はてなキーワード: うんざりとは
反対勢力を包む「応援しているからそのまま攻撃されて耐え続けていてね、屈したらその時は私達が責めるけど」という態度だけで全てが説明できてしまう。
この時点でどちらへ流れが強く向いているかが分かるだろう、強引に引っ張っている相手に対してこの無防備宣言である。
よく標的になるオタク層分野に多い「消費以外に対する面倒くさがり」が思いっきり出てしまっているよね。
SNSでちょっと書くだけで何にもならない「応援」の何と虚無なことか、そこには何も守れるものはないし負け続けるのは必然過ぎて笑えてしまう。
助けにもならず、力にもならず、ただ騒いで消費するだけ、いじめ被害者を安全圏から応援する外野のような優良顧客気取りの集団にこそ、現場は一番うんざりしているというのにね。
屈するなと吠えるなら、精々その好きなものを努力して助けたらいいのにそれだけはやろうとしない。
屈した企業は叩いても、いざ敵自体には言い訳並べて絶対に立ち向かわない。
直接どころか間接的に仕組みを作ることすらそれはとても面倒くさいから。
俺は悪くない
ふざけんな
と繰り返した挙句、もういい!と言って怒り出す。
どんな男もそうだ。
議論で言い負かされると分かるや頭のいい女はクソだ!と怒鳴る。
もううんざりだ。
二度と家に帰って来るな。
大して働かず550万くらいという自社以外の労働者を馬鹿にした年収にうんざりして3年在籍中。成功もせずダラダラ増田書いたり子供部屋おじさんしながら働いて年収700万円くらいまできた。彼女はいる。
つまらなくも楽しくも無い。
死ぬほど働かされて550万くらいという人を馬鹿にした低い年収にうんざりして数年で外資に転職。そこから成功して年収1400万円くらいまできた。妻がいて子供が2人。
この年になって金の稼ぎ方や、人との接し方、その他色々な生きて行き方がやっとわかった。学生の頃が一番楽しいという人はいっぱいいるけど、俺は今が一番楽しい。オープンワールドゲームでやっと全部のマップに行けるようになった気分だ。
違うよ、所有したくないんだよ。もう所有することにうんざりなんだよ。
金はあるし欲しければなんでも買えるけど、身軽に生きていきたいんだよ。それがミレニアル以降のリアルだと思うよ。
昔に比べて収入は上がったし欲しいものがなんでも買えるとなると逆に何も欲しく無くなる。子供の頃や若い頃、あんなに何かを欲しがってたのが不思議に思える。
何かを買おうかなと思う時、これいらなくなって捨てるのが面倒だなと思うと欲しく無くなる。
まわりも同じようなことを言ってるので、シェアが流行ってるのは貧しいからではなくむしろ逆だと思う。
自分より若い世代はそれに加えてひたすら消費することに倫理的に疑問を感じてる人も多いと思うんで、さらにこの傾向は進むと思うよ。
物を欲しがるってのは、貧しさの象徴なんだよ。
ゴブリン就活無双とかいうやつをテレワーク中に見て苛立っている。
何が悪質かって、学生に内定辞退前提で大量に企業を受ける事を勧めている事、それと言っている事が社会構造に直結し過ぎていて会社ではどうにも対応しようが無いという事だ。
そりゃおじさんにウケるような社員なんてどこの会社も欲しいに決まってんだろ。
でも俺たちが欲しいのは面接の時だけおっさんウケするヤツじゃなくて、普段からナチュラルに気遣いできるやつなんだよ。
今から女性を最終面接官にアサインするのは会社として無理だし。
面接のために人生経験積まれたり面接慣れされたら、ウチの人事の連中なんかどれくらい見抜けるか分からないし、それで内定辞退されたらナビサイトへの掲載期間も増えて余計に金がかかるだろうが。
仕事で絵描きを相手にしている。なんの仕事かは伏せておくが、とにかく絵を描く連中をたくさん見てきている。
絵のジャンルはいわゆる萌えとかそういう奴。写実的な方ではない。
で、絵描き連中は大概クソだ。
上手ければ上手いほどクソ度が上がる。
どうクソか。
まずあの連中日付を守るという意識がまるでない。ひいては約束事を守るという意識も薄い(こっちは皆無とは言わない)。
何日まで別の原稿やってるのでその後に連絡します!といって連絡してこないことなどもう当然だ。こっちもそれを見越して1週間くらいさばを読むが、それすら平気でぶっちぎってくるし、そのままフェードアウトして一生連絡してこない奴もうんざりするほど多い。
そのくせ中途半端に職人意識が高い。注意して欲しいのは「プロ意識」ではなく「職人意識」が高いところだ。
ちょっとでも職人意識を傷つけると(その意識も我々凡人には分からない些細なところが多い)「あなたは絵描きのプライドを傷つけた!」とかなんとかいって進行中の仕事でもこちらがすべて悪いことにして平気で蹴り飛ばしたりするのだ。
そのうえそれをTwitterで大々的に喧伝してかわいそうな被害者になったりするのでやっていられない。
定期的に絵描きがこんなに悪いクライアントがいる、クライアントは絵描きを舐めている、不払いをしているなどとバズったりする。
が、クライアントから言わせて貰えばお前らが言えた口か、とおもうのだ。何かあればすぐトンズラする、メールに返事もしない、悪い相手だと前払い金を受け取っておきながらそれをやる奴すらいる。
だがクライアントはそれをTwitterで喧伝したりしない。しても得が無いからだ。かくて世の中には搾取される絵描きと搾取する悪徳クライアントしかいないような構図になる。
あなたがどういう目的でこのクソ文章を読んでいるかは分からないが、これから絵描きと仕事をしようという方なら一つ忠告しておこう。
どんなに良さそうな奴に見えても絵描きというだけで信用するな。奴らはクソだ。
子供が小さいので、ここ数年、きかんしゃトーマスを観させられている。
改めてみてみると、なかなかこれはこれで面白いもんだなと思ってた。
見始めたころは。
レギュラーというのは、トーマスと同じ機関庫で休むやつらで、当然出番も多い。
確かに、交代するのもわかる。
まず、男女比が5:1で、車体の色も青が3台、緑が2台、赤1台、ダークグリーン1台っていう偏りっぷり。
降板のエドワードは青くて優しい。とにかくもう聖人といっていいくらいに優等生。
アフリカ系のステレオタイプの腫れぼったい厚い唇だ。気の利いたことをいったり、面白いアイディアを思いついたりする。
もう一人は黄色い機関車のレベッカ。カラダはデカくて力持ちだが天然お嬢様。
もうポリティカルコレクトというやつでうんざりだが、まあここまではいい。
もう少し具体的に言うと、アメリカからきた黒人系の女性発明家が移り住んだ。
これもポリティカルコレクトってやつなのか?
トーマスの時代設定は明らかにはされてないんだが、いくらなんでもないだろ。
この女性発明家、初登場は劇場版からなんだけど、まあ劇場版が酷い。
それで、電気で走る夢の超特急(完全に見た目は新幹線)が出てくる。
空飛ぶ車の次が電気で走る列車ってのがよくわからんけど、アメリカ人は電気ならエコだしスゲー速いだろくらいに考えてるっぽい。
超特急だろうがなんだろうが、列車じゃどこまでいっても駅で捕まるだろっていう野暮い突っ込みはとにかくとして、ロボットが暴れたりいろいろあったけど最後はロケットブースターで加速したトーマスが追い付いて列車を止める。
子供向けだからってさ、なんか派手なシーン作っとけばいいだろっていうガバガバ。
いろいろあって、いや別に理由はないんだけどトーマスの島に居座ることになった発明家。
使われなくなったものも修理して使う!エコだね!エコ!みたいな感じ。
ここまではまあいい。
2足歩行する橋だとか、人工雪を降らせまくるとか。
結局のところ、アメリカ人のエコなんてこんなもんなんだろうな。
風力発電とか太陽光発電で発電すれば、いまよりもっとエネルギーが使えるぜ!
馬鹿なアメリカ人が馬鹿なアメリカの子供のために低俗な番組を作ってる。
アメリカ人の5割くらいは、二酸化炭素排出量なんてEVに乗るようになれば全部解決って思ってるんだろうな。
アメリカ人はそれより前に24時間全館冷暖房つけっぱなしにする空調システムをやめろよ。
景観条例で外干し禁止だから全部乾燥機とかアタマ沸いてるだろ。
馬鹿でかいSUVに乗って、ヨーロッパから輸入したミネラルウォーターを飲んでる意識高い系、自分でオカシイって気づかないのか?
炭水化物は体に悪いから取らないとか、オーガニック食材じゃないととか、塩素は悪魔の元素とか、そういう無知が二酸化炭素排出につながってるんだぞ。
子供というのは言わば新品のストレージを持ったコンピュータなんだから、古いストレージにデータを詰め込んだ大人よりもある意味では「賢い」(の定義は自明ではないが)のは当たり前。
「子供には子供なりの理がある」ということを今更発見する親というのは、別に珍しくもない平均的な普通の親なので小言を言うのも下らないのだが、ポリコレだのなんだのにうんざりしたときにふと揶揄したくなることもなくもない。「"おまえら"の方がよっぽど意識をアップデートすべきだろ」と。
「おまえら」って誰だよw 我ながらアホくさい。
でもまあ細かい日常のしぐさはともかく、サンタクロースという嘘を子供に教えて嘲笑う文化はいい加減に虐待だと認識されるべき。これは何かの揶揄や皮肉ではなくストレートな本音。
単純に仕事として考えても、コミケは対面でやるほうが目的に合致している。祭り的な雰囲気が必要だし売上も全然違うだろう。
祭りのテキ屋にオンライン販売しなよ、って言いだしたらアホか?って思うし、客にたこ焼き好きならオンラインでたこ焼き買いなよ、って言いだしたらアホか?って思う。
テレワークで済む業務を雰囲気のために出社強制するのと、そこでやってるお祭りに自分の意思で遊びに行くのが本当に同質だと思ってる?
増田は夫をとにかく否定したいからあえて一緒くたにしてるだけでしょ。
不快感の表明のために理屈にもなってない理屈らしきものつけるやつ多いよな。
ただ不快だと言えば良いだけなのに。
ちなみに俺はコミケに行ったこともないし興味を持ったこともない。
自分が好きなものだから擁護しているんだろう、みたいな幼稚な考えのやつが多いから、
いちいちこういうエクスキューズをつけなければいけない時代になってしまった。
うんざりだ。
結論から述べると、基本的に同業者になる才能がない限り推しと繋がれることはない。
だが、弁えていれば可能性がないわけではない。そのため、「何を弁えていれば推しと繋がれるのか?」についてのヒントを書き記す。
菅田将暉は小松菜奈と結婚するし、2.5次元俳優はミュージカルで共演した女優と付き合ってるし、VTuberはVTuber同士で付き合ってるし、コンカフェ女はメン地下と繋がっている。
最近は元オタクがその業界に入ることも多いし、エンタメの「消費者」と「提供者」の境目が非常に曖昧になってきている。
しかし、「提供者」のマインドはあくまで仕事であり、多少やりがい搾取的な環境に甘んじてはいても、そのマインドは消費者とは全く異なるものである。
マネタイズし始めた瞬間、どんなに好きな業界でもそれは「仕事」となり、心理的な距離は普通の会社員の仕事に対するそれとほぼ同じになってしまう。「好きな事を仕事にするな」という論は、ここら辺のことも意味しているように思う。
Twitterも、舞台挨拶も、ファンサも、全部仕事だからやっていることであり、それ以外の感情はない。別にオタクが嫌いとかそういう話ではなくて、ただ「クライアント」としてしか見ていない、というだけの話である。
毎日話すわけでもない取引先の人間や店にやってくる客に対して特に感情が生まれないのと同じで、オタクの中で多少目立つからといって深い仲になることはまずありえない。「好き勝手消費したあげく、私生活も開示してほしい」と願う人間と付き合うことは、ブラック企業に就職してプライベートでも持ち帰り残業し続けるのと同等の精神的苦痛が生まれるということは想像にかたくない。
そもそも、表に出る仕事をしている人間と繋がりたいなどと安易に考える人間が、表現者の闇や苦悩を本質的に理解できるとは思えない。ハイスペックと言われる男女が似たようなスペックの相手とくっつくのと同じ現象がここでも起きる。
この現象は現実の恋愛ともリンクしている。モテる人間というのは「提供者」としてのマインドが確立されており、サービスとして相手にとって快い対応を心がけている。その結果、様々な異性から関心を向けられる。勿論関わる全員に対してこの精神を発揮していたら友達も多いだろうし、仕事でも重用されるだろう。
この対極にいるのが非モテである。非モテのコミュニケーションはとにかく一方通行で、自分のしたいことしかしない。徹底的に「消費者」としての行動しかしない。相手が自分をどう楽しませてくれるかということばかりを考えて、自分が相手にどのような楽しさを提供できるかは全く顧みない。
その結果、現実世界の恋愛、もっと言えばコミュニケーションから断絶された非モテが流れ着くのが、アイドル、俳優、VTuberなど、「コミュニケーション強者しかいない」コンテンツである。
オタクの感情は金になる。一方的な愛情が強ければ強いほど、課金額は跳ね上がり、コンテンツが大きくなる(ホス狂いなんかもそう)。
しかし、上記の理由から、「提供者」側は「消費者」と関わることなどもううんざりなのだ。
従って、ただのオタクが「提供者」と繋がれることなどほぼありえないが、繋がりが成功する例外パターンはいくつかある。
一つは、売れ始めなど、相手が人間を粗末に扱う喜びを覚え始めた頃。セフレくらいにはなれるだろう。勿論外見が良いというのが大前提である。
二つ目は、そもそも相手にプロ意識がほぼない場合。「提供者」としての絶望に目覚めていないほどの活動しかしていない、たとえば同人者とか地底アイドルくらいだったら繋がれる可能性は高い。ただ、そんな程度の活動しかしていない人間がオタクをしたくなるほど魅力的か?と言われると微妙なところである。
成功率はともかく、今まで読んでくれた人はもう推しと繋がるために何を弁えたらいいか分かっていることだろう。
相手をエンタメだと思わず、むしろ自分がエンタメに徹する訓練をするといい。推しがありのままの自分を受け入れてくれているのは金を払っているからにすぎない。
これを続けるとどうなるかって?
――君もすでに「提供者」側の仲間入りだ!おめでとう!!
お前の読解力の無さにもうんざりだが、
「差別でないもの」に、差別というレッテルを貼るなと言ってるの。分かる?
差別でないものに差別とレッテルを貼るのは、「事実に基づかず、名誉を傷付ける」のだから、誹謗中傷と同じだよ。
それはマズいから、差別だというなら差別である論拠を示せよ、差別かどうかは人権が侵害されているかの一点だろ、と言ってるの。
結局女でも下ネタ言い合うことがあるんだよっていう現実が清純な幻想見てる奴らにとってエグいだけであって、下ネタフリークからすればええ趣味しとるやんぐらいのエグさしかないっていう。
その中で使われる聖なる技のクンニや手マンの話なんて知っただけでもう涎もんなのに
「イタい」だの「届かない」だの「ただベロベロ舐めてるだけなら犬の方が上手」だの言ってくる
そういうエロ妄想で届き切れない現実の部分でズバッと切り込んでくるからエグい、ってことなんでしょうね
クンニしても舐め方が下手ならせん方がええって事ですね、僕は陰唇をしっかり舐め取るタイプです!
おじさんもたまに風俗嬢の裏垢みたいなのを見ると「もしかしておじさんも嬢にそういううんざりさせるような気持ちを抱かせてるのかな?」と思ってちょっとだけ凹みます。
これがエグみですね。
もう何回こういう話をするんだよって本当にうんざりする。
そうだね、全然オッケーだと思うよ
ただそれなら「子供に悪影響」とか「性犯罪を誘発」とかいう嘘をつくなよ。
それならよっぽど話が建設的になっただろ。
表現規制派はそこで延々と嘘をついてきたんだよ。
子供を盾にして、犯罪とかどうとかでまかせを並べて、エビデンスを求められると顔真っ赤にして被害者ヅラになって逃げ回る。
まず嘘つくのやめろやってどんだけ言われてきた?
俺も宇崎ちゃんの絵とか見てて良い気分は1ミリもしねーわ。安っぽいし下手糞だし。
ああただの感想ではなく規制や他者の抑圧をお求めなら、それはそれなりの理由が必要ですね、どういう理由ですか?って言われて
性犯罪誘発~みたいなでまかせを並べて、エビデンス求められたら鼻水垂らして逃げ惑う。
これをずーっと繰り返してきてるわけじゃん。
「不快だ」「クソだ」などの批判を言う権利なら全然あるよ。どんどん言えよ。
でもお前等が求めてるのはそこじゃなくて、抹殺したいわけじゃん。
何回も何回もここを行き来して話を混ぜようとするよな。
俺は宇崎ちゃんのポスターが自室に貼ってあったら嫌だから剥がすわ。
けど道に貼ってあるのはしょうがねえわ。
道に貼ってあるのすら許さないつもりならなんかそれなりの理由が必要だろ。
「私が不快だから」で他人の空間や公共空間まで自分の思い通りにしようってのはビョーキだよ。
お前の家の色が嫌だとかお前の家の匂いが嫌だとか町からノータイムで出ていけとか言われたらどうするんだ?
それは俺も不快だし萌えオタの人達の多くも不快がってると思うよ。
それにしたってどういう理屈で戦うのかはよく考えるべきだと思うけどね。
エロ広告はエロだと思うけど、萌え絵=エロっていうのはどっからきたの?
突然飛躍した気がする。
俺は多分それは証明できない徒労だと思うけど
社会的に萌え絵を抹殺したいならそれぐらいの労力はかけてちゃんと調査するしかないでしょ。
はっきり言って
「あんたの脳がエロいだけ」みたいな調査結果出ちゃいそうだなーと思うけどな。
でも本気でそれを主張するならきちんと調査してみろよ。
なんでそこをさぼろうとすんの?
そういうとこに本気を感じないし、「萌え絵に耐えがたい苦痛を感じてる」って言うのも嘘くせ―な―って思っちゃうんだよ。
俺は宇崎ちゃんは不快だけど、他の不快なものと同じく我慢はできる。お前等もその程度なんじゃないの?
被害者気分でギャンギャン喚き立てて誰かを攻撃するのが気持ちいいってだけだろ?
本気で辛くてそれを取り去りたいっていう人間の真剣な感じを表現規制派から感じたことがないんだわ。
お前等要するにキモオタが調子こいてるのが気に入らねえ、イジメて楽しみてえ、ってだけなんじゃねーの?
繰り返しをまとめるけど
・「これは嫌いだ!不快だ!」はお前のお気持ちだけで叫んでOK。
・「社会から抹殺すべき!」にはもっとしっかりした理由がいる。
規制派だってそれはわかってるので「子供に悪影響」「性犯罪誘発」というでまかせぶっこいてきたわけ。
何回この話しなきゃアカンの?
お前等キチガイに対抗して宇崎ちゃん守ってる人間=宇崎ちゃん好きだと思うのもやめてくれ。
(追記)
「不快」という批判への批判は当然あってしかるべきだけど、そこで行うべきは、「自分にとって萌え絵がどれほど魅力的なものか」「萌え絵が好きな自分を否定されて傷ついた」という「お気持ち」を正直に示していくことであって、「表現の自由の侵害」とかじゃないと思うんだよね。
お前が「宇崎ちゃんは不快」「宇崎ちゃんはクソ」で留めてるなら、
反論も「何を言う宇崎ちゃんは素晴らしい」「宇崎ちゃんは最高だ」でいいだろうよ。
そういう言い争いなら俺はお前に乗る。宇崎ちゃんはクソだ。俺はお前と同じお気持ちだ。
でもお前が求めてるのはそういう話じゃないだろ?
お前が求めてるのは「宇崎ちゃんは不快だから社会から道から抹殺せよ」じゃん。
それに対する反論は「あーハイハイ表現の自由の侵害でーす」になるに決まってるだろ。
表現規制派ってなんでこの程度の話もわかんなくて
何度も何度も何度も何度も同じとこループするの?
いい加減にしてくれ。
反出生主義というとあまりいい印象は持たれておらず、「生きてるくせにダブスタだ」とか「生き物として間違っている」とか言われがちである。
私は反出生に賛成なのだが、理解できる反出生主義とちょっとバカそうな反出生主義がいて、これはどのジャンルもそうだが人数がいるだけ考え方が少しずつ違い、その中の変な層ほど声がデカくその主張を聞いた人が「こいつらバカじゃん」となるのはとてもわかる。
例えばフェミニスト。まじめに女性を守ろうと一生懸命動いてる人もいれば、ただ怒りを男にぶつけたいイライラしてるだけの女もいる。
例えばヴィーガン。自分に合った食事をひっそりとしている人もいれば、屠殺場で大暴れして人の仕事の邪魔をする人たちもいる。
例えば動物愛護。自分の手の届く範囲で助けられる動物をしっかり世話する人もいれば、考えなしに受け入れて結局金銭面で面倒見切れず崩壊する人もいる。
どのジャンルにもバカが居て、そいつらが目立つのであまり知らない人からしたら全体がバカそうに見えてしまうのが悲しい。
本題だが、私の場合の「反出生主義」というのは、「資格のある人だけが産みそれ以外の人は子供を産まないで欲しい」というものだ。
妊娠出産を免許制にして許された人のみが子を産み育てて欲しい。
虐待して死なせたり、金がないせいで子供の可能性を潰したり、将来親の介護を押し付けたり、とにかく悲しいことが多すぎる。
・人として当たり前の倫理観(浮気、不倫をしない、人のものを盗まない、人の嫌がることを故意にしない、人の悪口ばかり言わない、子供をバカにしたり否定したりしない、子供を性的な目で見ない等)
・子供と同レベルで言い争うことをしない知性(悪いことをした時なぜダメなのかを子供に理解させることができる)
このように人柄、知性、資産が合格であれば子供を産んでいいと思う。
かなり合格者は少なくなるだろう。しかし本来そうあるべきなのではないか?
なぜそう思うのかというと、私の友達に同い年の女性で同じタイプの発達障害がいる。
こだわりが強く、何か気になること(角にピッタリ物がハマってないなど)があるとそれしか考えることができなくなり、新しい物が苦手で排他的、わからないことや興味がないことは全て放置で挑戦せず、何か一つのことにハマるととことんやる。地図が全く読めず、名前を覚えるのが苦手、運動が苦手、片付けができない、感覚過敏で音や匂いや食感に苦手な物があり、感覚鈍麻で突然体調を崩す。
仕事は接客業のバイト。感覚で生きているので会話はしっかりできるが基本受身。リアクションの良さで乗り切っている。
そんなほぼ同じタイプの友達二人だが、違うのは親ガチャが成功か失敗かというところ。
家の資産はかなりあり、小さい頃から親に可愛がられ、自己肯定感も高く、今は結婚して家と車を親に買ってもらい幸せに暮らしてる。
Bさんは親ガチャ大失敗。
小さい頃から親に否定されバカにされ、自己肯定感が低く、今は鬱で仕事もできずに実家暮らし。
この差は親の人柄が一番大きいとされる。
同じタイプの発達障害だが、親の人柄がよかったAさんはそれを気にせずそういうものだと受け入れ生きている。
親の人柄が最悪だったBさんは常に何かに怯えながら自分が悪いという気持ちに苛まれ生きている。
さらに資産問題。まだBさんは実家に住めることを許されているが、これが許されない場合は生活保護か風俗しか道がない。
他の場合の話。
買い物をしている時に3歳くらいの子供にずっと怒っている母親がいた。3歳児は恐らく何か発達障害なんだろうか、何を言われてもケロっとしており怒られたことをまたすぐにやる。
それにうんざりした母親は子供に向かって「お前気持ち悪い」と悪態をつく。
悲しくなった。
その後、道端でまた見かけたが電柱の隙間に追い詰めてまた子供を怒っていた。多分ずっと怒られる人生なのだろう。終わりだ。
自我が芽生えた頃には自分はなぜ人と同じことができないのか悩み、唯一の味方であるべき親に否定され続け、逃げ道はない。
発達障害を抱える人にはよくある話だ。
これも、親に知識がなく子供のうまい操縦の仕方がわからずただ怒鳴ることしかできない無能だったがための悲劇である。
発達障害は確かに大変ではあるが、障害の種類で法則性があるので合う育て方が分かればお互いが楽になる。
うちの子に限って!と障害を認めない親が悲劇を生んでいる場合が多いので一定の年齢になった時に検査を義務化して欲しいものだ。
障害は確かに生きづらいが、普通の人が成し得ないことをやってのける可能性があるので武器にもなるし、向き不向きがわかれば本人も親も楽になるのでウィンウィンだと思う。が、障害者への差別が奥底にあるのだろう、ネガティブに捉えて認めたがらない人間の多さにうんざりする。
話が逸れたが、このように親ガチャで同じような子供でも雲泥の差がある人生を歩むことになる。
ところで先程「子供の操縦の仕方」や「なぜダメなのかを理解させることができる親が合格」などと言ったが、子育ての大変さをネタにしたツイートや漫画で「子供はそんな思い通りにいかない」という主張はわかる。
それを覚悟して産むのだからそんな漫画やツイートをする時間があるのなら子供の面倒をみたり家事をすべき。もしくは愚痴を言うのではなくもっとプラスになるポジティブな趣味をみつけるべき。
思ったより子育て大変だったと思う人間は正直バカなんじゃないかと思う。
何をしても泣き喚く子供、どこでも走り回る子供、普通に生活していればわかるはずだと思うが…
しかもネットで検索すれば子供の大変さなんていくらでも出てくる。なぜ体験するまでわからないのか不思議でならない。
友達にも子供を産んで、夫や子供の愚痴を言う人はいるが、話の一つとして聞くし否定はしないが心の中で「まあ自分で選んだ道だし自業自得だよね」としか思わない。
明らかに間違った子育てをしてる友達もいるが、少し「ちょっと危ないと思う」くらいは言ってあとは何も言わない。それで聞かないような人の子育てには介入できないからだ。
親ガチャ失敗というだけの話。
生きてても産んでもいいという私の「反出生主義」は他の人からしたちょっと違うかもしれない。
だが普通に考えて全く産まないのは絶滅するし、バカが多すぎるから悲劇が起こるのであって、ちゃんとした人間が産み育てればより良い世界になるはず。
あとたまに見る「反出生主義なら死ねばいいじゃん」という意見は根本が間違っていて、生まれてしまった命は精一杯楽しく生きてもらって、これから発生する可能性のある悲劇は減らそうという考え方が反出生の主たるものだと思う。
自分は子育てができるほど人ができていないので子供は産まない。産めないように病院で処置もした。
親は子供の催促などはしてこないが、ごめんなという気持ちが少しある。
友達の出産は祝う。ただ優秀な女性ほど心の底で悲しさを感じる。子供を産むと母親になりどんなに才能があろうが数年は仕事や趣味を休むことを余儀なくされるからだ。子供を産まなければもっと上まで登れるのに。
ネットでやたら他人に噛み付く反出生主義、友達や周りに思想を押し付ける反出生主義、正直迷惑している。
発言することは自由だし、他の人はこう思ってるのかと理解できるのでこのように「見たい人が見れる場所」では発信していいと思う。
色んな人がいて色んな場合がある。
私の思う反出生主義は「自分で考え、他人に押し付けず、手の届く範囲でやれることをやり、できるだけ自分と他人に嫌な思いをさせないこと」である。