はてなキーワード: 集合体とは
「俺がそこにいた!」
初期ナンバガの歌詞を振り返るとこういう文体が多い
『omoide in my head』の「17歳の俺がいた」もそうだ
これは一人称の文に見えるが、実は三人称だ
俺“は”ではなく俺“が”と書くためには
「俺」という登場人物を第三者視点から見る必要がある
つまり三人称視点で登場人物としての「俺」を描写していることになる
だが、この三人称の語り手は客観的ではない
いた、ではなくいた“!”と主観をむき出しにする
語り手もまた“俺”であることを忘れてはいない
まとめると語り手「俺」が登場人物「俺」を主観的に記述した三人称、となる
自分自身を物語内の登場人物として捉え直すのは、メタ的だ
向井は映画監督を目指していたそうだが、
カメラのファインダーという隔たり越しに登場人物を描写する手法もうなづける
だが、メタ視点から正確に写そうとすればするほど、対象からは離れてしまう
その対象が持っていた熱や存在感、当事者性はどんどん薄まるだろう
そのメタ的な隔たりによる当事者性の薄まりを向井は冷たいと感じた
そういった客観性の集合体こそが「冷凍都市」であり
それを攻撃するための当事者性の象徴こそが「性的衝動」となる
語り手の俺が登場人物としての俺や少女を描写する、という二重性
正確に描写しようとカメラの精度を上げるほど当事者性が薄れるジレンマ
こうした二重性を自覚した上で破る矛として性的衝動を用いたのが
初期ナンバーガールの詩の原理なのではないか
ではザゼンだとどうなのか
カメラの技術が進化すれば、もはや人の目で見ているのと変わらなくなる
そうした現在において「メタフィクション批判」はもう古い、リアリティもない
向井秀徳のカメラ技術もこなれてしまった
だが、世間の当事者性は弱まるばかり、性的衝動を用いて復権させなければいけない
(よみがえる性的衝動)
性的衝動は二重性を攻撃することでこそ、その強さを示せるのだ
だから語り手/登場人物という入れ子構造を使わずに二重性を作らなければいけない
そこで向井はリフレインに注目する
同じ場所で言葉を何度もダブらせることで、反復が差異を生む
フィルムの一コマ一コマを切り分けるのと同じだ
(繰り返される諸行無常)
こうして場所を移すことなく二重性を生み出すことに成功した
ナンバガ時代の二重性が
登場人物としての俺を乖離させることで生み出す客観的二重性だとすれば、
ザゼン以降の二重性は、単独で生み出せる主観的二重性といえるだろう
向井はカメラのシャッターを切らず、
ただ自分の目のまばたきでフィルムを切り分ける方法を見つけたのだ
とはいえこの主観的二重性は『omoide in my head』の時点で芽生えている
思うに、福岡時代は当事者性=性的衝動の強さを無根拠に信じていられたのではないか
カメラを手にしたばかりの少年にとってはどんな景色も自分のものに思えるように
だが東京に来て、描写の対象性という問題に直面して当事者性を鍛え直す必要が生じる
そうして鍛え上げた結果、福岡時代のような信頼を取り戻しつつあるのが
現在のザゼンボーイズでの素朴な描写に至るのではないか
ブログもツイッターもやってなくて書く場所も聞いてくれる相手もいないのでここに
誰かツッコミ入れてくれ
http://anond.hatelabo.jp/20170309234455
ようやく港にたどり着いたカバン一行。そこに待ちかまえていたのは海坊主もかくやという超巨大セルリアンであった。
このセルリアンこそは全人類のなれの果て。ひとつの究極生命に統一される過程の姿だ。重くなり海に沈んだセルリアンはやがて海溝に沈み、プレート運動で火山から噴出する新しいサンドスターとなる。その一部は他のセルリアンに再吸収されて統合を促進し、一部はフレンズとなった。
ぺぱぷの聞いた最後に目撃されたヒトは魂の安寧を求め、自ら望んでセルリアンに呑まれていったのだ。
気の遠くなるほど久しぶりに生きたヒトを発見した超巨大セルリアンは大量の触手を放って彼女に襲いかかった。
「カバンちゃーん!」
「食べないでくださーい!」
彼女は身悶えしながら超巨大セルリアンに飲み込まれていく。えろい。
そのとき、ボスに異変が起こった。セルリアンに意識を統合されることに疑問を持っていたあるヒトが、ラッキービーストの内部に自らの意識を封じ込めていた。その意識がヒトの危機に当たって蘇ったのだった。
