「ありのまま」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ありのままとは

2017-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20170526075531

煩悩」を捨てることだね

「こうなりたい」という欲望を捨てて、ありのまま自分を受け入れる

苦しみは自分の心が生み出している幻想から

2017-05-25

小3の息子が「ママ今日生理なの?」と言っていた。

仕事から帰ると小3の息子と妻がお風呂から上がってきたところだった。体を拭きながらもの凄く自然に発せられた息子の言葉に衝撃を受けた。

ママ今日生理なの?」

わず固まる私を他所に、妻は「そうだよー。」と極自然に答えていた。生理に関するやりとりはそれだけで終わり、その後は子供の「今日学校でね~」という他愛も無いものになっていった。

子供が寝静まったあと、私は妻に苦言を呈した。

小学生の息子が既に生理を知っているのはおかしい。二次性徴について知るのはまだ早い」

妻はあっけらかんとこう言った。

「改まって教える事じゃない。生き物として自然な事なんだから、聞かれたらごまかさずにありのまま伝えればいい。私はたまたま聞かれたから教えただけだ。」と。続けてこうも言っていた。

「昔みたいに学年に応じて与える情報コントロール出来る時代じゃない。子供の興味に応じて正しい知識を与えるチャンスがあったなら、その時点で与えた方がいい。」

普段ネットでの情報収集もろくにしない妻が、子供子供を取り巻く情報化社会の現状をそれなりに認識して、自分なりの結論に至っている事に驚いた。

そして私は困惑した。子供に「パパのおちんちんはどうして剥けてないの?」と聞かれたら何と答えればいいのだろうか。

2017-05-13

教師はなぜいじめ助長するのか

私は、小2から小3にかけていじめを受けていました。

きっかけは、小2の時にクラス女子メガネケースが机から落下し、壊れてしまう。ということでした。

その様子を遠くで傍観していると、赤井さん(女子)が教師にこの事について話しているようでした。

赤井さんは、「近くにいたから」という理由大石さん(仮名)と何故か私を指名しました。

その後、緊急の学級会が開かれ、教師が明らかに私に対して不利になるような言葉を並べ、

柳沢さん(仮名・私)と大石さん、どっちが悪いか多数決しましょう。」

と言い出しました。

クラスの大半が私がやっていた。と手を挙げ、私は反論しました。

しかし、それは無意味もの教師はなにも認めてはくれませんでした。

下校後、学校から連絡が来ていた。ということもあり、親から様々なことを言われ、私は「絶対やっていない。そもそも、その場所に行っていない。」という趣旨のことを伝えた後、同じクラス友達の親から電話がかかってきました。

柳沢くんは、やっていないらしいね。私の子供が言うには、『大石くんがやってた』ということだった。詳しく話聞きたいからおうちに来れる?」

かけてきた友達の親の家は、とても近所で電話がかかってきたあとすぐに親が私を連れ、到着後話し込んでいるようでした。

次の日、教師から「もうあなたが認めれば、ことが丸く収まるから赤井さんに早く謝って。」と言われ、私は、赤井さんに「ごめんなさい。」と言ってしまいました。

帰宅後、親から「どうだった。」と聞かれ、「謝ったよ。」と伝えると、「何で謝ったの! あなたやってないんでしょ! それは罪を認めることだよ!」と言われました。

この時、小学2年生だったため、「謝る」という本当の意味を知らなかったためです。

これらのことがあった後、クラス内で1人でいることが多くなりました。

3年生に進級し、新たな楽しい生活が送れると思い、とてもわくわくしていました。

しかし、現実はそうではなかったのです。

クラス担任を中心とする、酷いいじめを受けるようになりました。

相談する相手も居ず、学校が嫌いになってしまいましたが、「とりあえず学校には行け!」と言われ、抵抗はしたものの通じず、仕方なく学校に行きました。

このときの私は太っていて、担任からおなかを直に触られることが数え切れないほどありました。

また、クラスメートから悪口や陰口、さらには過度なちょっかいなどがあり、とてもこのクラスはいられない気がしてきました。

給食の際にも、いじめを受け、給食を食べないということもありました。


小学3年生の夏、私は自殺を試みました。

しかし、担任が止めてくれましたが、それがきっかけで、さらいじめエスカレートしていきました。


小学4年生に進級しました。

担任は、私のすべてを受け入れてくれるとても優しい先生でした。

今まであったことをすべて話した私は、泣いていました。

小学3年生の時と同じクラスメートでしたが、その先生の支えもあり、クラスになじめていたような気がします。

私はパソコン趣味で、その先生IT系に強い先生ということもあり、Excelの話やPPの話など様々なことで盛り上がりました。

ただ、先生はそこまで甘くはありませんでした。

毎日職員室に行って先生から様々なことを聞いていたり、教室プリントを運ぶ手伝いをしていたりしました。

突然、「お前はもう大丈夫から、朝職員室には来るな。」と言ったのです。

私は、少し悲しくなりましたが、自分に自信を持っていたため、「わかりました。」と返しました。

小学5年生の時、いじめが再発しました。

担任は、とても優しかったものの、その事が理由クラス雰囲気は崩れ始め、学級崩壊・学年崩壊とまでいくようになりました。

秋頃、小2の時に私は大石さんと喧嘩をして、感情を抑えきれなくなり、教室にあった水槽を割ってしまうということがありました。

その後、私はクラスから省かれるようになりました。

小学6年生の時、すべてが変わりました。

担任は、少し厳しい先生が入り学級・学年がまとまってくるようになりました。

私がパソコンに強い。ということを知っていた担任先生は、放送委員会の引き継ぎを私に優先していただきさらには委員長までになりました。

その先生は、ダメなことはダメ。というはっきりした性格で、私の曲がってしまった心を矯正してくれる、恩師でした。

さらには、「小2の時にメガネケースが破損した」という事に関して、真犯人が出てきたこともありました。

卒業式の呼びかけの際には、担任の計らいで、私と大石さんがラストラスト2という大役を任されました。

中学校1年生から自分感情を抑えきれるようになり、中学校2年生の時には、学級副委員長にもなりました。

中学校3年生の時には、学級副委員長文化祭実行委員をやるようになり、いじめコミュニケーションも控えめになっていましたが、それが改善されるようにまでなってきました。

現在は、中学2年生の時から志望していた高校合格入学し、部活勉強にのめりこむ毎日を送っています

私は、絶対小学2・3年生の時の担任教師が許せません。

その人たちに、会っていなかったら私はとても楽しい小学校生活を送っていたと思います

何故教師たちは、いじめを隠しているのでしょうか。

何故教師たちは、いじめ助長するような言葉を発するのでしょうか。

何故教師たちは、いじめを認めないのでしょうか。

いじめは、受けている側が「いじめ」と思った瞬間にいじめになります

まだ「いじめ」という考えが浸透していなかったこともあるのでしょうか。

しかし、苦しんでいる人たちはたくさんいます

しかしたら、今も苦しんでいるかもしれません。

教師たちは、現実ありのまま教育委員会に伝えるべきです。

学校の評判が下がる? いじめに関わったらいい役職に就けない?

