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はてなキーワード: 焦燥感とは

2011-03-26

なんで関東がこんな目に合わなきゃならなかったんだ

なんで津波が来たんだ

関東でなければよかったのに

私の生まれ育った町は災害なんか無かったかのごとく無事だけど、私にとっては自分の生きる国が全部めちゃくちゃになったような気分で、絶望焦燥感がずっと消えない。

自分が生きている間にこんなに歴史的な災害があるとは、わかっていたけど理解していなかった。

日本はこれからどうなるんだろうか

世界での経済的地位を保てるんだろうか

私はこれからどうなるんだろうか

冗談抜きに、経済の中心は大阪政治の中心は東京になるのかもしれない

色々なことをぐちゃぐちゃと考えてしまうけど

関東じゃなければ、もっと言うなら日本じゃなければよかった」

そう考えてしまった自分絶望してしまった

2011-03-06

40社受けて内定なかったけど持ちこたえた6つの個人的理由

2008年卒の就職売り手市場だったとき大学学部卒業生現在サラリーマン3年目)だけど、就職活動してた頃を思い返して書いてみたい。「50社受けて未だに内定が出ないことへの感想http://anond.hatelabo.jp/20110304145631 への反応として。

自分は、売り手市場内定複数持ちの大学生が当たり前みたいな状況下で、大中小企業いろいろ40社受けても内定をもらえずにいた。私も、「50社受けて〜」の方と同じように一次面接で落とされることが圧倒的に多かった。

地元国立大学文系学科に通い、ひととおりのことはやっていたが、コミュニケーション能力不足という致命的な欠点が響いたのかもしれない。あと経歴も少し。

では、なぜ自分は深く落ち込むことなく持ちこたえられたのか、6点に整理してみた。もちろん、個人的な経験なのでとてもとても一般化できることではないが、今就活に悩んでいる人の参考になればと思って書いたので、よかったら読んでほしい

(1)前向きの姿勢を維持

私は、何回も面接の練習を受け、悪い点を洗い出して少しでも良くすることによって「次こそは!」という思いを維持した最初の頃はやはりボロボロだったが、回数を重ねるにつれて模擬面接をしていただいた相手から

「もう君が採用されない理由がわからない。悪い点を強いて言うならば、気持ちが強く出過ぎて相手を圧倒してしまうところかもしれない」

と言われるまで頑張ってみた。

少しでも良くなっているのだから次はちがう結果かもしれない、と、そう思うことで前向きな姿勢を保てたと思う。

(2)仲間と支え合う

ほめてくれたり、励ましてくれる仲間がいた。

「お前があんなとこ落ちるの!?そりゃ面接官がバカなんだろ」

「優秀すぎると内定もらえないんだってさー」

かい言葉は慰めだとわかっててもうれしかった。内定無い同学年の連中と何時間愚痴を言い合っていたら、いつの間にかそれぞれの夢を語っていたこともあった(←よく考えると気持ち悪いけど^^;)。月並みだが、へこたれそうになったときに仲間がいてくれてよかった。

(3)代替案としての進路を持つ

就活はしていたものの、学生時代に3年勤めたバイト先に就職してもよいと思っていた。バイト先の上司に「ここに就職してもいいですか?」と聞いたら、「給料いから入ってくるな」と言われはしたが、なぜか自分なら受ければ入れるだろうという自信があった。このおかげで、落ち続けても焦燥感を感じずにすんだのは大きいかもしれない。

(4)就職活動のその先を考える

大学3年の夏、短期インターンシップをさせてもらった会社で、魅力的ですごい社員の方々の働きに触れていたので、就活内定をもらうことがゴールじゃなく、その先があるということを実感を持って知っていた。自分は、たとえ正社員になれなかったとしても、そのインターンシップ先の社員たちの働き方を真似して社会貢献できるよう頑張りたいと思っていた。

(5)たまに寄り道

早い時期から就活をしていたので、途中受ける会社がつきてしまったとき就職活動のペースを少しゆるめて、大学ゼミの発表・レポートの方に全力を注いだ。特に、自分卒業論文を履修していなかったので、レポート自分大学生活の集大成にしようと思って必死で取り組んだ。

今思えば現実逃避に近かったのかもしれないが、全然面接が通らなくて嫌になりそうな中で、自分大学3年間ちょっとで身に付けたものに対する自信を取り戻すきっかけになったと思う。(余談だけど、レポート大学院生合同のゼミなのに最優秀って言われたよ!)

(6)個人的事情

実は、自分大学に入ったのが24歳のとき高卒後しばらくフリーターだった自分高卒既卒という身分で就職活動した時は、就職氷河期ということもあって面接にもたどりつけない惨敗だったので、就活で人に会って話ができるだけでうれしかった(OB訪問・説明会も含む)。名だたる有名大企業であってもとりあえず一次面接までは行けるので、落ちてるのに「なんかすげー!」とよくわからない感動があった。特に、最初の頃はそれがあって乗り切れたようなもの。

(7)結末

年齢制限でそもそも受け付けてもらえなかったところを除いて、エントリー43社目。今まで受けてきた中でも高い倍率の部類に入る企業の秋採用選考ステップが少ないこともあって、あれよあれよと最終面接に来て、ついに内定をもらってしまった。面接中、変な受け答えをしてしまって役員に笑われてたのに。そして翌年入社。

面接担当した役員から後で聞いた採用理由は、

「型破りで変な奴が来てこりゃ落とそうかと思ったが、話を聞いてみるとよく勉強しているし、強い気持ちを持っている。うちの会社は少し古いところがあるから、君にはそれを打ち破ってもらいたい

とのこと。

就活では何がプラスマイナス作用するかわからいし、確かにそのフィードバックを返してくれる企業なんて滅多に無い(私だと、不採用理由をこっそり教えてくれたのはインターンシップ先くらい)。今の就活は悪いところだらけなのは社会人になった今も同意する。でも、今現実就活と取っ組み合っている人のために何かヒントになればと思って、長々と書いてみた。自分就活がうまくいかなかったとき、こういうウェブの文章を読みあさって糧にしようとしていた経験があるので。

2010-12-31

http://anond.hatelabo.jp/20101229082847

あありがとう。

そういう、自分の気持ち以外の、外から邪魔って、自分が立ち直ろうとしたときに多い気がするんです

トラブルがないことってなかなかないので、トラブル自分の内から消えた時点であとは外になるんですよね。

から、外から邪魔が出始めたら、ああもうすぐ超えれるかも、って気になります

最大の敵は自分なんです

自分のこの、ぐぐぐって胸を圧迫する焦燥感が敵なんです

つらいよー。

2010-12-29

もうやだ

なんだか急に焦燥感がぶわーって出てきて、涙がでてくることない?

