「吐露」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 吐露とは

2023-12-20

SOS

国立大学工学部を2年留年し、修士課程を無事2年で終えて社会に出た20代後半の男。

高校卒業して大学に入るまではなんとかやってこれた。

いや、その頃から兆候はあったかもしれないが自覚することも指摘されることもなかった。普通に友達に囲まれ普通に部活活躍普通に大学入試突破した。先生の指示通り、周りに合わせていれば良かった小中高は人によっては地獄だったかもしれないが俺には天国だった。

俺の問題点は「やるべきことに取り組めない」ということ。

大学を2年留年したのも、研究室問題児だったのも、職場問題児なのも全てこれが原因。

やるべきことに取り組めず、時間けが過ぎ、抱え込んでもうどうしようもなくなって塞ぎ込み、直前も直前の土壇場になってそれを周囲に吐露して、なんとかなったりならなかったりして来た。

学部では講義を履修する教員から散々叱責され或いはバッサリ切り捨てられて来た。小中高では殆ど怒られることのなかった(甘やかされていたのではなく怒られる理由がなかった)親に毎日叱責されながら2年の留年半引きこもりを経て学部事務所経由で連絡をくれた研究室教授に迎えられた。その研究室教授や先輩や年下の同期に引っ張られ怒られながらなんとか学部卒業修士課程を2年で終えられたのだ。

職場問題児でありながらもなんとか食い繋いでいられるのは我が社が巨大企業であり、人財役割分担もしっかりしているからに他ならない。現在労働法は俺のような問題児大手企業がバッサリ捨てることを認めていないのだ。ありがたいような申し訳ないような複雑な気分。

今やらなければならない仕事を抱えていると、それにどうしても手がつけられずライブスケジュールや好きなファッションブランドサイトをチェックして時間が過ぎる。

いざ友人とライブに行こうと思えば、どうしてもライブスケジュールがチェックできず仕事書類作成したり調べ物をしてしまう。

いざ服を買いに行くとなると店舗に行くのもオンラインショップを見るのも憂鬱で、なんとか店舗まで足を運んでも結局試着が億劫で何も買わずに退店。

仕事納めも近いここ最近問題を起こした。抱えていた仕事に取り組めず相談もできず放置。その間、受験日まであれほど憂鬱で手がつかず結局人生最低点を更新したTOEIC勉強をノリノリでやっていた。そしてデッドラインの前日、線路飛び込みたい衝動必死に堪えながら出社して爆弾カミングアウト。叱責され泣きながら周りに土下座し、同僚や上司業務過多に追い込んでなんとか仕事完了させた。

俺はどうすればよいのか。

社会全体の効用を考えれば仕事を辞めて引きこもることが最善だろうが、やはり親のこと考えてしまうし自分人生を捨てることができない。

かと言って今のままでは周囲に迷惑をかけ続ける。

メンタルクリニック病院に行ったとして「あなた障がい者です」と認定されても、治療によってどうにかならないなら受診する意味はない。障がい者認定されたことを踏まえて仕事を割り振られたり、或いは「そういうあなた理解のある職場」みたいな所に行って規則マニュアルに沿った作業をして生きるのは、引きこもったり自殺するのと同じくらい嫌なんだ。

周りの同僚みたいに普通にやるべきことを期限までにやって、休日には週明けに暴露しなきゃいけない爆弾なんか抱えずレジャーの予定を立てて生きたいんだ。

もうどうしようもなくて年を越せる自信がない。

2023-12-19

会社で働いてる人は演技をしている

英国王室を描いたドラマ「ザ・クラウン」で、ウェールズ炭鉱崩落による悲劇を題材にした傑作回がある。

終盤に、女王はこの悲劇に対して「まったく感情が動くことがなかった、私は人として何かが欠けていると思う」と当時の首相ウィルソン吐露する。

ウィルソン首相労働党党首)は「誰にも言わないでください」と前置きして、

実は私は肉体労働したことがないし、(労働者が好む)ビールよりもウイスキーが好きだ。パイプより(上流階級が好む)葉巻を吸う。でも、パイプを吸ってたほうが親しみやすいだろうから大衆の前ではパイプを吸いますありのままの姿では国の顔にはなれません。」と言う。

要するにウィルソン首相仕事のために頑張って演技をしているのだが、国の顔として女王のその感情の欠落は恩恵である、と言う。

というのをみて、そういえば職場の上の立場の人たちはなにか自己欺瞞的だったり嘘くさい言葉を並べるなと感じてたが、そうか演技をしてるんだと思ってなにかが腑に落ちた。

2023-12-14

仕事中にコード書いてる時は楽しいけど、ふと休憩した時に「何やってんだろう…」ってなる

何時までこんな泥臭いことやってんだろう…ってさ

この業界の片隅で10数年やってきて今初めてってわけじゃないけど、ふと吐露したくなってしまった

2023-12-12

生成AI撲滅派の話をさせてくれ

ここ1年くらいChatGPTやお絵描きAI面白くて触っている。

その中で故あって知る事があったので聞いてくれ。

イラストAI界隈では、イラストレーターがAI画像生成を滅ぼそうと、AI絵師叩きが行われている

Twitterで追いかけていると、AI絵師として熱心に調べては情報発信をしている様な人は、無償興味本位にやっている人であっても、誹謗中傷で消耗している様子だった。

AI絵師側の感想としては

あいつらは理屈が通じない

論破しても論破しても、無限湧きしてくる

と、何度も対応しているうちに、消耗して感情的になっているように見えてき始めている。

そこで、どういう状態なのかちょっとTLを追いかけてみたけど「確かになぁ…」と思った。

まず、ここからの話をする前に、お絵描きAIモデルを作るも公開するのも、法的に基本的問題はない。

著作権だと、著作物を多数集め情報解析することが法律で認められているのでモデル合法的に作れる。

そして、出てきた画像に関しても、AIの生成結果を著作権でどう扱うかは人間に準ずるのが国の方針なので、「人間がやったらダメレベルものAIやらせても駄目」になる。

例えば、誰かの肖像権に触れたり、あからさまにトレスにあたるようなものはアウトになる。

これに関して、法律を変えようと動いている絵師もいるのだけれども、結局は

1.翻訳AIなどで既に行われている様な収集活用が、お絵描きだけで何が違うのかを説明し、世間に納得させる

2.各手団体連携して、既に活用されているAIも含め、全ての学習禁止させる様動く

このどちらかをするしかない。

そして自分には、そのどちらも無理筋議論に見えた。

一縷の望みをかけて勝負をしてもいいけど、基本的にこの議論は決着しているのだと思う。


ただ、今回言いたいのはその事ではなくて、何故、翻訳AIやChatGPTなどではそこまで見かけないような過激AI排斥論議が、イラスト界隈では1年以上たった今でも燃え続けているのか。その点であったりする。

TLをある日追いかけて、自分なりに2、3晩うんうん唸って考えてみたけれども、

これは、結局は「絵を書く事はとても楽しい」という事に尽きるのだという結論に至った。

例えば他の分野だと、「翻訳」を仕事にしていた人等というのは、翻訳という行為が一番好きなのではなくて、実は「違う国の言葉で違う国の人とコミニュケーションだ取りたい」のが一番したいのだと思う。