それは、学校教師の話であり、苦しんでいる人たちはさらに苦しむことになります

もし、あなた教師なのであればその考えを絶対に捨ててください。

子供が好きだから教師になったのでしょう?

教師子供を守ることは当たり前です。

いじめ絶対に許せない。

極端な人間になってしまった。もう無理

甘えだと言われてしまうのはわかってる。現実から逃げてるのもわかってる。でももう生きていける気がしない。普通になれない。ボロボロで恥ずかしい。

中学とき、真面目すぎるあまり周りにドン引きされた。でもそれしか自分アイデンティティが無かったのでその努力評価して貰うために必要以上に頑張っては色んな意味ボロボロになるということを繰り返していた。体育祭ダンスで異常に張り切ったり合唱オーバーに歌ったりしていた。笑われてもなぜか手を抜くことなくやり通した。

高校では私を見かけるたびにみんなが笑っていた。クラスメイトはいつもニヤニヤしながら馬鹿にしたように私に話しかけてきた。高校では目立たないようにしていようと思っていたのに目立ってしまっていたようだった。中学からの癖もあっただろうし、世間知らずだったので女子高生にしては変な振る舞いをしていたと思う。さすがに辛かったので散々普通になろうと容姿やら挙動発言に気をつかっていたが最後まで普通の人とは見てもらえなかった。ストレスがかかりすぎて逆に感情がなくなっていた。

大学に入ってから人間関係で散々トラブった。私が我慢できないことが原因であることが多かった。まだ挙動おかしいのか後輩に笑われたりもした。何にも馴染めなかった。

他人に認めてもらえなかったか自己否定感と承認欲求が入りまじっていてどうしようもない。自分を守るために怯えたり自己顕示したりと極端なことしかできなくて結局何にも得られない。

人を信用できない。人が怖い。だから気に入られるように謙虚無難に接しようとするが、素の自分を認めてもらいたいという欲求が勝って嫌われてしまったりする。私はおかし人間だ、普通にならなきゃという気持ちと、どれだけ努力しても普通になんてなれなかったと投げやりになりありのまま認めてもらいたいという気持ちのせめぎ合いだ。

どうしたら認めてもらえるのか。病的なほどに人の顔色を伺って自分を抑えて周りに適応しようとしたけれど駄目だった私は、逸脱することでさらに認められることから遠ざかっていく。中学時代に逆戻りだ。あの頃は普通でいることに関心がなかったけれど今はもう普通に生きて認められたいという気持ちが大きいから前よりもっと苦しい。このままただでさえ異常な承認欲求肥大していけばもっともっと私はどうしようもなくなるだろう。私はどうすればいい。

2017-05-11

todoリストの使い方がわかった

箇条書きでやらなきゃいけないことを書いて置いてやったら潰していくtodoリストっていうのがあるけど、いざ使い始めるとどこまで細かく書いたらよいのとか、どれくらいの粒度で書けばいいのとか、どうなったら潰していいのとか悩んでしまって全く機能しなくてどうしたもんだろうって思ってたけど、最近ようやくどう使ったら良いのか分かって来た。

まず大原則は「やらなきゃいけないことを頭の中だけで記憶して整理しようとしない」だ。これからやらなきゃいけないことは全部Todoリストに書き出す。この時一つ一つの粒度バラバラで良い。というか今把握してる案件ありのまま書き出すことに集中することが重要で、ブレイクダウン検討を始めたりしてそっちに気をとられない様にする。

ともかく、全部紙に書き出して一覧できる状況というのが非常に重要なのだ。これをやるとびっくりするほどすっきりする。頭の中で渦巻いてたモヤモヤが一気に晴れる。

物事記憶して後でそれを取り出すっていうのは、ほぼ何も生み出さないのにやたら負荷がかかる処理だと思う。どうしても覚える必要があるなら致し方ないけど、日々の仕事管理でそんな高負荷な処理やる必要はおそらくなくてtodoリストに丸投げできる。

で、todoリストに全部書き出せたら上から順番にやっていくだけだ。この時粒度が大きくてそのままじゃ何もできないと思ったらここで初めてブレイクダウンする検討を行い、細分化した案件todoリストに追加する。元の案件は潰す。そういう管理も目に見える形で行えるので大変はかどる。

todoリストシステムがちゃんと回り始めると、割り込みで入ってくる仕事なんかもそれほど苦にならず対応できるようになった。受けたらとりあえずtodoリストに投げてしまえば良いのだ。自分記憶をあてにしない様にするとびっくりするほど楽になる。

来た仕事をきちんと漏れなくこなすって仕事の基本だと思うけど、ここでつまずいて毎日クタクタになってる人意外と多いんじゃないかと思う。ここではtodoリストについて書いたけど、「やらなきゃいけないことを頭の中だけで記憶して整理しようとしない」を大原則として仕事のやり方を考えると他にもスケジュール帳とかメモとかノートの残し方とかいろいろ改善の仕方が見えてくる。

そんなわけで、明日も頑張りましょう。

2017-05-09

国会ウォッチャーならぬ印象操サー

(もうアップアップになっている)だとか、ありのままを書き出すのではなく増田主義主張によって印象操作されている駄記事

私の家族措置入院歴5回で今は医療保護入院中なんですけど、この法案には賛成です。

もともと精神保健福祉法は大きな事件が起こるたびに改正されてきました。

というか大きな事件が起こらないと改正されないんですよね。

かい点はこれから詰めていけばよろしい。これを機に現行の措置入院制度存在する様々な問題点クリアしていきつつ、このまま改正案を通していただきたい。期待大。

http://anond.hatelabo.jp/20170509181133

2017-05-06

老いを受け入れるには

若さへの嫉妬や憧れを捨てて

現在自分ありのまま認める

自分の老いを素直に受け入れる

そういった心境になるにはどうしたらいいのだろう


肉体は確実にアラフォーなのに

気持ちというか自己認識?は20代後半で完全にストップしてしまっている

子供というか、無私の状態一心不乱に守らなくてはならない何か

そういう存在が居ない事も、その一因であるようには思うが

一度得た配偶者も失ってしまった今では、どうしようもない。


確実に変化してきている自分の肉体に

いちいち絶望するのは疲れるし気分も落ち込んでしま


まだ結婚できるかも、恋愛できるかも

といった浮ついた、遠い、身の丈に会っているとは到底思えない願望も

サッパリと捨てる事ができたら…

仕事に打ち込む精神状態は、より整って

自分と、この世界を一層愛し

今よりずっとおだやかに生きられると思うのだが…

2017-05-05

ぼくと篠めぐみ

無垢というアダルトビデオメーカーがある。

男優が画面にほとんど出てこない

AV出演歴が少ない女優さんが、体当たりに不慣れさを出しながら撮影

メイクプレイも控えめで、ありのまま女の子の繊細な表情・しぐさ・少女感を大事撮影

制服デフォルトなので、本物の女子高生AVに出てるみたいなリアリティがある。

・それでいて、ミニマムAVメーカー)ほど「犯されてる」感がなくて、幼さ・処女性が際立ってるのに、犯罪臭い感じがないから、気分を害さずに見られる。

…そういうAVが、AVを買い始めた時にはしっくり来ていて、とくに、そこに出てくる「めぐみ」と言う子が突出して好きで、1つ買った後に、全部見られる総集編も買った。

後々、自分の好みはAVらしいAVとかハードAVとかにシフトしていくが、まだまだ少年ハートが残ってた当時は、無垢の方が自分の知ってる女の子像と噛み合ってたから、ヌケた。

