理「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調しなきゃならないので
「当たり前」な感じが全然しなくて描写が唐突かつ不自然だから反発を招くんだよ。
欧米ポリコレコンテンツの側が「同性愛者が当たり前に存在するもの」として描かれてきた日本のオタクコンテンツから謙虚に学べよ謙虚に。
日本のオタクコンテンツなら自然に当たり前の存在として同性愛者を描いてきた。
このスーパーマンのような無理やりゴリ押しするような不自然さは日本のオタクコンテンツには無い。
だから日本のオタクコンテンツにセクシャルマイノリティが常に登場してきて日本のオタクは誰もそれを悪くは言わなかったんだよ。
欧米人のオタクがどう思ってたのかは知らないけどな。日本のオタクなら「セクシャルマイノリティが存在すること自体が嫌だ」とは“絶対に”言わないし、
「セクシャルマイノリティが存在すること自体が嫌だ」と言うオタクがいるならそいつは日本人じゃないだろう。
少なくともキリスト教かイスラム教が社会の多数派となる文化圏で育った人間じゃなきゃ「セクシャルマイノリティが存在すること自体が嫌だ」という発想には“絶対に”ならない。
>先入観や偏見とは何ぞや?という疑問に対して、とても納得の行く答えを身を持って示してくれているツイート。
「先入観や偏見とは何ぞや?」というのがよくわかるツイートだな。
「日本人は欧米と違って遅れてるから、セクシャルマイノリティに先入観や偏見がある奴ばかりに違いない」という「先入観や偏見」だな。
実態は「真逆」なんだがな!!!!!俺はべつに「日本にはセクシャルマイノリティに対する差別は無い」とは言ってねーのだが?
日本人は伝統的に「セクシャルマイノリティは当たり前に存在する」として、テレビとかでもオネエキャラとか昔から普通に受け入れてきたのだが?
しかし、だから差別が無いかというと、そんなふうに「オネエキャラ」みたいに面白おかしく弄って消費するのも一種の差別なんだが?
ただしそれは欧米流の「存在自体を認めない」というタイプの差別とは異なるスタイルの差別なんだが?存在自体は認める、ただし弄る、というのが日本流の差別なんだが?
そんなふうに存在そのものはとっくに受け入れてる日本に「存在自体を認めない」とする欧米流の差別への対抗である「存在を認める」という形のカウンターの方式を押し付けても意味がないばかりか
「弄る」という日本流の「差別」を「差別じゃない」から「良いこと」とされかねないから、マイノリティの立場からすれば迷惑なんだが?
俺がもしマイノリティの立場だったら、「俺のことはほっといてほしい、存在を無視してほしい、面白おかしく弄られるのはもう嫌だ」と思うと思うのだが?そういう「俺がかまってやると相手も嬉しいはずだ」とかいう勘違いの善意の押し付けは弱者からすれば「攻撃」としか感じられず、そっちのほうが差別なんだが?