彼氏全然連絡くれないし、なんでこんなに依存しちゃってるのかわからないけど、いろいろ苦しくってしかたないよ。

何もないのに胸がぐーって苦しくなって息苦しくなる。

仕事もうまくいかいし、なんかもう、どうしたらいいのかわかんない。

どうしたらいいの、ねえ。

誰か助けてよ。

もうやだよ。

2010-12-27

59 名前名無しさん@九周年 投稿日:2008/12/10(水) 11:23:45 ID:rOl1SEDA0

そう言えばムーブ宮崎てっちゃんも、ひきこもりがなぜ男性に偏重してるかの分析で

男性けが逃げ道がないからだと言っていたよ。

女性就職できなくても、別に全然悲壮感や焦燥感がないのは、

社会女性には正社員総合職であることを求めない。

一般職でも、派遣でもでもなんでも認められる。その上男性がなる総合職になっても逆にすごいと誉められる。

ほぼどんなレベル生き方も許される。女でありさえすれば。

しいレールから外れたからって、社会的迫害的な目線を受けない。

結婚して養ってもらったらいいんだから

そんな頑張って一家の主みたいな職につかないでもいい」と言う意識があるから

から正社員経験がなくても、将来的にも傷にならない。

バイト派遣なら職歴関係なく一生チャンスがある。

しかし逆に、男性女性生き方をすることは決して許されない。

社会大学卒業後「正社員総合職」に滑り込めることを

「一人前の大人」の前提条件にされてる。30まで正社員総合職経験がなかったら、

それだけで社会不適合者扱いされて、アルバイト派遣面接ですら拒否される。

同じ10年ものの無職でも、片方専業主婦という肩書きで

10年家にこもって楽してても、さも10年間総合職と同等に働いてたかのように振舞える。

男性ニートの怠け者扱い。

男女共同参画になりました→貴重な正社員総合職を男女で取り合うようになりました

公務員なんか意図的に女を半数近くまで増やそうとしました

男性正社員総合職公務員になれない人が当然増えました

→でも社会は働く女性男性を養う責任は全く求めませんでした

しか社会は、依然男性には今までどおり狭き門になった

 正社員総合職であることを求め、そうじゃないと人間否定を続けました

そりゃ男性けがひきこもるし、自殺するでしょ。不思議な現象でもなんでもなく、社会差別構造上当然の帰結。

http://blog.livedoor.jp/booq/archives/615534.html

こういう話はとみに聞くけれど、あの腹立たしい理系出身の元公務員のバカ女も優遇されてたんだなと。

あいつ本当鬱陶しいわ。寿退職かよおめでてーなって。そうやって上手いことして人生ちょろまかしていきてこーって肚なのかしらねーが、そういうのが世の中舐めた生き方のように見えて見てて清々しかったわ。

このまま人生良いように逃げ仰せるか見物だってことで、生暖かく見守らせてもらうわ。そうやって上澄みだけ翳めとって生きてこったってそうは問屋が卸すめーってなことがでてくんだろうよ。そんときゃせめてお手並み拝見ってなところなんだろうが、如何せんその頃にゃ俺はそいつの消息は追えねーんだろうな。

まあ精々幸せに生きてくんねーや。

しかあいつが勤めてたのが俺の地元ってだけで未だに地元に帰る気が爪の先ほども起こりゃしねえ。どうしてくれるってんだ馬鹿やろう。

2010-12-15

http://anond.hatelabo.jp/20101215093359

きみも経験あるだろうけど、気分のいい時と悪い時で全然世の中違って見えるじゃん。

自分ハッピーときにはみんなハッピーに見えるし、沈んでいるときには済みきった青い空も淀んだ灰色の空に見えたりする。

彼も年齢的に人生に何かしらの判断をしなければいけない時期にさしかかって、たぶん希望不安を行ったり来たりしてるんだろうよ。

将来が不安焦燥感に駆られているときに入った夜中のコンビニで、結婚指輪をしているにも関わらずコンビニ弁当プリンを買うリーマンの後ろ姿を見たら、そりゃ暗い気分になるってもんだろう。逆に気分がいいときに同じ人をみれば「プリンうまそうだな」ぐらいに思うかもしれない。

見下して「あんな風」って言ったわけでもなく、単に彼が自虐的な気分だけだったかもしれない。

「俺もあんな風になるのかな」の一言ぐらいで彼の人柄を判断しちゃうのってもったいというか短絡的すぎるような気がするけど、どうですか?

作品をつくらない芸術家

世間と何のつながりも持てない。

一応収入はわずかにあるけど、意味のあるものを何も生み出していない最近

サラリーマン普通社会人は、たとえ社会歯車で没個性だ、なんて言われようともそれは立派に社会の仕組みに入っている。

芸術家研究者なんかはそういう枠組みには入らないけど、意味のあるものを生み出し続けることで、結果をもって評価される。

じゃあ作品をつくらない芸術家研究結果を出さない研究者は、なんのために存在しているのだろう。

どうやって自己承認を得ればよいのだろう。

そりゃ、とにかく意味のあるものを生み出せるように努力するしかないのだろうけど、何でも思うとおり行くわけじゃないし

努力したからどうにかなるってものでもない。努力はしなきゃどうにもなんないけど。

自分でいうのも何だけど、自分は人並みにはコミュニケーション能力もあると思う。

でも、年齢がいくほどに友人と呼べる人も減っていっている気がする。

いや本当に減っているわけじゃないけど、疎遠になったり、友人に家庭ができたり、そんな諸々で自分は取り残されている。

しい友人ができる機会も減ってきている。

こんな生活で、意味のあるものを作れていない俺は、なんなんだろう。

最近特にそういう嫌悪感がひどい。

俺がいま消えたって誰も気付かないくらい、社会と関われていない。

自分って存在希薄すぎて、透けて見えるくらい薄くて、なんかこう、自分の血を確認しなきゃ安心できないような、そんな焦燥感

どうなってるの?

いまどうなってるんだろう?

どうなるんだろう?

2010-12-09

カオスパニック

カカオパニック!!

デストロイイヤーズ!

やっぱりここが一番だぜ!!

俺が願う全てに感謝

そしてそれに追随する全てに最高の感謝を。

理解を示してくれる全てに感謝を。

びっくりするほどに鳴り響くメロディー

進めるのは自己顕示欲

舐めて舐めて舐めまくる!

理工に生きようとした矢先、飛び込んできた君のメロディー

生き続け、果てしない道を歩み進み続けた結果がこれだよ!

1000万人PV。誰でもいいから吹っ飛ばせ。

ライクライクにキッスユー。どれだけ叩かれても凹まないぜ。

そんな鉄の板みたいになりたいダイヤモンドの板になりたい

ダイヤモンドの板なんて存在するのだろうか。

ダイヤモンドでできた星なんて存在するのだろうか。

ああ、ああ、ああ、背中に羽でも生えたら笑う。

びっくりびっくりちょんちょんちー。らいくらいくにごちそうさん。

とどまることを知らないぼくのメッセージ。にっちもさっちもちょんちょんちー。

理想はありったけのゆめ詰め込んで、沢山、沢山の幸福が君を襲いますように。

あなたの全てを僕は知るべくもない。何もかもが吹き飛ぶように。

まとめてくれてる人に最大限の感謝を。理想の追求に意味などなくなってしまうように。

きっと誰にも越えられない壁があるのでしょう。俺はしたい放題やりたい放題。

/(^o^)\ナンテコッタイこれじゃ何も生まれない。だけどそこから希望を放り上げる。

から僕は素晴らしい。質より量だ!

何もかもを吹き飛ばして僕は歩くよ。中ボスと戦い果てるよ。

二次元に向かってルパンダイブを決め込むよ。僕は大好きなそのメロディーに耳を澄ますよ。

大好きだからやめられない。すきだから突拍子もない。君こそ、俺こそがスーパーファイターだ。

何も困ったものはない。何も捨ててきた勲章などない。

全部読んでみたら分かる、ぼくの伝えたいメッセージ。止まることなんて知らないんだよ。

からないんだよ。じゃあどうすればいい?くだらないって、つまんねぇって、

叫べばいい。何度でも同じ事を呟けばいい。好きにするのがいい。

そう好きにするのがいいんだ。俺は俺でいたいんだ。

ライクライクにキッスユー。だいぶまごついた破壊力

読んでみりゃ分かる、この喫茶店。この程度の文章なら俺でも書けるって?

