はてなキーワード: 無責任とは
特に児童福祉などの専門家ではない一社会人の個人的な見解ですが、アドバイスをさせていただきます。
まず、外部に保護を求めるべきかについてですが、判断のポイントとなるのは過去の経緯ではなく、今後の危険性だと思います。
例えば、痕が残るほどの強さで殴るという行為は、親であれ他人であれ「傷害罪」であり、紛れもない犯罪です。
物理的な暴力以外に、心的外傷となるような威圧的な態度で怒鳴りつけたり水をぶっかけたりなどの行為も、同様に「暴行罪」や「傷害罪」となる可能性があります。
これらの危害が貴方または貴方の兄弟姉妹に対して今後も継続して発生する可能性があると考えられる場合、貴方はためらわず外部の保護を求めるべきだと考えます。
一方、過去にこういった危害を受けたことがあったとしても、何らかの理由で状況が改善されており、今後は同じような危害が繰り返されるリスクが著しく低いと考えられる場合には、必ずしも今すぐ外部の保護を求めるのが正解であるとは断言できません。
もちろん、過去の虐待行為について親の責任を訴える権利が貴方にはありますが、それを今、このタイミングで行使することが「貴方にとって」最善の選択となるかはケースバイケースだと考えられます。
繰り返しになりますが、これから将来に渡って、貴方や兄弟姉妹に危害が発生する危険があると考えられる場合には、躊躇なく外部の保護を求めるべきだというのが、私の個人的な見解です。
さて、外部に保護を求めると決めた場合、最初に覚悟しなければならないのは「進学」についてです。
現在、貴方が内定を得ている進路について、保護を求めた結果、それが「一旦」実現しなくなる可能性は、残念ながらゼロではないと思われます。
なぜならば、外部に保護されるということは、親との関係をリセットするということであり、結果として貴方の養育に関する「経済的な支援の形」や「貴方の居住地」について、何かしらの変化が生じる可能性が多分に存在するからです。
おそらく貴方は現在、親に学費を払って貰っており、親と同じ家に住んでいるものと思いますが、親との関係がリセットされた結果、これらの状況がどのように変化するかは今の時点では一概には判断することは難しいです。
上手くいけば、なんの問題なく希望の高校に進むことができる可能性も十分あると思いますが、そうでない可能性についても覚悟しておく必要があると思われます。
ただし、ここで強く主張しておきたいのは、進学への影響を理由にして外部に保護を求めるか否かの判断を下すべきではない、ということです。
人生において、身の危険を天秤に置いてまで掴み取らなければならないことは、ほんのわずかしかありません。
これは価値観の問題となるため断言して押し付けることはできませんが、高校への進学は人生の一大事であっても身の危険を冒してまで手に入れなければならないものではないと私は思います。
私自身、学歴については大分回り道をしてきた人間ですが、30歳近くになって無事に大学を卒業することも叶いました。
他人とは多少違うルートを歩むことにはなりましたが、それはそれで趣深い人生だったと満足しています。
紆余曲折を体験してきた一社会人の意見として、どうかご理解いただければ嬉しく思います。
ここまで、回りくどい話をしてきましたが、最後に貴方が外部に保護を求めるための具体的なアプローチについてお話します。
といっても、大変申し訳ありませんが、私はここではあまり貴方の力になることができません。
私が貴方にアドバイスしたいのは「できる限り信頼できる身近な大人を見つけて相談してほしい」というこの一点に尽きるからです。
偉そうなことを言っておいて無責任な……、と思われるかと思います。すみません。
しかし、これはある意味で仕方のないことだと理解してください。
実際に貴方が保護を求めて行動を起こした場合、そこから事態はノンストップで進行していくことになります。
変化する状況に対して、常にリアルタイムで対応していかなければならず、対応が遅れれば最悪危険が生じる可能性すら考えられます。
そのようなとき、ネット越しでやり取りをしている我々だけでは、貴方達を守り切ることができません。
ですから、事を起こすためには、ぜひともすぐ側に信頼できるサポーターが存在していることが望ましいのです。
また、ひどい言い方になってしまいますが、ネットを通じた関係は、残念ながらどこまで行っても赤の他人のままであることがほとんどです。
自分のために本当に親身になってくれる人を探さねばならないときに、ネットの向こう側の人間に頼るのは決してオススメできる選択ではありません。
ですから、貴方にはぜひ、身近で親身になってくれそうな大人を探してもらいたいのです。
もちろん、心当たりが無いからこそネットを頼ったのはよく分かっています。
どうしても思い当たる先がないのであれば、直接、児童相談所に駆け込むのもひとつの方法だとは思います。