同性愛者が同性愛者である理由などなく当たり前に存在してきたのが日本のオタクコンテンツなのだが、
欧米は日本と違って同性愛差別が酷くて「当たり前には存在しないもの」として扱われてきたから無理矢理「当たり前に存在するんだ!当たり前に存在するんだ!」と強調しなきゃならないので
「当たり前」な感じが全然しなくて描写が唐突かつ不自然だから反発を招くんだよ。
欧米ポリコレコンテンツの側が「同性愛者が当たり前に存在するもの」として描かれてきた日本のオタクコンテンツから謙虚に学べよ謙虚に。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b1bce524d94885397b1f78e8c515cd99143703ca/comments
yuk*****
私の元職場は子供のいる社員はめちゃくちゃ優遇されてました。アパレルなのでシフト制でしたが、早番しかせず且つ忙しい土日のどちらかは休みという夢のような勤務。縛りがある契約だから言う通りにシフトを作るよう上司から指示されてました。ただ実際は口約束だけ、しかも給与形態は縛りのない社員とまったく同額(時短ではないため)他のスタッフはもちろん納得しませんでしたし、たまには仕事帰りに友達に会いたいと愚痴ばかりでした。
極めつけは大体二人目を妊娠してまた復帰。早番しかしない期間がまた10年伸びます。
“ 幸いアルバイトもしたことないですけど、いろんな体験をしないとまんがを描けないといわれると、そうですかねェ…、そりゃ変だなあと。体験する暇あったら、机に向かってまんがを描いた方がいい。
体験が多いほうがいいなんていうのは、凡人の思い上がりなんじゃないのかな(笑い)。体験しなきゃ傑作描けない人は、才能がないんだって(笑い)。”
高橋留美子先生より才能がない人は、これを真に受けず経験もある程度大事にするのが良いと思うけど、本気で才能がある人はリサーチとか知識の蓄積、検証等を基にいくらでも世界観構築するよなと思う。
あと経験すれば漫画描けると言うなら、スポーツ選手やら漫画家以外の職業の人も名作もっと生み出せるよなあと。
経験によって名作描ける作家ももちろん沢山いるけど、経験第一ということはないだろうし、やっぱり私は上位層のクリエイターは高橋留美子先生タイプが多いと思う。
はてなという媒体を使いはじめたのは、友人が媒体を運営していた10年くらいまえ?に「(自分が運営している媒体の記事を)新着記事に入れたいからブックマークをしてくれ」と頼まれて登録したのが最初だった。
それまで実は存在も知らなかったけど、友人に指定された記事を(自分の思想とそこまで剥離していない限りは)ブックマークをしていた。
その媒体はもうなくなってしまっているが、アプリも入れたのでニュースや話題なコンテンツを調べるときに使いがちになった。
ヤフー知恵袋とか、どこかの誰かが人には言いづらい本音をぶちまけてる匿名記事を見るのが
結構面白いと思っていたけど、なんか最近、上がってくる見出しがすごく辛くなるものが多い。
なんだい、30代なかば(以降)の独身に対して風当たりが強い意見がここ最近一気にふえたなと思うのは自分だけだろうか。
まあもう、そうなったら媒体から卒業時期なんだろう。辛い気持ちになるぐらいなら離脱すればいいだけなんだけど、
古い宿泊施設とかにおいてあるノートに書きなぐるような感覚で、ここにメモをのこしていこうと思った。
自分は職業柄(広告とかなんかそういうかんじ)いろんな年齢層が読む媒体を把握しているのだけれど、
はてなはどちらかというと中年以降が多いじゃないですか。30〜40代代それ以降とか。
ヤフーニュースとか大きな媒体ももちろんいるけれど、それとはまた違った「中年層ニーズ」にかなっている気がして。
そんな重点ニーズの人たちの心臓を刺すような見出しが、最近増えたように感じている。
これはどういう傾向なんだろうね。
自分は少し前に恋人ができて、人生ではじめて可能性を感じた結婚という文字が
相手ののっぴきならない事情ですごくすごく、かすんでしまったという背景もあり、
