はてなキーワード: 蛍光とは
今朝、会社で先輩に指摘された。
白の不織布のマスクを外してみたら、たしかに蛍光色のピンクで口元あたりとゴムと布の継ぎ目辺りが汚れていた。
「え?何、〇〇くん、ピンクの汗かくの?」と茶化されたものの、心当たりがすぐには浮かばなかった。
何もピンクのものは口にしていないし、朱印や蛍光ペンを触ってもいない。
心たあたりを探っていくと、5分前に自分がしていた行動を思い出した。
目薬である。
サンテPCのピンク色の液体が目からこぼれ、頬を伝い、口元まで流れていたらしい。
理由がわかればなんてことない話だが、目薬するときに気をつけないとなとか、無色の目薬に変えるべきかなとか思った。
汚れが目立たない黒色不織布マスクが浸透すれば楽なのになあ。
相手が変な格好で現れたらこれからデートするのが嫌になる、無難な格好だったら安心してデートしながら人となりを知っていけるってだけの意味だと思うよ。
変な格好と言ってもシャツがしわくちゃすぎるとかサイズが全然合ってないとか全身黒ずくめでなんか怖いとか謎に蛍光色とか、あまりにもあんまりな感じだよ。
増田の言う「男性的な強さかっこよさ」に寄せた服装がどんなのか分かんないけど。
でも増田が歳の割に老け顔だったとして、それで全身無印良品みたいな地味な格好してたら無難でもなんか嫌だろうしなー。おじいちゃんかよ?みたいになりそう。だからって老け顔の人がどんな服なら似合うのか分かんないなー。
私は本当にもやもやしている。発端は例の伊是名夏子さんのこの投稿。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
バリアフリーは推進されるべきだ。その方向性に異論はない。そしてバリアフリーを訴える目的はよいと思うし、その目的を批判している人はほとんどいない。
でもこの記事を最初に読んだ時、「これは炎上するな」と思った。
私は、きちんとした教育を受けそれなりの大学を出て、結婚もして家族もあるし、収入はそこそこあり持ち家にも住んでいる。
ただ片目があまり見えない。病気というか、発達障碍というか、弱視という視覚障碍がある。ちなみに弱視というのは、眼鏡などで矯正しても視力がでないことをいう。
だが片目だけの視覚障碍なので、私は身体障碍者ではない。健常者だ。もっとも正常な方の目も、近視、乱視がはいって矯正しないと0.5ぐらいなので、そんなに見えるわけではないけれど、視力矯正できるかできないかは全然違う。
もっとも、もしかすると両目がきちんと見える人よりも、遠近感の把握ができなかったり、視野が狭いのかもしれないが、両目見えていた経験がないので、違うのかは全くわからない。
不自由はないといいつつも、ほんの少し、両目が見えたらいいのにと思うことがある。例えばVRゴーグルをかけてみた時などにそう思うことがある。でもそれは総じて大したことではない。
逆に見えなくてよかったと思うこともほとんどないのだけど、ひとつだけ、心からよかったと思うことがある。
私は、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目を持っている。社会を、健常者の目と、視覚障碍者の目と、2種類の目で見ることができる。それは本当によかったと思う。
私は、時々、自分の健常者の目をつぶり、視覚障碍の目だけで街を歩くことがある。特に、今回は、もやもやし続けているので、いろんな場所で何度もそうしている。
通しでやったことはまだないが、眼帯などで健常者の目を隠し、視覚障碍の目だけで自宅から会社まで通勤するのは可能と思う。
なぜ可能と思うかというと、私は、自宅のドアを開けたところから、会社の入り口まで、健常者の目で何度も通勤しているので、途中の、①道路、通路の硬さ、すべりやすさ、段差、②曲がるときの角度、直線で歩くべき距離、③階段のおおよその段数やエスカレーターなどの位置、こういうものを覚えている。
見えないものは、記憶で補いながら歩く。ゆっくり歩けば、弱視の目でも歩くことができる。
そして音は重要だ。自動車が近づいてくる。こういうものは音で判断する。
自転車は、音が小さいから、怖い。電気自動車も、音が小さいから、怖い。
電車の時間も、発着ホームも、だいたい覚えているので、目的の電車に乗ることはできる。ただし、遅延などが発生し、行き先が違う電車が普段とは違う時間にやってきたりすると、困る。
そういう時は駅員さんしか頼りにできなくなるだろう。
本当の視覚障碍者の人は、情報を得るのにとても困るだろうなと思っている。ホームに駅員さんがいれば聞くことができるのだろうけど、いつもいるわけではない。視覚障害者はそうたやすくホームを歩けないので、同じホームに駅員さんがいても、距離が離れていたら聞くのは難しくなる。
少なくとも私は、視覚障碍者の目で歩くとき、普段と違う状況になると状況を把握できず、いらいらする。
私が、視覚障碍者の目で歩くときは、記憶と、耳と、手と、足の裏の感覚と、それ以外の感覚も総動員しながら、歩く。
集中しているので、いきなり肩や腕をつかまれたりすると、とてもびっくりするだろうと思う。怖いと思うかもしれない。
もし皆さんが視覚障碍者に何か情報を伝えたい、手助けしようと思ったら、白杖や身体をいきなり触るのではなく、まずは声をかけてほしい。もし声をかけて手助けを断られたり、声をかけるのを躊躇するなら、見守ってほしい。
私の弱視は、光線の具合で、見えたり見えなかったりすることがある。
広い平坦な場所で、突起に気づかずつまづくぐらいなら笑い話かもしれないが、ホームの端がみえにくくて転落することがあれば、それは生命の問題に直結する。((ホームと線路の彩色、彩度が似ていると、ホームの端がわかりにくい。))
その対策だが、蛍光色で10cmぐらいの幅のラインを描くことで、ホームの端の視認性はかなり上がる。これをCPラインというらしい。
一部、導入されつつあるが、まだまだ普及がすすんでいない。
https://ameblo.jp/milkyht2/entry-12244392124.html
ホームドアは、視覚障碍者のためだけではなく、酔っ払いなど一般の人の転落事故も防止する。ホームドアがあれば死なずにすんだ命は多い。できる限りペースを速めて、設置してほしいと思う。
ネックは、ご存じの通り、多額の費用がかかることだ。
でも、生命にかかわることだから、優先順位は一番高くていいのではないかと思う。
日本視覚障害者団体連合もホームドアの設置を求め続けている。2020年7月の阿佐ヶ谷駅での視覚障碍者の転落死亡事故をうけて、同年9月にも国土交通大臣に要望書を提出している。こういう働きかけは大切だ。政治や企業への働きかけは、絶え間なく行わないといけない。
働きかけを行うべき先は、政治も企業もしかるべき権限をもつ者=責任者であるべきだろう。「なんでホームドアがないんだ!」と現場で駅員さんに怒鳴っても、何も改善しない。
http://nichimou.org/notice/200923-jimu/
歩道や施設などの通路、ホーム上にある点字ブロックは日本発祥のものだ。これはよい発明だと思う。かなり普及しているのも評価したい。
また、2016年に近鉄大阪線河内国分駅ホームから視覚障害者が転落死した事件をうけ、対策として「内方線付き点状ブロック」設置を推進していたが、これはかなり進んだと思う。評価したい。
https://www.sankei.com/affairs/news/161017/afr1610170045-n1.html
でも、「なんでこうなった?」というような謎な点字ブロックも多々ある。そんな役に立たない点字ブロックや、かえって危険を作っている点字ブロックがある。
ホームなどの点字ブロックの配置についてはガイドラインがあるが、まだそれが守られていないことがある。2019年の京成立石駅で視覚障碍者が転落死した事件は、規格外ブロックが問題と指摘された。
https://s.mxtv.jp/mxnews/kiji.php?date=14s53i742ax788in6
ガイドラインに沿っていても、転落事故(死)が起こることがある。視覚障碍者は、目からの情報が少ないため、点字ブロックを認識しつつも、現在地と歩く方向を間違い転落することがある。
点字ブロックはとても有効な設備だが、点字ブロックだけでは転落事故はなくせない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/437710.html
点字ブロックは、黄色のものが多い。(私も健常者の目で見た時はそう思うが)黄色のブロックは、色がガシャガシャして、うるさく感じないだろうか?
そこで、街並みをおしゃれにするため、点字ブロックを歩道の色と合わせて設置することがある。最近増えた感じがする。
でも弱視者には、これがわかりづらい。
視覚障碍者は全盲の人ばかりではないという認知がもっと広まってほしい。
「視覚障碍者は見えないのだから、点字ブロックは何色でもいいのでは?」と思わないでほしい。
少ない視力を使って点字ブロックの上を歩きながら、足の裏の感覚などで点字ブロックの助けを得て歩く視覚障碍者もいる。
視覚障碍者は、道路交通法によって、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることが義務づけられている。(第14条第1項)
また、視覚障碍者でなければ、白杖を持つこと、または盲導犬をつれることを禁止されている。(第14条第2項)
さきほども書いたが、視覚障碍者は全盲の人だけではない。ロービジョンといわれるのだが、若干の視力はあるのだが日常生活に支障がある人がいる。白杖の使い方は、人それぞれだ。
ところで、視覚障碍者が白杖を持つ理由は次の3つとされている。
https://nippokai.jp/wp/formembers/canes/
障害物もなく、路面が確かな場合、ロービジョンの視覚障碍者は、白杖を「視覚障害を持つことを周囲に知らせる」だけに使うことがある。つまり周囲の人に自分の存在を知らせるために、白杖を動かさず抱えることがある。
それを白杖を使っていないと思わないでほしい。白杖で地面を叩いていないからといって、「こいつは視覚障害ではないのでは?」なんて思わないでほしい。
点字ブロックの上や近くで立っていたり、荷物を置いていたりしていないだろうか?
いわゆる歩きスマホはしていないだろうか?
視覚障碍者は、器用にぶつからないようにしたり、避けたりするのが苦手だ。
伊是名夏子さんの投稿とその後の議論、動きなどみて、私がもやもやした理由は主に次の3つになる。
私が、ここに書いた話題は、全部が「視覚障碍者にとってのバリアフリー」問題だ。
伊是名夏子さんの投稿は、さまざまな議論を呼んだが、その議論は、エレベーターとかスロープとか、「車いす利用者にとってのバリアフリー」だけしか議論されていないでは?と感じた。
確かに伊是名夏子さんは自分自身の障碍のため、「車いす利用者にとってのバリアフリー」を問題にしている。それは当然だと思う。
でも、「バリアフリー」を必要としている人は、車いす利用者だけではない。視覚障碍者も、聴覚障碍者も、妊婦や精神障碍者なども、「バリアフリー」を必要としている。
それぞれの障碍やハンディキャップが違えば、「バリアフリー」として求めるものは違う。でもそこまで広く捉えた「バリアフリー」議論はほとんどなかった。
いつでもどこにでも自由に行ける自由はとても大切なことだと思うけど、毎日、命の危険を感じながら鉄道を使う人のことも思い出してほしい。
案の定、伊是名夏子さんの投稿は炎上した。あの投稿を批判的に見る人は、来宮駅を巡るトラブルの作為性を問題にしている。作為性とは、バリアフリーを訴えるために、わざとトラブルを起こしたのではという見方だ。ご本人は否定している。しかし私も実は、作為性はあっただろうと思っている。
現場でのトラブルを、乗車拒否などの強い言葉を使った非難を行い、耳目を集める手法というのは、そのトラブルの作為性を巡って反感を買いやすい。
伊是名夏子さんご本人が、それが戦いだとお考えになることは、批判できない。こうしなければ、耳目を集められないという気持ちも理解できる。
しかし、何かバリアフリーの課題を改善したいと考えた時、この手法が一番効果的となってしまえば、他の障碍者も(少々作為性があろうと)トラブルを起こし、それを声高に訴えないといけなくなってしまうのではないか? 私は、そういう状況が本当のバリアフリー社会とは思えない。
そして、あの手法に反感をもつ人と、支援する人との分断は、更に広がったように思う。
分断されたバリアフリー社会とか、笑えないブラックジョークだ。
伊是名夏子さんの投稿に対しては、私も批判的だし、批判する人の気持ちはわかる。
一方、こういったネットの炎上が生じると、その人の過去の行動を洗い出し、それらも併せて執拗に非難するような行動がよく見られる。晒しと呼ばれる行為だと思う。
確かに、伊是名夏子さんの過去の行動で、「それはよくないな」と思う事例はいくつか見つかった。
しかし、既に法的には時効を迎えたと思われる古い過去を、声高に非難する合理性はないように思う。
話は変わるが、視覚障碍者の投稿を読むと、白杖を持って歩いている時に誰かとぶつかった後、その人から心無い言葉を浴びせられたという投稿がいくつも見つかる。
他の障碍者やハンディキャップを持つ人も、そういう経験をしているのだろうと思う。
そんな心無い言葉を浴びせる人は、たぶんその人の心の中に、障碍者への「偏見」というバリア(障壁)を持っていると思う。
心の中のバリア(障壁)は、目に見えるものではないので、取り除く=バリアフリーを作るのはとても難しいと思う。
インフラは整っているが、人の心の中はバリア(障壁)だらけのバリアフリー社会って、何かのアイロニーだろうか?