都内在住ならともかく、地方都市女子高生って適度に芋臭さ、ブスさがあって、そのブスさがないとみんな同じ顔に見えちゃうんだよ…。

ファッション雑誌マネというか、女子大生OLタレントってこんな感じですよね…というありふれたメイクファッション仕草へと落ち着いていくと、それは「まがい物」に見えてしまう。

ましてや、AV女優で人気ある人なんて、それが肉体単位でも「中央値」へと近づいていく。

適度に鍛えて、適度に胸があって、肉付きが良くて…みたいなウケる体、きれいな体になっていく。

無垢で見た「めぐみ」は、Aカップで…作り込まれすぎてなくて…AVでよくある流れを演出するときにも下手さがでて拙さがでて…AVなのに、AVになりきってない彼女セックスや顔を真赤にしてセックスする顔には、「不器用さ」と「必死さ」がにじみ出てた。

その拙さがあるから彼女AVAVなのに、本当に実在するというか、会えるものなら会ってみたいし、体の好みと関係なく見ていたい気持ちにさせられた。

その後「めぐみ」は俺の中で消息不明に。

無垢というAV特殊で、女優さんは下の名前だけで出て、他の関連作品とは分離されている。

上原亜衣や、湊莉久ぐらい有名になると他の作品と関連する形で作品がまとめられたりするんだけど…大半の無垢作品は、無垢作品でその女優が気になっても、検索して出てこない。

無垢だけじゃなく、AVには出た女優さんがわかんないAVはたまにある。

そして、それは公式から名前を教えてもらえないから、発売されてある程度時間が経過して、DMMや各種掲示板情報を書き込んでくれるありがたい人が出てこないと…気に入った女優さんが誰なのかさえわからないことがある。

…7年前に、8年前に僕が「めぐみ」で知った彼女が、篠めぐみだと知ったのはつい昨日の話。

たまたまネットカフェに入って、寝付けなくて、AVを見てて、ついでに調べごとをした時にめぐみとは篠めぐみのことだったと、かなりの時間を置いて、知った。

知ったのがあまりにも遅すぎて、彼女はもうめぐみでさえなくなって、碧しのと改名していた。

碧しのは僕よりもちょうど1つ下で、未だに現役女優だった。

ネットカフェで眠れなかったこともあって、碧しののAVについて色々調べた。

無垢で見たような、「拙さがかわいいAV」もあって、やっぱり良かった。

でも、彼女にはAV女優としては致命的なぐらいおっぱいがない。

彼女の拙さ、かわいさは好きだけど、僕だってAV見る時はおっぱいがある子を優先的に見るし、なんなら、おっぱいで甘やかしてくれる子のAVでヌく。

おっぱいのない彼女は、Aだったおっぱいをどうにか増やしたり、体を鍛えたりした跡が経過を見ていくとその都度その都度の努力の跡が見られた。

努力は体つきだけではなく、キャラクター模索もすごかった。

最初はうぶな女子高生女子大生の幼さを武器にして、AVを撮っていた。

あるいは、元々しぐさに色気がある娘だからフェラモノのAVが多かった。

2010年にはブログ引退を発表。

そして、2012年に碧しのとして活動を再開。

ただ、2010年までの彼女とは打って変わって、2011年以降は体当たりアナルセックス、いわゆる2穴、3穴モノが増えた。

他のAV女優の2穴3穴モノは「泣き叫ぶおもちゃ」「男に媚びるだけの動物エロペット)」ぐらいの気持ちで見ては「もっと痙攣したり、白目剥いたりしろよ」とか酷いこと言いながらももとりあえずは射精できたから良しとしてる僕だが、彼女ハードプレイAV特別だった。

AVっぽさの代わりに独特の表現力があるから無垢の頃と変わってしまってるところや無理しているところが如実に感じ取れて、非常に辛かったし、いつもほど「おもちゃ」とか「動物」みたいな感じで見られず、グサグサと感情に刺さるのが新鮮で、別の意味で見ていたさがあった。

そのせいか過激AVに挑んだことで、ベストや総集編で、彼女ハードプレイが使われることが増えて、飛躍的に検索してヒットする作品数が増えたのが伺えた。

でも、2013年にもまた引退している。

Wikipediaでは彼女に関する情報はここで絶えているが、2017年現在でも、AVに出演したことをツイッターで通知している。

しかも、最新の方の作品はまた大人っぽい作品になっているため、今見たいものだった。

色っぽいお姉さんな感じをテクニックや繊細な演技力で出してくる感じが、無垢ときとはぜんぜん違うのに、根本的には無垢を求めてる男が大人になって見たいものがみれてすごく良かった。

そんな彼女は今26歳。

この手の女優さんの「自己申告」とは言え、僕が今27歳で、彼女AVをはじめて手に取ったのが19・20だったから、彼女AV女優として作品を作り続けていくのと同じように歳を取ってる。

そして、その時期その時期で彼女は僕がみたいもの提供してくれてるのも面白い

AVに慣れてないときは、無垢のような「自分が知ってる女子高生や、女子高生の延長上にいる勉強運動に熱心で化粧やセックスは不完全な女の子」のAV

AVに慣れてきた時には「AVならではの(実際にやったら、多分怒られるし傷つけることになる)ような過激プレイを泣き叫びながらやってくれるモルモット感」のあるAV

…をその当時求めてたけど、そこに罪悪感といたがるほどキュンとくるだけの愛おしさが加わっているのが彼女ならではの凄み。

そして、AVに飽き始めてるけど、AVに癒やされたい・甘やかされたいと思ってきた今日このごろには、AV女優としてベテランの域に入った彼女演技力テクニックや、男も女も引き込んでしまう「悪さ」と、その悪さが許せてしまうようなAV

…そうやってシフトしてることに気づくと「彼女をチェックし続けるとその都度その都度の見たいAVが見れるかも」と思えて、この先もAV女優を続けてくれることにちょっと期待してる。

…いや、しんどい仕事から辞められるならいつでも辞めた方が良いのかもしれないけど、純粋に「アイドルと一緒に年を取ってるファン」の構造ファン側としては、彼女活躍が見える場所にいて欲しさはある。

2017-04-27

ありのままってなんだよw

神社の横のガルパン看板が不自然なら、そこに建ってる神社も不自然じゃねえの?