「さんじゅうなんさいを過ぎたおんなは婚活市場でどうこう」「さんじゅうなかばをすぎた独身はどうこう」
みたいな言葉が、以前よりも増して突き刺さるようになった。
自分自身のことを言われているわけではないのに、
自分自身にあてはまるカテゴライズに向けた意見を見ると、つい「私が言われたんだ」という気持ちになてしまう。
まあインターネットとはそんなもんだ。仕方ない。
このまま結婚もせず、子どももうまず、ひとりで、どこかにやっぱり難があるおんなとして、
ひっそりと生きていこうと思う。
人の、誰にも言えない声を見かけるきっかけにもなる匿名ダイアリーは、面白かったし救われたこともたくさんあったよ。
またそのうち、くるかもね。
家族のドロってした話なんかツイッターでも通話でもしたって良い事なんかないので、
ここで吐き出していくことにする
――――――――――
自分は最近そこそこ稼げるようになってきたけどまだ自分の事で手一杯な自営業
色々な仕事をしてきたけど、会社みたいにすぐ近くで他人と絡んだりなんだりするのが苦手で
一人身最高一人遊び最高っていうタイプ
母親は気丈で結婚なんか会わないっていう自由奔放な人なんだけど
精神を結構病んでて薬がないとアウトな状況ではある(薬を飲んでれば明るい)
最近はなんだかなにかと彼氏と別れたり隣人とトラブル起こしたりして
そのたびに電話で愚痴を聞かされたり、金をせびられたりと気が滅入ってくる
どうしようもできない精神の病を抱えてる人にずっと付き合えるほど
自分には余裕がない
罪悪感を感じながら、「どうしようもない」事の多さで距離を取る事しか今はできていない
自分が50000000000000000000000兆円稼いでたらもっとどうにかできるんだろうけど……
――――――――――
どうにも自分との相性が悪いと年々感じている
こちらへ増える媚びた文章のライン(と感じてしまうのは文体がおじさん構文みたいだからかもしれない)に
ウェットなラインが元から嫌いな自分は見た瞬間は思わずぞっと心が引いてしまう
まずは初手からあんまベタベタしすぎに浅く広く友達を作る事を勧めた
余裕が無くて、自分が潰れない為とはいえ親に大した事をしてやれない
時折ぐっと心が引いてしまう冷たい子供で申し訳ないと思っている
50000000000000000000000兆円欲しい
職業訓練校でhtml、CSS、Javascriptを3か月勉強して、自分でサイト作ってポートフォリオにして今の会社に入社した。
Web制作会社じゃなくて、レンタル業を営む家族経営の会社に就職した。
ここに就職したのは、面接した社長の息子とフィーリングが合ったからというのと、
小さい会社ゆえに仕事内容が広報とか企画とか多岐に渡っていて、色々な経験ができて楽しそうだと思ったから。
最初は良かった。
高卒、専門卒中心の社員の中で、そこそこ文書作成が得意な私は重宝された。
名目上Web担当ではあったものの、同業他社の調査報告書まとめてそこから新しいプランを作ったり、
お客様減ったけどなんとかやってた。
コロナ融資の返済も始まったらしい。社長はイライラするようになった。
お客様が来ないのはHPがいけないんだ、とHPがやり玉にあげられるようになった。
それと、あんなに渋っていたWeb広告を出すという事で、こちらもやらなくてはいけない。
暇な店舗の販売員が、こうした方が良い、ああした方が良いと言ってくる。
待ってくれ、他にやる事あるから。
最近はもうクタクタだし、色々言われて自分の発信にも自信がなくなってきた。
それに、今お客様が来ないのは私の力不足ももちろんあるだろうけど、
現場の流れ作業感というか、店舗にときめかない感じとか、Webだけのせいじゃなくね??という思いも沸々とわき上がる。
社長に文章のセンスがないと言われて、成果も出せなくって、もう私なんか会社にいらない人なのかなって気持ちになる。
やめたら社長は人件費が浮いたって喜ぶのかなと思うと切なくなる。
でも冷静に考えて、私がやめたらWeb担当いなくなってSNSもWebサイトも放置状態になるのでは??
