過労で鬱になってから15年。
いつ死のうか、いつどこで首を吊ろうかと考えてばかりいた。
実際一度未遂も起こした。飛び降り自殺のシミュレーションとしてバンジージャンプも飛んだ事もある。
でも昨日あちこちで拡散された、梅田の飛び降り自殺の動画を見て凄く生理的嫌悪感を感じた。
自分が一番欲しかった「死」がそこにあったのに、その人を羨ましいとは思わなかった。
亡くなった人には申し訳ないが、忌まわしくすら感じた。
ここで気づいた。自分は生きたいのだ。
死にたくはないのだ。
過労、パワハラ、病状、人間関係から自由になりたいのを「死にたい」と誤解していたのだ。逃げたいだけだったのだ。
全て逃げて生きられるなら、それを選択したいのだ。