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2017-04-22

セックスレスの俺たちはどこへ行く

セックスレスがつらい。可能な限り今の状況を晒すので誰か、俺を助けてくれ。経験者のアドバイスでも読んだ感想でもなんでもいいんだ、俺を救って欲しい。

付き合ってから5年、結婚してから3年、最後セックスをしてから1年が経とうとしている20代後半夫婦。

傍目に見てもかなり夫婦仲の良い方だと思う。2人とも人付き合いが苦手なので友達ともほとんど会わず、うっとうしくならないのが不思議なぐらいずっと2人でいる。お互いが休みの日に片方だけで出かける機会なんて数えるぐらいしかない。

喧嘩ほとんどしない。たまにぶつかる時はあるけど、俺が一歩引いて大人になればどんなことも笑いに変えられる。食べ物はいつも半分に分け合う。お風呂はいつも一緒に入る。ベッドも一緒。妻は1人じゃ眠れないらしいので俺は決して外泊しない。外泊どころか酒も煙草もやらないし、仕事を終えたら飛んで帰ってくるぐらい2人の時間が好きだ。本当に空気みたいな存在で、一緒に住む前はこんなふうになるなんて思ってもなかった。

2人だけでいるのがお互い好きなので子供もいらないし、作る予定はない。2人とも猫が好きなのでペットぐらいなら飼ってもいいかな。

本題のセックスの話を書きます

結婚してから1年半ぐらい経つまでは週に1~2度はしていた。世間一般だと10分とかで終わる淡白なセックスもあるらしいが、毎回必ず前戯もするし、1時間ぐらいかけてしていた。旅行ときには疲れていながらも励んで「家以外でこういうのも良いね」なんて言ったりもした。

セックスの始まりはどっちから誘うでもなく、夜に布団に入っている時にお互いを触り合っていたら始まっているケースが多かった。かつては妻からしてほしいということもあったし、こちらから言う事もあったけどどちらが多かったといえるほど差はなかった。セックスをするほど時間や体力が無い時は手コキや電マだけで済ませることもあったが、それも楽しんでいた。

いつからか頻度が減り始め、妻から誘うことはなくなってった。

その頃、妻の仕事はかなり忙しくて毎日9時出勤の23時帰りなんかが続いていて、それだけ忙しかったら睡眠欲が優先されてもしょうがないよな、なんて思いながらマッサージしてあげたり家事積極的にやるようにした。妻が辛い時にはいだって俺が支えてやりたい。

そんなこんなで2ヶ月ほどセックスレスになった折、旅行に行った。普段見られないものを見て、美味しいもの食べて、温泉に入って、浴衣着て、「最近してなかったけどせっかくの旅行だしどう?」って誘ってみたんだよ。そしたら「正直○○に最近は性欲が全然わかない」「ドキドキするよりも一緒にいて安心する家族って感じ」「太ったよね」「最近口臭くさい」みたいなことを言われて撃沈した。

かなりショックで、それから気軽に誘うこともできなくなってしまった。なんだかセックスのことに触れるのがタブーになってしまった感じがした。

それから少し経って妻は正社員フルタイム仕事を辞めてパートになった。妻は体力的にも余裕が出てきてジムに通ったり新しい趣味を始めた。俺も食事を減らしたり運動したりして10kg痩せた。まだ良い肉体だとは誇れないけど、「頑張って痩せてるね、ファイト!」なんて妻は褒めてくれる。

セックスレスになって半年が経っていたが、心身健康に向かっている感じがした今ならどうだろう?と思ってリトライしてみた。強要するんじゃなくて、「久しぶりに…セックスしてみるのはどうかな?」って提案みたいな。サラッと書いたがこれを言うのに童貞並にすごく勇気必要だったよ。また断られたらどうしよう、しつこいって嫌われたらどうしよう、って思っていたので心臓がドキドキしていた。

で、ダメだった。

二度目のショックもかなり大きくて、このままだと一生しなくなっちゃうんじゃないかって思って、真剣に向き合おうとした。「なんでダメなのか理由を言って欲しい」「悪いところは直したい」「強制したくないからほんの少しでもセックスしても良いかなって思ったタイミングがあれば言って欲しい」と伝えた。こういう話し合いを強制されることが嫌がられることもわかっていたけど、このままじゃ何も解決しないって思った。

「もう性欲なくなっちゃったかも」「私のことはいいか風俗でも行ってきたら」と言われた。これは本当に辛くて、つらくて涙が出た。

べつに好きな人以外とセックスすべきでないとかそういう潔癖な考えがあるわけじゃないけど、愛情の延長というか表現というかとにかく一緒にいて愛おしいと思う気持ちが湧いて、○○だからしたい。性欲解消のためだけに他の誰としたって絶対虚しい。

そういう気持ちを伝えてみたところで「言い過ぎた、ごめん」とは言ってもらえた。「セックスレスに関する記事とか読んでみるし解消するよう努力する」って言ってくれた。

それからセックス話題タブー視するんじゃなくて、セックスレスに関する色んな記事http://anond.hatelabo.jp/20160707093536増田も )や漫画シェアしたりした。ムラムラする日はどうしてもあるってことは理解してくれたようで、お風呂でローションを使った手コキをしてくれるようになった。

でも、それだけだった。そろそろセックスどうかな、ってふと聞いてみても「前よりは進展したじゃん」「気長にやろう」という感じでさら半年が経ちそう。

友達が「最近彼女ができた」とか「最近子作り始めたんだ」とか話しても平静を装って「へー」と聞いたりしているが、俺は内心「こいつもあいつもセックスできているんだな、自分を受け入れてもらってるんだな」なんて嫉妬に近い感情が湧いてしまう。昔ほどセックス話題に前のめりになれない。そういう自分自己嫌悪してまたどんどん自信がなくなりそうなのを踏み留める瞬間がある。


そして今日、2人でちょっと遠出しておいしいものをいっぱい食べた。「良い一日だったね」って言うから「そうだね。最後セックスで〆たらもっと最高だけどね」って冗談の流れで言ったんだよ。そしたらちょっとムッとして、「またそれ?セックスのことしか頭にないの?良い一日だったんだからそれで良くないの?」ってな具合に喧嘩になりそうだったので早々に話は切り上げた。「ま、いつかはできると思うよ。もっと痩せたらね」だって

その場は険悪な感じにはならず、妻がベッドに入ったのでお約束マッサージをせっかくしてあげたのに歩き疲れたいか途中で寝やがった。可愛い奴め。

でも今、1人になってまた涙が出てきた。

妻を好きな気持ちは変わらないのにその延長としてセックスのことを語ったり誘ったりすると嫌がられる。だからって、これから自分はそういう気持ちを押し殺して生きていくのか。

普段まったく隠し事をしないのに、そういう気持ちや性欲を隠すことで俺は妻に対して嘘をついているような気分になる。

俺にとってはこんな世界は俺たち2人しかいないようなもんだから、ずっと正直で、素の自分のままでいたい。

別れるなんてもっとつらい。セックスのことを除いたら妻の悪いところなんて1つもない。

最近ふとした拍子に涙が出ることがあるんだが、今はいつもよりとても苦しくて涙が止まらない。

性欲が満たされないことがつらいんじゃなくて、ありのまま自分を受け入れてもらえないことがただただ悲しい。これに何年も耐えている人たち、本当にすごいな。

俺、どうしてこうなったんだろう。俺たち、どうなるんだろう。

2017-04-09

恋愛にも顧客視点とかマーケティングセンス必要だ。」について

https://www.landerblue.co.jp/blog/?p=32171

こちらの記事についてです。

まあ気に入らないからといって口汚く罵倒するのは論外としても、ご本人も仰るように、男性賛同意見が多く、女性からは抗議がくる、というのには何かしら理由があるはずなのです。

かく言う私も、永江氏の文章には引っかかるものが少なからずあります

それはなぜなのか。私なりに考察してみました。



女性服装や化粧は誰のため?

