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はてなキーワード: 毛筆とは

2024-03-17

anond:20240317185547

書道家って文字クッソ下手すぎる奴が多い

毛筆でただぐにゃぐにゃした線書いてるだけで読めねーじゃん

ゴシック体意識して書けと思う

2024-03-01

竹中工務店の4大面白いところ

①1年目は全員で寮に入るのだが、1番初めにやる事は社歌の暗記

竹中さんって苗字の人は入社出来ない(オーナー一族竹中から、紛らわしくなるから)

退職届は半紙に毛筆で書く必要がある

あとひとつはなに?

2023-12-29

字が汚いから綺麗になりたい

からずっと字が汚かった。

汚い部類としては小さすぎたりミミズではなくバランスおかしタイプ。一文字バランスや全体としてのバランスおかしい。

小学校の頃、名前書いてないプリントに対して、これ誰の~?字的に多分男の子だと思うけど。と先生に言われたプリント自分のだった。

それがショックで近所の習字教室に通わせてもらい硬筆毛筆を習った。

前よりは良くなったが日本語をあまり書けなかった帰国子女の友人に段位?を抜かされたし、学校書き初め?で学校代表の1人になった。

高校に入ってからは男女共に多少癖があっても字が綺麗な人が多く、真面目な文を書く時はその癖も消えてきれいな字だった。そしてみんな習字も習ったことがないと。

高校の友人から私の書く字はギャル字になろうとしてなれなかった文字と評されていた。別の友人からアルファベット普通なのになんで日本語書くの下手くそなの?とも言われた。

大人になって字を書く機会が減ってほっとしていたが、最近友人同士での誕生日手紙を書いたり、お土産メッセージカードを付けるようになった。

また文字を書かなくてはいけない。

から最近オンラインペン習字や近くの書道教室を探しているが、鉛筆で綺麗に書けないのにペンで綺麗にかけるようになるのか?筆から練習するのは遠回り過ぎないか?等考えてしまって結局何もできていない。

ちなみに母は一文字バランスはぱっと見ると綺麗だけどよく見ると汚くて全体としてのバランスが悪く、父親は頭の回転に手がついていかないタイプ文字を書かせるとミミズで読めた試しがない。

字の綺麗さに遺伝もしくは、小さい頃に見た文字の影響があるのかとも思う。

anond:20231229060628

毛筆硬筆は字をきれいに書きたい人が通うところであって、字を汚く書く人(字が汚い人、ではないことに注意)を矯正する施設ではないぞ

字を汚く書く悪癖(や能力不足)は、毛筆や硬筆の教室では悪化することはあっても改善することはない

anond:20231229055232

おつかれ

3年生の娘は私が見ているときは少しは綺麗に書くのに、私が見てないとき漢字ノートみたら汚くて汚くて…そんな時はやり直しさせるが、また次の日には汚く書いてる。いくら言っても無駄に終わるよ ナカーマ

年中から硬筆に通わしてるが何も意味がない

なんか何も上達しないのにお金を払って硬筆に行かせるのが馬鹿らしくなってきた。 このまま通わせて今更上達するんか。

とにかく書く事がめんどくさい、めんどくさくて仕方ないと言った感じ。お友達に綺麗な手紙を貰っても何とも思ってない。今日字が汚いと言われてたが本人何も気にしてない。 漢字テストで字が汚いとバツされるよ!!と何度も言いましたが改善なし。本人硬筆めちゃくちゃ辞めたがってる。私も硬筆は無駄と感じてきてるけど毛筆は続けて欲しい。

ただ、毛筆とセットなのでやめたらどちらもしなくなるので悩みどころ

何度注意してもめんどくさい。で終わり

anond:20231229054331

知り合いのクチャラー硬筆も毛筆もうまかった

賞取ってた

anond:20230208161118

「字は体を表す」「書は人なり」などと言うように、字が綺麗な大人って格好良いな、と1年程前からやってる練習

以前はちょこちょこやるしか無かったので、その分今は、時間を大切に。

いつかは毛筆行書体なんかも上手になりたいなぁなんて淡い期待を抱きながら地道に頑張ります。道のりは遠い…

2023-12-18

本気を出してきた冬増田の寒さ撫佐の出す眉二木手シダを金歩(回文

おはようございます

気温がぐんと下がって室内が10℃とか下回っちゃう

手が悴んでキーボード打つ手が進まないわー

身体はそんなに寒さに耐えられるんだけど、

手先の寒さの冷たさはなんともパフォーマンスに影響するからこの時期は室内温度も気を付けないと

せっかくいいアイデア増田が生まれてもとどめておく勇気が手が悴んで出ないのよ!