なんでもかんでもぶっとばすのさ。破壊するのさ。止められない破壊衝動

焦燥感そう全てを巻き込む全力パワーでいきますのぜ。

なんでもかんでも吹き飛ばすんだぜ。ぶっとばすんだぜ。

ここからが俺のメロディーメロディーファイトなこの展開を、

見つけられずにいられないこの最高なポテンシャルを、

絶対に負けないそのパワーを。文章投稿サイトを。

くだらない君の愛にかけた。そろそろお開きにしましょうよ。

そうやってすぐ現実から逃げるんだから

止まるな。強さとは、疑わないことだ。止まらないことだ。

切って切って斬りまくる!武士道!どうでもいいからぶち壊せよ。

そのふざけた幻想をぶち壊してくれよ。

何もかもを飛ばしてやれよ。誰にもブッ壊されたくないその瞳。

理解のりの字も重要じゃねぇ?ああ、はいはい

伝えたい想いが一杯あるのですね、ブッ壊れてしまうのですね、

それならば僕は、全てを捨ててあなたに伝えるでしょう。

この挙句の果てを見てみたいと想いませんか。俺には希望しかねーよ。

びっくりびっくりちょんちょんちーだよ。結局誰にも分からない世界が底には広がっているんだよ。

俺なんて氷山の一角なんだよ。確実に氷山の一角になれるんだよ。

指をポキポキと鳴らすことが趣味です。そんな趣味、もうぶっとばすしかいでしょう。

2010-12-06

http://anond.hatelabo.jp/20101206193432

うん。金の問題だけなら生命保険で解決するかもだけど

(いや解決しないか。親の残りの人生分の金額は保険降りないよね。)

こんなバカな子供でも自ら死んだら親が泣くだろ。色々あって愛されてんのは身をもって知ってんだよ。

死にたい理由は季節と「働きたくないでござる」だな。もう働くのうんざり。でも誰かに養って貰うのはもっと嫌。

毎年秋ぐらいになると、夕暮れを見て焦燥感ノンストップで涙が止まらなくなる事が多々あるが、だいたい11月中旬くらいで落ち着くんだよ。

今年は長引いててちょっと辛い。

ここに愚痴ってもなんにもなんない事は知ってる。

死にたいけど誰も悲しませたくないから生きてる人って、結構いるんじゃないかと思って書いた。

2010-11-17

テストの点数がひどすぎて盛大に怒られた

おれは税理士を目指してる学生

今日はある科目の小テスト実施された。出題範囲はあらかじめ指定されていたから、それに合わせてちゃんと勉強をした・・・つもりだった。

テスト開始。問題を見てびびった。

問1、2、3で構成されていたんだけれども、問2が予想以上に難しく、問3は問1と問2を解かないと書けないという問題。

問1については易しい問題だったのでちゃんと解答を記入したけど、問2、問3は空白。これはやばい

テスト終了後、先生がすぐに採点。採点が終わると先生が怒り出した。いつにも増して結構強い口調。どうやら、おれだけでなくみんなの点数もひどかったらしい。

あの怒り方を見ると、来週の答案返却が怖い。そのときまた怒られるんだろう。出席したくねえな・・・。

家に帰ってから、もう一度その問題を見直してみた。簡単な問1もつまらないミスで間違ってた・・・。コレで全問不正解、0点確定。勉強したのに0点。おわた。

来週の講義がますます怖くなった。

先日の「16歳の高校生公認会計士試験」のニュースもあって、無力感焦燥感やばい

この状態を脱するには勉強するしかないんだけど、全問不正解が判明してからショックでもう5~6時間ぼーっとしている。おれはなにをやってんだろう。

2010-11-08

体育祭で舞う土埃、生徒による棒読みアナウンス、興味のない種目中に裏で勝手に遊ぶ生徒達、参加する種目を待機してる際の期待感焦燥感

文化祭での、普段以上の人口密度による圧迫感、浮き足だった生徒達、紙やダンボールのにおい、落ち着きのないデザインポスター舞台裏隠遁とした雰囲気、人でごった返していても校内の何処かにある無人の空間

2010-10-16

わけもなくきつい

わけもなく悲しい

わけもなく焦燥感イライラ

わけもなく涙が出る

そんなものが個性ならあんたにあげるよ

2010-09-27

契約切られて一ヶ月半

心情を吐露する場があるだけでも希望があるのかもしれない。眼がズキズキする。思考はうまく働かない。それでも文章は書けるから不思議だ。

契約を切られてから一ヶ月半が経った。「逆にチャンス」と意気込んでいた当初の勢いは、時間が経つにつれて衰弱していった。部屋の中には散らかった衣類が『産卵』もとい散乱している。片付ける気力もなく、こうしてはてな匿名ダイアリーにシコシコと駄文を書いている次第である。

厭世的な気持ちが否応なしに突き上げて僕を支配する。これが『絶望』ってやつなのだろうか。僕は二十五歳だ。二十歳と三十路の中間地点。もう若くない。僕を雇ってくれる会社はあるのだろうか。

昼過ぎにハローワークに行き、自分の職種で検索してみたが、検索結果はゼロだった。

都会に出た方がいいのかもしれない。都会の給料はどうなのだろう。しかし面接を受けるための遠征費がネックだ。面接を受けに東京神奈川に行っても、必ず受かるとは限らない。面接を受けに行くための費用は自腹だ。貯金も残り少ないのに、そんな遠征できるわけがない。

全く違う職種の面接を受けようと求人カードを受付に持っていったら、地元仕事なのに面接福岡だった。行けるわけがない。

結局、少しだけ探して家に帰った。

家の中では母親と父親が不毛な会話を続けている。二人とも、お金がないことに苛立っているように見えた。父親の給料は、月七万円である。アルバイトのようなことをしている。六十一歳の現実がそこにはある。なるべく客観的な眼で見ていたい。じゃないと発狂してしまいそうだから。

自分の部屋で履歴書を半分書いた。名前と住所と電話番号。それに学歴と職歴。残りの半分は面接を受けに行く会社に合わせて書き換えるため、そのままにしてある。それを二枚作った。一枚はもうすぐ消費されるだろう。もう一枚は予備だ。

月に二回面接を受ければ、失業手当が貰える。それを見越して二枚作っているというのもある。

僕の状態は失業者のほぼ平均的なものだろう。焦燥感と苛立ちに悩まされる時期だ。なるべく精神状態をコントロールしたいが、それでも時々つらくなる。つらくなるが、結局のところ、こういった問題は自分で解決するしかないのだ。

駄文ですいません。

2010-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20100924012255

そうなのかな。

文系出身なせいか理系の1年後輩がプログラミングバリバリやってると、ものすごく焦燥感を感じる。

やっぱり技術的な知識は男のほうが強いのかなあ、とか考え出すとドツボにはまる。

でも性差による差異は一種の統計だし、個々人にどこまで当てはめられるかっていうと、それこそわからないわけだしね。

ちょっと精神的に弱くもなっていると思うので、思考を変えてみたいと思った。

2010-09-17

英語が上達したい奴は、英語関連エントリブクマするのをやめろ

いやマジで

英語上達」っていう目標を達成するにはどうすればいいか。その目標に見合った努力をするしかないわけよね。単語覚えるとか音読するとか文法やるとかなんでもいいんだけど、ともかくやらないと絶対に目標は達成できない。

で、人間の心っていいかげんなもんで、「目標に見合った努力」では無いことでなんかやることやったような気になっちゃったりすんのよ。

たとえばあなたが飲み会で「俺英語勉強しようと思ってんだーもう教材もそろえたしー」と言う。かわいい後輩が「わーすごいですね!英語喋れたらいいなあ、私もやらなきゃ!」とか言ったとする。そうするとね、あなたはそれでなにかを成し遂げた気になっちゃうんですよ。そんで実際の英語勉強はしなくなる。これ、心理学実験で何度も確かめられてることで、まあ当然人によって例外もあるけど、傾向としては間違いないんです。

「代償行為」といいましょうかね。実際に必要な努力をしていないことの焦燥感を心理的に補完してしまう行為です。これには「ステキ英語学習法を見つけてブクマする」とか、あるいは「ステキ英語教材を見つけて購入する」とかも含まれるわけ。なぜはてな英語関連エントリブクマがあんなに伸びるのか、なぜ日本英語教材があんなに売れるのか。「英語勉強しなきゃ!」って思ってる人達が、実際に英語勉強することの代わりにしている行動だからです。で、当然それでは英語が上達するわけないんで、ブクマいつまでも伸び続けるし、教材はいつまでも売れ続ける。

まあそういうわけで、[あとで読む]をいくら集めたって英語は上達しないってのは当たり前のことなんですけど、それ以上に実際に英語勉強し始めることの妨げにすらなるんだぜ。後で読むな、今読め。読んでこれはいいと思ったらすぐ始めろ、ブクマしてる暇なんかない。

2010-09-08

死にたい

勝手死ね

死ねよ、早く死ね

何を相談なんかしてるんだ

諦めてる癖に、期待しないと誓った癖に、どうでも良いと吐き捨てた癖に

それでもまだ現実に救われようとしてるのか

頭がどうかしちゃったんじゃないのか?

早く死ねよ、死ねば楽になるって言っただろうが

死ねよ、死ねよ、死ねよ、早く死のうよ

死ねばいいんだからさ

死ね死ね死ね

いつまでも莫大な焦燥感や寂寥感とかと律義に戦う必要はないんだって言ってくれたじゃないか

だから、早くしようよ

な?死んでみない?

死んでみようよ?

死ぬのも悪くないよ?

死のうよ、死のう、死ぬよ、死ねよ、殺すぞ

散々先延ばしにして、何か一つでも「ああ、生きてて良かった」って思った事があったのか?

それは果たして、これから何十年も生きる事と等価なのか?

どうなんだよ、答えろよ、今生きてるって事はそれはそれは大層な価値があるんだろうな

違うだろ?この意気地なし

痛いから死ねなかったんだろ

怖いから死ねなかったんだろ

自分が死んだ後の事なんて考えて、逃げたんだろ

お前は逃げたんだよ、生きる事からも逃げた癖に、死ぬ事からも逃げたんだ

お前は中途半端だ、どうしようもない屑だ

中途半端だよ、お前の人生は始まりから今まで全部が全部尻切れトンボ

恥ずかしいな、良く生きてられるな

お前、何も感じないか?

お前を見る目がどんなものか、十二分に分かってるんだろ?

それで、普通だったらそれを変える為に死ぬ気で努力するだろ?

本当に最低だな

お前は底辺だ、最底辺だよ

お前を生んだ親も可哀相だよ

せっかく必死に頑張って生きてきてこの結果だよ

勉強して、就職して、恋愛して、結婚して、出産して、教育して

親だけじゃないよ、周りの人間もお前とかかわった人間もだよ

本当に可哀相だよ、努力が水の泡、恩を仇で返すようなものだな

何度でも言うよ

お前がちゃんと死ぬまで、俺はお前の中で何度だって言ってやる

早く死ね、この屑が

生きてる価値もないんだろ?

死んだ方が良いんだろ?

逃げる事を甘受したいんだろう?

何もかも終わらせるんだろう?

その為なら、恩も責任も何もかもを仇で返したって構わないんだろう?

てめぇが楽になる為に、死ぬんだろ?

早く死ね

死ねよ、死ねよ、死ねよ、死ねよ、死ねよ、死ねよ、死ね

この愚図が!!!!!!!!!!1

2010-07-19

サボり魔は一生そのままなのか?

私はサボり魔である。筋金入りで予後不良の。

幼少の頃から厭なものから逃げ続け気がついたら三十路になってた。そんな私はサボり癖が元で精神を病み社会生活を送れない体になってしまった。

ふつう精神疾患なら投薬と適度な休養で概ね治るはずなのだが、私の場合はサボり癖という精神疾患の根元になるものがあるので質が悪い。投薬も5年以上続いているし、休養も自分でもうイヤだと思うほど取った。でも治らない。ある程度回復したと思い就職活動して仕事を始めるが長続きしない。そしてクビになってまた精神的にダウナーになり休養が必要になる。こんなのを何度も何度も繰り返した。真面目に職歴書いたら30近くになるんじゃないだろうか。20代もそんなのに翻弄され暗黒の時代、黒歴史になった。気がつけば三十路である。もう後はない。

少しづつ焦りだしてきた私はふと考えた。何故こんな風になってしまったのだろう、と。

私のサボり癖の根元を語るには幼少の頃からの話をしなければならない。


私がまだ幼稚園にも入る前の事だ。当時の私は英語に非常に興味を持っていた。よく買い物に出かけた横浜駅ジョイナス地下駐車場英語ブロック分けされていて、それを見て初めてアルファベットという物に触れた。何故か判らないけどアルファベットが非常に気に入ってしまい英語という物に少しづつはまるようになった。

ある日TV英語教室CMをやっているのを見て母に「これかよいたいー」とせがんだことがある。母はその申し出に協力的で父に頼んでみる、と言ってくれた。それを聞いてワクワクしていたのを覚えている。

しかし父は「まだ習い事するなんて早い!」と、私の幼い願いを一蹴した。英才教育なんて言葉があった時代か判らない。グローバル化のグの字もまだ無い時代だったし英語の将来性を見いだせなかったのかもしれない。ともかく私の願いは絶たれてしまった。

そのことについて父を恨むつもりはない。でもちょっと根に持っている。だってもしその時英語教室に通っていたら私の人生は大きく変わっていただろうと思う。飽きっぽいけどのめり込む時はとことんのめり込む私のことだ、通訳とか外資系エリート・・・なんて言わないけど少なくても英語には不自由しない人生を送れたかもしれない。

それから数年の時が過ぎ私は小学校3年生になった。

ある春の日のこと、私は父に呼び出された。そして「出かけるぞ」みたいな事を言われ、半ば強引に車の乗せられて駅前のダイエーに連れて行かれた。何が起こるのか全く判らない私、何も言わず私の手を引っ張る父。?マークを頭に3つくらいグルグル回しながら連れられて行き着いた先スイミングスクールの上の階の階段を下りた先の小さな部屋だった。父は「ほら行け」と言わんばかりに私をその部屋に置いてどこかへ行ってしまった。

何ここ何が起きるの?

