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2013-01-15

何もうまくいかない

SSRIがようやく効き始めてまともな思考ができるようになったと思ったら、今度は何をしていいかからなくなった。自殺未遂ばかり繰り返していたこの数ヶ月の間にやるべきであったことがものすごい重圧でのしかかってくる。この間までの死にたい、死ななければならないという焦燥感は消えたが、もはや死ぬしかないのではないかという絶望が襲ってくる。本当は成功したいのに。つらい。

何もうまくいかない

SSRIがようやく効き始めてまともな思考ができるようになったと思ったら、今度は何をしていいかからなくなった。自殺未遂ばかり繰り返していたこの数ヶ月の間にやるべきであったことがものすごい重圧でのしかかってくる。この間までの死にたい、死ななければならないという焦燥感は消えたが、もはや死ぬしかないのではないかという絶望が襲ってくる。本当は成功したいのに。つらい。

2012-12-31

人生リハーサルはない。

ああ、今年一年が終わる。

誕生日を迎えた時よりも、時間が経ったという実感がある。

まり誕生日を祝う習慣なんてなかったというのは個人的な理由だけども、入学卒業年末、年度末という節目のほうが、そういう実感があっても当然のような気がする。

この歳になっていうのも恥ずかしい話ではあるけれども、私の人生はまだ始まっていないような気がしてならない。

いつか、青春が始まるんじゃないかと考えていたような気がする。

彼女を後ろに乗せて自転車を漕いで、学生割引の映画を見て、ファミレスに入ってドリンクバーいつまでも語らう、ような生活が始まるような気がしてた。

30歳を過ぎても。

それがだ、ここ数年やっと焦燥感が出てきた。

居酒屋の一番安い宴会メニューで、ご飯ものが出てきた時のような気分だ。

あれ?もしかしてもう終わり?デザートを残すばかり?

いままでのメニューの感じからすると、デザートもしょぼいの?

業務用のラクトアイスチョコシロップかけたような、食わないほうがマシなようなヤツがでてくるわけ?

もしかしてデザートもなし?

ごめん、どうせしょぼいなんて言った俺が悪かった

え、ほんとに終わり?マジ?

ものすごい勢いで焦燥感がやってきた。

雪だるま式に利子が利子を呼んで巨大に膨れた焦燥感

ちったぁ加減してもらいたい。

2013年度中には彼女を作るんだ。

デートに誘ってサイゼリヤ行くんだ。

2012-12-04

魔法科高校の劣等生は●●を目指すべきだった。

http://anond.hatelabo.jp/20121204195754

魔法科厨が釣り記事を書く。

劣等生はヘルシングを目指すべきだった。

 魔法科高校の劣等生を読んでいる間、ヘルシング読んでるときと同じような「え、こんなチートどうやって倒すんだよ」的なわくわくを感じている。

 更に言えば1章のブランシュとか2章の中華マフィアとか、大亜連合とか、Web版の●●編で出てきた●●ーズの隊員たちがやられていく様を見て、ヘルシングリップヴァーン中尉が船乗っ取ってからアーカードにやられるまでの焦燥感を思い出した。

 もっと達也さんがキチガイで、もう少し敵キャラに魅力があったら更にわくわくできるのに。

達也さんのマテバはサイタマワンパン

 達也さんもっと無名だったら面白いのに。

 頼るべき組織もなくて、むしろ四葉の生まれじゃなくて一般家庭の突然変異で。

 もちろん異性にモテない。異性の影がない。友達はいる。風紀委員にはならない。

 森ナントカさんに絡まれたので倒し、はんぞーくんに絡まれたので倒し、ブランシュ襲撃の場にいたので倒し。でもいろいろ誤解されて評価は上がらない。

 で、横浜争乱でみんなが疲労困憊となっているところに、韓国沖に並べられた軍艦達が日本を目指す。どうしよう、やばい。戦える奴がいない。劣等生しかいない。やばい

 やめとけよ劣等生、お前なんかが戦ってどうにかなるレベルじゃないってほら下がって・・・・・

 シバさん「マ テ バ」

 今思ったけどどっちかっていうとモブサイコだね。

 「(外野の)熱いドラマ、熱い戦い、そして全てを吹き飛ばすワンパン」「どうせワンパンでカタつくんだけどそれでも」的なもの魔法科でも感じたかったんだ。

 ちなみにジェノスが深雪で関節のパニックが森なんとかさん。

 

2012-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20121118180509

深く関わるがために生じる不安とか焦燥感を省略したらそれは「浅い関係」なんじゃないかな?恋人じゃなくても。

http://anond.hatelabo.jp/20121118180509

どういう着地点を想定してるの?

同性の関係に例えれば?


不安とか焦燥感を感じる時点で思いっきり異性として意識してるよね。

そういった意味での異性と意識しないで付き合える関係は、同性と同等程度には深い関係を有すると思う。

尤も、男女関係の中での深い関係という意味合いならば知らない。童貞から

2012-11-18

異性と深く付き合っていくための手段が恋愛しかないっていうのに、時々違和感を感じる

深く関わるがために生じる不安とか焦燥感とか、そういうものを省略しつつ上手に関わる方法ってないのかな

こんなこと考えてるうちは恋人づきあいってできないのかもしれない

2012-10-12

昔の記憶をたぐり寄せて思い返してみれば周囲が年上かあるいは年下ばかりの環境のなかであの女は俺と同い年で誕生日も近くそれがキッカケで話をするようになり終電まで一緒に食事をしてだんだんと親密になっていき他人にはあまり話さないようなこと例えばその女の親が首を吊って自殺したことや胸がジーカップであることやいままで大学職員を含む10人ほどの男と付き合ったことがあるがいまだ処女であるといったことなどなどを俺は当時服用していたSSRIのすばらしい効果によって生み出された人生史上で最高の傾聴スキルをもってして時折やってくる耳鳴りや視界の歪みに負けそうになりつつもただひたすらにあの女を受容しながら話を聞いているうちにだんだんとムラムラしてきたために告白を決行したのだがその根拠はけっして俺の一人よがりな妄想などではなくあの女が俺に寄ってきて「えり曲がってるよ? ちゃんとかっこよくしなくちゃ。」とか「いやな感じがしないかかめてみたい。ちょっと頭をなでてみてくださいよ。」などと言ってきたからであって大事なことなので二度言うが妄想や過度な深読みではなく間違いなく両想いだとの推論結果が導き出されたか告白したし実際に成功してすぐに手をつないでいいかと聞いて実際に手をつないだのだが場所モスバーガーでその次に会ったのもモスバーガーで理由はドトールが混んでたからであり一緒にふたりで横並びに座ってあの女の右手と俺の左手をつないでいたらあの女はつないだ手をひざ掛けの下にもぐして太ももの肉の上に導いていったので俺は手をゆっくりと離しそのあと1時間ぐらいモスが閉店するまでずっとあの女のひざ小僧をまさぐったりヒザの裏をまさぐったりしていたし次のデートときもずっとヒザをまさぐっていたし次の次のデートときもヒザをまさぐっていたら「むね触りたいですか? 触ってもいいですよ。」と言われて俺はこんなことは生まれて初めてだと思うと同時にあせってはいけないクールになれと自分に言い聞かせてやはり物事には順序というものがあるのでまず胸の前にさわるべきなのは腹であろうとの常識的な結論に達し20分ぐらいずっと触っていたらあの女が「おなかさわっても赤ちゃんは入ってませんからね?」などと言うので5分ほど逡巡してから俺は胸を触ることを決意したし実際に触ったがそれはもちろんブラッジャーの上からでじかに触ったのはその次に会ったときだったのだが何故かそのあと数日たってあの女が「わたしは怒っている」という旨のメールをよこしてきて俺はわけがからなかったしこれは理不尽なことだと思ったので「俺もおまえをぜったいにゆるさない」旨のメールを返信して以降は電子的なやりとりはしなくなりあの場所で実際に会ってもお互い無関心な風を装ったり「じゃあわたしかえるから!」とあの女が誰に言うでもなく宣言するかのようにして立ち去っていき俺も面接もなく採用されたパートアルバイトが週7日ほどあったので完全に音信不通となっていってもはやすべては終わったのだがしかし……という記憶悪循環から抜け出すために実際に文章として書き出してはみたもののところどころ記憶があやふやだったり自己一貫性を保つためにありもしないストーリーに当てはめているのだけなのではという疑念がいつまでも消えずもはやこれは俺の宿命なのではないかという想念が沸き起こりたとえ虚構と現実の区別がつかなくて真実が何なのかわからなくとも結局はあれが恋愛だったのかたんなる性欲の産物なのかはわからないしあの女の気持ちもわからないし俺の気持ちもわからないしどうすればよかったのかも結局わからずにメールも連絡先もすべて消去してしまったので本当にあの女がああいう女だったのかあの時の俺ももああいう男だったのかも確かめようがなくそもそもあの関係があったのかあの女が存在したのかすら根拠が失われてただひたすらに不透明なモヤの中で宙ぶらりんのまま時間けが過ぎてゆく焦燥感に駆られながらああやっぱり俺は自分のことしか考えていないのかもしれないという自己直視しているようでいて実は厳しい答えを先取りしたぬるい安心感にひたりながら結局は何者にもなれない人生を俺は生きる。

2012-09-28

断薬

二十代前半の時分、パニック障害と不眠で服薬していた。

主因は、今振り返ればテレホタイムに起因するただの寝不足の蓄積であったと思う。


興味の尽きない若造であったために、医者に行くたびに不調を訴え、色々な処方を受けた。

大概の安定剤眠剤には手を付けたのではないかという程であった。


最終的にはデパスが私には最も合っているという事になり、しばらく続けたが、

寝不足の根源である会社を辞め、2ヶ月ほど朝も夜もない、無気力生活をした後、

夜型のフリーター転向した所で薬とは縁が切れた。


月日は流れ、仕事に就き、それなりの立場になった。

それなりの立場になった途端、巨大な案件が降って湧いて1人で背負う事に。


ああこれがストレスか。

寝不足の比ではない。


そういえば、と後生大事仕舞ってあったデパスを使ってみた所、これがよく効いた。

よく効いたので日に0.5mgを2回程度、服用していた。


さて、仕事の大波が過ぎ、服薬を止めた途端、揺り返しの断薬症状がもりもり出た。

我慢していれば治ろうと覚悟をしたものの、焦燥感による不眠も出てしまったのでこれはダメだと諦め

再び医者へ通うようになった。


結局現在は体調に合わせて0.5mgを日に2回と、マイスリーを気持ち程度に処方されている。

調子が良ければ良いでも日に計0.5mgは必要としている。


連用後の断薬はなかなか難しい。

しかし、断薬できずに服薬している事を気負う事はない。気長にやるだけだ。

それは経験のおかげである


この歳になって初めて発現していたら、別の方向に行っていた可能性が高いナ、などと少し心の中で笑いながら

昼飯のメニュウを考えているのである

2012-08-15

増田会社やめるってよ

などというフレーズ日常的に飛び交う現場で3年目の夏を迎えた。

小さい会社だ。独立ITベンダの皮をかぶっているが、何次請けなのかも分からないような仕事を丸投げされて、数名単位グループ現場に送り込まれるという、典型的な人出し派遣零細企業だ。俺も本社にいたのは研修期間の最初半年だけで、それ以降は海の近くの巨大なビル街のあちこちを転々としている。プロパーの目を気にしながら食べる昼食の味にもすっかり慣れた。

俺の同期入社10人いた。

最初の1年で2人やめた。理由。1人は「公務員試験を受ける」。もう1人は「仕事についていけないから」。

前者は同期数名だけのささやか送別会の場でこんな事を言っていた。「毎日遅くまで残業させられる上に、20も30も年上のベテラン社員ペラペラの安っぽい背広を着て若手と同じような仕事をしてる。あれが俺たちの未来の姿だと思うと耐えられない」。懸命だと思う。その後、何度か彼とはメールのやり取りをしたが、公務員になったという話はついぞ聞かない。知らせがないということは、芳しくないということなんだろうと思っている。

仕事についていけない」後者は、俺たち同期の目から見ても、プログラミングという仕事が向いていない男だった。コードが書けないだけでなく、「どのような処理が求められているのか」ということすらなかなか理解できない。体育会系で気持ちのよい男で、入社直後は朗らかにみんなの輪の真ん中で笑っていたのだが、研修が進むにつれてだんだん笑顔が減っていき、暗い顔で研修室に毎晩居残るようになり、何とか研修期間が終わって現場アサインされた数日後には本社に突っ返されてきた。彼もきっとすぐに辞めて懸命だったのだ。ここは彼がいるべき場所ではなかった。と言うより、誰もがこんな場所にいるべきではないのだ。

彼らの頃は、まだ「あいつ、会社やめるってよ」というフレーズショッキングな響きを維持していた。その後に、「何もやめること無いのにな」という言葉が続いたりもした。

2年目には6人やめた。1つ上の代で、胃に穴をあけて倒れる先輩、心を病んで休職する先輩、誰にも何も言わずに消えた先輩が3人立て続けに現れたことが引き金になったのか、6人中4人はわずか2ヶ月の間に立て続けにやめてしまった。そのうちの1人、女性なのだが、泣きながら「このままだと病気になる。今すぐやめさせてほしい」と談判して、結構な火の吹き方をしている現場からそのまま離脱退職したそうだ。俺は、彼女もまた懸命だと思う。俺たち若手の代わりなんて幾らでもいる。燃え盛っている火の中で心身に大火傷を負いながら得られるものなんて、安っぽい達成感と、上長からの「こいつは無理がきく」という評価だけだ。そんなもんガソリンぶっかけて火をつけちまえ。

その頃には「あいつ、会社やめるってよ」が、まるで時候の挨拶のように軽い響きのフレーズへと成り下がっていた。だけど、俺は誰かの退職を知るたびに心の中でこう思っていた。「あいつ、やめるのか。うらやましいな」。そう思うのなら、俺だってやめればいい。簡単な話だ。だけど、俺はやめられなかった。怖かった。ろくに貯金もなく、技術もなく、経験もなく、はっきり言って社会性も大してない。ついでに言うと、俺以外の連中もその辺りの事情は大差なかった。何のことはない。この会社は他の会社では通用しないような人間をかき集めて、頭数を揃えて、泥臭い作業要員として使い捨てにしているのだ。ここを抜けだしたとして、他にもっとマシな場所があるのか。その先にあるのは、さらに深い下請けの下層ではないのか。この会社に居続けることが不正解だということは分かっている。だけど、会社をやめることが正解だとも思えない。

