はてなキーワード: 支配人とは
http://anond.hatelabo.jp/20160409094753
「Ken Kiyoshi」という人物がいる。
彼の所在地は以下の通り。
Ken Kiyoshi ICIJ Offshore Leaks Database Connected to 1 address Connected to 20 entities Linked countries: Japan Data from: Offshore Leaks https://offshoreleaks.icij.org/nodes/117463 "281809";番号281809 "ADDRESS";"Room 1009, 4-20-2 Ebisu Shibuya-ku Tokoyo 150-0013 Japan"; 所在地 〒150-0013 日本国東京都渋谷区恵比寿4丁目20番2号 1009号室 https://offshoreleaks.icij.org/nodes/281809
パナマ文書が示す「〒150-6010」は、2016年現在の郵便番号区分では
恵比寿ガーデンプレイスを除く東京都渋谷区恵比寿を示す地域区分。
当該所在地の高層建築物は「恵比寿ガーデンテラス弐番館」に特定される。
「恵比寿ガーデンテラス弐番館は、1994年8月築、地上13階地下2階
建総戸数220戸?の大規模マンション。
「恵比寿ガーデンテラス弐番館10階」の賃料は、公開されている
あたりでは、2LDKで42.2万円、41.4万円、1LDKで34.6万円、1Kで
http://www.plus-home.co.jp/rent/6509/
http://www.marycorp.co.jp/detail_marycorp_1_marycorp_2_271
http://www.rnt.co.jp/building/detail/1576/
http://concierent.jp/rent/333/48434/
恵比寿ガーデンテラス弐番館を所在地とする法人は以下の三法人。
http://www.houjin-bangou.nta.go.jp/
3011001064749 株式会社CONTAINER 東京都渋谷区恵比寿4丁目20番2号恵比寿ガーデンテラス弐番館
法人番号3011001096420と5010401017455は
パナマ文書が示す部屋番号1009とは異なるので、
韓国人12人に活動している日本の男性アイドルグループApeace(エーピース)
https://ja.wikipedia.org/wiki/Apeace
企画・制作:株式会社CONTAINER/Golden Goose 特別協力:サミー株式会社 協力:文化服装学院 / メイクアップアーチスト学院 衣装協力:NAVAL ■日程 2011年6月18日(金)~ロングラン公演 ■会場 K THEATER TOKYO 東京都渋谷区恵比寿4-20-2 恵比寿ガーデンプレイス内 ■座席・料金 ロングラン公演:¥4,600(税込)
特ラ連レポート122
新規加入会員紹介コーナー
(平成23年6月~7月)
http://www.radiomic.org/activity/backnumber/No122/newkaiin.html
株式会社 CONTAINER(K-Theater) 会員番号030-0616 代表取締役 田村孝司 入会:7月25日 移動 AKG … 4本 シュアー … 12本 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前4-12-20 担当 支配人 斉藤昇三 TEL 03-5421-7062 FAX 03-5421-7063 〔ひとこと〕厳しいレッスンと数々のオーディション審査より キャスティングされた精鋭達21名によるエンターテイメント グループ、「Apeace」が、K-Theater Tokyoでロングラン 公演をおこなっております。
この情報ではCONTAINERの所在地が神宮前になっている。
国税庁の法人データベースには当該所在地に8件の法人があるようだが
K-Theater Tokyoは恵比寿ガーデンテラス弐番館の
恵比寿ガーデンシネマの跡地につくられた日本初のK-POP専用劇場。
今は映画館になっているようだ。
http://www.houjin-bangou.nta.go.jp/
東京都/渋谷区/神宮前4丁目12-20/登記記録の閉鎖等含める/商号等
8件 見つかりました。
1011002035263 有限会社アートビートパブリッシャーズ 東京都渋谷区神宮前4丁目12-20表参道ヒルズゼルコバテラスW405
2010401095900 株式会社アルファ・アンド・カンパニー 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20号W406
4011001005116 株式会社オモテサンドウ 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20-W304号
9011001050347 株式会社幸和画廊 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20-105号
4011002034898 有限会社後藤繁雄事務所 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20-405号
4011001072577 ミストラル株式会社 東京都渋谷区神宮前4丁目12番20号
ちなみに特ラ連は特定ラジオマイクの利用者が設立した非営利団体で
イベント関連会社等は無線を使う関係で特ラ連とは利益共有の関係にある。
http://www.differ.co.jp/schedule_20150425.html
ApeaceLIVE2015♯3~Back to the Future~ 日付 4月25日(土) チケット料金 8500円 FC先行特典付き 開場/開始 開場 13:45/18:15 開演 14:30/19:00 お問い合わせ先 株式会社CONTAINER http://apeace.jp/ 0570-064-257 平日14:00~18:00まで
このイベント告知を見ると、
株式会社CONTAINERの問い合わせ電話番号は0570-064-257になっている。
0570-064-257という番号は、
コネクトプラス株式会社または株式会社ロム・シェアリングの連絡先と同一だ。
特定商取引法に基づく表記 NU'EST JAPAN OFFICIAL FANCLUB
http://www.nuest.jp/info/law.html
〒106-8011 東京都港区六本木3-16-35 イースト六本木ビル
〒106-0041 東京都港区麻布台2-3-5 ノアビル 1F
電話:0570-064-257(平日14:00~18:00)
つまり、株式会社CONTAINERと株式会社ロム・シェアリングという法人は
実体として一体的に活動しており、ソニー傘下で仕事をしている。
上記NU'EST JAPAN OFFICIAL FANCLUBサイトのプライバシーポリシーの管理は
ソネットエンタテインメント、すなわち日本、台湾、香港で運営している
そのSo-netを2016年に完全子会社化した親会社の企業名は
パシフィック・センチュリー開発(Pacific Century Development / CCD)
というグローバル企業があり、
その日本法人である日本パシフィックセンチュリーグループ株式会社で
パナマ文書に書かれていた名前Ken Kiyoshiと姓名の読みが同一だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/PCCW
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%98%89%E8%AA%A0
李沢楷 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%B2%A2%E6%A5%B7
http://timetide.way-nifty.com/jprofile/2013/07/post-07d0.html
PCCW&CCC カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)H19有報時の役員抜粋 取締役 日下孝明 サンレジャー:港区参照 ご近所シリーズ05参照 取締役 喜吉憲 Ken Kiyoshi 国際基督教大学出身 1971年4月-(株)日本興業銀行 入行 1997年4月-同行 香港支店長兼IBJ Asia Limited 副会長 1998年3月-日本パシフィックセンチュリーグループ(株)代表取締役 2003年4月-カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)顧問 2003年6月-同社 常務取締役 2004年6月-同社 代表取締役副社長 管理部門管掌 2006年3月-同社 取締役管理本部長 2006年7月-同社 取締役社長補佐 取締役 三木谷浩史 三極委員会メンバー 取締役 角川歴彦 取締役 奥谷禮子 ■考察 国際基督教大学出身といえば、神政連の一押し→有村治子議員 →(公財)ドナルド・マクドナルド・ハウス・チャリティーズ・ジャパン 理事 PCCWといえば→パシフィックセンチュリープレイス丸の内
日下孝明はワンダーコーポレーション代表というより
パナマ文書に日本の政治家はいないという話が独り歩きしていたが、
ほらほら、やっぱり出てきた。
だがこの人とパナマとの関係性を考えるにはさらなる調査が必要。
不逮捕特権を持つ人物相手の捜査となると特捜以外に考えられない。
CCCW Japan Limitedがしっかり入っている。
CCCW Japan Limitedの資本の源はもちろんCCCW Limitedだ。
PCCW Japan Limited | ICIJ Offshore Leaks Database
https://offshoreleaks.icij.org/nodes/131516
Ken Kiyoshi | ICIJ Offshore Leaks Database
https://offshoreleaks.icij.org/nodes/117463
グローバル企業ソニーの系列傘下の芸能イベント会社の所在地は、
日本政界とも関係があるかもしれないPCCW役員&CCC顧問の名前と同一。
「アインシュタインよりディアナ・アグロン」で炎上してるHKTですが
なにしろHKTのメンやヲタは「ブスだけど有能」が売りで一癖も二癖もあるHKT支配人指原が秋元に最も寵愛されているメンなのはわかりきっているし
AKBセンターのHKT宮脇がそのルックス以上に頭の良さと強い意志で今の地位にいるのがわかりすぎるほどわかっている。宮脇と同程度のルックスや可愛さだったらわざわざ博多から持ってこなくてもAKB本体に何人もいるのだ
炎上してから批判している連中も分析している連中も大半はHKTのセンターをめぐる複雑な物語構成や個々のメンの特徴を知らんわけで
博多ヲタならこの歌詞から表層的な意味と裏腹の意味を見出すのだからこのような批判は出ようはずもないのだ
ディアナアグロンの名前をだしたのも反語的な意味があると深読みしてもおかしくない
田島は初代HKTセンターで速読が得意な読書家。秋元が最もアイドルとしての才能を認める一人。
朝長もかつてのHKTセンター。この歌詞に表面的には一番しっくりくるがセンターを外されたときにひどく悔し涙を流すなど熱く秘めた情熱を持っているメンバー。
矢吹は元子役でなんでもこなせるスーパーキッズ。未来のAKBセンター候補
田中美はファンを引き付ける能力が高く、戦略的にファンを増やしている
確かにこの4人はみな無邪気で女の子らしい一面を指原や宮脇以上に持っているとは思うが
この歌詞に出てくるような何も考えない女の子じゃセンター候補に選ばれることはないのだ
HKTにはこの4人と同年代で先輩の田中菜津美という15歳のメンバーがいる。身長171センチ、口が達者でファッションセンスは最悪、ただし言葉のチョイスと、4万人の観客の前でも臆せず一人でMCができる度胸とスキル、高校生になったばかりではありえない天才的なメンがいる。この歌詞とは真逆といってもいい存在。秋元はこの田中の話芸を「鶴瓶をみるようだ」として最も高く買っていて、前曲では秋元が選抜に強硬に推したにもかかわらず他のスタッフにスルーされてしまった(秋元の意見が必ずしも通らないのだ)秋元が推すのはこういうメンバーなのだ
この「アインシュ・・・」を歌唱しているHKT4人はこのAKBGトップ二人そして秋元が推す同世代の田中菜と同じグループの、センター候補の後輩たちなのだからこの歌詞が反語的な意味合いだというのは私のようなただのファンの百倍はわかっているのだ
あのMVを見ただけで「あんなの歌わされるなんてかわいそうだ」と言ってる連中は実はあの四人の可愛らしい見た目で実は中身までないと思っているのだ
結論として、書泉グランデはただの貸し小屋だったと言えることではありますが、いくつかの見方があると思います。
貸しスペースは利用者からの申し込みだけではなく小屋側から話を持っていくこともあります。グランデにおけるそうした状況が明確でないので「あくまで凡そ一般的と思われる貸し状況から」の思うことです。例外はありますし、今回の肝であろうイベントの内容についてはほぼ触れません。
http://anond.hatelabo.jp/20141130202457
増田アドベントカレンダー2014の11日目の被せです。執筆者は予定表の増田益荒男ではなく、名も無き増田です。
〜オープニング〜
aukusoe「はてなにちはー、パーソナリティー兼、このラジオの支配人を勤める、aukusoeです」
増田益荒男『はてなにちはー、パーソナリティー兼、このラジオのコンシェルジュを勤める、増田益荒男です』
(以下「」がaukusoe、『』が増田益荒男の喋ったこと)
「はい、というわけで始まりした、増田を増々楽しむラジオ、略してマスラジ。
このラジオ番組は、増田ホテルの支配人aukusoeが増田を増々楽しむために、増田の色々なことを紹介していく番組です」
『増田のことを皆さんにより知ってもらうため、増田ホテルコンシェルジュの益荒男、頑張ります!』
「それではー、『マスラジわっしょいしょい!』」
「はいというわけで、始まりました、マスラジですが、早速お葉書がきています」
『告知なかったのに?』
「え?」
『いや、告知なかったですよね、この番組』
「そうですね」
『どうやってしったんですか、葉書送って来た人』
「ちょっとよくわかんないです」
『いやいや、わかるでしょ! っていうか今時お葉書て、メールでしょメール』
「ラジオネームid:cider_kondoさんより頂きました。
『ありがとー』
「ラジオが始まったといえば、ラジオネームに変わるの名前を決めるくだりをやらないといけませんよね」
『それアニラジだけですよー』
「僕が考えたラジオネームは、マースーネーム、ですどうでしょうか」
『普通です』
『いやこれ決める必要ある?』
「いやあるでしょ、はてなにちはー、って挨拶もちゃんと決めたんだから」
『それは打ち合わせで決めたんでしょ?』
「僕は不満ですよ」
『何故?』
『はあ、このくだり意味あるのかなあ?』
「まあお葉書紹介のコーナーなんで、この辺はさくさくっと消化していきますよー。次は益荒男っち読んで」
『はい、増田ネームid:metroqさんより頂きましたメールです』
『無視してメール読みます。僕は最近ラブライブにハマっています、パーソナリティーのお二人はミューズでは誰が好きですか?』
「にこまき」
「のぞえり」
『それもです』
「にこりんぱな」
「親鳥×ほのママ」
『親鳥!』
「益荒男っちは?」
『えー僕ですかー、うーん、ラブライブよくわからないんですよね』
「画像だしましょうか、ブースの向こうの人ー画像でますかー?」
『うーん、このロボみたいな子ですかねえ』
「ロボ!」
『え? ロボって可愛いですよね』
「増田益荒男の闇は深い」
『えー、可愛いのに』
「はい、というわけでお葉書をいくつか紹介しましたけれど、当番組、もといホテルではお葉書を募集しています」
『お葉書は、ますますあっとまーくあいくらうどどっとこむまでお願いします。』
「ノベルティを希望される方は、タイトルに『ノベルティ希望』と鍵括弧をつけてお送りください。後日、こちらから住所問い合わせメールを送ります。
『次のコーナー!』
『増田ファーストブックマーカーNettouochiをお気に入りに追加しようの巻』
「今日のオススメ増田を紹介したいのじゃが、何を基準に選んでよいのかわからーん!
トラバは会話を追わないと理解できないし、AA荒らしはおるし、増田の闇は深すぎる!」
「なんじゃこれは?」
『はてな匿名ダイアリーの新着エントリー −はてなブックマークでございます、支配人』
『ははは』
(画面に http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F への誘導リンクが表示される)
「なるほど、これならトラバを追うのが面倒くさいときや、増田のよくわからん闇を追う事なく新着記事が読めるのう!」
『そうです支配人、はてなブックマークを旨く使いこなして、楽しい増田ライフを送ってください』
「しかし、このはてなブックマークをしておる連中はなんなのじゃ、コメントがうざい!」
『支配人なにをおっしゃっています、彼らは増田ファーストマーカーですよ』
『ぷっ、お前の事だよ』
「急に素になるなよ、っていうかお前もだろ」
『えーもとい、増田ファーストブックマーカーとは、増田を専門にブクマする連中の中でも、増田本体を見て、1番目や2番目にブックマークする増田に常駐するキ(バキューン)ガイの種別です』
「え? キ(バキューン)ガイ?」
『もとい、増田の闇の1つです』
「へー」
『中でもオススメなのがid:Nettouochiです』
「何故彼がオススメなのじゃ! aukusoeだって良いコメントのこしておるぞ!」
『彼は基本的に無口なのでうざくないのです、あとあんたはアイコンが昔うざすぎた』
「むきゅー!」
『今日の増田のいろはにほへと、Nettouochiをフォローしよう』
『ええ、支配人!』
「いらっしゃいませお客様」
『いらっしゃいませ』
(画面に http://anond.hatelabo.jp/20141211001453 への誘導リンクが表示される。
『長かったねー』
「いや長くないよ、途中でディレクターがトイレにいって録音が中断しただけだからね」
「ブースの外くっさいんだろうなあ」
「aukusoeはブログ、Twitter、ハイク色々やっています、aukusoeで検索してください、今ならGoogle+のせいで名字まで分かります」
『益荒男はサブ垢で色々やっているので、教えません』
「教えろよー!」
『イヤです』
『そう?』
「もっと喋りたいよー!」
『1人で勝手に喋っててください』
「むきゅー!」
「『はてなばいばいー!』」
日本の外国人社会ではよく知られていることだが、白色人種で仕事の
資格を持っていないものでも手に入れることのできる仕事が二種類ある。
一つは英語教師であり、もう一つは広告のモデルである。この仕事に
共通していえることは、日本では、白い皮膚がそれだけで金を儲ける
ことができるという事実である。デパートの支配人は、洋服を売るには、
ブロンドで青い目をしたマネキンを使わなければならないと思っている。
TV広告社は、白色人種が商品を使っているのを見せるコマーシャルを
作ることで売り上げを増すことができると知っている。
英語の勉強がこびへつらいの型から開放への道具へと変った時、日本人が
英語を学ぶときに持つといわれる有名な「特別のむずかしさ」は消えうせる
であろう。英語を学びたい日本人はアジアの文化、歴史、政策を反映する
アジア系の英語をつくり出してゆけばよい。そしてその時、もしアジアにやって
峯岸みなみが反省の意を込めて丸坊主にし、それを事務所・運営公認で公式動画で配信されている件について。
峯岸みなみの動画は一般的にみて「痛々しい」と思わざるをえない。たぶんそれが普通の感覚だろう。もし彼女が自分で勝手にやってきたとしてもこれはさすがに「ノー」である、髪が伸びるまでは謹慎させ表舞台に立たせないなどの判断を下すべきだろう。それどころかカメラを構えて泣いている彼女を撮り公式動画としてネットで公開するということになっているわけである。これについてはほとんどの人が”気持ちの悪さ”を感じたのではないか。
アイドルが坊主頭にして反省することは法律で禁止されているわけではない。しかし私はこれを「自傷行為」だと考えるし程度の差はあれどリストカットをしたり指を詰めたりと変わらない行動だと感じる。いかにそれが芸能界の厳しさであったとしても、結果としてそういった行動をさせてしまったシステムや運営としての責任を考え、どうにか世間に見せない方策をとるべきだった。
これを彼女が自分でやったことなどと言って論点を誤魔化すのは、どこぞの宗教団体が「実行犯が勝手にサリンを撒いた」と言っているようなものである。
実際この動画がどういった経緯で撮影され公開されたのかは定かでは無い。秋元康のOKでやったのか、支配人のOKでやったのか、事務所が勝手にやったのかはわからない。
暗黙の了解としての”恋愛禁止、それを破ったら処分”というルールを持たせている運営は組織としての責任を持って、”破った場合の対処方法”を彼女と一緒になって考えるべきだったのではないか。
また、彼女本人について言えることといえば、彼女の精神状態についての仮定である。
私はこう推察する。
法律に違反しない以上、彼女が男性と交際しようが丸坊主にしようが、その行為への賛否であり彼女への評価は彼女のファンがそれぞれ決めることである。男遊びが激しくても別に気にしないよ?というファンもいるだろう。
まず、峯岸みなみはバラエティを得意とする結成当時からのメンバーであり、個としての人気は総選挙14位と、トップのメンバーとは言い難いものの、仕事や待遇、地位の面ではそれなりに確立されているものだと考えられる。現在20歳の彼女は13歳のころからAKBとして活動しており、一般人としては学歴や職務技能等の金銭獲得能力はそれなりに低い。現在の年収は明らかではないが、500万~1000万程度はあるのではないかと推察される。
先日ISSAとの交際報道で脱退し、さっぱり音沙汰がなくなった増田有華とは少し事情が違う。増田有華は目立った特技もなくかつ総選挙26位というあまり重要なメンバーではなかった。報酬の額もそれほどでもないだろうし、ルックス的にも”バラエティ顔”の峯岸みなみよりもイケメン男性にモテるタイプだろうし、役者としての能力もあるようだ。AKBをスッパリとやめて他の人生を考えてもそれほどの違いは無い。前田敦子の場合はレジェンドオブAKBとして今後もやっていける自信があっただろう。最近脱退が相次いでいるSKEなどのメンバーも同様で、人生について天秤にかけているのである。
しかし峯岸みなみの場合は、本当に「今AKBを辞めてテレビから消えたら本当に何も残らない」という一発屋芸人並のメンタルだった筈だ。
何も残らないわけではないにしろ、金銭面で大きな落差が生じるのは確実である。それゆえの丸坊主行動、というか、もしも丸坊主じゃなくて例えばどこぞのお偉いさんに対する肉体接待で許されるなら、そこまでもできたのではないかろうか。
そもそも前田敦子のケツ出しなども含め、彼女達の一部では”遊びたい”という意味での鬱憤は相当に溜まっているハズだ。恋愛禁止という暗黙の了解があったとしても、本質的な欲求として、必ず一定の割合でそういう子は出てくる。青春という一度しか無い時期に遊びたいからリスクをおかして遊んだ、でも金銭含めて地位を失うことは受け入れがたい、であれば”丸坊主にして話題にもなり、再度チャンスを”という判断は個人としてわかりやすい。
これは反省とかそういう意味ではなく(そもそもナニに反省すればいいの?)、彼女にとって最も合理的な行動なのだ。
そもそも彼女達の大事な人生を奪ってまで恋愛禁止として人気の有無に関わらず厳しいルールにするのか、それとも恋愛を解禁し、万が一の場合でも処分を含めて辞退等を許さず、あくまでファンの賛否に委ねるのか、そういったことを運営としてしっかり態度に出して行かなければならないだろう。
日本人は風邪で熱があっても会社を休まないという風潮があり、それはおかしなことだそうだ。
なぜ日本の風邪薬は、無理することが前提になっているのだろうか - 脱社畜ブログ
http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2012/12/11/212333
熱があっても会社に行きましょうというのは、たしかに周囲の社員にとっても迷惑だし、行かないと壊れるデカイ商談とかが無いかぎりまともな会社は休めると思う。
いや、多少まともじゃなくても休める。少なくとも今まで働いた会社で、熱が出ても休めないところは無かった。
病院に行って診断書もらってこいって言うところはあったけど。
とはいえ引っかかる部分はそこではなくて、よくこういう話で出てくる「日本人は」っていう言い方だ。
今日久しぶりにカフカの『変身』を読んだんだけど、最初のほうにこういう文章があった。
支配人はいった。「たいしたことでないといいんですが。とはいえ、一面では、われわれ商売人というものは、幸か不幸かはどちらでもいいのですが、少しぐらいかげんが悪いなんていうのは、商売のことを考えるとあっさり切り抜けてしまわなければならぬことがしょっちゅうありましてね」
ちなみにグレゴール・ザムザは毎日朝5時の汽車に乗って会社に向かうそうだ。
彼の通勤する会社の店舗は朝7時前に開店している。上のシーンは7時10分に支配人がグレゴールの遅刻をとがめにやってきたシーンだ。
周知のように、この時点でグレゴールは一匹の甲虫に姿を変えており、ベッドから起き上がれないでいる。
もちろんここには誇張があるだろう。グレゴール・ザムザは特に忙しいビジネスマンとして描かれていて、この会社は特にブラックな会社というわけだ。
でも基本的な問題として、こういう生きづらさをカフカも感じていたのは確かだろう。
カフカはプラハの労働者傷害保険協会で死の2年前まで働いていた。
結局のところ、精神的な意味でも肉体的な意味でも、人間的な生活をなげうって働かねばならないという風潮は、洋の東西を問わず100年前から続いている。
もちろん国によって程度の差はあるだろうし、実際に毎日午後はシエスタを2時間楽しむ人もいるだろう。
でもそれは日本でだって同じことだ。日本だって、熱があるのに出社を要求される会社が普通なわけではない。
重要なのは、100年前から「それは異常だよ」って言ってるのに、まるでこの風潮が無くならないことだ。
異常なのは確かだけれど、声を上げても究極的にそうした雰囲気は無くなりはしないだろうし、誰かのせいにしてみたところでその誰かがいなくなってもこの風潮は続くのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20101005212233
すでに慣れてしまったので別に親元離れなくても我慢できるし、そもそも話さなければいいのでそのへんは大丈夫。
進路間違えたとかは最初は縁故で昔からよく行っていて高校はいってバイトしていたところだったんだけどそこの支配人と喧嘩になって(自分は社長命令で動いていたのに)いけれなくなって
学校ルートで就職探したらいいところなくて、うだうだしてたあっという間に今になってしまったって感じで。
こんなことになるなんて思ってもいなかったから、家金ないんで今更って感じなんですよね。だからどうしようかと
一年浪人して大学行くのに結構抵抗があったんだけどあなたの文章で吹っ切れました。頑張ってみます。
http://anond.hatelabo.jp/20101005212606
改善しようとしてもまずはグループの輪に入っていかないとだめなんですよ。入ろうとしても帰れって言われるときあるから。
まぁ頑張ってみます。まだそれなりに仲の良い人いるし
「行動する保守」といわれる集団で、映画「ザ・コーブ」上映反対の姿勢をとる「主権回復を目指す会」の西村修平氏らが、6月26日早朝、横浜テアトル支配人長谷川氏の自宅へ早朝から押しかけ、本人不在で代わりに応対した高齢の母親に対し罵詈雑言を浴びせ、拡声器を用いて恫喝まがいの行動に出た。その後禁止仮処分中にも関わらず映画館前で街宣をかけ、「上映に命をかけるならここで死んでみせろ」と支配人に詰め寄る動画がアップされていた。そして続く30日にも同様に自宅と映画館に押し掛けている。
そして同じく「行動する保守」在特会こと「在日特権を許さない市民の会」も朝鮮学校への街宣(街宣とは名ばかりの嫌がらせと恫喝、器物破損。動画には映っていないが教室の中では児童たちが泣き叫ぶほどの恐怖を感じていたという)で、同校の200メートル以内で拡声機を使うなどして同校関係者を非難、中傷することを禁じる仮処分を3月19日付で受けている。
「行動する保守」という人たちの行動がネット上で目立ち出したころ、これは新しいスタイルの市民活動だなと思った。メディアを意識した方法、動画サイトなどを利用し広く賛同を呼びかけるなど、既成のいわゆる「街宣右翼」とは異なったアプローチであると感じた。と同時になにか一般の市民活動とはかけ離れたある種の「違和感」を感じた。某掲示板に溢れる「レッテル貼り」や「民族差別」を得意とする「ネット右翼」と呼ばれる人々の「抑圧された自己愛」が顕在化したような印象を受けた。
彼らの攻撃は主に「在日外国人」「反日分子」に対して向けられる。デモ行進などの時に上げられるシュプレヒコールは「不逞朝鮮人は日本から出て行け」「朝鮮人を叩きだせ」といった具合に排外主義に満ちたヘイトスピーチである。そしてそのような光景を逐一ネット上にアップするという方法に強い自己顕示欲を感じさせる。ネットの世界での情報が全て「事実」であることを大前提に、定かではない「在日特権」や「朝鮮義勇軍」という事象を捏造してまでもせっせとネット上で広めるための努力を惜しまない。
これらは全て「行動する保守」自身の「肥大した自己」を満足させるための手段ではないかと思える。「在日外国人」や彼らの言う「綺麗ごと左翼」に対しての優越感を保ち続ける事でしか充足感を得られない「強烈な自己愛」を持つ個人が集まり、同調現象が生まれる。一度この現象が始まってしまえば、「他より優秀な我々」の意見を補強する意見のみが歓迎され、異論に対しては論理ではなく、個人攻撃、人身攻撃で反論するようになる。在特会の行動内容を報告する動画の中では、彼らの忌み嫌う対象以外に通りがかりの一般市民や、時には警察官にまでもその攻撃の矛先は向けられている。
彼らを「自己愛性人格障害」である、とまで断定する気は毛頭無いが、その行動にはかなりの点で「強い自己愛」が顕著に現れているのではないかと思う。ちなみにDSM-IV(精神医学的問題を診断する際の指針)での判断基準では次の項目が挙げられている。
・自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
・限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
・自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
・過剰な称賛を求める。
・特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
・人間関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
・共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。
・しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
・尊大で傲慢な行動、または態度。
彼らはしばしば「自分たちは他の団体とは一線を画す存在」だと主張し、「極右」であると報道した海外メディアに食って掛かる。「美しい日本」を守るのは自分たちのような特別な存在であると信じて疑わない。そして自分たちの攻撃する相手を全てひとまとまりの「敵」であると断定し個々の持つ多様性を受け入れない。「日本人」であることに誇りを持ち、それ以外の人間を「ゴキブリ」呼ばわりして日本人に従うべきだと公言して憚らない。時には警察と対立するが、「不逞外国人に発砲した警官」を英雄視し自らのデモに利用する。そしてそれらの「蛮行」をネット上で公開する事で賞賛を求め、現状に不満を持つ「ネット右翼」というラウドマイノリティの声が、彼らの主張を後押しする。
映画「ザ・コーブ」をめぐる一連の騒動を見ても彼らの行動は非難されるべきである。彼らの「表現の自由」と等しく映画を上演する自由も守られるべきで、暴力を持って封じ込めようとするやり方では到底賛同は得られないであろう。ましてや禁止された行動の決定的な証拠をネット上にアップするなど愚の骨頂である。私は彼らの活動は永くは続かないのではないかと思う。在特会の徳島教委への抗議行動で西村修平氏が関与した数名を「トカゲの尻尾切り」のように除名した事でもわかるように、個々が「自己顕示欲」の強いこのような集団は一度亀裂が生じると崩れ去るのも早いものであるからだ。東京地裁が下した街宣・抗議活動を禁止する仮処分中の行動や、暴力団並みの厳しい京都地裁の決定から判断すると、彼らの外堀は徐々に埋められていく過程にあるのだろう。狂乱の憂さ晴らしのような「祭り」の終焉が近い事は彼らが一番感じているかもしれない。
http://www.nytimes.com/2010/05/02/opinion/02edmundson.html?scp=2&sq=pink%20floyd&st=cse
「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」
卒業を間近にしたバーモントの田舎の大学で、少なくとも十数人のクラスメイトに、私はこの質問を聞いてまわった。友人たちの答えに、私はとても安心した。特に何もないさ。羽根をのばすんだ。ぶらぶらするかな。考えたいことが色々ある。まずはゆっくりするよ。1974年だった。誰もが、そういう風に話すのが当たり前の時代だった。
実際のところは、友人たちは本当のことを教えてくれなかったのだ。見方によっては、とんでもない嘘をつかれた、とさえいえるかもしれない。卒業式の日までに、同級生のほとんどは、ロースクールや大学院に進んだり、ニューヨークやサンフランシスコで、クールで貴重なインターンシップをはじめることがわかった。
でも、私の場合は、本当にゆっくりすることにした。5年のあいだ、私はあちらこちらを点々として、何もしなかった。正確には、どうしても必要だったとき以外、できるだけ、何もしなかった。タクシーの運転手、映画フリーク、コロラドの山男、バーモントにあったクレージーなヒッピー学校の教師、映画館の支配人(これは、ほとんど仕事がなかった)、船の乗組員、ディスコのドアマン、そんなことをやっていた。
そのなかでも、ジャージー・シティの音楽プロダクションでやったステージクルーの仕事が、一番思い出深い。職場はルーズベルト・スタジアム、芝生席もいれると6万人を収容する、古い、化け物みたいな箱だった。トラックからアンプを引っぱりだし、ステージに設置する。6時間かそこらしたら、トラックに戻す。これを私は、グレイトフルデッド、アリス・クーパー、オールマン・ブラザーズのライブでくりかえした。クロスビー・スティルズ・ナッシュのステージは、ちょうど、ニクソンが大統領を辞めた日の夜だったのを覚えている。けれども、私にとって、一番思い出深い仕事での一番の思い出は、ピンクフロイドが出演した夜に起きた。
ピンクフロイドは、サウンドに相当のクオリティを求めていた。ステージ上のアンプは、縦にも横にも、周囲を威圧するほど積みあがり、パリ・コミューンのバリケードのようだった。それだけでなく、スタジアムの高い位置3か所にも、ピンクフロイドはアンプを集めて設置するよう要求した。それで、私は午前中ずっと、オンボロスタジアムの階段で、どでかい木製のアンプやら配線機材を運びつづけた。
仕事はもうひとつあった。パラシュートの形をした絹製の白いキャノピーが、ピンクフロイドのステージには必要だった。設置には6時間かかった。私たちが聞いたところでは、キャノピーを使うのははじめてで、ピンク側のスタッフも、どうしたらいいかよくわかっていなかった。設計図らしきものはあったが、あまり役にたたなかった。だが、「アメリカの知恵」をもってして、キャノピーはなんとか屋根の形に膨らんでくれた。「アメリカの知恵」とは、つまり、ロープをあちらこちらにひっぱったり、手当たり次第に結んでみたりした、ということである。
ピンクフロイドのライブは夜10時にはじまった。ところが、私たちが死にそうになりながら運んだアンプからは音が出なかった。たくさんの人がアンプの上に座ったか、蹴ったか、配線を切ったかしたのだろう。アンプのタワーが沈黙をつづけるなか、ピンクは自分たちの仕事をし、観客は公演の終わりでライターに火をつけた。そして、私たちは、3時間かけてアンプをバラして、トラックに戻した。階段上に残ったアンプは、私たちが作業を拒否したので、お互いをいくらか罵ったのち、ピンクのスタッフが回収した。
あらためていうと、ツアースタッフとステージクルーの間には、ほとんどの場合、何らかの対立があったのだ。あるとき、たしかクイーンのライブだったと思うけれど、クイーン側のスタッフ5人と私たちのクルー十数人が殴り合いになった。すると、騒ぎを聞いて駆けつけたセキュリティまで、喧嘩にくわわった。だいたい、バイカーギャングだったり、空手の黒帯だったり、そういう連中だ。ツアースタッフの方はそれなりにがんばったけれど、ついに勝てないとが分かったらしい。ひとりが、シャンパンをケースごと持ってきて、回し飲みをはじめた。それで、みなが酔っぱらい、幸福感にひたった。
ピンク側のツアーマネージャーは、キャノピーをそっと降ろして、きちんとたたみ、元の木の箱に戻すよう求めた。しかし、キャノピーにはヘリウムガスがたっぷり詰まっていたし、さらに栓がどこにあるのか、誰にもわからないことが問題だった。また、キャノピーをステージに固定した際、私たちがあらゆるところを馬鹿丁寧にきっちり結んだおかげで、それをほどこうとしたら、水夫たちの集団だって頭をかかえたに違いない。誰もが疲れていた。酒を飲んだ人間は、使い物にならなくなった。そして、もう朝4時になっていて、家に帰るべき時間だったのだ。
空飛ぶ枕をどうやって片付けるか、みなで作戦を練るうちに1時間が過ぎた。だんだん、大学のゼミのようになってきた。そこに、私たちステージクルーのチーフ、ジムが登場する。ジムは、私たちはジンボーと呼んでいたのだけれど、お人好しのバイキングの親玉のような人で、どんなときも、何があろうとクルーを擁護した。ギターケースを落っことした私を怒鳴りつけるスティービー・ニックスに、エドマンドソンに怒鳴る権利があるのは俺だけだと、大声で抗議してくれたこともある。そして、ピンクフロイド屋根事件のときも、ジンボーは危機的状況で自分がいつも期待されていることをした。つまり、行動を起こしたのだ。
ジンボーはステージのすみに忍びより、ポケットから折りたたみナイフを取り出して、聖なる屋根を地球につなぎとめているロープのひとつを切りはじめた。私たちクルーの3、4人も、同じことにとりかかる。「おい、なにをしてるんだ!」ピンクフロイド側のチーフが叫んだ。「お前らをぶちのめして…」そこまでいってから、かれはジンボーの手にナイフがあること、クルーの数人も同じだと気付いたのだった。2、3分後、私たちはロープを皆断ち切った。
最後の太いロープが切れたとき、大きなため息のような音がした。すぐには何も起きなかった。また少し待ったけれど、何も変わらない。
しかし、キャノピーはついに上昇をはじめた。白くて柔らかい、贅沢な雲のように飛んでいく。そのとき、地平線から太陽が沸きあがり、キャノピーの絹地も、薄く、柔らかな緋色にかがやいた。熊が腹の底から笑うような、ジンボーがいつも通りの笑い声をあげた。私たちも一緒になって大笑いする。ピンクフロイドのスタッフも同じだった。私たちはまるで、終業式を迎えた日の、学校の子どもたちのようだった。私たちは裸のステージから、大西洋の先へ静かに流れてゆく絹の屋根を見つめていた。何人かは手を振った。
「じゃあ、学校を出たら、何をするつもり?」35年が過ぎて、大学の教師になった私は、自分の学生に同じ質問をする。今日の学生たちは、あまり隠し事をしようとはしない。そして、ロースクールにメディカルスクール、ジャーナリズムやビジネスでの学位、中国での研究留学、日本で英語教師をすれば相当のお金になることなど、いろいろと話してくれる。そういう彼らを、世間は肯定するだろう。
そう、私も学生たちにはとても感心している。だがその一方で、心配もしているのだ。かれらは、決心を急ぎすぎてはいないだろうか。もうすこし落ち着いてみたり、ゆっくりすることも、やってみたらどうだろう。私はそう考えずにはいられない。そして、空に消えた白い絹のキャノピーを私は思い出す。まだ今も目の前にあるかのように、私はそれを見ることができる。私は手をあげて、それを指し示したい。学生たちにも、見てもらいたいのだ。
ttp://plaza.rakuten.co.jp/lsiweb/diary/201003240000/
どう対応するのだろう?と観察していると、
「出て行け!お前は客じゃない!」と
物凄い剣幕で怒りだしました。
(もう顔面が怒りで真っ赤でした)
支配人が出てくれば、あと一押しで「タダになる」と期待していた
そして、
「スタッフはお前の奴隷じゃない、謝れ!」とまで言い放ちます。
結局、クレーマーが逆に謝罪することに。
後に話しを伺うと、
「このラインを超えたら客じゃない、というのがある。
しかし、それ以上やらせるとスタッフがいじめられて心に深い傷を負う。
そして、この仕事に恐怖を感じるようになってしまう。
それは絶対に避けなければならない。
だから、私たちはこのラインを超えてくるクレーマーがいたら、
インフルエンザ禍などもあって、書入れ時の大事な時に毎日数千万円相当のキャンセルが相次いだ。それまでもあまり経営状態が良いとは思えなかったけど、堅苦しくない空気がバイトには楽なので知らん顔でいた。このホテルがつぶれても別のバイト先を探すから私には関係ないことと割り切ってるが、1年半お世話になってるので社員さんの将来が心配。その割りに当の社員さんときたら、月例会議で決まった売り上げアップの秘策が「もみじの季節にがんばろう」。バイトから見てもそれはない。
管理部門には、大人の事情はわからんが天下りの人が座ってる。あいつら無能だが物品購入や修繕業者の手配などはそいつらがやってるようだが、どうしてそうなるのか不思議な大修繕が行われてる。また、接客部門のバイトは朝3人夜3人と決めてるらしく満員御礼の日も閑古鳥の日も朝3夜3。大学の講義で習った人件費率を雰囲気で暗算してみたけどうちらバイト学生は余計だと思う。朝2夜2で各2時間ずつ就業時間を減らしても業務に差し支えは無い。ひまな時間が多すぎる。忙しすぎるのもイヤだけど、暇つぶしに必死になるのもしんどいからイヤだ。
私は他にもバイトを掛け持ちしてるが、他のバイト先に比べていろいろと人も物も無駄が多いと思う。よそはゴミ袋1枚、ボールペン1本までうるさく制限される。それが普通だと思ってたがここは何でもかんでもジャブジャブいっとる。何でもかんでもプリントアウトする。ゴミ袋の中は紙だらけ。こういうのは単純に性分に合わんからやめさせたいのだが「増田さんはけちだねぇ。いい奥さんになるね」とか言われる。支配人と経理課長の顔色の変化に気付いてないのか。最近妙にそわそわしてるよ。お前ら来年あたり職を失うぞ。知らんぞ。
山口登(やまぐち のぼる)。明治35年(1902年)、兵庫県神戸市兵庫区で生まれた。父は、初代山口組・山口春吉組長だった。山口組事務所は、神戸市兵庫区西出町にあった。大正14年(1925年)、山口春吉の引退により、山口組二代目を継承した。この時、山口組はまだ、大島組・大島秀吉組長の系列組織だった。同年、神戸市須磨の料亭で、山口組二代目相続披露宴が行われた。跡目相続の儀式は、大島組幹部・浦安五助の仲人で行われた。披露宴には、大島秀吉、大島組幹部・川端勝次、大島組幹部・本多仁介、その他の大島組幹部、大島秀吉の舎弟、大島秀吉の若衆、兵庫県県議会議員、神戸市市議会議員などが出席した。山口春吉の手から離れ、新しく山口登の子分となった者は、34人だった。難波島之助は、山口登の舎弟となり、参謀格となった。その後、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発した。山口登は、大島組組員との喧嘩を諌めることはしなかった。昭和2年(1927年)1月、大島秀吉宅に年賀に行った。大島秀吉は、山口登に、山口組組員と大島組組員の喧嘩が多発していることを咎めた。山口登が詫びを入れると、川端勝次が山口登に本心で詫びを入れているのかを詰問した。山口登は激怒した。本多仁介が、川端勝次と山口登をなだめた。昭和3年(1928年)3月、金融恐慌が発生した。山口組は、神戸市兵庫区古湊通りの鮮魚・塩干物の朝市を縄張りとし、仲買人の魚を小売店に運搬する利権を独占していた。そのため、経済的な打撃が限定的だった。同年、山口登は大島組への上納金をやめた。昭和4年(1929年)1月、山口登は、大島組への上納金をやめたために、大島秀吉から破門された。昭和5年(1930年)3月、神戸市は、失業者対策として、兵庫区浜新町に神戸中央卸売市場の建設を計画した。新浜町は、大島組の縄張りだった。この利権を巡り、山口組は大島組と対立した。同年7月、神戸市新開地で、山口登の若衆・田尻春吉が川端勝次を射殺した。同年8月6日夜、山口登は、山口組組員に拳銃や日本刀を持たせて、5台の荷馬車に、神戸市兵庫区西出町の山口組事務所の家財道具全部を載せて、山口組事務所を出発し、同区切戸町に向かった。一部の山口組組員は、切戸町の新しい山口組事務所で待機していた。他の山口組組員は、大島組本家を監視していた。同年8月7日午前3時、山口登は山口組事務所を、兵庫区西出町から同区切戸町に移した。ここは大島組の縄張りで、神戸市中央卸売市場建設予定地の近所だった。同年8月7日、神戸中央卸売市場の杭打ちが始まった。山口組組員は武器を持参して、工事現場に寝泊りした。同年10月、、田岡一雄(通称はクマ。後の山口組三代目)が、新開地本通りの剣劇小屋「湊座」で、料金を支払わずに入場したため、木戸番から咎められた。田岡一雄は木戸番を殴り倒し、湊座の舞台に上がって暴れた。山口組が湊座の用心棒を務めていた。その後のいきさつには2説ある。
溝口敦・笠井和弘・ももなり高『実録・山口組武闘史 血と抗争! 菱の男たち1』竹書房、2002年、ISBN 4-8124-5658-4や正延哲士・天龍寺弦・池田鷹一『実録 鬼頭良之助と山口組二代目 激動ヤクザ伝』竹書房、2006年、ISBN 4-8124-6362-9では「田岡一雄は山口組舎弟・古川松太郎(山口登の娘婿)や山口組若衆・山田久一(通称はトラ。後の三代目山口組初代若頭)に捕まった。田岡一雄は神戸市切戸町の山口組事務所に連行され、暴行を受けたが、根をあげなかった。山口登は田岡を古川松太郎に行儀見習いとして預けた。田岡は古川の自宅に居候した」となっている。飯干晃一『山口組三代目 1野望篇』徳間書店<徳間文庫>、1982年、ISBN 4-19-597344-9では「数日後、田岡一雄は、山口組組員に捕まり、山口登の舎弟・灘波島之介の自宅に連行された。灘波島之介は、山口組組員が田岡を暴行しようとするのを止めて、田岡の身柄を預かった。田岡一雄は、灘波島之介の家に寄宿した。その後、灘波島之介は、田岡を古川松太郎に預けた。古川松太郎が田岡に行儀を仕込んだ」となっている。昭和6年(1931年)1月、須磨の料亭で、宴会を開き、馴染みの花隈の芸妓・ぽん太を呼んだ。その後、月に2、3度、ぽん太と逢引した。昭和7年(1932年)5月、山口登が後援会長を努める大関・玉錦(後に横綱)が、前頭の宝川と揉めた。田岡一雄は、日本刀を持ち、山田久一や玉錦、山口組舎弟・西田幸一らに連れられて、宝川の元に押しかけた。田岡は、日本刀で、宝川の指を切り落とした。同年7月7日、須磨の待合で、山口登はぽん太と会った。同日午後10時すぎ、大島組の刺客・守屋謙造に襲撃された。山口登の若衆・村上常吉が1ヶ月の重傷を負ったが、山口登は待合から逃げた。同年7月8日、守屋謙造は、山口登殺害に失敗したため、大島組を去った。その後、本多仁介は、「日本が軍国調になっていくときに、抗争事件を起こすのはまずい」と大島秀吉に進言した。大島秀吉は、本多仁介の進言を容れて、大島組から山口組への殴り込みを禁止した。それから、山口登は、山口組の新しい資金源として、浪曲興行に着目した。神戸市議会議員・福森庄太郎に相談すると、福森から浪曲師・松風軒栄楽と鬼頭良之助(本名は森田良吉。父・山口春吉の兄弟分)を紹介された。同年7月、山口登は四国で、松風軒栄楽の花興行を催した。興行は赤字だった。庄村吉之助(通称はホラ吉)が、松風軒栄楽のマネージャーだった。山口登は、庄村吉之助を引き抜き、山口組興行部を作って、庄村を山口組興行部支配人に据えた。また、庄村吉之助の側に、山口登の若衆・笠種次を付けた。同年12月、神戸中央卸売市場が開業した。山口組は中央卸売市場の利権を獲得し、市場に賭場を開いた。同年、もしくは昭和11年(1936年)1月20日[1]、山口登は田岡一雄を若衆とした。昭和8年(1933年)4月、山口組興行部は、神戸市湊川神社前の「八千代座」で、鼈甲斎虎丸、東家楽燕、初代天中軒雲月らによる浪曲大会を開いた。昭和9年(1934年)4月、山口組興行部は、八千代座で、ディック・ミネ、美ち奴、楠繁夫、東海林太郎らによる興行を行った。同年 8月、海員争議が起こり、会社側から山口登に、紛争解決の調停役を依頼された。山口組舎弟の西田幸一と田尻春吉が、山口登の代理人として会議に出席した。西田と田尻は、組合と話し合いを持ったが、組合側の右翼や総会屋とこじれて、乱闘となった。西田幸一は殺害され、田尻春吉は意識不明の重体に陥った。田岡一雄と、田岡の親友・岡精義は、西田幸一死亡の知らせを受け、海員組合争議本部に乗り込んだ。田岡が、日本刀で組合長を斬りつけ、重傷を負わせた。田岡一雄 は傷害罪で懲役1年の実刑判決を受け、神戸刑務所に服役した。同年9月3日夜、山口登は、庄村吉之助と笠種次を伴って、法善寺横町近くの料亭で、吉本興業社長・吉本せいと会い、吉本興業の東京進出に尽力することを約束した。同年10月13日から、吉本せいが東京・新橋演舞場で大阪漫才公演を開催すると、この東京興行の応援に駆け付けた。翌日、吉本せいから「自分が東京にいる間は、浪曲師・広沢虎造を吉本興業の専属にしたい」と云う相談を受け、快諾した。その日の公演が終わった後に、吉本せいと共に、東京浅草の浪花家金蔵宅を訪ねた。浪花家金蔵との話し合いの結果、広沢虎造を吉本興業の専属にすることと、広沢虎造のマネージャーを引き続き浪花家金蔵が行うことがを取り決められた。昭和10年(1935年)、山口登は、藤田仙太郎(元関脇・山錦善治郎。本名は山田善治郎)を若衆とした。同年10月、田岡一雄は神戸刑務所から出所した。昭和11年(1936年)1月20日、もしくは昭和7年(1932年)[3]、山口登は田岡一雄を若衆とした。同年2月、不二拳倶楽部主催者・岡本不二夫から、国技館で、チャンピオン・ピストン堀口と挑戦者・ジョー・イーグルの東洋フェザー級タイトルマッチ開催の依頼を受けた。岡本不二夫は、日本拳闘倶楽部の協力を得て、国技館に、東洋フェザー級タイトルマッチ開催を打診した。国技館は「西洋のスポーツであるボクシングの試合を開催させることはできない」として、岡本の要望をはねつけていた。山口登は、岡本の依頼を引き受けた。同日、嘉納健治(通称はピス健。嘉納治五郎の弟。大日拳創立者)に会い、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。その後、上京して、相撲協会と会談し、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催の了承を得た。翌日、右翼団体40、50人が、山口登の宿に押しかけ、国技館での東洋フェザー級タイトルマッチ開催に抗議した。山口登は、頭山満と会い、右翼団体を抑えてくれるように依頼した。頭山満は、山口登の依頼を快諾した。同年7月、田岡は、昼夜2回の浪曲師広沢虎造の花興行を行った。昼席は福原の「大正座」で行い、夜席は兵庫県県会議事堂で行った。昼の興行の利益は全て、山口登に上納された。同月、田岡一雄が口答えをしたために、怒った。田岡は山口の怒りが収まるまで、東京の玉錦の元に身を寄せた。その後、若衆の大長政吉(通称:悪漢政。二代目山口組若衆頭・大長一雄の弟)を破門にした。大長政吉が新開地で酔って大暴れし、堅気の人間3人を傷付けたためであった。昭和12年(1937年)1月27日、国技館で、ピストン堀口とジョー・イーグルの東洋フェザー級タイトルマッチが行われ、山口組は国技館の警護に当たった。ジョー・イーグルの判定勝ちが決まると、田岡一雄がリングに上がり、審判に詰め寄った。田岡は警官に取り押さえられ、拘留された。同年2月、玉錦のとりなしで、田岡を許した。田岡は神戸市に戻った。同年2月25日、大長政吉が、新開地の菊水館で、支配人(元、山口春吉の舎弟)を殴打し、売上金を勝手に持ち出した。菊水館の用心棒だった山口組の若衆・山田久一は、田岡一雄とともに、大長政吉を探し、福原遊郭の「大阪楼」にいることを突き止めた。2人は大阪楼を急襲した。田岡が大長政吉を鉄瓶で殴打し、大怪我を負わせた。これに激高した大長政吉の弟・大長八郎(二代目山口組若衆)が、その日のうちに、切戸町の山口組事務所に殴り込んできた。田岡が大長八郎を日本刀で斬り殺した。同日、田岡は警察に自首した。同年2月27日、田岡は懲役8年の実刑判決を受け、服役した。同年、神戸市の荷役業者の鶴井組・広田寿太郎組長、酒井組・酒井新太郎組長、藤原組・藤原光次郎組長が兄弟分の盃を交わし、「鶴酒藤」を結成した。昭和13年(1938年)、山口登の舎弟・新居利治は、徳島県小松島市で、小天竜組を結成した。まもなく、大長一雄は山口組を去った。昭和15年(1940年)、山口登は、広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎と兄弟分の盃を交わした。広田寿太郎、酒井新太郎、藤原光次郎が拠点を横浜港に移すと、山口登は鶴酒藤神戸支部長となった。同年7月、広沢虎造が吉本興業に無断で下関・籠寅組(組長は保良浅之助)の企画による映画出演の誓約書を書いた。これに、吉本せいは立腹し、山口登に調停を依頼した。山口登は、下関で保良浅之助と交渉し、映画出演を白紙に戻させた。同年7月28日、浅草の浪花家金蔵は籠寅組幹部・山村周平の訪問を受け、「籠寅組で映画を作りたいのだが、広沢虎造を出演させたい」という申し出を受けた。翌日、浪花家金蔵は神戸に行き、山口登に相談した。山口登は「8月2日に、浪花家金蔵宅で、籠寅組と話し合いをしたい」と云う旨の電報を保良浅之助に打った。同年8月2日、山口登は東京・浅草の浪花家金蔵宅で籠寅組と話し合いを持った。このとき、ボディーガードに客分の中島武雄を連れていた。和解金として用意した、十円札で1000円の札束を胴巻に入れていた。籠寅組からは5人が臨席した。山口登は「広沢虎造を籠寅組には貸さない」と云う旨を伝えたが、籠寅組の5人に襲われた。中島武雄が日本刀で刺殺された。山口登は庭に出たが、日本刀やあいくちで18ヶ所の傷を受けた。ただ、胴巻の札束が刃を止め、一命を取り留めた。浪花家金蔵が浅草の地回りの一団を連れてきたために、籠寅組の刺客たちは退散した。昭和17年(1942年)10月4日、山口登は、この傷がもとで、死亡した。享年、41。
小生風俗通いをする程金持ちではない。しかし財布の軽さと自身の犯罪にまで発展しそうな性衝動を天秤に掛けると、見知らぬおねえさんとのメイクラヴの方が勝ってしまう。「自分が弱かった」とは某K勢T周の戯言か。友人らと沼津で一泊した後流れで名古屋へ。夜行バスで新宿まで戻るには時間がまだあったため、意を決して携帯で風俗検索。「大門」が昔の遊郭なのか。という事でネットで評判の良かったお店を選ぶ。総額19000円。
指名せず飛び入り、かつ荷物はキャリーバッグで明らかなる「いちげんさん」な雰囲気をかもし出していたため、こりゃ余っている娘をてきとーにつけられちゃうかな、と思いきや、ついたのは20代後半の黒髪長髪スレンダー長身の娘。脱ぐとふくよかな稜線が。ああ神様仏様ありがとう。これからはもっと良い子になります。息子はだんだん元気になります。
きっちりはっきり喋る娘でした。さばさばしてるのかな。適当な世間話もすべて台本に書いてあるかのような喋り方。実際この娘と1日一緒にいたら小一時間で抑圧されてまな板の上の鯉になりそう。実際コトの最中も台本に書いてある通りに反応して頂けます。これは台本あるんだろうなきっと。「上の口と下の口、どっちが気持ちいいかな???」と言われても返事のしようがありません。「さぁ、どっちでしょうかね…」と返事するのが精一杯。そう言え、と言われてるのだろうか。プライベートでもそんなこと言いながらスる娘がいるならば会ってみたい。何かと自分の好みを口に出す娘。「最後は顔見て終わるのが好きなの。」と言われやはり反応に困る。「へぇ、そうなんですか…」つまらない客に違いない、私。非日常すぎて頭の切り替えができなかったのかな。
一度帰ってからネックレスを忘れたことに気付きタクシーで折り返す。名古屋のタクシーのじっちゃん、よく喋るw 「これから遊びに行くんか?どんだけ取られた?あぁ??そりゃ取られすぎだで。名古屋のソープの相場は1,7か1,8だでワシそこの支配人と同級生だで座り込んで抗議したるでー」「ワシも中村区出身だで名古屋で知らん事はねー。忘れもんないか?これから帰るんか?新幹線か?あぁーバスか切符は買ったか?一度すっ飛ぶと本数少ないでえらいで??気をつけぇ」人情に厚いじっちゃんでした。これだから名古屋はやめられない。
俺も観光業、飲食業、小売業と接客業ばかりを渡り歩いているが、小売業と飲食業における客の性質の悪さはガチ。
特に家電販売やっているときは本当に辛かった。粘着質の客がいて、難癖という名のクレームを付けて味をしめると、毎日のようにやってくる。同じ店員狙い撃ち。ありゃあ集りを通り越した、立場を利用した苛めだな。ちなみに、食品販売に関しては、さほどでも無い。
飲食業時代では、たまに訳の分からない人がきて、メニューを見て頼んでいるのに、持ってきた料理に対して「こんなものを頼んだ覚えはない」とか、新しく持ってきた料理に対して「この盛り付けがメニューと違う。作り直して」って引っ込めさせて、更には「早く持ってきてー」と喚く客に遭遇したことがあったな。俺が「何とかならないんですか?」と店長に相談しても、「客がああ言っているんだから、作り直すしかないだろ」というお決まりの文句だった。客は50代くらいの夫婦。柄が悪かった。ビールばっかりバカスカ飲んでいた。
観光業でも、これは観光ホテルに勤めていたときだが、散々料理食いまくって施設内の有料サービスを利用しまくって、チェックアウトの時になったら部屋から出てこないで、些細なことに難癖付け始めてタダにしようとする悪質な奴らに遭遇したことが何度かあったな。警察呼んで仲介してもらうことになったら、急に態度が大人しくなってホイホイ金払うし。別のホテルで、チェックインの後、部屋を見てすぐに「汚い!どういうセンスしているの?それに臭い!総支配人を呼んで」と喚き散らした50代のオバハン3人組。お詫びに最も値の張る追加料理を幾つも進呈する総支配人も総支配人だが、図に乗ってギャンギャン喚いた挙句通常宿泊料金でチェックアウト。ちなみに、これらのほとんどは確信犯です。最初から無銭宿泊することを狙っています。
何かさ、こういう腐った連中が最近多いような気がする。ホテルなら警察絡ませて対応できるが、小売や飲食はそうもいかんからな。