幼いながらも恐怖した。

部屋には私と同い年くらいの子供が数人いた。大人も何人かいて、何か冊子のような物をを配っていた。私の順番がきて冊子を渡される。そこでようやく理解した。冊子の中身は全て英語だった。

父がどう心変わりしたのか判らないけれど、私は数年越しに英語教室に通うことができたのだった。

しかし、だ。

それは遅すぎた。

小学校3年の私はもうすでに英語に対する興味を失っていた。正直、いまさら?だった。

それから4年間英語教室に通った。楽しいこともあったし、友人もできたけど根底にあったのは「苦痛」だった。

その苦痛が形としてでることがあった。それは「逃避」。有り体に言うとサボリだ。一人で自転車ダイエーに行くのでサボることがバレることは基本的に無かった。何度か買い物に来た母親にサボってコロコロ読んでるところを目撃されて大目玉を喰らったことがあるがそれでもサボる事は止まらなかった。年数が経てば経つほどサボリはエスカレートしていき週一回の教室に月3回サボるなんて酷い事態になることも多々あった。何が厭だったのかは今となっては思い出せないがサボりたくなるくらい苦痛だったのは覚えている。

小学校5年の時に友人の誘いで公文に通い始めた。

初めの頃は問題もスラスラ解けて楽しかったのだけど、ランクが上がって難しくなってくると少しずつ「苦痛」になってきた。苦痛になると私は逃避を始める。サボリ始めたのだ。きっかけは些細だった。友人が「今日サボんね?」と言ってたのだ。それに乗ってしまって後はそのままズルズルと・・・。これも週二回の教室で月数回しか通わない程になり公文講師のおばちゃんに「ちゃんと毎回来なさい!」と毎回言われたものだった。

それから中学に入って少しして英語教室は辞めた。学校でも英語の授業が始まったしこれ以上受ける意義を当時の私は見いだせなかったのだ。

公文はサボリながらも中学卒業まで続けた。高校受験の時はさすがに真面目に公文勉強した。でもそれは友人が周囲にいっぱい居たからであって、私一人だけだったらどうなっていたかは判らない。

義務教育が終わりを告げ私は高校生になった。

一番の志望校じゃなかったけど目標にしていた地元の公立高校に入学した。

高校時代は楽しかった。今までの人生で一番楽しかった。友人もたくさん居たし、心から楽しいと思える授業もいくつかあった。そのせいもあって驚くことに三ヶ年皆勤卒業式の時に表彰されメダルを貰った。

なんというか極端だな・・・と。

しかし、その影にも私の逃避、サボリ癖はあった。

高校では三年間図書委員だった。特に理由はなかったけれど図書委員になっていた。

図書委員の活動は図書室の貸出係の業務と月一回の委員会活動があった。貸出係は昼休み放課後に当番であったのだけどこれに私は全くでなかった。当番は殆ど放課後だったのだけど、早く帰ってゲームしたい盛りだった私はとにかくサボってサボりまくった。たぶん3年間で10回出てないんじゃないかと思う。委員会は強制参加なので仕方なく出たのだがその時よく「貸出係をサボる輩が居ます。ちゃんと出ましょう!」とほぼ名指しで委員長に言われることがあった。挙げ句には「てめぇいい加減にしやがれ!!」とキレられたこともある。それでもゲームがしたい、寝たいばかりにさっさと自転車で家に帰る自分が居た。救いようがない。

この頃まではサボっていても何とか回っていた。学力はそこそこあったしテストでも苦手科目の数学以外はそれなりの点数を取っていた。

しかし、だ。努力する者としない者。その差をまざまざと見せつけられることになると当時の私は知らなかった。

高校二年の冬のこと。そろそろ大学受験視野に入れなければならなくなってきた。周囲でも予備校に入学して対策を講じる者が増えてきた。

私も「予備校かー、どうしようかなー」と脳天気なりにも意識し始めていた。ある日、図書室の前にあった予備校案内のチラシを見て何枚か持ち帰り検討し、その中から一行選んで入校することにした。両親は特に何も言わずに入校を許可し私は予備校に通うことになった。

地域ではマイナー予備校だったが友人もいることが判り喜び勇んで予備校行く・・・はずだった。

予備校は私が想像していた以上に過酷なモノだった。英語は毎回英単語テストがあったし数学は高校よりもずっと高度だった。正直ついていけなかった。ついていけない結果はテストダイレクトアウトプットされる。志望校合格ランクDとかEとか当たり前だった。

今までどうにかなっていたモノがどうにかいかなくなってしまった。劣等生。そんなレッテルを貼られた気がした。

それはとても苦痛だった。苦痛苦痛で仕方なかった。

苦痛の先にあるのは小学校からやらかしているサボリ、だ。

高校3年になって予備校に行かなくなった。辞めたわけでなくサボるようになった。劣等生な自分を認めるのが厭だった。劣等生であるという事実を突きつける予備校に近づきたくなかった。英語の授業は友人が来いとうるさかったので月に数回出た。数学は全くついていける気がしなかったのでチューターの人に怒られるまで殆ど出なかった。高3から受講し始めた化学は授業がすごく面白かったし得意科目で余裕でついていけたのでこれだけは出席率が高かった。それでも7割ってところだけど・・・。

がんばった者とがんばらなかった者

努力した者と努力しなかった者

逃げなかった者と逃げた者

そんな二通りの人間審判が下される時がきた。

大学受験--

無論私はボロボロだった。無惨だった。

センター試験自己採点。数学は2点だった。得意の化学でも5割いかなかった。

死を覚悟した。

一般入試が始まった。

私は高校担任教師の薦めで無名のFラン大学化学科を受けた。目標にしていた大学は「絶対に無理だからやめろ」と言われた。返す言葉もなかったので大人しく言われた大学受験した。

結果。補欠合格

はは、引っかかちゃった。

当時の私は安堵した。浪人生活をしないで済んだから。浪人は落第者で敗北者だと思っていた私は本当に喜んだ。

でも、気がつかなかった。おまえは運が良かっただけだ。

だって・・・「努力したのかい?」

大学生活が始まった。中学からずっと同じの友人が一緒の学校だったので初めはよく一緒に登校した。学科は違ったので登校と昼休みくらいしか一緒ではなかったけど知る人が居ない学内ではとても安心できるものだった。

大学1年の授業は楽しかった。特に有機化学と分析化学が好きだった。2年から生物化学の授業があってそれを目標にしていきたいと思った。

しかし、異変は訪れる。とある教科を落としてしまった。有機化学の概論。難しい授業だったけど好きな授業だった。ただ落としただけなら来年取り直せばいいだけなのだが、この授業はとても大きな、そして致命的なものがあった。

この教科を落とすと生物化学を受講できない

偏屈で有名だった生物化学教授が設けたハードル。私はものの見事にそれに引っかかってしまったのだ。

何かが壊れた。

大学2年。目標生物化学を受講できず腐った。さらに悪いことにほかの授業が難しくなった。特に物理化学は私が苦手だった物理概念が入って手に負えなくなってきた。

大学苦痛になった瞬間だった。

苦痛になると訪れる甘い囁き

「逃げちまえよ」

それにあがらえる訳がなかった。

初めは大学内の図書館で本を読むだけだった。それから街のゲームセンターになって・・・兎に角大学に近づかなくなった。金だけは親から必要額貰っていたので不自由はしなかった。適当に旅に出て時間つぶして家に帰るとかざらだった。

努力した者と努力しなかった者

その差は歴然と表れる。

次の年、私は留年ギリギリだった。

いままでどうにかなっていたものがどうにかならなくなった。

背中に火を付けられたような感じがした。

兎に角焦った。

焦って勉強をする。でもついていけなかった。下の学年の授業を受けることも多々あった。誰あいつ落とした上級生?だせぇ。そんな声が聞こえてきた気がした

屈辱的だった。変にプライドの高い私には凄まじく苦痛だった。

苦痛を感じると出てくる麻薬のような囁き。

「ニゲチャイナヨ」

でも逃げると今度は留年だ。

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

逃げちゃダメ

14歳の少年は逃げずに立ち向かうことを選択したのに20歳のアホは逃げることを選んでしまった。

このあたりでだんだん精神的におかしくなってきた。

不安焦燥感、誰かに笑われてる感覚、必要以上に自分を責める。木の棚にカッターで何度も切りつけて酷い跡が残ったこともあって母親にそれを見られて酷く心配されたことがあった。

ロクな精神状態じゃないときにロクな思考はできない。

真っ暗な夜道の中をひたすら逃げているような状態だった。

次の年の春。私は留年した。

その日私は父親に叱責された。この後どうするんだ、と

ロクな精神状態じゃなかったので思考は回らず兎に角逃げることしか考えられなかった。

がんばるから、がんばるから

この時はそれで何とかなった。

留年生活のことは正直覚えてない。思いだそうとしても頭がアクセス拒否をする。

唯一判るのは焦ってどうにもならなかったこと。そして逃げ回っていたこと。

翌年、再び私は留年した。

二度目の父との対話。

今度はなかった。

こうして私は大学中退した。

そして社会に放り出された私は働かなければならなかった。当時は引きこもりニートという言葉もなかった。父親には働けと強く言われたので働くしかなかった。

ハローワークにあししげく通って何度も何度も追い返されてとある会社研究所に拾われた。

そこは農薬を作っている会社研究所で初めはそこの農場のアルバイトと言うことで面接を受けた。

でも、せっかく化学バックグラウンドがあるんだしということで話が少しぐらついた。

とっさだった。とっさに私はこう言った。

お金貯めて大学に復学したいんです!」

何でこう言ったのか今では判らない。

しかしそれは項をそうした。「じゃあそういうことなら勉強する意味も込めて」と研究所助手採用してくれることになった。

運が良かった。

研究所での仕事は本当に楽しかった。学校で習いきれなかった事も学べた。とにかくがんばったので会社も評価してくれた。

「今はアルバイトだけどがんばったら正社員にもするよ」なんて総務の部長さんが冗談めいて言ってくれた。

本気にしてがんばろうと思った。

でも、なんでなんだろうね。上手く行かないときはとことんうまくいかない。

入社して少し、変な奴が研究所にいると言うのを知った。

ほぼ同じ歳で今年正社員入社。しかも京大大学院卒。

「同じ位の歳だし仲良くしたら?」と言われてそいつに会いに行った。

すんげぇイヤな奴だった。

京大大学院卒というのをさりげなくアピールしてFラン中退の私を見下してくる。

正直あんまり関わりたくなかった。

ある日、通勤バスの中でふと考えた。

なんでだろうって。

殆ど歳同じなのにあのいけ好かない奴は京大大学院卒で正社員、私はFラン中退バイト。この差はなに?

それがずっとこびりついて離れなかった。

それはそいつと顔合わせなくても研究所内に居るだけで考えてしまう。

苦痛」だった。

とにかくとにかく苦痛だった。

また別の日、通勤バスに乗っていると不思議なことが起こった。

降りるべき停留所に近づくにつれて妙に息苦しくなるのだ。そして頭が真っ白になって「ニゲロゲロ」って告げてくる。

そして降りるべき停留所が来た。

降りられなかった。

こんなことは初めてだった。なにが起きたか判らなかった。

その日は慌てて次のバス停で折り返して事なきを得た。

それから数日同じ事が何度も何度も続いた。症状はエスカレートする。降りるバス停が延びていき遅刻が酷くなる。それを上司に注意されたら今度は体調不良で休むととっさに電話で言うようになってしまった。

さらに数日して何とか出勤できた日、所属部長に呼び出された。

最近休み多いけどどうしたの?」

怒っているわけでなく本当に心配しているようだった。なので症状を正直に話すと

「無理はしないようにしてほしいけど、勤怠が悪いと正直こっちも困る」

と言われた。

その日早退し精神科を探した。

小さなクリニックで老医師がこう言った。

「そりゃウツだ」

そう診断され一日三日分のホリゾンを貰った。

ホリゾンを飲んだけど少しぼんやりしただけであまり変わらなかった。

それからも朝の戦いは続いた。負け戦ばかり。

休みが10日ほど続いたところで家に電話がいった。

「大切な話があるから明日は必ず来るように」



翌日。何とか私は出社した。

研究所入り口総務部長が待っていた。

そのまま会議室に連れて行かれた。

そこには研究所の所長と所属部長が居て3対1の面談が始まった。

単刀直入に言う。辞めてくれないかな?」

総務部長がそう言った。

そのときの私は妙に冷静でその言葉意味もきちんと理解した。

あぁ、クビか。

後は事務的に話は進みその日のうちに私は解雇された。


それからいくつかの会社を転々とした。

どこも悪いところではなかったけれど、必ず不思議なことが起きた。

朝起きて家を出ることはできるけど電車バスで最寄り駅に近づくと呼吸が荒くなって怖くなる。頭は囁く「ニゲロゲロ」と

そんな状況に陥り全く出社ができなくなってしまったのだ。

最長で半年、最短で一日。これはクビになるまでの日数。

職歴は正確に書くと30は行くんじゃないかと思う。

ここ1・2年はさらに酷くなり、部屋から出られなくなってしまった。

朝起きてその時点で恐怖発作と「ニゲロゲロ」という囁きが頭を支配する。

精神科にはもう6年かかっている。

はじめはホリゾンだけだったけど今は抗鬱剤3種類と抗不安薬睡眠薬まで貰って飲んでいる。

挙げ句には自立支援の申請をして精神障害者手帳まで交付された。

ふと思った。何でこうなってしまったんだろう、と

最近また会社をクビになったので少し考える時間ができた。で、考えを整理するためにこれを書いている。

結論を言うと私のこの病気の根元は「サボり」だと思っている。

苦痛」からの「退避」。小学校の頃の英語教室からずっと続いているこの癖。これが原因じゃないかと考えている。

おそらくこれは正しい。

正しいことは判ったが対策がわからない。

生来のサボり魔たる私はどうしたら正常の社会的な生活を送れるのだろうか?

そもそも私の病気は何だ?

鬱病適応障害?それともただの怠けでサボリなのか?

精神科で投薬治療は受けているがこれだけでは改善にいたっていない。というかここ最近悪化しているとすら思う。直近でクビになった会社では不安の恐怖、あと鬱的思考から自殺をほのめかすメールを送ってしまい大騒ぎになった。

年々悪化しているこの「現象」

いったいこれは何なんだ?

どうしたら治るんだ?

どうしたら社会的な生活を送れるんだ?

だれか、教えてほしい

2010-07-11

思いの記録、あるいは「仕事人生とどちらが大事なの?」

「言ってることは分かるけど、でも、君の人生のほうが大事なんだから、今は休むことを考えなさい」

と言われた。つまり、休職しろという通知。人事より。

仕事パフォーマンスが落ちているな、と感じ始めたのは1月くらいからだった。社内に吹き荒れるリストラの嵐。部下が、同僚が次々と去る。そんななか、俺は超重要案件を独りで回してるという理由でそのリストラ対象からはノーマークだった。ただ、頼りにしていた仲間たちが消えていくことで、自分が指示者ではなく、作業者を兼任することを余儀なくされていることは感じていた。まあ、いつもの俺ならそのくらいはなんとかなる、ハズだった。

2月。社内政治は混乱を極め、俺は作業も指示も出来ず、ひたすら社内政治の調整だけを行っていた。ただ、その時はそれがこの先の仕事の成功につながると信じていた。

3月。協力して仕事をしている部署が、まるごと別の会社にたたき売られることになった。頼りにしている担当者も、辞めた。その頃から、焦燥感が強くなっていた。

「このままだとヤバい。確実にこのプロジェクトは沈む」

その言葉だけが、脳裏をずっと飛び交っていた。

4月さようなら協力部署。これからは君たちとお金の話をしなくちゃいけなくなった。とたんに増えるファクター。代替となった担当者の不理解。焦燥感はより強くなる。そして、人間リストラが一段落したあと、プロジェクトリストラも始まった。超重要案件とはいえ、バジェットがでかい。あいつらはいったい何をやっているのか。説明を尽くした。もはや会社上層部の意向一つで潰せる案件ではなくなっていること。いや、潰せはするが、その後の代償はどれだけのものなのか。一応PMの地位にある俺ですら、全容は把握できなくなってきていた。

5月になる直前。α版ができた。だが、中身はボロボロだった。それは当然だ。これだけ引っ掻き回されて、手戻りが大きく発生している。かつ、エンジニアへのディレクション不足が祟って、一番難しい部分は、まるまるリストラクチャリングが必要な状況にあった。ゴールデンウィークの間、「先生」にお願いしてリファクタリング実施してもらうことになる。「先生」も俺もこの時点で体調はかなり良くない。そして、関係各所へこの「不完全なα版」について、謝り倒し、内情をぶっちゃけ、頼むからプロジェクトを潰さないようにお願いして回る。そんな日々が続いた。

6月。なんとか軌道修正をし、スケジュールを引き直し、俺は指示者と作業者の地位に戻ることができた。しかし、この時にはもう遅かったのかもしれない。

まず、焦燥感で眠ることができなくなった。元々睡眠導入剤を飲んでいたのだが、全く効かなくなる。仕方なく、若干のOD普通に頓服として処方されるギリギリの量くらいまでで抑えた。薬とは10年来の付き合いだから、そこらへんは分かっている。それでも眠れなかった日は、一度だけお休みをもらうことにした。どれだけ無理を言ってるのかは承知の上だ。

次に、記憶がこぼれていった。症状は2つ。

1つは「仕事中にした作業や指示のことを覚えていない」。割と致命的だが、そもそも鳥頭だった俺は行動を頻繁にログとしてテキストファイルに書き出したり、バージョン管理ツールログを細かく書くよう心がけていたりしたため「記録」としては残っていた。それでも、記録に残さなかったささいなことは全て消えているし、自分の中で「それをやった実感」が全くないのが恐ろしかった。

もう1つは「自分がどこにいるのか分からなくなる」。よく「私は誰? ここはどこ?」っていう記憶喪失ギャグがあるが、あれに近いだろうか。自分が誰だかは分かっている。俺は、おそらく俺だ。しかし、俺がここにいるのは何故だ? そしてここはどこなんだ? そういう瞬間が訪れる。要するに以前の文脈がぷつんと切れてしまった状態。ほとんどが交通機関に乗っている時に発生しており、しかも日常の往復での出来事だったので、ケータイGPSなどを使って必死に推測することでオオゴトにせずに済んだ。ただ、一度だけ徒歩での移動中に発生したことがあり、その時は途方に暮れた。同僚と一緒だったため、なんとなく付いて行くことでなんとかなったのだが。

友人のライブに行っても、温泉に行っても、あるいはデカいホールでのコンサートにいっても、考えることは一つ。「今のプロジェクトは、大丈夫だろうか。俺がここで稼働して、先生にここまでお願いして、若手にここは任せて…足りるか? 足らないようならここも俺がやるしかなくて…」無限ループ。しかも、恐らくだがその要件には「記憶の穴」が多数存在していて、きっと何か大事なことを忘れている。

7月退職を決意した。ただし、このプロジェクトが無事離陸するのを見届けてから倒れたい。そう上司希望を出した。だが、上司は俺のことをかなり過大評価しており、切り札として残しておきたい気満々らしい。

「こんなにぶっ壊れている人間を置いておく余裕、あるんですか? 使えるところまで無理やり使って、その後希望退職すればあと腐れないんですよ?」

ダメだ、ボクにはそういう判断はできない。若いんだから、まだ生きて欲しい」

意味がわからなかった。さらに

「このプロジェクトより、君の人生が大事だ。誰か代わりの人間に任せて、休むことは出来ないか」

とも言われた。理解ある上司の、建設的な提案だと思うだろうか。一見、そう見えるかも知れない。だが、俺の視点から見ると、これは違うのだ。

そもそもこの不況下、これだけのバジェットをかけたプロジェクトを潰すには「物理的に」腹を切る人間が必要。だが、その結果がでるのはもうちょっと先のことなのだ。今、俺がこの会社から去ると「物理的に」腹を切る人間がいなくなるのが、困るのだ。

そして、代わりの人間。二重の意味で、代わりの人間を調達するのは困難だ。このプロジェクトはそもそも作業者、指示者、企画営業、そして政治的調整の全てを俺が担当している案件である。作業者になるつもりはなかったのだが、人減らしの結果、そうなってしまったというのが正しい。これを全部やれ、というのは、俺のコピーロボットを作る程度で済むのかどうか。それよりなにより「物理的に」腹切りするべき人間が増えてしまうことを、俺は危惧している。

だからこそ、立ち上がるところまで見守り、上手くいかなかったことを持って腹切り退職。それが俺の願いであった。その道を塞がれたのだ。

そもそも俺は若くはない。アラフォーで体中が悲鳴を上げている。ここらが潮時だと思っていたのだが。

もう一つ。たとえ休職して復活しても、戻るべき部署はなくなっている。かなり強い確信を元に、俺はそう思っている。戻るべき部署のない俺を抱えるこのお人好しな会社はなんだ? …うん、お人好しな訳はない。俺はどう利用されようとしているのか。そこまで想像して、吐き気を催した。


だけど。俺は今やってるこの仕事が好きだ。天職だと思っている。俺にしかできないことをやっていると信じている。ただ、体も心も全く追いつかなくなっているだけで。このプロジェクトを立ち上げて死ぬなら、本望なんだ。でも、それは許されないことだという。

自分人生なんて、何があるわけでもない。親の面倒を診て、死んだら墓の手配をして、親戚の皆様に「申し訳ないですが独り身のもので」と謝り、日々の楽しみはアニメ漫画程度のもので、それもホントに面白いなんて思っているわけでもなく。どちらにしても、仕事をしている限りは自分人生なんていうものはないも同然だな、という諦めの気持ちを持っている。

そんな人生と、体を心をこれだけ傷めつけて、まあ概ね再起不能から死の方向へ行く仕事の仕上げ。どっちが大事かと言われれば、俺に取っては仕事のほうがいい、死ぬまで仕事をやらせてくれ、と言いたい。

そんなに人間の命なんて大事か? 俺みたいな壊れかけのbotみたいなのでも大事なのか? 誰にでもリア充のような人生が待っているわけではないんだよ。


それとは別に、残り僅かな体調を整えるために早朝出勤、定時退社している俺に陰口を叩く連中もいるわけで…。そうだね、君たちも過労死ラインを優に超えていることは知っているし、俺もそれを何とかしようとかけずりまわったさ。でも、これだけ人が減らされちゃ、無理だよな…。

どうしよう。どうしようもないか。DEAD END

2010-07-05

夫婦について

結婚及び婚姻については事前の約束と金感覚のすり合わせがとても重要だと思う

男女では言葉の使い方表現のやり方が違ったり社会から受ける扱いも違うから、慎重に意識意図の確認が必要なことは言うまでも無い

細かいことを言うなとか言わせるなとかってのは、逆に同じ事を相手から自分へ言われた時に意識がすれ違ってるという焦燥感を本当にぶっとばせるのですか

理解されない寂しさとか孤独な義務感情自分自身でちゃんと処理できるのですか

もし、そんなにもあなたが自立意識が強いのなら家族を求める理由がわからない

2010-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20100622165340

そのまま25歳になったときに

20歳ならあれも出来たこれも出来たこうすりゃ良かったと必ず思うので

そのことを肝に銘じて焦燥感に駆られて生きたらいいんじゃないかな

2010-06-03

今のWEB面白いですか?

酒呑み乱文失礼。

俺はIT業界10年目、三十路手前でWEBシステム開発屋を個人でやっている。

IT業界の一部はプチバブル状態で、こんな俺でも毎月100万程度は稼げている。

運良く恋人もいるし、忙しくて旅行に行けない事を除けば今の生活に不満は無い。

うん、多分、リア充なう

それでも、常につきまとう焦燥感

無知顧客に対して、

広告代理店が無茶な営業(無理矢理な新技術の売り込み。セカンドライフに始まり、WEB2.0ブログiPhoneアプリツイッターetc)

してくれるおかげで単価の良い仕事は割とある。

しかし、どれもこれも代理店利益を得るために流行りの単語を並べて企画を立てただけに過ぎず、、

成果物を見ても「誰得?」なものばかり、ユーザ数よりクレーム数の方が多かった事案すらある。

薄々顧客気づき始めている。

WEB制作側のオナニーはもう見飽きた。

数年後にはイカ臭制作物でWEBは埋め尽くされるのか?

7年くらい前、ブログ流行る前。

geocities流行り、独創的なホームページが溢れ、

ウェブサーフィンするだけでも楽しかったあの頃。

好きな人サイト更新されるだけでワクワクしてゲストブックにコメント書いてたなぁ。

今はRSSリーダと向かいながら、ツイッターで気軽に馴れ合い

情報スムーズに手に入るけど、何かが違うんだよなぁ・・・

うーん。

酔ってて上手く伝えたいことがまとめられないのだが、

今のWEBって面白いですか?

今のWEBに満足ですか?

2010-05-28

眠れない。いらいらする。

こんなことしてる場合じゃないだろうという焦燥感

できないことが多すぎる。諦めて長いものに巻かれかけてる自分も嫌だ。

かといって上司や先輩が嫌いな訳でもない。

むしろ、上司も先輩も好きだ。尊敬してる。

上司も先輩もみんなそれぞれの仕事をがんばっていて、お客様先も皆さんがんばってくださってる。

でも、なんというか、それがうまく歯車噛み合ってない。

空回りっていうよりも歯の当たり具合が悪くてきしみ合ってる感じ。

そういう状況をきれいに腑分けするための技術勉強してきたはずなのに活かせない。

どこからどう踏み込んでいいのか全く見えない。

状況に飲み込まれて訳分かんないまま進んでいって消化不良のまま終わるのは嫌だ。

役に立ちたい。

とっちらかってる現状を整理して、チームの人と共有して、

チームの人がよりよい仕事ができるようになりたい。

そういうことを勉強してきたはずなんだ。

このままじゃ腐ってく感じがする。

今の自分議事録要員とおやつ調達要員と雑談要員だけど、なんか役に立ちたい。

2010-05-24

[]【宮崎日日新聞】【連載企画】緊急リポート(下)

http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.phpより転載です

何人かの方がブックマークされていたhttp://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.php?id=158&paging=8現在別の記事です

■事態悪化に焦燥感 専門家「初動防疫は妥当」

 感染疑い1例目の確認から10日目の29日、川南町で新たな感染疑いが確認されるなど、終わりが見えない口蹄疫問題。専門家は県の初動防疫の妥当性を認めるが、前回発生した10年前とは異なる要素が事態の悪化を招いている。あるJA職員は「ここまで出続けると20日からの防疫が機能しているのか。今となっては分からない」と焦燥感を漂わせる。

 都農町で1例目(後にO型感染確定)が確認された20日、県は国との協議を経て、発生農場から半径10キロ家畜の移動制限区域、同20キロを搬出制限区域に設定した。10年前の経験世界各国での事例から作成した県のマニュアルや、国の指針などに基づいた措置だ。鹿児島農学部獣医学科の岡本嘉六教授公衆衛生学)は「初動としては国際的に見ても妥当な防疫措置だった」と認める。

 前回は50キロの搬出制限区域も設けられたが、県内のある獣医師は「大きな網を掛けて(人員面などで)防疫を徹底できるのかという見方もある」と初動防疫の広域化には懐疑的だ。

    □   ■

 万全だったはずの県の初動防疫態勢。ただ、予想外の要素が浮上するなど、事態は当初の想定を上回る。

 県の疫学調査の対象となった都農町の別の農家では、3月31日に採取していた検体から感染疑いが判明した。移動制限開始の20日以上前からウイルスが侵入していた可能性を示しており、児湯地域での防疫措置が成功に終わるかは未知数だ。

 さらに、児湯地域えびの市感染疑いの関係について、国の疫学調査チーム長を務める動物衛生研究所津田知幸企画管理部長は、移動・搬出制限前に何らかの形でウイルスが同市へ運ばれた可能性を示唆。「疫学調査で牛や飼料の動きを追う中で分かった」と述べた。

 宮崎農学部後藤義孝教授獣医微生物学)は「県の(封じ込めの)方法や手順が間違っていたわけではない」とした上で、「制限の時期が遅すぎたのかどうかは今後検証すべき問題。その大前提としてえびの市と都農、川南町での感染疑いの因果関係を明らかにする必要がある」と指摘する。

    □   ■

 県畜産課幹部は「何としても初動防疫で撲滅し、前回(3例35頭)の規模で抑えたかった。伝染力が非常に強いウイルスということを実感し、非常に危機感を持っている」と落胆の色を隠せない。

 後藤教授はこれまでの海外の事例で、本県以上の牛や豚を殺処分している事例があることも踏まえ「今回が口蹄疫本来の姿だ」と語る。

 本県畜産業にかつてないつめ跡を残しつつある口蹄疫。県央部のある和牛繁殖農家(50)は「前回(の口蹄疫)や鳥インフルエンザ、飼料価格の高騰も乗り越えてきた。未来はあると信じたい。われわれは消毒などできることをするだけ。人事を尽くして天命を待つしかない」と祈るような声で話した。

2010-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20100515095102

動け。とにかく動くんだ。ただちゃんと考えてね。

それができないんだよってことだろうけど、焦燥感をなくすには実際に問題を解決しようとするのが一番いいよ。じっとしてるよりずっと気楽。

就活が猛烈にやばいのだ。困った。

就職先はあるっちゃあるが、第一志望の業界に入れそうに無い。正確にいうと、第一志望の業界で水面下にお願いしていた企業が募集をしないことを今日知ってしまった。

自分の行動がどうにも遅い。やろうと思って日が暮れて、ならば明日本気を出そうと気張って布団に入り、それを何日も繰り返し、気がついたらこんなところまできてしまった。

段々と不安がたまりだし、たまったとて行動をしない負のスパイラル。どうにもならない。

どうにもならないというよりも、どうにでもできたのに行動をしなかった。今も行動をせずにこんなところでとぐろを巻いている。

行動をしなければいけない、ということは分かっているのにね。そうして日が経って、何もかもが手遅れになっていく。その繰り返しだ。

僕は動かなければいけないのだ。なのに動く気が起きない。焦燥感だけがつもっていく。悲しい。

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