神社なんか無かった頃のありのまま大洗能動的に発見しにいけよw

http://anond.hatelabo.jp/20170427122845

わかる。

俺が大洗に行ったのはガルパン以後だったが、ガルパンなんかなくても十分魅力的な街じゃんと思った。

原初大洗が賞味したくても、今は「ガルパン大洗」でしかないんだよな。神社拝殿の横のガルパン看板とかゲェっと思った。痛絵馬とかならともかく…。

本来ありのままを賞味すべきだろう。ゲートウェイとしてアニメ萌えキャラがあるのはいいが、そのもの侵食するのは違うだろう。

ガルパン大洗」としてはアピールできても「大洗」そのものアピールできたかどうか、そこが本来問われる。まあ大洗場合ガルパンから独り立ちしつつあると思うが。もともと魅力のある街なんだし。

今は萌えキャラを通してしか価値発見できない時代なのかもしれない。

お前らもっと能動的に価値発見しろよとか思うが。今になって動物園殺到するアニオタなんかを見るとね。

2017-04-24

政府が定めるセクハラ基準だと、矢吹健太朗女子トイレマークの件はアウト

https://shonenjumpplus.com/article/entry/heppoko_03

編集部には女性社員がいなくても、他の部署から女性社員が来ることはあるだろうし、契約している作家取引先など、社外の女性がやってくるということはあるはずだ。

女子トイレはそういう来客に備えて設置されている。

  

彼女たちは遊びに来ているわけではなく、仕事のためにその場所へ来ている。

政府ガイドラインに従えば、これは彼女たちにとって「職場」と言える。

男女雇用機会均等法および厚生労働省指針では、「職場とは社内だけではなく、業務遂行に際して必要取引先の事務所顧客の自宅、出張先、取材先、業務使用する車内なども該当する」とされています。つまり、「職場」といえどもその範囲は広いものとなっています

出典:法務省企業における人権研修シリーズ

http://www.moj.go.jp/jinkennet/asahikawa/sekuhara.pdf

  

そして、職場でのセクハラの事例としては、次のようなものがある。

性的言動の例

性的な内容の発言

性的事実関係を尋ねること、性的な内容の情報(噂)を流布すること、性的冗談からかい食事デートへの執拗な誘い、個人的性的体験談を話すこ

となど

出典:厚生労働省事業主の皆さん 職場セクシュアルハラスメント対策あなた義務です!!」

http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11900000-Koyoukintoujidoukateikyoku/00.pdf

女性トイレパンツを脱ぐことがエロいと語ってみせ、明日以降この"職場"に来るであろう女性たちにそれを聞かせていることは、引用中にある「性的冗談からかい」に当たる。

今回公開された漫画はまさにそういう内容であるし、しかもその中で、「ジャンプ関係者女子の皆さん!編集部にお越しの際は是非女トイレにお立ち寄り下さい!」という呼びかけがある。これは実在する女性たちに向けられた言葉だ。

   

この呼びかけ行為を完全なフィクションだと見なせるだろうか? それはほとんど不可能だと思う。

漫画の中では作者が自分たち自身キャラクターとして登場させ、編集部にある本物の女子トイレを使って写真撮影をおこなっている。いわばルポタージュ風に描いた漫画なのである。ゆえにこの作中で彼らがしゃべっているセリフは、彼らが現実世界でそのとおり発言したも同然だ。

漫画という表現手段は、文章映像とおなじく、フィクション創作をやるために使える一方で、作者の言葉ありのままに伝えるための道具にもなる。その使い方次第では、作者が現実にそういう言葉をしゃべったものとして見なされる。すなわち脅迫罪威力業務妨害名誉毀損などの適用対象になるわけだし、当然ながらセクハラになるケースだってある。

  

  

  

※1 あのデザインは、写真撮影ときにだけトイレに紙で貼り付け、その後ですぐに剥がして元の状態に戻したという。

もしそうならば、漫画掲載時にそのことを説明するべきだった。私もどうせ剥がしたと思っていたが、その点は確証が持てなかったし、実際にこのトイレを来客の女性たちに使わせるつもりがあったかどうかが不明であった。

本論で述べた"呼びかけ行為"も、フィクション領域を飛び出して現実世界干渉しているわけだし、とにかく現実虚構区別がつけづらい作風になっていて紛らわしい。それを後になってからネタでした、これはフィクションなんです!と言われても、そういうのは人騒がせすぎて困る。

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1704/23/news021.html

  

※2 そもそも『ToLOVEる』は裸や変態シチュばかりのエロ漫画であるから、それを職場女性に見せるのはセクハラではないのかという問題がある。

もっとも、雑誌編集部職務としてエロ漫画を取り扱っているということと、職務従事している女性性的からかい言葉をかけることは、やはり峻別されなければならない。

2017-04-22

セックスレスの俺たちはどこへ行く

セックスレスがつらい。可能な限り今の状況を晒すので誰か、俺を助けてくれ。経験者のアドバイスでも読んだ感想でもなんでもいいんだ、俺を救って欲しい。

付き合ってから5年、結婚してから3年、最後セックスをしてから1年が経とうとしている20代後半夫婦。

傍目に見てもかなり夫婦仲の良い方だと思う。2人とも人付き合いが苦手なので友達ともほとんど会わず、うっとうしくならないのが不思議なぐらいずっと2人でいる。お互いが休みの日に片方だけで出かける機会なんて数えるぐらいしかない。

喧嘩ほとんどしない。たまにぶつかる時はあるけど、俺が一歩引いて大人になればどんなことも笑いに変えられる。食べ物はいつも半分に分け合う。お風呂はいつも一緒に入る。ベッドも一緒。妻は1人じゃ眠れないらしいので俺は決して外泊しない。外泊どころか酒も煙草もやらないし、仕事を終えたら飛んで帰ってくるぐらい2人の時間が好きだ。本当に空気みたいな存在で、一緒に住む前はこんなふうになるなんて思ってもなかった。

2人だけでいるのがお互い好きなので子供もいらないし、作る予定はない。2人とも猫が好きなのでペットぐらいなら飼ってもいいかな。

本題のセックスの話を書きます

結婚してから1年半ぐらい経つまでは週に1~2度はしていた。世間一般だと10分とかで終わる淡白なセックスもあるらしいが、毎回必ず前戯もするし、1時間ぐらいかけてしていた。旅行ときには疲れていながらも励んで「家以外でこういうのも良いね」なんて言ったりもした。

セックスの始まりはどっちから誘うでもなく、夜に布団に入っている時にお互いを触り合っていたら始まっているケースが多かった。かつては妻からしてほしいということもあったし、こちらから言う事もあったけどどちらが多かったといえるほど差はなかった。セックスをするほど時間や体力が無い時は手コキや電マだけで済ませることもあったが、それも楽しんでいた。