「増田さんが辞めてもみんな困らない状態ように、あなたの仕事はこの会社のみんなが出来るようにしなさい」、
なんて言う社長には私の仕事の事なんて全然分かんないのだろうけど。
もうさっさと潰れちゃえば明日仕事に行かなくて済むのになって考える自分がいる。
未経験からやってきたけど、ちゃんと仕事教えてくれる上司がいたらまた違ったのかな、なんて思ったり。
ある日「あなたには無理」って社長に言われたように、もう私には無理なんだろう。
モバゲー版アイドルマスターSideMの縮小が告知されましたね。古参とかそういう、ちゃんと好きでやり込んでいた人の惜しむ気持ちはすごくわかるんだけど、だからこそ終わらせなきゃだめだったんだろうなと思う、という話です。
知らない人向けに一応書くと、アイドルマスターSideMというコンテンツは最初にモバゲーでサービスが開始しました。その後数年前にもう一つMステというアプリゲームがリリースされたもののそちらが先にサ終し、一年ほど前に今度はサイスタというアプリゲームがリリースされました。ゲームだけで言うと現在はモバゲー版と新アプリ版(サイスタ)の二つのゲームが動いていることになります。そして、今回モバゲー版の方がサービス縮小の告知があり、いずれサービス終了するのではというのが今ですね。
私の話をすると、私がSideMに触れたのはまだモバゲー版しかない頃でした。周りに誰もSideMをやってる知人がおらず、一人でわけもわからず進めながらもユニットをうまく強くすることができず、結局ストーリーを読むくらいしかしなかったです。モバゲーって、要するにぽちぽちゲーなんですけど、UIとかめちゃくちゃ分かりづらかったし、何をやったらいいかもわからない。あと課金しないと話にならない。当時もうA3!とかあんすたとか出てた時代で、そういうのを想像して入ってきた人間からすると、苦行か?というのが正直な感想でした。
それでもストーリーはよかった。だから実質的なサ終予告は悲しい。でも、結局これがSideMというコンテンツの発展を阻んでいたんじゃないかなと思います。
先ほど、Mステというアプリゲームがリリースされたもののサ終したという話はしたかと思います。ファンの期待を一身に背負ってリリースされたこのゲームの評価自体は結末を見ればわかると思います。色々な要因があるとは思いますが、今回はストーリーの話を。
アイドルマスターSideMというコンテンツは、当時のアイドルマスターシリーズ初の固定ユニット制が持ち味の一つであり、モバゲー版SideMも基本はユニットごとのストーリーを描いていく形でした。しかし、Mステはそのユニットの垣根を取っ払い、その時々さまざまな組み合わせでストーリーを描いていく形でした。
その結果、何が起こったか。Mステから入った新規ファンに向けて、「頼むからモバゲー版をやってくれ」と呼びかける既存ファンが続出しました。これは主観ですが、既存ファンの口ぶりとしては、アプリゲームのMステの方はあくまで「別の世界線」もしくは「外伝」や「スピンオフ」であり、あくまで正史はモバゲー版という扱いでした。SideMのファンは正史のストーリーや、ユニットそれぞれの形を愛していた。なので、ユニットごとのストーリーも何もないMステだけでなく、正史も触れてほしいと願う気持ちも理解できる。正史、美しいもんな。わかるよ。
しかしね、スマートフォン向けアイドルアプリゲーム全盛期のこの時代に!わざわざ!モバゲーに戻れってそんなこと強いるんか!?
観測した限りモバゲーに触れてくれた人ももちろんいましたが、そうじゃなかった人も多かったのではと思っています。いやモバゲーて。新規バイバイすぎる。アプリちょっと触っておっこの男好みだなとか思ってもそれだけでモバゲーまで触るかね。よっぽど心奪われてないと無理でしょ。
あと、これはMステ側も悪いのですが、Mステのみでは性格や設定等もわかりづらいことが多かった。その関係で二次創作もモバゲー版の設定に準拠していることが多かったため、Mステのみの知識で同人誌を出すほどの二次創作をしている人はほとんど見ませんでした。
つまり、何が言いたいかというと、ファンがモバゲー版を「正史」として扱っている限り、ゲームによってアイドルマスターSideMというコンテンツが発展していくことはないんじゃないかなと思う。