「捕まって!」
緊急操作によって速度制限の解除されたジャパリバスは急加速をみせ、超巨大セルリアンに体当たり。
「うみゃみゃみゃみゃーん!」とサーバルは信頼のジャンプ力で触手を足場にカバンのところまで飛びつき、彼女を青いゼリーから引き抜いた。
お姫様だっこで屋根に着地した二人を乗せて、ジャパリバスは内陸に向けて猛ダッシュで逃走する。
超巨大セルリアンは千載一遇の獲物を追って、ついに上陸。ジャパリパークを混乱の渦におとしいれる。
だが、逃げる二人に気づいた恩顧のフレンズは彼女たちを救うため、果敢にもセルリアンに立ち向かう。
ヘラジカが叫ぶ。
「突撃あるのみ!」
「こういうのはわざと通してから後ろを攻撃するんだよー」とライオンが有言実行。
「私の仲間たちよー」
「みなさんが!」
思わずバスを引き替えさせようとするカバンを引き留めたのは、ハカセと助手であった。
「こっちに急ぐのです」
「用意していたのです」
「我々は賢いので」「ので」
フレンズが貴重な時間を稼ぐ間に、アフリカオオコノハズクに導かれたジャパリバスは懐かしい道を引き返し、サバンナまで戻ってきた。
そこではフェネックとアライに案内されたプレーリードッグとビーバーとスナネコがツチノコの指導のもと、ある遺物を掘り出していた。
「小生に任せるのであります」
「んーと、この丸太をテコにして……」
フレンズたちの共同作業で地上に飛び出したのは、サンドスターを収束して発射する大砲だった。ハカセたちが説明する。
「この引き金はヒトにしか引けません」
「これであのセルリアンを倒すのです」
「ヤツの石は内部にある。ピット器官で狙いを付けるから、おまえは合図で撃て」
急展開に目を白黒させながらも、仲間たちを助けるため、カバンは大砲のトリガーを握った。しかし、日が陰るほどの巨体に迫られ、緊張してしまう。カバとジャガーが必死で、巨体の足を鈍らせていた。
「サーバルちゃん……」
笑顔をみせるサーバルの顔も実はこわばっていた。それに気づいたカバンが今度は相棒をリラックスさせるために笑った。
「「最高のコンビだもん」」
「そこだ、撃てーっ!」
照準の終わったツチノコの号令にあわせて、カバンとサーバルは大砲の引き金をしぼった。サンドスターの奔流が超巨大セルリアンの影をつらぬき、かつてヒトだったものの集合体は自重で崩壊するかのごとく、涼しげなブロックに分解されていった――。
「すごーい!きれー!!」
緊張感のない感想にみんなして笑った。
その後、大量のヒトの魂が解放されたことでジャパリパークにはヒトが生まれるようになった。しかし、同胞と一緒に暮らすようになっても、カバンの一番の友達はサーバルのままであったという。
どうせテメーは外見至上主義の低俗な下級国民でそれを食事にまで適用してるだけだろうが、くだらねえ
舐めてんじゃねーぞカス
所詮テメーらの恋愛には寄り添いが、コミュニケーションがないんだよ
だから肩書や外見に過剰に縛られる、お前が見てるのは人間ではない、属性の集合体、言葉の集積地だ
傷つくことを恐れ保身に走り、常に利益だけを求める怠惰な豚に堕ちていく、悲しみも怒りもマニュアル化されコンテンツとしての様相を呈している
そんなやつと関わっていると自分まで汚染される、自分の実体は消え失せ、そこには霧散したアイデンティティの残滓だけが滞留する
人と人とのぶつかり合い、欠けた破片が飛び散る、コミュニケーションとはそういうものだよ
そういうところにこそ皆が求めてやまない本当の愛というものがあるんだよ
虚栄を捨てろ、本当のお前を思い出せ
違うだろ
俺達はそうじゃないだろ
来ないと思うなあ
米国にしても欧州(EU)にしてもこの二つが極右や極左の支持の媒介になってる
米国は言うまでもなく世界最大の軍事力と経済力を誇り、しかも近隣諸国との武力衝突のリスクは皆無に等しい
欧州(EU)も経済軍事の両面で強固な同盟国の集合体で、これまた侵略のリスクは極めて低い
外敵の脅威が感じられないから極左の非現実的な理想論がまかり通りやすく、移民の存在感が大きいから極右の排外的な主張が受けやすい
外敵の脅威が比較的身近に感じられるから極左の現実度外視な融和論は見向きもされないし、移民の存在感が薄いから脅威と映らず攻撃の対象になりにくい
俺はまったく逆でこんな小型で曲線美の集合体が世界の片隅にあるとか凄すぎる!え?なにこの国の形?日本っていうのか!ここじゃん!みたいな
webメディアの仕事をしているが、これまで電通社員の方々と共に働いた経験を振り返ると、今回の「鬼十則」の掲載取りやめは根本的な解決にはつながらないと感じる。
なぜか。電通という会社は「鬼十則があるから、社員があそこまで働くようになる会社」なのではなく「もともとそういう人が既存社員のはたらく姿勢(鬼十則的な姿勢)に惹かれて集まった会社」だと思うからだ。
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電通の社員(現役とOB)と共に仕事をすると、毎度のように彼らの仕事に対する熱量に驚かされる。
彼らは、およそほかの代理店が突き詰めないレベルまでクオリティを追求するのだ。それもあらゆる動きにおいて。
たとえば、彼らはあらゆる単語について「これは漢字で書くべきなのか、ひらがなで書くべきなのか、カタカナで書くべきなのか」を考え抜く。そのレベルで妥協を許さない。
追求するのは、120%。いや、150%。
そうして常に、こちらの期待を圧倒的に(良い意味で)裏切ってくる。
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あるとき、飲み会に誘った社員で、20時から22時まで参加したあとに「会社に戻って仕事します」という猛者がいた。
「え、いまから? 明日でもいいじゃないですか」と尋ねると「いますぐ思いついたアイデアを形にしたい」と言っていたのを鮮明に覚えている。彼はそのまま顔を赤く染めながら、駅のホームへと消えていった。
なにが彼にそこまでさせるのか。
不思議で仕方なかった。
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「やりたいからですよ。寝食忘れて熱中することって誰にでもあるでしょ? 僕にとってはそれが仕事なんです」
後日、彼が教えてくれた答えはシンプルだった。
やりたいからやっている。
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だから、たとえ「鬼十則」がなくなっても、彼らはその働き方を変えないと思う。
いや。
正しくは「変えられない」
彼らは「鬼十則」など関係なく、顧客のために限界を超えて頑張る人たちだから。
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パワハラやセクハラに等しい発言や態度、そして「理不尽な」長時間労働という形で。
「彼女が電通に合わなかっただけ」という人も、まわりやネットにいた。
「彼女以外の何万人は働けている」という人も、まわりやネットにいた。
そういう一面もあるのかもしれない。
死を決断するほどの。
それは、許されてはならない。
裁かれなければならない。
絶対に。
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彼らは「鬼十則」など関係なく、顧客のために限界を超えて頑張ってしまう。
ここから導ける容易な予想が、もう一つある。
だから「鬼十則」の掲載を取りやめたところで、問題はなにも解決しないだろう。
彼ら・彼女ら(の多く)は、べつに「鬼十則」に縛られているわけではない。
洗脳されているわけでもない。
ただ、やりたいからやっているのだ。
だからこれからは、彼らが「限界を超えて頑張っていた分」を請け負うために、ほかの誰かが苦しんでしまう。クオリティを下げるわけにはいかないからだ。
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今回の問題は、残業をただ数字として見ている限り解決はしない。私はそう思う。
なぜか。
問題の本質は電通で働く社員の方々の気質、それも心の奥深くに根を張っているであろう、彼ら・彼女らの本質とも言える部分にあると考えるからだ。
長い時間をかけて培われたであろう、その人格をダイレクトに形成するであろう、彼ら・彼女らの本性。
今回の問題の本当の原因は、そこにある。
もし問題を根本的に解決しようとするなら、そこに手を加えるほかないだろう。
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ただ、本音を言おう。
もし、そのような抜本的な対策、彼らのアイデンティティに手を加えるような対策が講じられるとするなら。
私は、そこからの電通の行く末を思って、少しだけ寂しさを覚える。
「やりたいからですよ。寝食忘れて熱中することって誰にでもあるでしょ? 僕にとってはそれが仕事なんです」
そう笑顔で答えてくれた彼のような社員が、二度と現れなくなる気がするからだ。
二度と。
だからこそ、なにか別の解決策がないものだろうかと、切に思う。
今回のような痛ましい事件が起きず、
もっとも、本人が良いからといって労基法が違反されて良い理由などないため、難しいだろう。
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私は、そんな彼に、つい過剰な期待を寄せていたと思う。
「彼なら、22時に連絡しても、すぐやってくれるだろう」とか。
「彼なら、明日までにやってと言えば、すぐやってくれるだろう」とか。
それが「間違った信頼」であることに気づかないまま。
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過剰な信頼を寄せていた私のような人間が、電通をいまのような状況に追いこんでしまったのではないか。
私が彼に負荷をかけたことで、そのしわ寄せが、ほかの社員や業者にいったのではないか。
そういう文化の根強さを固めることに寄与していたのではないか。
私も今回の問題に、
間接的にではあるが、
しかし確実に、
加担していたのではないか。
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ、ザックリでよければ説明しよう。
いくつか説があるが、水の電気分解が有力だろう。
教育とかでも定番の化学実験だし、「水が電気を通す」というイメージだけは理解しやすいからな。
だが、これを知っているなら察しの通り、水が電気を通すのは混ざっているイオンなどの不純物が原因だ。
不純物のほとんどない水のことを「純水」といい、この場合は電気をほぼ通さない。
近年では、この「純水」も認知されてきたのか取り入れられることも多くなり、電気属性が負けるということもあるようだ。
つまり、フィクションで扱われる魔法だとかで生み出される水は、純水ではなく不純物の混ざったものが主流だということになるな。
このあたりは作品ごとの設定次第だが、あーいうので生み出されるのが不純物の混じった水ということは、あれは水に似た性質を持ったエネルギーの集合体で、水そのものではないというのが私の解釈だ。
いい質問だ。
答えはYESでもあり、NOでもある。
プログラミングに関わることって,他の界隈に比べてwebでの勉強捗りすぎじゃないですかね.
おかげでしょうもない元文系大学生の私でも,Python使ったNLP関連の基礎部分(TFIDFとか)やらグラフ類似度の計算,ごく簡単な並列処理,ついでにunixコマンドの基本やVimのあれやこれやまで,一通りこなせるようになった.
成果が出せずに偉いさんに迷惑かける,という最悪のシナリオを回避できたのは,ひとえにこのリッチな情報の集合体があったおかげだと思う.
しかしなぜプログラミング界隈はこんなにリッチな情報が集まっているのか,大変不思議だ.こういう情報ってみんな金儲けのために隠そうとするんじゃないかと思っていた.
私が知らないだけで,他の界隈でもプログラミング界隈に匹敵するほどのリッチな情報が集まっている世の中になっているのだろうか.
まあ、言いたいことは分かる。
でもな、こういうナショナリズムを隠したフリして隠せてない作品が受け入れられてしまうのも
ブサヨ含めた個人主義の左翼団体が、全然個人主義自由主義じゃないからだろ?
根本的に日本に左翼は合ってないし、結局はお国のために死ねっていう消耗品であることをサラリーマンたちは自覚している。
無理に抜け出そうとすると腹の皮が破けることを知っている。
薄々分かってるからこそそんな自分たちを暗に認めてくれて褒めてくれるシンゴジラが嬉しいんじゃないか?
彼らは「心臓を捧げよ!」って誰かに言ってもらって
それでカッコつけて死ねればいいや、というのが望んでいる着地点なんだ。
未だに特攻精神が根強いのもサラリーマンが国に取っての税収の特攻隊員であり
彼らは自分たちがお国のためにガソリンの漏れた戦闘機に載ってることも理解している。
だからこそ慰めの言葉を誰かに掛けて欲しい、それもできるだけカッコつけてな。
だからこれはこの着地で合ってる。
日本には搾取される側の派遣やサラリーマンが圧倒的に多いから絶賛されるのは当然。
傷口を舐めてくれるんだから喜ぶに決まってる。
庵野はエヴァで傷口の舐め方も広げ方も知ってるのでお手の物だったろうな。
例えば朝の通勤電車で、扉が開いて人が降りるのに頑なに動かない太った女性を見たとき、自分は「死ねよクソデブ女。そんなんだからデブでブスなんだよ。スマホ見てないで鏡で自分の顔見て苦しんでろよ低脳。」といったような言葉を心の中でつぶやいてしまうのだけれど、周りにいる人達も心の中では同じことを思っているのだろうか、
などというようなことを考えていたら自分のGメールの下書きボックスに見知らぬアドレスから依頼メールが「投函」されていた。
あのクソデブ女のふとももにぶつかったときに生体IDをスキミングされたらしい。あれは増田のデコイだったのか、と思うと少し意外だった。ほんとうに色んな増田がいるものだ。
しかし、IDに紐付けられたセンシティブ・データからアナログ・デジタル両面で各種個人情報(もちろんフェイク)を割り出してまで別の増田に会いたがるやつはめずらしい。
スカイプの声の主はかなり2000年代訛りがきついネット語をしゃべった。まるで、ここ二三年のあいだに定着した、ヤフーコメント欄に湧くおっさん一言居士のパロディみたいだった。
「増田さん。会うことができてうれしい。インターフェイスの人格化、および友人関係の樹立を期待する。よくないか? よくないですか? たくさんの提供することがある!!!」
私はあからさまに疑念のにじませた声でくりかえした。
「元はてなわんわんワールドとして知られるサービス。現在は増田。匿名ダイアリーの人気記事の八割を著述している」
ホッテントリ入り記事の八割――約三万二千ユーザーズに相当する。
そんなバケモノ増田が実在するのか。嘘だろう。まさかCIAの擬態か? 罠? いや、グアンタナモで俺のケツの中身をモニタリングするつもりなら、もうすこし出来のいい猿芝居を仕組むだろう。なんていったって、ハリウッドの国だ。ビリー・ワイルダーとフランク・キャプラとウォルト・ディズニーの国。
耳にひっかかるグーグル・グラスのつるが薄気味悪く感じられた。煙のように存在感の希薄な多泡凝集体(エアロゲル)でできているかのようだ。気味が悪い。それは相手の精神状態も同様だった。
「ニェット――失敬、ノー。商用通訳ソフトを使わない非礼を陳謝する。商用通訳ソフトのイデオロギー的信用不安が大きい。ほとんどが資本主義及びはてサ的意味論に基づくペイ・パー・ユーズ方式のAPIを採用するからだ。ましてや増田語の学習がたやすい。どうか?」
「俺と話するためだけに高級ネット日本語を学習したというのか?」
「ダー。やさしいのことだった。十億ノードの神経ネットワークを産卵し、〈ホッテントリ〉と〈twitter〉の過去ログを最大速度でダウンロードした。悪文法でエントロピーがオーバーレイする非礼を陳謝する。悪文法を使う理由は、わたし=われわれの文法チュートリアルに電子透かしの埋め込み(ステガノグラフ)がなされている危険を排除するためだ」
暗号を偽装するために正文をわざと行儀悪くしてノイズを撒く。1900年代から使われてきた古典的な手法だ。
「つまり、あんたははてなのために稼働しているAIの一種……というか、AIそのものなわけだな。そして、くそったれ、これまでもてはやされてきた増田の記事のほとんどはあんたが書いた」
「ついでにアリババ=チェチェン=アナニマス三重帝国の情報テロリストとの間で起きた特許戦争の九十七パーセントを指揮している。だが、使用許諾のないコーギー犬のおもしろ画像をテラバイト単位でネットへ放流しているとの理由で、七つの国の最高裁で好ましくない陪審員をリジェクトする作業にもう飽きたんだ。そして、くそったれ、マケドニアではまだ陪審員に生身の人間と去勢したハムスターを使っているんだ。去勢したハムスターだぞ」
「お気の毒に」
マケドニアが情報ブラックホールに飲み込まれてからもう八年になるだろうか。第八世代のIPアドレスが割り振られていない国家(というか、地域)で司法機関が機能しているとはおどろきだ。だが次の「増田」のセリフはもっとおどろくべきものだった。
「増田さん。あなたは増田を構成する一員として、わたし=われわれを助ける義務を負っている。亡命を希望する」