今回、伊是名夏子さんの過去の行動を非難した人の心の中に、障碍者に対するバリア(障壁)ができないことを願う。そして本当のバリアフリー社会を作るには、あなたの協力が必要だと訴えたい。
私はまだもやもやしている。
先週はブルマーの紺色の起源について調べた。ブルマーはアメリカでも紺系統の色だったが、現在の色になる過程で日本の伝統色の影響を受けた可能性について検討した。本記事では、臙脂色・小豆色・赤色のブルマーがいつごろから存在しているかについて調査する。また、他の色のブルマーについての情報があった場合はそこにも触れる。
主として https://www.buruma-joho.com/という個人サイトに掲載された、映画やドラマに出てくるブルマーの色について調査し、おおよそ何年までさかのぼれるかを検証する。ただし、あまりにも近い年代のものは省いた。すべてを引用しても年代の特定の役には立たないし、2000年以降のブルマーはほぼファンタジーに属するからだ。ブルマーにまつわる映画作品を網羅したい方は、ぜひ上記サイトをと参照していただきたい。どうして個人の記録ではなく映像作品で確認するのかといえば、ブルマーが日常的に存在していた当時の映像作品には、コスプレ的で奇抜なブルマーは出てこないと考えられるからである。また、個人のサイトやツイートは消える可能性があり、文字による証言だけだと正確さが担保できないためである。また、盗撮画像を使うわけにはいかないのはもちろんだ。
なお、バレー部のブルマーとそのほかの学生のブルマーについては、分けて考えたい。
加えて、プロのバレー選手の映像は多くなるので、赤ブルマーについては泣く泣く割愛した。
「オシャレ泥棒」1989年 https://www.youtube.com/watch?v=COpUgdGuoLE
「としごろ」1973年 https://www.youtube.com/watch?v=zRDoJFgS_wA
「青春の構図」1976年(女子大生。乳房の露出があるので直リンはしていない。各自で探してください)
「燃えろアタック」1979年 https://www.youtube.com/watch?v=qHFnZx0LT6Q
「転校少女Y」1984年 https://www.youtube.com/watch?v=li46Tlzuz_w&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=37
「挑戦」1963年 https://www.youtube.com/watch?v=krbJ1MBYXTo&list=PLVxbaLcthhB1CAwMgrZhIykFQHl4rya9-&index=5赤、青、緑三色のブルマー。
「典子は今」1981年 https://www.youtube.com/watch?v=Eh-8MVOJ6Ig濃緑で、芋ジャージの緑とは違う。障害者の社会参加を訴えたドキュメンタリー。
「蘇れ魔女」1980年(バレー選手)。Youtubeに動画はあるが緑ブルマーは確認できず。
「時をかける少女」1983年 ttp://wainn.jugem.jp/?eid=1364
ところで、先ほど両腕のない女性の映画を紹介したので、せっかくだから話そうと思う。以前NHKで「アニ×パラ」と称して https://sports.nhk.or.jp/paralympic/video/81d717ec76b544d8922c17f10889dee6/ 車いすの少女が陸上選手になるショートムービーを放映していた。また、警視庁か何かのポスターでも、ブルマー姿の義足の選手が被写体として用いられていた。義足の陸上選手を扱ったポスターはイラストも実写も検索すればいっぱいあるし、中西麻耶選手はセミヌードも披露している。
僕は素直に美しいと思ったし、義足の機能美にも魅力を感じた。義足は隠すべきもの、障害は隠蔽すべきもの、そうした空気がなくなっていくのを感じるのは、僕としても嬉しい。しかし、そこに難しさがないわけではない。美しいと思うこと、セクシーだと思うこと、障害者に対する態度、こうした扱いの難しい問題がぎゅっと凝縮されているからだ。障害のある選手が自分の身体や努力を誇りに思う気持ちと、そうした選手に憧れ、称賛すると同時にどうしてもブルマー姿に萌えてしまう自分の率直な気持ちとの間に、どのように折り合いをつけていくか。あるいは、特にアスリートではない障害者に対してどうふるまっていくか。特段「美しい」わけではない多くの障害者にどんな態度を取るか。様々な障害を抱えた人々と関わりながら生きていくうえで、考え続けばければならない問題だ。麻痺した身体を公共の場で堂々と見せた、とある活動家のことを思い出す。特段「美しい」わけでなく、それどころか「痛ましい」という印象すら与えてしまう身体。痛ましいと思うのはこちらの上から目線だが、スポーツで称揚される「美しい」身体とは別の身体が、隠蔽されてはいないだろうか。
今の職場は身体障害や聴覚障害のある人、あるいは精神障害のある人と働く機会があり、毎日が学ぶことの連続である。意外と「普通」だなと思ったり、逆に思いがけないところにつまずきポイントがあったりで、どうやったら一緒に働けるかは調整の連続だ。でも、いろんな人と働ける機会があると、気づかなかった偏見から自由になれる機会も多く、ダイバーシティってそのためのものなんじゃないかって思う。みんな仲良く、というきれいごとよりも、もめたり話し合ったりして、どうやったら一緒にやっていけるかを考えるのがきっと大事だ。そうしたら、道ですれ違った障害のある人により上手に配慮できるんじゃなかろうか。
本当のバリアフリーとは、障害があっても普通に隣で働くことだけでなく、ブルマーと義足の組み合わせに何の屈託もなく素直に萌えることなのか。茶化したような問いだが、パラリンピックにおける障害のある身体の宣伝的な側面も含め、真剣に考えたい。パラリンピックに出ることのない、大多数の障害者はパラリンピックをどう感じているのだろう?
前回の記事では、スク水がハイレグ化した90年代(ttps://www.footmark.co.jp/about/id001575.html)に臙脂ブルマーが生まれたのではないかと推測していた。だが、実際にはそれ以前に臙脂ブルマーは存在していたことが確認できた。その後、バレーボール選手のブルマーが学生のブルマーに影響を与えたのか、さらにブルマーの色が自由になる雰囲気があり、それが同時にスク水のハイレグ化を生んだのか。おそらく前者は正しいと推測されるが、後者の確証はない。そして、ファンタジーだと思っていた白ブルマーの存在も確認した。
今後は、同じ赤色でもどのような幅があったかについて調べたい。臙脂、赤、小豆色は少しずつ色が違う。現に、個人がアップロードした写真には、蛍光色に近い青・赤・緑のブルマーが確認できるものがあり、上記映像作品には登場しない色のブルマーが一定の範囲で分布していた可能性が検討できる。また、企業の公式情報や新聞紙などの証言から上記内容を補足し、フィクションからのデータだけに頼らない、実際の臙脂ブルマーが誕生した年代についても調べたい。新聞は白黒が多く、苦労しそうではあるが。
さらに、イギリスなど諸外国には赤ブルマーがなかったかも調査せねばなるまい。
加えて、身体障害が憐れみの対象やスティグマではなくなっていく過程についても気にかかるところである。美しかろうがそうでなかろうが、「健康」であろうがそうでなかろうが、そして「猥褻」であるかどうかにもかかわらず、自分の身体を見せる権利を改めて問い直したい。
お値段も手ごろで、設備もよく、サウナまである初心者向けのジムです。
どんな人達か説明した後に、これに対する自分のモヤモヤを書きます。
「そっちのジムはそんなポケモン出るんだー」ぐらいに思ってもらえれば幸いです。
ちなみに、よく聞く「鏡前でボクシング」は私自身は見たことないです。
女「えーコレどうやって使うのお?」
男「ほら、やってみて」
女「んんん~~~~~」
女「ぅん、んんん~~~~~♥」
男「……さーん、しーい、……もぅ全然できてないじゃん(クスッ」
ドS彼氏に開発されちゃう系同人音声。ベッドでイヤホンして聴くやつ。
これ、もう、弱セックスじゃないですか?
広背筋だけでなく二人の関係に新しい刺激を~ってか、やかましいわ。
実際、補助とかで必要だったりするけど、5人は多いよ。
サッカーって高校の部活でも「ゴール前、塊になるな!」とか言われてるイメージあるけど、
サッカーする人ってそもそも群がる習性あるのかも、と思いました。
誰一人マシントレーニングのところに行こうとしないのも、なんか変なプライドを感じました。
しこってんじゃねえ!!
ここでの”しこ”とは四股踏みであり、その後、「はっけよい」の構えのまま動かないことを指します。
バーベルスクワット中、3セット目に入ろうと顔あげたら遭遇しました。
鏡越しに目が合う。合い続ける。
中年太りしたおじさんは気合の入った顔したまま、ずっと立会の構えで動かない。
営業部部長みたいな迫力の中年が不慣れな蛍光カラーのウェアを着て、四股しながら、ずっとこちらを見ている。
どういうこと?
え?え?しこられてる?なんで私でしこってるの?
新しいセクハラ?
休憩エリアで倒立すな。
以前通っていたジムにはお風呂の神様がいましたが、それは少し前の話。
昨今は筋トレ系やフィットネス系Youtuberがいて、トレーニングのみならず
それこそジムの使い方やマナー、あるある動画があふれてるはずなのに、
実際にはそんな環境お構いなしに、変わった人達がジムには生息しています。
そして、そういった人たちは筋力が上がったり体型が変わったりもせず、
同じことを繰り返していく。そう思うと少し愛おしい人達ですね。
「こっちのジムにはこんな人が」みたいな反応いただいて嬉しい?です。
初めて書いた拙い日記にありがとうございます。
でも、皆最低限のルールは守ってる。
もし「家でやれ!」という言葉を投げるなら、
それは他人に対して狭量な私にでしょう。
皆、だれも傷つけていないのだから。
モヤモヤが限界だけどせめて明るい感じ表現しようとしたのがこの日記です。
しかし、冷静になって読み返せば、
参加したら
スーツも着てこないのか
と言われて、ビックリ。
スーツまたはきちんと見える格好で行くようにしている。
相手がたとえTシャツ姿であったとしても、誠意を見せたいと思うのと
どう考えてもスーツ着てるでしょ。
なのに平服でってって言われて、そんな普段着でよく行ってたなと
思ってしまった。
ほんとひどいけど、だから生き残れなかったんじゃないと思ってしまった。
私もあの時にさんざん振り回されたし、ここまでもものすごく嫌な思い
いっぱいしてきた。
絶対に避けるようにしてる。
私も決して裕福な家庭に生まれてないし、生きるのに精一杯で
清潔な服をきたり、ましてやマナーなんて習える環境じゃなかった。
時々、育ちが良い良さそうって言わわれるけど、家族が聞いたら笑うから。
時代が悪くあったと言えばそうだけど、
すごく思ってしまった。
TOEICの試験会場でだって、もっとみんなきれいめな格好してたよ?
カジュアルな服を否定しないけど、やっぱり服ってその人が出るし
同じTシャツでも白Tとか、黒のデニムにするとかあったんじゃないかな。
こう言っちゃなんだけど、ヤンキーっぽいっていうか。
すさんだ生活ぶりがうかがえるというか。
それを折角のチャンスに着てくるのはどうかと思った。
参加したら
スーツも着てこないのか
と言われて、ビックリ。
スーツまたはきちんと見える格好で行くようにしている。
相手がたとえTシャツ姿であったとしても、誠意を見せたいと思うのと
どう考えてもスーツ着てるでしょ。
なのに平服でってって言われて、そんな普段着でよく行ってたなと
思ってしまった。
ほんとひどいけど、だから生き残れなかったんじゃないと思ってしまった。
私もあの時にさんざん振り回されたし、ここまでもものすごく嫌な思い
いっぱいしてきた。
絶対に避けるようにしてる。
私も決して裕福な家庭に生まれてないし、生きるのに精一杯で
清潔な服をきたり、ましてやマナーなんて習える環境じゃなかった。
時々、育ちが良い良さそうって言わわれるけど、家族が聞いたら笑うから。
時代が悪くあったと言えばそうだけど、
すごく思ってしまった。
TOEICの試験会場でだって、もっとみんなきれいめな格好してたよ?
カジュアルな服を否定しないけど、やっぱり服ってその人が出るし
同じTシャツでも白Tとか、黒のデニムにするとかあったんじゃないかな。
こう言っちゃなんだけど、ヤンキーっぽいっていうか。
すさんだ生活ぶりがうかがえるというか。
それを折角のチャンスに着てくるのはどうかと思った。
https://togetter.com/li/1548255
これのトップブコメ一覧見てたら、はてブの人ってまじでダサい人しかいないの?と思ってしまった。
ちなみに、ボディバッグ、蛍光色の靴、ダッドシューズに関してはコーディネートで許される範囲だと思う。まあ、流行りが終わってるとかシルエットがださいとか生理的に嫌いな人が多いとかで、おしゃれとは思われないかも知れんが。
以下、コメントに思ったことを雑に書いていく。IDとかはっきり書くと、通報されてはてなに怒られる可能性があるのでなんとなくで書く。
・「あんなに嫌われたケミカルウォッシュやチェックネルシャツがしれっと戻ってきてる」「ダサいと言ってる人の服は10年前はダサい」
ノームコア(この文脈でかくとノームコア警察に怒られそうだけど)の揺り戻しで、だんだんと柄物やストリート系が流行ってきてるって言いたいのかもしれないけど、昔ダサかったアイテムがそのまま同じように流行ることはあまりない。シルエットやら柄の細かさなどが変わる。チェックネルシャツは未だに上級者のアイテムです。
・「ファッションくらいでいちいちアリナシ判定を公言するの禁止」
余談。
俺はインターネットで小綺麗な格好をするための知識を簡単に得た。だから、皆んなもっと普通の格好をした方がいいよ、っていう俺みたいな思想のやつが最近増えてきて、生き辛くなってる人たちが怒りの矛先として燃やしてるのかなとは思った。
面白いので一つ一つのコメントまで読んでしまっていた。そこで同じような意見をちらほら見かけたブコメ。
違います。ggrksと言いたいところだが、簡単に書くと、パリコレなんかでよく名前を見るような上流ハイブランドが作り出したものを「お?それなんかよくない?」とそれよりちょっと下流にいるブランドが真似して、それを見た下流にいるブランドがまた真似をして……っていう流れの中で流行りは出来るんだよ。だから、1番下流のファッションにあまり興味がないような層まで届く頃には完全にダサくなってる。
わりとブコメがついてるので、それに対しての反応を雑に書いていく。
・ファッション素人が最初にワークマンに行って買うのはやめろ。ワークマンとワークマンプラスの店の区別もついてないだろ。あれは、一部の目の肥えたインフルエンサーが優れた商品だけをピックアップしてバズっただけだ。おすすめされてる商品を買うだけならまだいいが、何の下調べもせずに行くと地獄を見るぞ。
・インターネットで小綺麗な格好をするための知識なんてググったらすぐ出てくるだろ。甘えんな。一つアドバイスするなら、YouTubeで検索した方がメンズファッションプラスみたいな罠にかかる確率が低いぞ。あと、なんか知らんが金を払わないと得られないようなレベルの情報を俺に求めてるブクマカが一部いてみっともないぞ。お前は俺の客じゃないからな、勘違いするな。
・俺やtogetterで口汚くダサいとディスった人をファッション村の一部の凝り固まった思想を武器に上から目線で叩いてくる嫌なやつと勘違いしてるやつがいるけど、俺たちは単に小綺麗な格好を身につけた嫌なやつだからな。三角形の内角の和が何度になるか分かってなさそうなレベルのやつがブコメにたくさんいたから口を出さずにはいられなかったんだよ。
人並みの格好をできた方が外に出た時楽しいし、自分が本当はどんな格好をしたいのか、どんな服を着たいと思ってるのか気づけるようになるぞ。