「寛解」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 寛解とは

2023-09-11

anond:20230911080812

自分もそう思って何回か検査してもらったけどなんも問題もなかった

機能不全家族だと抑圧されたりして脳のワーキングメモリ足りなくなって知的だったり発達障害みたいな症状は出るらしい

寛解したとは言えないけど多少精神的に余裕がうまれたらマルチタスクは人並みにできるようになったしね

4年在学の間に下の兄弟私大に行かせられるくらい稼げたから結果良かったよ

2023-08-29

anond:20230829102314

なぜ寛解するかって言ったら、恵まれ人生を得ることに成功たからだろ

普通人間金持ちになれるので、低賃金のお前は異常」レベル格差無視発言

anond:20230828150808

お前の正解が見つかったようで良かった。

普通の人は19歳くらいで罹患して25歳辺りで寛解するようなところを50年かかったのが不幸だねとは思う。

2023-08-28

死にそうなやつをポルノとして消費してる奴らキモい

重病、障害者、死にそうな奴に群がってシコシコすんなよ

んで、寛解したらサーっといなくなって別の死にそうなやつのところ行ってシコシコ始める

いやーきっしょいね

せめて消費するなら金払えよ

これが中世ジャップ特有の金は出さないけど、私が注目してあげてるんだから、それだけで十分でしょの精神

きっしょ

2023-08-15

anond:20230815135401

からだけど適応障害とかうつ病の人への声かけ重要ってのが常識だぞ

治療方法確立されてるから治療への道筋を教えたあげるだけでも全然違う

ワイ自身適応障害で死にたくなった時期あったけど今寛解してるし

2023-08-02

レズカップルに育てられた人

一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。

登場人物

自分→女でノンケ

親1→レズメンヘラで血が繋がってる

親2→レズモラハラで血が繋がってない

特殊すぎて身バレしそうだから多少フェイク混ぜます

レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹からまれたので、自分感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる

結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人から父性みたいなのも感じないか父親代わりじゃないな、みたいな?

家族ってある程度は本能理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた。

うちはレズカップル公表する系の親で、周りもあんま触れんとこみたいな感じで特に問題なく幼少期は過ごした。小学校3年生くらいまでは親2も歳の離れた姉みたいなものだと思えたし、割とみんなで上手くやってたと思う。

でも雲行き怪しくなってきたというか、嫌だなと思い始めてきたのがその少しあとだった。

私の通ってた学校にはクラスメイトの親たちが朝の時間おすすめの本を紹介して読み聞かせをする企画があったんだけど、親2がそこで大人が読む用の虹色系の本を紹介した。

それだけならまだ良かったのに、あげくに誰にも聞かれてもないのに、私がどうやって誕生したのかみたいなことを赤裸々に話し始めたのである。「精子デリケートから親1の胸の谷間に挟んで持って帰りました」とかエピソードトークを挟んで。小学校やぞ

これが私はとにかく嫌だった。恥ずかしさのほかにそもそも親2は出産無関係だったわけだし、親1と私と精子提供者の男(レズコミュニティ友達の知り合いかなんか)の間のことで、お前は関係ないだろという変な怒りもあった。

親2はアクティブで話が上手くて楽しい人だったけど何かと自己顕示欲強めのレズで、Twitter同性愛ご意見番みたいなアカウントやってて、フォロワー数千人いるのを最近偶然知った。そのプロフィールに元〇〇(国名)在住って書いてあったけど、それは嘘だ。親2は修学旅行で1回海外に行った話をリアルでも擦り続けてるので、見栄を張りたい気持ちが強すぎる。

話は戻って、親2が教室でやったことは今思えば完全アウトのセクハラの域だったと思う。

だけど何言っても差別になりそうだからか、誰かの親がクレーム出すと思ったら驚くほど無風だった。クラスメイトからかわれたりとかもなかったけど、あの時本当は誰かに親2を叱って欲しかった。

すっかり学校で腫れ物になった親2は、その後も学校図書館虹色系の本を多量に置こうと働きかけ、PTA便りに同性愛カミングアウト怪文書を載せるなどしていた。

あと、親1と学校行事に2人で来て人目も憚らずにイチャついてみたり、「着飾った他のノンケママとは違うのよ」感出したかったのか、授業参観すっぴんショーパンキャミサダルで来てみたりとかの奇行も続いた。さすがに児相通報されたり学校に親が呼び出されたりするレベルじゃないけど、子供からしたら本当に恥ずかしい。