まずひとつ、引っかかるのはここです。


現代社会においては、女性服装や化粧は、もはや異性を惹きつけるためのものではありません。

雑誌メディアでは「モテ服」「モテメイク」などと囃し立てるので勘違いされがちですが、私たち女性は、意識的にせよそうでないにせよ、もしその中から選んだとしても、一番自分感性に合った、自分に一番似合うと思う、もしくはなりたい自分に近いものを選んでいます

それはその本人のアイデンティティでもあります

永江氏の、というかこういう「ナチュラルなままが一番」という言説は男女問わずよく聞かれるものなのですが、現代人が工夫を凝らして身支度を整える時、それはすっかり身支度が整った姿こそが、私たちナチュラルな姿なのです。


「外面より内面を磨くべき」という言説もよく聞かれるものですが、これに反発を感じる女性は、知性があるからこそ、きちんとした身支度を整えることができるのだと信じています

派手であっても知性がなくてはできない、地味であっても知性のかけらもない、ということは多々あるので、派手、地味、ではなく「知性のある装い」と「知性のない装飾」というふうに区別していただきたい。

その意識の差というか、ナチュラルとは何であるのかという認識の差に、女性は反発を感じるのかもしれません。



男性が服など見ていない、中身を見ているのだという欺瞞

もし本当にそうであるなら、女性がどんな格好をしていようとも意に介さず、中身を見るはずなのです。

でもその直後に、マーケティングでは男性すっぴんに清楚な服装が好みなのだと続けておられる。

そこは格好をつけず潔く、男女問わず人というものは、初見では他人を見た目で大部分を判断しているのだと認めていただきたい。

永江氏の文章からは、男性は賢いので女性の中身しか見ないものだ、愚かな女性ばかりが見た目ばかりを繕うのであるというお考えが滲み出ており、ここもイライラさせられる点であります

(きっとそんなことは一言も書いていないと仰るかと思いますが、こういう話題を出してくること自体が、もしかして女性ほとんどはそれを知っている上でアイデンティティを守るためにあえてそうしないのかもしれないということは勘案せず、「女性は全員見た目ばかりと取り繕うことに夢中で、客観的ものを見ることができないのだ」と、ひとつ下に見ているのだということです。)



遺伝子的に優れているとは?

みくりは、就職活動に失敗したために、手っ取り早い就職口として津崎さんとの結婚を選んだわけです。

一度就職活動から逃げたので、逃げるは恥だが役に立った訳です。

それは、「男に寄生しようとか絶対に考えない」と言えるでしょうか?

給料が出る家政婦と、家事をノーギャラで賄う主婦とでは、どちらの方が遺伝子的に優れていますか?

働き者の専業主婦と、自立して稼ぐ叶姉妹遺伝子に、どんな違いがあるのでしょう?




そもそも恋愛マーケティングなど必要ありません。

以上のことを総括します。

まり恋愛マーケティングなどいらないのです、男性の大多数の好みがどうであれ、女性がそれに合わせることはありません。

最初の門戸の広さの話だと仰いましたが、そこは間口を広げる必要はありません。

本当の自分を取り繕ってモテたとして、何になりますか?

最初からスッピンなら「騙された感」が少なくて済むと仰るのであれば、本当の自分を偽って、マーケティング通りに振舞って手に入れたパートナーは、それが偽りであることを明かし本当の自分に戻れば、やはり騙された感があるのでは?

それとも一生、偽りの自分を演じて生きていきますか?

それは私たちの望む恋愛ではありません。


その男性版として、手当たり次第に女性モテたい結果として生まれたのが、恋愛工学だと思います

あれは、学生時代モテなかったルサンチマンと性欲をどう晴らすかが目的なので、相手は誰でもいい。

一夜を共にするのがゴールなので、自分をどれほど偽ろうと問題ありません。

そんなものを、一生を添い遂げる相手を探す恋愛手段として、オススメしないでいただきたく。


男性は、ありのままを受け入れて欲しいという女性要望に疲れていますか?

それは、女性本質を見ずに、見た目が清楚な地味な女性こそが好ましいと決めつけてきた男性のみが溜めてこられたツケです。そこはお納めくださいませ。


そこが一番の違和感といったところでしょうか。



追記

なぜ私がそこまでこの件にムキになるのか、そこも考えてみたのですが、私は、「マーケティングではそうである」という一見知的に見える論法が流布されることにより、まだアイデンティティ確立していない若い女性が、服装メイク男性の好みに合わせることこそが理知的な振る舞いであると啓蒙されてしまうことが一番怖いと感じているのかもしれません。

次々と消費されていく商売であれば、とにかく商品を買ってもらうことが利益につながるのですからマーケティングの結果に従うのはもっともなことです。

けれど、こと恋愛などのプライベート個人個人の付き合いでは、これは適応されるべきではありません。

人は、商品ではありません。

どれだけモテたくない人は好きにしたらいいとエクスキューズを入れたところで、モテたい真っ盛りの若い人間にそう啓蒙することは、害悪しかないのではないでしょうか。

モテたくても、相手の好みに流されてはいけません。自分をしっかりと持ってください。自分とは何なのか、何が似合うのか、何が好きなのか、しっかり考えてください。

何かを偽り、異性を手のひらで転がすといったような、相手に対して失礼なことをしてはいけません。

好意のある相手に対しては、尊敬を持って接するべきです。

女性に手のひらで転がされたいという甘えたようなことを言う男性につきあってはいけません。

お母さんの代わりを、永遠にさせられることになります


女性蔑視などということではなく、男女ともに、何に縛られることなく、自分の好きな服装メイクをして、また自分に似合うと思うものを探し、自分自身が満足する自分を探し求め、同時に、そういうしっかりとした自分自身を持つ相手を、自分の好みを押し付けずに尊重して受け入れる。

それこそが最高のパートナーであると、私は思っています

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170406160123

しろヤンキーも昔は「ほっといてくれ」だったけど

今は「ありのままを受け入れて」になってるだけでは

最近オタク

昔のオタク世間に対して「ほっといてくれ」って主張していたけど、

最近オタク世間に対して「ありのまま受け入れて」と主張しているように

見える

2017-04-05

結局なんだかんだ言いつつも自分も周囲も完璧超人を求めてる

自分を売り込むことにおこがましさを感じる

http://anond.hatelabo.jp/20170404192727

こういうのにありがちな結論で、自己肯定感が低いとか、完璧主義から力を抜けとかいうところに落ち着くんだけど、本当に残酷だと思う。

仮に自己肯定感が強くて、自信に満ち溢れている人がなにか間違いを犯したとして、それを自己肯定感の強さゆえに認めなかったら、それはそれで叩かれる。

当たり前のことではあるが、必要とき必要なだけ自分への自信が求められて、必要とき必要なだけ自分省みることが求められる。

良くいえば、重要なのはバランス感覚ってことになるんだけど、悪くいえば、つまりそれはあらゆる状況に即した完璧中庸が常に求められるということでもある。

スピリチュアルな感じでいうならば、ありのままを見つめて、善悪判断せずに事実だけをそのまま受け取れ、ってことでしょ。

完璧主義っていうと、100点しかありえないみたいな極端思考のことを言うと思うんだけど、俺からしたら「要はバランス」的な答えこ完璧主義理想主義極致だと思う。

そんなこと誰だって分かってるだろうし、そうできるのが理想なことぐらい言われるまでもないが、本当にそんなことできてたらとっくに世の中全員仏陀だよ。

バランス中庸を、自分と周囲の内外二つから圧力によって求められるって、これほど息苦しいことはない。

2017-04-02

残念だが日本フェミニズムは失敗した

最近男性保育士問題で完全に露呈した。

彼女達はどうやっても男性子供を預けるという不安を拭うことが不可能なのがはっきりした。

そしてその不安問題視することなありのままの自らを暴露し続けている。

まり、保育は男性仕事ではなく女性仕事なのだと自ら宣言したのだ。

あろうことか自らフェミニストを名乗る身でありながらだ。


移民流入させそいつらに子育てさせ、自分仕事で大活躍(笑)

などというまやかし思想世間を騙そうとしたこともあったようだが結局その子育てする移民女性なのがはっきりした。

彼女たちは現在の男女の構造を覆す気などさらさらないのだ。

自分たちは都合のいい所をつまみ食いして楽しめればそれでいいという最低最悪の人種だ。

ありのまま動物のようにみずから欲望暴露し続けてそのまま生きるがいい。

ストレスと怒りにまみれた幸福人生を送れるだろう。

2017-03-31

昔はよかったと言いながら、歴史の魅力を推さない風潮

国際化が進む日本でも、地方のように、歴史的遺産の残る原風景も探せばまだまだある。これは韓国台湾中国も同様だ。大都会から続く現代都市は、必ずどこかで途切れる。

しかしそういう場所を通ると、必ず別のことにも気づく。それは、本来都市と無縁である地域にもかかわらず、ついこの間まで歴史的価値のあったような場所無秩序都市に変貌していることだ。田舎分譲マンション建設されていて、本来学園都市と無縁である地域大学キャンパスがドカドカ建ち、鉄道道路は満員状態だ。