今のアプリゲーであるサイスタはユニット制だしストーリーも丁寧だけど、モバゲー版の積み上げたストーリーにはもちろん勝てない。既存ファンのモバゲー版ストーリーに対する依存は続いていて、それはキャラクターコンテンツ産業という視点で見た時、あんまりいいことじゃないんじゃないかなと思う。新規を獲得し続けない限りコンテンツは先細っていくから、新規が入りやすく、居つきやすい環境を作ることは必要だと思う。だったら、痛みを伴ってもモバゲー版を切り捨てて、サイスタというスタートラインに、新規も既存も全員並べ直すくらいのことが必要だったんじゃないか。だから、モバゲー版が本当にサ終するとしても、いいことなんじゃないかなと私は思うよ。
ウマ娘の二次創作・ファンアートを色々見ていて地味に興味深いのが
ウマ娘1人につき1トレーナーがついている設定のものが多いという点だ
アグネスタキオンにはトレーナーA、ゴールドシップにはトレーナーBというように、それぞれにトレーナーが1:1でついている世界観のものが非常に多い
(多いというだけでアニメのように一人で複数のウマ娘を担当している創作ももちろんある)
主にアプリのシナリオを踏襲してこのような状態が主流になったと思われるが
これまでいわゆる育成ものジャンルは別にハーレムする気がなくても結果的にハーレムもの状態にならざるを得ず
主人公=自分として没入する場合に、冷静に考えると多数の美少女が俺の取り合いなんかするわけないだろとたまに我に返ってしまう問題がつきまとっていたのだが
世の中の富は増え続けている。
それは世界中の企業が日々せっせと付加価値を生み出しているから。
世の中の企業はどれも90万円を100万円に換える変換装置だ。
例えば90万円を100万円に換える変換装置は、1000万円のお金を使って作られたものだったりする。
1000万円もお金を使って10万円を生み出すなんてお金の無駄使いじゃないか、と思うかもしれないがそれは違う。
この変換装置は、用が済めばまた1000万円の現金に戻すことができるのだ。(ただし必ず1000万円ではなく、990万円になったり1010万円になったり、もっと派手に値段が変わったりはする。思ったよりも効率がいい変換装置はその分、高いお金に換えられるのだ)
だから世の中のお金持ちは手元に余っているお金があれば、とりあえず現金を変換装置に替えてせっせと90万円を100万円に増やしている。
中には自分のお金が無くて、銀行とかからお金を借りて変換装置を作る人もいっぱいいる。
借りたお金の利息が10万円以下なら、利息を返してもまだ変換装置で作り出した新しい富が手元に残る分、お得だからだ。
自分で変換装置を動かすのが面倒だったり1000万円もお金を集めることが出来ない人は、1000万円全部じゃなくて5万円分とか10万円分とか変換装置の一部だけを買い取って、装置を動かすのも他人に任せる。
もちろん中には変換装置が故障して、90万円投入しても80万円しかアウトプットできなくなることもたまにはある。
でも世の中全体で見れば確実に世の中の富は増加し続けている。
最初はみんな1000万円の変換装置を使っていたけれど、どんどん富が増えていけば2000万円、3000万円と高額な変換装置を使って、さらにがっぽがっぽとたくさんの富を作り出していけるようになっていく。
前は100円で買えたリンゴが今は200円するようになったというあれ。
詳しいメカニズムは諸説あったりして難しいのだが、このインフレは世の中の富が増えるのと結構強く連動してることが現象としてよく知られている。
つまり世の中の富が増えればそれに伴って物価も上昇していくという仕組みが存在するということだ。
世の中の富は増え続けていて、インフレも長期的な目で見ればずっと進み続けている。
この2つの構造がずっと私達の世の中にある以上、普通に考えれば余ったお金は現金ではなく変換装置にしておくのが「有意義」かつ「自然」なことだと僕は思う。
「有意義」というのはなぜかというと、変換装置が生み出した富は、装置の持ち主だけではなく、装置にかかわる人みんなを豊かにするものだからだ。
90万円を100万円に換えることのできる装置を持っている人は、もちろんその差額の10万円を全部自分のポケットに入れることも出来はする。
でも例えば、本来90万円で仕入れるはずの投入物(原材料や人件費)を91万円で仕入れてあげれば、投入物を売ってくれた人(原材料屋さんや従業員)も得をすることができるし、本来100万円の価値がある製品を99万円で売ってあげれば、製品を買ってくれたお客さんも得をする。
そしてそれでもなお、持ち主の手元には8万円の利益が残る。
だから、お金を変換装置に換える「投資」は基本的に良いことで、余分なお金を現金のまま持ち続けることはちょっと後ろめたいことだという気持ちが僕の中にはある。