もう頭も回らないわ。

事務所に来て窓を開けて一気に換気はしてからのー

暖房をオンに付けたりするけれど

暖まるのにまた時間がかかるのよね。

いままでそんなに急に冷え込むことがなかったから油断していたけれど、

遂に冬本格化!

12月も本気を出してきたってことね!

かいものでも飲んで中からも温めたいわー。

そんでさ、

この時期忘年会とかあんじゃない。

会社のはコロナ禍も明けてきてそこそこ再開してきたところ多いと思うのね。

もう忘年会のやり方なんか忘れちゃったら良いのにーって

そういったのほんとみんな楽しいと思っているのかしら?って思うのよね。

私はあんまり会社とかの忘年会は好きくないんだけど

これ一応会社従業員に対して労いましたからね!つうポーズなのかしら?

それならお給金をはずんで欲しいものだし、

そもそもとしてそんな忘年会なんてやんない方がいいと思うんだけどなぁーって。

まあお友だち同士でやんのは

普通飲み会で楽しくていいんだけど。

とはいえこの12月イベント続きの中に週3回忘年会が立て続けに行われ開催されると面倒くさいわよね。

あんまり飲み過ぎちゃう

通常ペースに戻るまで時間が掛かって

最近困ったのはずっと頭が痛くなっちゃ問題

あれはなんでかしら?って最近思うようになったのよねー。

忘年会続きもどうにかならないものかしら?

そんでさー

旅館での忘年会とかって

みんな飲んでぐちゃぐちゃになっていてお料理なんて味わってないんじゃないの?って

私はこの時の会は飲まずにご飯だけに焦点を絞って会を早く終わんないかなーって食べてたんだけど、

普通に味わったら美味しいのよね。

手間掛かってるし

お膳を人数分大量に準備しなくちゃいけないし、

厨房は大変よね?

シラフだとそう言うのを感じてしまうわ。

でもさー

よくよく考えてみたら

酔っ払って楽しい席の土台には美味しい料理がある前提ってことよね。

料理が美味しくなかったらお酒も進まないんじゃない?

なので

みんな大騒ぎして楽しい席って言うのは料理が気付いていないけど

美味しいってことだと思ったわ。

料理長の今日献立毛筆体のなんて書いてあるか達筆すぎて読めないお品書きの今日メニューが読めないけれど

美味しい料理ハートは伝わるわ!って

そりゃー適当なお料理を出していたら怒られるわよね。

でも一応はみんな飲んで酔っ払ってくしゃくしゃになっても

美味しさは伝わるのねーって

でもその美味しかったよ!つーことはなかなか料理長に伝わらないのでは?とも思ったりして、

料理長ってなんか孤独お仕事グルメなのかなとも思うわ。

ありきたりなそういう忘年会コース定番メニューなのかも知れないけど、

そう言った思いが込められていると

私がそう勝手に思うと胸熱だわ。

うふふ。


今日朝ご飯

スモークサーモンクリームチーズサンドイッチね。

これお気に入りかも最近

いつ無くなるのか分かんないか

お店で見かけてあるうちは買って食べられたらラッキーって感じかしら。

寒いので温かいヒーコーも忘れずにね!

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラー熱めで

結構ふーふーしてカップを握りしめて飲む

そんな特に今朝は寒かったのよね。

じんわり温めるわ!

急にこの寒さも堪えるわよね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-08-14

anond:20230814132233

マジックで書くからだめなの、ちゃん毛筆と墨で書いてアートにしないとだめなの

2023-06-17

歳をとると小さな挑戦は地獄になる

(目を細める)

(顔を引く)

(近づける)

…この毛筆で書かれてるちっちゃい1文字目はこれ地か?地獄

2023-05-10

anond:20230509200546

文字は誰も文句言わなかったのにな

選挙の必勝の毛筆ポスターAIが書くようになるだろう

2023-05-05

anond:20230505094958

こち亀でやってたけど

最新のテクノロジーについていくのが面倒なら毛筆で書いてろって話だな

2023-02-07

anond:20230206213600

https://anond.hatelabo.jp/20230207095257

ほんとこれ。馬鹿だよね

ちなみに元々日本語では小書きしないのが普通で(毛筆での難しさとか活字の都合も多分にあっただろうけど)(文化庁の示す現代仮名遣いの訓示でも「なるべく小書きにする」)、それもあって登記の際に小書きが許されてなかったということで、単に当時としてはそうするのが普通だった、と言うだけの話であって、現代において日常のやりとりの中で「富士フイルム」を「富士フィルム」と書いたり読んだりしても間違いではないし、むしろ「ふ じ ふ い る む」と読むのは誤りですらあるだろう。

文化シヤッター中途半端さはよくわからない

2022-09-25

anond:20220925085235

単に毛筆の頃の書き方を引き摺ってるだけなのをマナー講師勘違いしてるだけだよ

2022-08-04

硬筆、毛筆、デジ指筆、デジ硬筆

書道半紙大のタブレット端末が人数分要るな

2022-06-03

anond:20220603162914

現場猫は、毛筆書体 みたいなもんでしょ。

元増田が言うのは、格調高い明朝体であるべき。

2022-04-19

anond:20220419020841

魯魚烏焉の誤り、という言葉はあるが、ぶっちゃけ魯と魚、そんなに誤るほど似てない

毛筆の崩し字だと似てるんだろうか

2022-04-15

近所のおばさんがやってる個人の塾派生

うちの親がそういうの好きだったのか、あるいは自分が、

・近所の有名なスイミングスクール

・超有名ピアノとかのとこ

・市が提供してる会場に講師が来て学ぶどっちかというと緩い感じのお絵かき教室

に通って、ことごとく結果が出なかったから、妥協そっち系になったのか。

とにかく、小学生時代は”近所のおばさんがやってる個人の塾”みたいなところに通ってた。

同級生のお母さんがやってる英語

小6の一年間通ってた。

同級生のお母さんだけど面識なかったし、恥ずかしいとかもなかった。

今の都会の小さい家なら2~3軒が庭に立つぐらいの豪邸でいい車が止まってた。

お金に困る感じではなかったから、趣味だったんだろうな。

内容としては中1の教科書を生徒4人の理解度に合わせながら進めていく感じ。当時は気づいてなかったが、今思えば週1の一時間教科書終わったから、凄くピンポイント大事なところを重点的に教えてくれてたんだと思う。中1の英語テスト無双できた。調子にのって、中2の2学期から英語は苦手科目になったが。

10~12畳くらいの応接間みたいなところで授業受けてた。

謎の夫婦がやってるソロバン

特定されやす情報から書けないけど、絶対忘れないぐらいのインパクトのある旦那さんと奥さんソロバン塾。

個人宅だったけど、結構広いスペースがあった。12畳はあったと思う。

さぼってもばれないから、さぼってあんまりいかなかった。結局ばれて怒られてやめることになった。

その後なんやかんやあって、ソロバンとの関係性は良好(ただし計算はしない)。

おばちゃんがやってる個人習字

2~3人ぐらい座れる長机が2*3ぐらい並べられてたイメージからそこそこ広かったと思う。

ただ外観はボロアパート(当時でいう文化住宅?)で、多分2DKを全て習字教室に振ってたんだろう。

先生もそこに住んでるわけではなかったし。

毛筆と硬筆習って、硬筆は昇級機会も少なかったから大したことないけど、毛筆は、段まで到達した。

近所の会館で展覧会もあって、そこに自分習字が張り出されてて、なんか誇らしかった。

お手本を紅い墨汁で書いてくれて、それを見ながら書くんだけど、席が後ろだと、重ねて謎ってもばれないので、結構なぞり書きしてたんだけど、ばれる時はばれて。

なぞりつつ、個性を混ぜてなぞったことをバレないようにするみたいな変な自分ルールで通ってた。

2~3年通ってたおかげか、字が上手くなったわけもなく、気合入れたら読める字は書けるけど、普通に書いたら翌日には自分でも読めないという、最悪の字下手になってしまった。

ほんとになんでなんだろう。

あと、ここの思い出は、先生東京福岡かによく出張か里帰りかなさってて、ひよこ饅頭が数か月に一回もらえたこと。当時は飲み物持ち歩く習慣なかったから、毎回口の中の水分もってかれながらも美味しく食べてた。

謎の画家夫婦絵画教室

夫のほうは多分そんな顔じゃないんだろうけど、なんとなくムツゴロウさんみたいな印象で覚えてる。奥さんイメージはもう思い出せない。細かったかな。

昔住んでた家の三軒隣ぐらいに、廃墟芸術家が住んでるか、みたいな家屋があった。

他の家ってちゃんと壁とか塀があって、結構かい家が多い地域だったのに、そこは草ぼうぼうで掘っ立て小屋が建ってるみたいな。

菜園はなかったかあってもすごく小さかったと思うけど、芸術家自給自足暮らしますって言われてなんの違和感もない。

結構小さい頃に通ってたから、細かいことは忘れたけど、一度そこの生徒と画家夫婦動物園に行く、みたいなイベントがあって、

動物園に行ったのに、そこらに居る鳩書いて、自分史上最高の絵が描けた瞬間でもあったし、めっちゃいろんな人に褒められた記憶がある。

今はもう、その家屋はなく、隣の家の建て壊しのタイミングで、土地くっつけて大豪邸が建ってる。






40年近く前のことだけど、覚えてることは覚えてるなー。(割愛したことも沢山)

たこういうゆるーい雰囲気習い事が増えていくような国になったらいいなと思ったり。

余談だけどあと習い事で印象強いのは、妹が行ってた個人宅でのピアノ(某超大手略)とか、

最近ではプログラム教室見学行ったら、わりとゆるゆるで将来やりたいなーとか思ったこととか





anond:20220414213307

2022-03-29

赤字覚悟!って要するに計算通りなら赤字にならないってことでしょ

毛筆フォントギリギリ感出してます!っていうほどのものでもないような

全部売っても赤字です!ってなら頑張ってるなぁってちょっとだけ思うけど

2022-03-06

ペン鉛筆というより筆に近い?

鉛筆≒硬筆、筆≒毛筆と読み替えても構わない。

あとここで言うペンというのは昔ながらの本来pen、すなわち丸ペンGペンといったつけペンのことね。

サインペンボールペンのような、商品仕様として誰が書いてもほぼ同じ太さの線を引けるペンは除外。

劇画と呼ばれていた頃から現在に至るまでの多くのマンガや、マンガ文化の延長にあるイラストラノベの表紙/挿絵
最近だったらVTuberLive2Dまで、線はつけペンで描く(デジタル製作であってもつペンを模した線で描く)のが主流と聞く。

そうすると、基本的日本2次元文化ペン画が根底にあるってこといいの?

で、つけペンが好まれるのは、これらのペンの特徴として、描く線にいろんな効果をつけられるからってことでいい?

太さ細さはもちろん、タッチの違いで色々な線が描けるから、作者の個性を存分に発揮しやすいという。

これって、鉛筆というより習字の筆の特徴に近いなーと思うんだけど、どうなんだろう?

習字だって、どういう線を書きたいか具体的にしっかり決めて、まさしく一筆入魂でエイッと書くし、一度書いてしまったら修正が効かない(破り捨てて書き直し)。

だとすれば、ペン鉛筆似て非なるものというか、少なくとも鉛筆の延長で使っていたらしんどいだろうなーと。

実際、美大生でもペンが嫌いって人多いみたいだし。

でも、習字の筆と同じくらい使いこなせれば、これほど面白い道具もないんだろうね。

もちろん使いこなすまでは色んな技術が要ると思うので、相当に難しそうだけど。

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