東アジアはよく「欧米東南アジアのように未来志向なだけではなく、歴史もあって田舎もあってバランスが良い」ことを売りにしている。たしか関西中部関東のように、都市無秩序対策にとことん取り組みつつ歴史的遺産をきっちり守る場所もある。どうも大都市圏方面ばかりそういう施策はあるのに、田舎のそれを蔑ろにしすぎだと思う。

日本田舎が都会の何倍以上もあるが、田中角栄政権移行の画一的開発化に伴う開発もあって、もはや「田舎」は残っていない。つまり貴方たちが云う田舎はその地域の片隅にしか残っていない。北関東東北にも歴史スポットはあるが過去の名残もあっても観光地化に適しているとはいえない。

日本都市開発はやたら前時代的と言われる。しか日本において「道路の便利な場所」なら大都市部にもある。例えば札幌新潟だ。ではそれらを資源として活用しているだろうか?新潟市出身の親父の友人いわく帰省がてら訪問したら悲壮感がただよっててやばかったという話である文化人はそんな場所で生まれやすい。

オタク文化担い手地方出身者の多さは、日本ポップカルチャーというものいか社会の暗さを世界に示したように見える。都市中央恩恵を受けず、そこで生まれ人間が学と徳を弁え、現地は都市ほど産業が少ないので自営業が多くなり、中には漫画文学などの作家になってしまう。

こういう系列クリエイター首都圏から輩出することは少ない。まして都会の場合、かつて流行していたアングラ漫画とか、社会風刺もののような、どちらかというと現実風刺路線の、文化的な味がやや薄い作品ばかりだ。

私は少年少女漫画小説の中で東京都市部神奈川県地元民が描いた作品がダサくなっていると思っている(あくまでも数字のみで見た考えで、作品ごとの評価は別)。とくに高校生を描いた物は、往年の不良漫画みたいに野暮になっている。同じ関東でも埼玉北関東のものと比べても悪い意味で飽きやすい。高評価される作品地方民・地方出身者が書いたものが主流。ギャルヤンキーのようなダサいもの地方っぽいが、今のサブカル面は違う。

で、なぜ作品レベルがばらついているというと、やはりそれは地方に行くほど仕事の数が少ないが、時間お金にゆとりのある人が転入するために、作品作りへのゆとりが生まれやすいからではないか。そういう場所では、ありのまま地元を描くことが難しいが、空想もの作品を生むにはうってつけの場所だ。

社会風刺文化的ものが分離されていることが理想であるが、だったらそれがなぜ都会でも出来ないのか。広義の都会人の自分が言うのも説得力いかもしれないが本当はこういったばらつきはないべきで社会風刺と娯楽もの区別が明確になければ文化強国は持続しない。

2017-03-28

最近増えている女装レズセックスに耽る者達は

なぜ、自分特別だと思うのか。

なぜ、他人と比べては他人をそうも貶すのか。

要するに彼らは、男の世界で男に成れなかった負け組である

女の腐ったものかのように、自分は綺麗だと呟いては他人否定する。

酔っているのだ。

女の代替品でありながら、

女以上に女である勘違いして酔っているのだ。

https://twitter.com/JD_May05/status/846541990732849152


女装レズセックスは、ホモカーストの中では最下層である

なぜならば、ウケに回る男は女にモテずに男色に走った者であり、

また男にモテずに女の格好をする事で男を惑わす道を選んだ者であるからだ。

またタチも同様に女にモテずに男色に走った者であり、

また女からも男からモテずに女の代わりに女装した男を抱くからだ。

そして、女の子の格好し合ってセックスに興じる行いは最もカーストが低い。

なぜならば彼らは女からホモからノンケから相手にされず、仕方なく自給自足で褒めあえる関係を望んでいるからだ。

男女のセックスを行えず、

男同士の力強いセックスも出来ず、

男の劣情を浴びることも無く、

互いに褒めあう「駄サイクル」の中での自分に酔えるのだ。

そういう場が合っていいと思う。

しかし、カースト最下層の弱者他人不細工だの汚いなどよくいえたものだ、

と呆れるが。

彼らは、因果の末に女装レズセックスするしかない、そういう人なのでそういう事を言うのもまた因果なのだ


自分は男だと言える奴は、

黙ってデブも専ナイトに参加しろ

そこでオラオラシゴキあいイカせ合え。

筋肉の躍動と飛び散る血と汗と精液に塗れて、

翌日筋肉痛になるほどにヤりまくれ。

男に生まれた以上は男らしくあれ!

男は男らしくそのままでやりまくれ。

女の真似をしても偽物でしかない。

男はより男らしくなる事ができる。

自分を偽ることなく、ありのままに。

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325002108

ありのまま自分で生きず、本来とは異なる自分仮面を被って生きるとして、その仮面が剥がれた時に恥ずかしいと思いませんか?

2017-03-21

私と天空橋朋花と従者とプロデューサーと子豚ちゃんについて

アイドルマスターミリオンライブプロデューサーの皆様、まずは4thLIVEお疲れ様でした。3日間どの公演も本当に素晴らしいものでしたね。3日目の最後には嬉しい発表や一歩一歩進んだ先にあるものを期待させるようなPVの公開もあり、ミリオンライブのこの先への希望を与えてくれるライブだったと思います

私は運良く3日間全て現地でライブに参加することができました。そして演者である小岩井ことりさんの体現する天空橋朋花を観て、ライブ後に様々な朋花Pの方々のツイート等を拝見して、また自分の中の「天空橋朋花観」の大きな変化を感じたので、それをこの時の考えの記録として、はてな匿名ダイアリーという人の目に触れる形で文字に起こしたいと思いますチラシの裏にしない理由はこれを読んで皆様がどう思ったかURL付きツイートブクマコメなどを通して知りたいから、ツイッターにしない理由は直接繋がりのある方々に知られるとちょっと恥ずかしいからです。

まずプロデューサーと子豚ちゃんの話をします。以前の私は朋花の担当プロデューサーであることにこだわり、子豚ちゃんであることをよしとしていませんでした。ゲーム内でも朋花はプロデューサーに対して高い意識を求め、それに応えられなければ罰やお仕置きが仄めかされたり、応えられれば聖母に相応しい者として認めてくれたりする訳です。私はそんな朋花とプロデューサー信頼関係がとても好きで、そんな関係を築けるプロデューサーでありたいと思っています。それは今も変わりません。

ですが朋花の担当プロデューサーでなければ見られない朋花の姿があるのと同じくらい、子豚ちゃんでなければ見られないものもある、と思うようになりました。このような考えをもったのは、武道館天空橋朋花として聖母の愛を振りまく小岩井ことりさんを見てからです。正直一撃で子豚ちゃんになりました。以前小岩井ことりさんが最初挨拶で「子豚ちゃんたち」と呼びかけたことに少し思うところがあり、担当プロデューサーとして武道館に行こう、と決めていたのですが、サプライズとあまり天空橋朋花っぷりにやられてしまいました。ですがこの経験が、より様々な側面から天空橋朋花について考えてみるきっかけとなりました。

ここらへん本当にまとまりなくて何が言いたいのかよく分からないですね。要はこだわりを持つのもいいけど色んな視点から見てみると発見があって楽しいなぁってことに気づいたってだけです。当たり前のことですがこの時やっとこんなことに気づきました。

余談ですがそんなことがあっての二日目の最初挨拶プロデューサーでも子豚ちゃんでもいいからとにかくめいっぱい楽しもうと思って望んだら小岩井ことりさんと朋花に「プロデューサーさんと子豚ちゃんたち」と呼びかけられて死にそうになりました。小岩井ことりさんと天空橋朋花自分の考えを全て肯定されたような気分になりました。本当に余談ですね。

ここからプロデューサーと従者の話をします。先に断っておきますがこれらは全て私独自解釈で、ゲーム中ではプロデューサーという立場聖母という世界観の上で従者という言葉があてがわれている、という感じだと思います。(パっと見つかった「プロデューサーさん、従者以上の存在に〜」から考えていますが、他も大体そんな感じだったはずです)

以前私は、「より多くの人を子豚ちゃんにし、救済するという朋花の願いを叶えるために朋花を聖母として完成させる」というプロデュース方針を打ち出しました。これは彼女の中に聖母たろうとする朋花と、15歳ありのままの朋花が共存している、と仮定した上で、前者を推進していく、というものです。聖母になるという使命を完遂させることで、そこから解放してあげたい、という意図も多少は含まれていたと思います過去の私が決めたこの方針は「従者」としてのものであって「プロデューサー」的ではないなぁと最近思うようになりました。