「自然」というのはこれまで述べた通り、お金というのは平均すれば増え続けるのが普通のものであるからだ。
現金という形のままでは増えないけれど、企業という変換装置に換えてあげればお金はお金を生み出していく。
ときに故障して減ることもあるけれど、全体としては常に増え続けるのがお金というものの性質だ。
だからお金を現金で持ち続けるということは、本来増えるはずのお金をあえて増やさずにいるという、ある意味で贅沢な行為であると考えられる。
一つは変換装置が故障して、予想外にお金が失われるリスクが避けられること。
絶対的に近い安全のためならば普通にしていれば得られたであろう利益くらい失っても構わないというトレードオフの覚悟があるならば、あえてお金を変換装置に換えずにいるということの意味はあるだろう。
もう一つは現金を持っておくことで、いつでも自由に投資する変換装置を選ぶことができるということだ。
確かにお金を一旦は変換装置に換えてしまってもあとからまた現金に戻すことは難しくない。
しかし、知っての通り運用資産は売却のタイミングによって利益や損失の額が大きく異なる。
大きな流れの中では富は増え続けるものだが、短期的には現金化すると損失が生じる時期ももちろん存在する。
だからお金を投資に回すということは、そのお金をすぐには動かせなくするということであるといえる。
より効率よく多くの富を増やすことのできる変換装置を見つけたとき、そこに投資するお金が手元に残っていないのは極めてもったいない。
よりよい変換装置が見つかりそうなら、あえて現金のままそのときを待つのもひとつの選択だと僕は思う。
僕は僕自身が誰よりも効率のよい変換装置の運用を行えると考えている。
なぜなら僕は意識が高い。
意識の高い僕ならば、だれよりも上手く変換装置を扱えるはずだ。
いや、僕は僕に投資をするのだ。
今はまだゆうちょ通帳に5桁しか数字が並んでいないが、これがもっと増えたとき、僕は誰よりも効率の良い変換装置を手に入れるだろう。
判定が明確ではないからと、小説のネタパクは流されがちだよなあ。
読み専の立場ではありますが、一次創作や二次創作を読みながら「Aさんのこの作品、タイムラインで流れてきたエロ漫画の広告と同じ展開だな」「Aさんのこの作品、流行り漫画と全く同じ設定だな」「Aさんのこの作品、エロシーンの展開がBさんの前回の新刊と全く同じだな」と思うことが度々あり、最近ではAさんが今後の執筆の予定を呟く度に元ネタがどれなのかを当てるのを楽しみにしています。
ご本人は「インプットを増やそう!」と言ってよく映画の感想や漫画の感想をツイートされているのですが、彼女の言う「インプット」はシコれる設定・展開を探すことなのだろうなという印象です。当然、キャラクターの掘り下げから生まれる作品では無いため、展開やキャラクターの言動に違和感が残ります。
一次創作・二次創作、あくまで趣味の世界なので気になるなら読まなければいい話ですが、前述の通り元ネタを探して読み合わせる遊びをしているためついつい読んでしまいます。
私は一読者なのでまあダメージは無いし笑い話なのですが、これ、ぱくられている側のBさんは気づいていないのか?と気になるところ。とはいえ揉め事の元凶を作る気もないのでこうして増田に書きに来ています。
そして恐ろしいのは、このAさんと読んだ方、1人ではないのです。同じような方が散見される。そして総じてそういった方達は
を自負しており、度々そういった事を匂わせるツイートをしています。
私はこのとおり、増田にいる腐女子なので高校生の頃漱石や川端にハマり読み込んだ黒歴史持ちなので、彼女達の小説が、小説と呼ぶにはあまりにお粗末である事に気づいています。
例えば、主語の入れ替わりなどの文法的な問題、熟語の誤用……自分が取引先なら絶対に嫌だなと思う間違いが多いのですが、彼女達は気づきません。
そして、新作が発表される度にその人の周囲にいる人のネタパクだと、ラレ元さんは読んだ時にきっと気付くのに、どう気持ちを整理しているのだろうと思います。読者側ももちろん気付くとは思いますが、冒頭の通りトレパクのような明確な判定が難しいため、「〇〇さんのその作品を私は読んでいません」「よくあるネタなので被ることはあると思います」「気分を害してしまい申し訳ありません」と言われてしまえばこれで収束してしまう。
こういう人に限って自分のネタが先、後から同じネタ(展開は全く違う)で近しい人が本を書くとモヤモヤツイートをするので始末が悪い。