そして3年目。同期で残ったのは俺ともう1人だけだ。もう1人、便宜的にそいつのことを「増田」と表現してよいだろうか?紛らわしいことは承知の上だが、他に適切な名前も思いつかない。

増田はずっと、本社の経理にいる。簿記資格を取っているということで、他の同期がJava研修などを受けている1年目の5月6月の時点で経理に配属されて、そのままそこで働き続けている。毎日ゆっくりと出社して、昼は社長と昼食に出かけて、夕方は定時に帰る。会社全体規模で行われる飲み会には必ず参加して、常に社長の近くで酌をしたり、社長の話に懸命に相槌をうったりしている。要は、増田社長から殊更の寵愛を注がれていたのだ。増田は年不相応に幼く、ともすれば中学生ぐらいにも見える。そんな増田が、ゴルフ焼けした老ゴリラのような社長とべったりしているさまは、一見すると祖父と孫のようでもあり、それでいて2人に間を飛び交う視線にはどこか湿った情念のようなものが常に漂っていて、それがひどくグロテスクに感じられた。

そんな増田8月いっぱいで会社をやめる。さすがに今回ばかりは「増田会社やめるってよ」という言葉が、驚きと好奇心を伴いながら現場中を蔓延した。社長に新しい愛人ができたのか、はたまた増田もっと別の若くて甲斐性がある彼氏ができたのか、あるいは地元に帰って見合いでもするのではないか、様々な噂が飛び交った。俺も表面上は周りの社員とそんなゴシップ話に興じてみせるのだが、心中はいよいよ穏やかではない。とうとう、俺だけが残されてしまった。俺だけが逃げ遅れた。そんな焦燥感に駆られながら、俺は煙草くさい先輩社員達が繰り広げる増田に関する下品な噂話に精一杯の作り笑顔で受け答えしながら、冷や汗をかきながら、この会社での3年目の夏を終えようとしている。

2012-07-10

元彼女のこと

結婚を控えて、日々幸せだけど、元彼女のことを思い出す。

元彼女はいろいろ合わなかった。

でも大好きだった。

結婚たかったけど、仕事大好きな元彼女とは全然進展しなかったし、結婚しても幸せにはなれないだろうな、って気はしてた。

そこで、すべてのものベストマッチないまの婚約者出会った。

元彼女のことは大好きだったけど、うまくいってなかったし、幸せ結婚はありえないだろうと思ってたし、幸せになれる

であろうパートナーを僕は選ぶことにした。

ひどいことをしたと思う。

でもそれが、自分の、元彼女の、婚約者幸せに一番近い道な気はした。

元彼女と別れた。

果たしてその選択は正解だった。

新しい彼女は、僕はこんなことも諦めてたのか、と改めて気付かせてくれるが多すぎるくらい、今まで見れなかった幸せを見せてくれた。

新しい彼女には最近になって、指輪をおくって婚約した。

婚約者とは何の問題もなく、こわいくらい幸せが続いている。


しかし、最近になって元彼女からメールがきた。

もう少しで電話するところだったよ、とかなんとか。

元彼女仕事人間だったから、別れる際も僕はとても心配だった。

仕事以外何もないのに、これからどうなっちゃうの? って。

別れ話を切り出しているのに、僕は泣きながら心配したくらい、何もない子だったから。

その予感はどうやら的中しているんだな、とわかってしまった。

勝手な言い分だけど、素敵な彼氏をはやくつくってくれてたらよかったのに。

別れ話のときも、泣いて嫌がれば俺はきっと別れられなかったのに。

仕事ばっかり真面目にこなして頑張って、ただ一生懸命がんばってただけなのに、別れ話をされて、

私はわがまま言うよりいい子でいたい、後のことは気にすることないんやで、って言ってくれたあの子

俺が何かを言う資格はないけども、でも、いま改めて考えたら胸がつぶれそうなくらい苦しい。

なんて取り返しのつかないことをしてしまったんだろうって、焦燥感のような、不安で仕方ない気持ちになる。

昨夜は夢にでてきた。

久しぶりだね、会いたかった、って泣かれる夢。

俺も号泣してたと思う、切なくてかなしい夢。


でも、思い出はきっと美化されているはず、お互いに。

付き合ってるときはあれだけ苦しくて合わなかったんだもの

変な情出したって、戻ることなんてできない。

それに、俺は婚約者を絶対に大切にしたい。


から、迷いは、ない。

でも、思い出すたびに、永久に失ってしまった取り返しのつかない大切なもので、胸が痛くなって苦しい。

2012-03-11

1年前の今日のこと

ちょうど今くらいの時間だったな、とふと気が付いて1年前のことを思い返してみました。

 

1年前の今日は6時に市ヶ谷に着いて、そこから神奈川まで団体で行動していました。

マイクロバスで移動して、すべてはスケジュール通りでした。

 

お昼に会食を済ませてバスで移動中、建物の中からたくさんの職員が走り出てくるのが見えました。

私たちはバスに乗っており、揺れには全く気が付いていませんでした。

速度を落とすために設置されているデコボコの上を走っているのかな、程度にしか思っていませんでした。

緊急地震速報なども鳴らず、建物から人がわらわらと出てくるのを見て

呑気に「今ってお昼休みでしたっけ?」という会話を交わしたほどです。

 

一度目の揺れはほとんど体感していなかったこともあり、危機感はあまりありませんでした。

外出先でしかも移動中、TVはありませんし、ネットにも繋がらない状況でした。

辛うじて繋がったYahoo!トップページを見て震源地は福島震度5強らしいということを知った程度でした。

震源地や震度が分かっても、やはり危機感はありませんでした。

 

揺れも収まったのでミーティング会場の建物に入り、

さぁこれからミーティングという段になって二度目の揺れがきました。

二度目は建物内にいたこともあって、一度目よりも危機感がありました。

それでも私は「この程度の揺れなら心配ないのではないか」と甘いことを考えていました。

建物内にいた人が“Everybody get out!!”と叫んだことでようやく現状を認識しました。

あぁ、これはどうやら非常事態らしい、と。

 

二度の大きな揺れがあったことによって、只事ではないという雰囲気が周囲を漂っていました。

緊迫感と焦燥感、戸惑いが溢れる中、私の携帯には祖母から電話がありました。

今思えばこの段階で電話が繋がったことは奇跡的だったのですが、

この期に及んでも正しく事態を認識できていなかった私は、

祖母に自身の無事と現在地家族とは別行動であることを告げ早々に電話を切ってしまいました。

 

すべての予定はキャンセルされ、とりあえず東京まで帰るということになりました。

マイクロバスに全員乗り込み、帰路に着いたのでした。

 

しかし、交通麻痺し、徒歩での帰宅者が溢れる中の移動は想像を遥かに超えた時間を要しました。

行きは2時間半程度だった道程も、帰りは9時間以上度かかりました。

それでも、ガス欠になることもなく車で安心して都内まで帰ることができたのは

不幸中の幸いだったと思います

 

帰路の間、家族と連絡を取ろうと試みましたが電話メールパンク状態でした。

神奈川にいる間は普通にメールができていたのですが、都内にいる人とは連絡が取れませんでした。

こちらから発信できても、あちら側が受け取れない状況が続いていたように思います

 

都内に戻ってからは、電話メールも繋がらない状態が続きました。

このとき、従姉が災害伝言板を活用し連絡してきたことで親戚一同が災害伝言板存在に気付き

メールが不通の間は災害伝言板でお互いの現在地や安否を確認していました。

 

私が帰宅したのは午前1時を回った頃でした。

帰宅してテレビを付けて驚いたのは、想像すらしていなかったレベルの未曾有の大災害であったこと。

何度も何度も繰り返し放映される津波映像を見て、放心状態になったことを覚えています

 

とは言うものの、私は都内の住まいなので食品の買い占め等以外は特に切実な問題はありませんでした。

震災直後、「物流が滞っているのでガソリンがいつなくなるか分からない」と

タクシーの運転手さんが話しているのを聞いて、そこまで緊急の事態なのだな、と再認識しました。

 

 

ここからは余談です。

 

当時、災害派遣中に自衛官が「やっと税金無駄遣いが役に立ったな」と言われたという話があります

自衛官の誰一人、感謝してくれとは言わないと思いますし、思ってもいないと思います

私が話した自衛官も「仕事から当然のこと」とさっぱり言い切っていました。

殉職するならそれも本望」とも言っていました。

そこに至るまでにどれほどの葛藤があったのかは民間人たる私には量ることはできませんが、

覚悟責任感、使命感を持って、自身の寝る間も食事の時間も惜しんで災害派遣に勤しんでいた自衛官

非常時にあってもなお、そのようなことをいう人がいるのだなと知り、悲しい気持ちになりました。

 

「我々が活躍する日なんて来てほしくなかった」

新聞に掲載された陸曹のこの言葉がすべてを物語っているのではないかと思います

2012-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20120210112649

射幸心を煽る商売」とか「焦燥感に訴えかける商法」は、やり過ぎると下衆なものと判断されるよね。

限定販売とか、特典商法なんかも、やり過ぎてるところは批判されてるし、ソーシャルゲームでも批判されてるのは「射幸心を煽る」部分。


パチンコソーシャルゲームが同一視されるのは、どちらも「客の射幸心を煽って」金を払わせるから

習い事は、どんな風に「射幸心を煽って」いるのか。

たとえば・・・

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こんなのをやってる習い事あるかな

2011-12-01

27歳童貞

地元友達はとっくに結婚どころか、子供しかも二人目)の話題さえ聞く。

この焦燥感絶望感は筆舌に尽くしがたい。

27歳だからまだこれからチャンスがあるんじゃね?と思いつつ、これまでの経験から自分は誰からも受け容れられない(ていうか未熟な)人間であることははっきり自覚しており、期待など一切持てないことも承知している。

あと5年くらいしたら死ぬんだと思う。

2011-11-24

普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか - nanapi Web

真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。

他の記事もひと通り読んだので長くなるが思ったことを。

久々に様々な意見が読めて、数年前までのはてなのようで楽しかたから、感謝として。


「わたし、写真が大好きだと思われてるんですが、嫌いですね。撮るのも、撮られるのも」

写真が嫌いで、SNSも苦手だという坂口さん。それでもGoogle+に写真をアップし続けているのは、「就活のため」だ。

大学3年生になり、就職活動を始めたが、「就活でしゃべれることがないんです。好きなこととか、何もなくて。何も好きじゃないし、何もできないから、流行ってることとか、これから“来そう”なことをやろうと。目標に向かって努力した経験や、自己PRが求められた時、なにか印象に残ることが言えたら」。

「恐怖感」という言葉で感じ取り、理解した者もいたことだろうと思う。自分になにもないような気がして焦燥感に焼かれるような時期のことを覚えている者なら。

彼女は賢い女性だ。自己分析も、目標設定の仕方も。早稲田という学歴を手にしたのはなんら不思議なことではないと思う。「意志が弱い」のに「恐怖感」で毎日朝3時50分に起床できる。これだけでも「普通」じゃない。褒められていい。好きでもなく、むしろ嫌いなことのため。けれど、将来に向けて役立つものを作るため。長所で点を稼ぐことでは行けない場所彼女はいるのだろう。弱点を克服してこそ立つことができる場所に。

そして、就活を目前に控えても彼女はその方法論を用いて不器用に「これから“来そう”なこと」を選んだのかもしれないと感じた。この選択に自尊感情の低さを読み取ったとしても、病的と謗るのはどうだろう?彼女自分自分人生に果敢に向かい合っている。安易に楽を選ぶような人ではないようだ。きっと彼女のいる場所では自分と同程度に出来がいいだけでは評価されないのだろう。だからこその課題解決と弱点克服。お前は何者だ。その問いにも、その答えにもおそらく彼女は気がついている。

彼女は結果を出した。Google+Instagramということを差し引いても称えられていいのではないだろうか。確かにそれは誰にもできそうな話だ。お手軽で浅薄にも思える。パソコンiPhoneがあればできる。インターネットは「自分だって」という幻想をもたらすツールだ。ユーザが少ないから、顔が綺麗だったから、学歴があったからということは自分も思った。嗚呼、またカモネギか、と。けれど、そういう一面もあったとしても彼女努力は称えられていい。それがどんなやり方であろうとも自らに欠けているものを獲得しようとしている者の痛ましい努力を。壊れたiPhoneに感じるものはないだろうか?もしかしたら、壊れていたのは彼女だったのかもしれないとさえ自分には思えた。

事実、元記事にはこうも書いてある。

「1日1枚はInstagramに上げないと、というノルマに対する恐怖感で起きています写真を1枚逃したら、私は何もない元の自分に戻っちゃう」

何もないわけがない。そんなに綺麗じゃないか。そんなに有名な大学にいるじゃないかGoogle+で一位じゃないか

ここで大事なのは彼女にとって”は「何もない」ということだ。Google+を取ったら、彼女のいる環境では普通(以下含め)に埋没する。その恐怖感たるや如何ばかりだろうと考える。自分自分だろなどと励まされても、“彼女には”そうじゃない。それに「何も好きじゃないし、何もできない」ということは本当に苦しいことだ。それだけ頭が良ければなんて言ってはいけない。彼女以外の者が自分のいる場所から考え言葉を発するのなら、彼女だってそうしていい。なによりも、なにもないという自分との対峙大学生らしくまっとうな悩みではないだろうか?むしろそこに一度撓んで伸びようとする魂を感じはしないだろうか?

なにもない自分と向かい合うのは力のいる作業だ。彼女はい奈落と向き合っているところなのかもしれない。それはこれから時間をかけてやっていくことになる作業だろう。途中で転職結婚出産という転機にだって出会うことだろう。そしてそのたび自問自答しつつ、誠実にひとつずつ向き合っていくように感じた。そう信じたい。

「気持ち悪い」と思っていた一眼レフカメラも、最近は欲しくなってきた。「iPhoneカメラには限界がある。誰かに伝えたいと思うような美しい景色が思うように撮れない時は、ちゃんといいカメラで撮りたいなと」

「気持ち悪いと思っていた一眼レフカメラ」「誰かに伝えたいと思うような」この言葉も印象的だ。

関心や興味は良いものとされがちだが、あまりに強い関心というものは異様に映る。強すぎる情熱を持って自分には興味のないことを続けている者を見かけたとき、つい引いてしまったことはないだろうか。それに、物事への関心が薄い者はネットでは目立たない。彼や彼女の発する情報はあまり役に立たないからだ。そもそもネットに現れないことの方が多いのだろう。語ることがないから。伝えたいことがないから。なぜそんなことをする必要があるのかわからない。ネットと接してきた時間が長い者と彼女のような伝えることのないタイプは互いに異形の者。でも、彼女ネットを選んだ。

何かを伝えたいと思うようなことがなかった女子大生インターネットで「伝えたい」方向に気持ちが動いた。この先「やっぱりカメラは気持ち悪い」と思うことになっても、ここに自発性や意欲の萌芽を読み取ることはできないだろうか?

彼女は「好き」を獲得し忘れてしまったのか、どこかに置き忘れてしまったのだろう。だからこそ傾向と対策を練り、「型」の反復から入って習得しなければならなかった。そして、恐ろしいまでの勤勉さで、本来は好きというだけで心理的報酬が発生する行為を、他者からの称賛という報酬自分の中に意欲として還元し定着させつつある。このことがいつか他者からの称賛という報酬がなくても行為自体が報酬をもたらすようなものとして彼女の中に育っていくといいと願う。考えてみて欲しい。多くのひとはもう記憶もないような幼い頃に獲得したか、考えずとも手にしているもの彼女は二十歳を超えてから獲得しようとしているのだ。野暮なことは言わず、讃え見守りたいと思う。もしよかったらあなたボタンを押し、気が向けばなにかコメントするだけの簡単なお仕事をしてみてはどうだろうか。翼を広げ飛翔する彼女を目にすることができるかもしれない。それはインターネットから翔び立つことかもしれないけれど。




※ここから蛇足

岡田有花という方を自分はよく知らない。しかし、この取材はきっと彼女も困ったのではないかと感じた。岡田氏は「写真大好き」な女子大生出会うはずではなかったのだろうか?意外な言葉に戸惑ったのは彼女も同じだったのではないか?確かに記事の内容はありがち。わかりやすい良い話にしたかったのだろう。しかし、穿った見方をすればこの方は自分ネットで付与された(と思しき)物語坂口さんにも着せようとしているような気がしてならない。「普通女子大生」なんて表現彼女京大でなければ出て来なかった言葉ではないのか。また、彼女は一度自らに問うてみるといいと思う。自分が向けられた男性から視点内面化していないかどうかを。こうすればネットでは受ける視点男性目線からものであるのなら、あざといパッケージは文章を安くする。

そしてこのありがちな文章に対してのカウンターである普通女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。』があまりに凄すぎた。素晴らしすぎた。誰もが薄々感づいていて言葉にしなかったことを暴いてしまった。それぞれの方がそれぞれの部分に喝采を贈ったのであろうが、自分は次の部分だった。

3年以上前からブログを書いている女性を、思い出せるだけ思い出してみてほしい。全員ぶさいくである。1人の美女もいない。美しさの欠片も無い。顔も醜い。心も醜い。そういう人達ばかりである。不平不満とくだらない馴れ合いをはき出して、だらだらいきている醜い人ばかりである。1人として美女はいない。もちろんの事、美男もいない。美しさは消えるのであるインターネットから消えるのである時間と共に消えるのである。美しい者は、インターネットを捨て、廃棄し、跡を濁さず消えて行くのであるインターネットという地獄では、醜い者だけが生き残るのだ。そういう風に出来ているのだ。

すべてとは言わないがそう思う。自分にとってこの「美しさ」に儚さや弱さも含みたい。多分、ある種の脆弱さという美しさを持った彼や彼女たちはインターネットからも弾かれる。長くネット表現を置くことができる者は強者であると言ってもいいと自分は思う。

から思い出して欲しい。「ワンチャンあるかも」ということがどれだけ美しい者たちを潰してきたかを。

女性に「クン」とつける中高年男性向け雑誌のように「タン」などと語尾につけてキャラ化し、持ち上げるだけ持ち上げてコンテンツとして消費し、そして次の対象へと関心を移す。そのとき、賢く、美しく、センスのあり、慎ましやかな者を選んでいたのは他ならぬ「ワンチャンあるかも」という者ではなかったのだろうか?そういう者たちが結局美しい者を淘汰していってしまう。残るのはマシュマロの中に鉛が入ったような女性だけである。「私の名ならば女。それ以上でも以下でもない」と賢い女なら気づく。そして鎧を身につけるか、鉛を飲むか、逃げるかしていく。また、当然の如く逆もある。どちらかだけが捕食者とは限らない。女というだけで入れ喰いならフォトショ覚えるくらい安いものだ。これを楽しめるのもまた人間としてのある種の強さとこじつけてもいいのかもしれない。

男の敵も女の敵もお互いとは限らない。いつの間にやら話の流れは新旧ネットの流れになっているらしいがそれも含めて自分が感じ取ることをどんなゲームにしてもいいし、そんなものはないと木で鼻をくくったように言ってもいい。それが自分の考えだと感じるならそこから行くしかない。そして、それが違うからこそ人と出会うのは面白い


最後に、個人的にはネットで多数と繋がりたくはないと考えていることについて。

Twitterが普及してからある種の文章をあまり見かけなくなったように感じている。エッジの効いた、ヒリヒリするような、血の滴るような文章を。嫌だったひともいるのだろうが、自分はああしたごりごりとした長文が読みたくてネットを見始めたクチだから大変残念だ。その一因はネガコメとかあの辺もあったんだろうなと思う一方で、ブログならば見えない読者を一人失うだけだったのがTwitterと連動させたことで明確に誰から拒否され関係が切れたのかがわかるからではないのかとも考えていた。それが罰のようなものとして認識されているのではないだろうかと。人間関係の煩わしさがネットに持ち込まれることで混沌表現情報は薄まっていく。ネット現実と重ねていく流れがあるのならば空気を読むのは当然のことだ。日常の罪をネット告白することの意味に気づかない者たちが晒される見せしめのショーも連日開催中だ。自宅、職場学校まで晒される。あまりリスキー。お利口でいい子になっていくのは必然だろう。誰かが自分に関心を向けてくれたときのあの興奮を一度でも味わったことがある者ならば。好かれたい、愛されたい、褒められたい、繋がりたいと願うのならば。

旧世代と誰かを括って責任押し付けるのは簡単だ。若いってそういうことだ。けど次はお前の番だ、お若いの。この流れの先に待っているのがパノプティコンでも向かい囚人に片目を瞑ってみせようじゃないか

2011-08-30

http://anond.hatelabo.jp/20110827025412

そういう人のほうが多いと思うよ。

っていうか、「悩みは人に話した時点で解決している」とかなんかそんな言葉があったと思う。

今の自分不快感焦燥感の原因が何か分かってて文章にしたり人に相談したりするわけじゃん?

でさ、そっから他人にアドバイスしてもらったって自分で実行に移さなきゃ解決にならないわけで。

これが例えば「友達からアボカドいっぱい貰ってしまった!何か料理あるかな?」って相談だったら明確な返答がもらえて、もともと実行する気で相談してるんだから迷いなく実行して解決に至る。

でも「仕事辞めるか辞めないか」なんて回答は人それぞれだし、多分どんな回答でも解決はしない。

ただ、話して気持ちがスッキリすることはあると思う。

私も、相談事じゃないけど何度か増田に書いたら、思ってもみなかった意見が聞けてなんとなく目が覚めたことがある。

から、誰でもいいから話を聞いてほしいってくらいの気持ちで書いてみたらいいと思う。

悩みが重いから書く、軽いから書かないとかじゃなくて。

占い師さんの仕事の9割はお客さんの身の上話聞きで、話せたことで勝手感謝して帰るらしいよ。話すことで悩みが明確にわかるのが良いらしい。

2011-08-02

むしゃくしゃして

ブログの記事ぜんぶ消したった。

何かせな。焦燥感。でも動けない。

うおーん!

自分がもどかしい。

2011-07-06

http://anond.hatelabo.jp/20110706165703

横だけどその通りだよねえ

俺は結婚したい相手いないけど

なんか「結婚しなくていいのかな」みたいな焦燥感だけある

まさにあんたのいう「結婚目的」状態

この状態を理性的に判断すると、俺は結婚すべきじゃないんだけど

んー

2011-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20110622002012

仕事が見つからない焦燥感で、辛かったよ。

今は派遣で勤めて、気分的にはすこし落ち着いたよ。

ちゃんとした次の仕事を見つけないといけないけどね。

 

まぁ、気負わずに頑張りましょう。

2011-05-11

セックス嫌いな人の気持ちがわからない。

気持ちいいし、事後のあの焦燥感もいいじゃん。

2011-04-29

旅の目的

僕は考えた、平和を実現するものは、人間ではできないのではないだろうかと、人間は互いの距離を測り壁を作り出す、その壁を越えることは容易ではない。平和を実現することというのは政治不可欠となっている、しかし本当は政治がなくても平和が実現できる状態ということが理想であると考える、すなわち政治とは今現在においては必要悪となっているのではないだろうか、政治という行為には多くの問題をまた生み出している、それは人間の弱さである人間人間社会を安定させるためにその行為を行う、そのために人間人間を裁くのである人間人間を裁くということは不合理には考えられないだろうか、人類は選択の幅をどんどん広げている、「彼は人なり、我も人なり、すなわち彼は我なり。」と言えるのではないだろうか、科学進歩、これは人間にとってすさまじい影響を与えてきた、だが、我々はその大きさにいまだ気がついていないのではないだろうか、今、科学というものに飲み込まれようとしているのではないだろうか、いや、科学というもの、学問というものは、過去において今までにおいてもわれわれの立つ位置、見ることのできる世界を変えてきた、自分たちにとってこのことは不変の真理であったはずだ。だが、今感じるこの焦燥感のような部分は何なのだろうか、科学進歩人類にとって必ずしも幸福を与えるものではないということは、昔から言われていた、それは科学が悪いわけではなく、その力を行使する人間に問題があったからだ。過去の過ちを繰り返してはならない、それは人間しかできない利点である、決して繰り返してはならない、だが、繰り返してしまうのも人間である、そこも人間の特性といえる。故意に間違えること、これは機械にはできない、だが、これからにおける、科学の失敗は発生率が減少しても、そのリスクというものは人類の存亡にかかわるものとなっていくのではないだろうか。故意ドッペルゲンガーを作り出せる時代が来る、そのような時代において「自分」を発見することは難しくなっていく。果たして、人間は機能となっていくのか、それとも人間人間のままであるのだろうか、はたまた、将来人間に安定をもたらすものは、「人間」なのだろうか、人間以上の存在が現れるかもしれない、それはコンピューターなのか、はたま遺伝子操作された人間なのか、それともその二つの融合なのか、また今現在まったく感知しないところからその存在が現れていくのか、まったくわからないが、自分は思う、人間人間を安定状態に置くということは傲慢であると、また不可能であると、人間にはそれを補助するものが必要である。それは例えば・・・神である。いっておくが自分は神などを特別、信じてはいない、自分が考える「神」とは、「価値である。その時代その時々に通用していた価値体系というものがそれにあたると考える、それは特定の宗教を信じる人にとっての価値、また宗教を信じない人にも持たれる価値観というものである。この時代において、人々を貫く価値というものが崩れ始めている。新しい秩序を作るという時代が終わり世界は画一化の時代へと進んでいる、価値の画一化、グローバル化自分たちに影響を常に与えてきたその価値観、新しい世代と古い世代間に生じる、その差、開放される自由、神とは脳みそを支配する特定の一部分である、その価値に基づいてその時々の人間は行動する、しか科学の発展はことごとくそれを破壊していく、人々は反乱を起こすが新しい世代が生まれ続けるかぎりにおいて、その動きは進んでいく、最終的にはとってもよい社会創造されると信じて、人間はその価値がなければただの動物と変わりない、むしろ価値などはじめから存在しない、そんな時代が来てしまうのかもしれない、人々は価値を、追い求め価値あるものを大切にする、たとえそれがナンセンスに映っても、それがその人、個人を守るためのアイデンティティであるかぎり、そう行動する。

これさえすればいきなり心が晴れて毎日が楽しくなる

これさえすればいきなり心が晴れて毎日が楽しくなるという

具体的な何か(勉強運動、本、マンガ音楽ゲーム映画など)があればいいのになあ。

毎日毎日ほかほかご飯も食べられて、あったか蒲団で眠っているのに、

それなのに、世のため人のためになる活動を全くしていません。全くです

生きていて申し訳ないという気持ちでいっぱいで、

これではいかん、何とか抜け出したいという焦燥感を抱えていることにすら、

自己嫌悪を覚えています。

無為な時間がただ過ぎて行きます

最近だんだん酷くなってきていて、

自分人生はいったい何だったのだろうとか、

やり直すってどういうことなんだろうかとか、

日本中が一つになってるけど、

自分だけその輪から仲間はずれにされているんじゃなかろうかとか、

他のみんなにだけおいしいお菓子が配られていたらどうしようとか、

そんな考えても仕方のないことばかりが頭の中を飛び交っています。

あるいは、決して役に立つことのない反省をしているかです

そんなことを考えてちゃダメだ、

何にもならないぞ、前向きになろうぜと叫びながら、

こぎれいな格好なのに汗だくの無根拠ポジティブさんが新聞紙を丸めて、

上記の妄念を必死で叩き潰そうとしているというイメージです

その後、肩で息をして、もちろんさらに落ち込むのです

余計暗い気持ちになるのです

ああやだやだ。

何かないかな。

2011-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20110425000641

ニートしているより、バイトでもいいから何らかの仕事をしている方が精神的にも体力的にも

いいと思うぞ。

ニートって焦燥感との戦いだと思う。

1,2週間位は楽しいけどね。

2011-03-31

忘れる前に君に伝えたい2011年3月11日金曜日に起こったこと

君にはどうか、忘れないでいて欲しいんだ。

2011年3月11日金曜日に起こったこと。

そしてその後に起こったことたちについて。

君はちょうど小学校下駄箱にいて、下校する直前だったらしいね。

ママはその時、会社会議室にいたよ。

揺れ始まってまず見たのは、時計だった。君が学校にいる時間なのか確かめたかたから。

だけど運悪くそれはちょうど君が下校するくらいの時間だったね。ママ不安不安で、揺れの恐怖よりも君のことばかり考えていた。

幸いにも君は学校を出る前だったみたいだけど。本当に、君が一人で道路の真ん中で怯えていなくて良かったよ。

揺れは、長かった。

建物はきしみ、壁にかかっていたものが落ち始め、天井プロジェクターは私の頭上で振り子のように揺れていた。

そして最後蛍光灯がジジジと不気味な音を立てて消え、とうとう揺れは収まった。

とにかく、長かったよ。

ママはこりゃ大ごとだなと思ってね。だって電気が消えちゃったんだもの。

ライフラインが断ち切られるなんて、初めての体験だったから。

揺れたこと自体はママはそんなに恐怖じゃ無かったよ。ずっと、見てた。

どんな風にどれくらい揺れるのか。

「いいから机の下にもぐれ」って、隣の先輩に怒られたんだけどね。

でも、見たかったんだ。世界を確かめなくちゃって思った。くっきりとそう考えたことを覚えてる。

目をこじ開けて、全部を、見たかった。

会議室にはその時職場の人全員がいて、誰からともなくみんなが声を出していたよ。

「まだ揺れてるから、動かないで」「上注意だよ。プロジェクターが危ない」「揺れ強いよ。まだまだしっかり」「続いてるよ。まだみんな隠れて」「みんな、大丈夫?怪我してる人はいないよね?」って

あちこちで声が上がっていた。ママは一番下っ端だから、じっと黙っているだけだったけれどね。

良い職場だな、と思ったよ。世の中の人たちはどんな感じであの揺れを耐えたんだろう。

君はお友達と一緒だったんだよね。良かった、一人じゃなくて。

お友達が「バスたい!」って喜んだそうだね。良かったよ、頼もしいお友達を持って。

あんなこと、きっと君が生きている間にはもう二度と起きないと思う。と、信じたい

から、覚えていて欲しいよ。大事な記憶になるはずだから

ママ会社から退社の許可が出て、一番最初会社を飛び出したんだよ。

ママ会社って何百人もの人が働いている工場なんだけど、一等賞だったんだよ。すごいでしょう?

だって、君が心配だったからね。

車に飛び乗って、車のナビでNHKチャンネルを回したんだ。どんな状態なんだろう、と思って。

その時に見たのは、街が海に飲み込まれていく映像だった。ハリウッド映画じゃないよ。生中継だ。

大津波警報って、なんだ?大津波?この映像は?現実なの?一体、どこなの?どこの海で津波が起こってるの?

さっぱり訳が分からなかったよ。だって、信じられるかい?街が海に浸かるなんてことを。

そしてそこは、君も知っている場所なんだよ。

一旦車を家に置き、自転車立ちこぎで猛スピード小学校に着いた。

最初ママも顔見知りの君の友だちに会ったんだけど、その子は顔を真っ赤にして泣いていたよ。当然だね。不安だっただろう。

でも君は不思議と泣いていなかったね。

硬い顔で

「さむさが限界だよ」

とぽつりと言った。ワンワンと泣いたのはママの方だった。

帰り道には冷たい雪が降ってきて、街がどんどん暗くなってきた。

街は不安に包まれていた。

あの時、不安は形になって、色になって、私たちの住む街に降りていていたと思うよ。少なくとも、ママにはそう見えた。

君の手を、痛くなるくらいぎゅうっと何度も握り返したよ。

これは大ごとだ、って。確かめるように何回も考えた。

かに大ごとだったんだよ。

ママテレビも見れず、知らない間に、津波宮城県の全ての沿岸部を根こそぎ持っていってしまった。

岩手も、福島も、青森も、茨城も海に浸かった。

でもママはそれを知る手段がなかったんだよね。

唯一手元にあったのはラジオだけで、でもラジオでは津波がどれだけの陸地を飲み込んだのかは想像できなかった。

君と一緒に何度も行った公園も、なくなったよ。

君と一緒に飛行機を見た空港も、ぐちゃぐちゃになったよ。

君と一緒に行ったことのあるショッピングモールも、水に浸かったそうだよ。

君と一緒に遊んだサイクリングできるあの場所も、なくなったよ。

君と一緒に船に乗ったあの港も、君と一緒に買い物をした市場も、みんな、みんな、波が持っていってしまった。

私がそれを知ることができたのは、それから何日も経って家に電気が来てからだったけど。

本当はね、3月12日土曜日には

君を仙台空港の近くの海のそばにある公園に連れて行くつもりだったんだ。

からもしもあの地震が一日ずれていたら、私たちは死んでいたかもしれないね

だってあの場所に、あん津波が来るなんて全く想像つかないよ。正直、今でも信じられない。

そしてその場所に私たちがいる可能だって大いにある。

そこは確かに、私たちの日常だった。

それが、一瞬でなくなってしまうなんて。

どうやって信じたらいいのだろう。

もう、あそこにはすべり台はないの?って君は訊いたね。

ないよ、ってママは答えた。

もう、あそこには公園作らないの?って君は訊いたね。

どうかな、ってママは答えた。

あの公園お気に入りだったのにって君は言ったね。

ママお気に入りだったんだよ。

でも、誰も悪くないんだ。あの公園がなくなったことも、何もかも、全部。

どうか、君には忘れないでしい

あの日あの時、起こったこと。

そしてこれから起こるであろう全てのこと。

ママたちは津波の影響がなかったから、家を片付けて、ライフラインが復旧すれば

とりあえず身近な日常に帰ることができる予定だった。はずだった。

でもそれを壊したのは、あの原発ニュースだった。

真っ暗な家の中で、唯一の情報源ラジオだった。

掌に収まるほどの小さなラジオが、大事な大事な全ての情報源だったんだ。

いや、新聞もあったか

こうやって考えると皮肉なものだね。

ママは普段からパソコンだの携帯だのって、デジタル漬けになって生きていたのに

結局あんな時に頼ることができたのはアナログだけだったんだものね。

ラジオから貰える情報は限定的だった。音声のみのデータでは、余りにも物足りなかった。

でもNHKアナウンサーは繰り返し、福島原発が良くないということを伝えていた。

最初は、電源が使えなくなって冷却ができない状態に陥ったこと。

次は、核燃料が溶けているかもしれないこと。

そして、爆発したこと。

ママ新聞ラジオしか、知ることができなかった。

情報が圧倒的に不足していた。

から、とにかく怖かった。不安だった。

からないっていうことは、不安ということなんだと、今回とくと思い知ったよ。

情報と知識があれば、何事にもそれほど恐れずにすむことを。

からやっぱり君にはしっかりと勉強することを勧めるよ。

知識は人を強くするから

知らないってことは怖いことなだって、気付いた時には遅いこともたくさんあるだろうから

何が起こっているか、分からないこと。これから先、どうなるか分からないこと。

それらがママをどんどん蝕んでいった。

不安は日を追うごとにどんどん大きくなった。

ラジオから枝野さんの声が流れてくるのが、怖かった。

彼が出てきて話すことといえば、やれ爆発しただの、やれ退避しろだの、やれ念のため家の中にいろだの、

そもそも原発事故ってだけでもとてつもなく恐ろしいことなのに、

その内容たるや、時間が経てば経つほどに悪化して行っている。

ママはね、自分が生きてる間に戦争が起こることって想像したことがなくて、

でもこれは、戦争だと思ったね。

その時はちょうど電気も無くて、買い物するにも屋外に商品をとりあえず並べたものを何時間も並んでちょっと買うしかなくて、

そして津波で被災した地域はそれはまるで焼け野原の様で、

ラジオからは日に日に悪くなる原発の様子を聴かされる。

ママは思ったよ。

これは戦争だ。ここは戦中なんだ、と。

そして、まだそれは続いている。

うちに電気がきて、ママはいつも通りにインターネットを使えるようになって、

スーパーも徐々に開いてきて、でも、

まだ何も解決はしていない。

日本は、混沌不安に覆われたままだ。

もうね、原発の悪いニュースが続いてばかりで

ママはある日泣いてしまったのだよ。

ラジオから二号機の核燃料棒が全て露出して、炉心が溶けたかもしれないってニュースが流れた時に

限界が来て泣いてしまった。

その時は、ママには君を守ることができないかもしれないって、本気でそう思ったんだ。

何があっても、ママは君を守り抜くって思って生きてきていたんだけれど、

うちにはパパって人がいないから、絶対に絶対にママが君をどうやったって守ろうって思っていたのだけれど、

どうも、ママにでもどうすることもできないのかもしれないって

その瞬間、身体の奥底から本気で絶望したんだ。

うちから原発まではたったの80キロほどしか離れていないからね。

原発に重大な何事かがあったら、多分我々も駄目になるだろうからね。チェルノブイリのようなことがあったらね。

すぐには死なないかもしれない。

でも、身体に影響はあるかもしれない。

君は子どもが産めない身体になるかもしれない。

いや、産めないわけじゃないかもしれないけれど

でも宮城県出身からっていう理由で差別されて結婚できなくなるかもしれない。

それ以前に病気になってしまうかもしれない。

病気で死んでしまうかもしれない。

君はたったの7年しか生きていなくてこれから先何十年も生きて幸せになるはずで、

ママ今日まで君に全ての愛情を注いで育ててきて、

でもその全てを原発に奪われるのかもしれない。

2011年3月11日まで、当たり前のようにこの先ずっと生きていくんだと思ってた。

ママ毎日会社に行って、君は学校に行って、

そうしてどんどん君は大きくなって、運動して勉強して、そのうち反抗期になったり恋したりして、

当たり前のように大人になるんだと思ってた。

でもそれは簡単に手に入るものじゃなくなった。

訳の分からないうちに。

福島原発の一連の事故に対して最初に抱いた感情は、絶望だった。悲しみだった。

次に浮かんだのは怒りだった。そして不信感だった。

ラジオ新聞情報のみの電気が無い状態では、自ら調べることはできない。焦燥感が募った。

そして、憎かった。原発が。東電が。政府が。そして、東京の人すら。

君はさ、まだ7歳で

今ここで何が起こっているかなんてことは、到底理解できないと思うんだ。

でもママには君に対して責任がある。

君の未来を守るという、責任があるんだよ。

多分君の未来には、日本未来も含まれているんだろうと思う。ひょっとした外国に永住するかもしれなけどさ。でも故郷は必要だろう?

からママ日本未来について考えなくてはいけないと思ったんだ。

調べたよ。たくさん。原発ことなんて、今まで気にも留めてなかったからね。

放射能放射線の違いすら知らなかったし、同位体って何のことだかもすっかり忘れていたくらいだったけれど、とりあえずいっぱい調べた。

ああ、余談だけど、やっぱり勉強は大事だよ。ママも昔、ちょっとはしたんだよ。化学物理もやった。そのベースがなかったら、ちょっとしんどかったかもしれない。まあそれはいいんだけど。

調べたからって正答を得られるわけじゃないんだよ、勿論。

考えなくてはいけない。どんなに困難でも、逃げるという選択肢はない。自分たちの問題だからね。

どこかで誰かが解決してくれるだろう、ってわけにはいかないんだよ。

から考えなくてはいけないよ。諦めずに、信念を持って、考える必要があるんだ。

でも一つだけ、ママには確かに分かったことがある。

人の命よりも大事なことなんてないんだってこと。

ましてや人の命よりも大事な電力なんてものもないんだってこと。

原発がなくなったら、確かにしんどいことが起こるだろうと思うよ。

とんでもなく不便で、そして貧乏になる。私が貧乏なのはまあ、いいけど、日本という国の全てが貧乏になるだろうね。

不便もどれくらい我慢できるんだろうね。今まで無尽蔵に電気を使ってきたからね。

とてもとても、想像つかないけど、どうにかできないこともないはずだと思うよ。

でも、仕方ないよ。

だって変わり始めはしんどいもんだよ。当たり前だよ。

ママ離婚したての頃はしんどかった。する前は不安だった。でも、どうにかなったよ。どうにか、したんだ。

でもこれは日本という国全ての話だからね。ママ離婚比較するのはおかしいだろうね。

国の全てがしんどくなるって分かってる方向に向かって、舵を切るのが困難だってことも分かる。

勇気がいる。痛みも伴う。そして、犠牲も。変化は怖いものだよ。いつだって、どんなことだって、そうだ。

だけど私たちは、ずっと先のことを見なくちゃいけない。これから先の、未来のことを。

今この瞬間が辛くてもいいんじゃないかな。十年後、二十年後、五十年後、百年後、いやそれよりもっと先でもいい。未来幸せになれるんなら、いいと思うんだ。

でも、原発を使い続けて、明るい未来はやってくるのかな。何百年後かの君の子ども子ども子どもだって、困るんじゃないのかな。

人間はさ、失敗するもんだよね。

でも失敗は成功のもとだよね。君にもいつも教えてるよね。

今回の失敗はさ、繰り返してはいけないことなんだよ。絶対に。

勿論、国だって馬鹿じゃないから、津波対策とかはするだろうよ。

だけど永久に絶対に安全な原発って作れるのかな。

多分、無理だよね。だって人間は失敗するんだもの。いつかは必ず、何かが起きるよね。

ママは何かが起こったときに、誰かが命張ってじゃないと止められない仕組みなんてあっちゃいけないと思うんだよね。

今もどこかの誰かが命掛けで、どうにもなんない原発をなだめようと頑張ってる。

どこかの誰かにそれを押し付けてる。

でもそれが、家族だったら?君だったら?

日本は変わるよ。変わらなくてはいけないんだ。ママにはそれがはっきりと分かったよ。

こんなこと考えたのは生まれて初めてだよ。でも必ずどうにかしなくてはいけない。

強く強く、そう思ってる。ママはなにができるのかな。きっと、何にもできないとは思うよ。

だってママ東北の片隅の工場でチマチマ働いてるだけの人だからね。政治家でも学者でもないからね。

だけど考えることはできる。そんなに賢くはなちゃらんぽらんで頼りないママだけど、君のためなら必死に考えるよ。

どうしたら、日本は良くなるのかってことをね。

2011年3月11日は、日本にとって重大な日になるはずだと思う。

君もママもこの瞬間に立ち会えたこと、そしてその渦中にいたこと、これはとてもとても貴重な経験だと思うよ。

人によっては運が悪かったって思うかもしれない。

でも、違うんだよ。

私たちはね、歴史の変わり目に立ち会えたんだよ。

2011年3月11日に始まった悪夢を、一つも無駄にしてはいけない。

私たちはそれを見てしまった。知ってしまった。

これを二度と繰り返さないために、未来に伝えていかなくてはいけないんだ。

私は君に伝えたいと思うよ。

から、どうか忘れないで

この全てのことを、忘れないで

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