では「プロデューサー」的なプロデュース方針とどのようなものでしょうか。私は「聖母としての朋花も、15歳の朋花も、丸ごとひっくるめて『アイドル天空橋朋花としてプロデュースする」ことだと考えます。先日ツイッターで「#天空橋朋花こんなところもあるんだ選手権」というタグを見かけました。もし私が天空橋朋花聖母としてプロデュースしていくとしたら、こんなにも沢山の天空橋朋花の魅力を取りこぼしてしまうのかと思い、それは天空橋朋花担当プロデューサーとして見過ごせないと思いました。

ですが、どちらの方針が正しいか、私は未だ結論が出せずにいます。朋花は聖母として子豚ちゃんの上に君臨するためにアイドルになっています。その一助となりたいという思いも私の中に確かにあります。子豚ちゃんの求める姿が理想聖母、というのは本人談ですが、15歳のありのままではしゃぎ、笑う彼女の姿を子豚ちゃんたちが求めているかは子豚ちゃんの視点を獲得したての私ではまだ判断ができません。朋花自身聖母として振る舞おうとする上でそういった姿を子豚ちゃんたちの前に出したがるかという疑問もあります。皆様はどうお考えでしょうか。皆様のプロデュース方針はどちらに近いものでしょうか。

以上で本文は終わりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。この文章はまた朋花に関する文章を書きたいという衝動に駆られて勢いで書き殴ったものなので、誤字脱字や読みづらい部分などあったかと思いますが、これが今の私の考えです。

多くの方にこの文章を読んでもらい、意見感想を聞いてみたいので、よければURL付きツイートブクマコメ等していただけると嬉しいです。

散々以前とかまたとか言っているように過去にもはてな匿名ダイアリーで朋花について書いたことがあるのですが、恥ずかしくて自分では読み直せないような文章なのでリンクは乗せません。興味がおありでしたら適当検索すればヒットするかと思います

何かあったら追記します。ありがとうございました。

http://anond.hatelabo.jp/20170320204226

こういう就活にぶつかるまで挫折経験が無かったであろう人を見るとすごく羨ましい。

少なくとも22歳前後まで一度もスレずにピュアなままでやって来れたんだなぁ、

自分を偽らずに愚直・ありのままを周囲に受け入れて貰えてたんだなぁ、って。

今まで自分の置かれてきた環境の優位性にまるで無自覚なんだろうな。これって凄い幸せだよ。



不幸自慢とか煽りに聞こえるだろうけど、そんなんじゃなくてね。

22歳になるまで躓かなかった無自覚な器用さと純粋さがとても羨ましい。

2017-03-20

ポジティブな人ってほんとに幸せなのか

ポジティブすぎて逆にネガティブな人っているよね。

何事にもポジティブな側面を見出そうとする様が、逆に、世の中は全てポジティブにできていないと納得できない子どもっぽさを表しているように見えるというか。

たとえばお店で料理を頼むのに二択で迷って失敗した、みたいなとき、本当は失敗したと自分でも思っているのに無理やり「まあこの食材は体にいいからね」みたいなことを口に出して言う人。

しか自分も失敗したとき自己正当化のための考えを巡らすことはあるけれども、あんまり口には出さない。だってそれってただの負け惜しみだし。

自己正当化のための言葉を口にすることが我慢できないところに、人間的な未熟さみたいなものを感じてしまう。世の中のありとあらゆることはポジティブにできていないと不安かられるような、ある種の強迫観念にとりつかれてるんだろうな、みたいな。

もしそうだとしたらめちゃくちゃ小さい人間だなーって思う。失敗したって、別にそれ以上でもそれ以下でもないだろうが。なんでそれをありのまま受け入れられないのか。

2017-03-09

大人の頭がおかしく見える理由について

ただ現実ありのままに見続けても、無能から処理不能に陥って

頭痛うつ病自殺の順番を辿るから、金払ってもらって

長い手続きの中でしか何も見る気はないという単純な事実だろ


はじめっからそういえよ、言わないと分からないんだよ

一般人には

2017-03-06

アナ

フジテレビが終盤編集して放送したことが批判されてて、どうせ誰かが「ありのまま放送しろ」とか言ってるだろうなと思って検索してみた。

案の定デーブスペクターが呟いてた。

2017-02-26

森友学園支援する日本会議子どもの権利条約を潰してた件

そりゃ人権を認めてたら運動会あんな宣誓させんわな

2016年6月18日朝日新聞より

自分で稼いで食べているわけでもない子供に下手に『権利』なんて覚えさせちゃ駄目よ! ろくな大人にならないわ」

 日本会議政策委員百地章日本大学教授が監修した冊子「女子の集まる憲法おしゃべりカフェ」には、47歳の主婦が、こんなふうに叫ぶ場面がある。

 大人の従者とみて導くか。独立した権利主体とみるか――。二つの「こども」観の対立が各地で起こっている。

 東京都日野市の元市議渡辺眞(ただし)氏は2006年ごろ、日本会議地方議員ネットワークで呼びかけ、自発的に「子供権利条例に反対する全国地方議員の会」を結成。地方議員50人以上が加わり、情報交換した。

 渡辺氏が危機感をもったきっかけは、「子ども権利」で著名な大学教授が、同市に講演に来たことだった。「子供にも当然権利があると思うが、子供権利条例がいう『ありのまま権利』や『意見尊重される権利』などは、子供の未熟な欲望を拡大してしまう」と感じた。

激しい反対運動で、権利条例が11年に頓挫した広島市運動の中心になったのは、「『広島市子ども条例』制定に反対し子供を守る教師保護者の会」だ。日本会議広島事務局を置く(注、連絡先の一つとする)が、PT連合会OB会や教員団体など20団体以上が名を連ね、署名活動などをした。この会の代表は、元全国高校PT連合会長で、一般財団法人日本教育再生機構理事女性だ。

後略

2017-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20170223133719

性嫌悪ってそんなに簡単に治るものなの?

俺の知り合いは「ポルノが溢れている世の中は『ポルノ存在を受け入れられないヤツは社会に出てくるな』という性嫌悪への圧力だ。性嫌悪でもありのままに生きられる社会を作るためにポルノは撲滅させるべき」って言い出していて辟易しているんだけど。

2017-02-15

舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」(ネタバレ注意)

とんでもない作品だった。とんでもない体験をした一週間であった。




まず先に言うと、本作品は『ミステリー演劇』だった。

それは原作推理小説カテゴリーされているからとか、原作者江戸川乱歩だからとか、そういう理由じゃない。

私はその解説、および回答を以下に記すのだけど、それは完全なるネタバレです。



もう知らなかった頃には戻ってこられない、作品を殺す系のネタバレ



なので、未観劇の方には本当に読むことを勧めません。

本作は素晴らしい完成度の傑作だし、舞台演劇でここまでのミステリーを作り上げるのは絶対に容易じゃない。

また、私はエグいほど容赦なくネタバレしていますので、正直自分ももう二度とミステリー演劇は鑑賞できない脳になってしまったのでは…と震えております。

(なので、読んでほしい気持ちがあって増田に書いているものの、観劇済みの方も生半可な気持ちではネタバレを読んでほしくない。六道の辻で迷い不幸だと感じている方にだけ、光が届けば良い。)

まり未観劇でネタバレを読むということは、人生の楽しみを自らの手で一つ潰すということ。尋常じゃない損失です。



本作はDVDの発売が決定しています。

公式DVD予約サイトhttp://www.shop-ep.net/east_park/shopping/a04020102/iid/0000000001746/

(発送日未定。予約は3月末まで)

めちゃくちゃ好評だったので、あなたの周りにも購入している人が居るはず。そして恐らく「見せてほしい」と頼めば喜ばれるはず。布教したくなるタイプの作品なのです。なので数ヵ月後DVDを鑑賞してから、是非また読みに来てください。



「数ヵ月なんて待てねーよ!」って方は、妥協点として2015年に他の演出家さんで上演されたものを見ることができます。

こちらは未観劇のためなんとも言えませんが、おそらく2015年版は絶対解けない「超ハードモードの『ミステリー演劇』」か、『ミステリーではない普通演劇』の可能性が高いと予想しています。でもまぁ全く観ないでネタバレ読むよりは絶対良い。

たぶんDVD売ってるし、3月になれば我らがdアニメストア殿が配信してくれます。

https://anime.dmkt-sp.jp/animestore/CP/CP00000660

高いチケット買って劇場に行くか高いDVD買うかしか選択肢がなかった時代を生きてきた作品の取捨選択にすごい苦しんできた勢なので、dアニさん月額400円でこんだけ見れるとかマジ神過ぎ。最初目を疑った。(WOWOWさんにも感謝していますが、うちTV無いから見れないんですよ…そもそも家にあんま居ないし。お金なら払うのでスマホでもWOWOW見れるようにしてください。)



原作「孤島の鬼」を読むのも手ですが、本作はある意味では『原作本質を描いている』けど、ある意味原作とは全くの別物』です。だから舞台版のネタバレは、舞台版を観てから読んでほしい。



そして、せっかく未来の楽しみを潰してまでネタバレを読んでしまうのだから、その前に『ミステリー演劇』の推理に挑戦してほしい。

一人で解くのは超ハードだと思うので、できれば仲を深めたい方と一緒に。(私が今回の回答に至るのに協力してもらった友人の数は4人です。内1人は原作を読み込み一緒に推理してくれました。)

ぼっちの方も安心してください。本作はめちゃくちゃ面白かったので『2017年版の感想』も、ネットの海に転がっています。そこから辿り着くことも不可能じゃないはず。鮮度のいい印象論の良さも、一晩寝かせた感想の良さもあるので、いろいろ漁ってみてください。

あと私は推理した一週間の思考ログをほぼすべて残しているので、トリックがわかってからログを読み返してみたら翻弄されている自分がめちゃくちゃ面白かった(当時は睡眠不足神経衰弱で瀕死でしたけどね)。間違ってはいないけど騙されている。そんな楽しさもあるので、ぜひ推理に挑戦してみてください。

そして私がまだ解いていない謎の答えを見つけられたら、ぜひ教えていただきたい。



また、運良く本作を劇場でご覧になられた皆さま。感想はもう書き残しまたか

公式がwebでアンケート回収もしています。送ると抽選で非売品舞台写真もらえます。私もとても欲しい。

本作は、『感想を残す』ところまでを含めて作品です。せっかく運良く観劇できたのだから、140字で良いから書き残しておきましょう。

できれば思いの丈をすべて書き出しておくと良いです。『他者に感想を伝えようとした人だけが、謎解きの後に得られる感動』があります。(※個人の感想ですが!)

この感動を、本作品が本当に素晴らしい江戸川乱歩原作舞台化であったことを伝えたくて、読んだら作品を殺すことになるようなネタバレを恥を忍んで書いています。

私はソワレ観劇後、徹夜で翌昼に感想書き上げました。これが私の沼への一歩だった訳ですけれども、これを書き残しておいたお陰で、謎が解けた時に私の回答を出すことができました。

一度ネタバレを読んでしまうと、もう観劇で感じた感想書けなくなると思いますので、本当に一言で良いから感想書き残しておいてください。ついでだから公式アンケートに答えて非売品写真当てましょう。当たったら私にも見せてください。



最後に公式各位。

ネタバレにあたる部分は私の個人的ミステリー体験なので、これが公式解とは主張断言しません。

と言うか、理由なき見落しと、自分の能力ではどうしても咀嚼できなかった部分(言葉スムーズに脳に入ってこなくて読解しながら観劇することができなかった原作には無いシーン)があったので、私のネタバレは不完全です。他にも拾い損ねている箇所がポロポロ出てくる。逆転する可能性が大いにある、お粗末な推理

ですが、キャストの皆さまが最後までネタバレに配慮されていたのに、ネタバレを公開し誰かに読んでほしいと願うことが、浅間しいようにも感じています。

ネタバレ注意喚起に約2000字程裂きましたので、どうか堪忍してください。

p.s.オリジナルマグボトル購入しました。作中に赤い色が無かったのでデザインも綺麗だし購入したのですが…紐解いてみるとなかなか意味深なグッズですね。とても良い記念品になりました。




それでははじめます。



導入


無人の屋敷に風が吹き込む

暗転

まったく光のない深い暗闇から男性の声が聞こえる

「不幸ということが、私にもよくよく分って来ました。本当に不幸という字が使えるのは、私だけだと思います。遠くの方に世界とか日本かいものがあって、誰でもその中に住んでいるそうですが、私は生れてから、その世界日本というものを見たことがありません。これは不幸という字に、よくよくあてはまると思います」

暗転明け

無人だった屋敷に白髪の男性が立っており、書物を音読していた。

彼は自身について取り止めなく独り言つ。

彼……『私』を語り部とした、物語がはじまる。




まず本作の初見の私の感想と回答は、下記増田で参照できる。

http://anond.hatelabo.jp/20170206104211

ミステリーとして解いた今読み返すと相当ブッ飛んだ納得の仕方をしている。自分の妙さについて今までなんとなく感じていた部分が浮き彫りになりすぎである。こわい。

当時も気持ち的にスッキリはしたけども、<もやもやした原因が『認知を歪められている感覚』だったのに、「それは作者の願いだよ!」という犯人動機の『妄想』では、『論理的解決』にまったくなっていない>ので、悶々とはしていた。

作り手側は演劇を魅せるプロだが、観客は演劇を観るプロだ。伊達や酔狂でやっているわけではない、こちとら真剣に観ている。

認知を歪められている感覚』なんて中途半端ものは見過ごせない。

ちゃんとトリックを暴きたかった。

そこからずるずると私は沼に嵌まっていき、推理のためにガチで眠れない一週間を過ごすことになる。



そもそも、舞台「孤島の鬼―咲きにほふ花は炎のやうに―」の何がミステリーなのか。

それは、本作品が叙述トリックを駆使し、とある真意』を隠しているということにある。



しかし私の目下の推理動機は、トリックを逆手に取った『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』にあった。どうしても二人を幸せにしたかった。

そのために以下のことを行った。

そしてひたすら二人が相思相愛ではないという可能性を潰し、相思相愛である可能性を見つけ出す作業




解説『簑浦も諸戸も幸せになれる最適解』①

箕浦の白髪

二人の愛の一番の障害は、箕浦の白髪化=「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」という点。

これが諸戸が箕浦の前にあらわれることがなくなった原因だと思う。彼がどんなに誠意を尽くそうとも、これだけはどうにも覆すことができない。

しかし、実は原作では白髪化したタイミング=直接的な原因が諸戸に襲われたことのみだとは明記されていない。

そして舞台でも、実はめちゃくちゃぼやかされている。

冒頭、語り部である『私』が自身の体験した恐怖について語ろうとする。その時にまるでトラウマが呼び起こされるかのように喉元を掻く仕草をする。

後半井戸の奥、深い完全なる暗闇の中、水位が増して死の恐怖に襲われた時。『私』佐藤箕浦も、諸戸と石田箕浦と同じマイムを行って移動し、水位が増しだすと喉を掻いて苦しみ悶絶する。

これは、白髪化するほどの『生理的』な恐怖が、諸戸に襲われる前から強烈にあったという解釈にできる。

では逆に、諸戸に襲われた後の恐怖はどうだろう。助八さんの救助が来て、生死の恐怖は去った。丈五郎の恐怖も去った。では諸戸に犯される恐怖はなくなるか? 普通に考えれば、自分を襲ってきた相手が側に居るなんて恐怖しかない。第三者が居るから安心だなんて暢気になれる訳がない。(学術的根拠を略していることは恥じています)

箕浦は、諸戸に襲われた時にあれほど恐慌したのに、襲ってきた相手が側に居てもケロっとし過ぎなのである脱出できた時なんて笑いあっていたりする。

これらによって、「箕浦は同性愛を『生理的』に受け付けられない」ということを否定できる可能性が、十分にある。


同性愛への拒絶:あの夜まで

生理的』に受け付けられない訳じゃないのなら、箕浦の同性愛への拒絶はどこからくるのか。

実は学生時代の箕浦は、同性愛を拒絶していない。

諸戸が触れるままにさせ遊戯を楽しんでいたと言っているが、これってちょっとエッチではないですか? 私は『もてあそぶ』というよりも、遊廓でのお戯れみたいな印象の方が強かった。エロかった。

…脱線した。ともかく同性愛を否定する、拒絶する描写が無い。

ましてや「あつい手だね」というセリフは、諸戸と佐藤箕浦の両方が同時に口にする。

これは原作では諸戸が言い、簑浦も『私も同時に、火のような相手の掌を感じた』とある

あの夜、諸戸と箕浦は、本当は同じ気持ちであったのではないか。


同性愛への拒絶:あの夜から

しかし大人になった箕浦…いや『私』佐藤箕浦は、頻繁に同性愛を拒否する。

そして井戸の中、「今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」と請い願う諸戸を「あさましい!」とはね退ける『私』佐藤箕浦。

実はこのセリフ原作には無い。そして学生時代のあの夜は諸戸の方が言っていたセリフなのだ

「君は浅間しいと思うだろうね」と。

箕浦に『同性愛を持つ者は異人種』だと一番最初に植え付けたのは、他ならぬ諸戸であった。

そしてあの夜、「『私』は諸戸との関係はこれで終わったと思った」。

もし、もし諸戸が、自分で自分の気持ちを否定してしまわなければ、二人が結ばれていた可能性もあるのではないか?


『箕浦』の存在

あの夜の後、箕浦が大人になりSK商会に勤める場面から「過去の『私』」石田箕浦が登場する。

大人になった『私』佐藤箕浦は同性愛嫌悪感情を見せるが、石田箕浦は同性愛嫌悪していない。

諸戸が自分に恋していることを頭では理解しているが、そもそも同性愛をわかっていない。だから諸戸からの熱視線性愛アピール)をまったく感知できないし、諸戸からの接触に応えること・握手を求められた手を握り返すことができる。

スポットライトが当たらないところでの石田箕浦と諸戸は、まさしく「諸戸と簑浦は何か変だ」状態熱視線を送ったり触れようとしたり羞恥の色を見せたりする諸戸に、石田箕浦はまったく気付かない。A.T.フィールド固すぎ)

絶望的に脈ナシな究極のノンケ

原作の簑浦とはかなり印象が違うそう(私は一度推理完了するまで未読を貫く主義のため世論であるが)。

簑浦と箕浦、原作とは名前漢字が異なるし別人か? いや、そうじゃない。無意味な改変は絶対に起こらない。「虚偽の事柄を事実として書くことはアンフェア」だからだ。印象が違うなら、『変えた理由』と『変えても原作の簑浦を成立できる理由』がある。

石田箕浦が登場する前。佐藤箕浦が諸戸との関係は終わったと思ったあの夜。諸戸が泣きながら請うた内容は以下だ。

「君は分っていてくれるだろうね。分ってさえいてくれればいいのだよ。それ以上望むのは僕の無理かもしれないのだから 。だが、どうか僕から逃げないでくれたまえ。僕の話し相手になってくれたまえ。そして僕の友情だけなりとも受け入れてくてたまえ。僕が独りで想っている。せめてもそれだけの自由を僕に許してくれないだろうか。ねえ、簑浦くん、せめてそれだけの……」

諸戸が願った内容、これまんま石田箕浦じゃん……

石田箕浦は諸戸を友人として深く信頼しているし、井戸の中でなんて一緒に死ぬことすら受け入れている。諸戸の願いを、字面通りに叶えている。

しかし周知の通り、諸戸が心の内で望んでいたのは、彼の『死にもの狂いの恋』を受け入れてもらうことだった。


諸戸の望みと願い

諸戸は自身について怖れている描写が多々あった。それは自分の素性と性愛対象が『普通と違う』ことでもあったし、『父に命じられたから行っていたはずの不気味な研究にいつしか諸戸自身不思議な魅力を感じはじめていた』ことも大きいと思う。

強い劣等感を抱えた自意識と、強い罪悪感をもたらす超自我

我と我身を醜いと卑下すればするほど、美しいものを強烈に求め、美しくあるべきだという観念に囚われる。

諸戸の心の内の葛藤が『手記の秀ちゃんと吉ちゃん』そのものに見えた。諸戸の望み(イド)と願い(超自我)は大きく解離している。

箕浦が写し取ってしまった『同性愛を持つ者は異人種』という価値観、『親友という姿』は、諸戸が持つ美意識刷り込みだった。箕浦にとって諸戸は、本当に「美しい青年」だったのだ。


『私』と『箕浦』

石田箕浦は本当にクセのない、まっすぐな好青年だった。諸戸の理想とする『普通』がそこにあるように見えた。そして原作の簑浦とは印象が異なる存在

これはつまり、簑浦のイドと超自我のようなものが、『私』佐藤箕浦と石田箕浦に分かれて表現されているのではないか。一人の人間を二人で演じ、二つの存在(語り部の『私』と、簑浦のイド)を一人が演じているのではないか。

彼らの箕浦の分担は、紀州の孤島に着いてから大きく変動し反転してゆく。

井戸の中で諸戸に襲われ、完全に石田箕浦から佐藤箕浦に替わったのは、諸戸が望んだ存在が友人ではなく恋愛対象としての箕浦だったこと、そして諸戸の手によって「諸戸の理想とする『普通』」が壊されてしまったこと…『私』になった石田箕浦にも諸戸の姿は獣のようだと評されている。学生時代のあの夜に諸戸が否定をしてしまったこと、それの繰り返しだった。


『私』の恋心

そして秀ちゃんへの恋心を諸戸に恥ずかしいものと責められる場面。実はあれは原作だと簑浦のモノローグによる言い訳タイムとなっている。諸戸はそもそも丈五郎に捕まって、島に到着して以降会っていないというのだ。正確にセリフを覚えていないが、原作未読の私でも、最初に秀ちゃんから手紙を受け取ったシーンに諸戸が居ることに強い違和感を感じた(そして友人が原作では諸戸が居ないことを確認してくれた)。

よくよく考えれば変なのである。箕浦に恋慕を寄せる諸戸に責められる筋合いはない。初代に操を立てるなら諸戸の恋に応えることも恥ずべきことだし、諸戸に気を遣う必要だって本質的には無いのだ。(まるで『アイドル恋愛しちゃいけない』理論だ。)

ではなぜ超自我ポジションである石田箕浦ではなく、諸戸が責め立てるのか。

箕浦の美意識は諸戸の影響を強く受けているから諸戸の姿をしていたとも捉えられるが、それ以上に、常識的な葛藤だという以上に、箕浦の心の中に諸戸を慕う側面も幾ばくかあったから、秀ちゃんに恋する自分と、諸戸を慕う自分で対立したことを表現していないか。

佐藤箕浦はもちろん初代にも秀ちゃんにも惹かれているが、彼が箕浦のイドのポジションであるならば、諸戸のことも結構好きだった。(イドでなく単なる『私』なのだとしても、諸戸を見つめる視線に愛憎のような熱が込もっていたし、)諸戸との会話に深山木が入ってきたとき「早くないですか!?」と驚くのは二人の箕浦で、石田箕浦一人だけが言うと単純に時間が早かっただけに聞こえるが、佐藤箕浦も合わせて言うことで「諸戸との会話に邪魔をされた(もっと諸戸と話したかった)」かのような邪推ができてしまう。

海岸で諸戸を見付けるのも石田箕浦ではなく佐藤箕浦だ。

そして諸戸が握手のために差し出した手を『箕浦が握り返さなかった』時。諸戸は驚愕の表情で『私』を見る。見つける。実は、物語の始まりを告げる運命が廻りだすような音楽が流れて以降(犯人だと疑って諸戸の家を訪ねて以降)、諸戸が『私』を初めて見たのが、この『箕浦が握り返さなかった』時。

握り返さないのは、握り返すことに意味が生じてしまうから石田箕浦は諸戸の恋をまったく感知しない。そんな石田箕浦が握り返さないわけがない(実際に、諸戸に見つかってしまった『私』が顔を背けた瞬間、石田箕浦は手を握り返す)。つまり学生時代のあの箕浦が、心の中にまだ居たということ。

諸戸にとってはそりゃあ嬉しいことだろう。彼はそれ以降箕浦に話しかける時、佐藤箕浦を見てから石田箕浦を見る。ここからどんどん、『箕浦』の行動を表現するのが佐藤箕浦へ移行してゆく。


すれ違う二人

一度は友人として、諸戸と共に死ぬことも受け入れた箕浦。

しかしその結末を自らの手で潰す諸戸。

逃げながら箕浦は吼える。「死んでたまるか!」と。箕浦は白髪化するほどの生死の恐怖を体験したばかりだ。

諸戸に襲われるも未遂に終わり、命が助かることに深く絶望する諸戸。

井戸を出た二人は笑いあう。諸戸は箕浦が白髪化するほど生理的同性愛を受け付けないのだと認識したように、箕浦の白髪を見て泣いているように笑う。

そして箕浦の前に現れなくなった諸戸は、気持ちを遺して逝くことで最期にまた箕浦へ大きな傷を残す。




解説叙述トリックを駆使し隠された真意

先述の通り、私の推理動機叙述トリックを逆手に取った二人が相思相愛であったことの証明にある。

からくりが解ってみると、どうってことない・ただ上演されているものそのままに過ぎないのだけど、ここに辿り着くまで本当に一週間ひたすら睡眠時間を削って悩んだ。二回目に観劇した時などは、とにかく正確に推理するためにありのまま最前列からガン見してきたのに、どうあがいても悲恋という現実に心が折れそうになった。マジで。実は二回目に最前列観測した時よりも、初見H列サイドから観劇した時の方がイイ線いってたよな(納得の仕方はブッ飛んでるけど)と思う。