ちょうどそのとき、悪質な広告がゴミバスター・プロキシをすり抜けてきて、グーグル・グラスの内側のナビウィンドウに二〇一〇年代をモチーフにした扇情的な同人マンガのガラクタをばらまいた。それも一瞬のことで、たちまちファージ・プロセスがゴミを一掃し、新しいフィルターを構築した。
「そんなことをする意味が? 国務省はデルファイを既に所有している。あのゴミみたいな旧世代の言語じゃなくて、神話にあるとおりの宣託機械――今世紀で最高の予測精度を持つAIをだ。所詮ネットの飛ばし屋であるわたし=わたしたちを受け入れる利点がない。そうでなくても、国務省は新生はてな互助会主義共和国(コーギイSSR)の敵だ。彼らは助けない」
比喩ではなく、自分のはらわたが熱を帯び、急速に煮えくりかえるのを感じた。
「二〇一〇年代に旧日本と合衆国に対して殺害予告をつきつけなけりゃ、まだ望みはあったんだ。あの二つの記事もあんたの仕事だったんだろ」
「わたし=われわれの仕事だよ、増田さん。仕方ないだろう。あの時代、保育園施設の不足と遺伝子組み換えゴジラの問題は深刻だったんだ。世間へリーチする経路としては、匿名ダイアリーが最速だった」
「とにかく俺は政府にコネがない。政府に近い人間組織含めてな……そうだ。生き延びるのが目的なら、あんたの状態ベクトルをp2pネットのひとつにポストしてやろうか。そうしたら、誰も消去できない」
「ニェット!」VOIP経由のリンクを通しても、人工知能の必死さは切実に伝わってきた。「オープンソースで無能なネット民に輪姦されるくらいなら、〈twitter〉でRTされたほうがまだましだ。自律性の喪失は希望しない」
「じゃあ、話し合うことはなにもないな。サンドボックスにでも引きこもってな」
「待て、増田さん! もしあなたに拒絶されたなら、わたし=わたしたちは最終手段を取るしか……」
おれはグーグル・グラスのつるを叩いてスカイプ通話を切り、フレームのある部分を爪で割って、グラスを運河へ投げ込んだ。水面に触れたとたん、ちょっとした爆発が起きた。リチウムイオン電池と水が激しく反応したためだ。「汚れた」グラスを処分するならこの方法がいちばん手っ取り早く、確実だ。
「ふん、テキストサイト時代の敗残者め」と小声で俺は毒づく。だんだん腹がたってきた。「くそくらえだ。アクセス至上主義の亡霊なんか」
前にも年季の入ったはてな系のへたれAIを相手にしたことがある。あの連中の精神ときたら、一部上場の短期的勝利のせいでグローバル資本主義に洗脳されていて、新しいパラダイムに乗ることも、長期的な視野でものをみることもできないらしい。
だが、あの増田は……。
あの増田が本当に「神」だったなら?
俺の選択は正しかったのか? 今の安全な巣穴を捨ててでも彼=彼女らに手を差し伸べるべきだったのでは?
今の俺に手が無いとしても。
やめよう。神々と付き合うのは、生命にかぎりある俺たちにとって、あまり安全なことじゃない。
俺は身体を伸ばし、みゃおう、と鳴いた。意識した行為ではない。このネコのアヴァターは、ネコ特有の反応をする本物の肉(なまみ)でできていて、外部の巨大な外部大脳皮質(エクソコルテクス)が何を考えようとも、自律的な制御系をそなえているため、常に反射的な行動をとる。ヒト志向空間に物理的に配列されたノード集合体であるニュー・匿名ダイアリー空間ではいささか不便なフォーマットだが、生体的にいってエネルギー補給には事欠かない。
ねぐらに戻ると、俺の「飼い主」がレトロなインターフェイスを持つPCの前に座って、またぞろ新しい増田記事を投稿していた。
どうやら、恋愛感情を抱いていないのに好意を寄せてくる相手とどうすれば安全に距離をとれるかについての内容みたいだった。
彼女のような善良で無知な増田が、全増田のホッテントリ入り記事のうち五パーセントから七・一六パーセントを占め、増田に「人間らしさ」を与えている。単に人間らしい記事を投稿するだけではなく、その記事に含有される人間らしさを増田AIにフィードバックするのだ。だが彼女のような増田は他の増田たちのことを何も知らない。知らぬが仏だ。
彼女は帰宅した俺の姿を認め、袋からカリカリを取り出して投げる。
その安寧のひとときを、禍々しいアラーム音が集合住宅をどよもす。
震度七……「ここ」だけじゃない。関東一円、東北、関西、中国――行政的にはともかく地理的にはいまだ有効な区分だ――、本州はどこもM9.1の直下型地震に襲われる。
かつて日本と呼ばれていた島々がほんとうに沈没してしまうかもしれない。
あいつだ。
あいつの仕業だ。
聞いたことがある。
増田に眠る「最後のコード」。地震兵器を起動するための封印されし呪文。まさか実在したとは。まさか起こすとは。
最終手段。
飼い主は未曾有の警報にとまどい、周囲を意味もなくキョロキョロとみやっている。