私の学校生活が全部親たちの幸せ審査するのオーディション会場に見えてるみたいだった。

「こんなに理想的な家庭!ナチュラル私たち子供達に新しい選択肢を見せてる!」っていう自己陶酔PRというか。歳が行ってからの子供だったから、その時点でどちらも他の母親より若くはなかったし、女親2人っていう特殊条件の子育てに自信がなかったのかなと思うとかわいそうではあるものの、巻き込まれたこっちはたまったものじゃない。お父さんとお母さんが良かった!とはまた別の感情で、「普通が良かった」とずっと思ってた。

そして親2が男性嫌悪も強めで、男子と仲良くするとあからさまに嫌な顔をしたり、昼休み男子と外で遊べないようなタイトスカートを履かせようとしたりするのも当時は悲しかった。小学校時代スポーツが好きで男子友達も多かったのに、『運動ができて男女問わず友達がたくさんいる子』よりも、どちらかというと『賢い女友達に囲まれた賢い子』とか『女子を引っ張る強い女』みたいな立場を求められていたんだと思う。

別にお母さんとお父さんのいる家庭でも片親でも、ゲイカップルの子供でも、どの家庭にも多少はあることだろうけど、私はとにかく親2の顔色ばかり伺ってた時期が長くて、影響受けすぎて中学では本気で男嫌いになり、男の先生とかの前だと緊張しすぎて緘黙みたいになっちゃった時もあった。

当時はあまりにも男と話せないから、自分レズなのかなと思ってた。今は無事に男嫌い寛解してノンケとして生きてる。彼氏がいることは2人には言えてない。

親も別に私をレズとかバイにしたかったわけでもないと思いたいんだけど(親のコミュニティを見る限りレズバイ後天的な人も多い)、「自分たちみたいに幸せになってほしい!」みたいな感覚が強かったんじゃないかなと思う。

母数が少ないだけであって私みたいに同性愛者の親の無理解に困ってた子供もいるわけだからノンケ親だけを「同性愛無理解だ」って責めるのも意地が悪い気がする。

うちの親見てる限り、結局自分と違う恋愛趣向とか家族の形を理解できないのはお互い様というか、想像力限界というか、いくら口では多様性を説いても、経験したものでその人の人生が構築されてるわけだし。

話逸れたけど、そういう学生時代を過ごしてグレはしなかったものの親2への不信感とか、親1の親2への依存とかを見てるのがキツくなってきて、数年前に家を出た。親1は子供に対しても依存心が強くてメンヘラなので説得しきれず、家出まではいかないまでも結構無理やり引越した。

親2のTwitterを見ると私は、早くに自立した最高の娘!一流企業内定英才教育バイリンガル!みたいな扱いになっていて笑えた。近所でも「娘は海外留学した」とか触れ回ってるらしい。実際は職場は早く家出たくて選んだブラックだし、日本語しか喋れませんが。

結局、親2にとっては人生を彩るアクセサリーの1つとして子供しかったのかも。好きなところも楽しい時間もあったし、そういう側面だけじゃないのは分かってるけど、どうしても『親じゃない』という気持ちがある。

親1のことは母親だと思ってるけど、いかんせん親2と私にLINEして1時間返事がないと情緒不安定になって仕事を早退して鬼電してくる厄介メンヘラでもあったので、親2を繋ぎ止めるための道具の1つが子供だったのかな、と思わないでもない。

なんでこんな「そんなのノンケ親にもいるだろ!」って突っ込まれるであろう話を長々と書いたかというと、私の親をよう知らん人に「お父さんとお母さんが揃っていても世の中には虐待とかする毒親いるから、優しいお母さん2人のところに生まれて良かったね!」みたいなことを言われたのがきっかけになる。

それ聞いた時に、「お母さん2人」みたいな優しい雰囲気言葉とか、同性愛者の聖人化みたいなのはあんまり良くないなと思った。身体的な虐待はなかったと思うけど、毒親毒親じゃないかで言えばうちの親はかなり毒だったし、同性愛者による虐待事件だって普通にあるし。

私は無事に大人になったけど、周りの差別とか制度とかの話じゃなくて、もっと同性愛を起点とした親の人間性みたいなところで悩むことが多かった。あの家に男で生まれてたらヤバかったんじゃないか、みたいな恐怖感もある。

差別に繋げて欲しいわけでもないから補足すると、学校での出来事以外はどのパターン家族にも多少形を変えて起こり得ると思う。あと、レズカップルに育てられてハッピー子供さんもいるでしょう。

でもなんとなく親同士が同性って言うとノンケ夫婦よりも崇高なイメージを持つ人が多いんじゃないかなと。モデルケースが少ないのもそうだろうけど、支援者当事者子供を手にしたその先はあまり考えてくれていない気がする。結局、今の技術的にどう頑張っても片方は血が繋がらないわけだし、「海外暮らし養子をもらいます!」にしたって、家族の人数と役割を揃えたところで全てが上手く動き出すわけじゃないのよ。

社会制度を変えることに必死で、普通子供を育てること+の難しさがあるって当事者も周りも気づいてない人が多いのかなと思う。あるいは見ないふりをしてるのかな。

圧倒的に不幸なわけでもない。上を見たらキリがないし、育ててもらった恩もあるし、たまに会うくらいならいいけど、1人で暮らすようになって気が楽になった。彼氏と会うのに罪悪感がないし、親が満足するような、レズカップルの正しい子供をずっと演じていた気がする。

最初に書いた通り多少フェイクもあるけど、起きた出来事は基本ノンフィクションです。

これを立場を反転させて「同性愛者が異性愛者の両親に感じている苦痛だ!」って言う人もいるだろうけど、立場でいうと同性愛者の親に育てられたノンケの方がマイノリティになるので、どうかマジョリティ側の体験談に取り込まないでほしいな、と思う。

2023-07-19

anond:20230719100936

いっさい親に愛着を持っていない場合以外は、

認知症になる可能だってあるのだから、仲直りやより良い関係を築けるようにしたほうがいいと思うけどな

 

親と関係がよくなかった増田による認知症親とのやり取りがたまに投稿されるが震えるぞ

 

最悪は親は施設に任せてもよいんだよ。人道的な扱いを受けていればそれでOKだし虐待も防げるし 

ただ、親との関係問題解決出来ていないと、親から引き継いだ毒がどこにも消えやしないことが大問題なんだよ

これ、自分の子どもやパートナーな友人知人や赤の他人に撒き散らし続けるから

認知症親とのやりとり、釣りかよってくらいに節々に毒ぶりが見て取れてマジで震えるから🥶

毒親克服しました(アダルトチルドレン克服しました)とか言いながら

口汚く実家を罵ってたり、

穴の空いたバケツみたいにパートナー子ども友達に常に私を優先してアピール(自覚無し)、

隙あらば自分より弱そう・バカに出来そうなもの攻撃

これ子ども作ったらそのまま子どもに引き継がれるから

作らなくてもネット職場で毒を撒くし

 

結局のところ、自称アダルトチルドレン克服というのは、

社会活動に重大な影響を与えるレベル鬱病強迫観念寛解だけを意味しており、

経済的成功しても、パートナーを得ても、子どもを作っても、永遠に穴が空いたバケツのまま

 

親が愛してくれなかった・まともな養育をしてくれなかった怒りは、なにを得ても永遠に過去のものにならないし、

助けてくれなかった世界のあらゆるものを羨み、バカに出来そうなら攻撃する

自分自身のこの特性嫌悪する親そのもの認知することもない

2023-07-18

anond:20230718233038

認知症発症してるよぼよぼ高齢者より働き盛りでがん治療してる中年のほうが寛解後に納税してくれそうだから

anond:20230718002503

というか、まともな大企業だったら、鬱病寛解判断できるくらいの期間が経たないと、留学対象者に選ばないと思う。まして退職留学メンタル強者ですらメンタル壊す程度にはリスク高い。

留学念頭に置くなら、療養しながら英語勉強してれば良いと思うし、博士目指すなら、自分研究考えて論文出したりして進めとけばいいと思う。(日本場合博士開始前の業績も博士に使えたりするし、海外留学する場合でも出願書類を強くするのに役立つ)

2023-07-11

私自

最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分直視することから逃げてきた。

幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベル胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しか祖母毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。

私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎人間としてはかなり)知的好奇心教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。

祖母は80歳を過ぎるまで苛烈自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。

物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい名前を挙げられた女の子たちに向かい祖母を止めない母親に向かい自分にも向かった。

はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格容姿趣味人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。

肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。

私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。

土地二束三文で買える田舎町にある実家敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室ひとつ風呂台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。

母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。

母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分不手際が契機となり、怒鳴られ人格否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。

小学校5年から学校いじめの標的になった。担任女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道いじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。

家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校いじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動いちばん盛んな頃に短大に進学して、父親警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。

それから長い年月が過ぎた。

祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。

母は合わない職務鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。

私は中年になった。自分と向き合うことから逃げ続けたままで。

この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。

脳内には14歳の私が世界万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれ規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。

ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。

私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。

それは、世界でただひとり私にしかできないことだからだ。

潰瘍性大腸炎なんだけどね

潰瘍性大腸炎寛解期(症状がおさまっている時期)と再燃期(症状がぶり返す時期)を繰り返す病気で、自分は今寛解期なんだけど、1日の排便回数が4回なのよ

定義上排便回数4回以下は「軽症」なのね

医者に「トイレの回数を減らしたいです、つらいです」と言っても「でも4回以下だから軽症ですしね(何か策を講じる必要性が感じられません)」と言われるのよ

いやいや

そりゃわたしだって体調が悪かった時は1日10回近くトイレに行っていたよ(ひどい人は20回くらい行く)

からひどい状態の人やひどかった時の自分に比べればマシなのも、定義上軽症なのもわかっているんだけどね

1日4回排便ってめちゃめちゃQOL下がるわけよ

定義上軽症だったらなんなんだよ 試しに自分が1日4回排便してくれよと思ってしま

腸の病気じゃない人もお腹壊したりしたら1日何回もトイレに行くことがあると思うけど、その辛さが毎日あると思ってくれたらわかりやすいと思う

まじでこれなんとかならんかな

2023-07-06

好きで病気になったわけじゃない人に残酷なこと言いたくないけど統合失調症の症状そのものみたいなツイート見るたびにテンション下がるし、めちゃくちゃな内容でも信じちゃう人もいるんだろうと思うと、寛解するまでTwitterやめて欲しい

2023-07-02

ありがとう増田ありがとう

数年前鬱がつらいって投稿したとき、一人だけコメントしてくれて「がんばれ」って内容だったの覚えてる

とっくに寛解して気づけば普通に生活送れてたわ

あのときのひと~ありがと~!

ちゃんと生きてま~す!

anond:20230701233043

当方40歳女性23歳のとき虫歯により右下第1大臼歯抜歯。そのときブリッジ提案されたが健康な歯を削ることに抵抗があり部分入れ歯選択しかし部分入れ歯を口の中に入れてると気持ち悪くなるので全く使わず40歳の今に至る。

抜歯するほどの虫歯になった原因は多岐に渡ると考えてる。非嘔吐過食(25歳で寛解)、双極2型障害抑うつエピソードの時は歯を磨けなくなる)、食生活、ただの怠慢、歯に対する関心の薄さや知識不足など。

これらに比べたら微々たる影響だと思うのが以下。

歯磨き粉のフッ素濃度の問題、幼少時の環境フルタイムワーカー母子家庭)、遺伝的要因(唾液の緩衝能や分泌量など)。

インプラントにしてない理由は、インプラントには寿命があるにも関わらず価格が高いこと、第1大臼歯が1本ない状態でも何も困らないこと、抑うつエピソードに入ったらインプラントの手入れもできなくなる恐れがあること(インプラント歯周炎?により抜歯することになりそう)。

現在は3ヶ月に1度の定期通院を行い医療管理下にある。治療済みの歯だらけでボロボロではあるが虫歯は全て治療済みで歯周ポケットにも問題はない状態。ただし抑うつエピソードに入ると歯磨きが手抜きになり歯肉に炎症が起こりがち。

以上。他に何か聞きたいことある

2023-06-15

大家族の俺、老後詰んだのでは?

祖父 102歳

健康で丈夫なので介護必要ないが、タバコ代、パチンコ代、マックやすき家などで年金を使い切り、父の貯金勝手に使うこともある。

父 77歳

定年退職後に悪性リンパ腫で弱り、寛解したが転んだ拍子に足を骨折し寝たきり。

肺炎にもかかって痰の吸引が必要

母 75歳

認知症(要介護1)。立ち上がりや歩行の介助さえすれば食べたりトイレはまだ自分でできるがこれからどうなるか分からない。

妻 40代

これまで介護パートを行っていたが脳梗塞で倒れる。退院するも右半身に麻痺

弟 40代

軽度知的障がいあり。作業所に通っている。

弟嫁 40代

軽度知的障がいあり。作業所に通っている。

息子 20代

自称ベーシスト大学中退フリーター。父の貯金勝手に使うこともある。

娘 10代後半

中学時代から不登校

2023-06-11

anond:20230611143101

一人一派だぞ。こいつらは一人一人に向き合って個別シバいてやる以外に寛解への道がないんや。

2023-05-30

趣味趣向で人が集まるのが許せないな

OPCD(強迫性パーソナリティ障害)持ちなんだが

寛解させるかどうかは悩んできた

結局寛解させないほうがいい場合が多い気がしてきたな

特に趣味趣向みたいな持たない方が正しいような物事に関してはそう

まぁこういう性格から増田がないと生きていけないんだけどね

趣味趣向なんて詐欺宗教まがいのものが大半だから全否定するぐらいでいい

普通人間だってエンタメの9割くらいは興味がない

俺はそれが10割ってだけ

2023-05-29

ASDとかADHDという診断名が付くとホッとする気持ち、凄いよくわかる

ASDとかADHD体験談で、医者から診断名を受けることで

「ホッとする」という気持ち、凄いよくわかるんだよな

でもそれ地獄の始まりからな。


俺もかつて(という言い方をするのは適切ではないけど)OCDだったことがある。

その時に、自分病人なんだという傷つきを受けると同時に「ホッとした」という気持ちがあった。

例えて言うなら、川のそばでふらふら浮かぶ白い影は何かと尋ねたら「あれは柳の木だよ」と言われたのに近い。


形を持つ、人間定義された「病」であり、他にも同じ悩みを持っている人がいる。正体不明な苦しみは名前を付けられていて、改善可能なのだ、と。


しかし同時に、それは呪いに近い。OCDという自覚が、更に自分の行動を規定し、支配していく。

次第に「病」というのは自分から切り離されたものではなく、「自分のもの」ということに気付いていく。

ASDとかADHDを何かの言い訳にすることに嫌悪感を抱く人は、そのことに気付いている人だと思う。

「OCDだから」ということは、何の解決にもならない。「私は私だから」と言っていることに近い。

逆に、「私はOCDだ」と自覚することで、OCDの症状が悪化していく。


あれは柳の木だ、と名付けることは解決の始まりになるが、解決にはならない。

寛解とはその柳の木を切ることでもなく、柳の木と意識する事でもない。

柳の木を日常の一風景として迎え入れることで、忘れることであるからだ。


今は寛解して、通常の生活を送っている。

今のASDとかADHDが沢山居る世の中を見ると、ASDとかADHDという名前支配されている姿をよく見る。大丈夫かな、と思う。

本人がそれで良いと思うなら病気ではない。

健康サンダルをはきはじめて鬱が寛解して結婚ができました

2023-05-20

anond:20230520131836

例えば、ストレス、肉体疲労から食べ物アルコール下痢便秘肥満(による腹圧の上昇だと思う)で悪化する。それらを取り除けば寛解するが完治はしない。とりあえずはボラギノール改善する。

でも、医者に行けばボラギノール等でしのげるのか、手術が要るのか、判断してもらえる。行くのを勧める。

薬物依存から抜け出すのに必要な2つのこと

1. 両親から、もしくは片方の親から無償の愛

2. 強制的な薬物から隔離(最低でも1年)

どちらか無いと死ぬまで行きます

.

.

.

1. 無償の愛というのは、とにかく穀潰しだろうがニートだろうが衣食住仕事全てにおいてサポートし、とにかく身体健康になることに全力を捧げてくれ、かつそれに見返りを求めないということです。親と書いているのは、そんな事できるのは親ぐらいしかいないからです。

.

.

.

2. 強制的というのは、金銭的、物理的などなんらかの制約によってそもそも薬物を入手不可能な状況に置くことです。

最も理想なのはお金を与えないこと。仕事可能になってきて収入が入っても1のサポーター管理するのが良いでしょう。

難しいのは、この役割は1の方が担うことが多いため、信頼関係をここで損ねてしまうと、逃亡したりしてしま危険があることです。薬物に手を出す以前の関係が試されますサポートに入る前に、本人の口からできれば一切のわだかまりは全て吐き出させてください。

サポーターの方は、

とにかく、本人が元気で生きているだけでいいという気持ちになってください。元気で健やかに暮らすことだけに期待して、サポートしてあげてください。本人にもそれが伝わるように、最初にとにかく健康になるだけでいいんだよという姿勢を伝えてください。

間違っても、会社に入ってきちんと働いて…など口にしないでください。離脱期は基本的鬱状態なので、現状と社会からの期待のギャップ絶望して自殺してしま可能性があります

これだけ満たしてもおそらく寛解率は半々といったところだと予想します。

.

.

あと付け加え忘れたのですが、サポーターの方は、自分も病まないように、上記体制になっても金銭的に不自由していないという条件もあります。いやどうせ実家の太さやないかい、と思われるかもしれませんが、実家の太さは1.2に比べると甘いです。太かろうが1,2が無ければ容赦無く薬物に戻り死ぬまで行きます

追記:

薬物を断った直後というのは、「生きることを楽しむ力」というものほとんど失っています

というのも、何かを楽しむことに関して薬物に頼る期間が長すぎたために、人体が薬物以外から報酬経路を忘れてしまっているのです。

ただ、人間は強いので、そんな赤ちゃん以下の状態からでも、何かを食べては食べる楽しみを、何かをやっては達成する楽しみを、少しずつ作っていきます。これには個人差もあると思いますが、相当に時間がかかるのです。1年というのは、生きるのに最低限度の報酬回路を作るのに必要な期間だと思ってください。

報酬回路から薬物を消すことが目的なので、「自由になったら薬物をやれるんだ…」みたいなもの最初には必ずあるかと思いますが、それが消えるくらい、長い時間必要なのです。

2023-05-14

ADHDASDなんだけど

頭がおかしいってなるとイエローピーポーとか言われる時代世代なので、わかったのは5年半前っていうアラフィフ女子なんだよ

だけど10代後半に付き合った男に殴られて矯正したおかげ?もあって、友達も多いし、ASD傾向強くてアニメ全然みないんだけどなんとかおたく相手仕事をしてて

一応個人名前がでるような仕事もしているし、通ってる病院の中でも一番偏りがひどいのによくやってると真剣にお褒めの言葉もいただいているので

世間ASD人間がヤベーのに気づかなくてここ5年半で同じ病気だしと関わったやつが全部ひどいやつなのにびっくりしてる

3人と関わったけど2回裁判沙汰になりそうになってそのうち1件は示談、もう一件はめんどくさいからやめて、1人はどうでもいいやってなって離れたんだけど風のうわさでいろんな人にケンカふっかけて裁判で勝てる勝てるってなって全部負けて自滅したらしい。

ASDの人がどういう具合に人と違うかっていうのは元の性格所以してると思うんだよ。要するに性格が悪いASDは手に負えないのに、ASDだということで障害年金をもらっている上に人に迷惑をかけている

こういうやつらは本当にどうにかして欲しいし、自分は元々60まで生きる気はなかったので年金を払ったことがなく、親に払ってもらっていたぬくぬくASDお金もらってるのをみるとその金をお前ら処分するために使えと思ってしま

もう何もかもイヤになってやめてしまおうと思うあたり自分ASDだなと思うけど、自分で言うのもなんだけど「根はいいヤツ」だからやってこれたんだなあ、自分、40すぎまで友達に恵まれて人脈で食ってきた節もあるし

思い残すことはないんだよなあ

ちょっとあって実家に一ヶ月いたけど親は自分のこと眠れないだけでまともだと思ってるしまともなふりして一ヶ月できたし、疲れる。不眠は生まれつきだし、酒は眠りが浅くなる。ニコチンは煙だらけのとこにいたら目が虹彩炎になるほどダメだし、カフェインも飲めない。何の娯楽もねえんだよな

なんでこんな人間に生まれたんだろうと思うのはASDじゃなくて「寛解しました」って自分で言ってるASDからまたDMが来たりしてて、そうやって自分から関わらなくても変なやつに散々嫌な目にあう人間だということ

辛いです

いや、すいません

吐き出したかっただけ

何も変わらない

2023-05-12

anond:20230512122244

しろ死ぬだろ笑

免疫の薬での生存率見てきたらわかる、薬を投与する段階になったら目的寛解ではなく延命

2023-05-08

精神病寛解を先に目指した方がいいと思う。

女で500万はすごいよ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん