はてなキーワード: 双極性障害とは
過労で鬱になってから15年。
いつ死のうか、いつどこで首を吊ろうかと考えてばかりいた。
実際一度未遂も起こした。飛び降り自殺のシミュレーションとしてバンジージャンプも飛んだ事もある。
でも昨日あちこちで拡散された、梅田の飛び降り自殺の動画を見て凄く生理的嫌悪感を感じた。
自分が一番欲しかった「死」がそこにあったのに、その人を羨ましいとは思わなかった。
亡くなった人には申し訳ないが、忌まわしくすら感じた。
ここで気づいた。自分は生きたいのだ。
死にたくはないのだ。
過労、パワハラ、病状、人間関係から自由になりたいのを「死にたい」と誤解していたのだ。逃げたいだけだったのだ。
全て逃げて生きられるなら、それを選択したいのだ。
ついこの間、意を決して発達障害の支援センターに電話をしたんだ
もうこれは発達障害だろ、間違いないって思い込んでさ
でも近所の病院で診断してくれるところが分からないから、教えてもらうために一週間ぐらい悩んで掛けることにした
昼前だったからかな
割とすぐに繋がって、担当の人にその旨を伝えた
そしたらさ
「もしもあなたが本当に発達障害だとしても、二次障害がないなら簡単に認定されないと思いますよ」
へーそうなんだ
確かにうつ病というには元気すぎるし、双極性障害でもないでしょう
生活に困るほどの不安障害はないし、その他色々診断もらうまでの精神疾患はないですよ
ありがたいことに
でも二次障害があってもなくても、発達障害だったら生き辛さは軽減されないと思うんだが
それを病名なしで説明して(それも素人知識で)、理解されるなんてことがあるのだろうか
一体どこまで不幸自慢すれば世間は諦めてくれるんだ?
そんな訳で医学的にはまだ健常者だ
診断書以前の問題で病院には行かなかったから健常者と名乗っても問題ないはず(本気で診断されたいなら病院行けといわれたら何も言えない)
しかし「普通」を必死で取り繕ったところでどうなるかなんて目に見えている(というか既に失敗している)
普通扱いされたところで、あなたが思っているような人並みには出来ないと説明するのも理解してもらうのも無理だろう
反対にこんなに生き辛いのになんの病気でもないことがつらいと言えば、病気の方々からの厳しい批判を浴びる
言ってることは正論だよ。自ら病気を望むなんて正気の沙汰じゃないだろうし、馬鹿にしてるとしか感じないだろう
だけどもうどうしろっていうんだ
だって俺から見た世間の「普通」と俺の「普通」がどう考えてもかけ離れているようにしか見えないんだから
だからどんな病名でもいい
はっきりと「生きるのに適性がありません」と誰か証明書を出してくれよ
そうしたらお互いに配慮もできるし、なにより納得できる
病名に頼ろうとするのが甘えだとして、でも縋る藁さえないのは酷だろ
まあ、これで俺が本当に「普通」だったら「病気」という理由からも完全に見放されることになるがな
それが一番ありそうで真面目に笑えない
感情のやり場も封じられたら、人はどうなるんだろうな?
無職27歳!
新卒で就職した会社は三ヶ月で辞め、そこからず~っとフリーター!
みんないい人で仕事内容も楽だったしなんの不満もなかったのに~
頭痛や耳鳴り幻聴のおかげで眠れなくなったので、心療内科に行くとどうやら双極性障害のようだった。
唯一、同人活動という趣味があるおかげでなんとか生きてるけど、オリジナル漫画を持ち込みに行くと面白くない、キャラの見分けがつかない、これじゃ生き残れないと言われる!
とても心が弱い人間なのでボロクソ言われたせいで持ち込みが怖くなってしまい、4度ほど投稿を繰り返すも全て空振り!
まあそうだよね~~~~~
心が折れそうだけどなんだかんだで新しい漫画を描いてる。
これもまた面白くないと言われて二度と見たくなくなる漫画になるんだろうな!
というか、絵を描くのが好きというわけじゃないことに気がついた。
タイトルが全てです。
おとなしく従おうと思います。
以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。
疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。
再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。
キチガイの勘違いや被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。
1.経過
父は素面のときは過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言で暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。
また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。
しかし、小学生の頃には担任に発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います)
変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙なラインだと自己認識しています。
(※母に、子供は日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています。
私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります)
(※家族親戚一同からは地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)
就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、
生来の不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活や業務に困難を抱えるようになりました。
一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、
それがとどめとなってか、
結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。
診断は双極性障害の2型です。
上手くコントロールできなくなりました。
復職と失敗を繰り返した結果、
現在は会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。
2.実家の現状
私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。
なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代に入院歴もあったことを知りました。
それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイだからなのだと信じていました。
(※母の疾患に関する詳細は省きます)
父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。
般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。
また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。
彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。
(部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)
(そもそも何故か私は部活動自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)
我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。
(遅くなりましたが、私は一人っ子です)
ただし、ストレスの発散方向は、
父→母→私で固定されていたので、
直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。
もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリーは悪化したため、
そのヒステリーを受ける私の精神的ダメージは結局増大するのですが。
また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。
(なんで母と結婚したんだ?)
私が帰省したとき、父は明らかに母に精神的DVを振るっていました。
正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣に諌める元気はなく、
(そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。
この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)
現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います。
入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。
あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。
3.懸念事項
下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。
もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。
まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、
父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢の限界は来るでしょう。
次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります。
正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からのDVによって悪化しているのではないかと私は考えております。
しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。
ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。
療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。
再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、
無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。
3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます。
私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。
また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります。
父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、
母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。
(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)
あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。
雑多なところで言えば
・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある
などがあります。
全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。
ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。
先程、父と2時間くらい会話した結果、
5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、
文章に吐き出せて良かったです。
肉体は疲れ果てました。
パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医に相談したことはありません。
流石にこの状態では色々と怖いので、主治医に頓服の精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います。
主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。
お金がないのは仕方がない。
カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、
・カウンセリングできる病状ではない
・傷を掘り起こすことで悪化する
のでやんわりと断られました。詰んでる。
実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、
父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。
私は父が怖いです。
しばらく前に、母の蔵書の目立つところに
『「子供を殺してください」 という親たち』
が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。
余談ですが、この話の最大の被害者は父です。
娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。
私の将来の夢は、
解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老いて死ぬことでしたが、
それも果たせそうにありません。
(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、
最後に。
初めて生活が少し楽しくなりました。
初めて泣かない日ができました。
挨拶をしてもしなくてもランダムで罵倒されることがないのは、とても快適でした。
残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。
東京、趣味に関するショップやイベント、コミュニティが豊富だし、
社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。
私の様子を見ておすすめの心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。
もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、
家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。
手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。
都会、楽しいです。
主旨も何もないメチャクチャな駄文を吐いてしまって申し訳ありません。
以上、乱文失礼いたしました。
追記(1223-1910)
誤解を産んでしまったならごめんなさい。
証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます。
彼氏や旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。
やすりでガリガリと削られる心をどうしようもできず見ているしかできない。
17年前から、私用あるいはちょっとした仕事で、一時期は使ったり使わなかったりして、好きじゃないけどそんなに嫌いにもなれないフォトショップで、
フリー素材の写真を加工しては印刷所が作ったテンプレートファイルのトンボ内、100mm×148mmの範囲、自分がいいと思った場所に素材を配置している。
双極性障害Ⅱ型を患っている私の脳は時々まるで私がそう思っているように死のうとするのだが、
それは双極性障害がやらせていることであって「私が」死にたいわけではない。だから私の脳は何か作業をすると、そういう気がそがれるのだ。
本気でデザインの勉強をしていた訳ではないので「っぽいもの」にしかならないのだけど、
Pinterestを見たり、今風のフォトショ加工記事を見ては、ああでもないこうでもないと画面とにらめっこをする。
本当は印刷所が用意したオシャレなデザインの年賀ハガキをネットで選べば良いだけなのだが、
私の中の「フォトショップを使ってオシャレっぽい年賀状を作りたい」という見栄っ張りの私と、
「何かをしていないとタオルで首を吊ってしまうので何かをしたい」という焦っている私が邪魔をするのだ。
スティーブンス・ジョンソン症候群の疑いがあり、MAX処方だったラミクタールを2週間で半分、3週間でゼロにした。
今とても焦っているので減薬がこのスケジュールだったか思い出せないし、上手く文章化できない。
とりあえず今の私はラミクタールを服用していたときの30%くらいしかパフォーマンスが出ない。
シンクは使用済みの食器が、脱衣場のカゴには洗濯物がいっぱいだ。
加えて、今日のようにばかみたいに暖かい日は布団を干すべきだったし、
家族の誕生日プレゼントを買いに一駅先のデパートまで歩いて引きこもりがちな体を動かすべきだった。
いつもなら風呂に入るのも「明日一日臭いのはイヤだな」という気分で入れたのに、
今はイヤだキライいだと風呂を呪いながらうんうん唸って2日に一度入る。
清潔を保つためには一日一回の風呂、一日二回の洗顔はすべきなのに風呂が面倒で億劫でどうしようもない。
手間を省くためにミノンの全身シャンプーにしたけれど痒みはおさまらない。
風呂に入るのがいやでいやで仕方がないのに、頭をガリガリ掻きながら痒さに悲しくなって唸るさまを客観的に見たら哀れそのものだろう。
洗い物と洗濯物は溜まっているし、気を抜いたら悲しくて死のうとしてしまう。
いまとても仕事が忙しい家族をアシストするどころか自分の世話をさせてしまっているのがつらい。
そういう焦りやしんどさを紛らわすために、フォトショップで年賀状を作っている。
薬が別のものになったり、ラミクタールを再開すれば、良いのか悪いのか判断すらできない今のデザインをやめて、
もっと良いものを作っているかもしれないし、印刷所が用意したオシャレ年賀状にしているかもしれない。
そんな事は無い。
だって俺が鬱になっている(らしい)上で、その思考を抱き続けているからだ。
大体そうコロッと考えが変わると思うか?バカ言うな、確固たる自分を持っている俺が、自分の言葉を曲げる訳無いだろうが。
何故俺がそんな甘えた病気モドキになって、かすり傷も治せすらしないような「おはなし」をするヤブに通い、効くかどうかもわからん高っけえクスリ買ってるかって?
知るかバカ、病名付けられたんだからそうするしかねえだろ。
しらねーよ、俺は昔から気分の浮き沈みがマリオ3の浮島ステージ並に激しいだけだ。落ち込む時は落ち込むが甘えた鬱共と違って死にたいとか思いすらしねえよ。
でも俺がおかしいだなんてアホ抜かすのがいたからよ、しょうがなく行ってやったんだよ。
「双極性障害」、言い方変えれば「躁鬱病」で「鬱病の一種」だとよ。人格測れるか怪しいテストやって、意味のわからんお話して、2週間ぐらい待たされて言われた。
ほう、俺は甘えてると言いてえのか。妥協せずに生きてきた俺が、甘えきったクズ共の上に立ってた俺が、甘えたクズと同類と。
クソが、自殺する気もねえ俺が鬱患者みたいなゴミな訳ないだろ。
おいゴミ共、残念だったな、俺は鬱病らしいけど考え方は変わらねえぞ。
むしろより敵意が湧いてきたね。だって俺は明らかに正常な意志を持ってるのにそう認定されたんだから。
他に書くところがないので、ここに書いてみる。わかりずらい文かもしれない。
私は3年前に転勤したんだが、転勤する前の職場で一緒に働いていた30歳代前半のヤツが亡くなっていた。心を病んで休職し、この春に自殺していたらしい。この夏に他の元同僚に合う機会があり、そこで初めて彼が亡くなっていたことを聞いた。ショックだった。
私が転出した翌年にそいつも転勤したんだが、彼が希望した部署への転出だったので非常に喜んでいたようだ。彼の転勤後、一度だけ会ったことがあるのだが「あれ?こいつこんなに明るいヤツだったかな」と思うくらいはしゃいでいた。その後風の噂に仕事を休み始めたと聞いていはいたが、まさかこの春に亡くなっていたとは。双極性障害で入院していたそうだ。退院直後に自殺したそうだ。
実を言うと今の職場でも休職する若手が出てしまった。今は私のかつての同僚のようなことにならないよう祈るばかりだ(いや、祈っていてはダメか。復帰したら皆でサポートしないと)
それにしても、改正労働衛生安全法によりストレスチェックを毎年しているのに私のかつての同僚が自殺してしまったし、私の身近で心を病む者が出てしまった。
本当にあの、自己回答形式のストレスチェックって意味があるんだろうか?
もちろんチェックの結果は職場には知らされないらしいのだが、少なくとも今の職場の若手が心の病を抱えていることは職場の誰も把握していなかった。急に仕事を休み始めて初めて気がついたくらい。
身近な範囲で不幸なことがあると、繰り返しになるが、果たしてストレスチェックなんて意味があるのだろうかと思う。自分のストレスを隠そうと思えばいくらでも隠せてしまうのではないか。
どうして血液や唾液の成分の計測等の客観的指標でストレスを計るような制度に設計しなかったのだろう。
またストレスの度合いが高い高ストレス者と検査した医師等が判断すると、医師から本人に面接などを受けるように指導が行き、その本人(労働者)から事業者(雇用側)へ申し出があれば医師からの面接指導等を受けさせる、という流れだと思うが、高ストレスと医師が判定したら、本人からの申し出がなくても医師による面接指導ができるようにしたらどうたったのだろう。制度の悪用を恐れたのかもしれないが、高ストレスと判定された者が正常な判断ができなくなっている可能性(できるだけ知られたくないと隠してしまう可能性)もあるのではないだろうか。
ゴミクズ野郎らしいので、律儀にトラバを見ているとも思えんのだけど、きみと境遇が近いので一応何か書きたくなったので書いとくね。
私もクソ貧乏母子家庭育ちで高校中退(奇遇だね!)。これは勉強が出来なかったからじゃなくて人間関係構築能力と集団適応力が皆無であったからだと思う。勉強そのものは別に嫌いではない。知ることは楽しい。
いきなり話が逸れた。
母はパチンカスヤニカスのサイマーで躾は暴力と暴言で行うタイプ。私の兄弟は思春期に統合失調症を発症し、その後は家庭内暴力が止まらない野獣と化した。私は10代のころに摂食障害を発症してBMI13ギリギリまで落ちたりウツになったり、通院先のメンタルクリニックでは情緒不安定性パーソナリティ障害と診断されるなどしていた。
で現在では、強迫性障害、社交不安障害、双極性障害と診断されており障害者手帳2級持ちだ。
私もきみと負けず劣らずのクズの自覚があるし、何事もやる気が続かないクズでもあるのだが、何よりも人間が嫌いであるので、あなたのようなゴタゴタやトラブルとは完全に無縁である。
幼少期には父親から挨拶がわりにディープキスされまくったり、一緒のお風呂では父の陰茎を洗う係に任命されるなどしていたが、自傷行為もしないしオーバードーズもしたことないし男性依存もない。
同じ目に遭って似たような精神疾患になってるのに何が違ってこういうことになるのだろう。私はゲーム依存症でもない。ネット依存症ではあるかもしれない。
私は潰瘍性大腸炎と双極性障害で実家住まいだったのに、にっちもさっちもいかなくなったことのあるアラフィフのオバちゃんです。(愛知県在住)
他の方の言及にもありますが、まずは最寄りの生活保護担当の方に、親世帯と(物理的に)離れて生活保護を受けられないか相談してみてはいかがでしょう?
私が相談した時も親世帯の諸事情で一緒の生活で保護を受ける方向は選択できませんでした。
そこで、親とうまくいっておらず、生活援助も受けられない、ということで一ヶ月、自治体の施設で保護を受けつつ一人暮らし可能かを見極めるテスト暮らしの後、保護費で実家の近くに今の住居を確保していただきました。
(テスト暮らしは古くて使われなくなった公営住宅の一室に本当に最低限の家電等があって、そこで仮住まいの形式でした。)
保護を頂ければ、難病の自己負担含め医療費負担はゼロになります。
やりくりは必要ですが、ケータイ、インターネット含め生活インフラが止まることはなくなると思いますので、日々の暮らしは安定しやすくなると思います。
落ち着いたらデビッドカードを作成、N予備校その他、学習サイトを利用してIT系手に職をつけてみては?
ハロワの職業訓練は学校のようにコマ分けキッチリなのでトイレとか厳しいかもしれません。
私のようなアラフィフ、高校中退、中途半端な難病、メンヘラと詰みすぎてるオバちゃんでも未だ保護からの自立を諦められずにもがいているのに、その若さなら尚更でしょう。
今はネットもあるし、何より貴方には若さもある。健全な精神もある。
追記:
オバちゃんくらいの文章力でもExcelのマクロ他ちょっとしたスクリプト書いたり、2種情報処理技術者(今の基本情報処理技術者)と日商簿記2級受かるくらいは出来てます。
なんか、すごい唐突に「私生きてもいいんじゃないか?」と思えて、明るい未来を描けて、根拠のない自信に溢れて、涙が止まらない。
運動をしたからか、甥(5歳)と二人きりで過ごさせられたことが思いの外楽しかったからか、色々理由はあると思うけど、唐突に「なんか、これからの人生なんとかなる気がする!」「楽しい人生を送れる気がする!」という楽観視が出来るようになってる。
今まで「楽しい未来」を想像することがマジで本当にできなくなっていたのだけれど、なんか、漠然と「楽しい未来」が想像できる。帰り道とか、食後とかに「幸せ」を感じている未来が想像できる!すごい!!「幸せな妄想」ができる!感動!!
私、今まで自分のことをうつではないと思っていたのだけれど、冷静に考えてうつに片足突っ込んでいたのでは?と思う。
・「自分は生きてはいけない人間」「自分はダメ人間で悪い子」「どう頑張っても幸せにならない」「幸せになってはいけない」などと無自覚に考えている
・ゆえに肉、甘味、酒などを接種しない(食べるときは罪悪感を感じながら食べる/食べた後に罪悪感に襲われる)
・何か楽しいことがあったあとは「私には楽しい思いをする資格がないのに…」と罪悪感に襲われる。
・やりたいことが見つからない。食べたいものが分からない。正確に言えば私のなかに色々な願望はあるのだけれど、無意識に私にはそうする資格がないと諦めている
・死にたいな、死ぬべきなんじゃないかなと思いつつも死ねないことに絶望している
この辺、全体的にうつの症状では…?
・頑張ることが怖い、しんどい、つらい思いをしたくないと口癖のように言っている→うつは頑張っている人がなるから、頑張っていない私はうつじゃない
という思考回路で自分のうつ思考を全然自覚できていませんでした。上にかいたことも全体的に「今思えばこう考えていた」です。
例えば、母に働けと言われたときに、私は職場で上司に出来が悪いと叱られ、同僚に感じが悪いと白い目で見られる妄想しかすることが出来なくて、そんな思いをするくらいなら絶対に働きたくないと思っていたんだけど、今思えばなんか、そんなことなくない?
人を人として扱えない人もそりゃいるけれど、心の優しい人はそれなりにいるし、仮に嫌な目に遭えば、転職すればよくない?
ーーー
基本的に悲観的な考えが頭を占めている時は、楽観的な思考はどこかに行くし、そもそも自分が悲観的だと自覚できていない。
理想は悲観的な私と楽観的な私が同じくらいの分量で話し合う脳内だろう。
でも、今はなんだかすっごい躁モードな気がするから、はやく落ち着きたい。後でガタがきそう。
おそらく私はゼロヒャク思考が強めなので、鬱モードになったときに「躁モードの時と同じだけ頑張れない私」が許せなくて、いっそなにもしないということをしてしまいがちなのだけれど、「必要最低限頑張れた私」「そこそこ頑張れた私」を認めてあげるところからはじめるべきでは。「100点以外は0点と同じ」という思考ではなく、「60点もとれた私偉い!すごい!」という思考にするべき。あと、躁鬱の概念すごく便利。「今私は鬱モードだから」と全力馬力を出せない自分を許せる。というか「全力馬力は躁モードの私だから、本来の実力ではない」と言い替えた方が私にとってよいかも。私はおそらく躁うつ(双極性障害)ではないのだけれど、そのスペクトラム上にはいると思う。
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ねえ、もしかして私「頑張らなくても"良い"」んじゃない?頑張っているかどうかで、私の良し悪しとか、変わらなくない?
別に頑張る必要がないわけじゃなくて、頑張ろうが頑張らなかろうが私は私なんじゃない?「私」に頑張るか頑張らないかなんて、関係ないんじゃない?
今はまだ半信半疑で「本当に頑張らない私も私としてしまっていいのか?」と思っているけれど、頑張っている私も私だし、頑張っていない私も私なのでは?頑張っていない私を否定する必要はないんじゃない?むしろ否定していると、先に進めないんじゃない?
そう思えると私は随分生きやすくなるなあと思うのだけれど、どうだろう、本当にそんなことおもっちゃっていいの?大丈夫?後で取り返しのつかないことにならない?取り返しつかなくなったその時に考えればいいのかな。本当に大丈夫?
頑張ろうが頑張らなかろうが私は私だからこそ、思う存分頑張ることができるのよ。
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優等生であろうがなかろうが、完璧であろうがなかろうが、私は私だからこそ、思う存分優等生を目指せるんだよ。
私、自分のことをたいして頑張れる人ではないし、完璧主義者ではないし、優等生でもないという評価だったのだけれど、自分でそういう評価をするということは、その実自分が誰よりも優等生で完璧で頑張れる人に憧れ、なりたいと思っているということなのでは?そんなものになる必要、なくない!?
人間は失敗する生き物なんだよ。失敗した自分を否定しないで受け入れて。失敗しても成功しても、私は私、どっちでも同じなのよ。で、どっちでも同じなら、成功した方が嬉しいよね。
「頑張らなくても"良い"」の対偶を書くなら「頑張らないは"悪"ではない」でしょ?(厳密には違うけどこの際気にしない)頑張らないことは悪いことじゃないんだよ。頑張らない子は悪い子ではないんだよ。頑張ろうが頑張らなかろうが、みんな等しく「子」なのよ。
私、たぶん頑張ろうが頑張らなかろうが幸せになるわ!そんな気がする!頑張ろうが頑張らなかろうが私の未来はそんな変わらない気がする!
頑張るのと、頑張らないのとで、未来が一緒なのであれば、頑張った方がいい、と思えるメンタルを継続していきたい。なんか、気を抜くと「なら頑張らない方がよくな~い?」とか言いそう。
しかしながら!頑張るかどうかに私の良し悪しは関係ないのだから、「頑張らない」を選択しても、良いのだ!
これで、良いのだ~~~!!!