でも、もしも誰か心当たりがあるのであれば、ぜひその人に勇気を出して相談してみてください。
ただし、相手が親ではなく貴方の味方をしてくれる人間であるということにだけは細心の注意を払う必要がありますが。
このような問題は、決して当事者が当事者自身の手で解決できるものではありません。
必ず、外部の支援を求めるべきなのです。
その方が上手く問題が解決できる、そういう性質の問題だからです。
誰か、心当たりはいないでしょうか。
誰かに頼られるということは、その相手にとっても幸せで価値のあることなのです。
どんどんと頼っていいのです。
友人、友人の家族、親戚、学校の先生など、誰か信頼できそうな相手はいないでしょうか。
もしも、思いつく相手がいなければ、そのときは迷わず児童相談所を頼りましょう。
味方はなるべく身近にいた方がいいといえばいいのですが、公的機関だけでも貴方を守ることは十分に可能です。
相談を持ちかけたのに、冷たくあしらわれたら……
せっかく勇気をだして相談したのに、迷惑そうな顔をされたり、冷たくされたりといった対応をされることが心配かもしれません。
残念ながら相手も人間です。そういった対応をされることが無いとはいえないでしょう。
しかし、仮に相手が嫌な顔をしたとしても、それは貴方のせいではありません。
大人には子供を守る義務があります。ですから、貴方はなんの遠慮もなく大人を頼っていいのです。
ただし、すべての大人が貴方を受け入れる「度量」を持っているわけではありません。
ですから、そういったときは、相手の「性格」ではなく相手の「能力」に問題があったのだと理解してください。
それでも真剣に心を割って頼み込めば、多少度量の小さい程度の大人なら、覚悟を決めて力になってくれる可能性は十分あります。
簡単には諦めないでください。
児童相談所は真剣に話を訊いてくれると思いますが、万が一、冷たくされた場合には、そのときこそネットの力を使いましょう。
ネットで児童相談所の対応を暴露すれば、日本中の人々が味方になってくれるはずです。
最大限、相手に負担を掛けるつもりで、図太く支援を求めてください。
ただし、同時に相手が貴方の信頼を裏切る可能性を心のうちに秘めておくこと。
おんぶに抱っこではなく、召使いのように利用するような心構えがいいと思います。
以上、あくまでも一個人の見解ではありますが、参考になれば幸いです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200228-00989820-jspa-life
コロナウイルスで一斉にイベント自粛ムードの中、明日から行われる東京事変の復活ライブに対する記事。
コメントなんかを見ると、割としっかり叩かれ方をしていますね。
「トップアーティストのすることなのか」「人としてありなのか」「お金の事情でしょ」「ファンだったけど、失望しました」
お前ら全員なんなの?
というか、このコメントをしている人たちがまさに「選ばれざる国民」ですわ。
多くのファンが集結し、密閉空間の中でライブを行うなんてありえないかもしれない。
自分やツアーのメンバーも感染するリスクも理解した上でツアーを行うんだと思う。
そこまでわかってて、ツアーを決行するのは、他ならぬファンのためであって。
8年間ずっと待っていたファンにとって、明日復活ライブをするということ自体に、どれだけの意味があるのか。
いろいろ天秤にかけて考えた上で、
開催することが悪いことか、いいことか、そういうのは結果論でしかないので、
そして、その林檎さんの選択を後悔させないよう、参戦する人はやることをやりましょう。
マスクをするとか、手洗いをするとか。できる限り頑張りましょう。
国民は何よりも経済を優先してきたから安倍を支持してきたんだろ?
安倍はその期待に応えるために、春節に中国人を受け入れ、オリンピックを開催できるよう患者数を増やさない方針を出しただけだ。
なのに蓋を開けたら今まで支持していた国民まで寄ってたかって安倍を叩き始めた。
生粋の安倍アンチである私でも、この国民の掌返しには少し同情してしまう。
自分たちが作ったモンスターが害を及ぼし始めた途端、自分の責任を棚に上げて私は関係ない全部あいつのせいだと言い始めているだけだ。
あんなモンスターを作ってしまったのは自分だという事実を国民は認め、(数少ないアンチはあんなのをのさばらせてしまったことを悔い、)責任を感じるべきだ。
(あえてクソでか主語で書いたが、正直あんな総理の支持率が40%もある事実は、私としては国民という主語を使うに足る衝撃だった)
https://news.nicovideo.jp/watch/nw6645170
こう言う連中こそ何度でも同じ過ちを繰り返す。
またこの人に関しては大阪を無茶苦茶にするだけ無茶苦茶にして余計に状況を悪化させて逃げただけじゃなかったっけ?
この人自身が納得してももはやその意見に同調してくれる納得するその他の人も減っているでしょ。
それと情報の真偽を気にしなくても良いとか言っている時点で、この人の担当していた市長や知事時代で以前よりもより状況を悪化させてしまったのかと言う事をある意味納得できるし、以下に情報を軽率に扱っているかと言う事も良く判る。
ネットに関してはそれこそ裏付けが必要だからこそ、当時2ch辺りのソース至上主義とかあった訳。
汚染処理水に関しても自身の責任がないからこそ軽率な発言をしていると言う事が良く判る。
この人自身大阪の人間ではなかったから当時福島のガレキを受け入れ、汚染されていない地域であった大阪にわざわざ放射性物質を持ち込む様な事をした訳だしな。
多分大阪の知事や市長でなかったとしてもどこかしらの地域の知事だったとしたら、この人はこの手の行動をしていた事でしょう。
しかしわざわざ汚染されていない地域を汚染する事は狂気の沙汰でしょ。
確かに野党関係の原発反対派の意見が電波すぎてどうしょうもない連中なのもあるけど、この手の連中にもおかしなのが多いのは確か。
どうせ海だから広がるだろうけど、排出するならばまだ汚染された地域である福島でやるべきでしょ。
わざわざ汚染されていないまたは汚染の低い地域に持ち込んでばら撒こうとする事自体狂気でしかない。
流石に汚染されていない地域をわざわざ放射性物質で汚染する行為だけは理解に苦しむ。
ああ言う処理は一度汚染されて取り返しのつかなくなった場所で行うものだよ、普通は。
(80年代〜00年代までの)アニメとマンガとソシャゲと床屋政談(いま30代後半でも床屋政談なんて言葉使わないか)が好きな30代男性だけというだけでは? 男かは知らんけど。
そもそもただの消費者っぽいので、そういう人は今も昔も楽しんでる/楽しめてないに関わらずカルチャーの円周にいただけだろうし、今のアニメやマンガを楽しく享受している人たちもそういう意味ではあんま変わらないと思いました。
雑な枠組みと狭い視座で世間的に話題になった事象を無責任かつテキトーに語るのってウルトラ楽しいと思うけど、他人に勝手な結論を押し付けちゃうのは老害というより単純に迷惑な人だなあと思いました。
誰に選ばれた代表でもないですけど社会を構成する一個人として、コロナ騒動に関する所感を表明します。
なぜなら、今、生活・人生・命が脅かされているからです。私たち一人ひとりに関わることであり、右とか左とか、性別は関係ありません。
情けないことに私には医療の知識がないので科学的なことについては語れませんが、理不尽に対しては人一倍敏感なので、思うところを述べます。
①予防する上で、対応が後手後手であった事
大きく括るとこの3つです。
皆なんだかんだ勉強したり働かないと生活が前に進まないから、怖いなと思いつつマスクをして学校行ったり会社行ったりまだしてますけど、それどころじゃなくなることもあり得る。
そこまで事態がまだ悪化してないだけなのでは? あるいはもうそうなりつつあるのに見えていないだけの可能性もある。
もしそこまで大げさな話じゃないって言うのであれば、根拠をきちんと納得できるように説明してほしいんですよ。
都市を完全に封鎖するって、オオゴトだと思うんですよ、内戦下のサラエボレベル。
中国のデトロイトって言われるような工業都市、経済的に大事なエリアを何が何でも封鎖するって事は、あの中国共産党がそれだけ危機感を持たざるを得ない状況になったってことですよね。
それを受けてその時点で中国からの渡航者を入国拒否した国は結構あった。そこで日本政府は二の足を踏んで、断固たる措置を取らなかった。チャンスはあったはず。
確かに中国は日本との経済的結びつきが強い、メーカーも物流も観光も中国抜きでは考えられない部分がございます。それでも考えを変えないと。
歯止めをかけないで、水際対策も何もないですよね。
検査をすべき人にしないまま帰らせる、隔離を一定期間しないまま放出
飛行機の帰国者にしても客船の下船者にしても、お願いベースでご協力を依頼する形、
他の国では国の権限で人権をある程度制限した上でとっている処置がまるで日本では見受けられない。
中途半端に人権を尊重しているふりをして結局公共の福祉を損ねている。
一定期間隔離して安全性を確かめる必要があるのは素人にだってわかる。現に他の国の政府は強行している。
そこで個々人に断られたら機能しないようなら、対策として成り立たない。
ちゃんと頭で考えればわかることが判断できない組織が多すぎる。ルールに自縄自縛になっていませんか。
結局自分の頭で考えて責任を持って決断を下す事から逃げてるんですよ。これは政府だけの問題じゃないと思います。
私が仕事で関わった官公庁の対応を通して得た感想を述べますが、政府の方針に沿ったルールを増やしていくだけで、防疫について何ら根本的な対策を立てない。
そのお触書を下に丸投げして責任を押し付けている。結局どの組織も責任を取りたくないだけで、自らの職務領域で行使できる本質的な対策を考えない。
頭に血が上りすぎて、政治に対する怒りと行政に対する不満がごっちゃになってしまいました。すみません。
本当に現場で命を賭して頑張ってくださっている人には頭が下がるし、みんなそれぞれの立場で板挟みになってるとは思うんですけど。でも現場の頑張りとはまた違う話。
政治に求められている役割っていうのは、法律とか経済とか学術だけでは前に持っていけないことを利害調整して問題解決していくことにあるはずです。
でもそれができてないから、極端に言うと不信感しか残らない、頼れない。
何のために国民が税金を納めて政治を託しているかというと、我々1人1人では対処できないようなことを運営してほしいから。
大いなる力には大いなる責任が伴う。政府には個人ではなしえない権限と責任があるはずで、それが及び腰になっているのは無責任なのでは?
国家は国民の健康で文化的な最低限の生活を守る義務があるはずですよね。それが今脅かされている。最優先で解決すべき問題のはず。
ここまで危機管理・対応ができていない時点で、日本社会にとって国難、未曾有の事態ちゃうんかと。地震とか台風とかそういったものに匹敵する事態。
政府が旗を振って最優先で解決しないといけないし、一方で社会の知見、国際社会と協力して解決に当たるべきだと思うんですよね。
今回のウィルスは人類共通の敵ですから国際的に協力して対応してるわけですが、悪意を持った主体に対してこんな体たらくで対応できるんでしょうか。
このままオリンピックを迎えられるような状態に持ってていけるんですか。
抱え込んで結局出来ませんでしたとなる前に、助けとか協力を求めたほうがいいんじゃないですか。
もっと民間とか学術とかそれぞれの知見や経験を持っているような人々に協力とか仰いで、なりふり構わず問題解決に動かないといけないんじゃないですか。
それぞれ縦割りの組織の論理でなんとかしようとして結局うまくいってないんじゃないですか。
そりゃ利害調整は大変だと思いますけど、何をしないといけないのか客観的に見極められる人材はいるんですか?
もっと方針を明確に打ち出して、指摘をどんどん吸収してブラッシュアップしていかないとまずいんじゃないですか。
果たして適切にマネジメントできてるか素人目でも不安になる。問題を抱え込んで爆死してない?っていう。
国民に対してホウレンソウもできてないしPDCAも回せてるように思えないし、
超絶優秀な人々であることは承知していますが、それでも頼りないです。
しっかりしてほしい。ついていけるだけの方針と根拠を説明してほしい。説明責任を果たしてほしい。
対応が場当たり的で、根拠が不透明、適切な処置がなされているとは思えないようなグダグダした説明。
原発の時も似たような違和感を抱いたのですが、パニックを起こしたくない心理からなのか
国民の危機感を中和させるのに躍起になっているように映る。正常性バイアスを助長したいだけのような印象を受けます。
侮っているのか、内心焦ってるのを隠してるのか、それとも半ば諦めてるのか、政府の発表に危機感を感じない。本質をぼかしたまま声明を出す癖がある。
ミスをミスとして認めず、追求を交わすことに全力を尽くしている。リーダーシップというものをどう捉えているのか?
エラーが起こるのは不可避、想定が甘かったこともあると思う。何かが起きてしまった後にどう動くかで真価が問われます。
失敗を認めてもう一回想定を修正して後動きますって伝えてくれれば、こっちはそれに同意するかどうか別として、状況を把握できるんですよ。
そうしてくれれば国民が疑心暗鬼に襲われず各自で対応をとりやすくなるのに、メッセージを発信しないから皆不安なまま。
ミスや失敗を認めることは、自分の生涯を懸けて守ろうとした国の社会や人々がボロボロになることよりも恐ろしいことなんでしょうか。
であるとすれば、個々人というよりも組織風土や文化に問題があるのかもしれませんね。ちゃんとコミュニケーションとろうとしてますか。
昨年の台風のときは、政治家の対応こそお粗末でしたが、気象庁からの情報提供や指示はタイムリーかつ的確だと感じていました。
なので、命の危機こそ感じても、個人的に不信感は少なかった。皆さんは今回、どうお考えですか。
私は日本死ねとは思わないです。私は生きたい。大切な人たちにも生きてほしい。
これまで希望とか特に持って生きてたわけではなかったけれど、もう一度日々を安心して過ごしたいし、将来を設計できる世の中に戻って欲しい。
今回は、政府に望むことを書き連ねました。次は、社会として我々が何ができるのか考えたいので、皆さんご意見ください。
“そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この 憲法はかかる原理に基くものである。”<<
“【生存権、国の生存権保障義務】 1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び 増進に努めなければならない。”<<
“政治は国民のもの、即ちその使命と任務は、内に民生を安定せしめ、公共の福祉を増進し、外に自主独立の権威を回復し、平和の諸条件を調整確立するにある。
われらは、この使命と任務に鑑み、ここに民主政治の本義に立脚して、自由民主党を結成し、広く国民大衆とともにその責務を全うせんことを誓う。”
アメリカの大統領候補者争いにおいて、民主党のサンダースが勝利した
サンダースの公約を見ると、国立大学の無償化、奨学金の返済免除、富裕層への大幅な増税など
経済格差の是正と低所得者層を中心とした経済支援の傾向にあるようだ
さてさて、今回のサンダースの躍進に対して、一部の日本の政治評論家連中はポピュリズムである。と論じているのだが、
トランプは規制緩和や富裕層の減税など既存の巨大産業支援に力を入れており、あまり格差是正には興味がない人である。
日本の有力者ほど無責任な自己責任論者ではないが、サンダースの左派リベラル的な格差是正問題への関心は見られない。
もうこうなったらポピュリズムってどういう政治傾向なのか全然わからないのである。
逆にポピュリズム的でない政策とは何か、一覧表にして提出して欲しいぐらいである。
日本の政治評論家連中は選挙で勝ったらポピュリズムだと思ってるんのではなかろうか?
そりゃ一人一票なんだから票をいっぱい集めれば大衆に人気があるに決まってるのである。
10年前、研究者を志し研究に励んでいた。しかし当時たまたま知り合った先輩(玉木浩貴、自称:国立印刷局の研究職候補)が「博士課程にメリットはなく、正規の研究者(アカポス)になれない」などと博士課程を卑下した発言を何度も繰り返しており、だんだんと感化されるようになった。結局それなりの研究実績はあったものの、大学院を去り、就職した。
一方で、研究が楽しいとそのまま大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの人達がいた。
当時は自分の選択は最良と思っていた。周りのように、今が楽しいからと厳しい現実を逃避し、なれもしないアカポスに憧れるのは哀れだと思っていた。
<大学院で研究を続けた周囲の学生・ポスドクの今(大学・大学院の所属研究室で自分より±3学年)>
<俺の今>
<先輩の今>
これらはあくまで俺が大学・大学院で所属した研究室のみの状況。他の研究室や学会で知り合った人を入れればもっと多くなる。
先輩の当時の論調では、大学院に残った人はその後落ちぶれてゆくということになるが、現実はそんなことはなかったのだ。
確かに、俺が大学院を去って最初の数年間は周囲はパーマネント職には就けず、惨めなものであった。しかし、5年経った頃(つまり5年前)にはアカポスをゲットする人が急に増えた。大御所だった教授達が大量に定年を迎え、ポストが一気に空いたからだ。
現在、俺と周囲の人ではどっちが良かったかどっちが上かは一目瞭然。その中には10年前俺よりも研究実績がなかった人も少なくない。先輩の言うことを信じて大学院を去ったことを非常に後悔している。
「大切なのは邪念に惑わされないこと。諦めたら負けだ。」
子が努力不足とか怠惰が原因でニートになってるとして、そもそも生まれてなかったら努力する必要はないわけじゃん
努力しないといけないそもそもの原因を作り出した人間に「そんなんでどうする」とか「自立しろ」って言う資格はあるのか?義理の親とかならまあ全然あると思うんだけど、実の親はダメだと思うんだよな
俺は自分に子供ができるとして、そいつが怠惰でニートになりたがっても文句は言うまいと思ってる 文句は言わないんだが現実問題としてニートを養う余裕は持てない だから子供を持つことそのものを諦めてる
こういう考え方で行くべきなんじゃないのか 自分の楽しみのために子供を作るっていう超無責任な行為をやっておいて生まれた子供に社会人としての責任みたいなものを求める態度にはどうにも共感できない