「ホッとする」という気持ち、凄いよくわかるんだよな
俺もかつて(という言い方をするのは適切ではないけど)OCDだったことがある。
その時に、自分は病人なんだという傷つきを受けると同時に「ホッとした」という気持ちがあった。
例えて言うなら、川のそばでふらふら浮かぶ白い影は何かと尋ねたら「あれは柳の木だよ」と言われたのに近い。
形を持つ、人間に定義された「病」であり、他にも同じ悩みを持っている人がいる。正体不明な苦しみは名前を付けられていて、改善可能なのだ、と。
しかし同時に、それは呪いに近い。OCDという自覚が、更に自分の行動を規定し、支配していく。
次第に「病」というのは自分から切り離されたものではなく、「自分そのもの」ということに気付いていく。
ASDとかADHDを何かの言い訳にすることに嫌悪感を抱く人は、そのことに気付いている人だと思う。
「OCDだから」ということは、何の解決にもならない。「私は私だから」と言っていることに近い。
逆に、「私はOCDだ」と自覚することで、OCDの症状が悪化していく。
あれは柳の木だ、と名付けることは解決の始まりになるが、解決にはならない。
寛解とはその柳の木を切ることでもなく、柳の木と意識する事でもない。
柳の木を日常の一風景として迎え入れることで、忘れることであるからだ。
今のASDとかADHDが沢山居る世の中を見ると、ASDとかADHDという名前に支配されている姿をよく見る。大丈夫かな、と思う。
本人がそれで良いと思うなら病気ではない。
俺も精神の障害者手帳もらってるけど、職場の申告制度(任意)では申告していない 「どうせ俺なんか障害者だし」と思うこと自体を減らしたいから まぁ年末調整とかで申告はしてるん...