いつからか頻度が減り始め、妻から誘うことはなくなってった。

その頃、妻の仕事はかなり忙しくて毎日9時出勤の23時帰りなんかが続いていて、それだけ忙しかったら睡眠欲が優先されてもしょうがないよな、なんて思いながらマッサージしてあげたり家事積極的にやるようにした。妻が辛い時にはいだって俺が支えてやりたい。

そんなこんなで2ヶ月ほどセックスレスになった折、旅行に行った。普段見られないものを見て、美味しいもの食べて、温泉に入って、浴衣着て、「最近してなかったけどせっかくの旅行だしどう?」って誘ってみたんだよ。そしたら「正直○○に最近は性欲が全然わかない」「ドキドキするよりも一緒にいて安心する家族って感じ」「太ったよね」「最近口臭くさい」みたいなことを言われて撃沈した。

かなりショックで、それから気軽に誘うこともできなくなってしまった。なんだかセックスのことに触れるのがタブーになってしまった感じがした。

それから少し経って妻は正社員フルタイム仕事を辞めてパートになった。妻は体力的にも余裕が出てきてジムに通ったり新しい趣味を始めた。俺も食事を減らしたり運動したりして10kg痩せた。まだ良い肉体だとは誇れないけど、「頑張って痩せてるね、ファイト!」なんて妻は褒めてくれる。

セックスレスになって半年が経っていたが、心身健康に向かっている感じがした今ならどうだろう?と思ってリトライしてみた。強要するんじゃなくて、「久しぶりに…セックスしてみるのはどうかな?」って提案みたいな。サラッと書いたがこれを言うのに童貞並にすごく勇気必要だったよ。また断られたらどうしよう、しつこいって嫌われたらどうしよう、って思っていたので心臓がドキドキしていた。

で、ダメだった。

二度目のショックもかなり大きくて、このままだと一生しなくなっちゃうんじゃないかって思って、真剣に向き合おうとした。「なんでダメなのか理由を言って欲しい」「悪いところは直したい」「強制したくないからほんの少しでもセックスしても良いかなって思ったタイミングがあれば言って欲しい」と伝えた。こういう話し合いを強制されることが嫌がられることもわかっていたけど、このままじゃ何も解決しないって思った。

「もう性欲なくなっちゃったかも」「私のことはいいか風俗でも行ってきたら」と言われた。これは本当に辛くて、つらくて涙が出た。

べつに好きな人以外とセックスすべきでないとかそういう潔癖な考えがあるわけじゃないけど、愛情の延長というか表現というかとにかく一緒にいて愛おしいと思う気持ちが湧いて、○○だからしたい。性欲解消のためだけに他の誰としたって絶対虚しい。

そういう気持ちを伝えてみたところで「言い過ぎた、ごめん」とは言ってもらえた。「セックスレスに関する記事とか読んでみるし解消するよう努力する」って言ってくれた。

それからセックス話題タブー視するんじゃなくて、セックスレスに関する色んな記事http://anond.hatelabo.jp/20160707093536増田も )や漫画シェアしたりした。ムラムラする日はどうしてもあるってことは理解してくれたようで、お風呂でローションを使った手コキをしてくれるようになった。

でも、それだけだった。そろそろセックスどうかな、ってふと聞いてみても「前よりは進展したじゃん」「気長にやろう」という感じでさら半年が経ちそう。

友達が「最近彼女ができた」とか「最近子作り始めたんだ」とか話しても平静を装って「へー」と聞いたりしているが、俺は内心「こいつもあいつもセックスできているんだな、自分を受け入れてもらってるんだな」なんて嫉妬に近い感情が湧いてしまう。昔ほどセックス話題に前のめりになれない。そういう自分自己嫌悪してまたどんどん自信がなくなりそうなのを踏み留める瞬間がある。

そして今日、2人でちょっと遠出しておいしいものをいっぱい食べた。「良い一日だったね」って言うから「そうだね。最後セックスで〆たらもっと最高だけどね」って冗談の流れで言ったんだよ。そしたらちょっとムッとして、「またそれ?セックスのことしか頭にないの?良い一日だったんだからそれで良くないの?」ってな具合に喧嘩になりそうだったので早々に話は切り上げた。「ま、いつかはできると思うよ。もっと痩せたらね」だって

その場は険悪な感じにはならず、妻がベッドに入ったのでお約束マッサージをせっかくしてあげたのに歩き疲れたいか途中で寝やがった。可愛い奴め。

でも今、1人になってまた涙が出てきた。

妻を好きな気持ちは変わらないのにその延長としてセックスのことを語ったり誘ったりすると嫌がられる。だからって、これから自分はそういう気持ちを押し殺して生きていくのか。

普段まったく隠し事をしないのに、そういう気持ちや性欲を隠すことで俺は妻に対して嘘をついているような気分になる。

俺にとってはこんな世界は俺たち2人しかいないようなもんだから、ずっと正直で、素の自分のままでいたい。

別れるなんてもっとつらい。セックスのことを除いたら妻の悪いところなんて1つもない。

最近ふとした拍子に涙が出ることがあるんだが、今はいつもよりとても苦しくて涙が止まらない。

性欲が満たされないことがつらいんじゃなくて、ありのまま自分を受け入れてもらえないことがただただ悲しい。これに何年も耐えている人たち、本当にすごいな。

俺、どうしてこうなったんだろう。俺たち、どうなるんだろう。

2017-04-09

恋愛にも顧客視点とかマーケティングセンス必要だ。」について

https://www.landerblue.co.jp/blog/?p=32171

こちらの記事についてです。

まあ気に入らないからといって口汚く罵倒するのは論外としても、ご本人も仰るように、男性賛同意見が多く、女性からは抗議がくる、というのには何かしら理由があるはずなのです。

かく言う私も、永江氏の文章には引っかかるものが少なからずあります

それはなぜなのか。私なりに考察してみました。

女性服装や化粧は誰のため?

まずひとつ、引っかかるのはここです。

現代社会においては、女性服装や化粧は、もはや異性を惹きつけるためのものではありません。

雑誌メディアでは「モテ服」「モテメイク」などと囃し立てるので勘違いされがちですが、私たち女性は、意識的にせよそうでないにせよ、もしその中から選んだとしても、一番自分感性に合った、自分に一番似合うと思う、もしくはなりたい自分に近いものを選んでいます

それはその本人のアイデンティティでもあります

永江氏の、というかこういう「ナチュラルなままが一番」という言説は男女問わずよく聞かれるものなのですが、現代人が工夫を凝らして身支度を整える時、それはすっかり身支度が整った姿こそが、私たちナチュラルな姿なのです。

「外面より内面を磨くべき」という言説もよく聞かれるものですが、これに反発を感じる女性は、知性があるからこそ、きちんとした身支度を整えることができるのだと信じています

派手であっても知性がなくてはできない、地味であっても知性のかけらもない、ということは多々あるので、派手、地味、ではなく「知性のある装い」と「知性のない装飾」というふうに区別していただきたい。

その意識の差というか、ナチュラルとは何であるのかという認識の差に、女性は反発を感じるのかもしれません。

男性が服など見ていない、中身を見ているのだという欺瞞

もし本当にそうであるなら、女性がどんな格好をしていようとも意に介さず、中身を見るはずなのです。

でもその直後に、マーケティングでは男性すっぴんに清楚な服装が好みなのだと続けておられる。

そこは格好をつけず潔く、男女問わず人というものは、初見では他人を見た目で大部分を判断しているのだと認めていただきたい。

永江氏の文章からは、男性は賢いので女性の中身しか見ないものだ、愚かな女性ばかりが見た目ばかりを繕うのであるというお考えが滲み出ており、ここもイライラさせられる点であります

(きっとそんなことは一言も書いていないと仰るかと思いますが、こういう話題を出してくること自体が、もしかして女性ほとんどはそれを知っている上でアイデンティティを守るためにあえてそうしないのかもしれないということは勘案せず、「女性は全員見た目ばかりと取り繕うことに夢中で、客観的ものを見ることができないのだ」と、ひとつ下に見ているのだということです。)

遺伝子的に優れているとは?

みくりは、就職活動に失敗したために、手っ取り早い就職口として津崎さんとの結婚を選んだわけです。

一度就職活動から逃げたので、逃げるは恥だが役に立った訳です。

それは、「男に寄生しようとか絶対に考えない」と言えるでしょうか?

給料が出る家政婦と、家事をノーギャラで賄う主婦とでは、どちらの方が遺伝子的に優れていますか?

働き者の専業主婦と、自立して稼ぐ叶姉妹遺伝子に、どんな違いがあるのでしょう?


そもそも恋愛マーケティングなど必要ありません。

以上のことを総括します。

まり恋愛マーケティングなどいらないのです、男性の大多数の好みがどうであれ、女性がそれに合わせることはありません。

最初の門戸の広さの話だと仰いましたが、そこは間口を広げる必要はありません。

本当の自分を取り繕ってモテたとして、何になりますか?

最初からスッピンなら「騙された感」が少なくて済むと仰るのであれば、本当の自分を偽って、マーケティング通りに振舞って手に入れたパートナーは、それが偽りであることを明かし本当の自分に戻れば、やはり騙された感があるのでは?

それとも一生、偽りの自分を演じて生きていきますか?

それは私たちの望む恋愛ではありません。

その男性版として、手当たり次第に女性モテたい結果として生まれたのが、恋愛工学だと思います

あれは、学生時代モテなかったルサンチマンと性欲をどう晴らすかが目的なので、相手は誰でもいい。

一夜を共にするのがゴールなので、自分をどれほど偽ろうと問題ありません。

そんなものを、一生を添い遂げる相手を探す恋愛手段として、オススメしないでいただきたく。

男性は、ありのままを受け入れて欲しいという女性要望に疲れていますか?

それは、女性本質を見ずに、見た目が清楚な地味な女性こそが好ましいと決めつけてきた男性のみが溜めてこられたツケです。そこはお納めくださいませ。

そこが一番の違和感といったところでしょうか。

追記

なぜ私がそこまでこの件にムキになるのか、そこも考えてみたのですが、私は、「マーケティングではそうである」という一見知的に見える論法が流布されることにより、まだアイデンティティ確立していない若い女性が、服装メイク男性の好みに合わせることこそが理知的な振る舞いであると啓蒙されてしまうことが一番怖いと感じているのかもしれません。

次々と消費されていく商売であれば、とにかく商品を買ってもらうことが利益につながるのですからマーケティングの結果に従うのはもっともなことです。

けれど、こと恋愛などのプライベート個人個人の付き合いでは、これは適応されるべきではありません。

人は、商品ではありません。

どれだけモテたくない人は好きにしたらいいとエクスキューズを入れたところで、モテたい真っ盛りの若い人間にそう啓蒙することは、害悪しかないのではないでしょうか。

モテたくても、相手の好みに流されてはいけません。自分をしっかりと持ってください。自分とは何なのか、何が似合うのか、何が好きなのか、しっかり考えてください。

何かを偽り、異性を手のひらで転がすといったような、相手に対して失礼なことをしてはいけません。

好意のある相手に対しては、尊敬を持って接するべきです。

女性に手のひらで転がされたいという甘えたようなことを言う男性につきあってはいけません。

お母さんの代わりを、永遠にさせられることになります

女性蔑視などということではなく、男女ともに、何に縛られることなく、自分の好きな服装メイクをして、また自分に似合うと思うものを探し、自分自身が満足する自分を探し求め、同時に、そういうしっかりとした自分自身を持つ相手を、自分の好みを押し付けずに尊重して受け入れる。

それこそが最高のパートナーであると、私は思っています

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170406160123

しろヤンキーも昔は「ほっといてくれ」だったけど

今は「ありのままを受け入れて」になってるだけでは

最近オタク

昔のオタク世間に対して「ほっといてくれ」って主張していたけど、

最近オタク世間に対して「ありのまま受け入れて」と主張しているように

見える

2017-04-05

結局なんだかんだ言いつつも自分も周囲も完璧超人を求めてる

自分を売り込むことにおこがましさを感じる

http://anond.hatelabo.jp/20170404192727

こういうのにありがちな結論で、自己肯定感が低いとか、完璧主義から力を抜けとかいうところに落ち着くんだけど、本当に残酷だと思う。

仮に自己肯定感が強くて、自信に満ち溢れている人がなにか間違いを犯したとして、それを自己肯定感の強さゆえに認めなかったら、それはそれで叩かれる。

当たり前のことではあるが、必要とき必要なだけ自分への自信が求められて、必要とき必要なだけ自分省みることが求められる。

良くいえば、重要なのはバランス感覚ってことになるんだけど、悪くいえば、つまりそれはあらゆる状況に即した完璧中庸が常に求められるということでもある。

スピリチュアルな感じでいうならば、ありのままを見つめて、善悪判断せずに事実だけをそのまま受け取れ、ってことでしょ。

完璧主義っていうと、100点しかありえないみたいな極端思考のことを言うと思うんだけど、俺からしたら「要はバランス」的な答えこ完璧主義理想主義極致だと思う。

そんなこと誰だって分かってるだろうし、そうできるのが理想なことぐらい言われるまでもないが、本当にそんなことできてたらとっくに世の中全員仏陀だよ。

バランス中庸を、自分と周囲の内外二つから圧力によって求められるって、これほど息苦しいことはない。

2017-04-02

残念だが日本フェミニズムは失敗した

最近男性保育士問題で完全に露呈した。

彼女達はどうやっても男性子供を預けるという不安を拭うことが不可能なのがはっきりした。

そしてその不安問題視することなありのままの自らを暴露し続けている。

まり、保育は男性仕事ではなく女性仕事なのだと自ら宣言したのだ。

あろうことか自らフェミニストを名乗る身でありながらだ。


移民流入させそいつらに子育てさせ、自分仕事で大活躍(笑)

などというまやかし思想世間を騙そうとしたこともあったようだが結局その子育てする移民女性なのがはっきりした。

彼女たちは現在の男女の構造を覆す気などさらさらないのだ。

自分たちは都合のいい所をつまみ食いして楽しめればそれでいいという最低最悪の人種だ。

ありのまま動物のようにみずから欲望暴露し続けてそのまま生きるがいい。

ストレスと怒りにまみれた幸福人生を送れるだろう。

2017-03-31

昔はよかったと言いながら、歴史の魅力を推さない風潮

国際化が進む日本でも、地方のように、歴史的遺産の残る原風景も探せばまだまだある。これは韓国台湾中国も同様だ。大都会から続く現代都市は、必ずどこかで途切れる。

しかしそういう場所を通ると、必ず別のことにも気づく。それは、本来都市と無縁である地域にもかかわらず、ついこの間まで歴史的価値のあったような場所無秩序都市に変貌していることだ。田舎分譲マンション建設されていて、本来学園都市と無縁である地域大学キャンパスがドカドカ建ち、鉄道道路は満員状態だ。

東アジアはよく「欧米東南アジアのように未来志向なだけではなく、歴史もあって田舎もあってバランスが良い」ことを売りにしている。たしか関西中部関東のように、都市無秩序対策にとことん取り組みつつ歴史的遺産をきっちり守る場所もある。どうも大都市圏方面ばかりそういう施策はあるのに、田舎のそれを蔑ろにしすぎだと思う。

日本田舎が都会の何倍以上もあるが、田中角栄政権移行の画一的開発化に伴う開発もあって、もはや「田舎」は残っていない。つまり貴方たちが云う田舎はその地域の片隅にしか残っていない。北関東東北にも歴史スポットはあるが過去の名残もあっても観光地化に適しているとはいえない。

日本都市開発はやたら前時代的と言われる。しか日本において「道路の便利な場所」なら大都市部にもある。例えば札幌新潟だ。ではそれらを資源として活用しているだろうか?新潟市出身の親父の友人いわく帰省がてら訪問したら悲壮感がただよっててやばかったという話である文化人はそんな場所で生まれやすい。

オタク文化担い手地方出身者の多さは、日本ポップカルチャーというものいか社会の暗さを世界に示したように見える。都市中央恩恵を受けず、そこで生まれ人間が学と徳を弁え、現地は都市ほど産業が少ないので自営業が多くなり、中には漫画文学などの作家になってしまう。

こういう系列クリエイター首都圏から輩出することは少ない。まして都会の場合、かつて流行していたアングラ漫画とか、社会風刺もののような、どちらかというと現実風刺路線の、文化的な味がやや薄い作品ばかりだ。

私は少年少女漫画小説の中で東京都市部神奈川県地元民が描いた作品がダサくなっていると思っている(あくまでも数字のみで見た考えで、作品ごとの評価は別)。とくに高校生を描いた物は、往年の不良漫画みたいに野暮になっている。同じ関東でも埼玉北関東のものと比べても悪い意味で飽きやすい。高評価される作品地方民・地方出身者が書いたものが主流。ギャルヤンキーのようなダサいもの地方っぽいが、今のサブカル面は違う。

で、なぜ作品レベルがばらついているというと、やはりそれは地方に行くほど仕事の数が少ないが、時間お金にゆとりのある人が転入するために、作品作りへのゆとりが生まれやすいからではないか。そういう場所では、ありのまま地元を描くことが難しいが、空想もの作品を生むにはうってつけの場所だ。

社会風刺文化的ものが分離されていることが理想であるが、だったらそれがなぜ都会でも出来ないのか。広義の都会人の自分が言うのも説得力いかもしれないが本当はこういったばらつきはないべきで社会風刺と娯楽もの区別が明確になければ文化強国は持続しない。

2017-03-28

最近増えている女装レズセックスに耽る者達は

なぜ、自分特別だと思うのか。

なぜ、他人と比べては他人をそうも貶すのか。

要するに彼らは、男の世界で男に成れなかった負け組である

女の腐ったものかのように、自分は綺麗だと呟いては他人否定する。

酔っているのだ。

女の代替品でありながら、

女以上に女である勘違いして酔っているのだ。

https://twitter.com/JD_May05/status/846541990732849152

女装レズセックスは、ホモカーストの中では最下層である

なぜならば、ウケに回る男は女にモテずに男色に走った者であり、

また男にモテずに女の格好をする事で男を惑わす道を選んだ者であるからだ。

またタチも同様に女にモテずに男色に走った者であり、

また女からも男からモテずに女の代わりに女装した男を抱くからだ。

そして、女の子の格好し合ってセックスに興じる行いは最もカーストが低い。

なぜならば彼らは女からホモからノンケから相手にされず、仕方なく自給自足で褒めあえる関係を望んでいるからだ。

男女のセックスを行えず、

男同士の力強いセックスも出来ず、

男の劣情を浴びることも無く、

互いに褒めあう「駄サイクル」の中での自分に酔えるのだ。

そういう場が合っていいと思う。

しかし、カースト最下層の弱者他人不細工だの汚いなどよくいえたものだ、

と呆れるが。

彼らは、因果の末に女装レズセックスするしかない、そういう人なのでそういう事を言うのもまた因果なのだ

自分は男だと言える奴は、

黙ってデブも専ナイトに参加しろ

そこでオラオラシゴキあいイカせ合え。

筋肉の躍動と飛び散る血と汗と精液に塗れて、

翌日筋肉痛になるほどにヤりまくれ。

男に生まれた以上は男らしくあれ!

男は男らしくそのままでやりまくれ。

女の真似をしても偽物でしかない。

男はより男らしくなる事ができる。

自分を偽ることなく、ありのままに。

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325002108

ありのまま自分で生きず、本来とは異なる自分仮面を被って生きるとして、その仮面が剥がれた時に恥ずかしいと思いませんか?

2017-03-21

私と天空橋朋花と従者とプロデューサーと子豚ちゃんについて

アイドルマスターミリオンライブプロデューサーの皆様、まずは4thLIVEお疲れ様でした。3日間どの公演も本当に素晴らしいものでしたね。3日目の最後には嬉しい発表や一歩一歩進んだ先にあるものを期待させるようなPVの公開もあり、ミリオンライブのこの先への希望を与えてくれるライブだったと思います

私は運良く3日間全て現地でライブに参加することができました。そして演者である小岩井ことりさんの体現する天空橋朋花を観て、ライブ後に様々な朋花Pの方々のツイート等を拝見して、また自分の中の「天空橋朋花観」の大きな変化を感じたので、それをこの時の考えの記録として、はてな匿名ダイアリーという人の目に触れる形で文字に起こしたいと思いますチラシの裏にしない理由はこれを読んで皆様がどう思ったかURL付きツイートブクマコメなどを通して知りたいから、ツイッターにしない理由は直接繋がりのある方々に知られるとちょっと恥ずかしいからです。

まずプロデューサーと子豚ちゃんの話をします。以前の私は朋花の担当プロデューサーであることにこだわり、子豚ちゃんであることをよしとしていませんでした。ゲーム内でも朋花はプロデューサーに対して高い意識を求め、それに応えられなければ罰やお仕置きが仄めかされたり、応えられれば聖母に相応しい者として認めてくれたりする訳です。私はそんな朋花とプロデューサー信頼関係がとても好きで、そんな関係を築けるプロデューサーでありたいと思っています。それは今も変わりません。

ですが朋花の担当プロデューサーでなければ見られない朋花の姿があるのと同じくらい、子豚ちゃんでなければ見られないものもある、と思うようになりました。このような考えをもったのは、武道館天空橋朋花として聖母の愛を振りまく小岩井ことりさんを見てからです。正直一撃で子豚ちゃんになりました。以前小岩井ことりさんが最初挨拶で「子豚ちゃんたち」と呼びかけたことに少し思うところがあり、担当プロデューサーとして武道館に行こう、と決めていたのですが、サプライズとあまり天空橋朋花っぷりにやられてしまいました。ですがこの経験が、より様々な側面から天空橋朋花について考えてみるきっかけとなりました。

ここらへん本当にまとまりなくて何が言いたいのかよく分からないですね。要はこだわりを持つのもいいけど色んな視点から見てみると発見があって楽しいなぁってことに気づいたってだけです。当たり前のことですがこの時やっとこんなことに気づきました。

余談ですがそんなことがあっての二日目の最初挨拶プロデューサーでも子豚ちゃんでもいいからとにかくめいっぱい楽しもうと思って望んだら小岩井ことりさんと朋花に「プロデューサーさんと子豚ちゃんたち」と呼びかけられて死にそうになりました。小岩井ことりさんと天空橋朋花自分の考えを全て肯定されたような気分になりました。本当に余談ですね。

ここからプロデューサーと従者の話をします。先に断っておきますがこれらは全て私独自解釈で、ゲーム中ではプロデューサーという立場聖母という世界観の上で従者という言葉があてがわれている、という感じだと思います。(パっと見つかった「プロデューサーさん、従者以上の存在に〜」から考えていますが、他も大体そんな感じだったはずです)

以前私は、「より多くの人を子豚ちゃんにし、救済するという朋花の願いを叶えるために朋花を聖母として完成させる」というプロデュース方針を打ち出しました。これは彼女の中に聖母たろうとする朋花と、15歳ありのままの朋花が共存している、と仮定した上で、前者を推進していく、というものです。聖母になるという使命を完遂させることで、そこから解放してあげたい、という意図も多少は含まれていたと思います過去の私が決めたこの方針は「従者」としてのものであって「プロデューサー」的ではないなぁと最近思うようになりました。

では「プロデューサー」的なプロデュース方針とどのようなものでしょうか。私は「聖母としての朋花も、15歳の朋花も、丸ごとひっくるめて『アイドル天空橋朋花としてプロデュースする」ことだと考えます。先日ツイッターで「#天空橋朋花こんなところもあるんだ選手権」というタグを見かけました。もし私が天空橋朋花聖母としてプロデュースしていくとしたら、こんなにも沢山の天空橋朋花の魅力を取りこぼしてしまうのかと思い、それは天空橋朋花担当プロデューサーとして見過ごせないと思いました。

ですが、どちらの方針が正しいか、私は未だ結論が出せずにいます。朋花は聖母として子豚ちゃんの上に君臨するためにアイドルになっています。その一助となりたいという思いも私の中に確かにあります。子豚ちゃんの求める姿が理想聖母、というのは本人談ですが、15歳のありのままではしゃぎ、笑う彼女の姿を子豚ちゃんたちが求めているかは子豚ちゃんの視点を獲得したての私ではまだ判断ができません。朋花自身聖母として振る舞おうとする上でそういった姿を子豚ちゃんたちの前に出したがるかという疑問もあります。皆様はどうお考えでしょうか。皆様のプロデュース方針はどちらに近いものでしょうか。

以上で本文は終わりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。この文章はまた朋花に関する文章を書きたいという衝動に駆られて勢いで書き殴ったものなので、誤字脱字や読みづらい部分などあったかと思いますが、これが今の私の考えです。

多くの方にこの文章を読んでもらい、意見感想を聞いてみたいので、よければURL付きツイートブクマコメ等していただけると嬉しいです。

散々以前とかまたとか言っているように過去にもはてな匿名ダイアリーで朋花について書いたことがあるのですが、恥ずかしくて自分では読み直せないような文章なのでリンクは乗せません。興味がおありでしたら適当検索すればヒットするかと思います

何かあったら追記します。ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20170320204226

こういう就活にぶつかるまで挫折経験が無かったであろう人を見るとすごく羨ましい。

少なくとも22歳前後まで一度もスレずにピュアなままでやって来れたんだなぁ、

自分を偽らずに愚直・ありのままを周囲に受け入れて貰えてたんだなぁ、って。

今まで自分の置かれてきた環境の優位性にまるで無自覚なんだろうな。これって凄い幸せだよ。

不幸自慢とか煽りに聞こえるだろうけど、そんなんじゃなくてね。

22歳になるまで躓かなかった無自覚な器用さと純粋さがとても羨ましい。

2017-03-20

ポジティブな人ってほんとに幸せなのか

ポジティブすぎて逆にネガティブな人っているよね。

何事にもポジティブな側面を見出そうとする様が、逆に、世の中は全てポジティブにできていないと納得できない子どもっぽさを表しているように見えるというか。

たとえばお店で料理を頼むのに二択で迷って失敗した、みたいなとき、本当は失敗したと自分でも思っているのに無理やり「まあこの食材は体にいいからね」みたいなことを口に出して言う人。

しか自分も失敗したとき自己正当化のための考えを巡らすことはあるけれども、あんまり口には出さない。だってそれってただの負け惜しみだし。

自己正当化のための言葉を口にすることが我慢できないところに、人間的な未熟さみたいなものを感じてしまう。世の中のありとあらゆることはポジティブにできていないと不安かられるような、ある種の強迫観念にとりつかれてるんだろうな、みたいな。

もしそうだとしたらめちゃくちゃ小さい人間だなーって思う。失敗したって、別にそれ以上でもそれ以下でもないだろうが。なんでそれをありのまま受け入れられないのか。

2017-03-09

大人の頭がおかしく見える理由について

ただ現実ありのままに見続けても、無能から処理不能に陥って

頭痛うつ病自殺の順番を辿るから、金払ってもらって

長い手続きの中でしか何も見る気はないという単純な事実だろ

はじめっからそういえよ、言わないと分からないんだよ

一般人には

2017-03-06

アナ

フジテレビが終盤編集して放送したことが批判されてて、どうせ誰かが「ありのまま放送しろ」とか言ってるだろうなと思って検索してみた。

案の定デーブスペクターが呟いてた。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん