はてなキーワード: 航空隊とは
https://anond.hatelabo.jp/20170528012818
さて、GWで再開した艦これで、またしても文句を言いたくなったので書き捨てておく。
エアプでとやかく言うのはフェアじゃないけど、それなりに身銭切ってやり込んだ文句は好きに書かせてもらう。
あっという間の2か月だったが、その間に五航戦、長門、鈴谷と改二にしたところでとうとう勲章が残り2個になってしまった。
そこに来て、昨日鬼怒が演習あと1回で改二改造レベルという所まで到達してしまい、急激にやる気を失いつつある。
というのを付け加えたい。
MAPのルート固定に伴う艦種縛りに、出撃可能な艦種制限、任務における艦縛りとある現状、好きな艦種だけ育てていると攻略が極めて困難ないし不可能になる。
この場合、育成とは各艦種で強い子をピックアップし、最低でも改二レベルまで育て、関連任務をクリアすることを意味する。
そこに来て昨今の改二改造に要求される高レベル、ありゃ一体なんなんだ。
駆逐艦でも大抵Lv70以上、中大型艦種だと更に上のレベルが要求されるとか、大して興味のない艦種でそこまでのレベリングを強いられるのは苦痛でしかない。
改造後の任務も大概エグい。
たとえば空母任務で悪名高い二航戦リランカ任務・五航戦カタパルト任務、自分は航空主兵提督の空母スキーだったからやり通せたけど、特に二航戦リランカなんて、好きじゃなかったら絶対投げ出していたと思う。
実際、例の新編三川艦隊5-1任務(元々は鳥海改二のための任務)はクリアできていないし(そして無情にも基地航空隊開放のための一連の任務に組み入れられてしまった)。
更に駆逐艦の改二ラッシュとか、とても手が回らない。いい加減にしろと言いたい。
悪いけど、こちとら
「元々この艦種は全然興味なかったけど、○○を改二まで上げる過程で、彼女のセリフやwikiでその艦の歴史を知り、今では好きになりました。より楽しく遊べるようになりました」
とか本気で思うほど殊勝な人間じゃないし、そういう提督はいっぱいいると思う。
まあアクティブユーザを繋ぎ止めるためとか牧場防止とか色々事情はあるんだろうけど、その結果、今の艦これは
×「育成キャラゲー」
という感じである。
この運営ツイートから3年半以上経っているのは公然の秘密ですか?
提督になるのをやめた回答者とかいらっしゃるんですが(多分こういう人は1人2人じゃないと思う)、もったいない話です。
イベントは乙提督くらいのレベルだけど基地航空隊に関してはそこまでの道程もめんどすぎて俺もやってないわー
ジェットも手に入れてないし
http://anond.hatelabo.jp/20170506031453
元増田を書いた当時はイベガン無視で行く方向だったけど、E-1とE-2でドロップが大盤振る舞いであることが判明し、イベ終了日である22日早朝まで粘った結果、鹿島、磯風、水無月、風雲、伊13と入手でき、あとは朝霜さえ出ればパーフェクトだったんだけど、残念ながらそこまでの運は無かった。
まあでも収穫はあったかな。
あとはいい加減イタリア戦艦を通常海域に実装しろやRoma掘るためだけにいちいちイベ海域最深部まで行かねーからという感想はさておき、Libeccioはお迎え済みなので、今度Zara狙いで大型艦建造を回すつもり。
それから大型艦建造といえば、来たる6-3攻略のために優秀な水母と巷で言われる瑞穂の入手も気がかり…というわけで一昨日超久々に大型艦建造を回したら、なんと一発で成功。
ちなみに過去には一番狙いの大鳳が割とあっさり出た他、大和も武蔵建造成功率Upの特別期間で何故かやってきて、武蔵はこれまた妙なご縁というか、ビス子狙いの時に登場。
そして結局ビス子は出ないまま、矢矧が出た辺りでゲームについていけない感が強くなり、中断して今に至ると。
と、前置きが長すぎて何の話だって感じだけど、今回の本題は、そもそも再開した一番の目的だった基地航空隊開放の話。
実は未だに達成できてません。
これは6-3未攻略なのもさることながら、開放までの一連の流れの中に途方も無く難しい任務があって、それをクリアできないから。
要は指定された艦娘で指定されたMAPを勝利する出撃任務で、具体的には
という内容なのだが、指定された艦隊とMAPの相性が最悪すぎて、例の2-4を更にヤバくしたような、正しく運頼み・神頼みの鬼畜難易度に。
ちなみに当任務の難しい要素は以下の通り。
おわかりいただけただろうか。
勘の良い提督諸兄はこの時点で「ねーよ!」と叫んだことだろう。
即ち
誰だよこんなアホな任務考えたの。しかも基地航空隊開放の必須任務に据えるとか、そんなに提督に課金して欲しいのか。
(当任務をクリアしないで開放を目指す場合、とあるアイテムをショップで買うしかない)
…とここまで把握した所で、試行回数稼ぐしかないということで、イベ後は毎日必ず一回やってるけど、どう考えても無理ゲー。
Zara建造予定と上では書いてみたけど、一回の出撃で資材、特に弾薬の消費がえらいことになってるので、建造は暫くお預けかな。
てかさー、三川艦隊ってそもそも第一次ソロモン海戦、ぶっちゃけ夜戦での武勲が有名なんでしょ?
それなのに真っ昼間から敵制空権下でボス艦隊に突撃とかおかしくない?レイテ沖と勘違いしてんの?
これが重巡無双の夜戦MAPの攻略だったらまだ理解できるというか諦めがつくんだけど。
あ、でも5-3であってもこの艦隊だったら大して易しくならないか。あー腹立つ。
2015(秋イベ)が初イベの甲勲章一つもない提督である。冬は完走できたが、運ゲーの幸運時までに粘る忍耐ゲーシステムが元々苦手なので疲れている。これの何が悪いかというとキャラへのヘイトが溜まることである(大破が重なってもそうだ)
春から基地航空隊が出て先制装備ゲーとなり、高速縛りで自由にキャラは使いづらくなり(軽空母、水母の辺りがとくに酷い)その中でも低レベルで先制爆雷出来る者を優先的に育てたり、任務艦を優先したり、遅く始めた分とても性能厨になりながら育てた。
基地航空隊の問題は攻撃できる範囲が装備によって縛りがあるところである。それからはイベントの度に突き放されているような感じがして、イベントが始まらないで欲しいなぁと呟き出すような状態だ。
今回もお祈りゲー状態に耐えられず一部を乙でクリアしてしまい、限定装備が手に入らなかった。
そのせいか新キャラを全部揃えても、大型でようやく8時間を出しても、無力感と憂鬱感で頭を抱えている。新キャラに申し訳なくなるが、欠けている心地さえある。
駆逐掘りもおおむね終わり、初心者が遊ぶくらいの範囲で出来ることを大体やってしまったような気がする。
やめれば、やめ時じゃね?と言われるとそうかもななんだが、旦那は万年丙でもいいというほど熱くはないかわりに全く冷める気がしない。終わるまではずっとやってるらしいが、正直自分は限界を感じる。だけどやめると話が出来なくなると言われている。辛い。
丙で力抜いて楽にやればいいという話もあるが、この突き放されてる感覚を持ちながら続けるほど図太くもなく、そもそも本気にならないでやりたいと思う微妙なバランスが私には理解出来ないのである。
元来航空主兵論信者かつ五航戦ファンだった流れで、2013年9月から艦これを初め、2015年夏イベを最後に離脱。
その後実装された基地航空隊に興味があったので、それだけGW中に開放できればと再開。
鹿島の爆発的人気にびっくりとか、サラトガ取り逃したとか色々思う所もあるけど、それもまあ些細な話ということで。
改めて遊んでみて感じたけど、本当にこのゲームは屋上屋を架し続けて、無駄に複雑化してしまったなあと。
なんかこう、無駄に複雑なルールで運ゲーという意味では、もはや麻雀といい勝負な気がしてきた。
以下、複雑な諸々の中でも特に思った点について。
戦艦とか空母とか巡洋艦とか、色々艦種があって、それらを把握するのも結構大変なのに、こうした特徴については今や「基本的に」という但し書きが必要である。
殆どの艦種で、艦種としての特徴を逸脱する例外を備えた艦娘がいるとか、「奥が深い」というよりテキトー過ぎじゃね?という感想しか湧いてこない。
しかも、ゲーム上そうした例外が無視できる内容ならまだしも、攻略に少なからず重要だったりするのだ。
それこそ何かあれば攻略wikiを読んで「ああ、その例外要素を突くことでその任務を攻略するのね」と思うことしきりである。
作っている方もプレイヤーがwiki片手に攻略進めるのを踏まえて実装しているきらいがあるけど、それもなんだかズレているよなあという感じ。
艦種の話もそうだけど、正直言ってこのゲームの目玉の一つである戦闘システム、今始める人に理解できるとは到底思えない。
というか今遊んでる人、戦闘がどういう順番で進み、各フェーズでどんな条件で何が発生し、それを有利に進めるのにどんな編成/装備が必要で、そもそも戦闘に備えてどんな段取りをすればいいかなど、分かりやすく初心者提督に説明できます?
夜戦連撃/カットイン、支援艦隊、弾着観測、艦載機熟練度、主砲のフィット、索敵成否、基地航空隊、開幕対潜攻撃、対空カットインと、ざっと思いつくだけでこれだけの要素が最終的に絡んでくるのである。
戦闘要素以外でも大型艦建造、改修工廠、遠征の効率、工作艦の活用などなど、気にかけることが少なからず存在する。
4年かけて、ここまで複雑化してきたわけだ。
それこそ昔はもっとずっとシンプルだったのに、どうしてこうなった。
しかもwikiで調査する有志が存在することに胡座をかいているのか知らないが、上述の要素が未だにほぼ全てマスクデータというのも、何か間違っている気がする。
隣の芝生は青いことを差っ引いても、流石腐ってもセガと言っていいだろう。
プレイ動画を見る限り、直感的に遊べて、ブラゲのオリジナルよりは遥かにシンプルで、しかも必要な情報はかなり開示されているっぽい。
これは面白そう。
ちなみに航空主兵提督の筆者は当然空母機動部隊で遊びたいのだが、そういう偏ったプレイスタイルであっても案外遊べそうなのも良さげ。
勿論空母の戦力がまともに機能するまでは壮絶なコストが掛かりそう(艦載機の開発とかプレイヤースキルの錬成とか)だけど、それもゲーム的に納得できるのである。
もし空母の運用が今よりハードル低かったら、AC版は「アウトレンジから索敵機飛ばして攻撃隊でボス艦隊だけをスナイプして一撃離脱する」というプレイに終始することになり、「毎日がドーリットル空襲」みたいなゲームになってしまうだろう。
そんなことを考えた、我ながらしょーもないGWだった。
戦後は飢餓状態になり、区を通じて米軍支給品のコンビーフなどを配給した。“犬と同じ餌付けだ”と感じたが、食べなければ死んでしまうからみんな列をつくって並んだ。アメリカは日本人など虫けらぐらいにしか思っていないのに、日本の偉い連中はアメリカのために死ねという法案を通す。私たちには今も怨念がある。どんどん暴いてくれ。銀座のど真ん中でやってほしい」と訴えていた。
C 原爆投下後の広島、長崎に匹敵するような悲惨さだった。米軍は春風の強く吹く3月という時期、民家を効率よく焼き払うための油脂焼夷弾の開発、空襲の手順も含めて用意周到に準備し、一般市民の民家が密集する下町地域をとり囲むように爆弾を投下している。火の壁で逃げ場をふさいで集中砲火を浴びせ、火の海を逃げ惑う人人に機銃掃射までやっている。
「機銃掃射で狙い撃ちしてくるパイロットが笑っていた顔が忘れられない」と何人もの人が語っていた。黒焦げの死体だけでなく、窒息死してピンク色をした遺体が蝋人形のように散乱し、それらが公園や学校などで山積みにされて焼かれたという。墨田区錦糸町では、錦糸公園で約1万4000体が焼かれて仮埋葬されたというが、それを伝える看板一つない。あまりの多さで処理できない遺体は何日もかけて川や海に捨てられていたという。
隅田川にかかる橋の欄干や、総武線のガード下などには今でも積み重なって焼き殺された人間の油がそのままの形で染みついて、何度ペンキを塗っても浮き出てくるのだと語られていた。5月の品川での空襲でも「真夜中にガソリンを撒いて焼夷弾をばらまいた」といわれていたが、「あれが戦争犯罪でなくてなんなのか!」と、7、80代の年配者が語っていた。とても昔話という雰囲気ではない。本当に語る場所がなかったからこその鬱積した思いがある。公園などに仮埋葬された11万体といわれる遺骨は、関東大震災の慰霊堂(墨田区横網)に一緒に入れられている。
東京空襲を弔う単独の慰霊施設はいまだにない。なぜそんなことになっているのかだ。
D 大空襲で壊滅した江東区森下5丁目町会では今年3月、町内の空襲犠牲者789人の名前を刻んだ墓誌を建立した。町会役員によれば、当時の町会長が戦後すぐに空襲による町内の犠牲者を調べ、焼失を免れた戦時国債購入者名簿を頼りに『戦災死没者過去帳』という約10㍍にもなる巻物をつくって保管していたから建立できたという。遺族の「この地域に住んでいた人人の証となる供養の場所がほしい」という願いが70年をへてやっと実現した。
E 墓誌をつくるための調査で、1家12人が全滅した家もあったことなど、地元の人も初めて知る事実が明らかになっているが、都にも当時の犠牲者名簿などの資料があるにも関わらず遺族が申請しても公開されないのだといわれていた。
地蔵や碑の建立についても「宗教的なものは受け付けない」とかの理由で許可は下りず、「黙認する」程度だという。行政から助成も受けられないため、発起人を中心に町内外に呼びかけたら、続続と寄付が寄せられてつくることができたといっていた。
終戦直後にも数千人が空襲で亡くなった墨田区の菊川橋のたもとに慰霊碑を建てようとしたが、区役所から拒否されている。河畔を改装するたびに白骨がたくさん出てきたので「これ以上放っておくわけにはいかない」と住民が独自に地蔵を建立して毎年法要している。
D ある遺族から、1947(昭和22)年に東京都長官官房渉外部長から通達された行政文書のコピーを見せてもらった。当時、遺族によって計画された隅田公園への戦災慰霊塔の建設計画に対して、官房各課長、支所長や局長、区長など都の行政担当者に宛てた通達だ。
「一、日本国民に戦争を忘れさせたいのである。二、戦災慰霊塔を見て再び戦争を思い出させることがあってはならない。だから慰霊塔の建立は許可しない」と米占領軍の指導方針が明記され、これに協力するため「この方針を徹底的に守るようにしなさい」と記されている。
70年たっていながらこの占領下のプレスコードがいまだに続いていることに驚いた。
A 25万人もの都民を殺戮しながら意図的に攻撃対象から外したものもある。ここからアメリカの東京空襲の狙いが見てとれる。
C 代表格は皇居だ。東京のど真ん中に広大な面積を持つ皇居について、米軍ははじめから「攻撃対象にしない」という指令を徹底していたし、天皇側もそれを知っていた。皇居北側の近衛師団司令部、東部軍司令部などの軍中枢部や、市ヶ谷の陸軍省・参謀本部(現・防衛省)など、本来狙われるべき軍中枢が無傷だった。赤坂離宮(現・迎賓館)、青山御所、新宿御苑、浜離宮、上野公園などの皇室所有地や、官僚機構の一端を担っていた皇族住居はことごとく攻撃の対象外だ。
東京駅は焼失したが、皇居に挟まれた丸の内の金融ビル街も残った。三菱本社、三菱銀行、三菱商事、日本興業銀行、横浜正金銀行、東京銀行、第一銀行、勧業銀行、関東配電(東京電力)などの財閥のビルが林立している。朝日、毎日などの新聞各社、放送会館(NHK)も残った。八重洲では日銀、三井本館。永田町や霞ヶ関でも、内閣府、国会議事堂、警視庁、内務省、大蔵省などが残された。ちなみに上野公園に隣接する三菱財閥統帥の岩崎久弥邸も攻撃を受けていない。広島、長崎、下関空襲でも三菱の主要工場は無傷であり、政財界とアメリカの盟友関係を裏付けている。
軍施設がほとんど残されているのが特徴で、陸軍の心臓部といえる赤羽の陸軍造兵廠、陸軍火薬庫、工兵大隊、陸軍被服本廠、兵器支廠、東京第一、第二兵器補給廠も周囲が焦土になるなかでわざわざ残されている。代々木の近衛輜重大隊、陸軍輜重連隊官舎、広大な駒場練兵場や野砲隊の官舎群もみな無傷だ。
E 工業施設でも、東芝本社のある芝浦工業団地から品川駅付近の港湾施設も攻撃されなかった。全滅した深川区に隣接する石川島造船所、佃島、月島など東京湾に面した工業施設、南部工業地帯の蒲田でも中心市街地が徹底的に焼き尽くされたが、羽田飛行場などの軍需施設はほとんど攻撃されていない。「米軍作戦任務報告書」に記された工業的目標はわずか22カ所に過ぎないが、そのうち破壊したのは18%だと記されている。実は無差別爆撃ではない。絨毯爆撃ではあるが、アメリカの対日支配に役立つものは残し、その邪魔になる庶民は殺すと極めて明確に選別している。
B 「暗闇のなかであれほど緻密な爆撃がどうしてできたのか?」という疑問も多く語られていた。「目標から外す目印のために誰かが下から光を当てていた」と証言する人もいた。原爆投下と同じく「戦争を終わらせるためにやむをえぬ」というものではなく、日本を単独占領するために国民の抵抗力を摘むための大量殺戮だった。
米軍の皆殺し作戦 殺すに任せた支配機構
A 東京空襲にも不可解な点がいくつもある。例えば、空襲直前に警戒警報を解除している。広島、長崎での原爆投下も直前になって警戒警報を解除し、みんなが安心して表に出てきたときに投下されている。あれは軍中枢が協力しなければできないことだ。300機をこえるB29の接近に気づかないわけがないが、物量で太刀打ちできないとはいえ、まともな反撃すらせずに米軍のやりたい放題を開けて通している。
F 広島、長崎への原爆投下でも、軍はB29に対してレーダー照射をして来襲を事前につかんでいた。大本営は原爆投下機の接近を信号を受信して知っていた。長崎では、B29を迎撃する部隊が大村航空隊で待機して出撃命令を待っていたが、結局、命令は下りなかった。NHKも当時のパイロットが怒って証言する場面を放映していた。
A 終戦末期になると特高警察がマークしたのは青年将校だった。敗戦が濃厚になるなかでこれらが反乱を起こすことを恐れた。左翼は早くに壊滅しているが、青年将校らは戦斗経験もあり、速やかにアメリカの占領下に誘導しようとしていた軍上層部にとっては脅威だった。敗戦が決定的になっても国民には「一億総玉砕」を叫んで、若者には特攻作戦をやらせ、本土を死守させる体制をとりながら、上層部が終戦工作にいそしむことに彼らの反発はすごかった。
天皇の「終戦の詔勅」の放送を前に、陸軍の青年将校が近衛師団長を殺害し、録音盤を奪おうとした事件もそうだが、マッカーサーが厚木に降り立つときにも迎え撃つという騒動があり、青年将校に影響力をもつ高松宮が必死になって抑えて回ったというのは有名な話だ。
B 敗戦直後、内地では軍を通じて直ちに武装解除させた。あれは天皇の命令だけでは動かない。軍司令部の指揮系統が動かなければできない。それを米軍上陸前にやらせるためには軍中枢を残しておかなければいけない。もともと海軍をはじめ軍中枢部分には親米派が多かった。陸軍も中国大陸で行き詰まって南進作戦に切り替え、南方の島島に兵隊を放り込んで食料も弾薬も送らない。ニューギニア戦線の体験者も「毎日イモばっかりつくっていた」という。南方はほとんどが餓死と病死だ。
D 敗戦を迎えるにあたって、あのドサクサのなかで米軍上陸、単独占領に誰が荷担したのか。東京大空襲で無傷だった施設を見ただけでも歴然としている。戦後は「財閥解体」といったが、財閥はしっかりと温存された。戦争に国民を投げ込んだ天皇はじめ、官僚機構も丸ごと温存された。開戦時の商工大臣をしていた岸信介が、その後CIAのエージェントとして力を与えられたのが象徴的だが、政界、官僚世界などが叩きつぶされることもなく、対日占領の協力者としてせっせとアメリカに媚びて戦後も機能していった。メディアでも大本営の中枢にいた読売新聞の正力松太郎や朝日新聞の緒方竹虎などがCIAのエージェントとして活躍する始末だ。
イラクでもアフガンでも、他国を占領しようと思えば必ず抵抗があるし、何年かかってでも肉弾戦で侵略者を叩き出そうとするものだ。日本の場合、なぜ無抵抗に近い形で単独占領することができたのか。それは支配機構が丸ごと占領の協力者になり、国を売り飛ばしたからだ。支配機構が軍事支配を受けながらアメリカの道具になって戦後は機能していった。それが今日まで続いている。
E 空襲で生き残った下町の人たちは、戦後は食べ物がなくて生活できないのでみんな市外に出て行ったという。国民を抵抗できないようにバラバラにさせている。抵抗力を削ぐために徹底的に空襲を加えたし、首都圏の人人はとにかくその日を生きるのが精一杯の状況になった。首都圏制圧のためにあれほどの空襲をやって、まさにショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)で占領していった。
C 食料を意図的に統制したので、戦後の方が食料難がひどかった。当時の調達係の人が証言していたが、米軍が国内の食料倉庫を統制して食料危機に追い込んだ。米軍は関門海峡などの機雷封鎖も「スターべーション(飢餓作戦)」と名付けていた。国内から戦地へ食料を送らせない、大陸から送られてくる食料を遮断するための飢餓作戦だった。
都市部はとにかく食べるものがない。配給でもらった大豆をポケットに入れて、それを食べて水を飲んで膨らませて空腹をしのいでいたという。飢え死にが出るような飢餓状態に追い込んでおいて、ララ物資などのアメリカからの、それこそ家畜の餌になる食料が入れられた。そんな屈辱に国会で感謝決議したこともあった。
E 戦後の上野や浅草には、空襲で親を失った戦災孤児や浮浪者があふれかえり、餓死寸前の子どもたちは生きるために窃盗や売春をせざるを得なかった。GHQは「治安対策」を名目にして浮浪児を見つけ次第捕らえる「狩り込み」をやり、米軍の要請によって、脱走ができない水上の台場につくられた収容施設に強制的に送致し、檻(おり)に入れて監視・収容することまでやった。
B すでに武装解除しているのに進駐軍は必ず銃を携行して、電車も絶対に米兵専用車両に乗るし、接収した建物も日本人は立ち入り禁止にした。「彼らは日本人の反撃を恐れていた」と語られていた。
A 例えば、日本軍が満州を占領統治するのに100万人の軍隊がいったといわれる。日本を占領するには本来100万では足りない。それを日本の支配階級が従って代理政治をすることで米軍の負担を軽くできた。イラクやシリアを見ても、むき出しの占領支配になれば人民の抵抗を抑えることは難しい。それを天皇以下支配階級が全面的に協力し、それによって地位を守るという関係があったから占領できたということだ。
F 同じ敗戦国でも、ドイツではナチス関係者は戦後はみんな追放された。新聞社などもみな解散させられた。連合国による全面講和を結び一国に縛られなかったから、独立の自由性がある。アメリカが単独占領した日本との違いだ。
90年代の米ソ二極構造が終わったときもドイツは独立の方に行き、日本は対米隷属の方に行くので、ドイツ首相から「慌てるな」となだめられたほどだ。その従属路線が現在までエスカレートして、安保法制まできている。
A 現在でも官僚機構も含めて各省庁ごとにアメリカ直結だ。財務省も経産省も防衛省もだ。政策についてもアメリカ大使館の指示の方が強い。
米財務長官サマーズが何度も日本の財務省に直接怒鳴り込んできたし、原発事故のときもアメリカ政府関係者が首相官邸に乗り込んでいって菅直人を怒鳴りつけて指示を出す。アメリカの圧力なしに、民主党の鳩山、菅から野田までの変遷ぶりというのは理解ができない。現在の安倍の突っ走りにいたるまで対米従属の系譜だ。
財閥やメディアも米軍占領下で地位守る
C 原爆展キャラバンのなかで、戦時中に赤坂見附に住んでいて親族がアメリカ大使館に出入りしていたという婦人が、「アメリカ大使館の外側は私服警察の警備で物物しかったが、中にいる在日米国人は戦時中にもかかわらず中庭でゴルフをしていたり、まるで勝ち戦の後のような余裕ある生活をしていた」と疑問を語っていた。
F 当時の駐日大使ジョセフ・グルーがアメリカ本国に帰国するのは真珠湾攻撃の半年後だった。グルーは日本では天皇を中心とする「宮廷外交」を基本にし、軍部の反米派と対立傾向にあった天皇側近の木戸幸一、重光葵、吉田茂、近衛文麿などを「自由主義者・穏健派」と見なして親交を深めていた。開戦後の半年間で終戦までのプログラムをつくる工作をやっていた。
グルーは秩父宮に「安心しろ」といって帰国したが、アメリカ本国では「皇居は攻撃してはならない」、天皇は「軍国主義崇拝に役立ったと同様に象徴として役立つ」と説いて回り、吉田茂とも直接手紙をやりとりしていた。
のちの駐日大使ライシャワーは当時諜報部員だったが、この方向で「天皇を傀儡にして間接統治する」という占領プログラムをつくった。そこでは、戦争中も「短波放送の聴取が許される500人ぐらいの日本のエリートに常に知的な情報を粘り強く伝達せよ」と米陸軍に提案している。実際、1945年5月から「ザカリアス放送」という日本の上層のごく限られた者しか聞くことができない短波の日本向け放送をやり、いつどこを空襲するとか、広島、長崎への原爆投下をいつやるかも全て伝達していた。
これら米軍からの情報を集中しながら六月段階で、米軍の攻撃を全部開けて通して、「アメリカに敗北することで自分たちの地位は保証されることが約束されている」と側近の木戸幸一が天皇に提言している。
A 2月には、アメリカから情報を得ていた吉田茂が近衛文麿に天皇上奏文を書かせた。「米英は国体(天皇制)の変更までは要求していない。最も憂うべきは、敗戦よりも、敗戦に伴っておこる共産革命だ」というものだ。彼らの関心は戦争の勝敗などではなく、いかに国民を押さえつけてアメリカの占領下で地位を守ってもらうかだった。そのためなら原爆を落とされることも甘受するし、東京を焼き払って人民大衆をへとへとに疲れさせることはむしろ好都合という関係だった。
F 財界も最初から通じていた。三菱財閥統帥の岩崎小弥太は、開戦にあたっては「アメリカとは友人だから心配するな」と訓示し、敗戦時は「これから愉快に仕事ができる」と発言している。また、戦争末期には、日本商工会議所会頭の藤山愛一郎、日産コンツェルンの鮎川義介、浅野財閥の浅野良三などの財界代表が内閣の顧問会議を形成していた。藤山によれば、終戦6日前の閣議でアメリカとの経済関係をただちに回復させる計画を発表し、「自分たちの時代がやってきた」と喜び、軽井沢の別荘でシャンパンのコルクを抜き、新時代到来を祝して乾杯したという。はじめからアメリカは自分たちを大事に扱うことを確信していた。グルー自身が三菱とつながりの深いモルガン財閥の代理人で、戦前から投資していた権益、金融資産を含めてどう守るかというのが主任務だった。日本の財界人との関係ではアメリカ留学組が多く、鮎川とフォード、浅野とルーズベルトなど、人脈もできあがっていた。
A 天皇をはじめとする支配中枢も財界も、中国への侵略戦争で行き詰まり、負けることはわかりきっているが、中国に負けることになれば日本における支配的地位が失われる。だから日米開戦に突っ込んでいき、アメリカに降伏することで地位を守ってもらう。そのためには国民を犠牲にしなければいけないという意図が貫かれている。
C 東京はすべての政治勢力の本部があるところだが、東京空襲の慰霊碑問題をみても、都民の切実な要求をすくい上げるところがなかった。そこには、第一に米軍による抑圧、宣伝がある。いかにもアメリカが平和と民主主義の味方であり、日本を解放するための戦争をやり、原爆も空襲も戦争を終結させるためにはやむをえなかったかのように徹底的に宣伝したし、戦前以上の言論統制と弾圧をやり、反米につながる原爆や東京空襲についての言論を封殺した。
もう一つは、人民の側に立つべき共産党の指導部が「アメリカは解放軍」と規定して、旧軍部を批判するが、原爆にしても東京空襲にしてもアメリカの犯罪を問わずに来たことが大きい。都民はアメリカと共産党指導部の両方から抑圧され、ものがいえなくなる関係だ。
B 大衆のなかでは東京空襲への鬱積した怒りがあるが、東京で生まれた戦後世代でもほとんどその全貌を知らずにきた。そこでは革新勢力が進歩的な装いで「日本軍が重慶を先に空襲したから、それを反省すべきだ」「日本がひき起こした戦争だから仕方がない」という論調をふりまいてきたことが大きい。原爆投下を「日本の軍部から解放するために必要だった」というのと共通している。
F 共産党は戦前、天皇制の弾圧もあるが、大衆と結びつけず自然消滅をたどった。そのことの反省もなく「獄中18年」を威張り、アメリカを解放してくれた友と見なす一方で、庶民を戦争に協力したと蔑視してきた。特攻隊経験者や戦地に駆り出された者も、「予科練崩れ」「戦争加害者」などといって攻撃し、敵と友を転倒させてしまった。
徳田球一ら指導部中枢は、米軍に釈放されてすぐの人民大会でGHQまでデモ行進し、「解放軍万歳」を3唱した。「民主主義革命の端緒を開いた」といってマッカーサーに感謝し、GHQに入り浸り反米の情報を提供していた。東京空襲も原爆についてもそのような感謝が根底にあるから、正面から批判させない。知識人のなかでも対米従属問題についてなかなか触れることができないということも独特の抑圧構図を象徴している。
A アメリカがプレスコードをかけて行政機構が協力したし、東京空襲についても語らせなかった。そして共産党はあれほどひどい目にあった都民のことを無視して、アメリカを平和と民主主義の友と見なした。敵と友を転倒させて、むしろ大衆を敵扱いしていった。だからいまもって東京空襲について無関心できている。都民の苦労というものにまったく思いがなかったということだ。
C アメリカ民主主義がよかったというが、70年たってみてどうか。日本の富はみな吸い上げられて散散な状況になっている。遠慮知らずのアメリカが、終いには米軍の身代わりで自衛隊を戦地に引っ張り出すところまできた。それで安倍晋三がせっせと協力している。売国政治の根っこは何もかわっていない。左翼の戦後出発について先ほども触れていたが、都民の苦難に足場を置かずに抽象的な全国政治か何かを主張しても話にならない。大衆的というのは地方的で具体的だ。そこに足場を置かなければ全国の普遍性は見えない。東京にはあれだけ政党の本部があって、学者も日本一いながら東京大空襲の惨劇について怒りをもってアメリカを糾弾する勢力がいない。
A 東京大空襲の経験は語れないできた。意図的に抹殺されて、慰霊碑も何もない。これは原爆を投下された広島と比べたら明確な違いがある。広島には平和公園も資料館も供養塔もある。八月六日になるとみなが早朝からお参りに足を運んでいる。十数万人の命日だからだ。そして町のいたるところに町内会、学校、職場などいろんな単位の慰霊碑がある。何が違うのかだ。広島はたたかってきたからだ。戦後は広島でもプレスコードがかかっていて原爆のことを語らせない力が働いていた。「終戦のためにやむを得ぬ手段だった」というので原爆投下への怒りをかき消し、徹底的にとり締まっていた。
しかし当時、風呂屋に行くとみながケロイドを見せながら延延と語っていたという。それを当時の広島では「アメリカの人類に対する犯罪だ!」と真っ向から暴露して斗争がはじまった。占領下の50年8月6日の斗争が端緒を切り開いた。そして5年後には世界大会まで発展した。
この運動を指導したのが福田正義主幹(本紙)をはじめとした共産党中国地方委員会だったが、当時も東京の共産党中枢が「アメリカ解放軍」規定で中国地方におけるたたかいを弾圧していた。これと同じ構造が東京では現在でも生きている。日本人民の苦難の側から敵を暴露するのでなく、友と見なす。戦後出発に大きな違いがあった。
分かれ道は敵は誰か、友は誰かが鮮明でないといけない。あれほど殺されているのにアメリカ民主主義のインチキに幻想をもったら大変なことだ。アメリカが日本を侵略した敵だ。日本人民は戦中も戦後も大変な目にあってきた。人民の敵に対する憎しみと人民への愛情が統一されていないといけない。その人民を代表して敵を暴露する立場でないといけない。東京でもそれが問われている。
A 東京をはじめ首都圏は、沖縄に次いで米軍基地が多い。東京都だけでも総面積は約1603㌶(東京ドーム約340個分の広さ)に及ぶ。空襲で攻撃対象から外された軍事施設は、ほぼ例外なく米軍基地や自衛隊施設へ変わった。横田基地は在日米軍司令部であり、すべての在日米軍と自衛隊を統括する指揮所だ。神奈川県には、原子力空母を擁する米海軍第七艦隊の拠点である横須賀基地が盤踞し、在日米陸軍司令部、第一軍団前方司令部など米陸軍司令塔であるキャンプ座間をはじめ、爆発事故をおこした相模総合補給廠、通信施設、燃料貯蔵施設、住宅地、演習場などがひしめいている。
とくに横田基地は3350㍍の巨大滑走路を持ち、米軍人数は約3400人、国防総省文官200人、米軍家族含め約1万4000人もおり、米軍のアジア戦略における最重要拠点だ。その影響力から「横田幕府」とさえいわれる。米本土やハワイ、グアムなどから運んできた兵器や軍事物資を相模総合補給廠に備蓄し、戦時になると横浜ノースドックから搬出し、横田基地から空輸する体制で、西太平洋・東アジアを管轄する兵站補給基地だ。
東京都港区の六本木ヒルズがある都心にも赤坂プレスセンターといわれる米軍基地がある。その中身は、陸軍研究事務所、海軍アジア室、米軍の機関紙「星条旗新聞社」、保全連絡分遣隊、座間基地第78航空隊、独身将校宿舎、麻布米軍ヘリ基地だ。横田基地を経由して日本に侵入する基点として提供され、入国審査や税関などの規制は一切なく、ここから入国する人物については情報公開義務がない。地図上でも「白地」にするほどの機密扱いだ。
そのほかにも府中、由木、大和田、硫黄島の通信施設、日米合同委員会をおこなうニューサンノー米軍センター(港区)、米軍家族専用の娯楽施設である多摩サービス補助施設がある。敗戦直後208カ所あった米軍施設は住民の頑強なたたかいで「返還」されたが、実質どの施設もいつでも使える体制にある。朝鮮戦争の出撃基地となった立川飛行場は基地拡張が砂川斗争で頓挫し「返還」されたが航空自衛隊基地は米軍との共同使用であり、広大な国営公園、広域防災基地、道路、運動場として当時の施設はそっくりそのまま残されている。
地元でも「道路はいつでも滑走路に転用できるように周辺には高い建物や民家の建築規制がある。ひとたび戦争になれば街全体が一気に軍事基地に様変わりする」といわれていた。
B さらに首都圏の上空には、「横田ラプコン」と呼ばれる1都8県(東京都、栃木県、群馬県、埼玉県、神奈川県、新潟県、山梨県、長野県、静岡県)にまたがる、広大な米軍専用空域がある。この空域の高度約7000㍍以下には米軍の許可なしには日本の民間機はいっさい進入できない。
羽田空港や成田空港を離着陸する航空機は、通常の離陸はできないため急激に高く上昇してラプコンを飛び越えるか、大回りしなければならない。それが離着陸時の事故、ニアミス事故の頻発につながっている。首都上空を飛行するのに米軍の許可が必要な国など他にはない。
A 沖縄が前線基地なのに対して、司令部が集中しているのが首都圏だ。日本の支配中枢を軍事で抑えつけることで日本全国を占領下に置く。その目的のために、大空襲であれほど殺し、戦後も軍事力を配置しているのだ。沖縄の問題はよそ事ではない。真珠湾でもフィリピンでも、ベトナム戦争でも、いったん攻撃をさせて「報復」を掲げて参戦するのがアメリカのやり方であり、司令部が集中する東京こそミサイルの標的にされる可能性は高い。
B 本所の東京空襲体験者の男性が、「アメリカが問題なのははっきりしているが、どの政治家や政党がこれとたたかえるのか! 結局、自分の地位を守るために裏切る政治屋ばっかりだ」と吐き捨てるようにいっていた。空襲後に軍隊に志願入隊して整備士として厚木飛行場に配置されたが、地下壕を掘らされるばかりでその地下施設を今は米軍が使っている。「戦後は焼け跡から町工場を営んできたが、TPPに参入すればこの仕事が奪われていく。全部アメリカのためだ。そういうことをもっと暴いてくれ」と切実に語っていた。昔から自民党の支持基盤であってもみんな上を信じていないし、内に秘めた思いは少少ではない。
F 東京大空襲は広島、長崎、沖縄に匹敵する大量殺戮だった。その真実をおおいに語り継がなければいけないし、それは日本を再びアメリカの戦争に引きずり込むことを許さない全国的な世論を発展させていく大きな力になる。そのためには、私心なく大衆のなかから意見を集中し、それを代表して導いていく政治勢力が必要だ。そこでは、自己主張ではなく、大衆的であると同時に敵を鮮明にして人民に奉仕する思想でやり抜くかどうかが問われる。
司会 今回の安保法制まできて、対米従属構造こそ日本の平和を脅かす根幹であり、これとの対決なしには再び日本は戦場にされる
PS Vita用ゲーム「艦これ改」ですが、先日めでたく1年足らずの販売期間を無事終了しました。
さて。このゲームは
「いつでも、いつまでも。提督の手に 「艦これ」そして「艦娘」を--。」
という謳い文句を掲げておりますが、その実は
『周回プレイで次に持ち越せるキャラ数に制限がある』(最大88人(最高難易度をクリア時))
という、コンセプトを真っ向から否定することで数多のプレイヤーのやる気を削いできた大きな欠陥が存在しています。
運営が、1年に満たない期間で販売を終了するというのなら。
この見捨てられた世界を約束の地として楽しむ方法をせいぜい広めさせて頂きましょう。
誰でもできるわけではないですが、ゲームが掲げたコンセプトの通りに育てた艦娘を一人たりとも犠牲にすることなく周回プレイをするための方法をここにまとめます。
本文中に登場する各ツールやプログラムの入手方法や導入方法、使い方については自分でお調べください。
また、この記事の情報をご利用されたことで発生するいかなる損害・不利益に対して直接的、間接的な責任は負いかねます。
「Vita Save Manager」がインストールされていること
=「HENaku」が導入されていること
≒VitaのFWが3.60であること(3.60未満なら3.60へ。3.61以上の場合はダメっぽいです)
艦これ改セーブデータエディタ(http://larksan.wp.xdomain.jp/?p=1893)
--導入方法自体には高い難易度はありませんが、FWのバージョンを3.60(またはそれ未満)に留めているVitaが手元にあるかどうかが、そもそも高いハードルである気はします。
ゲーム中のセーブデータを使い、セーブデータをPCに転送&ファイルをエディタで編集&Vitaに書き戻し、まで出来るようにしておくとGoodです。
そのついでに各資材やバケツ、ネジを最大値にしてからプレイすると難易度はぐっと下がりますが、
どこまでセーブデータをいじってプレイするかの匙加減はご自分の後ろめたさと相談で。
最終海域である「深海中枢海域-4 深海棲艦最終艦隊」の攻略前のタイミングです。
通常であれば「引き継ぐ分だけ艦娘や装備のロック」を行う場面となります。
まず、通常通り「(本来のゲームシステムで)引き継ぐ分だけ艦娘や装備をロック」しておきます。(丁なら20→報酬艦の分を引いて19人)
艦娘はエディタのコピー機能を使って最終的に引き継ぐことができますが、装備についてはそのような機能はないので
システム上の引き継ぎ制限数を超えて引き継ぎたい分については艦娘の誰かしらに装備させておきます。
また、引き継ぐためにロックをかけた艦娘(丁なら19人)はとりあえずどこかにメモしておきましょう。
情報が整理できたら、プレイの最終状態を記録するためにセーブしておきます。(このデータを"Save-0"とします)
艦娘の引き継ぎ方法を聞かれたら「ロック優先」を選んでおきます。
また、EDの終了後にセーブタイミングがあるのでここでも念のため保存しておきます。(以後、このデータを"Save-1"とします)
ED後セーブが終わるとゲームのスタート画面(タイトル画面)に戻るので、着任ボタンをタップし引き継いで2周目を開始("Save-1"をロード)します。
そして、最初の秘書艦選ぶ→OP終わるまで待つ→執務室となります。
この時点では、ゲームシステムによる引き継ぎが行われている状態です。(2周目開始時に選んだ秘書艦+ロックした19人(丁の場合)+大和)
手順b.で用意した通りに艦娘と装備が引き継がれているか顔ぶれを確認しましょう。何か手違いがあれば、諦めてそのまま進めるか、あるいは手順b.からやり直しです。(リセットして"Save-0"をロード)
問題が無ければここで即座にセーブします。(このデータを"Save-2"とします)
"Save-0" | 全艦娘が存在しているデータ |
"Save-1" | クリア後、引き継ぎが行われてしまったデータ(2周目を開始する際にロードしたデータ) |
"Save-2" | 2周目開始直後、引き継ぎが行われてしまったデータ |
という状態です。
以下の手順で、セーブデータエディタを使いSave-0とSave-2を手動でマージします。
ゲームを終了し、セーブデータファイルをPCにダウンロードします。
そしてセーブデータエディタで"Save-0"と"Save-2"のファイルを開きます。
メニューから「艦娘ツール」を選び、Save-0からSave-2へコピーします。
ただしシステムで引き継ぎ済の分(b.でメモしておいた分(丁なら19人分))は除くこと。でないと引き継ぎ済の艦娘が重複してしまいます。
勲章や戦略ポイントは引き継がれませんが、これらも引き継ぎたいならここで設定しましょう。
また、もし最終面攻略中にドロップした艦がある場合、その艦娘は"Save-0"にも"Save-2"にも存在しません。
諦めるには惜しい場合にはここでエディタの機能で追加してしまいましょう。(自分の場合、浦風がドロップした)
引き継いだ艦娘の人数や装備品の数がデフォルトの上限より多い場合、ツールで自動的に拡張されるようですが、
ここはいっそMAXまで上げてしまいましょう。(艦娘一覧/装備一覧のタブ)
上記の一通りの編集作業が完了したらセーブデータをVitaに書き戻します。(Restore)
改めてゲームを起動して書き戻した"Save-2"のデータをロードし、プレイを再開しましょう。
1周目で育てた全艦娘がそこに居るはずです。まずは操作上のミスで無くさないよう、拡張引き継ぎした艦娘のロック設定を。
本当ならもうちょっとスマートに全艦引き継ぎできないかと思ったんですが、引き継ぎ数のようなパラメータを(艦娘マスタデータのように)外部ファイルに出してないかと思っても、
引き継ぎ処理のソースコード内にがっちり数字でコーディングしてる以上どうしようもなく。
あとは、丁でプレイして最終面だけ史に切り替えるとか試したけど、史クリアしても引き継ぎ数は88人なんですよね。
艦これ改というゲームについてですが。まぁ、散々な言われようをしてますが、
「PowerPointで作ったとすら言われる貧弱な画面デザイン」→それを補って余りあるボタン操作でのサクサクオペレーション(というかそもそもメニュー画面なんか見慣れれば気にならない)
「水上スキーな戦闘画面」→これまたそれを補って余りある戦闘シーンショートカット(なので戦闘画面自体見ることが少ない)
と、言われているマイナス面をプラマイゼロにする程度には良いところだってあるよ!
ゲームの基本システムだって、基地航空隊とかゲームルールがインフレする前の、まだのどかな頃のものだし。
あと、Live2Dの使い方は今まで見た中で結構上手い方だと思う。
データローディングが長いのだけは本当に勘弁だけどね。
個人的には、そのあたりのゲームの操作性的な話よりも
「いつでも、いつまでも。提督の手に 「艦これ」そして「艦娘」をーー。」なんて謳ってながら『周回プレイに引き継ぎ数制限がある』
というゲームのコンセプトを真っ向から否定する仕様の方が意味不明。そもそもなんでそんな制限が必要なの???嫌がらせか?
あと、事前の情報では「引き継げる」とは言ってても「引き継ぎ数に制限がある」という情報は全ッ然出してなくて、発売後までだんまりだったよな。詐欺か?
まだ2周目をやっている最中なのでこの手法でこの先ずっと問題なくプレイし続けられるのかはまだわかりませんが、
ひとまずはツールの力を借りることで
-このゲーム本来のコンセプトの通りのプレイが、
-「手塩にかけて育てた艦娘全員と、どこまでも歩み続けること」が、
可能になりました。
FW更新できなくなったVita1台で「いつでも、いつまでも。」を、その通りにプレイできるなら安いもんでしょう。
せっかく買ったのに引き継ぎ数制限のためやる気を無くして放置している提督達のうちからプレイを再開する人が出れば、
また、活躍したのに次の周回に引き継がれず存在が抹消されてしまう艦娘が一人でも減れば、幸いです。
最後に。このゲームの最大の欠陥に対して回避手段を用意してくれた艦これ改セーブエディタ作者様に心からの感謝を。
艦これのイベントって、連合艦隊や基地航空隊のような新システムを導入しつつ、ゲージ回復やランダム羅針盤みたいな理不尽を排除することによって、いわゆる納得感を出していく方向にあると思うのです。艦隊や装備の練度上昇や充実、遠征や任務消化による資源のまめな備蓄を怠らず続けていれば、それなりにクリアできますよ、っていうふうに。
つまり今回も俺が大苦戦したのは運の悪さやプレイ時間の少なさだけでなく、普段からサボってシャンシャンしてたせいでもあり、その点弁解の余地はございません。ええ大変苦しかったですとも。
E-1だけだったな楽なの。
E-2は先人の編み出した潜水艦作戦で、資源的な負担も少なく、あーこれも楽だと思っていたらゲージが破壊できない。面倒くささが先に立って潜水艦に固執しすぎてとにかく時間を浪費することに。結局二航戦を出す羽目になった。
E-3は世間では簡単だなどと言われていたようだが、ギミック解除の時点からやたらと手こずる。その後も防空駆逐艦の練度不足により道中大破撤退が頻発してボスにたどり着けない、たどり着いても敵連合艦隊の護衛部隊をまともに削れず、ピンピンしてる護衛艦隊と悲しい夜戦をする、など面白くも空しい出撃が続いた。史実艦ということでレベル35くらいの野分を入れてたのがよくなかったのか。どうやってゲージを破壊したのかよく覚えていない。一番時間かかったと思う。
E-4は一度甲で輸送ゲージを破壊したものの、殲滅作戦の敵編成に絶望したので難度を乙に下げてやり直した。通常艦隊vs連合艦隊のボスは乙でもしんどかった。甲で突破した人は本当にすごい。ボス撃破のために編成を重くすれば道中がズルズル伸びるし。阿武隈改二がいなかったら無理だった。
E-5は練度不十分ながら特攻艦の酒匂とプリンツ・オイゲンがいたので、甲で攻略した。出撃地点前進ギミックの解除のために、心を殺してひたすらAマス攻略を反復してどうにか解除。ラスボスのくらげ姫は、装甲破砕ギミックを解除する時間がなかったので、酒匂とオイゲンの夜戦にお祈りするという戦法で攻略できた。鬼畜と言われたOマスに基地航空隊を全力で出し、道中突破率を上げたのがよかったでのはないか。
対空、制空の重要度がマシマシになっていて、敵艦を沈めるゲームじゃなくて敵航空機を叩き落とすゲームをやってるような気分になった。
レアドロップは親潮、朝風のみ。山風は出なかった。そもそもボス戦でS勝利するというシチュエーションが非常に少なかったのでしょうがない。
甲→甲→甲→乙でクリア。各資源40000ほど、バケツ250ほど使用。
E-1での伊26堀りは全く苦労せず、丙で4,5回ほど掘ったら出てきた。ありがたい。先制対潜なんてシステムを知らなかったので夕張や潮を緊急で育てるのにちょっと手こずった。今にして思えばここで時間を食ったのがまずかった。
E-2は今までの輸送作戦で一番楽だったと思う。大発用の駆逐を育てておいて良かった。しかし磯風は今回も出ず。縁がない。
E-3が大問題だった。丙でもそれなりに出るという話を信じてAquilaを掘り始めたがこれが出ない。掘っても掘っても掘っても掘っても出ない。資源は溶けに溶ける。もうあの基地航空隊システムなんなんだよ。残り時間に本格的な不安を覚え堀りを断念。ひとしきり田中と引きの弱さを呪ったのち、甲でゲージを削り始めたら、思ったよりボスが強いというかボスにたどり着くまでが厳しい。ヲ級改と夏姫ちゃんにボコられ、そしてボスを割れない。泣きそうになったがしかし大淀さんがやってくれた。ゲージ破壊とともにAquilaドロップ。丙堀りの苦労はなんだったのか。
E-4開始時にはもうすっかり甲勲章のことなど頭に無く、乙でゆるゆるとクリア。乙だと簡単でマジ助かった。速吸使わなくても良かった。
主なレアドロップは速吸、能代、朝霜、雲龍、Libeccio。Libeccioって本当にドロップするんだね、びっくりした。予備にとっておこう。
次のイベントまでにいい加減に大型艦建造にとりかからなきゃいけない。大鳳もBismarckもあると楽なんだよね、たぶん。でも資源がさあ……
待ちに待った晴れの出陣を、30分後に控えました。
突然でいささかあわてましたが、大いに張り切っておりますので、何とぞご安心下さい。
雄性生殖細胞として精巣に生を享けて、ここに9時間になります。何の恩返しも出来ず誠に申し訳ありません。何とぞお許し下さい。
新たな生命のために散って征くことを、最大の孝行としてお受け下さい。
私が戦死したと聞きましたら、赤飯を炊き、黒い着物など着ず、万歳と叫んで喜んで二回目のSEXに励んでください。
私は最新鋭のY染色体を搭載しておりますが、多分跡形もないものと思いますから、鞭毛を一筋送ります。
これは昭和十七年七月十一日土浦航空隊に天皇陛下が行幸されたときに使用した記念すべき品です。私と思って大切にしてください。
今となっては別に言い残すことはありません。
とにかく、アクロソームのあるうちは徹底的に頑張り抜く覚悟でおります。必ずや、敵卵子の一個や二個は受精させてみせるつもりです。
艦これにおいて、難易度が跳ね上がる難関ステージとして有名な2-4。
クリア方法は色々あれど、自分的に最も楽だと思う方法を書いてみる。
一番楽にクリアできる方法を一言で言い表すなら「唯一の敵は羅針盤と言い切れる程度に、強い艦隊を育成すること」これに尽きます。
もう少し噛み砕いて言うなら「北東ルートにさえ入れば、ボス戦だろうが道中戦だろうが、やられる前に叩き潰す艦隊を育成する」こと。
まさに「人事を尽くして天命を待つ」戦い方です。或いは「ロジカル脳筋プレイ」でもいいです。
まず、かなり長丁場のステージです。
ボスまで最低3戦(ボス戦は最短で4戦目)、ルートと運によっては5戦もこなすことになるため、駆逐や軽巡・雷巡といった耐久の低い艦種には非常に厳しいです。
しかもこのゲームには連戦補正といって、4戦目以降は弾薬の残量の関係から、ダメージにマイナス補正がかかる仕掛けがあります。
4戦目でフル火力の80%、これが5戦目になるとなんと40%、更に6戦目以降はたったの5~10%と、恐ろしいくらいに補正がかかるため、ボス戦で多くの敵艦を取り逃がして敗走する一因に。
また攻略ルートのうち、北西のルートでは最悪6戦目がボス戦になるため、それがこのルートでの攻略を絶望的にしています。
ただでさえ艦娘の損傷具合でダメージ補正がかかるのに、その上で連戦補正とはなかなかに深刻な要素です。
願わくば東のルートか、北東のルートで「気のせいだった。」を引きたい所。
また真のラスボスと言われる羅針盤の確率計算は明らかに偏っており、正直このステージでボスまで辿り着ける確率は、恐らく20%もありません。
なので運が悪いとクリアできるまで何度も何度も出撃するハメになります。
更にボスも道中も強敵揃いなので、機先を制して打ち負かすことで、被害を最小限に抑える必要があります。
これらを踏まえて、割と千載一遇のチャンスを絶対に逃さない準備をしない限り、クリアは覚束ないということです。
というタイトルをつけた時点でお察しですが、ここはもうwiki等にある通り、編成は戦艦4正規空母2の王道以外あり得ないでしょう。
もちろん全艦改造済で、特に戦艦の火力と装甲だけはMAXまで近代化改装。空母もできるだけ値を上げておきます。
これ前提です。大事なことなのでもう一回書きますが、大前提です。
何故ならボス戦は複数の敵戦艦に正面から激突する、文字通りガチの殴り合いになるので、相手の攻撃に耐え、かつ総合火力で勝るほうに軍配が上がるということ、道中の被弾で撤退に追い込まれていては話にならないからです。
ですから建造でもドロップでもいいのでなんとしても揃え、改造・改装まで進めて下さい。
多分、殆どの提督さんが扶桑姉妹、伊勢姉妹、金剛姉妹、赤城、加賀、蒼龍の混成になると思います。それでおkです。
なお、オール戦艦編成は正直微妙。というのも戦艦は先に倒せる弱い相手(具体的には耐久の低い軽巡駆逐)を優先的に狙うことが多いので、肝心の本丸(戦艦・空母・重巡)に攻撃を向けさせるためには、空母による開幕爆撃で雑魚を一掃する必要があるからです(でないと高い運用コストに見合った仕事を期待できないとも言える)。
ちなみに空母は戦艦とは別の意味で色々高くつくクセに結構脆く、特に高レベルになると劣勢になった日本海軍が安くて固い基地航空隊に切り替えた気持ちを痛感することになりますが、今の段階でそんなことは考えず、空母の運用に慣れて下さい。
それぞれ火力と耐久に難があるので、確実に足枷になります。戦艦や正規空母の育成用艦隊に組み込むならいいんですけどね。
これだと資材的にキツいのはよくわかりますが、クリアした提督は皆そうやって大きくなったんです。厳しい言い方で申し訳ありませんが。
とはいえ2-4を攻略するくらいの司令部レベルだと、空母のうちクエ報酬の赤城はともかく、もう1隻を建造で揃えるのは正直難しいと思うので(加賀も蒼龍も2面でのドロップ入手が現実的だと思う)、赤城と軽空母1隻で挑戦するのも可。その場合轟沈リスク回避のためにも、必ず軽空母を旗艦にして下さい。
また戦艦1隻を雷巡に変える場合はボス戦まで大破しない、開幕雷撃を確実に当てるといった運が要求される他、夜戦でカットインもしくは連撃を狙える装備(北上ならカットイン、大井なら連撃狙いかな)を施すなど決して簡単な選択ではないので、それでもコスパを取るかはよく考えて決断して下さい。
その上で戦艦に長射程以上の砲を例外なく1門以上装備し、火力120以上を確保して下さい。手段は問いません。
徹甲弾だろうが主砲ガン積みだろうが、とにかく先手必勝、戦艦以外はクリ一発で撃沈してお釣りが来る火力が一番大事なんです(戦艦相手でも二確が理想)。
実際にやってみると、道中戦ではいささかオーバーキルに見えるくらいの破壊力を発揮しますが、ボス戦を昼間の砲撃戦のみで決着させようとした場合、上述の連戦補正もあって結構ギリギリというのが実情。
空母は艦戦スロを確保し、それ以外は艦攻ガン積みor艦攻:艦爆=2:1にして下さい。
一発の破壊力重視で艦攻ガン積みが鉄板なのは勿論ですが、火力の安定性を加味して少し艦爆を入れてもおk(特にホロとかの強力な艦爆なら入れるといいでしょう)。
いずれにしても艦戦は必須。何故か?そう、これだけやっても、どうしても先手を取れない相手がいるからですね。
詳細は次のパラグラフで。
どうしても先手を取れない相手、それは敵空母が繰り出してくる艦載機です。
道中戦にて高確率で当たる、実に嫌~な相手ですね。
開幕爆撃で蹂躙されるわ、こっちの艦載機を撃ち落とされてカスダメになるわボーキサイト吹っ飛ぶわで、散々な目に遭った提督も多いはず。
でもこれ、実は強みであると同時に弱みでもあって、空母の射程は一番短く、開幕爆撃後の攻撃ターンは基本的に最後です。
つまり戦艦の砲火力主体なら、開幕爆撃さえ凌げれば勝ちなんです。
逆に、こちらが空母主体の艦隊を組む時の弱点でもあり、それを補うためにあえて砲撃不可なのに中射程の砲を積む戦法があるのはご存知の通り。
では具体的にどう凌ぐかというと、「艦戦と対空砲火で迎撃する」のが定番。
そのためには「空母の一番大きいスロに烈風等の強力な艦戦を積む」「一番対空値が高い戦艦に三式弾を積む(もちろん火力は120キープで、できれば対空電探も積む)」のが非常に有効です。
なんだ基本じゃんって?じゃあやってみろ。
最初から最後まで単縦陣です。最大火力で短期決戦型なのに、それ以外の何があるんでしょうか?
必ず疲労なし・ダメなしの状態で出撃し(少しでもダメが残っていると集中砲火を浴びますよ)、道中の夜戦は勿論パス、中破までなら構わず進撃します。
ボス戦は旗艦撃沈、もしくは随伴艦4隻以上撃沈で勝利できるはずなので、もし昼戦で達成できなければ迷わず夜戦を選択しましょう。
以上を準備の上で出撃すると、それこそ道中は物凄い勢いで敵が沈みます。
しかも装甲をきちんと強化していれば道中の損害はせいぜい小破、上手く行けばほぼ無傷で済んじゃったり(稀に運悪く大破しても、限界まで強化した結果なら諦めがつくというもの)。
まさに絵に描いたようなワンサイドゲームで、脳汁或いはもっと変な汁が出まくりかも。
ただ興奮し過ぎて、艦娘が大破しているのにミスオペで進撃とかしないように。
さもないと轟沈のトラウマが貴方を待っています(経験者は語る・・・)。
轟沈、特に2-4攻略時の空母轟沈は非常に痛いと思うので、出撃時には細心の注意を払いましょう。
史実におけるミッドウェーの空母喪失がどれだけ深刻だったか体験してみたいなら止めませんが。
公式のアナウンスに従い、決戦艦隊を構成する艦娘のレベルは、平均30くらいになるよう育てましょう。
十分強い艦隊で臨めと書いたそばから矛盾する内容かも知れませんが、どうもこのゲーム、廃人のパワープレイを見越してのことか、ボスに比べて強すぎる艦隊には羅針盤運が極端に悪くなるみたいです(体感)。
ですのでレベルを上げすぎた場合、敵艦の強さ等とは別の次元で海域突破が困難になります。
その時は戦艦を重巡や雷巡に、正規空母を軽空母に替えるなど、艦隊を編成する艦種を見直す(弱くする)と効果的なようです。
見方を変えれば、遠征で資材を補充=北東ルートに行くまで継戦能力をキープする簡単なお仕事っすよ。
確かに出撃回数が数十回になることは珍しくありませんが、運と根気さえあればサルでもクリアできるステージってことです。
それでは、健闘を祈ります!