で、共に推理していた友人が先に原作叙述トリックに気付き、簑浦と諸戸のBLは成立しているという解を出してくれたので、二回目の絶望した記憶で観劇を終えるのもなんだし推理はやめて初見のつもりで観劇しようと思って向かったのが三回目の観劇。最後尾辺りの補助席。

しかし驚くほど新たな発見がまたどんどん出てきたうえ、深山木のセリフによって私は舞台も叙述トリックを使ったミステリーなのだ確信してしまう。

これは原作にもあるセリフらしいのだが、深山木がトリックについて思わせ振りなことを言うシーン。そのセリフが完全に『叙述トリック説明』になっていたのだ。聞いた瞬間、震えが走った。

本作がミステリーであると気付けるように、最初から以下の違和感と解法が提示されていた。

さて。ここで疑問に思われることがあるだろう。なぜ叙述トリックを使用しているのか? 隠したいものは何なのか?

この件について私は非常に貴重な体験をする。

本作の大好評っぷりと、推理に明け暮れ神経衰弱している私を心配して、友人が本作を観劇してくれた。三回目観劇の日、偶然スケジュールが合って友人2人(友人Aと友人Bとする)と一緒に観ることができた。終演後、私はわくわくしながら二人に感想を求めた。

友人A「箕浦殴りたい……不快過ぎて体調悪くなってきた……」(※意訳)

当時、箕浦殴りたい勢は最大勢力に感じた。過激箕浦擁護派も0ではないが、大多数が箕浦(おそらく『私』のみ)に不快感情を持っていた。冗談ではなくガチで友人Aが苦しそうにしており、私も初見後は物凄くモヤモヤしていて苦しみがよくわかるので、少しでも気が晴れないかと友人Aと対話することになる。



不快感を分解していく。

友人Aは非常に言いに難そうに、しかし押しかかる不快感から助かるため、意を決して打ち明けてくれる。

友人Aも不快の対象は『私』にあり、その根源を追ってゆくと友人自身が「『拒絶』されるのが本当に無理」だから、諸戸を拒絶しているのに側に居た『私』を悪だとした。

増田「拒絶することを『悪』だとするなら、今『拒絶を拒絶』している友人Aも悪だということになるでしょ? 友人Aは悪なの?」

結局友人Aには私の初見感想を読んでもらい、加えて私の心の闇()もひっかかった話をしたことで、とりあえず翌日出社できるレベルには不快感が晴れたと言ってもらえた。良かった。

さて、私は友人Aと対話して思った。「もしかして江戸川乱歩のやりたかったことってこれでは?」



感想を書いた方ならわかると思うのだが、感じたことや思ったことの根拠を話そうとすると、自身についての話、しかも心の闇()の部分を語らないとどうにも説明できなくなってしまう。

私も推理ログ含め大量に書き残したが、心の闇()を除いても、暗闇マジ怖い体験とか、無意識下の生理的拒絶は実在するよ体験とか(思えばこいつが二人の恋の一番の障害だった)、とにかくネガティブ体験談バンバン出てくる。

共に推理原作解読した友人も、舞台の感想を書こうとしたら闇にぶち当たって、書くのを控えようとしていた。(Permalink | トラックバック(0) | 22:47

2017-02-14

http://anond.hatelabo.jp/20170206213549

女性の「ありのままの私を受け入れてくれる人がほしい」という願望の本音

「私の顔や体を好きだと言ってほしい」であることはあまり世の中の男性に知られていない気がする。

そうではないという女がいても「君がどんなに世間的にブスでも中身が大好きだからいいんだよ」と言われても絶対に喜ばない。

2017-02-11

江戸川乱歩 原作 舞台「孤島の鬼」をめぐる120時間

先週日曜、舞台を観てきた。江戸川乱歩原作の「孤島の鬼」。

感想増田投稿済みだし、最終考察投稿バリバリ編集なのだけど、

先ほど、ずっと一緒に推理に付き合ってくれていた友人が、《原作真相》に1つの答えを出してくれた。

「孤島の鬼」原作に対する現在の私の解釈について

※閲覧にはTwitter連携必要ですが、誰でも読めます



私はこの解釈を読んで、江戸川乱歩まじすげぇ人なんだな、と思ったし、

舞台感想を聞いて原作を読み返した」という超間接的な位置に居る友人にまで影響を与えたこの舞台まじやべぇな、と思った。



この話は、やれBLホモだと騒がれているが、こんなにも『人と人との愛の深い部分について書かれている』ことに萌えている感想は、まだ一度も見たことがない。

腐女子の皆さま、乱歩パイセンの名作は、想像を絶する至高のBL小説だったよ……(震え声)

次の新刊ネタにできるよ……



観劇してから120時間神経衰弱するほど友人と推理を重ねてきて、友人が辿り着いたこの結末に私は本当に感動したので、記念に最後にもう一度観劇しようと決めたのだけど、観劇前に今までのことを日記として残したいと思う。

(友人との推理使用した部分以外は原作未読をまだ貫いているし、私の主観での希望的観測は友人とは少し違うのだけど、それは最終考察とあわせて観劇後にまとめたい。)



どうせ同じ高いお金を支払って観劇するのなら、楽しめた方が絶対にいい。

私はもう「視点を変えれば、世界が変わる」=「つまんなかったものが最高に面白くなる」という瞬間を短くない観劇人生で知っていたので、本作初見では何か視点を歪められてるような印象にすごくもやもやした。

今思い返すと、色々なテクニック…いや、ヒントが散りばめられていた。

作中の探偵二人が言う「常識ではトリックを見落としてしまう、視点を変えるんだ」というようなセリフが印象に残っていたり(大事なことだから2回言いましたの法則。一度だけならスルーしていた)。

ストーリーテラーがやけに観客の目をガン見してくる→目を見るというのは語りかけてくるということで。しかしその眼差しに乗るメッセージは無く、視点誘導にも思えるのに最終的にストーリーテラー非難するような印象で終わる。この矛盾

原作では『簑浦』という名前主人公が『箕浦』であったり。同一人物に別の名前が与えられ『一人二役』であったり。

いかにも裏がある風で、どうしてもひっかけられてるような感覚があった。

「結局胸糞悪いだけだった」作品結構観てきたけど、それらは完全に私との解釈違い…美意識というよりもっと恣意的な『美学』の違いで、どうにも受け入れがたいという点からくる胸糞悪さだった。

でも本作では諸戸に感情移入できてしまったし、そもそも異形とは何かみたいな問題提起の要素もあり、そんな乱歩原作が『美学押し付け』には絶対にならないという妙な確信があって。私は謎解きに踏み出していた。

推理小説は読まないけど、リアル脱出ゲームとかは好きなんです。

(一晩明けて昨日、一緒に脱出できた経験のある頼れる別の友人が、私の沼りっぷりを気にかけて舞台を観に行ってくれた。そして私が完全に見落としていた最重要ヒントを見つけてきてくれた。優しすぎるし天才すぎる。)

(そう言えば原作解釈の友人も、私にとっては自明の理すぎて結構雑に扱っていたヒントが友人にとっては盲点で、そのヒントがあったからこの解釈に至ったと言ってくれた。嬉しかった。)

(そして、盲点とは必ず存在するし、それは本当に自分には見えないだけで、他人からたらこうも軽々と見えるものなのだなと、また一つ得難い経験をすることができた。人生って楽しい。)


終演後からすぐ調べ出して、最初のヒントには帰りの電車内でもう出会えていた。検索上位だった。有り難い。

からそのまま寝ずに感想を書き上げて翌昼増田投稿したのが初見感想

なんで増田に上げたかと言うと、これが《私》の感想であると、他の友人知人に知られるのが恥ずかしかたから。お陰で普段以上に壁打ち感ぱなくて孤独だった。それを全部友人との推理にぶつけていた。この五日間付き合ってくれて原作真相にまで辿り着いてくれた友人マジで有り難う。



自分感想の反応はサッパリだけど、各所に皆さまがどんどん感想を投下されるのでひたすら読み漁っていたのですが、どうにも自分の知りたい解がそこにはないように思えてきて。(感想拝読させていただいた皆さま、失礼な物言いになってしますみません。今回が異例だったのです。通常の演劇作品感想としてはとても楽しく面白拝読させていただきました。公開してくださったことを心から感謝しています。これからも是非よろしくお願いいたします。鍵、イクナイ。)

先述の私の盲点にあったヒントを見つけてきてくれた友人との会話でも判明したのですが、私が求めていたのはどうやら『感想』ではなく『印象』だったのです。

感想とは『事象対峙した発言者の想い』である。対して印象とは『事象対峙して発言者が捕捉できた部分』である

私は自分では見えなかった作品ありのままの姿を知りたかったみたいです。


その点では、原作を読んだけど舞台は見ていない友人と、舞台は観たけど原作を読んでいない私の探偵コンビはなかなか良いバランスだったのかも。

お互い違う表現を見ているか感想だけでは語れないけど、小説舞台作品本質が同じなら、印象と事実も一緒に突き合わせることで対話が成立する。


書いていた続きが寝落ちたら消えていたので、ちょいちょい追記していく。

http://anond.hatelabo.jp/20170210160426

投稿主なのですが今見ると意外と反響がある事にほんとに嬉しく思う


こんな醜いありのままクズ自分匿名でも誰かに公表するのは初めてでどうせ批判ばっかり来るんだろうと思ってた

でも予想外のコメントトラックバックでびっくりした

初めて自分を打ち明けて剥き出しの心に触れられてる感覚になった

普段から偽ってきた自分を褒められる度にむず痒かった

でも人との関係だけは壊れると未だに鬱のような気分になる時がある

からそこだけは人に嫌われないように努めてきた

その結果がこれ

こういうのってだらだらと追記?したらダメルールかわかんないけどとりあえず救われる物があった

別に今の状況が何一つ変わるわけじゃないけど またこうやって記事投稿するかもしれません

コメントありがとう

2017-02-10

http://anond.hatelabo.jp/20170210173444

http://anond.hatelabo.jp/20170210173444

トラックバックのやり方わかりません

もちろん俺より苦しい状況なのに頑張ってる人なんていくらでも居て見てきた

もっといえば障害者いじめられてきた人や親に虐待された人でも頑張ってる

俺なんかよりよっぽど頑張ってる

そんなのいくらでも見せつけられた 他人共はことある事にそれしか言わないし実際にそうなんだよ

そんなことわかってても何も出来ないし表ではもちろんその意識を持って常に生きてきた

でも僕は匿名を良いことに自分が持ってる醜さをありのまま最大限に表現させもらった 全てが醜いだろ ツッコミどころなんかいくらでもあるだろ 世の中はいつもそうだよ だから真面目に生きようとはする でもクズなんだよ

まれて初めてここまで悪い事言える人間になれたことは気持ちよかったよ

はてな匿名ダイアリー感謝

2017-02-06

期待するって難しい

「期待が外れた」って一番残酷じゃない?

「○○してくれる」「○○になってくれる」って相手の行動を自分予測して、

それが実際に起こらなかったら幻滅するってすっごく身勝手に思うわけよ。

物事がうまくいくかどうかなんて本人の実力以外の色んな要素があるのに、

その要素全部すっ飛ばして「見損なった!」って。知らんがな。

それなら最初から期待しなければ良いじゃん。無意味無意味





っていうのは自分でもよくわかっているんだけど、

恋人配偶者に「期待しない」ということはとても残酷に感じられる。なんでだ?

ありのままを受け入れるって考えればれりごーっぽいけど、

「期待しない」っていう言葉に含まれるそれはなんか違う。


「期待する」って言っても別に年収1億とかそんな大それた話じゃなくて、

向こうが「こうなりたい」って宣言してくるような、目標みたいなものね。

から「期待しない」ってのは、その人の目標否定するようでなんか気が引ける。

でもその目標が達成されるとも限らないから、期待したらいざというとき幻滅するわけで。




うーん。




好きな人に期待するのは当たり前ってか?

それとも、好きだから期待していたいとか?

いっそ、期待しないまま好きを維持するっていうのが愛なのか?



期待するって難しい。

ここ数日で恋人現実を突きつけられて

恋人を見損ないかけて見損なう自分自己嫌悪たから書いとくね。

2017-01-24

そこそこモテる被告白回数3~4回/年)方法を教える

<はじめに>

■注意事項

以下の項目のいずれかに該当する方は、速やかにブラウザバックしてください。

顔面レベル中以上の人

めっちゃモテたい(告白回数5回以上/年)人

自分の片割れ運命の人)を探している人

・「好きじゃない人にモテても嬉しくない。好きな人だけに好かれればいい」とかほざいてる奴

・「ありのまま自分を好きになってほしい。モテるためだけに自分を変えたくない」とかほざいてる奴

・同性を好きな人申し訳ありません。自分が同性にそこそこモテる方法を知らないため)



講師の紹介

・年齢:アラサー

性別秘密

顔面レベル:低

・体型:普通






<そこそこモテる方法

①同性の人が極めて少ない環境に身をおく

簡単に言えば「オタサーの姫」の姫(男女共に)に自分がなるということ。

例えばあんたがそれなりに魅力的な人だったとしても、同性がうじゃうじゃいるフィールドにおいては勝率は低くなる。

(この文章を読んでいる時点でそこそこモテないはずだから、勝ち目はゼロに等しい)

学校職場を変えることが難しければ、同性が少ないコミュニティに参加する。



②動き・しゃべりをスローペースにする

ちょこまかとせわしなく動いたり、焦って早口になったとしても可愛いのはロリショタのみ。

ゴキブリフナムシは見た目もアウトだが、キモがられるのはあの無駄に素早い動きのせいである。

例えばクワガタゲンゴロウはあまり動きが早くないので、見た目はゴキブリフナムシとそう変わらないが

手でつかんで愛でることができる。

動き・しゃべりをスローペースにすることは、たゆまぬ訓練によって実現可能だ。



③没個性的になる

世間一般の人は、思いのほか「普通の人」が好きだ。

あんた方は自分のことを変わり者だと思っているだろうが、世の中の大半は変人である

からこそ普通の人が輝くのだ。

服装女子男子ユニクロとか(ただしサイズに気をつける。女子スカート推奨)でOK。

趣味読書FA

本当の嗜好は、深い仲になった人に対して徐々に出していけばいい。







「なに当たり前のこと書いてんだよ」と罵倒されそうですが

その当たり前のたった3つのことをできていない人が多いのです。

すごくモテるということは決してないですがそこそこモテるようになります

そこそこモテる人生は楽しくなります

実践あれ。

2017-01-22

彼氏彼女関係どうでもよい

現在、ありがたいことに私には彼女がいる。

可愛く優しい性格でとても良い子だと思う。

その一方で価値観が合わない部分も当然あって。

なんとなく、「彼氏彼女関係なら歩み寄る努力をしないといけない」みたいな、プレッシャーと言うほどでもない圧力をどこからともなく受けることがある。

でも、正直言って、私はありのまま自分大丈夫な人と付き合いたいと思っていた訳で。彼女がとても良い子でこの子を逃したらもうこれ以上の子とは出会えないかも、という考えでしか付き合い続けるという選択肢理由を見出だせてない。

別れて独り身の方が楽なんだけど、親の事を思うと結婚した方が良いのだろうなとかも思っちゃうし。

わがまま自己なのは自覚してるけど、少なくとも恋愛方面努力せずに良いものを得たいという気持ちしか湧かない。

そろそろ別れようかなとか思ってる。でもこんなこと思っている一方で、彼女家事やってくれるなら同棲結婚もして良いとも思ってる。(洗濯物取り込んだり風呂掃除ごみ捨てくらいは私がやる。でもそれ以上は厳しい。)

だって家に居てくれるなら定期的にわざわざデートしに行く必要性が少なくなるだろうし、一緒にいる分には落ち着くから

まり、私の日常を大きく壊さなパートナーが欲しいってこと。愛してるとか正直分からないんで。好きは分かるよ。多分。

子ども出来たらその子は愛せるのかな?勉強教えてる子ども愛情もって接しているつもりだけど責任がないから出来てるだけかな?

まあ、私が色々覚悟が出来てない、ふらふらなめんどくさがりなだけか。

どうすりゃええんだ?私、今彼女から別れ切り出されても結婚切り出されてもOK出しちゃうよ?

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