そして、その中で自分が覚えたスキル仕事に生かしたいと思って翻訳仕事にする人が多いのだと思う。

でも、イラストは、イラストが描きたい人が割合として多い。

そして文章音楽と違って、出てきたものが良いかいか判断が一瞬で出来てしまう。

そういう中で、長年憧れてきて、仕事にしたいと夢見た業界の席が、今急速に萎んでいく様に見えるのが耐えられない。

それが、既に仕事にしている人であれば危機感はそれ以上だ。


そういう人達が、AIクォリティ絶望して、ついに誰かや何かを悪者に仕立て上げないと精神の均衡を保てないで、

青葉容疑者の様な精神状態になってしまって

特定の悪例だけど抜き取って技術のすべてを悪と断じるような、

あらゆる画像生成AIを撲滅する活動SNSで行って悪目立ちする状態になってしまっていたりする。

※ 単に絵描き社会性の低い人の割合が高い部分もあるだろうけど、先述の理由は越えないと思うので触れないでおく。

大変のイラストレーターは将来に戦々恐々としながらも、正当な技術の発展であれば受け入れていくべきだと考えているのだろうけど、

直面した危機感の前に、理屈も何もなく暴れる人が出るのを攻めきれない感情もある。

自分も少しは絵を書いてみた経験はあるので、仕事としてやっていけそうな所まで磨いた腕への矜持想像は出来る

けど、だからこそ、反転して魔女化してしまっているのは、なんというか、見かけるに、辛い。

なので、現状を吐露したくて文章にしたためた。





※ 余談だけど、個人的に触った感想としては、結局イラストAIは一流の人の技能に追いつく目途は経っていないので、ゲームであればキャラデザをやる様な人達仕事がなくなるような事は無くて、その人の下の方で色んな変化があるんだろ思う。

ただ、AIポーズ違いが量産できるようになれば「このウェイトレスヒロイン。街で合った時も文章で走っているってあるときも、右手お盆パフェ持ってるよな」とか「本当は遊園地デートのシーン入れたかったろうけど背景用意できないか時間ワープしたんだろうな」とかが無くなって、ディレクターシナリオライターがよりやりたかった形でゲームが作れる様になって、それでゲーム面白と感じるようになるなら、それが世の中が良くなるって事なんだと思う。

活投してみて、有効局面活用されて、やっぱり人の手で書いた方がいい部分は奇麗に残る様になっていくと思う。

あと生成AIは誰でも覚えられるとは言わないけど、現状の難易度は、HTML手書きで書いてホームページを作れるようになるくらいの難易度で、ControlNetなども含めて使えるようになっているし、イラスト技術的成長に関して割と天井が見え始めている。

生成AIでも、一番鍛えるのが難しいのが何がおかしいかを見抜く「目」なので、手書き修正可能スキルも含めて考えて、グラフィック担当の人の大部分の雇用は守られていく様に見えている。

ただ、一枚絵をSNSにあげていた人は、これまでのやり方では厳しいので、連作ストーリーを出したり、動かして見せたり、AI活用しつつ次の価値を見せないと難しくなるので、そういう人達AI撲滅に熱心な層の柱になっているのだろうと思う。

※余談2

ちなみに、特定の悪例というのが

実名女優のLoRAを作って公開

AI生成のフェイ画像を公開

等の事だ。

ただ、私も問題と思うようなこのような目に余る例は、現行の法律裁判をしたら勝てるものであったりする、なので現状の国の方針で概ね正しいのだろう。

あとは誰か通報して裁判判例を通じてはっきりと境目が出てくることになると思う。

2023-12-07

anond:20231207190445

感情吐露してる理由本題と関係ない部分に対してソレ間違ってますって言って本題捻じ曲げてくるのアホすぎて泣ける

間違った引用してるとしてもそのTweetで言いたいことは何かを察した上でそれでも訂正が必要と思われる時にのノートつけてくれ

終電なくなっちゃったねに対してダイヤ披露してまだ帰れるとかい空気読めない鉄オタコピペ思い出すわ

2023-12-06

旅行、高い焼肉、高い風俗、美味い飯

こんなもんで人間幸福になれる訳ないだろ

毎回人生を生きる中で日々感じる苦痛や苦しみを吐露したエントリにこんなブクマつけてくるお調子者いるよな

まじで腹が立つ

でもその能天気さすら羨ましい

そういう能天気人間はある日医から腫瘍がありますね。転移してますね。治療はほぼ不可能ですね」って言われても「元気なうちに片付けして見られたくないもの片付けて旅行行って良い温泉入って美味い飯食わなきゃ!」ってなって、実際にそれをやり遂げたら何の功績も人生モニュメントもなくても「あー幸せー」ってなれるんだろうな

心底羨ましい

anond:20231206111126

こんな場末掲示板毎日毎日議論ネタになるような複雑な背景を持った人間

長文で心情を吐露しにくるわけがないんだよな

ホッテントリするような自分語りは全部釣りだよ

2023-12-03

ばい菌の俺とひと夏の思い出と今

そのまま書くと先日の場にいた人に身バレするかもしれないかフェイク込…いやフェイク入れたけど知ってる人には内容でバレバレだわ。

俺は幼少から、ある奴に極端に避けられていた(よくある菌扱い)のだが、自分そいつと同じクラスにもなったことないし接点もなく無視していた。

だが不幸にも進級後2度もそいつと同じクラスになったばかりに。

そういうのって悲しいが波及するもので、そのせいで俺は他の連中にもばい菌のように避けられるようになっていった。

それまで普通に接していた友達にも異性にも、だんだん避けられるようになった。

そういうわけでそいつと同じクラスになることがなければおそらく自分の3年間の学生生活は暗澹とせずもう少し華やかだったはずなので、俺は一生そいつの不幸を願ってやまない

…というのは本筋から外れるので置いておくが。

そんな自分にも年相応の恋があった。

その菌扱い生活の始まりクラスで、夏頃隣の席に座っていた美少女

Kというその子は色白で低身長で、顔立ちも可愛らしく自分のすごい好みだった。(ちなみにこの一文に一切のフェイクはないw)

とある趣味本で男子同士盛り上がっているところに乱入してきたKは、一緒に盛り上がっては俺に密着してくるのだ。

流石に多感なお年頃…というよりは俺も元から惚れっぽいタイプ

進級前から想いを寄せていた(なんなら一時は両想いの傾向すらあった)女子に冷たくされるようになって傷心気味だったのもあって、Kに心惹かれていくのは早かった。

そんな気持ちクラスで話せば囃される。

やむなく家に帰っては、好きなKの話を家族にしていた。

そんな折、保護者会にて。

俺の親はあろうことか、俺が家で好きな子の話ばかりするんだと言ったらしい。

俺がKを好きだと知る担任が「ああ、それって隣の席の子ですよね」とさらに付け加えたらしい。

俺の後ろの席に座っていた同班の幼馴染の母(保護者会は子の席に座って行われていた)が、「それってKちゃんじゃないですか〜!」とさらに重ねてきたそうだからそらもう大変ですわ。

クラス中の知ることとなりますよね。

(この一連の流れはその日のうちに母から聞いた)

翌日、Kには

「あのさ!家でさ!隣の子どう思ってるの!?とかさ!言われたんだけどさ!」と微妙な表情で言われ気まずい。

いやもう冒頭で話したばい菌奴のせいで、ただでさえ異性には避けられがちなのにこれ詰んでますやん…死ゾ

そのすぐ後に席替えがあったのもあり、俺とKはあまり関わらなくなり、程なくしてKは俺の幼馴染のひとりと仲良くなりだした。

そして俺とKは、その先一切絡むこともなく卒業した。

3年でまた同じクラスになったのに(ばい菌扱いが浸透しきったのもあってか)一切話した覚えがない。なんなら3年時に同じクラスだったことすら俺は覚えていなかった。

関わらなくなっても顔は好みだったはずなのに。

3年の記憶はそんなボロボロ状態でさえ、今でも鮮明に思い出せる程度にその1年の頃の俺のKに関するほろ苦い恋の想い出は印象深く大切なものだった。それが事実

後述する、2年以降の「気になった相手」というのは、こういう【恋】の関係ではなく、「話したことないけど話してみたい」「隣の席のあいかわいいなー良い奴だなー」程度。

さて、時系列現代に戻そう。

近頃、同窓会が行われるという運びがあった。

当時気になっていた女子とかは来るのだろうか…と参加表をひと通り見たが、進級前にちょっといい関係だった女も、3年のとき気にかけていた2名ほどの女子もおらず、Kもいなかった。(余談だが2年のときに気になっていたIは参加)

俺は既婚なので特に好きだった子に会ったからどうということはないけど、やっぱり当時の好きだった思い出とかをネタに話したいところとかあるだろ?ᴡない?ᴡ

話は一気に飛ぶ。

その同窓会が恙無く終わった。

二次会に参加するかは非常に迷った。何しろ俺は当時ばい菌扱いだったからな。

最初は参加しないと意思表明していたが、明るかった時代の俺を知る進級前の友達らも行こうと声をかけてくれたし、当時はい関係ではなかった連中もみんな大人になるとそういう間柄じゃなくなるもんで、仲良さげに振る舞ってくるもんだ。

当時俺自身ヲタク趣味しか興味がなく身なりもあまり気にせず、陰の気全開だった学生時代とまた印象が変わったのもあるのかもしれないが。

せっかくの機会だと思って迷った末に参加を決めた。

余談だが2次会の箱への移動中に、I(2年のときに気になってた女)が話しかけてきた。

前回の同窓会でIにはちょっとやらかされたので、覚えてて気まずく思ってたりしたら可哀想かな…そもそも酔って何も覚えてないかもしれない、と思って同窓会では近寄らなかったのだが、その時のことはよく覚えていて謝りたいのだと言ってきた。

気にしていないということと、彼女が気に病まないようにさりげないフォローを入れておいた。

2次会の途中、顔を見ても誰だかわからない女が来た。

失礼だがあまり見目に麗しいとは言いにくいタイプ

俺達の座る座席とは違うエリアに来たので絡みにいけなかったが、「あれ誰?」みたいにはこちらの席でも話題になっていた。

やがてそれがKだったと耳に入ったので、俺はぜひ話してみたいと思った。

折を見つけて近づいた。

幹事の一人「あ、○○(俺)来たよ!」

K「○○?『あのイケメン誰?』って聞いたら○○って言われてたところだったんだよ」

うーん見れば見るほどわからん。まじでだれだこいつは。

俺の好きだった色白ミニマム美少女どこ?

Kを名乗る他人だとしてもなんの違和感もないくら面影微塵もない。

他の人って誰見ても何かしらの面影あったんだよ。男子女子も。

Kだけには本当になかった。

当時の俺に「将来のKはこんな姿」って教えたらあまりの違いに卒倒すると思う。むしろ信じてくれるわけがないと思う。

いや俺は人の顔に好みはあれどそんなこだわらないので別に顔が違いすぎて無理とかそういうあれではないんだけど、なんだろう、なんでよりによってKだけこんな誰だかわからない人になったんだろうていうのが不思議で。

かといって別に話したかった気持ち萎えたとかじゃなく、Kとは純粋に話したかった気持ちに変わりはない。

ただその場では周りとの会話もあり、Kとは直接あまり話せなかった。

二次会も閉会し、一本締めをしたところでKからそっと声をかけられた。

「二人で抜けない?」お約束のやつ。

俺もKとゆっくり話したかたから、二つ返事で夜の街へ姿を消した。

繁華街を二人で歩く。

話をするがほとんど俺の嫁との馴れ初めみたいな話を胡乱に話してた。そしてKもあまり聞いてなかったᴡ

Kが「ここ入ろ」と、少し歩いてから適当居酒屋に入った。

結論だけ言えば、KはKであの夏の日々のことを今も引きずっているようだった。

俺の中でも大切な思い出をKが忘れていなかった、それは単純に嬉しいことだった。

親御さんに何度も何度も「(俺の)隣の席の子あんたなの!?本当に!?」と聞かれた話もしていた。

「当時は子供だったから、どうしたらいいかからなかった」

Kは当時の思い出についてそう言ったあと、長く続いた最後彼氏との顛末を話し、そこで別れてから独りなんだと語った。

選択を間違えた、と度々言っていた。

昔の俺のことも、元彼のことも。

ところで俺は覚えていなかったんだが、

うちの学校には好きな子身の回り品を卒業式にもらいに行くという風習があった。

俺は進級前に両想いぽかった奴(こいつには断られたかもしれない)、3年のとき気になってたクラスの2人、の計3人に直にもらいに行った覚えはあるんだが、なんとKの持ち物も後輩を通してもらいに行ってた、とここでKに聞かされた。

不幸にもこちらには全くそんな記憶がないんだが…(しかも俺がわざわざ後輩を通すとは考えにくいので捏造話では?と半分疑っているᴡ)

この話が事実なら、俺は1年の夏のあの日々以降なんの交流もなく卒業していったと思っていたが、実は最後交流がここにあったといえる。

ひとしきり話して

「でも○○今幸せなんだね、よかった」

と少し寂しそうな顔で言ってくれた。

俺は何も言えなかった。

俺が未だに独り身だったら、幸せでなかったら、あれこれKが俺にアプローチしてきて、Kとのゴールインとかもあったのかもしれない。

それに準じることをK自身が言っていた。

あの懐かしいひと夏の思い出をKも大事に思ってくれていたのは本当に嬉しかったし、何かの歯車がずれていたらこから始まった二人の人生もあったのかもしれん。

K、直接言わなくてごめん。

でも変な気になってもお互いつらいと思うからあえて言えなかった。

その後3次会やってるというグループライン(写真)が届いたので、ある程度お互い言いたいことが言えたのもあり、2人で3次会場に移動した。

どこのホテル行ってたんだと冷やかされた。残当である

Kとふたりで、あんな短い時間の間にいろいろな話をして俺の情緒がグチャグチャにとっ散らかったのでどうしてもどこかに吐露たかった。

どうかKの未来に幸あらんことを。

次の重要選択があれば今度こそ後悔しない選択をしてほしい。

俺の好きだったK。

めちゃくちゃ余談の余談だが、Kを2次会に呼んだのはKと交流のあったI(ともう一人の女)だった。

ここで唐突に再登場するI。サンキューアッイ。

Kと話す時間結果的に作ってくれてありがとう、君のかつてのやらかしはそれだけで全部チャラだ。

2023-12-02

anond:20231201170245

私はここをただの日記しか使っておらず、基本的に何も考えてない凡人増田だ。

13年前から投稿しているが100回に1回くらいの頻度でバズる程度。

文章力褒められコメントがついたことが一度もないのがコンプすぎて、文章力を褒められたことがない悩みを吐露する増田を書いたらバズったことがある。

釣り乙」というコメントがたくさんついた。

釣りじゃねえし、文章力は相変わらず褒められたことねえし、最近じゃバズると「これアフィじゃね」「釣り?」というコメントをつけるブクマカがたまにいるのがウザくて仕方ない。

いや釣り師とかアフィもいるんだろうよ、それははてブにとって重大な問題から疑いたくなるのも分かるよ。

でも自分みたいなただの凡人の日記に流れ弾が被弾してるんだよ。冤罪っていう銃弾が。

なんか昔いたよな「釣り師見抜けます」って人と「小町釣り師やってました、だから釣り師見抜けます」って人。そいつから冤罪を着せられたこともある。

存命なのは一人しかいないけど、いまだに大嫌いだわ。

2023-11-29

ホモ批判者たちは不真面目

女性サイコパス説|rei

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/beatangel/n/n0cfb0cbe8c71

heaco65

こういう人はモテたいんじゃなくて横にモテる女を連れることで憧れのホモソ村に入れて欲しいんだよね だからホモソ村の男が好きそうなモテ女が好き ブスの地味女が横にいてもホモソ村の皆様に認めて貰えないもんね

人気トップコメがこれって。

 

1.男の世界重要なのは自己能力

このホモ批判を書いているはてなブックマーカーheaco65さんがどんな人かは一切知らんけど、このコメントだけで間違いなく女性だと思う。男性ならどの方向の人生を過ごしてきた人であれここまでホモソーシャル的なもの解像度が低いということは無いから。

 

モテ彼女通行手形になるホモソ村」なんて一体どこにあるのかという話。ホモソ的な男達が気にすることは徹頭徹尾おのれの能力子供の頃は腕力運動神経大人になれば仕事能力。その面でイキれる人間なら「交際相手がどんな人か」なんてことは問われんし、逆に能力がまだまだなのに車だの女だのの”持ち物”だけ頑張りましたなんて男は一番バカにされたりいじめられたりするのがホモソの世界

 

彼等が競い合い認め合うのは「こんなすごい仕事をした」とか「こんなに稼げるんだぞ」というところで、車・女・腕時計なんていうのは自分能力の後に付いてくる”形”に過ぎない。競争に勝てることお金を稼げることが重要なのであって、そのお金で何を買うかはわりとどうでもよく、重要なのは己の仕事能力成功

 

大人しいオタク男性代表みたいな赤松健先生ですら若い頃の一時期テストステロン溢れるファッションスタイルに変身したことがあるけど、先生を組の若い衆みたいないでたちに駆り立てたのはもちろん仕事での大成功ラブひなだけで凡百の漫画家人生20回分ぐらい稼いでるから

 

 

2.彼女や嫁によって男の”格”が上がるシステム存在しない

こんな例に挙げるのは申し訳ないけど、芸人陣内智則が超格上大物女優結婚した時、彼の”格”は上がった?全然でしょ。むしろ跪かんばかりの披露宴などして「情けない男」扱いになってた。

結局離婚して「縁起悪い」「祝儀返せ」といじってもらいながら仕事を頑張ってポジションを築き、前妻と比べればまるで知名度の無い10歳くらい年下の女子アナ再婚した今の陣内智則の方がずっと男としての格は上がってる。

 

小室圭が日本で一番お姫様女性婚約者になったとき、彼の”格”は上がった?全然。逆にバカにされまくっていたでしょ。「お姫様のお父様のコネで勤め先やら諸々配慮してもらっても無能資格も取れないらしいぞ一生ヒモかよw」のような扱いだったよね。

彼が一転認められるようになったのは米国でついに資格を取って結構年収を稼げるようになり降嫁した奥さん不自由させず立派にやっていく実力を見せてから。「お姫様を手に入れた」時点ではむしろバカにされていて、仕事能力扶養能力が出てきたところで認められてる。

 

(ここでの”格”とは全て、あくまホモソ的な価値観の中での「男の”格”」の話。)

 

 

3.男性恋人配偶者を見せびらかさな

そもそもとして、オスというのは「自分のメス」を見せびらかすインセンティブがあまりない。だっていいことないでしょ。

 

自分の格は周囲に証明した自己能力で決まっているんだから、変にきれいな彼女奥さんを見せびらかして「こいつ、能力(格)以上のいいメスを囲ってるな」なんて周りに思わせても災いにしかならない。聖書にすらきれいな妻を隠す男の話が出てくる。現代で一番男尊女卑的だと言われるイスラム国戦士達はどう?セクシーモテる妻を見せびらかしてる?逆でしょ。妻を家の奥深くに置きたがり、その美しさを隠すように命じてる。

 

男達はホモソ的になるほど男尊女卑的になるほど「女子供は取るに足らず」という態度になり、女は被保護者、家政婦、子を産む資産になる。あまり一人の彼女に入れあげてるような男はむしろ心配されるし、やけにキレイで奢侈な女と結婚する男はもっと心配されたり「こいつ結構バカなのかも」と疑われたりする。まして、付き合う女で自分の格が上がったり格上グループに入れてもらえたりなんてことは男の世界にはありえない。

 

 

4.謎の分析は何を見てのものなのか?

残る問題は上で見たはてなブックマーク分析が一体何から生じたか

heaco65

こういう人はモテたいんじゃなくて横にモテる女を連れることで憧れのホモソ村に入れて欲しいんだよね だからホモソ村の男が好きそうなモテ女が好き ブスの地味女が横にいてもホモソ村の皆様に認めて貰えないもんね

https://b.hatena.ne.jp/entry/4745493109321036975/comment/heaco65

主張の要点は以下の通り、

・横にモテる異性を連れることでのみ入会を許されるエクスクリューシブな同性集団存在する

・その同性集団においてはパートナーモテない異性だとそれだけで認めてもらえない

 

男性ホモソーシャル集団が全くこのようなものでないことはすでに上で見てきた。ではこのコメントの分析は一体なんなのか?パートナーによって自分地位が引き上げられる傾向がある、パートナー見せびらかし欲がある、これは明らかに男ではないけどじゃあ何について語ってるんだろう?

  

……これもしかして女の世界の話なのでは?

  

交際相手結婚相手ステータス自分身分のように扱う話、それらを同性と張り合う話は男性の話としてよりも圧倒的に女性の話としてよく聞く。世の中には夫の学歴・勤め先・収入で互いを格付けしマウントを取り合うお母さんの界隈というものもあるらしい。(男が同性相手に同じことをやれば心底見下されて「ヒモ?笑」「で、お前の実力は?」と言われて終わり。)

 

そうして考えてみると、自己能力で直接競うことの少ないメスにとっては、「自分の子父親集団内で高い地位のオスである」とか「自分と子の庇護者は大変に力がある」とか同性に対して誇示していくことのインセンティブは大いにあるのよね。少なくとも猿やライオン世界ではメスとその子運命待遇はわりと子の父親の力や地位次第。つまり女性性なる本能が野放図に強化された集団彼氏自慢・夫自慢の旦那マウントワールドになるのでは。男性性が疾走したときホモワールドの写し鑑として。

 

 

5.女性によるホモ批判陥穽

heaco65さんのホモ批判が実は女性内メスザルワールド由来の話だったとしたら、それは女性として同性集団のメスザル面を見て来た経験知ぽくね?しらんけどさ。で、経験知ならそれは軽んぜられるべきでないものの、メスザルとオスザルでは欲望も行動も異なるでしょ。メスザル行動そのまま投影してホモ批判すると上で見たようなわけわからん感じになるのでは?

自分属性欠点他者投影して罵るのは批判というより自身コンプレックス吐露八つ当たりであって。

   

別に特定の一人の人をどうこうではなく、このガバガバ批判コメントが人気1位になってしま社会空気はどうなんやという話。配偶者を自慢したりマウントし合ったりそれで自分の格まで決定したりという、どちらかと言わなくても女性性でしかないもので男のホモ批判をして一体何がどうなるの。

 

こんな乱暴検討な「批判」が通ってしまい人気1位まで取ってしまうことの背景には、ある種の道徳的傾斜、「男性批判ホモソーシャル批判正義である」という傾斜があるのでは?ホモソーシャルが重大な社会問題だって言うならそれこそ慎重に厳密な観察と健闘が必要な筈なのに、「正義」側である男叩きは厳しい反論がつきにくいからこんなのが一位になっちゃうって言うそういう空気

  

一言で言って不真面目だよねホモ批判姿勢が。

  

(あとreiって人、確かに一種異様さは感じるけどホモ志向ではなくね?) 

   

  

6.インターネットエスパーとして

もしもheaco65さんが男性だったら増田の負けだから大笑いしてもらって構わないしそう申告してほしい。

これ外したらエスパー引退するぐらいには自信あるケド。

  

追記

文壇バー!」というアホみたいな反論トップコメになってるけど、君達は話を理解してんのか?

  

その村は「モテ彼女がいると入村できるホモソ村」じゃないでしょ?「高い筆力とそれによって勝ち得た社会ステータス(つまり自分の実力)によって入村できる村」でしょ?

  

実力を認めあった男同士の村で、実力になびいてきた女をポケモンみたいに使って遊んでる、って話なんだからその例じゃあ全く反例にも反論にもなってないじゃねーか。

  

お前らは本当に日本能力どうなってんだ?

勤勉に日本勉強してるグエンさん(来日3年目)とかの方がお前らより日本語読解テストいい点とると思う

  

2023-11-28

共産党内部統制民主集中制志位委員長

2年前の衆院選において、吉良よし子日本共産党常任幹部会員が述べた表現規制発言について「共産党の良く分からん奴」、「こんな女性議員ちょっとした発言」などとして共産党全体の問題とはしない擁護が見られた(https://anond.hatelabo.jp/20231126202929

だが、共産党員が外部に対して意見を表明する場合、党の意に反した発言をすることができない。これを民主集中制という。(https://anond.hatelabo.jp/20230212205420

はてなにおいてもとある共産党員のブロガーが除名に追い込まれたことで、一部で話題になった。(https://m-dojo.hatenadiary.com/entry/2023/09/07/015416

では、民主集中制が具体的にどういうものなのか、志位委員長はそれにどう向き合ってきたのかを、志位委員長が書いた論文「変節者のあわれな末路」を例に見ていこうと思う。

本当は除名問題が盛り上がっているときに書きたかったが、古本で一万円もして手が出なかった(https://www.amazon.co.jp/%E6%8A%95%E9%99%8D%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%B3%E5%BF%B5%E8%AB%96%E5%8F%B2%E8%A6%B3-%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A/dp/B00KSRE60K)。なかなか国会図書館に行く機会がなかったので今となった。

伊里一智事件

論文「変節者のあわれな末路」は、分派活動を行ったとして除名された伊里一智氏(当時大学院生)を全面的批判した論文となっている。

伊里一智事件とは、党員宮本顕治議長。当時の日本共産党トップ)の辞任を求めた事件で、分派活動とされ、最終的には党から除名されている。(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%87%8C%E4%B8%80%E6%99%BA

論文「変節者のあわれな末路」について

この伊里一智氏を徹底的に批判したのが、当時党青年学生対策委員だった志位和夫氏であり、また、ここでの大批判志位和夫氏の党内での出世きっかけになったとも言われている。

当時党中央委員会青年学生対策委員だった志位和夫宮本顕治の直接の指示を受け、党の規律に背いて他の代議員に対し働きかけた分派活動と断定した。

(前掲Wikipediaより)

赤旗掲載され、論文集「投降主義者観念論史観」(日本共産党中央委員会出版局)にも収録されているこの論文は、志位委員長の、そして共産党の体質が色濃く出ていると思うので分析していきたい。

ちなみに、論文集「投降主義者観念論史観」は伊里一智氏批判のための書物であり、端書と目次を紹介する。有力幹部でもない単なる一党員にここまでするのかとも思う。

(はしがき)

本書で批判対象となっている東大大学院生「伊里一智」なる人物は、1970年代かば以来展開された反共反動攻勢のもとで、日本共産党路線確信を失って、不まじめで小ずるい、しかピエロ的な反党分派活動にのりだし、日本共産党から規約にもとづいて除名された人間である(後略)

(目次)

反動攻勢へのみじめな屈伏(赤旗

◯ふざけた計画、ふざけた弁明(赤旗

反動攻勢への政治的思想的屈伏(河邑重光)

◯変節者のあわれな末路(志位和夫

反共分裂主義者への容認、屈服を吐露する(行方克也)

原水禁運動変質・解体への賛美と共鳴金子博)

◯退廃と遊戯の「哲学」(志位和夫

◯敗北の「哲学」(長久理嗣)

偏向記者の異常な立場赤旗

虚構の「ゆらぎ」(小林栄三)

◯『朝日ジャーナル』の「歴史逆行の道」(河邑重光)

◯党規律否定の「言論出版の自由」論(水口春喜)

民主連合政府スローガンをめぐって(赤旗

◯「国政選挙での一進一退」とはどういうことか(赤旗

論文「変節者のあわれな末路」の分析

本来であれば伊里一智事件の経緯と合わせてみていった方がいいのだろうが、それをすると異常に長いものとなってしまうので志位委員長の考え方が出ているであろう部分を抜粋し、コメントを付していきたい。

なお、双方共産主義者であり、どちらがいかに正しく共産主義理解しているのかという議論もしているが、そこには踏み込まない。正直意味わからんし。

以下、引用は全て志位委員長論文「変節者のあわれな末路」より抜粋したもの

結社の自由にもとづいて自発的意思政党に加入した者はだれであれ、出版言論自由をふくむ自らの基本的人権をその政党目的実現にむけて行使すべきである

いきなり凄いのが出てきた。仮に自民党総裁が、「自民党員はその基本的人権自民党目的実現のために行使すべき」とか言ったらどんな反応があるだろうか。

いくら政党等の団体所属していたとしても、基本的人権は各種団体よりも優先されるものであり個々人が自由行使できるもの認識しているが、日本共産党においてはそうではなさそうだ。

わが党は、「伊里」が、彼の反党文書のなかで、理論派閥容認」「党外出版物での批判容認」「横の交流拡大」などの、民主集中制を完全に否定する主張をおこなっていることを、彼の解党主義分派主義のあらわれとしてきびしく批判した

やはり、志位委員長も党内に派閥ができることや党の外での共産党批判NG認識しているようだ。

あと、注目すべきは「横の交流」も民主集中制的にはNGと考えていることだろう。

党の末端はあくま中央から指導されるものであり、末端同士で連携することは考えていないようだ。分派活動になるからだろうか。

科学的社会主義は一つしかないわけではなく」などというのは、科学的社会主義客観的な真理性を否定する相対的見地にほかならない

すなわち共産党客観的な真理性を体現していると言うことだろう。

坂本中央委員からつぎのような指導を受けたことをみずから明らかにしている。

「議案提出の主体は、…代議員有志など複数であってはならない」「党会議の事前に文書を配布することはできない」「事前に他の代議員と討論したり、自分提案に対する支持を、…求めてはならない」

坂本同志の発言は、「伊里」によってところどころゆがめられているが、こうした「伊里」の"証言"によっても、彼のおこなったような分派活動規約で禁じられたものであることを、坂本同志がはっきりと指摘していたことは明らかであろう。

まず目につくのは複数名(連名)の提案は認められないところだ。複数名での提案は、党内に派閥を作ろうとしている(分派活動)だと言うのだろうが流石に無理がないだろうか。

ちなみに伊里一智事件においては伊里一智氏ともう一名による連名だったそうだが・・・

次に、事前の議論多数派形成を認めていない部分だ。会議をやった経験のある方ならわかると思うが、これでは何も提案するなと言っているに等しい。いきなり重大案件を突きつけられて判断できる人はそうそういない。

結局、常日頃から末端を「指導」できる中央意見しか通らないと言うことだろう。

◯「伊里」の本が、いかに低劣な内容

◯三文反共雑文を書き送る売文家たちと同じ地点まで、「伊里」が転落してしまっている

◯「伊里」が本のなかでおこなっている弁明は、卑劣を通りこして、こっけい

◯「伊里」が語れば語るほど、その言葉から卑しい分派主義者本質が、すけてみえ

おまけで志位委員長による罵詈雑言集をつけといた。

余談1

やたらと大仰な言葉遣いする割に、漢字問題ないところまであえて平仮名で書くのは共産党文化なのかな(「もとづいて」「不まじめ」「ふくむ」「おこなった」「ゆがめ」「だれ」など)。書き写しにくくて仕方なかった。

余談2

やたらと「分派活動」という用語が出てくるがそもそも日常的な用語じゃなさそうなので、辞書を引いておこう。

共産党場合は党を分裂させようとする行為、という認識問題ないと思う。

デジタル大辞泉より)

ぶん‐ぱ【分派

1 主となるものから分かれ出ること。また、分かれたもの

阿蘇の—の一峰の右に」〈独歩・忘れえぬ人々

2 主となる勢力から分かれて別に一派をなすこと。また、その一派。「—を立てる」

ぶんぱ‐かつどう〔‐クワツドウ〕【分派活動

つの団体内部で、信条利益などの相違から派閥をつくって、主導権を握ろうと争ったり、団体基本方針とは別の行動をとったりすること。

追記

ブコメより

投降主義者観念論史観』と,伊里一智の著作『気分はコミュニスト』がネットにアップされてたhttps://sites.google.com/view/sokokutogakumonnotameni/%E9%A6%96%E9%A1%B5 後者増田言及してる宮本批判のもので、不破にも触れられてる

国会図書館まで行った俺の立場

リプライより

誹謗中傷で訴えられても知らないよ

訴えられちゃうのか怖いなぁ

法律詳しくないけどいくらくらい賠償請求されるんだろう

2023-11-27

友達が少ない

現在大学四年生の男です。

根っからの面倒くさがり屋なので、基本的に家に引きこもっています彼女はいません。

友人と呼べる、一年を通して遊ぶ相手は1人だけしかいません。月1~2回遊び、たまに旅行に行く程度の仲です。

学校バイト先には知人は数人いますが、プライベートでは一度も会ったことはなく、LINEしません。

これから社会人になってから、唯一の友人とすら疎遠になりそうで怖いです。(友人はこれから国試や卒研で忙しくなる。)

これから人生灰色になるかもしれない、そんな不安吐露しました。

2023-11-20

朝倉未来のことが全然話題になってなくて驚愕した

昨日、朝倉未来が負けた。

私は特別彼のファンというわけではないけど、試合をすると知ればそれでもなんとなく応援していた。

彼が格闘技界を盛り上げてくれたのは確かだし、路上喧嘩から今の立場まで成り上がったという事実は素直に凄いと思うしカッコいいとも思う。

そして昨日、負けた。

そのあとyoutube動画を公開しており、衝撃的だった。

試合に負け記憶喪失のような状態になり、引退宣言をした。

今ならもう死んでもいいかなと思っていることを淡々吐露する姿。

ショックだった。

時代を築いた人間が、自らその幕を下ろそうとする瞬間をリアルタイムで目の当たりにしたかのような。

そうして今朝、ビクビクしながら増田確認すると全く話題になっていない。

やはり増田現実に興味がないのかな。

そんなことを思いながらも、やはりショックだった。

2023-11-17

これ、女の方からプロポーズしたんだぞ!フェミざまああああぁ!!ってのが沸いてるけれど

この記事を読む限りでは男の方は結婚しないつもりで付き合ってたの?

相手の親に挨拶までしておいて?

余計最低なんだが。

まぁ何つーか見れば見るほど藤島康介っぽい。

https://news.livedoor.com/lite/article_detail/25365937/

今年の初め、奥森の両親に挨拶をした上で交際を始めたという2人。そこから結婚に至った経緯について、奥森を“皐月”呼びしながら説明した岩井は「1ヶ月くらい前(10月頃)に話している時に、話の流れで『いつか世間に公になった時に、厳しい目で見られるな』って話した。その時、俺“この関係をどうしたら良いか”色々考えて」と振り返り、「これは2つしかないと。“別れる”か、“結婚する”か。でも、皐月には俺は結婚とか言えなかった」と吐露した。

また、奥森へ結婚を切り出せなかった理由については「この選択は、相手人生を決めちゃうことになる。(今後奥森は)色々世界が広がっていくと思うし、1人の人としてちゃん仕事をしたいはず。活動をする上で、そこに結婚ってなると、違うバイアスがかかっちゃうって思った」と回顧。「そんなことを考えたら『俺には言えないわ』って思った。その中には、自分の保身とかも入っていると思うけど、1番は向こうのことを考えた。結婚を突きつけるのは酷すぎると思った」と話した。

2023-11-16

「母の仮面」の感覚がない

「母の仮面しんどい」とか、「母になる前の自分に戻りたい」とか、母親として押し付けられるアイデンティティに対する辛い心情の吐露が、度々話題になる。

私もそのような言説を見聞きして、自分子供を持つとそのような息苦しさを感じるようになるのかとぼんやり思っていたが、実際に子供を持ってみても全然そんなことはなかった。

育児休業を取得し、1日のほとんどを育児時間に費やしても、私はずっと私のままだった。日常的に二人称として「お母さん」と呼ばれるようになったが、それは想像以上に私の自己感覚に影響を及ぼさなかった。

なぜだろう、と考えてみると、複数の要素に思い当たる思考の整理の意味で、要素を書き出してみる。

ちなみに「母の仮面」がないことと子育ての大変さは無関係である夫婦双方の実家が頼れない状況で、それなりにハード毎日を送っている(抱っこのし過ぎで膝が曲がらなくなってきた)。

ロールモデルの不在

自分母親(絶縁状態)の育児が思い返せば思い返すほどひどいものだった。なので「自分の親は偉大だった」と気づいて自分育児ハードルが上がるようなイベントが起きない。この点に限っては、自分の親は偉大なのかもしれない。復縁するつもりはないが。

ファッション

母親になって以前のようにファッションが楽しめなくなったと嘆く人は少なくないかもしれないが、普段からノーメイクカジュアルファッションだった私は子供を持つ前と装いがほとんど変わらなかった。せいぜい立ったまま脱ぎ履きできる機構がついたスニーカーや、立ち回りに便利なボディバッグを導入した程度(これらのアイテムも元々物ぐさな性分によく合っていた)。

しろ子育てしながらメイクネイルもキマっている人ってどうやっているんだろうと恐ろしくなる。

保育士資格

自分の家庭環境が劣悪だったので、子供を持つ前に子育てについてしっかり一度勉強しておこうと思い、社会人になってから保育士資格を取った。

そのおかげか、子育てに対する姿勢に「保育者」としての目線が入り、一歩引けているのかもしれない。

「この子には私しかいない」ではなく、「この子に対して、この社会では第一義的に責任がある」という感覚

保育士資格勉強を通じて、歴史上たくさんの大人たちが子ども権利を守るために力を注いできた、ということを知られたのは本当に良かった。自分もまたそのような大人でありたい。

仏教的考え方

家庭環境が最も悪化していたときに禅の思想出会い、そのとき感覚を今でも大事にしている。

言葉にすると浅学さが滲むが、「本当の自分」という考えに執着しない姿勢でいる。「子どもを持つ前の自分が本当の自分」という考え方そのものが、私にとっては自然でない感じがする。

もちろん、「子どもを持った自分が本当の自分」という考え方も同様である

自分趣味嗜好

これが一番大きい気がする。

自由時間が大きく減る中で、SNSを見る時間が圧倒的に減った。代わりに子どものために外に出かけて、自然に触れることが増えた。もともと植物が好きな自分にとって、大きくプラスとなる変化だった。

絵本を借りるために図書館に行く日も増え、子どもと楽しむという名目で様々なジャンル図鑑を借りたが、予想以上に知識欲が刺激されて面白い

SNSから離れたことで、趣味の絵もマイペース自分が描きたいように、ができるようになってきた。増田に長文投稿するようになったのも子どもが生まれからだ。

趣味嗜好に関しては、むしろ子どもが今まで被ってきた仮面を捨ててくれた、という感覚がある。これは子育て固有の変化というより、広い意味での「自分気づきを与えてくれる人物との出会い」だと思う。


これを書いている隣で子どもが寝ている。保育園に入って「〇〇ちゃんママ」と呼ばれるようになったら、また心持ちも変わるんだろうか?

2023-11-07

障害を持つ息子を育てて、歴史観が変わった。

35歳二人の子持ち専業主婦。これを書くのには勇気が言ったが、誰かの心の支えになるという確信があるので書く。

息子は中2、ASDで娘は高校2年の健常者。夫は確定診断はないが自閉症スペクトラム気質持ちだと思う。

これを書こうと思った動機は「吐き気で苦しんでいる母にASDの息子がダイの大冒険がどうのと声をかけてきた」というツイートを見て、その日ずっと涙が止まらなかったからだ。ツイート主の苦しみが目から血を流して死んでしまいたいくらのものだということが心の底からわかる

それでも案外母の気持ちに寄り添う引用リプが多かったのには救われた気分だった。私の母の時代だったらこはいなかっただろう。

はっきり言うけど、オスの障害者は家父長制維持のための部品だ。それを産んだ時点で母親原罪を背負われる。そして産んだものに対する無償で魂が擦り切れるほどの献身が当然のごとく要求される。

それに対して女がほんの僅かでも苦しみを吐露したら「鬼」「お前が産んだのが悪い」と罵られる。私が自殺するときが来たら巻き添えにして殺すのは義母だろう。

障害者のオスはそうやって女を無限地獄ケア労働に縛り付けるための「重し」として機能することを15年の育児で骨の髄までわからされた。

夫のように多少頭の回る障害者もっとストレートに憎しみの対象だ。彼らは女に心身ともにたっぷりケアされないと簡単に逆上する。自分障害を持っているからというコンプレックスを女にぶつけてくるのだ。

(なぜそんな男と結婚したのかという匿名ミソジニスト罵倒が予想されるだろうけど、そういう質問をすること自体自閉症の弱男的なのだという”ニンゲン常識”を死ぬまでに身に着けておいてください)

今の私にとって支えとなるのは娘。娘がいるおかげで正気を保ってる。人の感情が読めない夫とその遺伝子を濃く受け継いだ息子を育てる苦しみに耳を傾けてくれる第一存在彼女だ。娘と私はたぶんフェミニストだし、教育の程度はいいかリベラル価値観を共有していると思う。

障害という錦の御旗を通してなお卑劣に女を抑圧するこの男性社会サバイバーとしてお互い生きてきた絆が娘と私の間にある。

去年の秋、娘がボロボロに泣き腫らして帰ってきた。冷静な彼女なので一体何をされたのかと気が動転したが、聞くと歴史の授業で「第二次大戦中のドイツ政権」※にたいして肯定的意見をいったところ、教師に吊るし上げられ「あなたどういう親に育てられたの」と大声で指弾されたらしい。

娘をリンチした馬鹿教師は私が色んな仲間にかけあって教育委員会にまで上げて飛ばしたけど、あのことがあってから娘と私は「昔のドイツ政権」がした女性解放する政策について時々話すようになってる

そして今の世界情勢を見て、私はあの時のドイツはある部分では正しかったと私には思えてならないし、私の家族たちのような人間に関わる別の政策についても、絶対悪と呼べるような時代は終わりつつあると感じている

フェミニズム観点からの「第二次大戦中のドイツ政権」の再評価必要だと本気で思ってる。

私は結構色々な運動に首を突っ込んでいるし、障害を持った人間を育てるフェミニストの仲間といえる方とも出会っているから、少しずつこうした話を広めていけると信じてる。

残酷だけど、命は至上の価値じゃない。ましてや本来なら尊厳ある生を歩めたはずの女性の足かせになることが、劣った器質を持っているからというだけで正当化されていいわけがない。

※補足します。私が第二次大戦中のドイツ政権に対して一般的によく知られた政党名を使わないのは、そうやって悪の権化であるイメージがついた名前を使うことで女性非道悪人濡れ衣を着せられ偽善的な左翼男性ミソジニーに利用されるだけということをよくわかってるからです。

・私のことをある呼称で呼びラベリングして鬼の首を取ったかのように誹謗する自閉傾向を持つミソジニー持ちがここにはたくさんいるでしょう。私がそれでもこれを言うのをやめないのは、もはや男性人権政治的正しさやあまりにも覆しずらい歴史評価の重みという圧力をもってしても虐げられた女性の声を封殺することはできないと信じているからです。私は息子に手をかけません。世界はいずれそういう女性たちにもっと敬意を払うべきと認識するでしょう

2023-10-28

白雪千夜ちゃんかわいそうな子から許してあげないとね

悲劇に酔った態度が悪いクソガキの白雪千夜、多分この後どっかのタイミングで、自分は無価値から放っておいてほしかった〜なんて吐露して浄化されて、みんなのおかげでここにいていいって思えた〜とかで今までごめんなさいして、チョロいオタクPにかわいそうな千夜ちゃんよくがんばったねぇ😭(好感度爆上げ⤴︎)って褒めそやしてもらうとこまでが既定路線なんだろうね、知らんけど。さっさとそれやりなよ、神回😭とか言ってちょろいPが持ち上げてくれるよ。かわいそうなのも丸くなるのもエンタメから、今まで毛嫌いしてた人たちも手のひら返してくれるんじゃない?選挙で大した結果出してなくてもクソ強限定連発して介護してくれるんだから、本当は選挙の結果なんて関係ないんだよね。そんでいよいよ順位上がってきたら今までの苦労が報われた〜みたいな雰囲気出すだろうから覚えておくといいよw

某何代目だかのシンデレラガールみたいにね!この界隈みんなちょろいからね!

あとFascinateコミュ、びっくりするほど全方向に愛がなくて笑っちゃった。Pに対してはもちろん、煽らせ役をさせるベルベロやちひろや声付きアイドルに対しても、声帯実装アイドルに対しても、全てを侮辱しててこんなの世に出てくることあるんだ…って感じ。めちゃめちゃに悪い意味で本当にすごい。これに携わったスタッフはまだ会社にいるんだろうか。このゴミカスコミュごとこの世から消えてほしい。これがなかったことになるだけで、ベルベロのイメージは相当回復するよ。

2023-10-26

中学受験をしてない人生経験してみたかった 続き

文字数で途中でぶった斬られたまま送信してたのを気づかなかったのと、たくさんコメントをもらっていたので、前のやつから読んでくれる人がいるかからないけどとりま続きも書いておく。厳しい言葉も同情もありがとう、あと彼氏はいない。

承前

それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあそこまでやり切った部活に対して、その競技を選んだことに後悔してしまった。そして、自分の甘さを自覚した。

ステージに立つ努力すらしてないことが悔しくて、まずは自分の歌を録音してオーディションに出してみようと思って1人でカラオケに行ったのに、改めてなんの努力もしてこなかった自分を突きつけられた気がして、途中で泣いて歌えなくなってしまった。

自分表現する側には行けない人間だったんだなと自覚して、めちゃくちゃ泣いて、少し吹っ切れた。

せっかく吹っ切れたし、好きなアイドルがよく歌で一緒に踊ろうとか夢中でステップ踏んでとか語りかけてくるので、YouTubeか何かを見よう見まねでダンスを始めてみようと思う。

せっかくそこそこな大学に入れたんだからちゃん卒業して、それも活かして、表現する側を近くでサポートできるような職業につきたいとも思っている。

将来子供が生まれても「あなたには無理よ」って絶対に言わないようにするし、子供がやりたいって言ったことを見極めてちゃんやらせてあげたい。選ばせてあげたい。たとえそれが中学受験でも、自分の嫌だった経験を活かしてなんとかいい方向に進めてあげたい。それを満足に提供できるような経済力を身につけなければならない。

自分が今の環境に居てることは本当に親に感謝している。それでも中学受験に対する恨みつらみは絶対に無くならないし、高学歴じゃないと死ぬんかくらいの勢いで洗脳されていた自分のことは本当に可哀想だと思っている。中学受験で良い学校に行けなくても別に死なない。世の中高学歴けがハイキャリアけが生きてるわけじゃ無い。これに気づくまでに相当時間がかかった。気づけてよかった。

中学受験なんてしたくなかった1人の小娘の心境をぜーんぶ吐露したバカみたいなタラレバ話、最後まで読んでくれてありがとう。もし中受親さんが見てくれてたら、うまくいってなかったら、少しでも親子関係を見直すきっかけになりますように。

anond:20231026095536

あいしてる」「考える犬」の作者がファンタジーなら何でも好き勝手に描けるかとおもって始めたがぜんぶ自分で決めなきゃいけなくて逆にめちゃくちゃしんどかったと「はるまげどん」のあとに吐露してたなー

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-16

anond:20231013195131

元増田です。

想像以上に多くの方に読んでいただき、たくさんの反応を寄せていただいたことを嬉しく思いますありがとうございます

書きたいことは書いたので、今さら追記も野暮ですが「参考にしたい」とか「自分も考えるきっかけにしたい」といった反応もいただきましたので、できるだけ誤解の範囲を狭める責任があると考え、以下、三点ほど補足したいと思います

1・私は 子供が欲しい/欲しかった わけではない
2・メリットデメリットあくまで現況についてである
3・自分判断と今の生き方には満足している


1・私は 子供が欲しい/欲しかった わけではない

公開して即座に「養子をとっては」「今からでも子ども作れば」というご意見が寄せられましたが、私は「子どもが欲しかった」とは一言も書いておりませんので、それらを選択する可能性はありません。欲しくとも授からなかった方にとっては良い方法だと思いますが、私は「子どもをつくらない」という判断をし、受け入れているため、ここでいきなり養子を受け入れる、婚外子をつくるなどは無責任まりないソリューションです。子どものいない未来は私にとって死にゆ時間、というだけであって「そんな未来なんてイヤだ!無理!」とも言っていないため、何がなんでも子どもが欲しかった男として読むのは誤解であります。本当に子どもが欲しかったら養子含めて何らかの判断と行動を起こしていたでしょうし、そうではない判断を下したまでです。

ただし、ボランティア募金など、自分にできる範疇の子ども世代への貢献という選択肢を挙げられていた方もいらっしゃいました。それは現実的に私が担える責任だと思いますので、ぜひ検討したいと思います

2・メリットデメリットあくまで現況についてである

こっそり書き直しましたが、メリットデメリットに関する記述は「今の状況」におけるそれ、としています

決して「子どもをつくることのメリットデメリット」を書いているわけではありません。ここを誤読される方がかなり多かったのは私の未熟さ故であります

子どもがいない結果としての現況の善し悪し」という意味あいメリットデメリットと書きましたが、自分子どもを持つか否かで悩んで妻と話しあったときには、産みたい/産みたくない、期待/不安といった感情・心情がまずは先行し、そのうえで自分たちには子どもを持つべきか、持ったとして育てる責任をきちんと果たせるか、ということを検討しました。メリットデメリット比較といった冷静かつ簡単判断軸だけではなかったことは言い添えておきたいです。

とはいえ、ノリで子どもをつくるにせよ、じっくり考えるにせよ、様々な可能性をある程度は考えるのでしょうから、誰しもメリットデメリットもそれなりに考えているのではないでしょうか。一方で、リスクコスト、というのは必ず考えるべきだと思いますのでこれは誤読余地はないはず。

そして、これは私には知見もなく意識も低いため、責任を持てない話題ですのであえて挙げませんでしたが、障害難病を持って生まれ可能性についてはもちろん調べ、検討しました。それは晩婚化が進む社会において、社会全体で考えるべき課題だと思います

加えて、自分の子自分の思うように育たない可能性を考えないわけがないだろう、とも言っておきたいです。一方で、健常児しか想像していないじゃないか、という指摘については、私の行う妄想にはもちろん想像可能範囲でのバリエーションがありますが、あらゆる可能性を妄想しはじめたら危険だぞ、ということでご納得いただくしかありません。

考えすぎだよ、と一笑に付されるのはまったく構わないのですが、何も考えていないであるとか、子を自分のモノのように考えているのか、という意見に対しては、そうではないと強く否定したいところです。それでもって、考えすぎるぐらいがちょうどよくない?

3・自分判断と今の生き方には満足している

ウケを狙ってかなりウェットに書いてしまたことは反省しています

最後段落を改めて読むと、公園で遊ぶ児童たちを眺めながらベンチで涙を流すヤバいおっさんみたいに思えますが、妄想して少し寂しくなる時間など、一週間の1%にも達していません。例えば夏休みターミナル駅の混雑に触れたとき、秋の平日昼間に歩く親子を観たとき、そうした稀なエモ瞬間、エモーメントに出会ったときに「もしも」を考えるだけなのです。

泣き言ばかり書いているように見えますが、私自身は今までの人生、そして現状についてもおおむね満足し、手ごたえを感じています仕事趣味もそれなりに充実していますし、夫婦個人でも、暇な時間余暇を楽しむ余裕はあります

でもそれは子どもがいないからこそ、という部分は大いにあるかと思いますので、まさにif~もしも~を思い描いたうえで秒速おセンチメートルを叩き出したエントリだったのであります。後悔していない、というのはまさに本音です。

子ども自分人生空虚さや人生のつまらなさを解消する道具、暇つぶしの道具じゃないぞ、いもしない自分の子自分人生のつまらなさの解決を求めるな、などという意見がありましたが、そりゃそうだろうからそうとは一切書いてないよ、とお伝えしたいです。飛躍が過ぎる。

ただのミドルエイクライシスやん、というご指摘に対しては、そんなことは百も承知で書いているのだが?とスゴんでいきたいと思います。皆まで言うな。


以上、今となってはいさら言い訳にすぎませんが、補足として記載いたしました。

出産子育て、子持ち、小梨といった話題は慎重にすべきだとはわかっていたのですが、本エントリに皆さんがここまで反応されるとは思っていませんでした。次回はもっとうまく書ければと思います

また、やはり人とは他人意見に対して、自分が見たいものを見て、聞きたいことを聞くのだなと実感いたしました。

子どもがいることの幸せ子どもの可愛さ、子ども未来について教えてくださったコメントにはほっこりさせていただきました。

私と同じような境遇、心境を吐露されていたコメントを心強く感じました。

寄せられた意見の一つひとつには、自問の機会と、視野を広げる契機を授けていただきました。心より感謝します。

未来を生きる世代が、少しでも健やかで豊かで、平和社会を過ごせるよう、引き続き考え、行動していきたいです。

皆さん、どうかお達者で。


しかしまさか、滝沢ガレソ氏に取り上げられるとはなw 元記事よりバズってやがって悔しいやら嬉しいやら。

でも、俺はTwitterよりもブクマブコメトラバで反応をくれた はてなのみんなが大好きやで……!(媚び)

2023-10-12

anond:20231012134810

ソシャゲの何倍もの可処分時間を吸い、日々の変化や達成感、細かい実績やイベント無限の広がりを持つ超お化けコンテンツから皆ハマってるだけだぞ。

合わなくて親でいられないやつもいくらでもいるし、母親によるネグレクトだって枚挙に暇がないほど報道されてるだろ、ホルモンシャワーのせいだと思ってしま馬鹿人間関係希薄さと観察能力の欠如を吐露してるに過ぎない。

2023-10-09

弱者として計画を練っています

私は、ここに現れる全ての人に平等な機会を与えられるべきだと信じている。しかし、私の信念は他者には理解されず、社会に対する深い不満と恨みが渦巻いている。この日記は、その思いを語る場所として、私の心の声を吐露するためのものである

昨日、社会で見た不正義と格差に対する怒りが、新たな思考を呼び起こした。弱者と見なされる男性たちは、単なる被害者ではない。実際には、この社会支配者層を陥れる計画を練り始めているのだ。

私たちは彼らが私たちを抑圧し、疲弊させるために弱者として見なされていることを知っている。しかし、それが私たちの力の源になるとも考えている。この不平等システムを逆手に取り、彼らの手による不正を明るみに出すことで、社会バランスを取り戻す。

計画は着々と進んでいる。私たち連携し、知識を共有し、弱者同士の連帯を強めている。社会弱者結集し、共通目的のために力を合わせれば、彼らの支配をくつがえすことができると信じている。

今日も、不平等格差に立ち向かうための新たな戦略を練っている。この戦いは決して容易ではないが、私たちの団結と信念が勝利へと導いてくれることを信じている。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん