2023-05-29

ASDとかADHDという診断名が付くとホッとする気持ち、凄いよくわかる

ASDとかADHD体験談で、医者から診断名を受けることで

「ホッとする」という気持ち、凄いよくわかるんだよな

でもそれ地獄の始まりからな。


俺もかつて(という言い方をするのは適切ではないけど)OCDだったことがある。

その時に、自分病人なんだという傷つきを受けると同時に「ホッとした」という気持ちがあった。

例えて言うなら、川のそばでふらふら浮かぶ白い影は何かと尋ねたら「あれは柳の木だよ」と言われたのに近い。


形を持つ、人間定義された「病」であり、他にも同じ悩みを持っている人がいる。正体不明な苦しみは名前を付けられていて、改善可能なのだ、と。


しかし同時に、それは呪いに近い。OCDという自覚が、更に自分の行動を規定し、支配していく。

次第に「病」というのは自分から切り離されたものではなく、「自分のもの」ということに気付いていく。

ASDとかADHDを何かの言い訳にすることに嫌悪感を抱く人は、そのことに気付いている人だと思う。

「OCDだから」ということは、何の解決にもならない。「私は私だから」と言っていることに近い。

逆に、「私はOCDだ」と自覚することで、OCDの症状が悪化していく。


あれは柳の木だ、と名付けることは解決の始まりになるが、解決にはならない。

寛解とはその柳の木を切ることでもなく、柳の木と意識する事でもない。

柳の木を日常の一風景として迎え入れることで、忘れることであるからだ。


今は寛解して、通常の生活を送っている。

今のASDとかADHDが沢山居る世の中を見ると、ASDとかADHDという名前支配されている姿をよく見る。大丈夫かな、と思う。

本人がそれで良いと思うなら病気ではない。

  • 俺も精神の障害者手帳もらってるけど、職場の申告制度(任意)では申告していない 「どうせ俺なんか障害者だし」と思うこと自体を減らしたいから まぁ年末調整とかで申告はしてるん...

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